同行二人 心の共同体



              梶川伸・毎日論説委員(現・「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会副会長)

              

   第1回◆人に話せる悩みなら楽なこっちゃ。そんな人は歩きゃあせん◆
                      (2002年6月26日、毎日新聞大阪本社版夕刊)


 四国八十八カ所を歩くと、気持ちが柔らかくなる。遍路道、札所、四季、人。自分の体を取り巻く全体の空気が優しく、内ある精神まで深く入り込んでふんわりと包む。そんな遍路の世界を、私は「心の共同体」と呼ぶことにしている。



      ↑一番霊山寺
 
 
   ◇50歳の決断


 「1度回ってごらん」。酒の席で友人に勧められた。酔いの勢いもあって、その場で決心した。「そうだ、乗り始めたばかりだが、自転車で出かけよう」
 阪神大震災の取材で、命のはかなさを感じた後だった。50歳という人生の節目を控えていた。今思えば、何かを求めていた時期に、ヒントを与えられたのだろう。
 車輪を外せる自転車で、9回に分けて回った。「同行二人」は弘法大師と一緒に巡拝する意味だが、私の場合には「同行二輪」でもあった。


      ↑ニ番極楽寺


   ◇「虚往満帰」


 ほとんど何の準備も心構えもなく、一番札所、霊山寺にお参りをした。この先1400舛旅堋を考えると、不安が襲った。白衣を買い求め、最初の朱印を押してもらって着たが、落ち着かない。そんな気持ちを、芳村超全住職に話してみた。
 「最初はしゃばっ気が抜けないが、六十五番くらいまで行ったら、ありがたや節ですよ」。「虚往満帰」の言葉を教えられ、気が楽になった。空海は何も期待せsず中国に渡ったしかし、たくさんのもおを持ち帰った。
 遍路道は、歩く人のために、実によくできている。最初は寺と寺の間の距離が短い。足慣らしのためだろう。自転車にしても同じだ。
 三番金泉寺では、「初日から無理をされない方がいいですよ」と、寺の人が言い、その日の宿まで紹介してくれた。しかし、まだ走り始めなので、寄り道をする。


      ↑三番金泉寺
   
 
   ◇命の大木


 四番大日寺までの間にある「岡の宮の大クス」は、樹高35叩⊆冠は東西27叩南北37辰鮓悗襦D垢で月を生きてきた命に敬意を払いながら見上げた。
 遍路のきっかけを与えた友人はその後、がんになった。5年生存率2割を告げられた厳しい状況で、生きるためには何でもした。大きな木を見つけては抱きついた。「木から命をもらう」と。
 命の力を、大木は蓄えている。五番地蔵寺には、樹齢800年といわれる大イチョウがすっくと立っている。幹のしわには、1円玉や10円玉が差し込んである。これも、命への畏敬の念だろう。
 大イチョウのそばに、水琴窟があった。地中のかめに水滴が落ち、「ピーン、ピーン」と澄んだ音を伝える。耳をすませていると、「聞こえますか」と女性の声。前の寺で、ご詠歌をあげていたグループの1人だった。
 見ず知らずの人が、気軽に声をかける。この触れ合いが、遍路の魅力でもある。遍路同士。目的が一緒なので、「どちらからですか」と聞くことで、会話が始まる。


      ↑四番大日寺
   
 
   ◇遍路宿


 紹介された民宿で、初めての宿をとった。巡拝者用の民宿を「遍路宿」と呼ぶ。どこも質素で、料金は6000円から7000円と安い。衣類を洗う洗濯機が備え付けてあるのも特徴だ。夕食は鍋とすしだった。田舎らしいセットだが、鍋の一番上に、大きなエビがデンと乗っていて、ほおが緩んだ。
 宿泊者はもう1人。全行程を歩くという男性で、夕食を共にしたが、もの静かな人だった。
 翌日、六番安楽寺で、この人と再会した。思い切って、遍路に出た理由を聞いた。「暇だから」。相変わらず口は重い。
 ふと芳村住職の言葉を思い出した。「人に話せる悩みなら楽なこっちゃ。そんな人は、歩きゃあせん」
             (2002年6月26日、毎日新聞夕刊・企画特集)
                     =写真は新聞記事のものとは別です
 
 


      ↑五番地蔵寺




      ↑六番安楽寺




      ↑七番十楽寺
 




      ↑八番熊谷寺
 




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   第2回◆山登りのつらさが心の動きと結びつき、忘れ得ぬ場所になる◆
                      (2002年7月29日、毎日新聞大阪本社版夕刊)

