ンポジウム「遍路、遍路文化,お接待の継承」

 《四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト第1回交流会(2025年3月15日、香川県すべて丸亀市市民交流センタ−・マルタス)でのシンポジウム◇読みやすいように中見出しをつけ、シンポの写真も入れました》


↑シンポジウムの様子


◇パネリスト
・宮崎史郎さん=ヘンロ小屋53号茶処・みとよ高瀬(日韓友情のヘンロ子屋=香川県三豊市)の建設・お接待を推進
・原真由美さん=徳島県阿南市立山口小学校教諭(ヘンロ小屋3号阿瀬比=阿南市=を総合的な学習の教材に)
・坂田洋子さん=親子で歩き遍路、スペインの巡礼の道踏破
・歌一洋=
一般社団法人(非営利)四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト代表理事
◇コーディネーター
   ・亀山啓司・四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト香川支部長

《最初に各人がそれぞれの取り組みについて話しました》
◆遍路のトレードマークを修正しながら
【亀山啓司】
 私は亀山啓司と申します。歌(一洋)先生と支援する会(「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会=2024年10月1日に一般社団法人<非営利>四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクトに改組)にご縁がございまして、プロジェクトを進めているところでございます。
 プロジェクトで、お遍路さんが歩くマーク、人が支え合うトレードマークがあります。いま、スライドで見てもらっています。(映像を示す)
 ドライブしている時、何かあれば修正して回っています。また各県がやっているのですが、トイレのマークがあれば、入りやすいと思います。こういうシールはあちこちで見受けられると思います。
 また、香川県内のヘンロ小屋(四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクトが建設を進めているお遍路さんのための休憩所)で何かイベント、お接待活動がある時に、「四国遍路を世界遺産にしませんか」という動きをしています。
 私は環境省、林野庁、国土交通省、内閣府と一緒にSDGsというものを、どういう風に持っていけばいいか、というところで、環境、経済、社会のそれぞれの課題を解決し、持続可能な作るにはどうすればいいか、ということにかかわっています。具体的にこういう看板をよく見るんですが(SDGsのマーク)、いま細かい数値目標を出しているところなんです。
   私自身をヘンロ小屋プロジェクトに誘ってくださった方は、ある団体の方です。奈良県立大学地域創造学部の方なんですけど、自分探しの旅という卒業論文を執筆していました。
 ごく最近では、香川県の方で、「心をつなげて四国は一つ 四国遍路を世界遺産に」が2月15日に開催されたところです。私はweb会議で参加していました。

◆環境、社会、経済の三重ケーキ
 環境省が作りあげた流れがあります。どんな目標でもいいんですが、中央に目標を掲げ?て、それにいろいろな要素があって、プロジェクトを進めていくんだよというところを、環境、社会、経済というところから考えているんです。これが地域曼荼羅で、四国88カ所の曼荼羅とからませてやっています。そして、地方や地域のありたい姿を入れて、一生懸命考えているところです。
 改めてみると、このSDGs、最終はこの17番パートナーシップで、目標を完成しましょう、ということになるんです。では、ヘンロ小屋プロジェクトはどれに当たるんだろうと最近、よく考えています。
 結婚式場でウェディングケーキがあります。ウェディングケーキの1番足元は環境の輪、次は社会の輪、そして経済を上に持ってきます。ただし、環境がよくないと、何も社会で育たない。そいうのがあってこその経済、社会ではなないか。世界で認めているウェディングケーキ、SDGsの流れです。採取的なゴールは、17番のパートナーシップで、目標を達成しましょうというながれです。
 いま、各企業、個人、さまざまな団体が、これを考えて動いてるところです。そのチームに大きく分けて属しています。
 それから、質の成長なのか、あるいは数を増やしていくのがいいのか、そういったところは私はクエスチョンマークを持っているところです。
 私は2拠点居住です。環境省には公開したのですが。香川県多度津町山科1612、未来亭という看板をかかげさせてもらっています。船岡山未来プロジェクト環境組織を2022年に発足しまして、SDGs四国です。そちらの啓蒙団体にまず入りました。ほんとの田舎の中で、未来世代の小学生、中学生、高校生、大学生と、どんなことをやっていこうかということで、連帯したり協働して、したり、地域の循環構成系を考えます。いま現在としては、四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト香川支部を兼任させていただしています。

◆環境をベースにして経済を
 まだ第5段階に来たところで、若者住体験チャレンジの場を作るということで、空き家対策を考えています。さまざまな活動をしているんですが、環境をベースにして経済をどうやっていくかを考えているところです。
 私が常に手元に置いているのは、総合司会をしていただいた柴谷宗叔・四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト理事の著書「江戸初期の四国遍路 ―澄禅『四国辺路日記』の道再現―」です。読んでいて今と昔のことが心に絵が浮かぶんです。この本は船岡山のプロジェクトの仲間にも見せています。本当にいろいろなことを調べられいるなと思って、大好きな本とさせてもらっています。
 そして現在考えているのは、こんなことが起こったらいいな、ということです。これまでのヘンロ小屋プロジェクトの活動記録、さきほどの歌先生の話にあったヘンロ小屋ノート(ヘンロ小屋に置いてあるノートで、お遍路さんらが自由に書き込む)をまとめられないか、そうしたら広報しやすいと考えています。

◆ヘンロ小屋を修理、会員が動かなければ
 昨年は香川県内のヘンロ小屋が相当傷んでいるという連絡が役所関係からございまして、すべてを調査して、直せるところは大阪の本部と連絡して直していったところです。ただ、残念だったのは、ヘンロ小屋プロジェクト香川支部の会員さんが何人いるか知らない。動いたのはすべて船岡山未来プロジェクトの環境整備隊と子育て隊。その方々の協力を依頼しました。やっぱり会員さんに動いてほしいです。情報がほしいです。
 四国遍路の重要な価値、要素なんですけど、支え合う、これが1番です。私は別途、民生委員をしています。全国的に支え合う住みよい社会、地域の輪を作りましょう、ということをスローガンとして掲げています。こんなところと、ヘンロ小屋プロジェクトは通じるな、と考えています。
 仏教界の曼荼羅は精神世界のつながりですが、つながりと行動を重視するSDGsのアプローチとつながるであろうということで、先ほどの曼荼羅図を作っていったわけです。
 私は仕事をしながら、人生を考え直しています。64歳になりました。住まい地は人口が増えています。ただ、先ほどのプロジェクトの住まい場所は10軒ほどしかない。おじいちゃん、おばあちゃんが暮らしている。これを何と応援かせんといかんな、と2拠点居住にしたわけです。たまにですけど。そこで、人生ドラマを考えて、現在の住まい地の方は若い者がいっぱい増えているので、問題ないですけど、ふるさとチーム(船岡山)は非常に大きな課題があります。
 このあたり、大師信仰があり、「台風来ないでね」とお大師さんに唱えたりしていて、一般的な日常生活の中にしみこんでいると思います。それと、様々な講中が生き得ています。どんどん広げていこうかなと思っているんです。

