国際日本文化研究センター名誉教授、細川周平さん「「死者に親しむ旅―お遍路雑感」

 《「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会第15回総会兼記念講演会=徳島市・あわぎんホールでで2022年4月2日◇読みやすいように中見出しをつけ、写真も入れました。》


◇奇跡の出会い

 お招きいただきましてありがとうございます。今日、用意してきた話があるんですけれども、その前に一言、昨日あった話から始めさせてください。

 昨日、僕は焼山寺(12番霊場=徳島県神山町)に行っておりました。だから足が痛くてしょうがないんです。焼山寺であったことをちょっとお話してから用意してきた話を始めたいと思います。

 遍路は2回目です。僕はさっき歩き遍路と言いましたけど、全部歩くんではなくて、バスと鉄道を使いながら区切りで、ちょっとずつ行っております。5泊6日、4泊5日ぐらいで一国ないし一国の半分ぐらいずつやってっていうことで 、3年前に初めて去年、結願したわけです。ですから焼山寺は辛さはわかっている、道はわかっているだろうとちょっと慢心していたのかもしれません。

神山町までバスで行くのですが、それに乗らなければ大日寺(13番霊場=徳島市)のすぐそばの宿に泊まれないと言うので、もう時間は決まっておりました。それに乗るために山の上を何時に出るか考え、余裕を持って出たはずなんですが、どこかで道を外してしまいまして、迷ってしまったんですね

 どこで間違えたか、もちろんもう分かりません。確認しようがございませんが、なんか変だなと。それまであったお遍路のしるしが無いな。木が倒れていてちっとも歩き良くないし、前回はこんなことなかった。ちょっともう分かんなくなって、もう1回登るのも嫌になってしまって、降りていけば、林道にぶつかってバス停に行くだろうと考えて、それでどんどん行ったんです。けど全く見当がつきません。位置も分かりませんし、私はバカなことにナビというものを持っておりませんので、どこにいるのか分からなくなってしまって、本当に困り果ててしまいました。

 文字もない。どこに居るのか、その決め手いうのがわからないから、持っているあの黄色い地図が役に立ちません。しかし何とか、ともかくだんだんと道がわかるようになってきます。人が居るところにだんだん近づいていくのは分かりました。

 はじめはその木が倒れていて誰も通らないような道からちょっと太くなってくる、まず人がいそうだ。その次にもうちょっと幅が広くなる。それからやがて軽トラックが入れるような道になって、人家もちょっと見えてくる。廃屋があってその次、人家が見えてきて、それから舗装道路になって一番最後に県道にぶつかりました 。人里に来たなあという安心感をその時感じました。

 でも果たして大日寺はどこにあるのか分かりません。焼山寺が山の方にあるのは分かるんですが、下りてっていいのかな、全く違う村に行ったらどうしようと心配して歩き始めていますと、後ろから車が通るんですが、その中で1台が止まってくれました。

 何かと思いましたら、乗っていたのがその前の日、藤井寺(11番霊場=のそば)で一同宿だった、歩き遍路のあの方です。食事の時なんかにお話ししますよね。昨日どこで泊まりました、明日はどこまでいらっしゃいますか、なんて雑談して別れたわけです。その人は僕を発見して、「お宅さん、最終バス乗り遅れたんとちゃいますか?」「ええそうです」って言ってたら、神山をちょうど降りたところにある民宿の送迎の車でそのお客さん達と一緒に近くの神山温泉に送迎するっていうサービス中でしたから、「じゃあちょっと乗って行きなさいよ」って言ってもらい乗せてもらい、最終的にはその民宿の車で大日寺の前まで行くことができたんです。これ本当にご縁というか奇跡だなと思いまして、これこそ遍路の醍醐味ではないかと思いました。

 
◇人と人、モノとモノがつながっている

 こういう体験談、いろんなお遍路体験記にあります。こう助けてもらったというような話がよくあるんですけれども、僕にとっては本当に昨日のその出会いっていうのが、全くその偶然の話です。そういう時に観光旅行だとそれ以上話がいかないわけですね。

