《「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会第15回総会兼記念講演会=徳島市・あわぎんホールでで2022年4月2日◇読みやすいように中見出しをつけ、写真も入れました。》
◇奇跡の出会い
お招きいただきましてありがとうございます。今日、用意してきた話があるんですけれども、その前に一言、昨日あった話から始めさせてください。
昨日、僕は焼山寺(12番霊場=徳島県神山町)に行っておりました。だから足が痛くてしょうがないんです。焼山寺であったことをちょっとお話してから用意してきた話を始めたいと思います。
遍路は2回目です。僕はさっき歩き遍路と言いましたけど、全部歩くんではなくて、バスと鉄道を使いながら区切りで、ちょっとずつ行っております。5泊6日、4泊5日ぐらいで一国ないし一国の半分ぐらいずつやってっていうことで 、3年前に初めて去年、結願したわけです。ですから焼山寺は辛さはわかっている、道はわかっているだろうとちょっと慢心していたのかもしれません。
神山町までバスで行くのですが、それに乗らなければ大日寺(13番霊場=徳島市)のすぐそばの宿に泊まれないと言うので、もう時間は決まっておりました。それに乗るために山の上を何時に出るか考え、余裕を持って出たはずなんですが、どこかで道を外してしまいまして、迷ってしまったんですね
どこで間違えたか、もちろんもう分かりません。確認しようがございませんが、なんか変だなと。それまであったお遍路のしるしが無いな。木が倒れていてちっとも歩き良くないし、前回はこんなことなかった。ちょっともう分かんなくなって、もう1回登るのも嫌になってしまって、降りていけば、林道にぶつかってバス停に行くだろうと考えて、それでどんどん行ったんです。けど全く見当がつきません。位置も分かりませんし、私はバカなことにナビというものを持っておりませんので、どこにいるのか分からなくなってしまって、本当に困り果ててしまいました。
文字もない。どこに居るのか、その決め手いうのがわからないから、持っているあの黄色い地図が役に立ちません。しかし何とか、ともかくだんだんと道がわかるようになってきます。人が居るところにだんだん近づいていくのは分かりました。
はじめはその木が倒れていて誰も通らないような道からちょっと太くなってくる、まず人がいそうだ。その次にもうちょっと幅が広くなる。それからやがて軽トラックが入れるような道になって、人家もちょっと見えてくる。廃屋があってその次、人家が見えてきて、それから舗装道路になって一番最後に県道にぶつかりました 。人里に来たなあという安心感をその時感じました。
でも果たして大日寺はどこにあるのか分かりません。焼山寺が山の方にあるのは分かるんですが、下りてっていいのかな、全く違う村に行ったらどうしようと心配して歩き始めていますと、後ろから車が通るんですが、その中で1台が止まってくれました。
何かと思いましたら、乗っていたのがその前の日、藤井寺(11番霊場=のそば)で一同宿だった、歩き遍路のあの方です。食事の時なんかにお話ししますよね。昨日どこで泊まりました、明日はどこまでいらっしゃいますか、なんて雑談して別れたわけです。その人は僕を発見して、「お宅さん、最終バス乗り遅れたんとちゃいますか?」「ええそうです」って言ってたら、神山をちょうど降りたところにある民宿の送迎の車でそのお客さん達と一緒に近くの神山温泉に送迎するっていうサービス中でしたから、「じゃあちょっと乗って行きなさいよ」って言ってもらい乗せてもらい、最終的にはその民宿の車で大日寺の前まで行くことができたんです。これ本当にご縁というか奇跡だなと思いまして、これこそ遍路の醍醐味ではないかと思いました。
◇人と人、モノとモノがつながっている
こういう体験談、いろんなお遍路体験記にあります。こう助けてもらったというような話がよくあるんですけれども、僕にとっては本当に昨日のその出会いっていうのが、全くその偶然の話です。そういう時に観光旅行だとそれ以上話がいかないわけですね。
