崔象喜さん(海外在住外国人女性で初の公認先達)「同行二人」

 《2014年3月1日、「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会第8回総会兼記念講演会での講演。日本語での講演でしたが、一部は、より日本語に近い表現にしました。また、読みやすいように中見出しを入れました》

 
 
 【崔象喜さん】Choi Sang−Heeさん。1875年、韓国・釜山市生まれ。2010年に1回目の四国八十八カ所と別格二十カ所巡拝。2013年までに4回の巡拝をすませ、2013年12月3日に、海外在住女性として初の公認先達。2011年に韓国のサイトに「同行二人会」を作って、会長として活動。韓国で四国巡礼本を執筆中。ソウル市で外国人ゲストハウスを運営。
 

↓写真=講演するHeeさん





   ●父の死と雨

 私は5年前、初めて四国を回りました。回ったきっかけには、私の父のことがあります。今から9年前に私の父が亡くなりました。亡くなる前は、記憶がなくなる病気でした。そのため、家でいる時間が多かったのです。何年間も。亡くなった後で、お父さんと一緒に旅行する場所がないかなあと探していました。もともとはスペインの巡礼道(サンチアゴ巡礼道)に行こうと思っていました。ところが、インターネットで日本にも八十八カ所といわれる場所がると知って、四国を回ることにしました。
 私の父が亡くなった時には雨が降っていたので、雨が降ったら父が私に会いに来た気分になるんです。不思議なことに、四国を回って、1番のお寺に行った時も、雨が降っていました。半分くらい、雨が降ったんです。もともとは雨が降ったら辛いんですけど、お父さんが一緒に回っているような感じがして、幸せな気分になりました。結願して1番に戻る時も、雨が降って、お父さんが喜ぶ気がして、うれしかったです。


   ●結婚は遍路のおかげ?

 私は主人と付き合って、結婚したかったんですけど、毎日おいしい食べ物を食べて、20キロくらい太ったんです。私は四国を初めて回った時に、13キロやせたので、主人が見てびっくりしました。だから、その時に結婚しようかなあと思ったんですが、1カ月でリバウンドして、体重が戻りました。主人と結婚したいし、主人も早く結婚しようと言っていました。そこで、「もう1度四国を回って、リバウンドしないうちに結婚しませんか」と言ったら、主人が喜びました。
 韓国は結婚する時に、男の人が女の人にいろいろ高いものをプレゼントします。指輪とかダイヤモンドとか。でも、その時の自分は(体重が増えていて)自分じゃないので、「もう1度四国を回ってもいいですか」と言うと、主人が(高いプレゼントの代わりに)お金を渡してくれました。そのお金を持って、2回目の四国を回ったんです。
 やせてもまたリバウンドするのを心配したので、回り終わった後、1週間くらいで結婚すると決めて、四国を回りました。2回目に回ったのは、津波が来た(東日本大震災の)時でした。19番札所(立江寺)にいる時に津波が来て、韓国中の友だちがみんなビックリして、「帰ってください」と言ってきました。(遍路をしている時に)近くにいた人が「ここは大丈夫だから、(遍路を)を続けてください」と言ったので、そのまま四国を回りました。みんなが心配するので、(距離の)長いところは車に乗せてもらって回りました。そうすると、10キロしかやせませんでしたが、(韓国に)帰って結婚しました。今年は結婚して3年になります。四国のおかげで結婚できて、とても感謝しています。


   ●韓国に308人の仲間

 私は四国を4回も回りました。最初、何もわからないまま回ったのですが、地域の人がすごく優しい声で助けてくれました。初めは、日本語ができなかったんですよ。だから、会った人は「Heeさん(喜さん)大丈夫かな、民宿泊まることできるかな」と、みんな心配してくれました。でも、私が予約できなかった時には、隣のお遍路さんが代わりに電話して予約してくれたりするのにすごく感動して、帰ってから、また行きたいなあという気分になって、また行くことになりました。
 今年は(開創)1200年記念ですが、韓国では四国に巡礼の道があるのを知らない人が多かったのです。しかし、行きたいと思う人が増えてきました。私は2年前から韓国のサイトで、「同行二人」という会を作って、今は308人が集まっているんです。行ったことある人もいるし、まだ行ったことはないけれども行くつもりの人が集まっています。