◆空き家対策を
 4月1日に香川県と話をしながら、ここまで来ました。地域一般社団法人香川県空き家対策連合会を立ち上げます。現在、私たちの小さいグループ30人くらいと、各会社さんも入って100の体制で立ち上がっています。遍路道沿いの空き家の活用をしてくれないか、というお話も受けています。四国の人間として、世界遺産登録に協力したい、ということです。
 改めて世界遺産シンポジウムを振り返ったんですけど、大きな流れの中でさまざまな方々の絶え間ない努力している。もし、四国お遍路さんの道が世界遺産になるとしたら、大事な要素はお接待文化と同行二人の考え方で、それを世界にアピールしていけたら、ほかのところとちょっと違うことができてくるよ、という話でした。そういうことも含めて、遍路道沿いの田んぼの中にいすを設置しました。いい風景が残っているよ、ということを何とかつないでいこう、草刈りもみんなで頑張ってやろうという意味で、ベンチを設置しました。

《ここから、コーディネーターとのやりとりも含まれます》


【宮崎史郎さん】
◆小屋を維持する難しさ
 私は三豊市の高瀬町の出身でございまして、ヘンロ小屋でいいますと、白井病院さんのところ、国道11号線沿いになりますが、そこにヘンロ小屋(ヘンロ小屋53号茶処みとよ高瀬)ができました。ここにおられる関係者の方々の手厚い思いによるヘンロ小屋です。
 ここにかかわったいきさつは、まちづくり推進隊高瀬の事務局をしている時に、ヘンロ小屋建設の話がありました。いい話だと思いました。土地確保のために、亀山さんも熱心に足を運んでくれました。なかなか土地が見つからなくて、最終的に白井病院にあたりましたら、「お使いください」と非常にありがたいお言葉をいただいたようです。歌さんはじめ亀山さん、関係者のおかげで、53番目のヘンロ小屋が建つことになりました。
   小屋は10年あまりになりました。建物はしっかりしています。でも長年の間に、草や木が生えています。それを環境整備するのに、人の手が一定いるんですね。このヘンロ小屋の(世話やお接待の)代表として、香川さんという女性に、最初の代表を3年くらいやっていただきました。その後が河田さんという方が2年あまりしていました。私は推進隊の事務局を離れましたが、その方々で回していけると喜んでおったんですが、実は2代目の方が「わし、辞める」と言います。組織をやっていこうという気持ちが薄くなったのでしょう。

◆お遍路さんに声かけて小屋を紹介
 遍路で毎日来られる方を思えば、やっぱりないがしろできないし、お接待をせないかんなあと思います。そういうことで今、第3代目の方がおりませんので、時間がある時にできるだけ小屋に行ったり。歩いているお遍路さんを見かけたら、本山寺(70番霊場=三豊市)から高瀬を回って川を渡りましたら、左側にヘンロ小屋がありますので、「休憩にお使いください」と、お遍路さんを見るたびに声をかけています。こんな風に細々とヘンロ小屋の維持をしているというところです。
 そして、まちづくり推進隊と
組織自体がなくなるんです。来年1年で。これは市の方針ですから。大きな課題を抱えて、四苦八苦しているのが現状です。
亀山 ありがとうございます。建物自体の維持管理、小屋を使ってのお接待をどうするか、地域でどのように使っていくか、それは私自身も悩んでいるところです。維持、修理をしながら全小屋を調べたわけですが、だれが管理してるのか分からない状態になっているんです。大ピンチになっています。放置状態というのがほとんどなんです。
 小屋の維持。管理は気づいた人たちがやります。例えば丸亀市の小屋であれば、近くの予備校さんの人たちが率先してお掃除などをやってくださっているのです。

【坂田洋子】
  ◆長い道を歩くの好き
 坂田洋子と申します。自己紹介を10分くらい、画像で行いなす。私は滋賀県高島市から来ました。ご存じですか。メタセコイヤ並木とか白髭神社とかあるところで、いまはキャンプ場の運営をしています。今日は四国とスペインの巡礼の魅力とか、違いを話せたらな、と思っています。
 自己紹介ですが、30年間大学職員として働きました。大学の野外教育施設で働いていたんですが、働きながら国東半島(大分縣)の巡礼の道だとか、熊野古道(紀伊半島)に行ったり、小豆島(香川県)の巡礼(小豆島88カ所)に行ったり、とにかく長い道を歩くのが好きでした。

    ◆仕事を辞めて遍路へ、北欧へ、スペインへ
 もっと長い道を歩きたい、という希望がむくむくとわいてきまして、「仕事を辞めます」と。4年前に言いました。「1人遍路をするので辞めます」と言って。1年後、2022年に冬季の歩き遍路を45日間、1300キロを行いました。その次の年が、北欧に2カ月行きまして、去年スぺイン巡礼900キロを2カ月かけて歩きました。

