シンポジウム「遍路文化をつなぐ・広げる」

 《2016年2月27日、徳島市、あわぎんホールで開かれた「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会第10回総会兼記念講演会でのシンポジウムです。読みやすいように、中見出しなどを入れました》



【パネリスト】
徳島県板野町、板野西小学校の西川美恵先生 板野西小学校6年、高田陽奈さん 板野西小学校6年、齋藤優花さん=板野西小学校は総合学習でお接待体験
「遍路に焦がれて」の作曲・「guM」のキーボード、長田太一さん 「guM」のボーカル、秋山裕香さん
胡中晴美さん(兵庫県加古川市、歩き遍路の縁で男性遍路と結婚)
加々美清美さん(お遍路さんが利用する宿、徳島県勝浦町の「ふれあいの里さかもと」の運営委員
歌一洋さん(「四国88ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」主宰者
司会=梶川伸・「四国88ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会副会長
総合司会=柴谷宗叔・「四国88ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会役員



      ↑シンポジウムの模様



 ◆それぞれの遍路とのかかわり

柴谷 それではシンポジウムを始めます。シンポジウムの司会をしますのは、当会副会長の梶川。それからヘンロ小屋プロジェクトを主宰しております歌一洋先生、(徳島県)勝浦町で「ふれあいの里坂本」の運営委員をしておられる加々美清美さん、お遍路がご縁で結婚なさった兵庫県加古川市の胡中晴美さん、さきほど演奏していただきました「guM」のお2人・秋山さん長田さん、さらにお遍路のお接待体験をなさったということで(徳島県板野町立)板野西小学校から来ていただきました、西川美恵先生と高田陽奈さん、齋藤優花さん。このような方々でこれからシンポジウムを始めたいと思います。それでは、梶川の方にマイクを移したいと思います。

梶川 みなさん、こんにちは。僕が司会をしますけど、話が下手なんで、みなさん助けてください。今日のシンポジウム、どういう内容にしようかと思ったのですが、お遍路文化をつなげるとか、広げるとか、そういったテーマにしました。僕たちは基本的にはよそものではあるので、僭越ではあるのですが。
 僕たちの会の活動には2つの基本的な考えがあります。1つはお遍路さんのための休憩所を造るということです。僕たちのほとんどが歩き遍路などで四国に大変お世話になりました。何か形で恩返しができないかなあ、と考え、恩返しの形をしてヘンロ小屋を造っているわけです。もう1つは、大変いい体験をさせてもらったので、お遍路さんだとかお遍路さんを取り巻く文化がもっともっと広がってくれたらいいなあ、という思いがあります。これをシンポジウムのテーマにしました。
 本日はパネリストの方にたくさん出ていただきました。失礼な言い方なんですが、お遍路さんの問題について専門家だというような方ではないです。僕たちが遍路をしていると、ごく普通のみなさんとの触れ合いの中で、「いいなあ」と感じるわけです。そういう意味では、そういう方々の方がいいのかなあ、と思って人選させていただきました。
 さきほど総合司会にパネリストの名前を挙げてもらったので、すぐに本題に入っちゃいますね。では、それぞれの方がお遍路さんとどんなかかわりを持っているか、自己紹介を兼ねて簡単に話していただきます。まず、西川先生。

西川 総合学習の時間に、子どもたちと一緒に、お接待体験をしたことを話させていただきます。

梶川 私たちは総会で会計報告や事業報告をします。必要なことではありますが、面白くないでしょう。そこで毎回毎回、シンポジウムとか講演会を開いて10回目になりますが、史上最年少のお2人です。

齋藤 齋藤優花です。5年生の時にお接待をしました。

高田 高田陽奈です。今日はお接待の感想を言います。

長田 長田と申します。「遍路に焦がれて」という歌を作曲させていただいて、初めてお遍路さんのことを勉強させていただきました。よろしくお願いします。

秋山 秋山裕香といいます。歌わせてもらった中で勉強させてもらったこともありますし、偶然なんですが旅で高野山を訪れたことがありまして、その時にいろいろな方と出会ったこととか、そんなお話もできればいいな、と思っています。

胡中 加古川(兵庫県)から参りました胡中晴美と申します。歩きの遍路を始めて17年ほどになります。区切り打ちばかりで、今は4回目で宇和島(愛媛県)まで行っております。主人も歩きのお遍路で5回目を回っています。お遍路同士が集まる場が西宮(兵庫県)でありまして、そこで知り合いました。それが縁で結婚しました。ちょうど11年になります。

梶川 実は、お2人で話しをしてくださいとお願いをしたのですが、旦那さんの方は「話が下手やから」と言って断わられました。あの辺に座っています(会場を指さす)。

加々美 廃校施設を利用して、宿泊施設をしております。おかげさまで、お遍路もたくさん泊まっていただいています。

歌 歌です。よろしくお願いします。

梶川 下手ですけど、司会をさせていただきます梶川と申します。梶川伸と言いまして、背だけは伸びていますが、精神的な成長はあまり見られませんで、お遍路さんでもして成長しようかなと思っています。
 では話のきっかけとして、授業の中でお接待を体験をされたそうなので、西川先生にその時の模様などをお話しねがいます。