 (普通の旅行だと)しくじったバカなことしたなあと終わるんですけれども、お遍路をやってますと、それが人生訓になったり、考えるヒントになっていくというのがとても面白いことだと思います。運任せとかいうと無責任になってしまうかもしれませんが、世の中、誰かが助けてくれる、助けられるということがいろんなところで起きているんだろうなとその時思いました

 私は宗教心があるわけではないんですが、どこかで人とつながっている、モノとつながっているということに、すごく満足感を感じています。それが遍路にだんだん深入りして行くきっかけとなりました。

 僕は偏屈な男だもんですから、こういうGPSを持っていないわけですけれども、もしGPSが当たり前になったら、絶対に迷わないかどうかわかりませんが、人に道を聞く習慣がなくなるかもしれません。それが良いのか悪いのかよく分かりません。

 昔は知らない人に声を掛けました。どうしてますとか、なんかそんなことありましたけれども、昨今は人に声をかけると変質者っていうか、あんまり声をかけてはいけないし、答えてはいけない。子どもも、「知らない人から声かけられたら逃げなさい」って言われている。そういうことがだんだん一般化していって、それが便利かもしれない。

 みんな調べればわかるから便利かもしれないけど、それでいいのかどうか。別に人生訓を語るわけではありませんが、それでいいのかどうか、ちょっと疑問に思いました。ともかくこの焼山寺であったことをもうこうしたことが、このレクチャーをするご縁になっているのかもしれないなあなと考えることがありました。

 私とそのもう1人の同宿者と一対一、本当に小さな個人の一瞬の出会いです。けれども、こうしたミクロな途中の場所で人が縁を得るっていうのが繋がり繋がって、何十億というと大げさかもしれませんが、もっと大きな世界に何かはつながっているんではないかというふうなことを、お遍路しているとよく感じます。またこんな話をやるのは遍話で皆さんもたくさんお持ちでしょうから、後で聞かせてもらえれば、きっと話が膨らむんではないかと思います。

 
◇遍路を始める三つのきっかけ

 では、なんでお遍路を始めたのかというところからちょっとお話をしたいと思います。僕の周りには誰も遍路に強く関心を持ってる人はおりませんでした。友達にも回ったとか、遍路行ってたとか打ってきたという人がいないので、非常に奇妙に京都では思われておりますけれども、こんなことから始めました。

 一番初めの動機は、京都の博物館で一遍上人絵巻の展覧会に行く機会がありました。国宝です、教科書にもありますし、どこでも画像なら見られます。その中に愛媛県の岩屋寺の三つの針の山の上に祈るところがあります。そこに祈る場所があって、非常に印象深かったんですね。

 こんなとこに、はこんな地形があるのかっていうだけでびっくり。ちゃんと写真で見てたかもしれないけども、一遍上人の人生の一部として、そういうだからこう奇跡が起きる霊性がある、けども、一遍上人の人生の一部として、そういうだからこう奇跡が起きる霊性がある、こう煌めく瞬間、きらめくような地形があるんだ、そこで祈ったんだあの人は。立派なもんだなあと面白そうだなと思いました。2016年か17年か。

 僕2020は年が定年退職の年でしたから、退職後は普段できないこともやってみたいなと、マイプロジェクトって何かないかななどと考えました。(展覧会の)同じ年か、翌年でした。お遍路さんっていうのは面白いかもしれない。やったことがない岩屋寺行っても面白そうだし、四国を回ってみてもいい。四国には友達が何人かおりますから、その友達に会いに行くだけでもいいかもしれないと考えました。これが二つ目です。

 三つ目はですね、2019年の秋口に徳島出身で現在、東京川崎に住んでいる大親友がおりまして、その大親友が徳島の実家に戻って、スダチと甘いものを送ってきて、メッセージが入っていました。そのメッセージで、「お時間があったら徳島にお越しください」なんてありました。社交辞令です多分。それ以上の気持ちはなかったと思いますが、じゃあ行ってやろうじゃないかと、こっちは本気で今考えまして、じゃあ何日後にこれこれの ホテルに行くから会いましょうというわけで、徳島に行きました。