◆毛布のお接待、子どもの励ましメッセージ
 お遍路は45日間、ほぼ野宿で行きました。(画像を示し)橋の下でテントを張って泊まっているところです。お遍路で1番強烈に印象に残ったことは、先ほどから話が出ているお接待でした。いろいろなお接待をしていただきました。「寒いでしょう」と言って、鯖大師(四国別格3番零場・鯖大師本坊=徳島県海陽町)のところで、毛布を持ってきていただくというお接待も受けました。
    モノだけじゃなくて、子どもたちのメッセージが書いてあるところが何カ所かありまして、つらい時にも「がんばって、もう少しだよ」とか、「ここのお魚、おいしいよ」とか、すごくそれで励まされました。
    おヘンロ小屋は、ここのヘンロ小屋まで頑張って歩こうとか想い、ヘンロ小屋ノートを全部読んで、全部書き込みをして、ヘンロ小屋に行くのが楽しくなってきました。南伊予のノートについては、お遍路さんが書いている文字に、赤字で点々までしてあって、これやったらまた来たい気になるやろなと思って、感動しました。
 私もヘンロ小屋ですごく癒されたし、次の歩く目標にもなりました。雨の日も休めたし、ヘンロ小屋に感激して。結願した後にヘンロ小屋プロジェクトに参加することになったわけです。

      ◆スペイン巡礼の道はフランスから海まで41日
 次はスペインの巡礼です。スペインの巡礼の道は、サンチアゴ・デ・コンポステーラといところに聖ヤコブが眠っていて、そこを目指していくいろんな道があります。フランス人の道、ポルトガルとか、いろんな道があります。私は1番ポピュラーなフランス人の道を歩きました。去年の4月、サンジャン・ピエ・ド・ポーからコンポステーラまでは780キロ、35日で歩きました。その後も歩き足らずに、サンチアゴ・デ・コンポステーラからフィステーア・ムシアという海まで行く巡礼の道がありまして、こちらの100キロをプラスして、41日間をかけて歩きました。
 お遍路は1300キロなんで、スペインの方が短いです。ハードルが低いと思います。距離的に言うと。
 年間のスペインの巡礼者数が50万人近いといいます。日本人としては1473人と聞いています。熊野古道で30万人、四国の遍路は20万人くらいだと言っていました。そのうちの10%くらいが外国人の方が歩かれているということです。

◆魅力は自然、中世街並み、世界中の人との触れ合い
 スペインの巡礼の魅力は、自然とか中世の街並みを堪能できることです。日本人にとっては珍しい景色です。おいしいものもあります。1番魅力的だったのは、世界中の人と知り合えたことです。笠(遍路の時に使う菅笠)をかぶって行ったので、毎日のように「写真撮らせてくれ」と言われて、有名人かと思うくらい写真を撮られて、仲良くなるきっかけになりました。英語もしゃべれないのに、毎日楽しく過ごすことができました。
 日本人にも20人くらいに会って、('画像を示して)左の方はお遍路の時にお会いして、またスペインでも会いました。右の方は85歳かな、の方なんですけど、お遍路に6回行ってはって、今はフランス人の道を歩いている。85でも歩ける道です。
◆充実しているアプリ
 スペインの巡礼の道の魅力は、お遍路転がし(遍路道の中の急な登りの山道。お遍路さんが転げ落ちる、という意味)もあることはあるんですけど、結構平らな道が多い。そして、標識がしっかりしています。お遍路の道は、矢印のシールだとか、先ほどいろいろなマークをつけてはるって言ってましたけど、スペインは900キロ共通して「モホン」と呼ばれる標識がついているのでわかりやすくいです。
 また、アプリが充実していまして、そのアプリを使うと、ここからここまで3キロあって、標高だとか、何時間で着けるかなどが、スマホさえあれば日本語で見ることができます。お遍路もあるのかな、と思って見てみたら、あることはあるのですが、登録者がすごく少なくて、必要とされていないんだなと思いました。こういうのがあると、外国の方も歩きやすいんじゃないかな、慣れているので、と思いました。宿泊も地図も全部、スマホさえあれば日本語で見られますので、すごく歩きやすかったです。

◆お接待は志のお金で
 スペインにお接待みたいな場所はありまして、寄付制みたいで、置いてくださっている食べ物に、自分の志でお金を入れていく形です。そのあたりでなっているサクランボとか、クッキーとか置いてくださっているんですけど、いただいたらお金を入れる感じのお接待があります。
 だいたい5キロごとにカフェとかがあるんですけど、ないところはキッチンカーみたいなのが出ていまして、困らずに歩けます。水場は多くて飲めますし、便利でした。

◆宿と荷物の配送サービス
 宿も5キロごとにアルベルゲと呼ばれる遍路宿みたいものがあって、1000円から3000円くらいぐらいで泊まれます。何よりもよかったのは、荷物の配送というサービスがあって、遍路宿から遍路宿まで荷物を配送してもらえます。だから、80歳の人でも90歳の人でも歩けるのです。
 このサービスを毎日使っている人もおられますし、私らは1回、2回くらいしか使っていませんが、安い値段1000円以下で荷物の配送をしてくれるサービスなので、もっと利用しといたらよかったなと思うくらいです。荷物が10キロから14キロあったので、かなりつらい時がありました。
 (画像を示しながら)これは遍路宿ですね。ドミトリーみたいな宿で、安くて泊まれます。ラッキーだったら、2段ベッドでない平ベッドもありまして、すごく助かりました。遍路宿の中には、プールがついたりとか、自炊できるようにキッチンがついていたりするところもあります。長旅には便利だったなと思います。
 (画像を示しながら)これは熊野古道の標識で、石の標識などもあるのですが、全然統一されてません。お遍路も統一されてないですよね。きちっと統一されていたら、歩きやすいのかな、と考えました。

◆巡礼証明書のほか、スペインと熊野古道を歩いた証明書も
 お遍路は四国八十八ヶ所遍路大使任命書(おへんろ交流サロン=徳島県さぬき市=がNPO法人遍路とおもてなしのネットワークに委託されて、歩いた人に渡している)をいただきました。スペインでは巡礼証明書をいただけて、いい紙のきれいなデザインの証明書で、記念にもなってよかったです。
 (上の写真は)いわゆるピルグリムというもので、熊野古道とスペインの道を全部歩いたら、2つの道の巡礼者ということの巡礼証明書です。でも、スペインを歩いた時には、「熊野古道を歩くんだよ」という人もいましたが、「お遍路を知っているか」と聞かれたことの方が多かったと思います。お遍路は結構長いから、「熊野古道を今度歩くんだよ」と声をかけてきた人と、お遍路を聞いてきた人を考えると、長い道が好きな人はお遍路のことが好きみたいです。
 簡単ですが、お遍路とスペインの道巡礼鵜の違いと特徴をお話しました。
亀山 スペインの道は、フランス人の道のほかに、どのくらいありますか。5、6個?

