対談 崔象喜さん・歌一洋さん「外国人先達の感じた四国遍路の魅力」

 《2014年3月1日、「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会第8回総会兼記念講演会での対談。読みやすいように中見出しを入れました。発言を分かりやすくするために、一部加筆、修正しました》



 【崔象喜さん】Sang Choi Heeさん。韓国ソウル市在住。ゲストハウス経営。海外に住む外国人女性として初の公認先達。
 【歌一洋さん】徳島県海陽町生まれ。建築家。2014年3月まで近畿大学教授。「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を提唱し、主宰者。
 
 ◇進行役 梶川伸:「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会副会長

↓写真=向かって右が講演する崔さん、中央が歌さん



 ◆「歌(song)の先生が、何で素晴らしい小屋を?」


梶川 僕は進行役として少しだけ口を挟みますが、対談は2人で話しているのが1番面白くて、司会役はかえって邪魔になるんです。だから、あんまり話さないようにします。最初にとっかりを作りますが、後はお2人で自由に話してください。Heeがヘンロ小屋プロジェクト、あるいはヘンロ小屋、あるいは歌さんを知った、その辺のことから話し出してもらって、後は歌さんとHeeさんにお任せします。ではHeeさん、よろしく。

崔  私がヘンロ小屋に関心を持ったきっかけは、(お遍路さんのための)普通の休憩所もありますが、歌さんの休憩所は特別で、とてもいい感じだったからです。小屋の前の看板に、何番と数字が書いてあり、それが何の意味かなあ、誰がつくったのかなあと、知りたくなったんです。2年前に回った時、30番のお寺(善楽寺)のそばの蒲原のあたり小屋があるんです(ヘンロ小屋5号・蒲原=高知県南国市岡豊町蒲原)。小屋の上に工場があって、ここで私は泊めてもらいました(小屋の施主、石川為市さんがヒダカ技研を経営し、その会社の敷地内に、お遍路さんが泊まれる宿泊施設を設けている)。
   その社長さん(石川さん)に「あの小屋は誰がつくったものですか」と聞くと、歌さんのことを「近畿大学の先生が(小屋づくりを)しているんです」と教えてくれて、資料ももらいました。私は歌先生が、歌(song)の先生と思ったんです。何で、歌の先生なのに、こんなに素晴らしい小屋ができるのか、おかしいなあと思っていました。大阪に住んでいるので、いつか会いたいなあ、と思いましたっかけで、こんなことをしたのかききたいなあ」と聞いてみたかったんです考えたんです。
   去年、私が回った時に、7番(十楽寺=徳島県阿波市)かなあ、ヘンロ小屋の藤巻さん(「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会会員、藤巻良知さん)と出会って、藤巻さんが「歌先生と仲いいですよ」と言ったので、「きっかけがあれば、紹介してほしい」と頼みました。藤巻さんの紹介で、大阪にい行った時に、初めて歌先生に会って、いろいろ話を聞いて、感動したんです。
   このような小屋は、国や県が建てるものだと思ったのですが、個人で自分が生まれたところに建てることにし、応援する人が集まって1つずつ建てるのが、すごく素晴らしいと感動しました。小屋を見るために、遍路道から離れている場所にも、わざわざ行ったこともあります。だから、(歌さんの話を聞いて)すごく感動しました。会員になってもらって寄付をしてもらって小屋をつくるというので、私も会員になりました。お金は多くないのですが、心だけ応援したいと考えたので。
   去年、四国を回った時に韓国人に話すと、自分も応援したい、と言っていました。私の会(崔さんは韓国で、「同行二人」と名づけたグループを組織している)の会員にも、ヘンロ小屋プロジェクトのことを知らせて、一緒に応援できたらいいなあ、と思っています。


歌  ありがとうございます。デザインなんて簡単なんですよ。物語を形にしたらいいので。それよりも、気持ちの方が大事なんです。ここの場合(ヘンロ小屋5号・蒲原と石川さん)は、20人くらいのスタッフと工場をやっている方が、つくってくださったんです。全部、自分で模型を作ってくれて、間伐材でつくったんです。間伐材は10万円くらいかかったんです。つくった後の、社長さんの言葉なんですが、「私は社長ですから経済的にはめぐまれて、良かったです。でも小屋をつくったおかげで、心の喜びを得ました」と言葉を発していました。それが非常に印象に残っています。小屋をつくることによって、そういうことを感じてもらえればいいなあと思っていましたので、とても印象に残った小屋でございます。
   本当にちっちゃいちっちゃい小屋で、横は6辰らいありますが、奥行きは2辰發覆い鵑任后その方はこの前、お遍路さんがただで泊まる建物をつくってくださいました。3部屋ほどあるんですかね。