 
◇2021年3月結願

 その時初めて、お遍路さんの観光ガイドっていうのを買いました。そして、計画を考えました。何時ごろに着いて、その初日にこうやって回ると半日で4番まで回れて、徳島に帰って、日帰り半日で帰ってホテルに泊まり、彼に会う。2日目も5番の近くまで行って、トントントンと行って、そこの藤井寺のそばに泊まろう。藤井寺に泊まって、それから焼山寺に行って、その次の日に5カ所参りをして、今回やったのと似たようなルートで3泊4日泊。遍路に集中するってよりは自分の友達に会う楽しみを込めながら、ぐるっと回っています。

 最初、徳島県の北側のあたりを回りました。その時に先ほどの焼山寺で、9月だったかな、ものすごいところで本当に疲れました。くじけそうになりましたが、何とか越えてみると達成感もありました。

5ヶ所参りの大日寺からこちら(徳島市)の17番(井戸寺)まで歩くのは気持ちがよくて。その日すごく天気が良かったので気持ち良くなって、その第1回目のお遍路さんから帰ると、もう次はいつ行けるのかなと思い、自分の手帳に日程を入れていく。

 いろいろな仕事の都合があって全部を通しでやることができません。そういう短い旅で出張先の先へとつないで行くということで、2年かけて2021年、去年の3月に香川県で結願致しまして、5月に高野山にお礼まいりに行きました。その話が歌(歌一洋=ヘンロ小屋プロジェクトの主宰者)さんと繋がり、ここ(講演)に繋がったわけですね。

 
◇コロナに感染して切迫感が

 実は歌さんと僕とは5、6年前に元勤めていた僕のところのスタッフを通して知り合うことができましたが、その時にはお遍路さんの話はほとんどしなかったと思います。僕は多分言われても多分ピンと来なかったと思うんですけども、なんかの都合でお遍路さんやりましたよ、なんて言ったらピンと色んな反応が来まして、それでまあ巡り巡って今日のこのレクチャーに繋がっているわけですですから、自分が勉強してきたこと、お遍路さんの話をしようとかでなく、感想、雑感、そんなことしかできません。

 もう一つ、何で今回の焼山寺かって言いますと、そうそう大事な事を忘れていました。1回目を始めたらもう一つの1番の大きな理由は2019年、お遍路さんを始める少し前にうちの母親が亡くなりました。93歳。最後の数年はほとんど何も分かりませんでした。その話は長くしませんが、亡くなってみるとやっぱり非常に喪失感もあり、なんかしたいなとかそんな気持ちも涌きまして、だから先ほどの徳島の友達からのメッセージなどと相乗効果をもたらして始めたわけです。

 れが3年前になるで、今回ちょっと事情は違います。歌さんからの話は半年ぐらい前にいただきました。徳島に行きたいなあ、と思ったのですが、人前で話すの苦手であんまり変な話しかできないかもしれないけど、お遍路プロジェクトにはお世話になってるんで、「お話します」って伝えました。最初の考えでは前の日に泊まって、本日は1番から4番ぐらいまで、翌日はそし頑張って19番立江寺に立ち寄り半日がかりで行ってみようと考えていました。

けれども、2月の末に実は私、コロナに感染しまして、ちょっと苦しみました。私よりも妻の方がかなり、もっと苦しみまして、2週間ぐらい床から離れられませんでした。そういうふうな事情になりますと、やはり人生のことを考えます。どっちかが先に死んでいくんだな、見送るんだな、先に見送られるんだなと。変な言い方ですが、どっちの方が幸せなのかとか、同時にっていうのは難しいなあとか。どんな事情になるのか分からないので、介護の事とか、映画で見たり話を聞いたりしてますけれども、ちょっと切迫感がわいてきました。