 ◆1度目は戸惑い、2度目は笑顔あふれる温かいお接待

西川 今日はこんな素晴らしい会に参加させていただき、ありがたく思っています。まずは曲をお聞きください。(曲が流れる)今お聞きいただいたのは、板野町の町民音頭です。金田たつえさんが歌っています。歌詞にもありましたように、徳島県板野町には3番札所金泉寺と4番札所大日寺、5番札所地蔵寺の3カ所の札所があります。板野西小学校は地蔵寺の近くにあり、旧街道を白装束のお遍路さんが行きかう姿が、日常の風景としてあります。
 本校は児童数114名の小規模校で、人権教育を中核に据えて、自分や友だちを大切にする教育を行っています。昨年度、総合的な学習の一環として、出会い、愛、お接待をテーマにして、5年生の子どもたちと一緒にお接待を行いました。限定的な人間関係の中で生活している子どもたちに、できるだけ多様な生き方に出会わせたいと考えました。歩き遍路のお遍路さんはいろいろな思いを持って歩いています。そんなお遍路さんとの出会いは、子どもたちの心を揺さぶるのではなかと考えて、お接待を行いました。
 お接待をする前に、5番札所のご住職さんからお話をお聞きしました。お話しの内容は、お接待には、お遍路さんが自分の代わりに巡礼してくれているという思いが込められています。だから、お接待を「する」のではなく、「させていただく」と言います。モノをあげることだけがお接待ではなく、気持ちよくあいさつをしたり、話をしたり、言葉を交わすこともお接待です。境内の掃除をすることも、お接待になります。
 最も大切なことは、相手の気持ちを知ること、相手の立場に立って考えること、相手を思いやることです。
 お遍路さんは亡くなった人の供養や、自分の病気が治るようにという願いなど、いろいろな思いを持っています。その思いを受け入れ、自分にできることを思いを込めてさせていただく。それがおもてなし、ということです。だから、ボランティアや奉仕活動とは違います。まさに人を大切にするするという、根本を教えていただいたお話しでした。
 お腹が減ったらご飯、のどが乾いたらお茶。それがすぐに用意されるような豊かな時代に生きる子どもたちにとって、お接待=何かあげること、と考えていた子どもたちも多かったのですが、ご住職さんのお話で、気づかされることも多くありました。
 心をこめるということについて話し合って、お遍路さんに自作の押し花のしおりにメッセージに書いて渡すことになりました。お遍路さんが元気が出るような温かいメッセージを添えたり、暑い時期だったので、熱中症予防に塩あめも入れました。
 お接待当日、子どもたちは自分たちの思いを伝えることでいっぱいで、そこには相手のことを考える意識などありませんでした。お遍路さんが少なかったこともあり、1人のお遍路さんにたくさんの子どもが押しかけて、しおりを渡すという場面もありました。中には、しおりを渡しても断られる子どもいました。
 その後、自分たちのお接待について振り返りました。良かったところも出てきたのですが、反省すべきところもたくさん出てきました。より心のこもったお接待にするのはどうすればよいかを考えました。断られたことについて考える中で、住職さんの話を思い出した子もいました。もし、こないだのお遍路さんが、大切な人が亡くなって、その供養のためにお遍路をしていたら。子どもたちはここまでの学習で、本当の意味で相手の気持ちを考えることを学びました。
 数日後、お接待をしたお遍路さんから子どもたちに手紙が届きました。いくつか紹介させていただきます。「温かい励ましの言葉と一緒に入れてくださった塩あめを口に入れ、ポパイがホウレンソウを食べたように元気が出てきました」「団体のお参りがなかったので、私たち夫婦が独占したようで、これから出会うお遍路に機会がある限り、おすそ分けしたいです」。子どもたちのすべてを受け入れてくれたお遍路さんの手紙に私自身、胸が熱くなりました。
 反省ばかりのお接待だったにもかかわらず、お礼の手紙が届いたことは、子どもたちにとって貴重な出来事になりました。その後も、1人でお接待をしたことを報告してくれる子や、外国人のお遍路さんに自分から話しかけて道を教えてあげたことを話してくれた子もいました。お遍路さんからの感想の手紙が、心を揺さぶったのだと思います。
 2度目のお接待をしました。1度目とは明らかに子どもたちの様子が違っていました。自分から積極的にお遍路さんに話しかけたり、自分たちが染めた藍染めのしおりを手に、説明したりする子もいました。笑顔あふれる温かいお接待ができ、子どもたちは充実した時間を過ごすことができました。
 また子どもたちの中には、巡礼の理由を聞くことができた子もいます。「5年前、母がなくなり、その供養に来ました」「息子の病気が治ることを願って」「会社を退職して人生の仕切り直しのために」。人はそれぞれにいろいろな思いを持って生きているということを学びました。
 人の心は目に見えません。お接待の体験は、そんな見えない相手の心に思いを寄せる大切さを教えてくれました。一期一会という言葉がありますが、お接待という出会いを通して、子どもたちは人を大切にすることを学びました。また、お遍路さんが喜んでくれることで、自分が人の役に立てたということも実感でき、お接待を通して出会いの楽しさ、素晴らしさを知りました。人とかかわることで相手の思いを知り、自分とは違った価値観とも触れる貴重な体験となりました。
 最後に実際にお接待をした子どもたしの感想をお聞きください。