歌  Heeさんにちょっとお聞きしたいんですけど、最初に四国遍路があるということを知った時は、どんな感じでしたか。


 ◆「四国では何かあっても、助ける人がいます」


崔  四国の魅力は、道より、道で出会う縁が感動だったんですよ。去年、スペイン・サンチアゴの巡礼の道も行きました。道はきれいですよ。コンクリートも少ないし、巡礼者が通る道は車が通る道とは別にあります。四国は、お接待文化が特別に感じました。例えば、ここでお接待をしてもらったら、自分の国に帰っても、ほかの人のためにいろいろしたい気分になるんです。
   私は前、四国が終わった後で大阪に行った時、天王寺で雨がすごく降っていました。そこで外国人がヒッチハイクしていたんです。その人が書いている紙を見たら、「京都」と書いてありました。大阪から京都までヒッチハイクができるだろうかと心配しました。私は四国の経験がなければ多分、そのままにしたと思います。しかし気になるので声をかけました。友達に電話すると、「大阪から京都までヒッチハイクはできない」と言いましたので、「ここはヒッチハイクはできないですよ」と伝えました。その人は日本語はあんまりできませんし、私は英語が上手じゃないのですが。「私が切符をプレゼントしますから、一緒に天王寺まで行きましょう」と声をかけて、天王寺まで行って切符を買ってあげました、お接待で。
   四国に行ってちょっと感じるのは、四国でもらったことを、私がほかの人にしなければならないという心に変わることです。私がもし歌先生に何かもらったとして、「ありがとう」と言って何かを返したら、ゼロになるんです。歌先生が私に何かして、私はほかの人にしたら、私がしたものですが、じつは歌先生がしたものでもあるんです。このように広がるのは四国のおかげで、世界が良くなるかもしれません。


歌  実はヘンロ小屋には、お遍路さんに書いていただくノートがあるんです。ノートを読んでましたら、ある方が「四国へ行って、お接待を受けて、非常に感激しました。私も将来、それを何らかの形で返したい」と書いていました。Heeさんの話に通じるものがあると思います。Heeさん、実際歩いて、お接待を受けて、どんな気がしましたか。

梶川 Heeさんが受けた具体的なお接待を話してもらえますか。


崔  印象に残ったお接待は、いろいろあります。私が出会った人の中に、自分の実家が原発の場所(東京電力福島第1原子力発電所の放射線の被災地)で、周りの人がみんな引っ越しして住んでいるため、その人たちのために回っているという人がいました。若い人でお金があまりなくて、女の人なので野宿もできなくて、(遍路宿に)素泊まりしていました。寂しい感じがありました。ほかの人のため(原発で引っ越した人のため)回るのことに、すごく感動しましたので、私が出会った人に、その話をしました。そうすると、「その人に渡して」と応援のお金を預かった人もいます。
   松山で会った人は、「自分が30歳の時に、お母さんが白衣を作ってくれて(八十八カ所を)回ったことがある」と話していました。「今は65歳で、回ることができないので、Heeがお母さんが作った白衣を着てくれませんか」と言い、私がその白衣を着て歩いたこともあります。
   去年は荷物が重かったんです。野宿するし、缶バッジとかシールも持っていて、20キロくらいでした。途中で腰が痛くなって歩くことができなくなりました。そうすると、地域を人が私を病院に連れて行ってくれました。私は健康保険がないので、すごく高いお金がかかりましたが、その人が払ってくれました。私は腰が痛いので荷物を持つことができません。地域の人が車で荷物を運んでくれ、私は荷物なしで歩きました。もともと、腰が痛かったら家に帰らなければならないのですが、前に進むようにと、このようなことがズーッとありました。四国では、何かあっても、助ける人がいつもいます。心配がないから、四国を回れるのです。