 そんな気持ちもあって、体が元気なうちになんとか焼山寺をもう1回見ておきたい、もう1回あの体験しておきたいと考え結局、今回は水曜日330日に到着して、明日まで回るっていう4泊5日の旅となりました。発心といえば発心ということになりますが、なんて言うのかな、うまくやっているのかもしれません。こういうレクチャーを口実に2巡目を始められるっていうのが、とても僕にとっては何か嬉しいことです。

 
 ◇歩くことで心の重さを置いていく

 お遍路さんのいいところは、多分どこにも書いてありますけれども、やはり昔からの道を歩いているっていう安心感は他に代えがたいと思います。少なくても500年くらいは同じ道、同じようなそのままの道を歩いているわけではないでしょうけど、ぐるっと回っていたっていうのは、何かこう歩いている時の気持ちが違います。昔の人とつながりを感じます。それから歩いてる皆さんお遍路さんの格好をしており、それ格好だけと言われるかもしれませんが、僕の場合、それまでそんなにお寺さんと縁がなかったので、あの格好して歩いていると、皆さんが同じ仲間に見えてしまいます。

 そういう歩き巡礼っていうのは他にないことだろうと思います。でもそういう人たちと一緒に同じよう、それぞれの思いでこうやってぐるっと回っているんだと、わざわざわざわざ歩いてるんだ、その気持ちもすごく安心感となります。そういう人たちのとの信頼感というのを与えてくれるものです。

 それから心を洗う心を磨くっていうふうなことが、お遍路さんのことがメッセージの中にあります。確かに心の健康、健やかさというのに、僕の場合にはすごく貢献してるんだと思うんです。もう一方で体の健康にもいいということもよく言われますし、僕もこうやって歩けるうちに歩いておきたいと思うから、今回もこういう気持ちになったわけです。

直接知り会ったわけではないのですが、ものすごい人がいまして、昨日の宿の女将さんが言うには、1日で1番から大日寺まで40キロ50キロ、それを歩いて来たんだっていう30代の人がいたんだそうです。これは記録ですねひょっとしたら。世界記録かもしれませんねなど、と夕食の時にちょっと冗談でお話ししてました。普通はこことここに泊って、普通は3泊目というんです。ちょうど歩いてきた同じ道を歩いてきた者として、その人の健脚ぶりにおどろいたことがあります。

 それから先ほど僕を拾ってくれた藤井寺の民宿の同宿者っていうのは、若い頃はマラソンが好きだったそうです。でも年をとってからウォーキングとかいって50キロ歩くようなものを決めてある。そういうトレッキング、ウォーキングって言うんですか、昔は競歩というんですか、それに趣味を持っている人で、お遍路さんもいつかやってみたいと思っていたそうです。その人の言うには遍路道は1200キロある、30キロのペースで歩くから、40日で行くんだと言っていました。山道があるから、それはないだろうと言うと、「そうか山道のことは考えていなかった」と言うような、ちょっとびっくりするような770台後半ぐらいのおじいさんと宿で知り合いました。

 僕はゆっくり歩いて、ああだこうだものを考えるのが性分なもんですから、心のことを考えてますが、それと同時に身の健やかさ、心身の両方、身の方を中心にしたことも考えました。親のことを考えている人も歩いている。これもまた面白いことで、歩くだけで僕自身は心の方に重きを置いてしまうんです。両方兼ねてやっているような場所っていうのはやっぱり他にないことだろうと思います。

 
◇死者のことを考える旅

 それからお接待のことです。歌さんの話にもありましたが、これも大きなお遍路さんの特徴で、いいところだと思います。まちの人に挨拶される。小学生、中学生が自転車に乗りながら、ご苦労様ではなく、「こんにちは」とか色んなこと言ってくれます。道端のミカンをもいでいけって、おじいさんに言われて、それをお昼ごはんのフルーツにしたりなんていうこともある。

 都会を歩いている限りは、都会の郊外の歩いてたって、そんなことを聞きません。やっぱりこの場所もあるいは遍路しているっていうことの特別な意味だろうと思います。まっさらな普通の格好して歩いていても、多分何も起きない交流だろう思います。

