◇全部の小銭が入った小銭入れ
さらに、同じ道で車が止まりました。今度は軽トラックではなく、普通の車です。50代くらいの男性が下りてきて言うのです。「お遍路さん、四国のいいところは、遍路の格好をしていると、誰でも遍路です。名前も肩書も、どんな人生を送ってきたのかとか、性別も関係ありません。みんな平等で、『お遍路さん』って言います」「女房がね、遍路を前はしていたんだけど、病気でもう遍路に行かれなくなった。それで、お遍路さんのために、財布を作っている。これもらってもらえんか」と言われました。可愛い小銭入れでした。
私は名前をうかがって、いただいたんです。立江寺さんで、その方の代参をさせていただこうと思って小銭入れを開けると、全部の種類の小銭が入っていました。どういう風なものを買っても、自動販売機であってもいいように、そういう心配りの小銭が入っていました。そういう心配りで自分が優しくされると、ひとにも優しくしようということを教えられます。そうやって、育てられていくんです。
◇地元の人たちの見えない愛情
立江寺さんを過ぎてから、今度は太龍寺さんという山に入って行きます。そして平等寺さんに歩いて行くんですが、大根峠(おおねとうげ)という、「だいこん」ではなく、大根峠を通過します。これがとっても暗いんです。寂しいし、木の段差がすごく大きく、私みたいに小さい遍路にとってはすごく大変な道です。癒しの道を守る会というのが一生懸命整備をしてくださったんで、すごくきれいなんですね。だから暗いのに怖くない。
癒しの道を守る会の人たちがこうやって整備をしてくださったので、安心して歩いて行くことができます。よくテレビなどで、遍路の特集をされる時に、遍路道をあるいたりするところを映したりもされています。でも、テレビに映っている人以外に、たくさんの人が一緒に歩いているので、これは怖くありません。芸能人とか有名な方は、マスコミがついて行くんです。だから寂しくはありません。怖くもありません。
普通のお遍路さんが1人で歩く時は、とっても嫌な寂しい中を歩いて行くこともあるんです。それでも地元の人たちがそうやって整備してくださっている、そういう心が伝わると、安心して歩いて行くことができるんです。ゆっくり1人で歩いていても、見えないところにたくさんの愛情を感じて、そうして歩かせていただくことができるんです。
◇自費で造った遍路小屋
23番・薬王寺さんからは室戸岬に向かって国道55号線をズーッと、延々と歩いていきます。ここではたくさんのことを教えられました。おもしろいことに、同じ人に3回、家の前で会ったこともあります。その人の家の前を歩いていた時に、その人がたまたま庭仕事をしていて、あいさつをしました。翌年また、あいさつをしました。3年目もまた、という不思議なことがありました。
それから、「ふくなが」さんという喫茶店のところで、「お茶飲んでいきませんか」と言われたんですけども、雨が降っておりまして、私はちょっとでも早く先に行きたいと思ったので、「申し訳ありませんが、急いでいるので」と言って、本当はお接待を受けなければいけないのですが、そのまま行ったことがあります。
翌年、車遍路で行った時に、そこを訪ねさせてもらいました。その方はご自分で遍路小屋を造っていました。お遍路さんがそこで休んでいけるようにということで造ったのです。遍路小屋は歩いていると、いろいろな所にあります。このヘンロ小屋プロジェクトは、遍路小屋をもっともっと増やそうとしてくださっているんで、もともとは遍路小屋はそんなにあるものではありませんでした。それも。だいたいがトラック運転手さんが寝ていて、テーブルを塞いでいたりとか、あるいはお掃除していなかったりとか、ごみがいっぱい残っていたりとか、とても座れる空間でなかたりして、利用したくても利用できないような遍路小屋が、私が歩いていると多かったと思います
車の人が遍路小屋を占領していて、ちょっと怖くて入れないなといのもあります。座りたいな、ちょっと休ませてもらいたいなと、雨で雨宿りさせてもらいたいな、と思った時に、遍路が小屋に入れるように造ってもらうと、ありがたいことだと思いまず。
ふくながさんは自費で造ってくださったということで、そこでトイレも借りて、お茶も飲ませていただいて、すごくいい思いをさせていただいたんです。
◇牛乳瓶の一輪の花
遍路にとってトイレがとても大変なんですね。今はコロナ禍で、コンビニのトイレも借りれません。公衆トイレが何時間もないところがいっぱいあります。そのまま外でしちゃえばいいと言うかもしれませんが、1人やってもいいが、10人がやっちゃったら、大変なことになります。だから「遍路は嫌」ってことになってしまうので、絶対やってはいけないことなんですよ。