遍路ころがし。十二番焼山寺への道をいう。歩き遍路には厳しい山道で、最初の難所となる。自転車のルートは別だが、力のない私には試練の道だった。山には包容力があるのだろう。弱気な私を、どうにか標高800辰領郛譴飽き上げてくれた。


      ↑九番法輪寺
 
 
   ◇お接待


 「焼山寺まで登り切れるだろうか。心の中で、朝から不安が渦巻いた。
 九番法輪寺には、「健脚祈願」と書かれたミニわらじがたくさん奉納されている。同じ思いの人が多いに違いない。
  茶店の女性が「お接待するわ」と、鳴門金時の焼きイモとコーヒーを差し出した。お接待とは、お遍路さんにお金や食べ物を提供する心遣いのこと。心の共同体を実感する瞬間だ。
 お接待は、遍路の背中に弘法大師を見ている。だから、ありがたくいただく。そんな心の通い合いが、旅を豊かにする。
 実は、お接待よりありがたいことがあった。私に「学生さん」と声をかけてくれたことだった。
自転車なので、少々は若く見えたかもしれない。しかし、50歳を前にして「学生さん」はお世辞がすぎる。それでも朝からのモヤモヤが吹き飛んだ。「よし、登るぞ」


      ↑十番切幡寺


   ◇遍路ころがし


 十一番藤井寺には、フジ棚が広がる。自転車では冬に訪れたが、後にバスツアーで八十八カ所を巡拝した時には、紫と赤紫の花をつけていた。一番いい時期には「五色の花」が咲くらしい。
 焼山寺へは、傾斜のゆるい行程40キロの道を選んだ。鮎喰(あ・くい)川の渓谷美と無農薬野菜の無人店を見ながら走っているうちはよかったが、最後の5キロはばてた。まさに遍路ころがし。ヒイヒイ言いながら自転車を押し上げた。行としての遍路を、少し体験した気になる。
  疲れていたあまり、自転車のヘルメットをかぶったままでお参りし、寺の人に叱られた。体はそれほどヨレヨレだった。
 ここの思い出は、何人もから聞いた。知り合った女性の歩き遍路は、山道の庵で一泊した。出発する時、以前泊まった人が「お接待に」と置いていた布袋をもらった。何年かたって、わざわざ庵に立ち寄り、今度は自分が作ったハンカチ108枚を届けたという。


      ↑十一番藤井寺
   
 
   ◇ツアー人気


 男性の歩き遍路は、母の弔いに回った。「何も親孝行ができなかった」と寺の人に語ると、「よかったですね」と意外な応対。「亡くなる順番があなたと逆だったら、そんな悲しいことはない」。その一言で気が楽になったそうだ。
  人生は思い出づくりの旅ともいえる。ここは、山登りのつらさが、心の動きと結びつき、忘れられない場所になる。
 バスツアーでは驚いた。途中で乗り合いタクシーに乗り替える。すると、山上まで運んでくれる。十番切幡寺など、難所はどこもこの方式。お四国参りの人が増えているのは、このような便利さによるところが大きい。
 樹齢300年の杉木立に囲まれていると、汗が冷えてきた。ウインドブレーカーを着て、山を下りる。ブレーキはかけっ放し。手に力がなくなる。下りも予想以上のしんどさ。それもまた、心と体の試練だろう。
 神山温泉の前の遍路宿で、二十番鶴林寺のそばの老夫婦と一緒だった。奥さんが歩き遍路に出たものの、薬を忘れていたので、ご主人が車で届けにきたらしい。「鶴林寺にお参りした後、ぜひ寄ってください」。何度も言った。名前も住所も言わないのだが。おおらかで素敵な2人だった。


      ↑十二番焼山寺
   
 
             (2002年7月29日、毎日新聞夕刊・企画特集)
                     =写真は新聞記事のものとは別です
 
 


      ↑十三番大日寺




      ↑十四番常楽寺




      ↑十五番国分寺
 




      ↑十六番観音寺
 




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   第3回◆噴き出る汗 つらい山道 目の前にはロープウェーが……◆
                      (2002年8月27日、毎日新聞大阪本社版夕刊)

 四国八十八カ所のうち、阿波の国(徳島県)を「発心の道場」と呼ぶ。弘法大師の教えに目覚める遍路といえる。楽な道もあれば、つらい山道もある。全行程のミニ版と言ってもいい。阿波を過ぎると、土佐の国(高知県)の「修行の道場」に入る。