◆お接待はする方もされる方も、幸せな気分になれる

齋藤 「初めてのお接待」。板野西小学校6年、齋藤優花。私はお接待をするのは初めてだったので、全然知らない人に声をかけることができるか、少し不安でした。初めてお接待をしたのは、男の人でした。言葉が優しく、話しかけやすかったです。88カ所を回っている理由を聞くと、「家族の健康を願って」という理由でした。藍染めのしおりを渡すと、とても喜んでくれました。藍染めについて説明したり、学校のことや家族のことをいろいろお話をして、とっても楽しかったです。88カ所を回るのは大変だと思いますが、心から「頑張って」という気持ちに二なりました。
 (2回目の)9月のお接待の時に境内のギンナンの掃除をしていたら、お遍路さんが「頑張れよ」と声をかけてくれました。もっと頑張れるような気がして、お遍路さんから逆に元気をもらいました。お接待はする方もされる方も、幸せな気分になれると思います。
 初めは緊張したけど、だんだんお接待が楽しくなってきました。道でお遍路さんに会った時は、自分から「こんにちは」と言えるようになりました。この前、「こんにちは」とあいさつをすると、「ハロー」と返事が返ってきてびっくりしました。最近は外国のお遍路さんもどんどん入ってきています。英語の勉強をしっかりして、道案内をできるようにしたいです。これからも、心のこもったお接待を続けていって、お遍路さんに元気に88カ所を回ってもらいたいです。


◆相手の気持ちを知ることで心のこもったお接待ができる

高田 「出会い、愛、お接待」。板野西小学校6年、高田陽奈。私の家は遍路道のそばにあり、お遍路さんがよく通っています。あいさつをすると、みんな笑顔で応えてくれます。アメリカ人やドイツ人など、世界の国々から来ています。道を聞かれることも多く、言葉がわからない時は、身振り手振りで教えます。 
 そんな経験もあったので、学校でお接待をすると聞いた時は、うまくできるだろうと思っていました。でも、1回目のお接待ではただ、押し付けるだけのお接待になってしましまい、成功したとは言えませんでした。お遍路さんはいろいろな思いを持って88カ所を回っているということを知りました。住職さんから聞いたこころのこもったお接待とは、相手の気持ちを考えてお接待をすることだとわかりました。
 2回目のお接待では、たくさんの人といろいろ話すことができ、相手がどんな思いで回っているのかを知りました。お遍路さんが「ありがとう。88カ所頑張るな」と言ってくれた時は、私の気持ちまで温かくなりました。お接待をして本当に良かったと思いました。お接待で学んだことは、モノをあげることだがお接待ではないということです。いっぱい話をして、相手の気持ちを知ることで心のこもったお接待ができるということです。
 遍路道が世界文化遺産に登録されるかもしれないという話を聞きました。お接待は人と人の心を結ぶとても素晴らしいものだと思います。次に世界遺産として受け継がれてほしいと思います。そして、たくさんの人に板野町に来てほしいと思います。

西川 ご静聴ありがとうございます。以上です。


 ◆島四国でのお接待が底辺に

梶川 僕はこう見えて、あまり力がないんです。山に入っていくと、根性がなくなります。そんな時、1番力になるのは、子どもさんの言葉です。「お遍路さん、頑張って」と言われると、「ヨーシ、頑張るか」となるんです。もちろん、大人に言われもなるんだけど、子どもさんの力は大きですね。
 僕たちは歌さんと一緒に、「つなぐ」ということを1つのテーマにしています。若い世代に、子どもの世代に、孫の世代につなぐということを考えています。今の話を聞いていると、とてもうれしくなりますね。
 もう1つ、うれしいことがありました。押し花と言ってましたが、実は僕も押し花をやってます。僕はパンジーなどの園芸種ではなく、野の花でやってるんですよ。野の花だと、タダ。その辺にある花なのでタダ。ぜひ、また押し花やってくださいね。
 僕が勝手にしゃべってますが、胡中さんどうですか。実際にお遍路さんをされていると、子どもさんのお接待て、うれしくないですか。

胡中 四国の子どもさんは道で会うと、通学とか帰りの時に、必ずあいさつをしてくれるんですよね。それは都会では考えられないことなんです。それで、寄ってきて、「パワーください」と言って握手してくれたり、いろいろしはるんですけど、それがうれしいですねえ。子どもさんの声が1番元気をもらえます。

梶川 胡中さんは兵庫県の加古川という所ですが、加古川も都会ですか?

