澄禅の足跡たどる――江戸前期の遍路道再現(7)



                        遍路研究家  柴谷宗叔



<鏡川?川舟で五臺山へ 竹林寺逗留、余裕の遍路 >



 一宮(土佐神社、高知市一宮)から西に4キロほど行った小山に華麗な社(掛川神社、高知市薊野中町)がある。社僧は天台宗日讃(現在の国清寺)とある。
 掛川神社は高知藩初代藩主・山内一豊(1546−1605)が寛永18年(1641)に、高知城の鬼門を守護するため遠州掛川城主の時の氏神牛頭天王を勧請したものである。国清寺は元和3年(1617)日讃和尚の開基で天台宗だった。明治維新の廃仏毀釈で廃寺となり、明治13年(1880一)臨済宗相国寺派の寺として再興された。


   廃仏毀釈で廃寺


 そこから2キロ余りで高智山(高知市中心部)に至る。松平土佐守(高知藩二代藩主・山内忠義=1592―1665一)24万石の城下。藩の祈願所として常通寺(廃寺、同市大膳町)、永国寺(廃寺、同市永国寺町)を記している。また、常通寺、五台山(三十一番竹林寺)、西寺(二十六番金剛頂寺)が土佐の真言本寺であるとも。蓮池町(高知市はりまや町)の安養院(廃寺)に泊まる。
 高知市中心部の寺は明治維新の廃仏毀釈で廃寺となり現在は痕跡を残していないところが多い。町名も昭和の住居表示に伴い歴史的地名が廃されている。高知城下のいくつかの旧町名は、播磨屋橋にちなむはりまや町になってしまった。蓮池町も現存せず電停に名をとどめるのみである。
 雨で5日間逗留する。(安養院の)住持の僧に昼夜の馳走を受ける、弟子の春清房は常に護摩修行していた。澄禅は一宮から直接三十一番に行かず高知城下に入って逗留している。そこで5日間滞在するなど今の遍路より余裕を持っていたことがうかがえる。
 19日、川舟(鏡川か)に乗って五臺山(三十一番竹林寺、同市五台山)へ。景色が良く、鐘楼・御影堂・仁王門・山王権現社は山内忠義が修理したので美しいと書かれている。寺主の宥厳上人の勧めで竹林寺に泊まった。そしてここでも逗留する。


   川と誤った浦戸湾


 24日、禅寺峯師(三十二番禅師峰寺、南国市十市)へ8キロ。禅師峰寺は天台宗から真言宗に転宗、中興開山進圓上人と記す。4キロほどで浦戸(高知市浦戸)。大河(浦戸湾を川と誤ったか)は渡し舟で自由に渡れるとある。
 澄禅が川と見間違えたほどの狭い海峡には昭和47年に浦戸大橋が架けられた。浦戸湾には渡しの伝統を継ぐ県営フェリーが残っている。平成になって橋の無料化とともに渡船は廃止と発表されたが、反対運動が起き存続が決まった。現在の歩き遍路は橋を渡るよりフェリーを使う人が多いようである。
 4キロほど行って高福寺(三十三番雪蹊寺、同市長浜、臨済宗妙心寺派)。禅寺風の造りであると書いている。元は真言宗だったが、永禄年間(1558−70)のころ長宗我部元親(1538−99)が臨済宗に改めた。慶長4年(1599)、高福山雪蹊寺と改称した。澄禅は日記に高福寺と記す一方、雪蹊寺と号すとも書き、当時は両寺号が併称されていたことが伺える。


   仁淀の渡し跡に石仏


 西4キロほどの秋山(同市春野町秋山)で泊まる。間に河二瀬(いずれも新川川という名称の別の川あり)。
 25日、(雪蹊寺から)種間寺(三十四番、同市春野町秋山)まで8キロ。種間寺は再興した新しい堂である。
 西4キロばかりで新居戸ノ渡(仁淀川)、渡船で自由に渡るとある。仁淀の渡しは現在の仁淀川大橋の少し上流、高知市春野町弘岡上と土佐市高岡町丙を結んでいた。渡し跡の東岸には石仏がある。
 新居戸(土佐市高岡町)の宿に荷物を置いて清瀧寺往復。清瀧寺へ4キロ。種間から清瀧寺は8キロと記す。澄禅は仁淀川を渡って西岸の宿に荷物を置いて清瀧寺を往復している。宿のあったのはおそらく現在の高岡町の仁淀川畔から土佐市役所のある高岡町中心部までのどこかにあたり、周囲には新居戸という地名は現存しない。
 清瀧寺(三十五番、土佐市高岡町清滝)は再興して立派であった。寺中に6坊。麓に八幡宮(松尾八幡宮、同市高岡町乙)があり、神事で神楽奉納などが行われていた。新居戸の宿で荷物を受け取り川(仁淀川)沿いに下り新村(同市新居)で泊まる。
                 ◇
 筆者の文献研究と現地調査結果を元に澄禅の遍路ルートを推測しました。もし異なるルート等のご指摘がいただけるなら有り難く承ります。史料の出自、在り処等がわかればお教え頂きたいです。各位のご意見、ご指摘をお待ちしております。なお、この内容は月刊紙「へんろ」に毎月連載しております。(柴谷宗叔)


「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会
e-mail:henrogoya@arrow.ocn.ne.jp







      ↑高知城下の東北、掛川神社の隣接地にある国清寺




↑安養院のあった蓮池町あたり。現在は電停にのみ名を残す




↑浦戸湾に残る県営フェリー。後には浦戸大橋が見える




↑仁淀川の渡し跡の東岸、春野町弘岡上にある石仏


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