↓写真=遍路について語る崔さん



 ◆あいさつや笑顔がお遍路さんに元気を与える


歌  そのようなことは、あまり韓国ではないですか。巡礼の場所はないのでしょうが。

崔  韓国の済州島に、四国みたいな巡礼の道があります。仏教とかキリスト教とかには関係のない巡礼の道です。この道と四国の道が「友情の道」としてつながっています。

歌  私が受けた小さなお接待の話です。正月に1人で歩いたんです。お子さん2人とお父さんが、信号で待っていました。私が歩いていったら、幼稚園がもうちょっと下でしょうか、そのお子さんが「こんにちは」と言ってくれて、次に上の小学生のお姉さんが「こんにちは」と言ってくださって、最後お父さんがあわてて振り向いて言ってくださいました。小さいお子さんから順々に。何でもないようなことですけど、わざわざ振り向いて言ってくださって、歩いていると元気が出るんです。
   子どもさんがニコッとしてくださるだけでも、ありがたいことに元気が出るんです。不思議ですね。街でニコッとしていたら、ちょっと怖いかもしれませんね。先程の病院に連れていってくれたのは、すごいことですね。小さなことも、いろいろありましたか。


崔  四国を回ると、子どもから甘いものなどをもらったことがあります。また、小学生の先生が子どもにお接待文化を教えるために、1日のお接待場所を作っていたことがありました。地震(東日本大震災)が来た時で、お遍路さんが少なかったんです。私が12時くらいに行くと、3番目のお遍路さんでした。子どもがみんな集まって、「お遍路さんが来た」と言って、肩をもんだり、お茶を出したりするのです。お接待文化を子どもに教えることにも、感動しました。
   子どもは大人に声をかけたりしないと思いますが、四国は特別ですよね。「お遍路さんも、ハンコ(朱印)もらいますか?」「もらいますよ」「何個もらいましたか?」「13個もらいました」「何個残っていますか? 頑張ってくださいね」。子どもがそんな会話をしてくれるのが、とても可愛い。


歌  四国に行って、白い姿(白衣=びゃくえ)をしてますと、お子さんたちは「こんにちは」だとか「頑張って」と声をかけてくれます。これはほかの町では少ないですよね。それは素晴らしいことです。ましてや、小学生がちょっとしたことでお接待をしてくださるということは、非常に意義があることだと思います。
   子どもさんではないですけど、幡多信用金庫さんは小屋をたくさん作ってくださり、新入社員さんがヘンロ小屋に行って、お接待をしてくださる。してくださること自体が、社員教育になっていると思います。言葉で言ってもなかなか分からんし、実感ないし。でも実際にお接待をして、お遍路さんが喜んでくださったら、その喜びが自分自身に伝わってくると思いますから、いい社員教育になると思います。私はいろんな社長さんに言ってきます。給料は払って1週間でもお遍路さんやお接待に行かしてやってください、と。そうすれば、社長がゴチャゴチャ言うよりも、よっぽどいい。
   心のちょっとした交流ができるんです。そういうことは、日常ないわけです。何でもないようですが、喜びが大きいんです。そんなことが、どんどん起きればいいと思っています。先程のHeeさんの話のように、ある人からある人へお接待の心が伝わっていってほしいですね。
   Heeさんの講演では、韓国で「同行二人」というグループをつくって、300人のうちもう100人が四国を回ったと話していました。残りの200人は、興味はあるが、まだ行ったことはないということですか?


崔 準備しているんです。まだ、仕事とかがあるし。1人ではできないこともあるので、、私が連れていって案内したいと思っています。


 ◆韓国げ遍路を広めるためにサイトをつくり、本を執筆


歌 1人では、最初はなかなかねえ、大変かもしれませんね。しかし、そういう風に広がっているのはすごいですね。形ではなく、心ですから。Heeさんはそれを広めようとやってくださっている。広めるために、具体的にはどうしているのですか。


崔 今はサイトを作っています。今年は韓国で、四国の本を作るために、書いています。本を出版して、広げたいなあと思っています。


歌 本の趣旨はどういうものですか。


崔 韓国では4年くらい前から四国の本が少しずつ出版され、いまは6つくらいになりました。お遍路さんを経験した人が書くと、何日どこに泊まったと、日記みたいになります。私がいま書いている本は、1回目から4回目までの記憶に残っていることや感動したことを内容にします。それなら、仏教に関係のない人が読んでも、「行きたいなあ」と思うでしょう。


歌 四国遍路の本が6冊くらい出ているのですか。個人的な思いを書いているんでしょうけど。Heeさんの場合は個人的な思いだけじゃなくて、もう少しイメージを大きくして、みなさんに分かってもらったり、四国へ来てもらったりするような趣旨で書かれているということですか。それは珍しいですね、外国の方で。日本の方も本を出されていますが、そいいう趣旨のものは意外と少ないんですよ。いつごろ出るのですか。


崔 秋くらいにできるかなあと思っています。


歌 みなさん、買ってくださいね。日本でも出版されますか。


崔 いつか機会があれば、日本でも出版したいんですよね。いま日本人が出版した本はいろいろあるんですが、外国人がお遍路をして何を感じたかを書いた本は、ないと思います。


 ◆同行二人の意味は?