胡中 加古川は中程度の都会ですね。加古川に移るまではズーッと大阪に30年ほどおりまして、大阪が長いんです。私は田舎が淡路島のもう1つ離れ島の沼島(ぬしま)なんです。沼島は島四国もございます。それとか、淡路西国の札所がすぐそばにありまして、お遍路さんが時々来てはったんです。それを覚えているんです。うちの母が信心深い人だったんで、お遍路さんが玄関に立って、お経をあげはると、お金なり、お米なり、お接待をしていました。私が小さい時分ですから、昭和30年代になったかなっていなかったかの時期です。そんな経験があったうえで、小林淳宏さんのお遍路さんの本を読んで、私もお遍路をしたいと思ったんです。


 ◆1番霊山寺にお参りしてから曲作り

長田 さっき聞いていただいた「遍路に焦がれて」という歌ですが、作詞は阿南市の山口小学校の島村孝教頭先生です。学校はヘンロ遍路3号・阿瀬比(あせび)のそばにあります。(21番)大龍寺さんと(22番)平等寺さんとの間くいですかね。その学校の夏休み、(電気工事の)仕事行かしていただいたんです。2人は同じ会社なので、一緒に。職員室で仕事をしていたら、教頭先生と雑談になって、「音楽をやってる」という話になったんです。
 すると、「ちょっとライブってみて」と言われ、いきなり演奏をしました。ピアノと歌で演奏をやらしてもらったんです。演奏後での、「実はね」と言われ、「遍路焦がれて」の詩を出してきたのです。「これは私が作った詩です。ヘンロ小屋に張らしていただいた」と教頭先生が言いました。「ここ(ヘンロ小屋)に張っておいたら、曲をつけてくれる人がおるかな」ということを、考えたそうです。僕ら2人が行って、僕らが作った曲を披露させていただいたんですが、たまたまその曲を教頭先生に気に入っていただいて、「曲をつけてくれ」という風になったんです。
 私は徳島でずっと生きているんですけど、お遍路さんをしたことはないし、札所のお寺にお参りをしたことがなかったんです。「これはいかんわ」と、1番札所(霊山寺)あいさつにに行って、お大師さんに許可をもらわんと思いました。霊山寺に行って、しっかりお参りきました。「お大師さんに許されるのなら、いい曲を作らせて。だめだったら、できなくていいです」と。
 (霊山寺にあいさつをしたのは)詩をもらってから大分たっていました。それまで詩の内容は、見ていなかったです。なぜかというと、きちっとあいさつをする前に詩を見てしまったら、先入観で先に曲ができてしまう。それはまずいだろうう、と思ったのです。2人で一緒にお参りに行って、それから曲を作りました。

梶川 秋山さんは高野山に行かれたというはなしでした。


 ◆手作りの数珠と金札をまえにしてレコーディング

秋山 フラッと1人旅したいなと思って、どこに行こうかなと考えた時に、旅行代理店に方に「どこかいい所ないですか」と聞きました。そうすると「和歌山がいいと思いますよ」というお誘いをいただきました。その時は高野山という意識はありませんでした。パンフレットを見ていたら、数珠を手作りできるというのを見まして、これは惹かれるなあと思いました。
 予約がいるところだったんですが、それを知らずに当日に「体験できますか」と聞いてみると、偶然お客さまがいらっしゃらなくて、わざわざ車で迎えに来てくださったんです。いつもははお客さんでいっぱいなんですけど、運よくマンツーマンで教えていただき、数珠を1つ手作りしましいた。その方と高野山の中を回りましょうとなりました。ただ時間がなかったんで、弘法大師が最初に高野山に入られた檀上伽藍を案内しいていただきました。
 その入り口のところで、おじさんが1人、ちょっと失礼なんですけど、怖そうな恰好の人が立っていました。一緒に回っていただいた数珠づくりの方が会う人会う人に「こんにちは」とあいさつされていて、これはみんなにあいさつしようと思いました。怖そうなおじさんいもあいさつしたら、「あいさつしてもらって、うれしかったわ。うれしかったから、これで勘弁して。家まだあるやけど、今は持ってないので」と言って、金色の納め札をくださいました。

梶川 何か縁というか因縁があるんですねえ。先ほどの子どもさんとお遍路さんの交流も、あいさつがきっかけですもんね。

秋山 作った数珠といただいた金色納め札を、レコーディング室に置いて、「お願いします」とお願いしながら、レコーディングをさせていただきました。

梶川 長田さん、霊山寺に行って、お許しが出たみたいですね。

長田 お許しが出たんだと思います。結構、お遍路さんのことを勉強させていただいたんです。徳島ではお遍路さんをいっぱいお見かけするんです。勉強を始めてから、お遍路さんを見る回数がものずごく増えたんです。自分が見えるようになったんでしょうね。

