ヘンロ小屋48号「京塚庵」落成式

 ヘンロ小屋48号京塚庵が、徳島県小松島市立江字中山1の番外札所・お京塚の敷地内にでき、落成式典が11月16日に行われました。
 19番立江寺から北西1キロほどの場所で、18番恩山寺からの遍路道沿いにあります。この区間の遍路道は県道で、徒歩遍路のみならず車遍路も立ち寄れる場所です。
 お京塚は立江寺の飛地境内にあたり、もともとあった京塚庵の建物が老朽化したため、建て替えを検討していたところ、ヘンロ小屋プロジェクトの存在を知り、建設が決まりました。
 立江寺が土地を提供。「四国八十八カ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会の鍛谷幸一・徳島支部長を委員長に、森裕雅、坂本登、斉藤利行、野田やよい、古川博、横手久典、林田茂男、大塚唯士、高橋幸正さんら地元有志が実行委員会方式で建設しました。徳島県内外から浄財を募り約100人からの寄付が集まりました。支援する会も建設費の一部を負担しました。
 高さ約6メートル、床面積約10平方メートル。9月16日に起工式をし、ちょうど2か月で完成しました。
 設計した歌一洋・近畿大学教授によると、小屋の屋根は両手を合わせ合掌した形をイメージし、祈りの形を表現したといいます。ヘンロ小屋はこれまでもその場所に合わせて歌教授が意義付けをして設計してきましたが、祈りの形を直接表現したのは初めてだそうです。小屋の奥にはお京さんの位牌が祀られています。裏には墓もあります。
 落成式典には約60人が参列。午9時から、立江寺の庄野光昭住職らによる開眼法要のあと、歌教授、庄野住職、鍛谷支部長ら6人でテープカット。小屋脇にブルーベリー、キンカン、スダチの記念植樹をしました。関係者の挨拶の後、阿波踊り、餅投げなどをして盛大に完成を祝いました。
 敷地内には緋寒桜、紅葉の木もあり、記念植樹した3種類の果樹とともに、四季に彩りを添え、お遍路さんの心を癒すこととなりそうです。
【お京塚とは】
 お京さんは石見国(島根県)の出身で、大阪で芸妓をしていたといいます。要助と結婚しますが、鍛冶屋長蔵と不倫の関係になり、要助を殺してしまいます。お京と長蔵は罪滅ぼしのために四国遍路をします。19番立江寺まできたところ、お京の黒髪が逆立ち鉦の緒に巻き上げられたのです。時の院主にことの次第を告白し、罪を懺悔したところ、お京の頭部の肉が剥がれ、黒髪もろとも鉦の緒に残り、命だけは助かりました。お京は出家得度して、この地に庵を結び、一生を終えたということです。享和3(1803)年のことです。
 以来、立江寺は阿波の関所寺と言われ、罪深い人はここから進めなくなるといわれています。お京さんの髪は立江寺の大師堂右側にある黒髪堂に祀られています。


      ↑京塚庵の落成式でテープカット


      ↑式典の読経


      ↑歌さんのあいさつ


      ↑落成祝いの阿波踊り


      ↑式典の後の餅まき


      ↑完成した京塚庵


      ↑お京さんの墓


      ↑お京さんの位牌
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