「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会会長、梶川伸「遍路と寛容」

 《元新聞記者らが主催して、精神科医の野田正彰さんを囲む会が12月3日、関西学院大学梅田サテライトでありました。野田さんは、日本人の国民性に潜む排外主義的なものを、精神病理学から分析しで講演しました。その講演の関連で、2014年に起きた韓国人先達や私がかかわっている「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会に対する誹謗・中傷やいやがらせと、そのことへの対応を、主催者から頼まれ約20分話しました。その報告に修正・加筆したものを掲載します。読みやすいように中見出しをつけ、写真も入れましたました。》




◆歩き遍路に理由を聞かない


 事例の報告をするに際して、前提として知っておいていただきたいことがあります。歩き遍路には、その理由を聞かないという不文律があるのです。自分から話せば別ですし、四国には話したくなる雰囲気もあるので、実際には理由を知ることは多いのですが、あえてこちらからは聞かないということです。

 なぜ、理由をきかないのでしょうか。それは聞いたとして、その人の思いや心の底に沈めているものを、聞いた人が引き受けることはできないからです。

 ということは、四国を歩いている人は誰でも、それだけで認めるということです。そんな寛容さが四国にはあります。


◆心の共同体
 もう1つは、お接待という風習です。お接待はお遍路さんをもてなすことです。大抵の場合は、一期一会の出会いですが、その出会いを大事にするのです。

 どんな人かもわからない人との出会いがほとんどで、受容の心、寛容の心に根ざしていると言っていいと考えます。ですから私は、「さまざまな共同体が崩れていっている中で、遍路道の周辺には心の共同体がある」と感じています。


◆ボランティアで進めるヘンロ小屋プロジェクト

 ヘンロ小屋プロジェクトに関する話なので、このプロジェクトの簡単な説明をしておきます。遍路道沿いに、お遍路さんが足休めをする東屋のような簡単な休憩所「ヘンロ小屋」を作る活動です。徳島県出身の建築家、歌一洋さんが提唱し、2001年に建設が始まり、これまでに56棟が完成しました。

 孤軍奮闘している歌さんをバックするため、2006年に「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会ができ、歌さんと一緒に小屋づくりを進めています。

 小屋づくりは土地探しから、地元に合わせた歌さんの設計、資金集め、維持管理まで、すべてボランティアです。建設費は地元の方々の善意、支援する会の会費、会への寄付金をあてています。資金が足りない時は、地元の方々や会員が手作りすることもあります。

 義援金による小屋づくりなので、支援する会は毎年1回総会を開き、会計報告と事業報告を行っています。

 総会は大事なことではありますが、それだけでは面白くも何ともありません。そこで総会はごく簡単にすませ、遍路に関する講演会やシンポジウムを開いています。


◆韓国人女性が総会で講演

 2014年3月1日に第8回総会を開きましたが、その時の講演の講師は韓国ソウル市に住む女性でした。四国88カ所霊場を4回歩いて巡り、2013年12月に、外国に住む女性で初めて、四国八十八ヶ所霊場会の公認先達になったからでした。

 この女性と、私たちの会にたいする中傷やいやがらせが、今回報告する事柄です。新聞でも何度も取り上げられたの、ご存じの方がいるかも知れません。

↑総会兼講演会の様子



◆ハングルをターゲットに

 誹謗・中傷の手段の1つは、SNSを使って直接的に彼女に向けられたものでした。同時に、中傷ビラが四国のあちこちに張られたのです。報道によると、30カ所を超えようです。

 どうも文書の内容は、「遍路は日本固有の文化であり、外国人が先達になるのはおかしい」ということのようですが、文言としては「大切な遍路道を朝鮮人の手から守りましょう」という表現でした。

 もっと具体的な言葉は、「朝鮮人たちが気持ちの悪いシールを四国中に張り回っています」です。彼女は韓国人遍路のために、遍路道にハングルで書いた道しるべのステッカーを張っていたのです。攻撃者はそれに目をつけました。「無断で張っている」というのが、理屈です。

 もちろん、断りなく張った場所もありました。しかし、ステッカーや道しるべを張ったり取りつけたりしているのは、彼女だけではありません。近所の人やお遍路さん、遍路道の地図を作った人たちが、たくさん設置しています。この善意によって、歩きのお遍路さんは助かっているのです。ハングルのステッカーだけを攻撃対象にしていることに、中傷ビラを張った人(人たち)の意図が見て取れます。

 外国からのお遍路さんは増えています。私の実感では、台湾、韓国からのお遍路さんが若干多いように思いますが、ヨーロッパのフランス・イギリス、オーストラリア、アメリカからのお遍路さんも目立つのです。