歌 さきほど、「同行二人」と話していましたが、同行二人ということに、どういう感じを受けますか。


崔 四国だったら、同行二人が1番イメージがあります。その名前をつけました。


梶川 同行二人という言葉はなかなかわかりにくいですよね。


崔 私は、スペインで回る時には、缶バッジを持って行ったんです。ほかの国に行ったら、韓国の道を教えてあげたらいいのに、私は日本にこんな道があって、みんな行ってくださいと言って。缶バッジに同行二人と書いていたので、みんな「同行二人は何の意味ですか」と」聞かれました。私は英語があんまりうまくないので、「togetherの意味です。みんな一緒、あなたと私と同じという意味なので、缶バッジをつけていたら、もしかすると助けてくれるかもしれないので、みんな四国に行ってください」と言いました。「何で韓国人が日本の道に詳しいいの」と聞く人も多かったのです。


歌 一般的には、お大師さん、空海と歩いているということですかね。守ってもらうという意味ですね。そんなのは、あまりないですよね。そんなことについて、どう思われましたか。守ってくださるというか、1人じゃないということについて。


崔 四国を1人で回っていても、誰かが見守ってくれている気がするんですよね。


梶川 空海、弘法大師と一緒に回るという意味と、独善的ではあるんですが、空海の目になって回る、空海に目で見るということだと思うので、自分を客観的に見るということがあるような気がします。


歌 そうですよね。自己実現が根底にあると思います。本来の人間性を求めるのが、同行二人の1番大事なことかなあと思います。でも、歩いている時に、私は2人で歩いているという気持ちはないんで、私は1人で歩いていると思うんです。私は歩くのは浅いのですが、長いこと歩いていたら、見守られていると感じるのですかねえ。


梶川 お遍路さん仲間には、何度も歩いている人がいるのですが、歩いているうちに、1人で歩いているわけではない、歩かせていただいているんだと、感謝に気持を感じる人が多いみたいです。Heeさんも、何度か歩いているうちに、考え方が変わってきましたか。最初は「目的地まで行くんだ」という考えだったのに、ある時から「今日も歩かせてもらってありがとうございました」と、そんな風に変わっていったのでしょうかね。


崔 私はスペインのサンチアゴ(キリスト教の巡礼道)も行きました。私は歩くのが好きで、自分が力があったため、歩き終わったという気分(満足感)がありました。四国で回り終わったら涙が出たのですが、私の力だったという気分ではなく、みんなの心が集まってできたな、と感じるんです。それがスペインとの違いです。


歌 それは大きな違いですね。日本には「おかげ」という考え方があります。自分以外の力をいただいて、食べることができたり、元気でおったりできる。そういう気持ちなんですね。韓国には、「おかげ」とい概念があるんでしょうか。


崔 普通の生活をしていると、考えるきっかけがないと思いますね。巡礼の道などを歩いたら、おかげというのが分かるでしょうけど。


歌 自分の力で歩いたりすると、ほかの力を感じる。というわけですね。「おかげ」というのは感謝するということですね。感謝するのが増えれば増えるだけ、広がれば広がるだけ、気持ちよくなると思います。それはありますよね。歩くことによって、助けられるということがたくさんあるんですね。私は小屋をつくっていると、そういうことを感じます。


梶川 Heeさんから歌さんに聞いてみたいことはありませんか。


崔 私はいろいろな小屋にお世話になりましたが、いい感じがした小屋がいくつもありました。例えば、83番・一宮寺(高松市)にお参りした時、別所さん(別所紘さん)が小屋(ヘンロ小屋24号・眈勝О豕棔砲鯆掃除して、私がいた時もお茶やお菓子を自分の家から持ってきてお接待していました。16番の宇和(ヘンロ小屋16号・宇和、施主は村上敬さん=支援する会愛媛支部長)は焼き肉屋さんの前の小屋で、休憩していたら店員さんが来て、手を洗うタオルを渡してくれて、フルーツも持ってきてくれました。38番・金剛福寺(高知県土佐清水市)から39番・延光寺(高知県宿毛市)に行く途中、芳井という小屋(ヘンロ小屋17号・芳井=高知県幡多郡三原町)に寄ると、あめやお菓子をお接待していて、すごく感動したんです。小屋は建てた後で、整備とか掃除とか、だれかが管理するんですか。


