《2019年3月7日大阪府吹田市、吹田市メイシアターで開かれた大阪府北部コミュニティカレッジ第5回卒業式での記念講演です。話に修正・加筆せ少し手を加え、読みやすいように、中見出しや写真などを入れました》
みなさん、コミュニティカレッジの卒業おめでとうございます。みなさんを見ますと、私と同じくらいの年齢の方が多いようですが、勉学の意欲の高さに敬服いたします。
それにひきかえ、のんべんだらりと生活している私などが卒業式の席でお話しするなど、おこがましい限りです。そのうえ、話が下手ときているので、聞く方は大変でしょうが、私などを選んだ間違いで、うらむならコミュニティカレッジの理事長をうらんでください。
◆循環の大切さ
話が下手なので、先に結論を申しておきます。2つあって、1つは、循環することの大切さ・楽しさです。これは「蘇りの思想に通じるものがある」と私は考えています。
人間の体の細胞は60兆個もあって、約3カ月で入れ替わるそうです。つまり、いつも新しいものに入れ替わっている。そうすることによって、梶川は梶川であり続けられるのです。
生物学者、福岡伸一さんは著書「生物と無生物のあいだ」の中で、「生命とは何か?それは自己複製を行うシステムである」と書いています。常に入れ替わって自分を複写することによって初めて、生命を保っているということでしょう。
コミュニティカレッジの理事長にお話をうかがうと、みなさんは今日卒業しても、新年度でまた講座を受講する人が多いということでした。1年ごとに新しい知識を入れていく循環を繰り返しているわけで、それが生命、言い換えれば若さを保つことに結びついているような気がします。その原動力が、知的好奇心というのも素晴らしいですね。
◆出会いから共同体へ
もう1つが出会いの大切さです。写真家の星野道夫さんのエッセイの中に、次のような文章があります。「人生はからくりに満ちている。日々の暮らしの中で、無数の人々とすれ違いながら、私たちは出会うことがない。その根源的な悲しみは、言いかえれば、人と人が出会う限りない不思議さに通じている」
出会いは奇跡なので、大事にしたい。そんな風に私は解釈しています。このことは、みなさんもカレッジで学び、感じていることでしょう。
出会いは共同体へとつながっていきます。これが大事です。
いま、世の中では、さまざまな共同体が崩れていっています。地域共同体や学校を核にした共同体も、崩れ始めているような気がします。家庭という最小単位の共同体ですら、ほころびを見せているケースがあります。
そんな中で、私たち新聞記者が規模を寄せたのはヨーロッパ共同体でした。隣国同士で戦争を繰り返し、それではいけないと、100年かけてできたのがヨーロッパ共同体です。ところがイギリスが共同体からの離脱を決め、ほかの国でも「自国ファースト」の勢力が伸びているのです。
一方で、みなさん方のコミュニティカレッジのように、新しい共同体が生まれてきています。趣味なと、緩やかな結びつきを基盤にした共同体です。これまでのガチガチの共同体ではなく、緩やかな共同体です。共同体が崩れていく中で、このことは貴重な流れだと思うのです。
◆何も知らずに遍路へ
今から具体的なお話をしますが、中身はみなさん方が経験し、そう思っていることを、再確認してもらうためのものです。そのことを私は、私自身の遍路の体験を通してお話してみようと思っています。2つの結論のうち、最初は出会いと共同体についてです。遍路をしながら、そのことをつくづくと感じたからです。
私は1995年の末に、初めて遍路をしました。阪神大震災があった年です。きっかけは何かというと、酒の勢いなんです。
その年の秋、友人でノンフィクション作家だった柳原和子さんと酒を飲んでいました。柳原さんは取材して書く作家でしたが、自分ががんになり、自身のがんをテーマに書くようになりました。「がん患者学」という、患者側からの書いた本が売れたので、あるいは知っている方がいるかもしれません。2008年に亡くなってしまいましたが。
酒飲み話の中で、柳原さんが若い時に歩き遍路したことを明かし、「とても印象に残った」と話したのです。私は酒の勢いで、「僕も行ってみるわ」と言いました。私は約束を守る方なので、しばらくして遍路に出ました。
まだ毎日新聞の現役記者だったので、取材名目で2泊3日ずつ自転車で。先輩記者が体力作りのために自転車に乗っていたのですが、新しい自転車を買ったので、古い方をくれたのです。それを活用しました。
遍路のことは何も知らず、勉強もせずに出かけました。ひどい話です。何せ、第1番・霊山寺に着いて、「あっ、みんな数珠を持っている」と気づいたくらいですから、不届きな遍路です。もちろん、経本も持っていませんし、般若心経も唱えることなどできません。
霊山寺から2番・極楽寺に向けて自転車をこいでいると、道端に数珠が落ちていました。これ幸いと、その数珠を拾って使うことにしました。最低の遍路ですね。
◆虚往実帰
もう1度、霊山寺に戻ります。私は自分の体たらくを芳村超全住職に話しました。残念ながら亡くなってしましましたが、話の好きな住職でした。住職が教えてくれた言葉に、私は救われました。「虚往実帰」という言葉です。これは空海が唐の国に渡った時のことを表現しているのだそうです。
空海は遣唐使の一員で、最澄と同じ時に唐に行きました。最澄が国費留学生だったの対し、空海は私費留学生という違いがあります。
「虚(むな)しゅう往(ゆ)きて、実(み)ちて帰る」。住職はそう読んで、説明をしてくれました。「空海は何も持たずに唐へ行き、たくさんの物を持ち帰った」。私も何も持たず、何も知らずに遍路に出たのですが、遍路をしているうちに、たくさんのものを得るだろう。そう教えてくれたのです。
つまり、何かを始めてみることが、大事だということでしょう。確かに遍路を経験して、たくさんのものを得たような気がします。もちろん、空海には及びませんが。