澄禅の足跡たどる――江戸前期の遍路道再現――実践編第2回


  
                        遍路研究家  柴谷宗叔



<室戸岬へ国道避け遠回り 佛崎では読経し納札>



 高野山大学四国遍路の会による江戸時代前期の澄禅の遍路道再現実践編。2回目は3月2日から8日までの1週間、徳島県海陽町の二十三番薬王寺から高知に向けて歩いた。本紙で連載した澄禅の道をたどる旅である。
 室戸岬への遍路道は現在も難所とされる2日半かかる長距離ロード。澄禅の時代にはなかったトンネルは避け、できるだけ当時の道を再現しながら歩いた。日和佐から山河内の打越寺までは北側の日和佐川沿いに行き、八坂八浜も旧道経由。国道に比べ10キロほど遠回りとなった。
 現在は番外ですらない室戸市佐喜浜町の佛崎では、澄禅にならって札を納め読経した。澄禅の日記の記載による距離からあくまで筆者の推定した場所であるが、高知県教委の調査でも追認している場所なので確信を深めている。
 二十七番神峯も現在の寺より上の神社まで上がった。おかげで同宿の歩き遍路には追い抜かれっぱなし。半日ほど後塵を拝することとなったが、澄禅が歩いた跡を踏みしめている実感を味わった。
 最終日は二十八番大日寺から三十番土佐一宮を経て高知駅まで歩いた。途中香美市の松本大師堂のヘンロ小屋でお接待を受け、足を痛めた参加者も感謝の心。松本大師堂は澄禅の時代にはなかった番外ではあるが、遍路道沿いにあるのでおそらく澄禅もこのあたりを通っているはずと思いからである。
 途中一人のリュックが壊れるなどのハプニングもあったが、なんとか歩き通した。学生、職員、研究員といった混成チームではあるが、これからも澄禅の道を歩こうとの思いは同じである。
                      (柴谷宗叔)
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 この内容は月刊紙「へんろ」に掲載しました。(柴谷宗叔)




      ↑澄禅が札を納めたと記載している佛崎にて




↑松本大師堂で接待を受ける参加者ら


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