辰濃和男・「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会会長(元朝日新聞論説委員)「利他の心」

 《2015年3月1日、大阪市中央区、歌一洋建築研究所「空の箱」で開かれた「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会第9回総会及び記念講演会での講演の要旨です。読みやすいように、中見出しを入れました》






      ↑講演する辰濃さん



 ◆女の子を助けたオランウータン

 辰濃です。今、司会の方が何のテーマで話すかを、忘れてしまったようです。でも、テーマは何でもいいんです。1番お話したいのは、「利己」と「利他」についてです。利己というのは利己主義です。利他というのは、あまりなじみがないかもしれにけれども。
 利他主義というのは、「他人を利する」という意味です。前にもお話うぃたことがあるかもしれませんが、これは本能だと思われますか? 最近その関係の本を読んでいて、救われた思いがするのは、人間にとって利他主義というのは本能で、利他というのはあるんだと書いてあることです。
 動物園で女の子が、見物客とオランウータンがいる場所の間に設けられた溝に落ちてしまいました。女の子は気絶したんです。みんなは驚いてしまいました。係員もいなかったので、大騒ぎになったのです。するとオランウータンが女の子に近づいて様子を見て、丁寧に抱きかかえて、溝から登っていきました。そのころに係員が来て、女の子は助かりました。
 これは人間の話ではありません。しかし、そんなニュースに接して、少なくともそんなことがあるんだということを、私たちは意識した方がいい。


 ◆遍路をして、いい顔になる

 人間の利他の心を本能だとすれば、どうしたらいいのか。根幹に利己ばかりがあって、利他が置き忘れてしまうことがあっていけないと思う時に、私が思い出すのはお遍路さんのことです。
 人間の利他の心を本能だとすれば、どうしたらいいのか。根幹に利己ばかりがあって、利他が置き忘れてしまうことがあっていけないと思う時に、私が思い出すのはお遍路さんのことです。
 1回目周る、2回目周る、3回目周るうちに、何か自分自身が変わっているのではないか。変わっているのに気づくから、もう1度周りたいと思うんでしょうね。あんなにつらい思いをしたのに、何でまた回るのかと思いながらも。私も60代、70代と周って、よかったという実感があります。
 変な話ですけど、自分の顔が変わっていきますね。歩いて周っていることの写真を見返すと、自分で言うのもおかしいのですが、いい顔しています。八十八カ所を周り終わった時点では、顔が変わったと、他人にも言われました。ただし、歩き終われば、すぐ元通りになりますけどね。


 ◆「自分は変われるのではないか」

 お遍路さんにとって、利他主義というのは大変深い知り合い、なじみでね。近所づき合いです。遍路の宿舎では、赤飯を出してくれるところもあるんでよ。これは「お接待」で、お遍路さんのことを考えた利他の心だと思います。
 歩いて周る遍路を薦めます。30日、40日かかってやってみると、違ってくると思います。私が歩きの最中、ベンチで腰をおろしていた時のことです。青年というか壮年というか、1人の男性が「よっこらしょ」と言って荷物を下ろし、僕に声をかけてきたんです。目が鋭い人で、一見してヤーさんというか、ヤクザというか、そう見える方でした。雑談しているうちに、その人は自分のことをしゃべり始めました。
 ヤクザをやっていて、人を不幸にさせることばかりやっていた。ここ(四国)に来て、最初は2、3日から1週間くらいのつもりだったのに、ついつい一周した。自分のように人を不幸にすることがからやってきた男に、四国の人は「ご飯食べていけ」「風呂に入っていけ」と、どうしてこんなに親切にしてくれるだろう。いろいろな親切をいただき、申し訳ないように思う。ヤクザさんとしては、とてもまっとうなことを言うのです。  そのヤクザさんは30〜40分話していました。1日1日周って、自分は変われるんじゃないかと思って歩いている、と言っていました。88番まで行って、この際だからといって、今度は逆打ちをしている最中でした。100%信じるかどうかは別として、彼はそう感じて生きてきたわけです。人を不幸に陥れる、つまり利己でやってきた人生から、「風呂に入れ」「ご飯を食べていけ」と言われ、「ありがとう」「ありがとう」と、ありがたいことだと感じる、ありがたいと感じることができようになった、そういうような生き方もあるんだと気づいたわけです。お遍路というのはそんな力を持っているのです。
 いろんな人間がいろんな思いを抱えて、お遍路に明け暮れている。自分を反省し、そこから抜け出したいと考えている。でも挫折するかもしれませんが、それはそれでいいんですよ。それが人間ですからね。彼は真っ直ぐに立ち直ったわけはないでしょう。挫折もしたでしょう。そのようなことえを経て、彼はまた自分の道を歩いているんじゃないかと思います。今、どこにいるか分かりませんけどね。