ズーッと我慢して、佐喜浜町というところに夫婦岩っていう2つの大きな岩がある場所がありまして、そこにトイレがあります。電気もない、手を洗う水もない。そういうトイレです。そのトイレに入ると、牛乳瓶に花がさしてあります。孤独な遍路の旅をずっとしてますと、この一輪の花が目にしみて、涙が浮かんできます。
日ごろ暮らしていて、一輪の花に涙を浮かべることはないと思います。1人で延々とあきるほど太平洋を見ながら、そして右側をビュンビュン車が通る道を、ズーッと歩いて行く。そういったところで入ったトイレに、お遍路さんのためにということで、たとえ一輪の花ではあっても、どんなにうれしいことか。そういうことを、遍路で経験できるんです。人の心がほんとにしみる。優しさが心にしみる。そういうことを教えられるのが遍路です。
◇歩き遍路の特権
そうして歩いて行きますと、青年大師像が右の前の方に見えてきます。大きなお大師さまで、私は何回行っても目に涙が浮かんできます。長かった、辛かった、足が痛かった、暑かった、寒かった。それがようやく室戸に到着するんです。
それが自信につながっていきます。この先、人生でどんな波風が来るかわからない。でも、私は室戸までに74キロを無事に歩いたんだ。人生の波風を絶対に乗り超えてやる。そういう自信がわいてきます。大丈夫だと、自分を励ますことができるんです。車でも大変なんですが、これが歩き遍路の特権なのかもしれません。
その室戸までの道を、4巡目までは全部歩きました。ところが5巡目の時に、足が痛いのが全然治らなかったんです。いつも歩き終えて宿に着きますと、白い湿布薬をベタベタ足に巻き付けて、熱を取らないといけないんですね。家に帰ってからも、湿布を巻き付けているんですが、痛みが取れない。でも、遍路だから痛いのは当たり前で、翌月また行ったんです。それで、もっともっと痛くなって帰ってくるんですが、遍路だから痛いのは当たり前で、また行くじゃないですか。で、どうにもならなくなるくらい、腰が痛くなりました。
◇遍路小屋のありがたさ
すぎもとさんという大きな会社をやっている人がいて、その会社の前に遍路小屋があるんです。そこは整備してくださっているので、とてもきれいな小屋なんです。そこでちょっと休み、それからまた歩きました。でも、どうしても痛くて、ついにしゃがみこんでしまいました。
バスが止まったんです。停留所だったんです。あまりにも痛いので、乗っちゃいました。乗った瞬間から、「ここまで歩いて来たのに、あと10キロなのに、歩けなかったがために、歩きじゃなくなってしまった」と後悔するんです。乗らなければ、ずっと歩けたと思うんですが。
元気にずっと歩いていても、お遍路さんは歩いているとどこかが痛くなります。特に前半は慣れていないので、どこかが故障します。故障しても、痛いのをこらえながら歩いて行くんですが、それがひどくなると、どうしても座りたくなる場所がほしくなる。
室戸までの道は、座る場所がとても少ないんです。雨が降ったら、座る場所はほとんどありません。どこか、お店に入りたいなあ、と思っても。ずぶ濡れだったらお店に迷惑をかけます。だから食事に入ることもできません。ずっと歩き続けます。
そういう時に遍路小屋があったら、とってもありがたいんです。そこで座らせてもらったり、一時でも休ませてもらったりすれば、本当にうれしいんです。だからいろんなところに遍路小屋があったらいいなと思うんです。そうやって、ようやく室戸にたどり着きます。
◇海と空
24番・最御崎寺さんの手前に御厨人窟(みくろど)という、お大師さまが修行されたと言われている、求聞持法を修行されたと言われている洞窟があるんです。ただ、そこは少し上がってきていていますが、お大師さまに時代には海と同じ高さだったんです。
そこからさらに4キロくらい先に、不動巌(ふどういわ)という場所がありまして、そこも素晴らしい景色の所で、180度開け、日が昇ると日が沈むのが見えます。そこの岩の上に座ると、足をブランブランさせるような場所で、そこでも修行されたと言われています。
ただ私は御厨人窟の前の室戸の海が大好きなんです。山崩れがあって、今は御厨人窟に入ることはできませんが、私が入った時、振り返って出ようとすると、「ウワー」って声が上がるくらい、きれいな景色が目の前にあるんです。空と海しか見えません。おわかりだと思いますが、弘法大師空海が自らを空海と名づけた場所が、この室戸の海だったと言われています。