坂田 5、6個はあったと思います、たくさんあったけど。

亀山 フランス人の道が1番歩きやすいですか?

坂田 距離は長いんですけども、50万人のうちの6割がフランス人の道を歩きます。巡礼証明書は100キロ以上歩いた人がもらえますので、フランス人の道のサリアから行く人が結構多い。

亀山 標識がすべて統一されているお話を聞いて、なるほどな、と思いました。歩きやすくなっているんだな、と思いました。


【原真由美】
◆10年前の4年生が小屋の4カ国後の道しるべ設置
 徳島県の阿南市という、徳島の中では南の方にある、そこの山口小学校勤めております原と言います。ただいま5年生を担任しております。息子(原さんに同行して会場に来た息子、まさきさん)は車で5分10分くらいの別の学校に通っています。(原さんが勤務している)学校自体がもう10年以内には、合併されるかどうかなあと言われるくらい、人数が少なくなっているというような小学校です。
 きょう、うどんを私も息子も職場の方も香川で食べてきたんです。その方が第1回のヘンロ小屋と山口小学校を結ぶという活動をしておりました。その方がなさっていたのが、崔象喜さん(韓国在住。外国の女性で先達の資格を取得したことに関して、激しい誹謗中傷を受けた)に関係することです。崔さんが遍路で歩いていて道しるべを韓国語で張っている時に、役所の方とかいろんなところに、「日本の道を歩くんじゃない」といった批判的なことがたくさん寄せられました。
 その新聞記事を見て、10年ほど前、小学校の当時4年生の子どもが「それはどんなんだ」ということになりました。今は20歳を超えていると思います。その子たちが第3号のヘンロ小屋・阿瀬比に、それこそ道しるべを作りました。
 教員向けの夏季研修で、その先生が「昔、こういうこと(道しるべ作り)をやったんだよ」と、道しるべができた経緯を教えてくれました。道しるべは(「お遍路さんはみんな同じ」の思いから)中国語と英語とハングルと日本語で「応援しています」というメッセージをつけて立てたことを教えていただきました。

◆元教頭が作詞した曲を聴き
 また、教頭が作った歌詞で、「遍路に焦がれて」と言う曲ができCDもできたような学校でもあります。学校にやってきたエアコン工事のおじさんが曲をつけたのです。ただ、子どもたちは知らない状態でした。
 地域の方もあまり知りません。ヘンロ小屋は校区の端っこにあり、車で行かないと子どもたどりつけない場所です。さらに阿瀬比地区には子どもゼロです。学校は小屋から山を1つ超えた場所にあります。そんな状況ですから、「そういえば、そんなことがあったな」という保護者が1人いただけでした。
 今年度やったことは、新聞記事やCDのことがあったという話をし、「曲を聴いてみよか」というところから始まりました。子どもたちは結構ドライなところがありまして、「ヘンロ小屋って、ここにあったん?」「なんで遍路小屋と山口小学校と関係あるの」とか、「そんなの、昔の話ちゃうか」と言うので、「今どきやな」と、聞いていました。> ◆子どもたちは次第に自分事として
 話をしていくうちに、だんだん自分ごととして とらえていくというか、ちょっと興味を持ってくるといった、そんな感じでした。
 自分の生活と関係あるのか、というのが今の子たちはそういう風にとらえるのです。保護者もそうなんですが。自分のことと関係があるのか、ということをすごく気にするな、というのが最初の反応です。そこで、写真を見せたり、実際に現地に行ってみたり。お遍路さんを見たことがないという子も多かったので、実際歩いてみようということになり、阿瀬比のヘンロ小屋から新野にある大根(おおね)のヘンロ小屋(47号大根=阿南市新野町)まで行きました。

◆ボロボロの小屋、何とかせなアカン
 すると、だんだん自分の町にこういうところがあるんだ、と感じるようになりました。ただ、阿瀬比の小屋は3番目にできたので、すごくボロボロになっていて、子どもたちはショックでした。「校区にあるけど、メッチャ、ボロボロやな、先生。どないしたん」という感じでした。そして、「何とかせなアカンな」という話になりました。

◆清掃、看板作り、しおり作り
 子どもたちが頑張ってくれ、親子でも考えることになりました。どういうものだったのか、先輩がどんなことをしたのか、教えるというよりは新聞の記事を見て、「どう思う」って親子で考えてもらいました。
 学習発表会で、地域の方を呼んで発表するので、自分たちが清掃したり、看板作りをしたり。道しるべを作るのは先輩がしたので、自分たちにできることは何か、となり、「じゃあ、僕たちはしおりを作って持って帰ってもらうのはどうやろう」と言ったので、それぞれの好きなキャラクターを描いて、しおりを置くことをしました。
 地域のパン屋さんがしめ縄作りができるということを知りました。5年生は毎年、どこでもそうなんですが、米作りを学習することになっていて、自分で種から植えて、ちょっと伸びてきたら植えて、そして収穫した後で、しめ縄を作って。自分たちがかかわっていくことを大事にやってきました。それで、感じたことを表現することで、子どもたちも大分、地域のものとして考えるようになってきたかな、と思います。

◆学習発表会で子どもたちがスライド上映や劇
 (映像を示して)これが子どもたちが作ったスライドなんです。学習発表会で「お助け隊参上」という劇もやっておりました。いま道しるべはあります。(映像を示して)ただ、現状として、先輩方が作った看板とかがこんな状態になっているので、ちょっと悲しかったです、というような劇でした。
 男の子が「片づけをしよう」と言って、みんなで片づけをしました。いすに大きな穴が開いているんですけど、子どもたちには手に負えなくて、大工仕事のできるご近所の方に見ていただいたんですけど、「勝手におれたちがさわっていいんかな」という話をして、「それは、おいおい(ヘンロ小屋プロジェクトに)聞いてみますね」ということで、そこはそのままになっています。
 ごみが散乱していました。毎年夏に行く時に、そんなにごみはないんですけど、なぜか子どもが行った時に、ペットボトルが大量に捨てられていたので、子どもたちは「とりあえず、ごみは持って帰ってほしい」と思ったらしくて、その看板を作りました。また、太龍寺(21番霊場)と平等寺(22番霊場)に行けるので、それがわかる看板を作りました。
 (映像を示して)道自体は地域の方がきれいにしてくださっていて、小屋が何とかできたらいいな、と思いながら歩いていきました。先ほど、坂田さんの話に出てきましたが、「道しるべは日本人でも、僕たちにはわかりにくいな」と、子どもたちは言っていたように思います。
 最後は平等寺まで行って鐘をついて帰ってきました。(映像を示しながら)これ(映像)は子どもたちが作ったものです。児童はこういうのを作るのが得意なので、いま使っているものは児童が配布されているタブレット、Iパッドで作ってくれています。