(普通の旅行だと)しくじったバカなことしたなあと終わるんですけれども、お遍路をやってますと、それが人生訓になったり、考えるヒントになっていくというのがとても面白いことだと思います。運任せとかいうと無責任になってしまうかもしれませんが、世の中、誰かが助けてくれる、助けられるということがいろんなところで起きているんだろうなとその時思いました
私は宗教心があるわけではないんですが、どこかで人とつながっている、モノとつながっているということに、すごく満足感を感じています。それが遍路にだんだん深入りして行くきっかけとなりました。
僕は偏屈な男だもんですから、こういうGPSを持っていないわけですけれども、もしGPSが当たり前になったら、絶対に迷わないかどうかわかりませんが、人に道を聞く習慣がなくなるかもしれません。それが良いのか悪いのかよく分かりません。
昔は知らない人に声を掛けました。どうしてますとか、なんかそんなことありましたけれども、昨今は人に声をかけると変質者っていうか、あんまり声をかけてはいけないし、答えてはいけない。子どもも、「知らない人から声かけられたら逃げなさい」って言われている。そういうことがだんだん一般化していって、それが便利かもしれない。
みんな調べればわかるから便利かもしれないけど、それでいいのかどうか。別に人生訓を語るわけではありませんが、それでいいのかどうか、ちょっと疑問に思いました。ともかくこの焼山寺であったことをもうこうしたことが、このレクチャーをするご縁になっているのかもしれないなあなと考えることがありました。
私とそのもう1人の同宿者と一対一、本当に小さな個人の一瞬の出会いです。けれども、こうしたミクロな途中の場所で人が縁を得るっていうのが繋がり繋がって、何十億というと大げさかもしれませんが、もっと大きな世界に何かはつながっているんではないかというふうなことを、お遍路しているとよく感じます。またこんな話をやるのは遍話で皆さんもたくさんお持ちでしょうから、後で聞かせてもらえれば、きっと話が膨らむんではないかと思います。
◇遍路を始める三つのきっかけ
では、なんでお遍路を始めたのかというところからちょっとお話をしたいと思います。僕の周りには誰も遍路に強く関心を持ってる人はおりませんでした。友達にも回ったとか、遍路行ってたとか打ってきたという人がいないので、非常に奇妙に京都では思われておりますけれども、こんなことから始めました。
一番初めの動機は、京都の博物館で一遍上人絵巻の展覧会に行く機会がありました。国宝です、教科書にもありますし、どこでも画像なら見られます。その中に愛媛県の岩屋寺の三つの針の山の上に祈るところがあります。そこに祈る場所があって、非常に印象深かったんですね。
こんなとこに、はこんな地形があるのかっていうだけでびっくり。ちゃんと写真で見てたかもしれないけども、一遍上人の人生の一部として、そういうだからこう奇跡が起きる霊性がある、けども、一遍上人の人生の一部として、そういうだからこう奇跡が起きる霊性がある、こう煌めく瞬間、きらめくような地形があるんだ、そこで祈ったんだあの人は。立派なもんだなあと面白そうだなと思いました。2016年か17年か。
僕2020は年が定年退職の年でしたから、退職後は普段できないこともやってみたいなと、マイプロジェクトって何かないかななどと考えました。(展覧会の)同じ年か、翌年でした。お遍路さんっていうのは面白いかもしれない。やったことがない岩屋寺行っても面白そうだし、四国を回ってみてもいい。四国には友達が何人かおりますから、その友達に会いに行くだけでもいいかもしれないと考えました。これが二つ目です。
三つ目はですね、2019年の秋口に徳島出身で現在、東京川崎に住んでいる大親友がおりまして、その大親友が徳島の実家に戻って、スダチと甘いものを送ってきて、メッセージが入っていました。そのメッセージで、「お時間があったら徳島にお越しください」なんてありました。社交辞令です多分。それ以上の気持ちはなかったと思いますが、じゃあ行ってやろうじゃないかと、こっちは本気で今考えまして、じゃあ何日後にこれこれの ホテルに行くから会いましょうというわけで、徳島に行きました。
◇2021年3月結願