      ↑十七番井戸寺


   ◇優しさの味


 遍路道はおおむね海岸線を進みながら、何度となく山へ入りつつ、四国を一周する。今回のコースにも、高い山が二つあった。
  二十番鶴林寺は、勝浦川を登っていく。12月という寒い時期の自転車遍路だった。
ミカンの収穫をしている女性に声をかけられた。「まだ酸っぱいかもしれんが、食べてみるで(食べてみますか)」
 木からミカンを一つ切り取ってくれた。葉を1枚つけたまま。こんな心遣いがうれしい。遠くから来た遍路とわかっているからだろう。
  「甘いよ」と答えると、もう一つミカンを差し出した。「何ぞ、ミカンを運ぶ便があったら、自転車を運んだるのになあ」と言う。こちらは自転車での完走を目指しているので、気持ちだけちょうだいした。


      ↑十八番恩山寺


   ◇誘惑を払い


 寺は標高570叩I/紊出て止まらない。おまけに、汗も混じる。ティッシュでは追いつかない。ハンカチも鼻水と汗でグシュグシュになり、最後はウインドブレーカーで顔をふきふき進んだ。
 気が滅入ってきた時、もう一つのミカンを口に含んだ。水分の多い、さわやかな甘さが広がって、一息ついた。人の気持ちの優しさを、しみじみと感じる。
 次の二十一番太龍寺も、標高が500辰△襦A當に出発することにして、宿をとったが、そこは寺へのロープウェーの駅のすぐそば。心に迷いが生じる。「乗ってしまおうか」。誘惑を何とか振り払ったが、心の弱さも思い知った。
 山の朝は寒い。足に爪先が冷たい。かねて用意の爪先二重作戦を試みた。靴下の上部を切ったものも重ねてはいた。それでも冷たい。
 出会った遍路に、「タカノツメを靴下に入れるといい」と教えてもらったことがあり、以後はそうした。遍路同士の情報交換だ。ただし、この時は、そんな知恵は持ち合わせてなかった。


      ↑十九番立江寺
   
 
   ◇修行の道場へ


 たき火をしている人を見つけ、体を暖めさせてもらった。「行けるとことまで行って、後は自転車を道に置いておけばええ」。ありがたい忠告をもらい、その通りにした。
 結局、2時間あまりを要した。寒さに疲労が重なった時に思い出したのは、一番霊山寺の住職が言った「お大師さまは心配して見守っている。まばたきもせずに」という言葉だった。苦しい時のお大師頼みだが、凡人にとっての「同行二人」とは、そんなものだろう。
 後に、バスツアーで回った時には、ロープウェーでわずか12分だった。川と谷を渡る雄大な空中散歩で、それはそれでいい。ただ、寺の人に聞いた「自力で登る人は1割にも満たない」との話を思い出し、ついニンマリしてしまう。
 二十三番薬王寺を最後に、高知県に入る。修行の道場の特徴は、寺と寺の間が遠いことだ。いきなり、二十四番最御崎寺まで80キロあった。
 室戸岬の切り立った断崖の上に寺はある。一休みしていると、自転車で回っている女子学生に出会った。話しているうち、小さ目のアサリにきれいな布をかぶせた飾りものを見せてくれた。別の遍路からもらったという。
 私も女性の遍路に、同じようなものをもらった。その女性はお接待を受けた人に、お礼として渡していた。ひょっとして、同じ人かもしれない。偶然がついて回るのも、遍路の面白さだ。


      ↑二十番鶴林寺
   
 
             (2002年8月27日、毎日新聞夕刊・企画特集)
                     =写真は新聞記事のものとは別です
 
 


      ↑二十一番太龍寺




      ↑二十二番平等寺




      ↑二十三番薬王寺
 




      ↑二十四番最御崎寺
 




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   第4回◆思いがけない体験が人生を豊かにする◆
                      (2002年9月25日、毎日新聞大阪本社版夕刊)

 「修行の道場」の土佐の国(高知県)を自転車で走る。東西に長い地形で、体力がいる。それが修行にもなる。しかし、心の修行をさせてもらった感の方が強い。四国に行けば、優しい人に会える。やがて、自分自身も優しくなるような気がする。