◆子どもたちに身近に感じてもらうことが大事
 平等寺の住職さんに来ていただきました。子どもたちは「お遍路さんのことは聞くし見ることもあるけど、何者かわからん」と言うので、お話に来ていただきました。身近に感じてもらうのが大事かなと、活動していて思いました。今の子たちは携帯で何でも調べられる時代なので、分かっていることには結構飛び込めるんですけど、知らないものに入っていこうというのはちょっと物怖じするというか、分かっていたら頑張れる子どもたちが多いと思うので、身近に感じてもらうということが、とても大事かなと思いました。やっぱり自分事にするだとか、関係ないことを関係することにすることを大事に、指導を行ってきました。報告は以上です。


◆近いような、遠いような
原まさき(原さんの息子=飛び入り参加) 僕は(山口小学校ではなく)ちょっと遠い小学校の3年生です。お遍路さんは僕の学校の方にはあまり来ないけど、ヘンロ小屋はあって、担任の先生は1人くらい案内したことがあるそうです。

亀山 お遍路さんに渡すしおりには、どんなキャラクターを描いていますか。お遍路さんに関係するものですか?

原 動物が好きな子は動物などいろいろです。「がんばってください」とは書いてあるんですけど、しおり作りの後で平等寺の住職に来ていただいたので、お遍路さんに関係にすることではなく、キャラクターはその子の好きなものでした。

亀山 お遍路さんを子どもたちが実際に見れば理解できるんでしょうけど、戸惑いはあると思います。まさき君はお母さんに話を聞いて、お遍路さんってどう?

まさき 近くにおるみたいに思うし、遠くでもあるような、どっちでもないようないような存在。

亀山 これから(お遍路さんに)あいさつから始めてくだい。お遍路さんは喜ぶと思います。

《ここからは、コーディネーターが進行していきます》

◆当初の意思を引き継いで
亀山 ここまでの話を聞いて、歌さんいかがですか。

                               歌 先ほどの大工さんの言葉(シンポジウムの前に、歌がヘンロ小屋プロジェクトについて講演。大工さんの言葉は「私はこの小屋を建設して改めて、人と人との支え合い、和の大切さを感じました。人を支えることによって、人に支えてもらう。当たり前のことですが、今の世の中の欠けている1番大事なことだと思います」)は、阿瀬比の小屋を造った大工さんから届いた手紙です。熱心に一生懸命造ってくだしました。子どもたちが傷んだ小屋を直してくれたことは、一緒に小屋を造った大工さんや地域の人たちの意思を引き継いでいるわけで、ますます小屋が生きていくかなあ、と思います。
 生活に身近であるということは、子どもにはなかなか難しいことですね。お遍路さんは道筋が決まっているので、ちょっとでも関心がなくなったら特にそうです。私は前から思っているのですが、四国の小学生、中学生が遍路のことを、1つの科目として授業に取り入れられたらいいのではないでしょうか。強制的ではなくて。そうなると、ますます社会が良くなると思っています

。 ◆子ども向けの遍路の本がない
亀山 今、四国の道を見られて、現状など何か気づいたことがあれば、お話していただければ。コロナのころは、本当に歩く人が少なかったです。ようやく歩かれている方をチラホラと見かけるようになりました。これから春先、歩かれるだろうと思います。そんなことなど、ちょっと今までと違うことをお気づきの方がおられましたら。

原 歩き遍路さんを見たことがあるという子どもは、あまりいません。子どもたちの通り道でないこと、車社会なので、車で回られているお遍路さんも結構いるので。
 先ほど歌先生がおっしゃっていた、児童が遍路について学ぶ機会ですが、学校でいえば総合的な学習の時間になると思います。その時間は毎年、何年生でこんなことするという風に学校独自で決めることになっているんです。毎年変えている学校と、「うちはこういうカリキュラムでいきます」という学校があります。先生たちの中で葉、何をしようか困っている人もいるので、「遍路のことはどうですか」というふうに持っていけば、結構身近なものになっていくのかな、と思いました。「総合学習の時間に何しよう」と相談されることもあるので。
 また、子ども向けの遍路の本を探してみたんですが、ホームページで1つあったくらいです。子どもが見る物は、「結構難しいなあ」「あればいいなあ」「読まれへん、どないしよう」と、子どもたちと話していました。

◆子どもとお遍路さんが触れ合う場を
亀山 お子さん向けのお遍路さん紙芝居のようなものを、ぜひ原さんたちに作っていただきたいものです。子どもたちにお遍路さんのことをつないでいくのは、本当に難しいことだとで、私たち1人ひとりが考えていくことだと思っています。
 私なんかは家でいた時にたまたまお遍路さんが来られて、外国の方、フランスの方、アメリカの方も、そして「子どもいないんですか?」と聞かれたので、すぐに駆け込んだのは保育所でした。。そうすると子どもたちは「お遍路さんが来た」と言うのです。あの衣装(白衣など)は知っているんです。これっていいよな、と思いました。あの衣装というのは本当に四国のお遍路さんの姿です。そんな経験もあるんです。子どもとの触れ合いの場は作ってあげたいと思います。それが四国が誇るお遍路ということだと思います。坂田さん、遍路とスペイン巡礼の違いは、どんなところでしょうか? ◆ほかには例を見ないお接待
坂田 私がお遍路、熊野古道、スペイン巡礼で1番違うと思ったのは、(遍路には)お接待があるということで、四国のお遍路については強烈に、心にグサッとささるみたいな感じでした。先ほど画像で見せましたけども、(スペインには)寄付性のお接待はあるんですけど、「お遍路さんのために」というのは、向こう(スペイン)ではありませんでしたね。そういう文化が、子どもたちにも育つし、親がそういうものをしていたら、「お接待ってこういうもんなんだ」と学んでいくと思います。子どもさんもそうですし、親も含めて学習する機会があるのは、小学校とか地域ですので、そういう大切な文化が伝承されればいいと思います。