 それなのに外国人への中傷ビラは、韓国人の彼女に対するものだけです。それはなぜでしょう。

 13番札所・大日寺の住職にも中傷が続きました。先達になるには、どこかの札所の寺を通じて申請しなければなりません。彼女はこの寺を通じて申請したのです。そのため、「なぜ彼女を先達にしたのか」という攻撃が寺に向けられました。

 住職は韓国の女性だったのです。夫の住職が亡くなり、その後を継いだのです。韓国人の女性先達と韓国人の女性住職。この共通点を、攻撃対象として選んだのではないでしょうか。


◆意思を持った排他主義

 中傷ビラの攻撃者は、彼女がステッカーを張った理由を知りません。彼女はたくさんの四国の人やお遍路さんに支えられ、お接待を受けて歩き遍路できたと感じ、遍路という文化に触れて心を動かされました。韓国でグループを作り、遍路へと導いているのです。その働きかけもあって、韓国からお遍路さんが増えています。そのためのステッカーです。それは攻撃するべき対象なのでしょうか。

 最初に「歩き遍路には理由を聞かない」と言いました。彼女への中傷という関わりは、それとは正反対です。理由を思いやる気持ちも欠けています。寛容や受容の心はなく、意思を持った排他主義と言えるのではないでしょうか。


◆ヘンロ小屋へも張り紙

 私たちのヘンロ小屋にも、中傷ビラが何枚も張られました。それには理由があるような気がします。1つは、総会で彼女に講演をしてもらったので、彼女への攻撃の延長線上のターゲットとしたのではないでしょうか。

 思い当たる理由がもう1つあります。総会の際、彼女は「韓国と日本で寄付金を集めをして、休憩所を1つくりたい」と提案したのです。私たちは提案に賛同し、「日韓友情のヘンロ小屋」をつくることに動き出していました。このことを攻撃者が知っていたかどうかはわかりませんが、やがて新聞でも報道されるようになったので、攻撃者にとっては絶好のターゲットになったのでしょう。支援する会の事務局にも、いやがらせメールが届きました。


◆プロジェクトとしての対応

 ヘンロ小屋に中傷ビラが張られたことから、支援する会としても何らかの対応が必要となりました。そこで役員会で論議して会として見解を出すことにし、ホームページに掲載しました。それを読み上げます。

 「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」が建設したお遍路さんのための休憩所「ヘンロ小屋」に、朝鮮人排斥の趣旨とも考えられるビラが張られていたことは、大変残念なことです。

 遍路や、お接待の文化は、支え合い、助け合い、感謝し合うことが根底にあり、その上でお互いを認め合う文化だと、「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会は考えます。お遍路さんと四国のみなさん、お遍路さん同士も、この気持ちが結び付けていると思います。それは平和を求める文化だとも言え、排斥や中傷は、遍路とは相いれないものです。

 だからこそ、多くの人々が四国に行き、遍路をするのではないでしょうか。外国人のお遍路さんが増えているのも、そのためだと考えます。

 支援する会は、そんな考えが日本中に、世界中に広がっていくのを願って、活動を続けています。その1つの取り組みとして、日韓の有志が志を持ち寄って、「日韓友情のヘンロ小屋」をつくる計画を進めています。残念ながら現在、日本と韓国の関係が良いとは言えません。そんな時だからこそ、日韓の友情を育む草の根の活動必要ではないでしょうか。――以上が声明です。


◆攻撃者を攻撃しない

 声明を出すにあたっての議論の中で、意思一致したことがあります。ビラを張った人(人たち)に反撃しない、攻撃しないということでした。もし、そうしてしまえば、私たちの中に攻撃者と同じ攻撃性があることを示してしまうと考えたからです。

 ヘンロ小屋には、お遍路さんらが自由に書くノートが置いてあります。49号・ひじ川源流の里(愛媛県西予市)にもあって、そのノートにも誹謗・中傷する落書きがされました。


◆対案を示す

 支援する会は反撃しない代わりに、攻撃者の考えへの対案を強調することにしました。それが日韓友情のヘンロ小屋です。

 正式名称はヘンロ小屋53号・茶処みとよ高瀬で、日韓友情のヘンロ小屋は愛称です。香川県三豊市高瀬町に建設しました。

 建設費は日韓で寄付集めをしたのですが、彼女が韓国で集めたのが約90万円、支援する会が日本で集めたのが約40万円。私たちの方が負けてしまいました。

 小屋は総会から8カ月後、2015年11月に落成式をしました。完成までは、地元で維持管理してくださる方々に攻撃が及ばないよう、注意を払いました。三豊市役所の職員も、見えない攻撃者の動きの予兆がないか、警戒してくれました。