梶川 今のも大変いい話だと思いますね。お遍路さんのことを考え始めると、お遍路さんが増えた、という実感がおもしろいですな。お遍路さんお数自体は増えてないんでしょうが、見える数が増えたといことですね。では胡中さん、ご夫婦になられたいきさつをお話し願います。今回は徳島で総会を開いているのですが、結婚は徳島がからんでいるんです。



      ↑シンポジウムの模様


 ◆台風が引き合わせ、結婚へ

胡中 西宮のバー曼荼羅(お遍路さんが集まるお店)で顔見知りやったんです。たまたま9月の台風の時に、私も胡中も別々お遍路をしてまして、台風なので早めに徳島県海部の遊遊NASA(宿泊施設)に入ったんです。そうすると胡中も早めにNASAに入って、泊まり合わせたんです。泊まる予定でなかったところに一緒に泊まり合わせたんですね。知り合いだのので、何日間、一緒に歩きました。私は区切り打ちだったし、仕事も持っていたので、先に帰りました。それから付き合いが始まりました。お遍路さんの映画を観たり。お互いに1人もん同士でしたから、「それじゃあ結婚しようか」となりました。お互いに再婚でしたが。
 最初は一緒に歩いていたんです。ところが、一緒に歩くと、主人の方が「歩き方が悪い」とか、「遅い」とか、文句ばっかり言うんです。それで、お遍路が楽しくなくなりましてね、お遍路大好きなんですけど、今は別に歩いています。お互いが留守番をしあいながら。それでうまいこといっています。

梶川 それは仲が悪いということですか。

胡中 いやそりゃあ仲はいいですけど。一緒にお遍路すると、宿に着くと、選択物を2人分しなきゃいけませんし、何だか普段と一緒なですよね。だから、お遍路に来た時は、ちょっと違うのではないかなと思って、別々に歩くようになりました。

梶川 (客席に向かって)ご主人、反論ないですか。
 加々美さんはさきほども紹介がありましたけも、徳島県勝浦町で廃校になった学校施設を活用した宿泊施設の運営委員をされていますが、大分お遍路さんは泊まるのでしょうか。


◆年間2000人のお遍路さんが宿泊

加々美 昨年度、お遍路さんだけをちょっと数えさせていただいたか、2000人くらい泊まっていただいています。

梶川 お遍路さんだけでですか。

加々美 ・お遍路さんだけの人数です。ありがたい話です。私たちのところは、21番・鶴林寺と別格3番慈眼寺のちょうど中間くらいのところにあります。それでお遍路さんに泊まっていただくにはどうすればいいか、運営委員の中で話し合いました。鶴林寺のふもとにありますので、そこまでお迎えに行こうよ、という話が出てきました。空いた人が自分たちの車でお迎えもしながやっていますと、おかげさまで昨年度は2000人でした。

梶川 どんどん広がってきていることの1つの現れでもありますよね。
 歌さんおプロジェクトには1万人以上の方がかかわってくださっているようですが、この大きな広がりはどういうことだと思いますか。


◆四国に脈々と続く空海の考え方

歌 高知県では1000人以上の方が1つの小屋に方がかかわってくださいました。寄付者のほか、間接的なもの含めて。いつも思っていますけど、空海、お大師さんという元があるから小屋に対しても、純粋で清らかな思いがあることが、どこかにあるんだと思うんです。その時に中心になってやってくださる方がいると、それだったらとお金を出してくださる方が次々と広がっていくように思います。四国には空海の考え方が脈々た続いているのだと思います。

梶川 四国の方にはそういったDNAがあるんだとよく言われますが、そんなのかもしれないですね。僕たちの好きな言葉に、四国の方がよく使われる「お四国さん」というのがあります。お遍路さんのことも言うし、遍路のことも言うし、四国全体のことも言います。「お四国」がもっている空気感に、遍路も組み込まれているのかもしれませんね。
 では西川先生、さきほども少しお話があったんですけど、お接待体験をしたことによって、何か変わってきたんでしょうか。あるいはお接待体験を子どもさんたちにしてもらうということは、大事なことなんでしょうか。


 ◆心と心のつながりをお接待の体験で身につけた

西川 板野西小学校はすごく少人数の中で、ラス替えもなく、幼稚園から6年生までズーッと同じクラスで過ごすことになっていくんです。人間関係が固定化していまして、人とのかかわり方というのはなかなか難しいのです。お接待の体験で、いろんな人と出会うことで、いろんな思いを持っている人がいることを知り、心と心のつながりみたいなことを身についたような気がします。今日もなかなかしゃべられないんですけども、積極的に自分の気持ちを伝えられるような人になってほしいなと思っているですが、以前よりはあいさつができるようになったとか、自分から発信できるようになったんじゃないかなと思っています。