その時初めて、お遍路さんの観光ガイドっていうのを買いました。そして、計画を考えました。何時ごろに着いて、その初日にこうやって回ると半日で4番まで回れて、徳島に帰って、日帰り半日で帰ってホテルに泊まり、彼に会う。2日目も5番の近くまで行って、トントントンと行って、そこの藤井寺のそばに泊まろう。藤井寺に泊まって、それから焼山寺に行って、その次の日に5カ所参りをして、今回やったのと似たようなルートで3泊4日泊。遍路に集中するってよりは自分の友達に会う楽しみを込めながら、ぐるっと回っています。
最初、徳島県の北側のあたりを回りました。その時に先ほどの焼山寺で、9月だったかな、ものすごいところで本当に疲れました。くじけそうになりましたが、何とか越えてみると達成感もありました。
5ヶ所参りの大日寺からこちら(徳島市)の17番(井戸寺)まで歩くのは気持ちがよくて。その日すごく天気が良かったので気持ち良くなって、その第1回目のお遍路さんから帰ると、もう次はいつ行けるのかなと思い、自分の手帳に日程を入れていく。
いろいろな仕事の都合があって全部を通しでやることができません。そういう短い旅で出張先の先へとつないで行くということで、2年かけて2021年、去年の3月に香川県で結願致しまして、5月に高野山にお礼まいりに行きました。その話が歌(歌一洋=ヘンロ小屋プロジェクトの主宰者)さんと繋がり、ここ(講演)に繋がったわけですね。
◇コロナに感染して切迫感が
実は歌さんと僕とは5、6年前に元勤めていた僕のところのスタッフを通して知り合うことができましたが、その時にはお遍路さんの話はほとんどしなかったと思います。僕は多分言われても多分ピンと来なかったと思うんですけども、なんかの都合でお遍路さんやりましたよ、なんて言ったらピンと色んな反応が来まして、それでまあ巡り巡って今日のこのレクチャーに繋がっているわけですですから、自分が勉強してきたこと、お遍路さんの話をしようとかでなく、感想、雑感、そんなことしかできません。
もう一つ、何で今回の焼山寺かって言いますと、そうそう大事な事を忘れていました。1回目を始めたらもう一つの1番の大きな理由は2019年、お遍路さんを始める少し前にうちの母親が亡くなりました。93歳。最後の数年はほとんど何も分かりませんでした。その話は長くしませんが、亡くなってみるとやっぱり非常に喪失感もあり、なんかしたいなとかそんな気持ちも涌きまして、だから先ほどの徳島の友達からのメッセージなどと相乗効果をもたらして始めたわけです。
れが3年前になるで、今回ちょっと事情は違います。歌さんからの話は半年ぐらい前にいただきました。徳島に行きたいなあ、と思ったのですが、人前で話すの苦手であんまり変な話しかできないかもしれないけど、お遍路プロジェクトにはお世話になってるんで、「お話します」って伝えました。最初の考えでは前の日に泊まって、本日は1番から4番ぐらいまで、翌日はそし頑張って19番立江寺に立ち寄り半日がかりで行ってみようと考えていました。
けれども、2月の末に実は私、コロナに感染しまして、ちょっと苦しみました。私よりも妻の方がかなり、もっと苦しみまして、2週間ぐらい床から離れられませんでした。そういうふうな事情になりますと、やはり人生のことを考えます。どっちかが先に死んでいくんだな、見送るんだな、先に見送られるんだなと。変な言い方ですが、どっちの方が幸せなのかとか、同時にっていうのは難しいなあとか。どんな事情になるのか分からないので、介護の事とか、映画で見たり話を聞いたりしてますけれども、ちょっと切迫感がわいてきました。
そんな気持ちもあって、体が元気なうちになんとか焼山寺をもう1回見ておきたい、もう1回あの体験しておきたいと考え結局、今回は水曜日330日に到着して、明日まで回るっていう4泊5日の旅となりました。発心といえば発心ということになりますが、なんて言うのかな、うまくやっているのかもしれません。こういうレクチャーを口実に2巡目を始められるっていうのが、とても僕にとっては何か嬉しいことです。
◇歩くことで心の重さを置いていく
