歌手、藤田賀子さんの歌とお話

 《2018年3月3日、松山市、ひめぎんホール別館で開かれた「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会第12回総会兼記念講演会での歌とお話です。読みやすいように、中見出しなどを入れました》



◆うどん屋での出会い
 ご紹介をいただきました藤田賀子(よしこ)でございます。今回はみなさまのヘンロ小屋プロジェクトの総会にお呼びいただき、まことにありがとうございます。

 実は順打ちでのお遍路していた際に、うどん100杯を食べてベスト8を決めようというもう1つの企画で、香川県をレポーターの男の子と歩いておりました。その時に、(85番)八栗寺さんの近くのつづみ屋さんでカレーうどんを食べている時に、振り向いたらいらっしゃったのが歌先生(歌一洋・四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト主宰者)でした。その時に1枚の紙を渡してくださったのが、すべての始まりです。

 その時に、「私はヘンロ小屋を造っている者ですが、歩き遍路をされているんでしたら、せっかくですから、ヘンロ小屋1つ1つを見て回ってくださいね」と渡してくださった1枚の白黒の紙に、たくさんのおヘンロ小屋がついていました。私たちはヘンロ小屋を見ながら歩きます。しかし自覚がなかったり、急いでいたので、じっくり見たことはなかったんですね。

 1度結願をし、逆打ちをする時にじっくり見ていこうと、1つ1つ写真を写しながら歩くようになりました。その時の運命の出会いも、このうどんの本の中にも出てきて、先ほど念願の歌先生にもお渡しすることができました。つづみ屋さんでいただいたヘンロ小屋プロジェクトの写真とともに載せています。まだまだたどり着けていない小屋もあるんですが、1つ1つ見ながら、いろんな人の思いを感じ、小屋を管理する方々ともお話できるようになったのが現在でございます。

 しばしのお時間ですが、歌にお付き合いいただければ、と思います。よろしくお願いします。
(歌=四国霊場を読み込んだ歌)

ここは会議室で、ボリュームは少し抑えめにという話もありまして、そのつもりで演奏しましたが、お聞きいただけましたでしょうか。
 
 (歌=遍路の中の出会いなどをテーマにした歌)

↑藤田賀子さん


◆お遍路さんや地元の方に教えられ

 こうして、いろんな方に助けられながら歩いたお遍路道です。今までの映像の中に出てきたレポーターは、かれこれ今年で5年目になるんです(レポーターが歩き遍路をし、その状況を映像を中心にして報告している)。全部で16人。1番若い子で19歳。上は自分も含めてですが40代。そんな中で20歳の記念とか、親御さんの日記を見てお遍路に行きたいとか、自分に強くなりたいとか、いろんな思いでお遍路に行っています。

 1周終われば結願というよりは、1つの区間を大変な思い出歩いています。1つ1つの思い出になるきっかけになるのが、おヘンロ小屋です。休んでいるお遍路さんのお話を聞いて、「途中でこんな所に寄ってごらん」とか、「こんなお遍路さんがいるから、話を聞いてみたら」と教えていただいたり。もちろんこれだけではなく、地元の方が「もう少し先にお接待の場所があるよ」と教えてくれたこともありました。


◆きっかけはラジオ番組

 (映像を示して)今、少し恥ずかしい映像が出ていまさす。このころ私がお遍路のトップバッターをしたんですが、だあれも知らない中で、よくお遍路を始めてみようと思ったなと、我ながら思います。

 たまたまラジオ番組のディレクターをしている中で、高知出身の歌手の男の子がいて、その子と一緒に行ったのが始まりだったのです。その子は高知に住んでいた若者でしたけど、遍路のことは全く知らなかった。だから、ちょっと見ていると、「これは歩く時に着る服じゃないよね」といった服を着ていたりなど、いろんな姿が見えます。