 ◆ヘンロ小屋で地元の方々がお接待


歌 それは地元の方々が自主的にやってくださっています。お接待をするところもありますし、ちょっと薄いところもありますね。一宮の小屋はご夫婦がお遍路さんに対して理解がありまして、お接待を積極的にやってくださっています。それで、自費を使ってつくってくださったんです。ご夫婦で自分の領域がありまして、(小屋の中を半分に分けて)それぞれテリトリーを持っているんです。小屋は弓の形をしています。壇ノ浦(源平合戦屋島の戦いで、源氏側の那須与一が平家側の差し出した扇を弓矢で射抜いたという逸話がある)に近いので。
  次の芳井は、地元のご年配のNPO法人の方が、自分のお金をほとんどかけなくてつくってくださったんです。山から竹を切ってきてつくってくださったんです。小屋は形ではないんです。大事なのは心ですから、お金をかけようがかけまいが、どういう形でもよくて、でも空間としてはいい風景になっています。
  もう1つは、村上さんという役員の方のレストランの駐車場を3区画ほどつぶしてつくってくださったんです。愛媛県で初めての小屋なので、見本につくりたいと、ご自分でお金を出してつくってくださったんです。それは今、非常に有効に使ってくださっていてるのですが、具体的には村上さんからお話してくださるといいですね。


↓写真=語り合う歌さん(中央)と崔さん



梶川 さきほどの店員さんのお接待というのは、ものすごくいい話です。村上さん、ちょっと話してもらえますか。


村上 10年ほど前につくったのですが、愛媛県の第1号だったんです。それから13号までお手伝いさせてもらいました。さきほどの話は、焼き肉レストランの駐車場なんですが、お客さんからほめていただく話が圧倒的に多いんです。店の人のお接待が大変に良いということで、たくさんのお礼の手紙が店に来ます。想定外のことです。下心は全くなかったんですが、ものすごく繁盛させてもらっています。この小屋の特徴は野宿する人が多いことで、(小屋に置いてある)ノートを見せてもらったら、のべ150名ほどが泊っていらっしゃって、何の問題も起きていません。


梶川 ものすごくいい話なので、少し補足させてください。第5回の総会を愛媛県でやった時に、お接待を実践されている方、正確にはその方はランクが上になったので、その下の方がなさっていたのですが、その方にシンポジウムで話をしてもらったんです。こんな話です。
   タイトルで言うと、「真珠の涙」です。お接待をした方がまとめた報告書があって、そのタイトルが「真珠の涙」です。ある時、男のお遍路さんが小屋で休憩していました。すると若い女性の店員さんが店から出てきて、お茶と果物のお接待をしたそうです。すると、男のお遍路さんはそれが非常にうれしくて、接待に使われた容器をまざまざ店まで持っていったんです。ヘンロ小屋のノートに書いてあるのはこうです。「ありがたくて、ありがたくて、ありがたくて、ありがたくて」。4回「ありがたい」と書いてあるんです。その店員さんに、「どうもありがとうございます」と言って手を握り、「本当に救われましたよ」と言流しました。そうすると、お接待をした店員さんももらい泣きで涙が出てくる。店の中でお遍路さんと店員さん、男と女が手を取り合って泣いている。ほかの店員さん、上役の店員さんが「どうしたの」と聞きました。「実はお接待をしたら、感極まったお遍路さんが、そういう風に言ってくれた」と店員さんが言い、そのことを村上さんあての報告書に書いたんです。すごいですよね。「命までも救われました」と書いてあったんです。何があったのは知りませんけれど、いろいろな思いがあって回っている時に、そういったお接待を受けて、感極まって涙が出たんでしょうね。
   その後もとても良くて、村上さんが店員さんに手紙を出すんです。「人を幸せにする人が1番幸せな人」と。いい話でしょう。(会場から拍手)
 