   ●1人が3人に良いことを

 私は昔、とても好きな映画がありした。映画のタイトルは「美しい世の中のために」です。その内容は次のようなものです。小学校の子どもが先生に「世の中のために何ができるか考えてきてください」と言われました。その子どもは考えて、自分が知らない人3人にいいことをして、いいことをされた人がまたほかの3人を助ける、ということを考えました。自分が一生懸命助けることを考える映画でした。3回目のいいことをすると、子どもは事故で亡くなります。子どもは3人にしかいいことをできなかったのですが、その3人が3人、3人、3人と増えて、みんなが集まって子どものためにお参りをしました。そんな内容の映画で、すごいなあと思ったんです。
 私が四国で経験したのは、四国の人は自分の知っているお遍路さんにお接待をするのではないということです。知らない人のために、優しい声をかけるとか、道を間違えたら教えるとか。それが四国だけじゃなく、どんどん広がれば世界が変わると感じました。こんな国があるのだろうか、と感動したんです。だから韓国の友だちに、「もし日本に行ったら(東京に行く人が多いのですが)、四国に行ってね」と言っています。


   ●「ありがとう」を忘れない

 私が日本で感じたのは、日本人はすごく感謝の気持ちが強い人だということです。韓国でも「ありがとう」は言うのですが、日本人の場合は韓国とはだいぶ違います。私が友だちにお土産を渡したら、もらう時に「ありがとう」をして、次に会う時にも「この前は、ありがとうございました」と言います。「ありがとう」を忘れないで、ずっと考えるのが素敵なことだと思います。


↓写真=Heeさんは遍路で覚えた日本語で話した



   ●遍路で変わる人生

 私は2回目から野宿をしながら回りました。(この遍路で)それまで自分は幸せだということを分かっていなかったと気づきました。温かいご飯を食べていましたが、当たり前のことだと思っていました。ところが、野宿をして「寒いなあ」と思い、冷たいおにぎりだけ食べていると、普段の生活がすごく幸せと感じ、何にでも感謝の気持ちがわいてきます。朝起きても、「きょうも無事に起きることができて、ありがとう」とか、おいしいものを食べて、「今日も温かいものを食べることができて、ありがとう」とか、寝る時にも「今日も無事に寝ることができて、ありがとう」と思うように変わりました。すごく人生が変わって、現在の幸せを見つけるのが楽しみです。だから、「四国に行くと、人生が変わりますよ」と、みんなに言っています。


   ●嫌がらせと出会いと
 私が先達になろうと思ったのは、個人でいろいろ活動しているよりも、先達になってみなさまと会うきっかけを作りたいと思ったからです。先達になって、新聞に載った時に、すごく反発した人もいたんです。「何で韓国人が!いやです」「もう(韓国に)帰ってね」とか。八十八カ所の13番のお寺の住職さんは韓国人です。ここに「あなたが朝鮮人を先達にさせたの」と電話がすごくかかったことを聞いて、私はびっくりしました。先達になった時にも、ヤフーとかサイトを見たら、「何であなたが」「もう帰ってほしい」と、悪いコメントをする人がいました。
 そのような人は多分、四国を回ったことがないと、私は感じます。また、韓国人に会ったことのない人が多いと思います。だからお互いに、出会うきっかけを作ると、いいんじゃないかなあと思います。
 前に私が高野山のお坊さんに会った時に、お坊さんがこんな話をしたんです。「森を見ることもいいが、森の中で木を1つずつ見つけることもいい。それをHeeさんにやってほしい」。それを聞いてとても感動しました。
 今は、韓国と日本の間に冷たい動きがあります。過去は変えることはできません。でも韓国は近いので、未来は仲の良い国になった方がいいと思います。もし、四国を回る時に、韓国人に会ったら、声をかけるようお願いします。

