「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会は2009年4月12日、徳島市シビックセンターで第3回総会を開きました。四国での初めての総会で、約90人が出席しました。総会では山下正樹事務局長の退任と、森英雄・新事務局長の就任が了承されました。総会は今後、四国4県で順次開く予定で、2009年度の総会(2010年初旬)は高知での開催が決まっています。
総会の後、講演とシンポジウムを開きました。徳島県支部の主催で、まず喜多義祐・徳島支部長があいさつに立ち、「ヘンロ小屋を建設する善意の広がりに、感銘と勇気をいただいいている」と話しました。続いて、ヘンロ小屋プロジェクトの主宰者である歌一洋・近畿大学教授が講演し、「みなさんに支えられての小屋づくりだった」と、8年間の活動を振り返りました。講演の中で、歌教授は「人と人、人と自然のコミュニケーションが第一で、ヘンロ小屋はそのための手段でもあり、お接待の心を広げていく場所と考えている。お遍路さんや地元の方がその空間に入り、元気になってもらうように考えて設計している」と、基本的な考えを説明し、協力を呼びかけました。
シンポジウムは「お接待と遍路文化」がテーマで、▽遍路を研究テーマとしている町田哲・鳴門教育大学准教授▽ヘンロ小屋第1号「香峰」施主の野村カオリさん▽辰濃和男・支援する会会長が、 遍路への思いや研究結果を披露しました(司会は梶川伸・支援する会副会長)。主な発言は次の通りです(敬称略)
【町田】 大阪・泉州の接待講の文書が見つかった。四国遍路に行った鳥取庄の女性が、四国で接待を受けて、今度は自分たちが接待をしようと呼びかけた。1821年に接待講ができて、毎年2月下旬から3月にかけて、十九番立江寺(徳島県小松島市)でお接待を続けた。わらじ、米、梅干、漬物など、お遍路さんに必要なものを手渡していた。多い時には1000人近い人が協力した。古文書から、お接待の広がりが見えてくる。
【野村】 歩き遍路を3回した。昭和50年ごろで、一番困ったのはトイレだった。そこで、トイレ、それも様式トイレのあるヘンロ小屋を作った。小屋でお接待をさせてもらっているのが一番幸せ。お遍路さんと話ができる、大変喜んでもらえる、若い人が「長生きしてよ」と言ってくれるのがうれしい。最近ば若い人、定年になった夫婦の歩き遍路が増えてきたように思う。
【辰濃】 44歳で初めてお四国を歩いた。一番霊山寺(徳島県鳴門市)を出てすぐ、100円玉のお接待を受けた。しかも合掌していた。思わず私の合掌を返した。深く心に刻み込まれた。お金やものだけでなく、世界1美しいといわれる日本のおばあちゃんの笑顔のお接待、声のお接待などたくさんお接待を受けた。歩いていると、自分との出会い、人との出会い、自然との出会いがある。歩いていることや、地元の人のお接待によって、生命力がつき、心の自然治癒力がつき、自分がよみがえる。