 ◆無料宿泊所のありがたさ

 私はお遍路をしたことによって、自分の中にあるどうしようもない利己主義が、ちょっと変わってきたような気がするんです。私は80何年生きていると、くだらんことにこだわったり、どうしようもない男です。だけど、お遍路さんをやって気づいたことがあるんですよ。ほんとに平凡な例ですけどね、無料宿泊所に泊まるんです。泊まってブツブツ言うんですよ。汚いだとか、ほこりだらけだとか、布団が湿っているだとか、臭いとかね。そんなことを考えているんです。無料で泊まるくせにね。
 ふと枕元にあるノートを開いてみます。泊まった方がいろいろ感想を書いているんです。すごく幸せだったとか。雨が降っても雨漏りはせず、風が吹いても戸がちゃんとあるから困ることはないし。おかげで、雨にも風にも当たらず、暖かい布団で寝ることができた。一夜を過ごさせてもらってありがとう、ということを書いておられる。素晴らしい夜だった、と。私自身はブーブー言いながら、泊まったのですが、えりを正すとは、ああいうことかなと思いました。

↓写真=講演する辰濃和男



 ◆引きこもりを脱し結婚、出産

 おそらくお遍路をされている方は、そういう思いをしているのだと思います。逆の例もあるんですよ。さっきはやくざをやっていた人が、自分を見直すような例でした。もう1つ、出会った方のことをお話します。引きこもりで、勤めても休んでしまう。そして、会社をやめる。次の会社に勤め、最初はいいのですが、何かのきっかけで行きたくなくなる。そういう女の人がいました。私はその人にお寺で話を聞いたことあるんです。それから大分たって、またその方にお寺で会ったんです。そうすると、顔が違うんですね。そこで話を聞きました。
 お遍路をしながら、そのお寺に来た時に、和尚さんに頼まれて、拭き掃除か掃き掃除かするようになりました。そのうち、寺の庭を掃き清める仕事をするようになりました。うまくやるもんですから、和尚さんに気に入られて、「少し寺の仕事をしないか」と言われたそうです。寺に住み込んで、仕事をすることになりました。
 次に会った時に、「私、結婚しました」と、おっしゃったんです。勤めもがきずに、引きこもりになっていた人が、元気になって結婚していたのです。それで赤ちゃんができて、「見てください」と言って。可愛い赤ちゃんでした。それから何年もたっていますが、今もそのお寺で働いておられます。お遍路をしていると、いろいろな人に会うのだと思います。


 ◆利他の心がある幸せ

 今日話したいのは、私たちの周りにある利他というのは本能であって、いい伝統であるということです。ただ、油断すると利他に負けちゃうんのです。私自身も負けちゃうんです。お遍路している人でも、負けちゃうことがあるんです。これではいけないと、頑張っているんだけれども、また負けちゃう。そういうことの繰り返しです。
 でも、考えてみると、利他があるんだと思えるだけでも、幸せではないでしょうか。(川崎で友人グループに殺された中学生の事件)暗い所で刺されて殺された少年なんか、世の中に利他なんてあるということが分からなかったでしょうね。
 東南アジアで津波がありまして、その時に象が人を背中に乗せて逃げて助かったという出来事があったのです。考えてみると、動物が人を救ったということは、動物の中に利他の心があるという例は、決して少なくないのです。
 最初にオランウータンの例を出しましたけど、猿が人を助けることはよくあります。ライオンがバッファロー、野牛を食べようと思って近づいていきます。彼らは1番弱そうなのを狙うんですよ。そうすると、狙われた方はすくんじゃって、動けなくなってじーっとしている。その時に仲間が5〜6頭助けにくるんです。ライオンが近づいてくる所に仲間が。
 最終的には、すくんで食べられてしまうのではないかというのが、仲間が近づいてくると、毅然として立って立ち向かう姿勢を見せるんです。その時、仲間が「さあ、やれやれ」と、ライオンを遠巻きにするんです。そうすると、ライオンはすごすごと引き上げてしまう。そのようなことは、この世の中にたくさんあります。人間だけが利他を持っているのではない。かなりの動物が、利他の精神を持っている。