お遍路さんのいいところは、多分どこにも書いてありますけれども、やはり昔からの道を歩いているっていう安心感は他に代えがたいと思います。少なくても500年くらいは同じ道、同じようなそのままの道を歩いているわけではないでしょうけど、ぐるっと回っていたっていうのは、何かこう歩いている時の気持ちが違います。昔の人とつながりを感じます。それから歩いてる皆さんお遍路さんの格好をしており、それ格好だけと言われるかもしれませんが、僕の場合、それまでそんなにお寺さんと縁がなかったので、あの格好して歩いていると、皆さんが同じ仲間に見えてしまいます。
そういう歩き巡礼っていうのは他にないことだろうと思います。でもそういう人たちと一緒に同じよう、それぞれの思いでこうやってぐるっと回っているんだと、わざわざわざわざ歩いてるんだ、その気持ちもすごく安心感となります。そういう人たちのとの信頼感というのを与えてくれるものです。
それから心を洗う心を磨くっていうふうなことが、お遍路さんのことがメッセージの中にあります。確かに心の健康、健やかさというのに、僕の場合にはすごく貢献してるんだと思うんです。もう一方で体の健康にもいいということもよく言われますし、僕もこうやって歩けるうちに歩いておきたいと思うから、今回もこういう気持ちになったわけです。
直接知り会ったわけではないのですが、ものすごい人がいまして、昨日の宿の女将さんが言うには、1日で1番から大日寺まで40キロ50キロ、それを歩いて来たんだっていう30代の人がいたんだそうです。これは記録ですねひょっとしたら。世界記録かもしれませんねなど、と夕食の時にちょっと冗談でお話ししてました。普通はこことここに泊って、普通は3泊目というんです。ちょうど歩いてきた同じ道を歩いてきた者として、その人の健脚ぶりにおどろいたことがあります。
それから先ほど僕を拾ってくれた藤井寺の民宿の同宿者っていうのは、若い頃はマラソンが好きだったそうです。でも年をとってからウォーキングとかいって50キロ歩くようなものを決めてある。そういうトレッキング、ウォーキングって言うんですか、昔は競歩というんですか、それに趣味を持っている人で、お遍路さんもいつかやってみたいと思っていたそうです。その人の言うには遍路道は1200キロある、30キロのペースで歩くから、40日で行くんだと言っていました。山道があるから、それはないだろうと言うと、「そうか山道のことは考えていなかった」と言うような、ちょっとびっくりするような770台後半ぐらいのおじいさんと宿で知り合いました。
僕はゆっくり歩いて、ああだこうだものを考えるのが性分なもんですから、心のことを考えてますが、それと同時に身の健やかさ、心身の両方、身の方を中心にしたことも考えました。親のことを考えている人も歩いている。これもまた面白いことで、歩くだけで僕自身は心の方に重きを置いてしまうんです。両方兼ねてやっているような場所っていうのはやっぱり他にないことだろうと思います。
◇死者のことを考える旅
それからお接待のことです。歌さんの話にもありましたが、これも大きなお遍路さんの特徴で、いいところだと思います。まちの人に挨拶される。小学生、中学生が自転車に乗りながら、ご苦労様ではなく、「こんにちは」とか色んなこと言ってくれます。道端のミカンをもいでいけって、おじいさんに言われて、それをお昼ごはんのフルーツにしたりなんていうこともある。
都会を歩いている限りは、都会の郊外の歩いてたって、そんなことを聞きません。やっぱりこの場所もあるいは遍路しているっていうことの特別な意味だろうと思います。まっさらな普通の格好して歩いていても、多分何も起きない交流だろう思います。
何でお遍路さんは特殊なのか。やはり巡礼というのは、観光旅行や仕事の旅と違って、信心の旅であるし、その死者と死んだ人とのことを考える旅なんじゃないのかと思います。
僕が言うのも口幅ったいんですけれども、死んだ人と生きている我々が、死んだ人々を生きている我々が整理をする、そういうのが宗教だろうと思います。別の人が宗教の本に書いてあったことなんですけれども、歩きながらいろいろ死んだ友人や家族や普段思い出さないような人のことを考えているっていうのが、とても大事、大事とかすごく心が洗われるっていう言い方、そういうところにあるのかなと思います。結局いつか私たちは見送られる側に立つわけなんですけれども、見送る時のいろいろの作法を自分で考えていくのが信心だろうし、宗教だろうし、お遍路している人は善根を積んでいる、そういうことを常々考えます。
