篤志面接委員(「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会副会長、梶川伸「2つのお願い」

 《2018年6月14日、松山市、大阪商工会議所で開かれた大阪矯正管区管内篤志面接委員研究会での体験発表です。遍路についても触れたので、ホームページに掲載しました。話に少し手を加え、読みやすいように、中見出しなどを入れました》



◆思いは2つ

 私は大阪刑務所の篤志面接委員(矯正活動に携わる民間のボランティア)として、釈放前の受刑者に1カ月に1度、1時間ほど話をさせてもらっています。得意分野があれが、また別の役割があったり、個別の受刑者への対応ができたりするかもしれませんが、そういったものがないこともあって、釈放前講習を担当しています。1回の受講者は1人から12、13人です。6月12日に128回目をさせてもらいました。

 「2つのお願い」という変なタイトルをつけました。受刑者のみなさんにこれだけは聞いてほしい、分かってほしいという私の思いが2あるからです。1つは「もうここ、刑務所には来ないでください」です。もう1つは、社会で生活をする際に、こういう風にしてはどうか、こういう考えで生きてほしい、という私の考えです。


◆一生懸命に話す、でも

 その2つを一生懸命話しているつもりです。しかし、その懸命さと、私の思いが伝わっているのか、私の話が役に立っているのか、は全く別問題です。私には自信が全くありません。現に2日前の講習の時は聞き手は2人、そのうちの1人に話しかけると、前にも私の話を聞いたというのです。

 人数が少なかったので個別に話しかける機会があって2回目とわかったわけで、再犯で刑務所に入り、以前にも私の話を聞いた人がもっといる可能性もあります。そこで今日は研究発表というよりも、私の悩みや愚痴を聞いてもらい、サジェスチョンをいただきたいという思いで、話をさせていただきます。


◆出会いのの限りない不思議さ

 受刑者のみなさんへの話はいつも、写真家・星野道夫さんのエッセイ集の中の言葉から始めます。こういう言葉です。「人生はからくりに満ちている。日々の暮らしの中で、無数の人々とすれ違いながら、私たちは出会うことがない。その根源的な悲しみは、言いかえれば、人と人が出会う限りない不思議さに通じている」

 出会うことは奇跡だということです。受刑者のみなさんの名前も顔も、どういった経緯で刑務所にいるかも、全く知らずに会っているのですが、この出会いを大事にして、一生懸命に話をすることを、まず伝えるのです。そのうえで、本題に入ります。


◆「もう刑務所には来ないでください」

 「もうここに帰ってこないでください」。これがメーンのテーマであり、最大の願いです。非常に簡単なテーマなので、「もうここに帰ってこないでください」と言ってしまえば、10秒もかからないうちに終わってしまいます。大きな声で語ったとしても、何の力にもなりません。問題は、どのように説得するか、です。

 その時に思うのです。私のような人生経験の浅い者が、説得力を持つ話を展開できるのか、と。

 ただ、1番最初に話をさせてもらった時に、ヒントをもらいました。その刑務官は話に行く道すがら、こう言ったのです。「出所という言葉がありますが、『戻る』と考えてほしい。本来の生活の場に戻るのです」


◆本来生きていくのは社会の中

 私はハッとしました。なぜ、刑務所に帰ってきてはいけないのか。罪を犯してはいけないからではあります。同時に刑務所は本来、生きていく場所ではなく、生きていくのは社会の中だからです。そのことを刑務官に教えてもらい、そのことが以後の私の話のベースになっています。
 とは言っても、受刑者のみなさんにその事を説明したとしても、話は3分ほどで終わってしまいます。そこで具体例で説明することにし、難病の筋ジストロフィーだった若い友人のことを話すことが多くなりました。この病気は、筋肉の力がなくなっていきます。私が彼と出会った時、彼は障害者向け公営住宅に住んでいましたが、すでに握力は100グラム単位に落ちていました。介助が必要で、頼まれて介助メンバーの1人になったのです。

 彼は子どものころ自宅に住んでいて、家族の助けを受けていました。やがて、国立の専門療養所に入りました。医療、看護、介助の態勢も整った施設でした。ところが、彼は療養所を出て、「自立」を目指しました。「人間は社会的動物である。社会の中で生きてこそ、人間だ」。それが彼の考えでした。