梶川 齋藤さん、お接待の1回目と2回目で何かかわりましたか。

齋藤 1回目した時よりも2回目の方が、話しかけるのが気楽で、楽しく感じるようになりました

梶川 高田さんはどうですか。

高田 1回目より2回目の方が、お遍路さんとたくさん楽しく話をすることができたと思います。

梶川 どちらでしたか、「お接待をする方もされる方も幸せになる」とおっしゃったけど、それを感じますか。

齋藤 はい、感じます。

歌 お遍路さんに対してお接待をするまで、小さいころからお遍路さんにどういう風の思っていたのですか。怖いとか、いろいろあるでしょうが。

齋藤 最初は八十八カ所を頑張っているいているんだなという思いはあったんですけど、その気持ちは少ししかなかったです。


 ◆阿南・山口小学校の子どもたちが4カ国語の道しるべ

梶川 長田さんは自分の中でどう変わっていったのか聞かせていただきたいと思います。
 ただ、その前に「遍路に焦がれて」で、私がさきほど言い忘れていたことがあります。作詞をされたのは山口小学校の島村さんという教頭先生です。実は本日、来ていただこうと思ったのですが、学校の行事の関係で来られなくなりました。

 山口小学校も板野西小学校と同じように、総合的な学習の時間にお遍路さんのことを取り上げたそうです。韓国に住んでいて先達になった崔象喜さんという女性がいます。その人が韓国からもたくさんお遍路さんがこられているので、ハングルの道しるべのワッペンを張っていたんです。それに対して激しいバッシングがありまして、非難する紙がヘンロ小屋にもたくさん張られました。僕に言わせれば偏狭な愛国心だと思いますが。そのことが新聞に載るわけです。

 総合学習の時間に、お遍路さんについて考える時間をとったんです。子どもたちは、こんな風に言ったそうです。同じお遍路さんで回っているのに、差別するのはおかしいじゃないか、と。では自分たちは何をするかとなった時に、日本語とハグルと英語と中国語だったかな、4つの国の言葉で道しるべを作り、「お遍路さんがんばってください」ということを4つの言葉で書こうと決めました。
 子どもたちは自分たちでお遍路グッズを作って、それを売って材料費にあてたそうです。それがきっかけで島村さんもお遍路さんのことを考え始めて、自分でも歩いて詩を作ったそうです。
 今日はguMのお2人には来ていただけて、ほっとしています。実は商売繁盛で徹夜続きなんすって。では歌を作る、あるいは遍路について勉強するする過程で、自分が変わったり気づいたりしたことがあれば、お2人に話していただきたいと思います。


 ◆見えない力が僕らを守ってくれている

長田 僕のおばあちゃん、おじいちゃんが信仰熱心な人で、真言宗だったのでお大師さんをお盆とかにもかけているのを、小さい時から見ていたんですよね。僕も守っていただいているということは昔から信じている方です。
 音楽をやらしてもらっている人間から言わせてもらうと、曲づくりする時にはいつも自分勝手に作っていたところがあるんです。今回の歌に関しては、お大師さんから下ろしてもらったメロディーだったんです。霊山寺にお参りに行った後で、さっとできた曲なんです。自分1人で生きているんじゃない、それこそ見えない力というか、空海さんもどちらにおいでかわからないですけど、ちゃんと僕らを守ってくれていると強く感じるようになりました。

梶川 秋山さんは先ほど、世界に通用するような歌を作っていきたい、歌っていきたい、とおっしゃいましたが、そこにも「つなぐ、広がる」ということがでてくるのですが、この歌を歌われて以降に何か変化があったら教えてください。


◆見えない力で引き合わせていただいている

秋山 先ほどお話しした高野山に上がったのが5〜6年前の話になります。その先にこの歌を歌わせていただくなど、全く想像もしませんでした。ただ、高野山に登った時、登った時と下りて来た時の景色が違って、とても単純なんですけど、キラキラして見えたものがたくさんありました。自分の気持ちの整理といものもあったと思うんですけど。ところが過ごしていくうちに薄れていって、本当にキラキラしていてすごくきれいで、自分がこんなことをしたいな、という前向き気持ちが、日々の生活の中で薄れていってたんです。
 でも、今回こういう機会をいただいて歌わせていただける巡り合わせがあって、本当にご縁だなと思うんです。レコーディングの時もそうなんですが、歌詞を置いていたですが見ることもなく、イメージしてその情景の中をゆっくり歩いているようにして歌わないと、気持ちもこもらなかったんで、集中して歌っていました。今日みたいにみなさんの前で歌う時は、みなさんの顔を見たいので、見ながら歌うんですけど、やっぱりイメージというのを大事にして、1つ1つの言葉を大事にして歌わせていただくようになりました。
 お遍路の曲を通して、こういったみなさんとの出会いの場が増えて、今までの自分たちでは出会えてなかったのような方々ともつながらせていただきました。先ほど、長田さんの話にもありましたが、見えない力で引き合わせていただいているなあと、それは途切れることなく続いているんだなあということは、歌わせていただくたびに、演奏させていただくたびに、感じていることですね。