あんまり空がきれいなので、この空の上、宇宙から自分を見下ろしたらどうなっているんだろう、と想像してみます。そうすると、自分がとってもちっぽけに思えるんです。周りを見渡してみますと、花が咲いています。木も生えています。カマキリが足のそばを歩いていきます。今、道を犬が通っていきました。宇宙から、天から見たら、みんな一緒に小さくみえるのだろうな、と思います。みんな同じだったら、みんなの命を大切にしなきゃいけないなと思うんです。みんな一緒だ。みんな命を大切にしてしている。みんな頑張って生きている。
◇空が笑っている
実は私は小学校のころ、いじめられていました。「死んで」と言われて、本当に死んだ方がまし、そういう毎日を過ごしていました。家の前に大きな空き地があって、草ぼうぼう、私の背丈ほどの草が生えている空き地があって、中に入って行ったらわからない、そういう空き地がありました。ある時、あんまり辛いので、「もう嫌だ」と思い、その中に入って行きました。泣きながら。私は救ってくれる人も、聞いてくれる人も1人もいませんでした。
私は小さい時から、両親からDVを受けて、殴られて育てられました。そういう家庭で育てられましたから、いじめのことも家族には言えません。先生はいじめっ子たちの見方です。いめているとは思っていませんから、優等生のあの子たちの言う通りになるので、先生にも相談できません。
クラスのみんなは、いじめっ子だとは知らないので、いじめっ子たちが人気者なのです。私が「いじめられている」と言っても、私は性格が暗いので、人気者の方を信じて、私の方を信じません。
草をかき分けて、泣きながら中に入って行くと、ぬかるんでいて、ビチャビチャになりました。小学生ながら、もう消えてしましたいと思ったんでしょうね。中に入っていって、虫がいたりして、カーデガンが草に引っかかったりして、中に入っていきました。
すると1カ所、土が乾いている場所に出ました。島のようになっているんです。ワーと思って、そこに乗りました。小学生の私が、寝そべることができる平地です。そこで寝そべっていました。大きな広い空が広がっていました。私は泣きながら、あいつら、いじめっ子のことを思っていました。
泣きながら空を見ると、空は笑っているように見えました。私は口には出していないけど、「あいつらこそ死ねばいいのにな。あいつらのことは大嫌い、大嫌い」というようなことを思っていた。思っていることは、死んだということと一緒。あの空のように笑ってみよう。そう思って体を起こしました。周りに花が咲いている。ちっちゃな雑草のような花です。誰も見ててくれないのにと思ったのですが、太陽は照らしてくれている。空も見てくれています。私も頑張ってみようかな、そういう勇気がわいてきました。
翌日から、「馬鹿」とか「死ね」とか言われるたびに、私は笑おうと努力をしました。今まで下を見ていた女の子が、笑うのは大変なことです。でも、何とか笑おうと努力しました。「馬鹿にたい」と言われました。ところがそのうちに、命を否定することだけは、言われなくなりました。
そのうちに中学生になりまして、いじめは終わりましたけども、私はあの時、空にまるで仏さまがいらっしゃったような、そんな出会いがあったのだと、今になると思います。
◇インドから、沖縄からの水滴が1つの海に
室戸に行って空を見ると、いつもあの子どもの時のつらかったこと、空に慰められたことを思い出します。遍路以外でも毎年、室戸の海を見に行きます。そこでズーッと1時間くらい見てますと、心がとても落ち着きます。室戸からエネルギーをいただいています。いつの間にか私は海に声をかけていました。
「海はどこから来たの」って。ある水滴はインドの方から来て、ある水滴は沖縄の方から来た。みんな仲良く手を取り合って、1つの海になっている。人もそうなればいいな、社会もそうなればいいな、と思います。そういうことを、自然が教えてくれるのが遍路なんです。
遍路に行かれている人もたくさんいると思いますが。行かれてない方はぜひ遍路に行ってみていただきたいと思います。自転車でも歩きでも、公共交通機関を使ってでも、それから観光バスでも。観光バスも楽じゃないんですね。
◇生かされている
どんな形でも遍路です。それを迎えてくれるのは、四国の人たちです。遍路をすれば、自分は生かされている、この遍路ができるのはいろんな人たちの愛情のおかげだということを感じていただけて、また生きる時の活力にしていただけたらと思います。
時間がきてしましまして、高知でおわりましたけども、あとは私の本を見ていただければと思います。