崔 また質問があるんです。7番岩本寺から10噌圓辰燭藝寛豌浩瑤あって、そこの小屋(ヘンロ小屋13号・佐賀=高知県幡多郡黒潮町)で野宿したことがあります。とてもいい場所でした。小屋によって野宿できないところもあります。どこができるか、どこができないか、分からないので、どうしたらいいのかなと思います。


歌 基本的には自由に寝てもらってもいいんですが、地域によって、とはいっても数えるほどですが、例えば門の前にあったりしてちょっと、というところもありますね。でも、基本的にはいいんです。ヘンロ小屋13号・佐賀は信用金庫と村の方がお金を出してつくってくださったんです。ついでに言いますと、仏教の本質を表している曼荼羅という形を平面図にした間取りにしてあります。ここにたまたまお大師さんの石像がありました。入口から入ってお大師さんを拝むと、後ろ側高野山になっています。空海さんが眠っているところですね。


梶川 Heeさんは温泉に入りましたか?


崔 はい。


梶川 この小屋にへんろノート、落書き帳が置いてあるのでうが、かなりの方が書いているのが、温泉の方が大変親切だったということです。Heeさんはそう感じましたか?

崔 女の人はトイレットが困るのですが、この小屋の後に工場があるんです。私が女だから、工場の人が、夜中でも使ってくださいと言ってくださって、感動したんです


歌 小屋にあるノートに書いてあるのは、99%まで感謝の言葉なんです。印象的なものがあります。長い間刑務所にいて、やっと仮出所になって、四国を回っているんです。お金はちゃんと持ってはいるんです。でも結構、野宿もしているんです。書いてあるのは、「私は昔、悪いことをしたんで、地獄へ行きます。でも今、お遍路さんで回っている時は天国です」と書いておられましたね。そういう重い重い何かを背負って歩いている方も、救われるのかもしれませんね。四国の人は優しいし親切だし、おもてなしも無私の心でやってくださる。そういう思いが日本中に広がればいいと書いてくださる方もいます。ですから、みなさんはちょっとでも心が楽になるのではないか、と思います。そういう意味では、私たちは小屋をつくらせてもらって、そういうのを直接聞いたり、あるいはノートを見ることによって、非常に喜びを感じますし、いい思いをさしてもらっています。みなさんからエネルギーをもらっている感じがしますね。


 ◆地域の物語を形にするヘンロ小屋


崔 歌先生がつくった小屋は、地域のことを考えていることが多いと思います。例えば、阿波踊り会館の前の小屋(ヘンロ小屋12号・眉山=徳島市)は阿波踊りの形(阿波踊りで女性がかぶる笠をモチーフにしている)をしたり切幡寺に近い小屋(ヘンロ小屋45号・空海庵・切幡=徳島県阿波市)は切幡寺のイメージでつくったり、宇多津の小屋(ヘンロ小屋42号・宇多津・蛭田池公園=香川県綾歌郡宇多津町)は祭りのイメージですし、地域の勉強になるんです。どうやってデザインを考えるのですか。


歌 地域に行って、風景だとか土地の形とか、風の流れだとか、いろいろ調査しますね。地域の文化、慣習、あるいは産物、名物などを調査するわけです。その地に1番いいだろうという形を出してくるんです。いろんな物語を入れる場合あるし、1つの場合もあります。宇多津の場合は、太鼓台です。町を練るわけです。現物よりちょっと大きいんです。こうやっていけば、地域性がでますよね。それに気が付くことによって、その地域の根ざしている祭りとか文化を分かってもらえればいいなあ、と思っています。人間の顔がみんな違うように、小屋がみんな違うのは当たり前です。場所が違うし。1つずつ違うのにびっくりする人がいますが、逆に変わるべきだと思いますね。
  阿波踊りの小屋も、たいていの方が「いい」と言ってくださるんですけど、単純な話で、阿波踊りの時の女性の鳥追い笠を屋根に変えているわけです。もともと美しい形ですよね。それを拡大したんです。糸の両側を持って、垂らしているんです。その曲線を模型にして、図面にしました。自然の形だから美しい。みなさんよく、面白いとはおっしゃってくださいます。それはそれで、違った意味で貢献していて、いいなあとは思っています。


梶川 Heeは阿波踊りを見ましたか? 踊りましたか?