 ◆自然に溶け込む

 私たちが生活をする時に、自然に溶け込む、と言うでしょう。自然に溶け込んで生きていることが1番だとか、自然に溶け込んで生きることによって、本当の自然をわかることができるだとか、ということを言います。自然というものが持つ意味というものを、あまり忘れてほしくありません。
 ヘビとかトノサマガエルとか、そういうものが平気で書斎に入ってくるのを喜んだ人がいるんです。串田孫一さんで、串田さんは私が1番尊敬するエッセイストです。この人の随筆集などは全部合わせて6巻。ぎっしり厚い本です。読み終わると、こんな偉い人が日本にいたな、出て来たなと思います。ヘビが書斎に出てきても平気なんです。ヘビが書斎の中に入り込んで、「ここは俺のすみかだ」と思っちゃうんですね。それで棲みついてしまう。そういうことも平気で暮らす方でした。
 世の中にはそういうことを、ちゃんと見る方もおられます。串田のさんの書籍、何万冊を全部北海道に送って、串田孫一さんの図書室ができたんです。串田さんの書斎をそのままの姿で再現しています。串田さんがそこにいるような形で造られました。
 自然に溶け込むということは、1番大事なことです。溶け込むということはどういうことかと言いますと、朝起きて、さっと風が吹いて木が揺れ、その時に神様によって生かされているんだとひらめくんですね。それがひらめくかどうかが大事なことです。空気が動く事によって、自分は自然の中にいて、神様のありがたさを身にしみて知ることができた。自然から何かを受け取る。
 串田さんは部屋に棲みついてしまったヘビを自然にほっといてやる、なおかつヘビにあいさつする。ヒバリやいろんな鳥の声がわかるようになりたいとも、おっしゃっていました。


 ◆ペットロス
 いま思い出したのは、うちの愛犬のことです。15年生きて死んだんですけどね。すると、ペットロスというのが起こります。私よりも、うちのカミさんはまだ死んだ気がしなわけで、毎日花を買ってきて供えています。動物を飼うということは、そういうことなのかなあと思います。犬の生き方とどこかで触れ合うのでしょうか。それは女性の中に多いのはないでしょうか。
 猫や犬を飼って、「可愛い、可愛い」と言ってるうちに、自分の中で動物に対する気持ち、また人間に対する気持ちが変わっていく、ということがあるんじゃないか思います。ペットを飼うことは、場合によっては深刻な気持ちの人がいるのかもしれません。
 そこでも利己と利他というものがあって、犬を飼って捨てるのが何万頭というんです。35万という数字が頭に残っていますが。なぜ、そんなに飼って捨てるんだ、と思いますね。


 ◆利他を鍛える

 1番最初に、利他は本能と言いましたが、本能だけれども、鍛えなければそんなに大したことではない。いつの間にか、しぼんで消えていってしまうかもしれない。でも、鍛えればものすごいものになる。そういうことを心理学の先生がおっしゃっていたのかな。
 利己主義というものを否定することはできないんだけど、今度のような事件(川崎市で、男子中学生が遊びのグループに殺された)が起こってくると、手がつけられないというか、どうしようもありません。こういうことが続発すると、人間の生き方というものを本気で考えないといけません。
 2歳3歳の子どもがわがままを言っても何をしても、温かく迎え入れてくれる人、特定の人を持つかどうかは大きなことです。それを持たないでたらい回しされて、悲しい日々を送った子どもがいる。1人ひとりの子どもの人生をおのくらい深く見つめて、愛するか。ちゃんと子ども理解することができるのかどうか。
 (事件で殺された)中学生が「殺されるかもしれない」と話していたというんでしょう。そうだったら、「大変だ」という対策を立てなければ。そのことが残念です。何としても悔しいです。
 今日は申し訳ないんですけど、いくtか会合がぶつかって、そのために話がまとまりのないものになってしましました。



      ↑講演する辰濃さん




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