 何でお遍路さんは特殊なのか。やはり巡礼というのは、観光旅行や仕事の旅と違って、信心の旅であるし、その死者と死んだ人とのことを考える旅なんじゃないのかと思います。

 僕が言うのも口幅ったいんですけれども、死んだ人と生きている我々が、死んだ人々を生きている我々が整理をする、そういうのが宗教だろうと思います。別の人が宗教の本に書いてあったことなんですけれども、歩きながらいろいろ死んだ友人や家族や普段思い出さないような人のことを考えているっていうのが、とても大事、大事とかすごく心が洗われるっていう言い方、そういうところにあるのかなと思います。結局いつか私たちは見送られる側に立つわけなんですけれども、見送る時のいろいろの作法を自分で考えていくのが信心だろうし、宗教だろうし、お遍路している人は善根を積んでいる、そういうことを常々考えます。

 うちの母親、それから父親は戦中派になります。父親は1923年生まれ。戦争で人生のむなしさを覚え、雑に生きて来てたわけじゃありませんけども、いろんなことで友人が死にと言うようなことを経験していたせいなんでしょうけども、ものは残したくない、どうせ焼けてしまうんだしなというような言い方をしてました。75歳、1998年にある病気で亡くなっているんですけれども、生前からともかく散骨してくれって、そういう希望でした。要するに永代(供養)などというものがなくても、死んだらお終いだからあとは勝手にしなさいというようなメッセージだったんだろうと思います。

 そんなことを40代の僕と一生懸命話すわけありません、もっと話を聞いておけばと思うのは、もう亡くなって10年、20年経ってからです。母親も同じようにしてくれと言うことで、結局私達が葬式をせずに散骨で済ませました。

 海に骨を正式な手続きをとって散骨にしたわけですけれども、そのものがないというか、そういう位牌がないとか何もないです。結局妹が母親をずっと介護して最後、見送ったわけなんですけれども、やっぱり兄妹であの時、母さんこれこれしてたねとか、ああだったねとか色々、母親の写真を見ながら思い出し、話すことが多いです。何かすごく直接的にその親の話をしていると言う気が、僕と妹とかなり話をしていますね、それがいいのか悪いのか、これは皆さんのそれぞれの気持ちなんですけれども、何かそういう直接見送っている気がしております。

 もともと父親はですね、三重県に細川家の墓っていうのがあったんです。代々の墓というのがあったんですけれども、亡くなる3年ぐらい前ですかね、それをたたむとそういう会を細川家の兄弟親戚を集めて、お寺の人を呼んで儀式をしたしました。それで永代供養と自分で勝手に。

細川家代々の墓はないので自分で、お墓を作るなら作りなさい、私たちがかつて住んでいた町に墓地があるんですけども、そんなとこじゃないだろう、あるいは墓地というもの自体がどうもそぐわなかったので、結局は本人がどっかで見つけてきた散骨自然葬の会というのに入って今言ったような手続きをしました。ですからお遍路をしながらでも、墓とは別の形で、あの人たちのことを思い出しています。

それからもちろん親ばかりではなくて、何で死者のことばかり思い出されるんだろう。60年、前に会ったことのない親戚っているわけなんですが、そういういとこっていうのはどんな人だったんだろうとか、あるいは若死にした友人のことを思い出したり、歩いているとそんなことばかりが思い出されます。

 
 ◇遍路っで頭が入れ替わる

 ひょっとしたら暗い性格なのかも知れませんね僕は。普段の生活ではそんな亡くなった人のことなんて本当に考えない。前向いて生きているものの、我々の毎日のことで精いっぱい。ルーティーンをこなしていくので精一杯。ところが、お遍路さんやって5泊6日ぐらいなんですが、その間全く頭が入れ替わっているような気が致します。