崔 見たことないです。


梶川 この方(倉越進・「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会副会長)が阿波踊りの名手ですよ。


崔 13番(大日寺)の住職さんもチマ・チョゴリを着て阿波踊りをすると聞きました。

歌 韓国に行くと、吹きさらしの東屋がありますが、四国にもあるんです。茶堂とか泊まり家と言って。そこで、県外の人をおもてなしする風習があったんです。もちろん、地域の人もお茶を飲んだり、話したりするのに使いますが。高知にたくさん残っているんです。その形をあてはめた小屋もあるんです(ヘンロ小屋10号・宿毛=高知県宿毛市)。行動沿いの道の駅につくりました。かなり山に入っていくと、現存している茶堂があります。ヘンロ小屋より少し小さいですが。それをそのまま再現したのがヘンロ小屋です。昭和のいつごろまでか、若い人たちがご飯を食べた後、泊りに行くんです。2階に上がって、朝まで過ごすのです。そこが、いろんな人たちの触れ合いの場になり、文化を作っていったんです。コミュニケーションがどうのこうの言われている時代に、貴重な文化だと思いますので、それを再現した小屋です。これは宿毛市ロータリークラブさんがつくってくださいました。何百万もかかった非常に豪華な小屋です。使っているヒノキは根こそぎもってきたんです。2階からの夕陽が美しいんです。だるま夕陽といって。ロータリークラブさんが一生懸命、資金を集めてくださいました。小屋では泊まられたことはないですか?


崔 あります。切幡でも泊まったことがあります。


歌 2階ですか。


崔 はい。


歌 2階だったら、落ち着けていいでしょう。ここは、徳島の支部長さんがお金をたくさん集めてくださって、つくってくださいました。地主さんも、お遍路さんにご理解があって、つくってくださいました。デザイン(小屋の外に白い布のような形がデザインされている)の話をすると、空海さんに地元の娘さんが布を差し上げた。そういう物語があって、切幡持という名前になりましたが、そのことをデザインしました。実際は布ですが、鉄板を使いました。ここは、小屋では初めてソーラーパネルがついていまして、電気もついています。大阪のそういう会社の人が取り付けてくださったんです。(小屋に使用した)4本のヒノキは、木曽のある方が寄付してくださったんです。こういう小屋をつくる時に、現金の寄付やモノの寄付もあって、全国に広がりつつあります。まさか、まさかの展開でビックリしています。


 ◆ヘンロ小屋は触れ合いの場


梶川 Heeさんにたくさんの小屋を活用してもらってありがたいと思います。さっき歌さんが「何やっとるかいなあ」と感じることがあると言っていましたが、やはりそう思いますか。


崔 お遍路さんがただ休むだけじゃなくて、地域の文化を知ることができるのは、いいことだと思います。


梶川 歌さんの小屋にかける思いというのがありまして、ある場をつくろうとしているんです。そのへんを説明してもらったら、分かりやすいのではないでしょうか。


歌 デザインは楽しいからしますが、基本的には人と人が触れ合う、話し合う場をつくろうとしています。何もなかったら、人は集まりにくいので、場をつくっているんです。それが、おもてなしとか、お接待の心の場となって、それが広がっていけばいいなあと思っています。小屋自体はあくまで手段です。みなさん、一緒にやってくださっている方もそうだと思います。


梶川 Heeさんは講演の中で、自分が受けたお接待はその人に返すのではなくて、ほかの人に返すと言っていました。歌さんも、小屋という形ではなくて、見えないもの、心のようなものの方が広がっていく、といつも言っているのですが、きっと同じことを言っているのではないでしょうか。
   だんだん時間がなくなってきたので、会場の方で質問や意見があれば、言っていただきたいと思います。まず、きっかけをつくってもらいます。今日、この会場に1番にみえた方がいます。開会前に少しお話を聞いていたら、四国八十八カ所を歩いて回って結願をして、高野山にあした行く途中に寄ってくださったんです。まずは、おめでとう、ですね。(会場から拍手)四国八十八カ所を回ったり、今の話を聞いて、どんな印象を持ちましたか。


会場の男性 初めての歩き遍路でした。思ったよりもちょっとしんどくて、51日かかりました。88番から1番までは行ったので計53日です。88番・大窪寺から1番・霊山寺まで引田(香川県東さぬき市)から大坂峠を通ったんですけど、そこにはヘンロ小屋がなかったような気がします。今後、計画はありますか。