 本来生きていく場所は社会の中。私は彼の例を受刑者のみなさんに話します。彼の兄も同じ病気で、28歳で亡くなりました。彼は兄よりも長く生きるのを目標にしていました。彼は兄を超えましたが、30歳で亡くなりました。療養所にいれば、十分な態勢のなかで、ひょっとすると、もう少し生きることができたかもしれません。それでも社会の中で生きることを選んだと、受刑者のみなさんに訴えます。

 でも、どうでしょう。刑務所と療養所、病気と犯罪は別のものなのです。具体例を出していても、私の気持ちが伝わっているのかどうか、自信がありません。


◆遍路と利他の心

 次は2つめのお願いについてです。本来の生活の場は刑務所の外で、そこは社会という人の海です。社会的生活をする時に「こうしたらいいのではないか」という私の考えを述べるのが、受刑尾社のみなさんへの話の後半部分になります。

 篤志面接委員として話していて、わかってきたことがあります。それは具体的な体験談の方が、相手に通じやすいだろう、ということです。そこで私は50歳前から始めた四国遍路を、話の中身にすることが増えました。遍路を通じて知った利他の心についてです。

 人間が生きていくうえで、利己は大事です。99%は利己でいのですが、1%だけ利他の心を持って生きることが必要ではないか、ということを話します。利他は他人のこと・社会のためにする心です。「人」という字は2つの線が1点で接しています。この接点が利他で、ここが離れていれば、2つの線は倒れてしまいます。人は支えながら生きていることを、「人」と字が示している、と前振りしておいてから、具体的な遍路の話をします。


◆学生と行ったお試し遍路

 よく例に出すのは、「あしなが育英会」の学生との「お試し遍路」です。あしなが育英会は、親を亡くして経済的に苦しい子ども・学生のための奨学金制度を展開しています。阪神大震災のあと、神戸市に大学生寮を造りました。私はその寮生と交流がありました。

 私が遍路の先達(案内人)をしていることを知ると、学生が「お試し遍路に行きたい」というので、4人を連れて2泊3日の歩き遍路に出たことがあります。受刑者のみなさんに話すのは、その時のことです。次のような経験をしました。

 1日目、徳島県の17番霊場・井戸寺から歩き出しました。午後6時ごろに19番立江寺のお参りをすませ、クタクタになって歩いていました。その夜は、ある寺が設けたプレハブの小屋で泊まる予定でした。経済的にしんどい学生のことを考えてのことです。コンビニで買ったおにぎりも用意していました。

 あるガソリンスタンドの前を通ると、スタンドの主人が「どこに泊まるのか」と聞きいてきました。私はプレハブ小屋の名前を告げました。すると、「あと3キロ」と答が返ってきました。その場は、それだけです。


◆カップ麺のお接待

 さらに歩いていると、その主人が自転車で追いつきました。「僕は祭の打ち合わせに行くが、あとから妻が軽トラックで来るから、乗っていきなさい」。そう言って、走り去ったのです。
 主人の話の通り、奥さんの軽トラックが来ました。あたりはもう真っ暗。もう歩きたくないと思っていた時の車。疲れて上がらない足を手で持ち上げて、みんな荷台に乗り、プレハブ小屋まで送ってもらいました。

 遍路道でお遍路さんをもてなしたり、手助けをしたりするのを「お接待」といいます。軽トラで送ってくれたのも、お接待です。学生はお接待で感激していました。

 小屋に入ってしばらくすると、奥さんがまた軽トラックで現れました。カップ麺5つを、私たちの夕食用に届けてくれたのです。その小屋には水道もガスもあるので、大いに喜びました。お礼を言うと、「箸はある?」と尋ねます。持ってはいなかったのですが、「何とかなります」と答えると、奥さんは帰っていきました。

 しばらくすると、奥さんが3度目の登場です。自宅から割り箸を持ってきたのです。もう、学生たちは感激です。何度もお礼を言って、ありがたくラーメンをいただきました。

↑お試し遍路のメンバー


◆特別の徳島ラーメン

 徳島のラーメンは甘辛いスープで、チャーシューではなく、薄切りの豚肉を味をつけて煮たものが入っています。いただいたのは、その徳島ラーメンのカップ麺です。具が別についていたので、通常の徳島ラーメンのカップ麺よりは少し値段は高いのかも知れません。1つ130円前後でしょうか。このお接待は学生の心に残ったようです。