◆スペイン巡礼の道では歩きと自転車と馬だけ
 一方、スペインの方は観光として、誰でも歩いていいですよ、という感じなんです。100キロ以上歩かないと証明書あげないよ、とか、自転車なら200キロですが。そういうのが四国ではバスでもいいし、車でもいいわけですが、スペインでは歩きと自転車と馬なんですよ。車でもいいよ、とはなっていないんです。だから人が多いのかな、と思います。

亀山 道の整備状況でいえば、スペイン巡礼の方ですか。

坂田 そうですね。アプリが整っているのと、歩きやすいとう点では、1番はスペインですね。熊野古道も結構分からないことろがあるけども、日本人は地図さえ持っていれば歩けますが、外国の人には分かりにくいと思います。

会場から藤澤久弘(プロジェクト理事) 英語の地図もあります。英語の方が親切です。

坂田 (スペイン巡礼の道の)アプリが非常によくできたアプリで、現在地点と標高と宿の情報が一緒になったアプリを、四国でも開発してほしいと思います。

藤澤 修行だと、そんな親切なものはいらないのでは。

坂田 外国の人にとっては、ちょっと分かりにくい。

藤澤 歩くのでしたら、外国人の方が多いかも。

坂田 休みを長く取れるということがありますので、外国の方がよく歩いているのかもしれません。

総合司会の柴谷宗叔(プロジェクト理事) さっきの20万人という数字は、ほとんど車です。コロナ前に私らが統計を取った時に、50万人と言ってたんです。うち歩きは5000人。(全体の)1%ですから。今は外国人が増えたので、比率は上がっているかもしれませんが、しょせんそんなもんで、ほとんどが車です。

坂田 スペインの50万人というのは歩きか自転車なんです。自転車道は別にあるんです。歩きの道で通れないところは、自転車のマークがついた迂回路があるんです。

亀山 人数が多ければうれしいのは、うれしいですよね。継承する力は間違いなく出てくると思います。

 スペインもそうでしょうが、四国で今苦労しているなあと感じるのは、道の管理・整備です。お接待に関しては大事なファクターです。宮崎さん、小屋(茶処みとよ高瀬)では日を決めてお接待をしていましたが。


◆多い年は150人にお接待
宮崎 当初は(毎月)第1、第2の日曜日、9時から3時までと決めておったんですが、メンバーが年齢を重ねていって、それができなくなりましたので、日曜日を土曜日に変更してみたり、いろいろ方法は変えてみたんです。変えることがいいのか悪いのかわからないところですが。
 お遍路さんは同じ人が同じところに来るということあまりないかと思うんですけど、多い人は百何回回られてると聞くのですが、いずれにしても1番多い年で150名くらい、少ない年で20〜30名くらい、平均して70名くらいは、(お接待の日に)訪れていました。
 最近になってまたお遍路さんが増えて来ました。私も気をつけて、お遍路さんを見つけたら声をかけて、「どちらから来られたのか」とかそんな話をします。本山寺から弥谷寺(72番霊場=三豊市)まで16キロ余りで、非常に長いので、お遍路さんから「ちょっと長いから、どっか休みたいんや」という話も聞いておりまして、それだったら、ヘンロ小屋(ヘンロ小屋茶処みとよ高瀬)が中間値にできたらいいと、現在は白井病院さんのところにできました。お遍路さんには「そこに小屋があるので、どうぞお休みください」と話します。
◆お接待をふる側の高齢化が課題
 みな年がいくから、お接待はしたいんだけど、なかなかねえ。してくれる人がなかなか出てこない。一時は、おうどんをその場でゆがいて、お接待していました。お遍路さんは香川に来て、おうどんをいただいたら、ものすごく喜ぶんです。「こりゃあ、ええなあ」と言って。いつかまた、おうどんのお接待をやれたらいいいと思うんですが。
 ちょうどお接待をしていいた時に、女子高校生が1人やって来まして、「どうしたの」と聞いたら、「ちょっとお接待のお手伝いをしたいんです」と言うんです。その子が高校を出てから、5、6年経つんですけどね。ちょっとたどって、今どんなことしよるのか、聞いてみたいと思っていますけど。
 そんなことで、お接待をする側の方で、名乗り出てくる人が非常に少なくなってきました。これからの大きな課題かな、と思っています。
 お遍路さんを国別に見ると、12〜13カ国くらいから来ていました。歩いてお遍路をする人はどちらかというと、外国の方が今多い。日本人はどっちかというと自転車とか車が、最近多いような気がします。
 自転車だったら荷物を積んでいるのでお遍路さんと分かるんですが、車でスッと通られたら分からないので、実態がつかめません。

◆お遍路さんを励ますとともに励まされ
 あるおうちがすごいな、と思ったことがあります。遍路道おきわにあるおうちです。自分とこの塀に彫り込んで、「遍路道はこちら」と案内板にしとるんです。それを見て、これはすごいなと思い、感謝状くらいは出さなあかんなと思いました。
 私たち事業体のまちづくり推進隊(お接待などの活動をしてきた)の市の事業が、来年1年で終わるんです。こんないい活動、地域おこしの活動があるのに、何で簡単にやめるんかな、という思いで、市の方に意見を申さないかんなと思いよるんです。
 人と人のつながりは心温まるし、欠かせない活動だと感じています。そういう意味では、お遍路さんを励ますのではなく、励まされてことも多いと感じます。

亀山 お接待文化の継承の現実は、なかなか厳しいな、というところです。また、小屋関係ですけど、役割をどんな風に考えたらいいのでしょうか。共通認識が出てくればいいのですが、ざっくばらんにちょっとコミュニケーションを取ってみましょうか。今後、ヘンロ小屋が果たす役割ですが。