 景色も刻々変わって、お寺に行くたびに違う趣があります。そこでお線香、ろうそくを立てると、そこの向こう側に別の世界があるような気がして。経本を見ながら般若心経を唱えると、ちゃんと意味は分かっていると言いませんが、唱えているっていうことが体にいいなあと感じます。こんなことはあんまり言ってはいけないのかもしれませんけど、唱えているとちゃんとしてくるんですね。お遍路さん以外のところでは唱えないことですから、さっき言った心身の健康、健やかさにつながっているんだろうと思います、案内のガイド本を購入、数冊最近になって読んでるだけなんですけれども。

 ずっと信心の深いグループ、ご夫妻が般若心経やはり唱えている、なんか1度も会ったことないけども、その人たちと同じことをしている、今で言うと共有している、そういう気持ちがわいてきて、それもどんどん縁が広がっていく一つのきっかけになります。

 

↑講演する細川名誉教授


◇死者は究極の他者

ある宗教学者、元々僕の勤めていたところにいた仏教学者、宗教学者が言うにはですね、死者っていうのは究極の他者なんだと。ぴったりと理解し合うっていうのは大事なんですけれども、理解しあえたらもう他者じゃないんだから、そうやって理解しあう。理解しようとして最後まで残るのが死者ではないか。だから宗教っていうのはとても基本いうか、根本的な活動なんだというふうに言っています。

 成仏と言いながらも、日本人は別に成仏、悟りを開いているわけでもない。それから死者に見守られているということを祈りながら考える、感じる正念する。そこに宗教の根本的な価値があるんだろう、信心の価値があるんだろうと。

ですからその墓地というのがまあ死者のためにという作られた空間ではなくて、生きている私たちが死者を想うための空間だと。これは別に新しい説でもないと思いますけれども。

墓地に行ってお経を聞き、頭を下げていると亡くなった人のこ思うわけです。けれども、果たしてそこに細川家の墓だって先祖代々ずっと、どこまで遡れるかというと、想像力は自分の父か祖父ぐらいまでしか行きません。

 その向こうに誰がいたのか。もちろん1度も会っていませんから、そんなその先のことを考えよ、供養せよっていうとな何かつらいんです。それもあって多分父親が墓はいらないんだと言ったんだろう。これは想像なんですけれど、結局、死の瞬間、あるいは死しいというのを経験できない、だから今それを何とか埋め合わせをする。

 
 ◇死者が呼びかけてくる

 いつか来るっていうのは子供でも知っているわけなんですが、それが何だか全然わからないでも、それをなんとか理解しようとして、その信心というのが生まれる。宗教家やいろんな人がそういうこと言ってきて、そういう歴史は人が心を持った時からずっとあるわけです。

 日本なら縄文時代の頃から、道具などを作って何かをこう敬い、弔っていた。死んだら野っ原に放っておかないでちゃんと穴を掘り、敬意尊敬をこめて。皆さんも考古学で勉強してきたことでしょう。何か精神活動する限り一番の根本になるもの、そういう宗教は昨今に限りませが、、どんどんどんどん見えなくなってきている。そういう時にお遍路っていうのは別格の行動パターンだし、行動の形じゃないかって僕は思います。それを3年前に初めて感じてグッときました。

 死者っていうのは究極の他者で、もう口もきかない、姿を見せないっていうことは分っています。けれども、だから僕らが呼びかけても答えはしてこないけれども、答えはしないが無関係ではないということだから、その死者が我々に呼びかけてくるんだ そういう事を皆さんも経験があるでしょうね。単なる空想じゃなくての死者、空想じゃなくて我々の存在を揺るがすほど大きいこともあると、信念って深いんだと思います。

 あるいは夢の中に現れることは僕にもよく実はよくあります。夢のお告げで、「周平よ、あれせよこれせよ」なんていうことは。そんな強いことはめったにないんですけれども、何か自分の親しかった人が現れて、全然想像もつかないような状況の中で、ぼくと話す誰かと話す。あり得ないことをなんですが、何かメッセージを送っているんだろうと、目が覚めたときに思って、「あれ、何であいつ出てきたんだろう、何してたのかな、そういえばあいつが死んでもう20年か経っいるのか」ということで、残っている家族にメールを送ったりして。私が話をすると「えっ、細川さんってそんな人だったんですか」みたいな返事が来たりしますが、それで全然会っていない友人家族と、コンタクトがあるとなんか気持ちが嬉しくなりますね。