↑二十五番津照寺


   ◇84歳の厚意


 土佐の国は、魚のおいしい土地でもある。地元のスーパーに寄るのは、遍路の楽しみだ。二十五番津照寺のそばでは、シオの刺し身、タチオウのすしを買って、昼食にした。後のバスツアーでも、スマのたたきを見つけた。「その土地を知る」などと買ってな理屈をつけて、口に運ぶ。
 標高450辰瞭鷭充携嵜席寺に登る。ふもとで出会った84歳のおばあちゃんが印象深い。
 水筒の水を補給しようと思って、水をくめる場所を尋ねた。すると、「うちの水はおいしいきに」と言って、わざわざ300知イ譴深宅の井戸まで案内してくれた。
 それだけではない。お接待だからと、パック入りの赤飯を差し出す。近所の人にもらったばかりだという。「見つからんよう、早うしまいなさい」と言って。朝から体調が悪く、気分が沈んでいただけに、この好意は心にしみた。
 だが、体調は戻らない。自転車を置き、最後の1・5キロは歩いた。腹具合がいっそう悪くなる。たまらなくなって、遍路道にしゃがみ、大便をした。真冬なので、お遍路さんの姿が見えないのは幸いだったが、恥ずかしいことこのうえない。


      ↑二十六番金剛頂寺


   ◇「本日家族」


 お四国さんを1周すれば、長い日数がかかる。だから、思いがけない体験もする。それが、人生を豊かにすることにもなる。
 二十八番大日寺では、住職と話し込んだ。「大師堂で野宿しようとする人もいる。歩いている人は、求めがあれば無条件で泊める」。住職でさえ、歩き遍路は弘法大師の弟子だと考えている。
 ただし、自分の方から声はかけない。「歩いて回る人は、自分との対話が目的。そっとしてあげた方がいい人もいる」からだ。
 その夜は、寺からさほど遠くない農家、都築靖夫さんのお宅に泊めていただいた。納屋を改造して2部屋を用意して、歩き遍路に無料で宿を提供している。このような宿は「善根宿」と呼ばれる。「自転車も自力じゃきに」と、お許しが出た。
 備え付けのノートに、住所と名前を書く。ノートの表紙に書いてあった言葉が、都築さんの考えを象徴していた。「本日家族 増員名簿」
 一番ぶろをいただき、夕食は家族と一緒だった。「農家じゃきに、野菜はある。あるもんを分け合って食べる。家族と思うとるから、きがねせんでもええ。だから、いつ来ても困らんわけよ」。そんな気持ちになれる都築に、頭が下がる思いだった。


      ↑二十七番神峯寺
   
 
   ◇気力指数0


 農作業を手伝いながら、2カ月も世話になっているという男性も、夕食を共にした。その男性が言った。「経済的には豊かではない。でも、お接待に手を抜かん」
 気がねをしていると、都築は酒をすすめた。「遍路と飲むのは楽しいきに」と笑いながら。忘れられない一夜になった。
 自転車でのお参りの時、このあたりを100キロほど走った日があった。2泊3日の旅の3日目だったこと、山道もあったことで、非力な私の体力を超えていた。
  通常は時速23キロ前後で走るのだが、最後は10キロ以下に落ち、目的地に着いた時には、気力の残り指数もゼロになっていた。その経験をして以来、マラソンや駅伝で大きく遅れながらも、気力を振り絞っている選手を見ると、「頑張れ」と心で叫ぶようになった。体力という遍路の経験が、優しさの心を与えてくれたのだと思っている。


      ↑二十八番大日寺
   
 
             (2002年9月25日、毎日新聞夕刊・企画特集)
                     =写真は新聞記事のものとは別です
 
 


      ↑二十九番国分寺




      ↑三十番善楽寺




      ↑三十一番竹林寺
 




      ↑三十二番禅師峰寺
 




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   第5回◆大きな海と、人々の広い心に傷を癒され◆
                      (2002年10月22日、毎日新聞大阪本社版夕刊)

 1日のお参りをすませて宿に入る。遍路宿はどこも素朴だが、お接待というもてなしの心を忘れない。ほかの客と一緒の食事になることが多く、遍路同士の心やすさで、すぐに打ち解ける。自転車で回った時はもちろん、バスツアーでも同じだった。


↑三十三番雪渓寺


   ◇境内の花


 三十三番雪蹊寺は、道路わきから境内が始まる。本堂の前のムラサキシキブは、秋に紫の実をつける。寺の花を見るのも遍路の楽しみだ。自転車での遍路に、住職が「風流やのう」と笑った。
 その日の宿は、歩き遍路用の地図に載っているものから選ぶと便利だ。夕方が近づき、40キロほど離れた旅館に電話を入れた。「料金は1万円です。あ、お四国さんですか。それならお接待で8000円」
  そんな心使いは何度か経験した。ただし、現在地を聞かれ、「自転車で夕方までに着くのは無理」と教えられた。結局、別の宿にした。
 三十五番清滝寺は、ハッサクの木に囲まれた山道を登る。登りが多いと、自転車のスピードがガタンと落ちる。「夕方までには無理」の忠告は正しかった。
 サザンカが咲き誇り、ロウバイも咲き始めていた。茶店の女性は「境内の桜は雪割り桜で、2月の中ごろには花が咲く」と話した。半月ほど早かったのが残念だった。


