澄禅の足跡たどる――江戸前期の遍路道再現――実践編第1回(1)



                        遍路研究家  柴谷宗叔



<地蔵峠で阿波一国一目 日記通りの眺望変わらず>



 澄禅が承応2年(1653)に歩いた遍路道に高野山大学の4人で挑戦した。


   高野山大の4人


 8月1日、高野山を発ち和歌山港から船で徳島港に渡る。途中、淡路島、沼島などが見えたのは澄禅の日記に記された通りである。文学部1回生の上辻絢椰君、大学院修士課程の岡野さつきさんとも、海を見るのは久しぶりとか。
 澄禅が泊まった持明院址にある常慶院(徳島市眉山町大滝山)から徒歩遍路を始める。旧伊予街道をたどり、鮎喰川は渡渉できないので上鮎喰橋を渡る。井戸寺到着は午後5時ぎりぎり。7キロほど歩くのに2時間半かかってしまった。門前の民宿おんやど松本屋に泊まる。
 2日、井戸寺を出発。観音寺、国分寺、慈眼寺(十四番奥院)、常楽寺、大日寺と、現在の遍路道とは逆打ちに進む。澄禅の時代は一宮神社が札所だったので当然こちらも参拝する。門前の食堂寂光庵で昼食。
 澄禅はここから鮎喰川を渡り「阿波一国を一目に見る」峠を越えた。筆者は『へんろ』306号で地蔵峠ではないかと指摘した。そこで地蔵峠を目指すのだが、澄禅が歩いたであろう道はゴルフ場になっていて通れない。やむなく迂回路を取る。


   途中薮こぎ状態


  大日寺から国分寺まで打ち戻り、阿波史跡公園、八倉比売神社を経て気延山登山道に入る。山頂からは尾根伝いに地蔵峠を目指す。通る人がないのか途中藪こぎ状態の所もあったが、無事地蔵峠にたどり着いた。澄禅も記載している通り峠からの眺望は素晴らしい。しかし予想外に時間がかかってしまい、石井町の街中に出たところで午後5時を回ったので、石井―鴨島間は鉄道を利用。藤井寺門前の旅館吉野に投宿する。ここで大学職員の西原司朗さんと合流、4人がそろう。
 3日は藤井寺から焼山寺へのへんろころがし。通常の徒歩遍路コースなので多くは書かない。元気な学生2人はどんどん先に進む。さらに奥の院まで往復した。若さには勝てない。先達すると言いながら足を引っ張っているのではないかとの心配も。ともあれ最大の難所を無事打ち終えた。山麓のなべいわ荘で泊まる。(柴谷宗叔)
                 ◇
 この内容は月刊紙「へんろ」に掲載しました。(柴谷宗叔)




      ↑気延山から地蔵峠への道を行く




↑地蔵峠で徳島市内方面の眺望を楽しむ学生ら




↑へんろころがしの途中の水場で休憩する


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