 私たちもなるべく刺激しないようにし、愛称の日韓ヘンロ友情のヘンロ小屋という呼称を強調せず、正式名とのセットで使うように努めました。攻撃に屈したわkではありません。混乱を回避するための手段でした。


◆月2回のお接待

 日韓友情のヘンロ小屋は無事完成しました。地元の方々が「おせっ隊」というグループを作り月に2回、お遍路さんにお菓子やお茶を出すお接待をしています。小さな小屋ですが、日韓にかかわらず、四国と外国を結ぶ交流の場となっています。

 小屋には世界地図が張ってあり、訪れたお遍路さんの出身地に印をつけています。これこそが、偏狭な排他主義への対案ではないでしょうか。

 おせっ隊グループの一員が11月3日のお接待の模様を、SNSで発信していました。「おせっ隊ただいま終了しました。きょうは、一日どんよりとした日でしたが、イタリア、ルーマニア、大阪、ニュージーランド、フランス、アメリカ、不明3、計8のお遍路さんが立ち寄ってくれました」

↑日韓友情のヘンロ小屋でのお接待

↑日韓友情のヘンロ小屋に張られた世界地図



◆子どもたちのアンチテーゼ

 次は大人のひどい攻撃に対して、心を痛めた子どもたちのアンチテーゼの例をお話します。徳島県阿南市に、ヘンロ小屋3号・阿瀬比があります。その近くの山口小学校の子どもたちです。

 総合学習の時間を使って地元のことを学ぶ授業で、遍路を取り上げました。ちょうど新聞に彼女へ誹謗・中傷が載っている時期で、ヘンロ小屋にも中傷ビラが張られていたことを知ったからです。

 児童たちは「白い衣を着て同じように回っているお遍路さんなのに、差別するのはおかしい」と考えました。そこで行動に出ます。

 遍路用品を手作りして売り、4万円の資金を作りました。それを使って、阿瀬比の小屋のそばに、道標を建てたのです。道標には、日本語とハグル、英語、中国語の4つの国の言葉で、「お遍路さんがんばってください」と書いたのです。

 児童たちの「白い衣を着て同じように回っているお遍路さんなのに」は、ごく自然の思いだと思いますし、偏狭な排他性とは逆の寛容の心がそこに見られのではないでしょうか。

↑児童たちの道標設置



◆遍路墓を守る

 ヘンロ小屋49号・ひじ川源流の里の近くの多田小学校も、総合学習授業で遍路をテーマにしました。小屋のノートに、彼女をバッシングする文章が載っていたことがきっかけです。

 授業を進めるうち、指導の先生が遍路墓を調べて児童に話しました。西予市内の笠置峠には、亡くなったお遍路さんを弔う遍路墓が7つあります。そのうちの1つは明治38(1905)年に建てられたものでした。調べているうち、墓は新潟県佐渡島の女性のもので、今でも地域の人が世話をしていることもわかったのです。

 遍路と地元の結びつきを、子どもたちは知ったのです。遍路の途中で病死した人も、遍路道の人は手厚く葬ったわけで、寛容の精神の表れではないでしょうか。

↑ヘンロ小屋49号・ひじ川源流の里内部



◆見えないものの強さと怖さ

 ヘンロ小屋プロジェクトは、「お遍路さんのための休憩所をつくりたい」という私たちの思いだけで成り立っています。その思いに賛同していただいた方に支えられています。思いは目に見えるものではありません。それでも56棟を建設できました。

 そこで感じたのは、見えないものの方が力があるのではないかということです。見えないものだからこそ、時空を超えて広がることができると思うのです。日韓友情のヘンロ小屋の計画が、日本と韓国という国境をこえて広がったのも、そのためです。実態のある「物」だと、そうはいきません。移動は簡単なことであなく、実物を見せるのもままなりません。

 一方で、私たちの中傷やいやがらせによって、見えないものの怖さも知りました。中傷ビラや中傷落書きが四国全体に展開されたこと考えると、1人が抱いた偏狭な排他主義が他の人へと広がっていったのでしょう。


◆1カ月のマジック

 四国の遍路道にある心の共同体や、寛容・受容の心をもっともっと大事にしていく必要があると考えます。幸い、2014年以降、攻撃は目立たなくなりました。反対に、四国を回る外国人のお遍路さんは増えています。排他主義とは反対の道が、四国や遍路道にはあるように感じるのです。

 彼女の講演の翌年の総会で、カナダ出身の大学教師、モートン常慈さんに講演をお願いしました。外国からのお遍路さんに聞き取り調査をした結果も話しました。「遍路は1カ月のマジック」。それが外国人遍路の印象だそうです。

 遍路は結願まで約1カ月かかります。その間は、「心の共同体」の一員となった心地よさを表現しているのだと、私は解釈します。寛容と受容の心がもたらしたマジックなのです。


戻る