 それが母親父親だったりする家族、おじさんおばさんだったりする場合もある。そうなると何だかわからないけど、やっぱりその日は何かある思いで、半日ぐらいをずっとあるわけですよ。

それもやはり宗教と夢と違いますけれども、死者がどうやってコミュニケーション、生きている人間に生きている人間が当事者同士のコミュニケーションをしているのか、一つの例じゃないかと、すごくわかりやすい話だろうと僕には思います。

 ◇整理をつけてくれる

 お遍路さんでよく思うのは何だろうな、見送るっていうことをよく思いますね 。我々何人もの人を送る、年を取れば取るほど送るわけなんですけれども、どうやったらきっちり送れるのかということ、お遍路さんをしながらよく考えています。 考えているっていうのはまるでなんかで考え込んでは道端に座り込んでる感じる印象を与えるかもしれませんが、そうじゃなくて歩きながら、ちょっと前に読んだ般若心経の人生訓の話を読んだことを思い出したり、友人の顔を思い出したりしながら、どうやったらその人達と 、彼らを彼女らを思い出をちゃんと思い出せるのか、ということです。

 敬意を持ってその亡くなった人と付き合うにはどうしたらいいのか。普段そんなことを考えてたら車にはねられてしまいますけれども、普段と違う心の考えでそうした自分の過去あるいは人とのつながりを持てるというのは、やはりこの巡礼の特別なことだろうと思います。

 例えば有名なお寺に行くたびに寺宝を見る、庭園を見る、建物を見る、まあそういう寺めぐりっていうのがあろうかと思います。それは行って帰ってくるだけです。どんな気持ちを持っていても、やはり観光的なところがあります。けれどもお遍路っていうのは、寺と寺の間を巡って行きます。そういう決まりのある移動っていうか旅なわけですね。

 その寺と寺の間で世俗にまみれたっていいんですけれども、やはり普段歩いていると、知らない町を歩いていると、やはり心構えが違ってきて、それが心を磨く心を洗うっていうことに繋がると僕には思えます。 邪念を払うという方もありますね。でも何かここでああだこうだと考えていたことが歩いているうちに、亡くなった人はこうやってこういう程度でいいんだと、生きている彼とは彼女とはこうしていこうというのは、いろいろな人間関係の整理を付けてくれるようなところがあります。

 ある哲学者が言うにはですね、人間というのは「人のあいだ」なんだと。だからほかの国の、英語なり中国なりと違うんだと。だから間をきっちりつける関係、歌さんの発表にもありました関係性というのをきっちりつけないと人間にはならないんだと、そういうことをある哲学者が言っているんです。その際に、やっぱり言葉っていうのは基本なんですね。細かい感情というのはやはり言葉だろうと思うんです。そういった言葉、言葉でこう呼びかけたり呼びかけられたりすること、それが人間との間を作っている。

 その呼びかけの作法とか呼びかける内容、それを信心と我々は呼んで、それを体系化すると宗教になっていくんじゃないかというふうに、ぐるっと回りながら考えていました。だから人の間で人と人の間の規則だから、硬く言うと倫理ですかね、そういうものをちゃんときちんとせなあかんなと。

それを大きく広げていくと、社会の全体の問題になる戦争いうのは、あの災害の時にどう人は振る舞うかという、巨大なもう極大の場面となります。ニュース見てて、結局もともとその極小の場面の人と人の間が繋がり、繋がってああなっていくんじゃないかと、そんな気を僕は時々思います。あんまり偉そうな口をきくわけじゃありませんけれども。

 
 ◇仏様は生き物全体を見ている

 お遍路さんをやって、初めて仏教の入門書などを読みました。あの仏様が動物、生き物全体を見ているんだ、人間だけじゃないんだっていうのをいろんなところで説いているというのが、僕は気に入っているところです。