↓シンポジウムの様子



 ◆若い女性と外国人の歩き遍路が増えている

梶川 胡中さんは大分お遍路さんをされていますが、周り初めのころと最近とで、お遍路自体、あるいはお遍路さんを取り巻く状況、例えば数が増えてるだとか、こういう人が増えているだとか、変わったと感じるものがありますか。

胡中 最初のころ、17年ほど前は女の人はあんまりいなかったんですね。特に若い女性は全然いませんでした。このごろ若い女の方の歩き遍路が大変増えています。定年退職した方だとか、若い男の方で野宿しながらという人にはよくお会いしたんですけどね。今は外国人の方がすごく多いです。去年、全然日本語できないのに、カナダ人のご夫婦が歩いて回っていました。とても考えられないです。私ら同じ日本の中だから歩けますけど、全然違う国で言葉ができないのに歩くゆうのは感心しました。

梶川 歩いているのは若い人が増えてますよね、胡中さんをはじめとして(笑い)。僕も何度か回りますが、歩いてはあまり回っていませんが、直観としては半数が定年後で、4分の1くらいが20歳代、あとの4分の1がそれ以外、そんな感じがしますね。
 加々美さんはお遍路さんとずっと接していらっしゃるんですけど、最初のころと今と状況の変化がありますか。


 ◆最後はハグで

加々美 オープンして14年になるんです。本当にわからないままスタートしていったんですが、リピーターの方、ご紹介してくださる方が増えてきたと思います。それと、私にも少し余裕が出てきましたんで、お客さまとの会話がしたくって、本当に区切りの区切りなんですが、19番・立江寺から23番・薬王寺まで歩いてみました。どのへんはどんなんやろう、とお遍路さんに聞かれますので、少し歩いてみなければ、と思ったからです。
 ちょっと今思うのは、バスで回られるお遍路さんは少なくなったような気がします。お話しさせていただくと、「バスで回ってたんですけど、歩いているお遍路さんを見て、何とも言えない楽しさ感じたので、歩き始めました」という方が増えてきたような気がします。  先ほどから出ていますように、外国の方が本当に増えてきました。昨年度で80人くらい泊まっていらっしゃいます。私は英語が全然といっていいくらいしゃべれないので、どうしたらいいかなあ、と思いながら、最終的にはハグでごまかしています。  それではいけないと思って、勉強しようと、外国人のお遍路さんをお迎えするにあたって、モートン先生(モートン常慈=徳島文理大学客員講師)にお話をいただきました。そのおかげもあって、地元の方のお遍路さんにかかわり方が、随分変わってきたような気がします。すごい素敵なことになったんだなあと思います。これかもこんなご縁をいっぱいいただきながら、続けていきたいと思っています。

梶川 モートン先生というのは、徳島文理大学の先生で、カナダ出身でしたかね。今は日本の国籍を持っています。お遍路さんのことを非常によく研究してはる方です。
 外国人お遍路さんのことで話ができる方がおられたら話してほしいいんですが。言葉は通じないんですが、通じますよね。齋藤さん、高田さんの場合はどうやって通じましたか。外国の方とのつながりというのは、何が、どうやってつながるのでしょうか。

高田 最初はあっちが話しかけてきてくれたんですけど、「へえー」というような顔をしていたり、地図を指さしたりして教えました。

梶川 気持ちがこもっているかどうかじゃないでしょうかねえ。そんな気がします。
 時間がなくなってきました。僕たちの今回のテーマは「遍路文化をつなぐ・広げる」ですけど、どうしたらそうできるのか。歌さんやほかのみなさんにお話し願えれば。


 ◆子どもさんに動いてほしい、学校も取り組んでほしい

歌 私たちは子どもさんたちに行動として動いていただければいいと思っています。香川県の方ではヘンロ小屋の対して実際に金づちを持ったり上棟式に一緒に参加してもらったりしています。(支援する会の)支部長さんがそれは大事だということで。
 西川先生にお聞きしたいのは、総合学習とおっしゃいましたが、それって板野西小学校だけですか、徳島県の教育委員会がやっているんですか。

西川 総合学習というのはそれぞれの学校がテーマを決めてやっていることです。板野西小学校の今年は地産地消をテーマにしていて、残念ながらお接待はしていないんです。1年間テーマを決めて、子どもたちと勉強していくのが総合学習になります。

歌 お遍路さんは地産地消がきっかけですか。

梶川 ある年のテーマがお遍路さんで、別の年は地産地消というようなことですね。

西川 そうです。毎年テーマを変えています。昨年度はお接待をテーマに勉強しました。続けてもいきたかったんですが、今年は地産地消を子どもたちと一緒に勉強しています。

歌 教育の中でというと大げさですが、休みの日なんかに、四国中の小学生、中学生、高校生が個人でもいいですから、お遍路さんやお接待の体験をするといいと思うんです。大学では授業に組み込んでやっているところもありますが。そうすれば、どんどん広がると思います。学校でやってもらってもいいですが。そんな方法ありますかね。