歌 1番難しいのは、土地が見つからないことです。遍路道でなければだめですから。土地さえ見つかれば、できていくんです。お金がなくても、何とかできるんです。お大師さんの力とも言えますが。そこは(大坂峠)はなかなかですが、香川県では今2カ所、新しい土地があって、設計にかかっています。回られて寄ってくださって、いかがですか。

会場の男性 ヘンロ小屋が楽しみで、ヘンロ小屋で休憩して、また次のヘンロ小屋まで歩いて休憩して、でした。次まであと何キロあるかなというのを目安にしていました。場所場所でデザインが違うので、それが楽しみでしたね。すごく助かりました。ありがとうございます。


歌 お遍路さんは寺が目的ですが、小屋が目的のようで、ありがたいことです。確かに大阪で、小屋だけでも回ろうという方がいるんです。非常にうれしいことです。地元の方との触れ合いは何かありましたか。


会場の男性 野宿はしなかったんですが、時々、善根宿(お接待で設けた泊まれる場所)という無料で寝床を提供してくれるところがあって、そこでいろいろ情報を教えてもらい、親切にしていただきました。善根宿は男の人はそこに泊まるのですが、女の人は自宅に泊めてあげるようなこともあって、ちょっと不公平だな、と思いました。(会場から笑い)1月だったか2月だったか、バスの中(バスを使った善根宿。23番・薬王寺の近く=徳島県海部郡美波町)は結構寒くて、大変でした。いい経験になりました。


梶川 先程話をしていましたら、去年骨折をしたそうです。だから、ゆっくりゆっくり歩いたそうです。骨折をして、歩くのか、と思いました。さらに、ビックリしたこと、高野山にお礼参りに行ってその後、熊野古道の小辺路(高野山から熊野本宮大社に向かう道)を歩くんですって。まあ、気をつけて行ってください。


会場の女性 5、6年前に主人が歩き遍路を終わって、また行くと言うので、「そんなにいいところなの」と聞いたんです。「いいとこやで」というので、13番(大日寺=徳島県)まで一緒に歩いて行ってもらいました。その後は主婦ですから5日か6日ずつ、季節も限られているので、6年かかって去年の春やっと88番(大窪寺)まで行きました。そうすると、急に寂しくなって、さっきの方と同じ大坂峠を通って(1番・霊山寺に行き)、ついでに18番(恩山寺=徳島県小松島市)まで行って、今年また続きを行こうかなと思っています。歩いていたら、お接待はしょっちゅうでした。1人で歩いていたら、「あんた、どんな悪いことしたん?」と言われたり。おじいちゃんがわらじを作っていて、それを渡して「私は歩けないから、代わりに回ってくれ」と言ってくださったり。歩いたらしんどいですけど、1日終わったら、お大師さんがまた歩けるようにしてくださって。本当に四国は特別な空気があります。素晴らしいデザインの小屋がいっぱいありますが、場合によっては腰をかける時間がない時もありますが、また回るのを楽しみにしています。


 ◆日韓で「友情のヘンロ小屋」をつくる


梶川 そろそろ時間です。Heeさん、最後に言いことがありますか。


崔 スペイン・サンチアゴの道に行った時に、日本の巡礼の道とサンチアゴの道が付き合って、記念碑がありました。「友だちの道」といって。うらやましかったんです。四国の道とスペインの道がつなっていることが。私の夢は、四国の遍路道に、私の休憩所をつくりたいのです。韓国人がお金を集めて、日本人の仲間も一緒になって。友だちとして仲良くしましょう、という意味を込めて、「友情のヘンロ小屋」(その後、正式名称はヘンロ小屋「茶処みとよ高瀬」と決定)を。歌先生のデザインで。歌先生の考えはどうですか。


歌 この上ない喜びですね。外国の方と一緒につくったことはないんです。それはいろいろな意味で意義あることだと思います。小屋自体はちっちゃいですけど、国境を超えて一緒につくるということは、私が思っている理想です。遍路やお接待の心がずっと広がっていくということですから。今日、Heeさんに来てもらって、Heeさんや私、みなさんの思いが広がっていくわけですから。1番近い隣国ですが、それがさらに広がっていくきっかっけになるような気がします。ぜひ、Heeさんと一緒に、今年中につくりましょう。(会場から拍手)


梶川 私たちにとっては、1番いいしめくくりになりました。では、わざわざ韓国からきてくださったHeeさんにもう1度、拍手を。(会場から拍手)


↓写真=対談を聞く聴衆





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