◆小屋はお遍路さんと触れ合う場
歌 高知県で信用金庫さんが小屋を造ってくださっている(資金を出してくださっている)のですが、その小屋で新入職員がお接待をするらしいんです。その時にお遍路さんが「ありがとう」と言ってくださると思うんです。そこに心の触れ合いできます。それを子どもに当てはめまして、子どもさんもお遍路さんと会って、気持ちが伝わったら、その気持ちが大切だと思うんです。それが遍路文化の根幹だと思います。ちょっとでいいから、小屋でお遍路さんと触れ合ったうれしいし、そんな1つのきっかけとして、小屋を造っていきたいと考えています。

亀山 原先生、授業で遍路のことを取り組んでいけば、間違いなく伝わったと思います。なかなか取り組むのは難しいことですね、私も経験していますが。原先生、ご苦労がおありだったでしょう。

◆児童が考えたお接待が大事
原 総合的な学習の時間数は決まっているんです。それ以上だと、総合的な学習の時間は終わりました、となるんです。やってほしいと言われることはたくさんありまして、その中に工夫して(遍路のことを)入れ込むことはできると思います。
 ただ、お接待を子どもたちもやりたい、「ありがとう」って言ってもらいたい、とは言うんです。ただ、自分たちでどうやってやろうかな、と考えるのが大事で、こっちが準備したものを配るとか、こういうものがあるから配ったらお接待になるとかということは、総合的な学習の中で求められている力とは違うものになります。
 時間をかけて、自分たちで何か気持ちを込めて作ったものであるとか、自分たで考えたものお渡しするとか、そういうのにつなげないと、求められている力につながりません。経験としては、いい経験ができた、というのはありとは思うんですが、やるんだったら、「僕たちだったら何ができるか」を考えて、その子たちのお接待の仕方をやらないと、本当の意味でのお接待になりません。
 平等寺の住職に来ていただいた時に、「お接待したいと思うやろけど、何かあげるだけがお接待とは違うからな」と子どもたちに言って、「それは修行と一緒。思うだけでもお接待になるし、やってもらった感謝でもお接待になるけん、自分なり考えてやりたいと思ったり、自分で動きたいと思った時に、やるもんや。先生に『これ配れ』と言われて、やるようなことにはならんといてほしい」というところで話は終わっているのです。今年始めたところなので、何年か経てば道はできていくのかな、という気持ちがします。

亀山 ぜひ、継承をお願いします。できることなら、いろんな小学校で取り組んでいけばいいのかな、と思います。お接待という意味では、地域も考えながら。

まさき 総合学習の目的は、自分で考えていくことなので、作ったものをただ渡すというだけでは、総合にはほど遠い。そこからちょっと加えていったりして、いける確率もある、道もあるかな。

亀山 すごいね。そういうことですね、総合学習は。


◆遍路のあいさつ、スペインの「ブエン・カミーノ」
歌 モノというのはすべて手段なので、1番大事なのは心と心の結びつきですから。子どもさんたちにはお遍路さんに遭ったら、あいさつをしいてほしい。それだけでお遍路さんは元気になってうれしいんですよ。お遍路さんに言葉を返してもらったら、今度は子どもさんたちがうれしいので、そういうことから入っていっていただいたらいいんじゃないですかね。

坂田 スペインの決まり文句に「ブエン・カミーノ」というのがあります。「良いお参りを、良い巡礼を」というのを言い合うんですよ。町の人から「ブエン・カミーノ」と言われたら、「グラシアス:ありがとう」と言うんです。毎日のように「ブエン・カミーノ」なんです。巡礼者同士、地域の方と巡礼と。そういう言葉、「ようお参り」のようなのは最近はあまり使わないですけど、「こんにちは」とか「ありがとう」は、大切だなと思います。

亀山 最近は、知らない人と会ったら、あいさつなんかしたらだめだよ、と言われませんか。

宮崎 小学校から聞きました。子どもたちに大人から声をかけても、話に乗らないようにしようと。どっちかと言うと、人間不信に陥るような。しかし、子どもたちに大事なのは、さっき出ていましたように、心と心の結びつきになるような触れ合いが、そこが最終目標かなと。人として1番大事なことかなと感じます。
 ちょっと話はそれるんですが。アサギマダラという蝶がいて、台湾から日本へ渡ってきよるそうです。何でやってくるのか、それは目的があるんです。植物のフジバカマに必ず来ますよね。香川県の西の方に伊吹島という嶋があります。その伊吹島にアサギバダラがやって来たというので、私らの方でもお寺の境内などにフジバカマを植えよう、ヘンロ小屋にも植えようとなって、植えたんです。そうしたら、ほんまにアサギマダラが来ました。これはすごいな、と感動しました。

坂田 私も(自分が運営している)キャンプ場に、フジバカマをうえようかなと思っています。アサギマダラに来てほしい。

◆気持ちを伝えるあいさつ、身を守るあいさつ

亀山 あいわつについてはどうですか。

坂田 以前、女子大に勤めていましいたので、あいさつはします。普段の親の姿を見ていることもあるでしょうし。私が中学生のころ、バスから降りる時に、みんなが「ありがとうございます」と、必ず声をかけていました。お金を払っているのでlそうしなくてもいいのでしょうが、「ありがとじゅございます」と言って降りるんです。そういうことを見たり、先輩がやっていたりするので、そんなことから学んでいくのかな、と思います。下からわいてくるというのか、教えるもんじゃないように思います。

亀山 (あいさつなど)小学校は変わってきているんでしょうか。

原 私が今の学校に勤め出したのがコロナの真っ最中でした。それ以前は分からないンおですが、あいさつはしているように思います。ちょうど、金曜日(シンポジウムの前日)に保健(の時間)で「被害に遭わないために」「犯罪に巻き込まれないために」という授業があり、「あいさつをすることで、自分の身を守る」という方向であいさつを広めていたりするので、気持ちを伝えるためのあいさつと思っている子もあれば、自分を守るためあいさつと捉えるてる子もいます。

亀山 そうかもしれませんね。

坂田 私が内子(愛媛県内子町)を歩いていて感激したのは、自転車の中学生たちが必ず向こうから「こんにちは」ってあいさつしてくれたことでした。おうちで言われているのか学校で言われているのか分からないですけど、必ず何ですよ。ほかのところを歩いている時もそれはあるんですが、私が「こんにちは」と言ったら「こんにちは」と言うことが多くて、それはやっぱり学校で教えたりしているのかな、と思いました。