西川 隣の板野東小学校の3年生がお接待をしている聞いたことがあります。近くのお寺があれば、すごくいい関係なので、どんどん広げていけると思います。

梶川ではこの辺で、会場の方から質問なり意見なり、注文なりをしていただきます。

会場の男性A 実は私、阿南から参りました。歌一洋の義理の兄になります。一洋がこういうことをするというので、じっとしとるわけにいきませんので、阿南で3棟にかかわらせてもらいました。一言二言言いたくなりました。
 孫が3人おる中で男の孫に、中学、高校の時に「木に登ったことがあるんかい」と来たら「ない」と言うんです。木に登ったこともない。そんな体験もないんです。つくづく思いますのは、子どもが仮に自分の地域から離れて、徳島から他県に行った場合に、ふる里を思うに、何をもって思うのか。教室で勉強し、先生とかかわっただけの思い出しかない、というのじゃなしに、遊びや地域のいろいろな行事にかかわることが大事なことで、それは親が危ないと何とか言うのじゃなしに、もう少し子どもを信頼して責任を持たすとか、そういうことを学校の総合学習でやっています。
 もう少し、地域の中が学校に刺激を与える、「先生、もう少し楽しい思い出を作るうような教育してくださいよ」と注文を出す、こういうようなことから始まったら、子どもさんも生き生きするんじゃないかと思うので、ちょっといらんことを言いました。

歌 教員を長いことやってましてん。

梶川 きょうはわざわざ香川県からやってきてくださった方々がいます。先ほど触れました崔さんと、支援する会が一緒になった呼びかけ、日本と韓国と一部イギリスの方の出資でできた小屋が香川県三豊市にあります。そこでお接待をしてくださっている方です。どんなお接待をしているかお話ししてくださいますか。


 ◆香川県三豊市のヘンロ小屋で「おせっ隊」活躍、打ち立てうどんも

亀山啓司・支援する会香川支部長 香川支部賞の亀山と申します。今日は香川県の三豊で新しい小屋ができまして、そこで「おせっ隊」というグループがお接待をしています。地域活動を一生懸命やろうという人たちです。

おせっ隊の女性 私の方は、小屋にたくさん寄ってくれるのを待ってるんですが、なかなか人数は集まりません。

梶川 お接待をする時に、何人くらいのお遍路さんが来ますか。

おせっ隊の女性 12月までは7〜8人でした。1月になって少なくなって、2月にはバレンタインデーでチョコレートを用意していたんですが、ゼロだったんです。ゼロというのは初めてでした。歩いている方は見るのですが、寄ってくれる人が少ないんです。

会場の男性B 歌先生に質問があります。小屋の費用ですが、いくらぐらいかかるのでしょうか。

歌 0円から800万円です。だいたい一般的な造り方、それは寄付を集めて専門の大工さんに造ってもらう場合は、150万から200万円でしょうかねえ。やり方によっては、私たちが造ったすることもありますし、山から木を切って竹を切ってやればだだですよ、そんなこともあります。できたら工務店に頼まない方がいいと思っています。素人でわいわい造る方が意義があると思うんです。それは1年、2年も10年かかってもいいと思います。

おせっ隊の男性A 香川県はうどん県ということで、後ろの方が必ずうどんを打ってお接待をしております。もし私たちのところを通る時は、必ず寄って、おいしい熱いうどんをお接待していますので、またお会いしたいと思います。

梶川 三豊市高瀬町に白井眼科という病院の前にヘンロ小屋があります。お接待はいついつですか。

おせっ隊の男性A 第2、第4日曜の9時から午後3時までです。私は写真を撮りますので、ぜひ小屋に寄ってください。

歌 うどんを作る設備は小屋にはないので、どこかで作って持っていかれるのですか。

おせっ隊の男性B 車の中に鍋やら一切合切積んでいるんです。材料も全部。

梶川 それはぜひ、行かんといかんですね。
 時間が来たので締めくくりますけど、今回のテーマから外れたところもありましたが、いろいろ良い言葉が出ましたね。みなさんがおっしゃったことは、気持ちがこもっていれば通じる、ということと、子どもさんがおっしゃっていた「お接待のおすそ分け」ということですね。自分が受けたお接待を少し誰かにおすそ分けする。それが、広がる原動力ではないか、と僕は感じました。
 これでシンポジウムを終わらせていただきますが、パネリストのみなさん、特に小学生のお2人に大きな拍手をお願いします。(拍手)

歌 高田さん、齋藤さん、お友達と遊びながら、小屋も使ってもらって、お遍路さんと触れ合ってもらうといいなと思います。



      ↑シンポジウムの様子