 デニムをはいて歩いて重くてすごく大変だったり、荷物がパンパンで辛くなったり、いろんなことがありました。そんな経験をしながら、お遍路さんと出会うたびに、教えてもたったり、アドバイスをいただいたりで、今に至ります。たくさんの出会いがある中で、教えてもらって、お経もみんなで読めるようになったり、参拝の仕方を覚えるようになってきます。


◆お接待のお礼に、CDの販売代金を遍路道の草刈り支援に

 お遍路を巡る中で私たちもお接待をいただきました。ありがたいと思う前に、10代、20代のメンバーは、もらっても何も返せないから、もらった時に辛くなるといって、元気がなくなってしまったことがあったんです。「じゃあ、何をしようか」と、みんなで考えました。
 
 自分たちが進む先で、草刈りをしてくれているボランティアの人たちがいます。ほとんどの方がご年配で、中には若い人もいらっしゃるんですけども。草はすぐに伸びます。

 私たちは何回も足を運ぶには限界もあるので、何かお手伝いになることというので、自分たちの感動した思いとか、感謝の気持ちをCDにして、その売り上げ100%を、お遍路道の修繕をしてくださっている方にプレゼントしましょうなりと、クラウドファウンドで作ったのが、お遍路のプロジェクトCDです。1枚で販売して、そのま寄付に回して、またイベント会場などでコツコツ販売をしています。今、254枚売り上げました。25万円ちょとですかね、積み立てることができました。

 そのお金を、活動している方に少しずつお分けしていきたいなあと思っています。旅費と時間を作っての話なので、本当に先に長い話で、「いつ渡すの?」とか、「まだなの?」んどとよく聞かれるんです。ちょっとずつやらせていただいて、その活動している方のことをしっかり知って、お話をして、手渡しに行きながら、私たちもお手伝いしたいという思いで、ここに来ております。ご理解をいただければ、何よりでございます。

 こうして、5年たって、東京、九州、四国、関西、そんなところで歌わせてもらっています。昨年は山形にも行くことができました。レポーター男の子たちが伴奏でついてくることもあります。時には私が1人で行くことがあります。


◆海外でも歌いたい

 今の最大の目標は四国、国内にとどまらず、世界のいろんなとこでも歌っていきたいなと思っています。そうすることで、お遍路文化であったりお遍路でかかわっているみなさんに貢献ができるかなと思っています。そのため、今年は英語のプロフィールを書いて、いろんなところや団体さんに出してみたり、日本国内外の機関誌を書いている方や観光の業者の方とこうしてお話をしてみたりしながら、ライブのことやお遍路の文化を知ってもらえたらと思っています。実現にどこまでつながるかは、まだまだ私の努力次第です。でもそこに注力もしながら、歩いても行きたいと思っています。


◆泣いて、輝いて

 2018年は(高知県)土佐清水から歩き始めることになっていて、女の子のレポーターがあたっているんです。でも、ちっとも進まない。笑っちゃうほど進まないし、笑っちゃうほど泣くの。どんなに励ましても、厳しいことを言っても、泣くの。みなさんが、「えつ、こんな所でどないして迷うの?」というで迷うの。この間も迷いました。林道に。炎天下に入ってしまって。そういうのもすべて経験かな、と思っています。

 でも、歩いて戻ってきて、彼ら輝いています、頑張っています。またいつの日か、四国を歩けたらいいな、というようなことを言ってくれるので、そういう意味では、私はこの企画をやっていて、双方にとって良かったなと思います。

 それでは「雨ニモマケズ」。

 (歌)


◆子どもたちと作った歌

 まもなくお時間でございますが、最後は小学校の子どもたちと一緒に作りました「あさぎまだら」を弾いて、お別れにしたいと思います。

 (歌)

 どうもありがとうございました。

 今の「あさぎまだら」の歌の歌詞はみんな大月小学校(高知県大月町)3年生が作ってくれました。そして、2018年に新曲を公認先達の方から先ほど受け取りました。次回はそれもお楽しみに。ありがとうございました。

↑藤田さんの歌とお話の様子


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