 あの仏滅の時、人もその他に動物もみんな悲しんでいるわけですね。こういう信心のあり方、生き物の見方っていうのがとても仏教的で、違うのかも知れませんが、そんな感覚でほかの宗教、大きなところではキリスト教、イスラム教などの動物観などと違うなと思います。

 別にお遍路さんの仏像の中にそういうことがあるわけでありませんが、元々が多民族信仰とうまく結びついて、仏教がすごく心になじむっていうところもすごくおもしろいところだろうと思います。ゴリゴリの戒律というところだけじゃなくて、生活に普段の人の人の考え方になじむ前からあった考え方や習慣に習いに、ぴったり沿って混じっていったといいうところが仏教の成功だろうし、それが今こうしてお遍路っていう形で人が実践、行動としてうまく生き残っている理由じゃないだろうかと思います。

 この巡礼というのは先程、、死者を思う忘れない行動だと言いました。そして気持ちの整理をつけるのにこうした時間ほど大事なものはなくて、生きている人間だけのことをフワっとした感覚だけで生きている。

 人の都合であれこれ考えるから結構横暴になり、暴力を含む暴力的なことになるわけだが、死者を思うあるいは忘れないということも我々の行動に考え、きっちりなじませると言われて人は謙虚になっていくんじゃないか。そうしたことをお遍路さんをやっていると感じます。

お接待というのもそれの具体的な現れだろうと思います。僕がもらったおじいさんからもらったミカン一つだって、そのそういうことが現われているんだと思います。みかんだって勝手になってるわけじゃない、そのじいさんなり、家族の人が世話してるから今年はこうやってできました、ありがとうございます。そういう気持ちが旅をしながらぐるぐるぐるぐるっていうか、お寺を巡りながらすごく高まってくる。

 
 ◇時間調整できる場所は貴重

 皆さんのプロジェクト、はそういう人を助けているということは間違いありません。今回のこの旅だと初日ですね、先ほど写真が出ていた三木元首相の土成の土地に建てられた土成のヘンロハウス(ヘンロ小屋57号・土成=徳島県阿波市)、2日目にちょうどあそこを過ぎる時に雨が降り出したもんですから、その小屋の軒先を借りて、僕は着るものを替えたり、いろいろ装備を雨様にするのに役立ちました。見てただ前を通り過ぎるよりも具体的にとても役に立ちました、本当にありがとうございます。

 また切幡寺(10番・切幡寺=阿波市)の近くのヘンロ小屋は、寺に登る時はまあ何んとか頑張って登るんだけど、帰る時にちょっとここで一休みという時に、ちょうどいい場所にありますね。そこで休んでから回っていくっていう、タイミングがちょうどよかったですね。

 どこそこで時間調整ができる、一休みできる場所っていうのは、歩いてる人間にはとても貴重です。ですから歌さんのプロジェクトがもっともっと栄えるように祈っております。

 僕がお遍路さんに興味を持ったのは60代の半ばです。まさに高齢化し老化が始まり、死というのが身近になった、見送られる側にだんだん近づいているんだっていう意識が強くなってきた、そのことと無関係ではないと思います。

 母親の死が一つの大きなきっかけだったと言いましたけれども、その次はどうなるのか、自分なのか、そんなことを遍路しながら考えたりもしています。どうでしょうか、3時半になりましたが一応ここで僕の話を終わり皆さんにご縁、こんなご縁があったとかそんなお話をしてもらう方がよろしいんじゃないですか。

 僕が話せるというのはこんなことですねあどうもありがとうございました。失礼しまし、た雑感で終わってしまいました。



 ◆細川周平さん略歴◆1955年大阪生まれ。国際日本文化研究センター名誉教授。近代音楽史、日系ブラジル文化史が専門。 主要著書に「サンバの国に演歌は流れる」「遠きに ありてつくるもの」(読売文学賞研究評論部門)「近代日本の音楽百年」(芸術選奨・文部科学大臣賞評論等部門受賞、ミュージック・ペンクラブ音楽賞ポピュラー部門受賞)。2021年歩き遍路結願。



↑細川名誉教授の講演



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