↓写真=Heeさんの講演と聴衆



【会場から】私も韓国には50〜60回行きました。日韓の今の状況は残念です。Heeさんが今の大統領に、日韓がうまくいくよう、お願いしてほしいと思います。
【Heeさん】はい、分かりました。(笑い)
【会場から】いい言葉がたくさんありましたが、印象に残るのは、日本人が何度も「ありがとう」と言うということでした。実際のそうですか。韓国の人と違いがありますか。
【Heeさん】韓国の人も、(何かを)もらう時には、「ありがとう」を言うのですが、また会った時に「この前、ありがとう」とは、あまり言わないですね。日本人は気づいていないと思いますが、ほかの国の「ありがとう」とはちょっと違う感じます。
【会場から】(Heeさんに)遍路道のシールを張っていただいています。高知県で、全部はがしていった人がいます。お気持ちはどうですか。
【Heeさん】今年もシールを張っていますが、去年のシールはちょっとデザインが違いました。「Korea」とも書いていました。韓国を嫌な人がはがしたりするのでしょう。私の仲間がインターネットで見ましたが、若い人の中で、誰が何枚はがしたのか、(競争するように)書いてあったそうです。自分の国(日本)の人が嫌なら意味がないので、今年はデザインを変えたシールにしました。今は道にはらないで、民宿や個人の家や店に頼んで張ったら文句を言われないと考えました。韓国人がそれを見たら、韓国人と仲良くしたい民宿、店とわかって、お互いにいいんじゃないかなと考えて、また張ろうかなあと考えています。
【司会】心ない方が、韓国嫌いというだけではがして回ったということがあったようです。今はHeeさんがおっしゃたように、個人とかお店に張っていただくことで、草の根の日韓友好というのが、どんどん進んでいっているのではないかと思います。

↓写真=Heeさん遍路道のシールを手に放した


【会場から】私はパルパル(88年)・オリンピックの時に日刊スポーツのカメラマンでして、2カ月半ソウルにいたんです。そこで、いろんな人と出会いました。今のお話で、308人の仲間がおられるということですが、年代とどういう方、どういう層の方がおられるか、お聞きしたい。
【Heeさん】年齢は若い人が多いです。ですから、仕事をやめて四国へ行く人がいます。308人の中で100人くらいが、四国を回ったり、準備したりしている人です。
【会場から】私も区切り(区切り打ち=1度に回るのではなく、区切りながら回る)で歩き遍路をしていて、2周目に入ったところです。もう少し回りたいと思うのですが、(野宿の)用意はしているのに、やっぱり怖くて、宿があれば宿に泊まってしまうんです。日本語もよくお分かりにならない時に回ったということは、強い気持ちだったと思うのですが、怖い目に遭ったことはありませんでしたか。
【会場から】私も区切り(区切り打ち=1度に回るのではなく、区切りながら回る)で歩き遍路をしていて、2周目に入ったところです。もう少し回りたいと思うのですが、(野宿の)用意はしているのに、やっぱり怖くて、宿があれば宿に泊まってしまうんです。日本語もよくお分かりにならない時に回ったということは、強い気持ちだったと思うのですが、怖い目に遭ったことはありませんでしたか。
【Heeさん】私は1回目の途中で野宿をしたことがありますが、野宿しようという気持ちで回ったのは2回目からです。(それは1回目の経験から)分かることもあるし、どこで寝ればいいかも分かるし。私は剣道が2段ですし、危ない時には弘法大師が付いているから、私自身は危ないことはなかったです。
 だけど、私の仲間の女の子2人が、ちょっとした“事故”に遭ったことがあるんです。1人は2日目に会ったおじさんと、いろいろ話をしたんです。(その晩は)宿は違いました。でも、3日目は(12番)焼山寺に登る前の日なので、一緒の民宿に泊まって、(翌日は)一緒に焼山寺に泊まりませんか、という話をされました。もちろん、別々の部屋で寝ました。夜中の4時くらいかな、窓をコンコンコンする音が聞こえました。「何ですか」と聞くと、そのおじさんでした。「ちょっと聞いてください」と言うので、その人の部屋に行ったら、「一緒に寝ませんか」と言われました。女の友だちはびっくりして、「嫌ですよ」と言って自分の部屋に戻ったんです。
 すごく涙が出て、「怖いな、怖いな」と思ったそうです。隣の部屋に若い日本の女の人がいたので相談すると、「あのおじさんと一緒に行かない方がいいよ」と言われました。朝、食事をした時に、おじさんが「焼山寺行きましょうか」と言ったのですが、「私は具合が悪いので、登らない」と断りました。そして、若い日本の女の人と一緒に行ったんです。初めに悪い人に会ったので、それからは、本当に優しい人に声をかけられても、「大丈夫かな、大丈夫かな」と思い、徳島だけで終わって帰りました。でも、いままでの私(Heeさん)の経験を聞き、やネットを見るても、みんないい人なのに、なぜ自分だけこんな人に会ったのかなあと、すごく悩んでいましいた。
 もう1人の女の人は、山に登る時に悪い男の人に会って、お金を渡し、逃げる時にも転んでしまい、途中で帰ってしまいました。だから、韓国の女の人には「山を登る時には、ほかの人と一緒に登った方がいい」と話します。私の場合は本当になかったのですが。

↓写真=熱心に聞き入る聴衆


戻る