うちの母親、それから父親は戦中派になります。父親は1923年生まれ。戦争で人生のむなしさを覚え、雑に生きて来てたわけじゃありませんけども、いろんなことで友人が死にと言うようなことを経験していたせいなんでしょうけども、ものは残したくない、どうせ焼けてしまうんだしなというような言い方をしてました。75歳、1998年にある病気で亡くなっているんですけれども、生前からともかく散骨してくれって、そういう希望でした。要するに永代(供養)などというものがなくても、死んだらお終いだからあとは勝手にしなさいというようなメッセージだったんだろうと思います。
そんなことを40代の僕と一生懸命話すわけありません、もっと話を聞いておけばと思うのは、もう亡くなって10年、20年経ってからです。母親も同じようにしてくれと言うことで、結局私達が葬式をせずに散骨で済ませました。
海に骨を正式な手続きをとって散骨にしたわけですけれども、そのものがないというか、そういう位牌がないとか何もないです。結局妹が母親をずっと介護して最後、見送ったわけなんですけれども、やっぱり兄妹であの時、母さんこれこれしてたねとか、ああだったねとか色々、母親の写真を見ながら思い出し、話すことが多いです。何かすごく直接的にその親の話をしていると言う気が、僕と妹とかなり話をしていますね、それがいいのか悪いのか、これは皆さんのそれぞれの気持ちなんですけれども、何かそういう直接見送っている気がしております。
もともと父親はですね、三重県に細川家の墓っていうのがあったんです。代々の墓というのがあったんですけれども、亡くなる3年ぐらい前ですかね、それをたたむとそういう会を細川家の兄弟親戚を集めて、お寺の人を呼んで儀式をしたしました。それで永代供養と自分で勝手に。
細川家代々の墓はないので自分で、お墓を作るなら作りなさい、私たちがかつて住んでいた町に墓地があるんですけども、そんなとこじゃないだろう、あるいは墓地というもの自体がどうもそぐわなかったので、結局は本人がどっかで見つけてきた散骨自然葬の会というのに入って今言ったような手続きをしました。ですからお遍路をしながらでも、墓とは別の形で、あの人たちのことを思い出しています。
それからもちろん親ばかりではなくて、何で死者のことばかり思い出されるんだろう。60年、前に会ったことのない親戚っているわけなんですが、そういういとこっていうのはどんな人だったんだろうとか、あるいは若死にした友人のことを思い出したり、歩いているとそんなことばかりが思い出されます。
◇遍路っで頭が入れ替わる
ひょっとしたら暗い性格なのかも知れませんね僕は。普段の生活ではそんな亡くなった人のことなんて本当に考えない。前向いて生きているものの、我々の毎日のことで精いっぱい。ルーティーンをこなしていくので精一杯。ところが、お遍路さんやって5泊6日ぐらいなんですが、その間全く頭が入れ替わっているような気が致します。
景色も刻々変わって、お寺に行くたびに違う趣があります。そこでお線香、ろうそくを立てると、そこの向こう側に別の世界があるような気がして。経本を見ながら般若心経を唱えると、ちゃんと意味は分かっていると言いませんが、唱えているっていうことが体にいいなあと感じます。こんなことはあんまり言ってはいけないのかもしれませんけど、唱えているとちゃんとしてくるんですね。お遍路さん以外のところでは唱えないことですから、さっき言った心身の健康、健やかさにつながっているんだろうと思います、案内のガイド本を購入、数冊最近になって読んでるだけなんですけれども。
ずっと信心の深いグループ、ご夫妻が般若心経やはり唱えている、なんか1度も会ったことないけども、その人たちと同じことをしている、今で言うと共有している、そういう気持ちがわいてきて、それもどんどん縁が広がっていく一つのきっかけになります。