亀山 遍路で歩いている外国の人は非常に多いですけど、国際交流とか世界との関係はどうなっているのか、過去と現在、どんな風に変っていっているのでしょうか。

坂田 私は遍路では外国の方には会わなかったんです。あとから、韓国の話(崔さんの話)も聞きましたが、遍路の時に外国の方が差別されていたということは考えませんでした。ただ、外国の方が歩くには歩きにくい。日本人でも地図を読み取るまでに時間がかかったので、歩きにくいのかなって思いました。また、ニュースなどで、カードが使えなくて困ったというようなことを読んだりしました。触れ合いを求めて歩きはるんや、という風には思います。

◆外国のお遍路さんに逆に励まされ
宮崎 今、外国人の話が出ましたので。高瀬のヘンロ小屋に寄った外国の方の国を数えておりましたら、だいたい12、13カ国。アメリカ、メキシコ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、そういったところですね。外国の方のほうがどっちかというと、お接待をしている私たちを逆に励ましてくれるというか、声をかけてくれる。言葉が十分ではないんですけど、片言で言いながら、気持ちをお互いに交流させた記憶があります。人間と言うのは、国が違おうが、全く関係ない。人の心というのはみんな一緒だなということを感じました。表面だけで判断してはいけなないわけで、心がお互いに通じ合うような触れ合いが、これからも大事ではないか感じております。

亀山 学校教育では、先々週の日曜日、この近くの大手前中学、大手前高校生と一緒に、海外からきて住んでいる人のために防災教育をしたんです。入管管理局、私のような者、環境省、ライターも参加して。外国の方は40人ほどいるんですが、みんな仲がいいんです。偏見なんか全然ないじゃないかと思いました。言葉が通じなかったら、今の時代ですから翻訳アプリで話すことができますし。昔の考え方、封建的な考え方は地域には残っているかもしれませんが。日本全国の外国の在留の方は300万人、四国4県でも結構多いということを聞いています。そんな状況なので、多文化共生の時代に入ってきたなと思いました。ヘンロ小屋も外国の方が利用することも多いので、私たちは小さい力ですが、そういうようなことを思います。ヘンロ小屋活動はいうとそういうさきがけというころへ持っていければいいと思っています。 時間的なこともありますので、お遍路さん、お遍路文化、あるいはヘンロ小屋の今後について、それぞれ一言お願いします。

◆小さいころからの雰囲気づくりを
宮崎 先ほどから言っていりますけど、一般の方々の中で、お接待をしてくれる人は、まちづくりの新聞等で募集、呼び込みはするんですけど、「じゃあ、やりましょう」とはなかなかならないんです。やっぱり、小さい時から、そういう雰囲気づくりということが大切で、学校のカリキュラムの中のどっかに入れて、ボランティア教育をちょっと位置づけしてもらって、そこで子どもたちが学ぶことで、お接待していようかと思ったり、お遍路のところに行ってみようかと、あいさつをしてみようかと、自主的な行動につながっていくかなと思います、何もしなければ進まないのかもしれません。学校現場で1つのチャンスを作ってあげることを問われているのかなと思っております。

◆お接待の心を全世界に
坂田 私がお遍路を歩いてみて、熊野古道より、スペインの巡礼の道より、心にグサッとささって、そして自分の人生観というか生き方、考え方も変るような、そんな道が遍路道だと思っています。それは、お接待とそれに対する感謝の心で、自分も何かどなたかにお返ししたいということで、歩いている間にはトイレ掃除をさせてもらったりしました。
 (自分が管理している)高島市のキャンプ場でも、ヘンロ小屋のようなみんなが集えるものを造ろうとしているところなんです。そういう心が、全世界につながっていったらなと思います。世界遺産ではないかもしれないですけど、心にささる道を大事にしたいな、と思っています。感謝の心を持って、いろいろな人に接していきたいと思っています。

◆「みんなでやろうよ」の声かけ
原 今の学校に行くまでヘンロ小屋というのは、眉山の下にある笠のある小屋(徳島市、ヘンロ小屋12号眉山=阿波踊りの女性の鳥追い笠のデザイン)で休憩することはあったんですけど、まさか自分の近くにあるとは知りませんでした。5年か6年前に引っ越して、そういう文化があるんだと知って、先輩がやっていたのを、誰もやってないので、ちょっと子どもたちにやってみた、という段階なんです。何ができるかな、と考えるんですが、1人でやるのは難しいというのがあります。「みんなでやろうよ」という声かけがあれば、入口が広がるのかなと思っています。

◆地図をヘンロ小屋に置きたい
まさき 1回、外国人の方に会ったことがあります。ちょっと(荷物が)重そうに見えたり、ちょっと道に迷っていたりしているのを見たことがあるので、そのあたりの地図やパンフレットを作って、ヘンロ小屋とかに置いたらいいな、と思います。

◆お接待がキーワード
亀山 ヘンロ小屋の数が多くなっていくのはいいんだけど、その先の維持、修繕と、どうやって小屋を活かすようにしていくのかということが、非常に気になっています。もう1つは、遍路は私たちとってかけがえのない文化遺産や自然遺産なので、私たち大人は未来につないでいかないと、四国の山道などはどうなっていくんだろう、と考えてしまいます、私はこのシンポジウムの(坂田さんや原さんの)スライドを見ながら、これをイコモズ(国際記念物遺跡会議=ユネスコの世界文化遺産に渡鹿する際の審査をする)の人が見たら、一発で伝わるのではないか、と思うくらい、お接待というのがキーワードだと思いました。その大事さを、行政マンももっと考えるべきでしょう。

◆四国の方々と一緒に小屋造り 歌 四国の遍路文化は、心のつながり、気持ちのつながりは、世界のどこにもないシステムであり、つながりです。世界は分断の方向に行っていますが、それをつなぐ1つの手段でもあります。それは身近にできる手段で、四国の方々にもそのことを考えていただき、私たちも四国の方々と一緒に小屋を造っていきたいと思います。

 


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