 翌日、翌々日と歩きました。その間に、さまざまなお接待をいただきました。1000円札も2度。これには学生も驚きました。見ず知らずの通りがかりの人に、こんなに親切にしてくれるなんて、の思いでしょう。

 お試し遍路が終わり、学生は徳島駅から高速バスで神戸に帰ることになり、バスの切符を買いました。すると、1人の女子学生が「寮の同室の学生にお土産を買って帰りたい」と言います。ついては、土産はガソリンスタンドの奥さんにもらったカップ麺を買いたい、と。どれほどそのカップ麺が彼女の心に残ったかを物語っています。

 そこで私は土産物屋の場所を教えました。彼女は1人で行ったのですが、すぐに帰ってきました。普通の徳島ラーメンのカップ麺はあるのに、具が別になった例のものがないのです。そこで、駅ビルの地下の食品売り場に一緒に行きました。残念ながら、そこにもありません。


◆自分の感動を友だちにも

 バスの出発時刻が迫ってきます。私がもう1カ所、土産物屋の場所を教えると、彼女は走り出しました。陸上競技部の選手なのです。売り場のドアは自動的に横に開くタイプで、大きなガラス戸でした。走っていた彼女は、ゴツーンとガラス戸にぶつかりました。ガラス戸が透明だったことと、走るスピードが速すぎて、自動ドアの反応が追いつかなかったためです。

 彼女はそれでもめげずに、3軒目の土産物屋を目指しました。でも結局、例の特別のカップ麺はなかったのです。手には普通の徳島ラーメンのカップ麺を持っていました。

 これはいい話だと思うのです。ガソリンスタンドの夫婦にとってみれば、人生の中の1%の利他の行動だったのでしょう。私もそうですが、特に若い学生4人がくたびれて歩いているのを見て、ちょっと手助けしてやろうと思っただけのことかもしれません。

 ところがお接待を受けた学生は、一生忘れることはないでしょう。走った女子学生は、自分が受けた感動を、カップ麺を通して同室の学生に伝えたかったに違いありません。だから、同じカップ麺がどうしてもほしかったのです。彼女は自分にが受けた親切心を、その後の人生で、別に人に届けようとするでしょう。


◆厳しい現実に比べると

 受刑者のみなさんに、この例を出して言います。ほんの少しの利他の心を持って行動し、生きていくことは、社会の中で生きていきやすいことだと。他人や社会に役に立つと満足感があり、それは免疫を高めることにもなるのはないでしょうか。それは自分にとって得なことなので、利他の心も本能に組み込まれていると思うと伝えます。社会という本来の場所で生きてくことができれば、もう刑務所に来なくていいからです。

 でも、社会生活に戻る受刑者を待ち構えているのは、厳しい現実です。遍路で体験したような美談が、通用するのかどうかは疑問です。実体験に根ざした話は具体性があって、説得力があるとは思いますが、刑務所に帰ってこないようにする力があるのか、を考えると、それは甘い考えだと自分でも思うのです。


◆たった1人が支え

 毎回悩みながら話をさせてもらっているわけですが、完全にあきらめているわけではありません。私は押し花をしています。特に野の花が好きで摘んできて紙の間に挟んで水分を飛ばし、それを紙にあしらいます。材旅費はほぼゼロです。そこで、社会で生きてムシャクシャした時に、野の花を探しに行って押し花にしてみたどうかと話しかけることがあります。

 そんな話が終わって建物から出ようとした時、話を聞いてくれた1人が玄関まで来て、「家に帰ったら息子と一緒にやってみます」と告げてくれました。こんなうれしいかったことはありません。2つの願いが通じたかもしれないと思ったからです。

 ただし、過去1000人ほどに話をした中の、たった1人です。逆に言うと、999人には通じなかったとも言えるのです。もうしばらく篤志面接委員を続けようと思っていますが、それは2人目が現れることを期待してのことです。そのためにも、皆さん方のサゼスチョンをお願いしたいと思います。今日は私の悩みを聞いていただき、ありがとうございました

↑押し花の例



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