居場所を求め続ける団塊の世代



              梶川伸・「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会副会長

              (「居場所を求め続ける団塊の世代」は大阪ボランティア協会発行の月刊誌「ウォロ」2011年9月号に掲載)



   660万人の大集団


 団塊の世代は「寂しがり屋」だ。とりわけ男性には、その傾向が強い。だから、その一員の私は、写真家・星野道夫さん(故人)のエッセイにある次の言葉が身にしみる。
 「日々の暮らしの中で、無数の人々とすれ違いながら、私たちは出会うことがない。その根源的な悲しみは、言いかえれば、人と人が出会う限りない不思議さに通じている」。「悲しみ」は「寂しさ」でもある。大きな塊の中にいながらも、身の置きどころを求めてあがき続ける世代史が、星野さんの言葉と響き合う。
 2012年に団塊の世代は65歳の完全退職を迎え、高齢期の入り口をくぐる。仕事というよりどころから離れ、新しい居場所を探すことになる。直前に起きた東日本大震災で死を切実に感じながら、混乱の中で人生最後の大きな選択が求められる。
 団塊の世代とは、第二次世界大戦後のベビーブームで生まれた人たちを言う。絞り込んだ「1947年から49年生まれ」という定義もあり、660万人を数え、「51年まで」という拡大した定義では1000万人を少し超える。大集団ではあるが、人間関係が希薄になっていく時代を映しながら生きてきた。
 団塊の世代は、戦争を遂行するための「悪しき共同体」が崩れ去った時期に生まれ、戦後復興という国民の共同体意識が終わるころに大人になった。共同体にはある種の安心感と心地良さがある。それなのに、共同体が消えていき、一方では自分の中で個人主義が中途半端に醸成されていった。だから私たちの世代は、どこかに寂しさがつきまとう。
 そこで、集団に入り込もうとした。1970年ごろには学生運動がベトナム反戦運動といった集団行動が、その受け皿になったと言える。同じころ暴走族が数を増やしていくが、同じ構図ではなかったか。反抗が通じず、変革がかなわなかった私たちは、後ろめたい気持ちで就職した。入社してみると会社共同体が用意され、ホッとした人も多かった。
 もう一つ、私たちの世代を特徴づけるものがある。「じゃあ、お前はどうするのか」という問いかけだ。学生時代、主体性は大きな価値だったが、今なを呪縛でもある。1973年の石油ショックで高度経済成長は終わりを告げ、企業は苦しくなるのだが、団塊の世代は「自分が身を置く共同体の問題」と考え、企業戦士や働きバチに変わっていった。私が勤めていた新聞社では、1970年入社の同期で途中退社した人は少ない。

     中流の夢壊した阪神・淡路大震災


 団塊の世代が50歳という節目を迎える直前に、阪神大震災が起きた。震災を特徴づける言葉の一つに、「中流社会の崩壊」があった。日本の「中流」がもろいものだと、震災が実証してしまった。マイホームの二重ローン問題もその象徴だろう。中流社会の担い手だった団塊の世代は打撃を受けた。また、おびただしい死が、見えてきた自らの死と結びつき、人生そのものを考え直すきっかけにもなった。私はその年末に四国遍路に出た。
 2007年に60歳の定年を迎え、さて、どうするか。誰もが考えた。多くの人は、とりあえず仕事を続けた。軸足を仕事からほかに移した人も多い。市民活動、登山などの熟年スポーツ、文化活動などで、そこに求めたのは気心の知れた仲間だったと感じる。
 私の例をあげる。四国八十八カ所の歩き遍路のために、休憩所を作ろうという活動にかかわっている。遍路という以外、深いつながりのないまま、大阪近辺の人間が集まっている。中心メンバーは10人ほどで、7人までが団塊とその直前の世代だ。完全なボランティアで、動けば動くほど金を使う。そんな対価を払っても活動に加わるのは、会社に代わる共同体(仲間)を見つけたからだと思う。
 メンバーのほとんどが、1200キロの歩き遍路を経験している。歩いていると、遍路をもてなす「お接待」という独特の文化に触れる。人と人のつながりに喜びを知り、それがボランティアをする原動力になっている。実はそれだけではない。仲間と話し、休憩所の建設や遍路道の手入れなど、一緒に汗を流すこと自体に、楽しさや安らぎを感じる。会議の後は二次会に行くが、会社勤めの際の夜の付き合いを思い出させてもくれる。


     ゆるやかな共同体を志向


 団塊の世代の活動で、気づく傾向がある。多くの場合、地域に根差してはいないということだ。月に何回という、ゆるやかな共同体が主流だと思う。特に男性は仕事人間だったので、密な関係を求められる地域には足場がなく、ゆるやかな方が好都合なのだろう。
 女性はPTAやご近所付き合いを体験しているので、男性よりは自信がありそうだ。私は四国遍路の先達(案内人)を何度もしている。団塊の世代以上の参加者がほとんどで、大半は女性だ。新しい仲間に案外ためらいがない。
 私たちの世代が、社会との関係で活発かというと、そうでもない。実は、ゆるやかな共同体にも属していない人たちが主流かもしれない。その人たちはテレビを見ながら酒を飲むか、馬券を買うか、パチンコに行く。
 ただ、年齢的に避けて通れない身近な問題がある。親の介護と看取りで、団塊世代の同時代的テーマいなっている。660万人の巨大な接点がそこにある。仲間づくりの接点でもある。2012年という時も得て、団塊の世代が置かれた立場と仲間を再び強く意識するようになった時、社会を変革する集団になる可能性があるのではないか。
 阪神大震災の後、「明日はどうなるか分からない」という言葉をよく聞いた。この言葉は「だから、今を一生懸命生きる」と続く。東日本大震災後も同じことだろう。団塊の世代は3.11ショックに打ちのめされて寂しく生きていくのか、共同体を作り直すために仲間と最後の力を振り絞るのか、人生最後の転機に立っている。そこでまた問いかけがくる。「じゃあ、お前はどうするのか」(編集委員・梶川伸)


※プロフィール※1947年、名古屋市生まれ。大阪大学卒業、1970年毎日新聞入社。大阪社会部記者、高松支局長、論説委員など。阪神・淡路大震災の際には、被災者のためのページを「希望新聞」と名づける。2007年退職。現在は毎日新聞が発行している地域新聞「マチゴト豊中・池田」編集長、大阪経済法科大学客員教授。「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会副会長などを努める。






      ↑古くなった休憩所の修理作業(高知県三原村)




↑遍路道沿いに不法投棄されたごみの撤去作業(徳島県美波町)


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