      ↑三十四番種間寺


   ◇銀輪の災い


 三十七番岩本寺と、足摺岬にある三十八番金剛福寺の間は100キロもある。八十八カ寺の中で1番長い。距離が長ければ、思わぬ体験をする可能性がある。私の場合は自転車での転倒だった。
 頭から路面に落ちた。ヘルメットをかぶっていたので、何とか大事にならずにすんだ。その後、自転車通学でのヘルメットの着用の是非について、意見を求められたことがあった。迷わず「着用すべし」と答えた。私にとっては、ヘルメットは命の恩人だったからだ。
 脳しんとうを起こし、意識がもうろうとしている私のけがの応急手当てをしてくれたのは、お四国を回っている修行僧だった。その僧がいなければ、フラフラしている間に、自動車にひかれていたかもしれない。
 自転車が痛んだので、早めに宿をとることにした。足摺岬の民宿に電話をすると、満員だという。しかし、やや間を置いて、「お四国さんですか」と聞く。自転車で巡拝していることを告げると、「それなら何とかします。お大師さんですから」と言った。転倒でヨレヨレになっているのに、お大師さんとは。自分の不注意を恥じた。
  金剛福寺に参ると、リュックの中の線香が粉みじんになっていた。改めて転倒の衝撃を知る。寺の女性に話すと、「いいわけ、悪いわけ。悪いわけ、いいわけ。明日からいいことがありますよ」と、慰められた。何だかいい言葉で、ずっと覚えている。


      ↑三十五番清瀧寺
   
 
   ◇共有の空間


  宿は確かに客で一杯だった。それでも団体客に詰め合ってもらい、小さな部屋を用意してくれていた。ふろの窓から太平洋が見えた。湯は傷にしみたが、ゆったりとした気分になった。大きな海と、接した人たちの心の広さのおかげだろう。
 バスツアーで足摺岬の旅館に泊まった時も、思い出深い。格安ツアーなので、男女に分かれて、5人が同じ部屋に寝た。自然と雑談が始まる。
  ある男性の奥さんは再生不良性貧血と診断された。経営していた町工場を売り、残された時間を奥さんと一緒に過ごすことにした。病気にいいという温泉を訪ね歩き、よく効くという薬は何でも試してみた。「それから3年たたんですよ」
 そんな身の上話をしみじみと語り、しみじみと聞く空間ができるのも、お四国参りならではだろう。別室の奥さんはどんな話をしていたのだろう
 「菩提の道場」の伊予の国(愛媛県)へ。最初の四十番観自在寺で、住職の話に聞き入った。
 「菩提は悟りを開くことで、心の行を積む。お大師さんのお任せして、自分を見つめ直す。歩くことは体にいいし、いろいろな人とも会え、考える機会になる」


      ↑三十六番青龍寺
   
 
             (2002年10月22日、毎日新聞夕刊・企画特集)
                     =写真は新聞記事のものとは別です
 
 


      ↑三十七番岩本寺




      ↑三十八番金剛福寺




      ↑三十九番延光寺
 




      ↑四十番観自在寺
 




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   第6回◆出合いそのものが「人生であり修行」と知る◆
                      (2002年11月25日、毎日新聞大阪本社版夕刊)

  伊予の国(愛媛県)は「菩提の道場」で、心の修行をする旅だという。失敗ばかりを繰り返し、心の成長のない私だが、出会った人の話には印象深いものが多い。その言葉をかみしめる時、四国八十八カ所の素晴らしさと奥深さを感じることになる。


↑四十一番龍光寺


   ◇不屈の人


 思い出深い人は数えきれないほどいる。伊予の最初の札所、四十番観自在寺の住職が「200回以上もお四国参りをしている人がいる」と言って紹介してくれた竹内義光さんも、その1人だ。高松市の自宅を訪ねたことがある。
 竹内さんは52歳の時、脳血栓で倒れた。リハビリを続け、日常生活には支障がなくなった。しかし、奥さんは「右半身と言葉がかいない(鈍い)」と言う。それでも左手、左足で運転できる車の免許を取った。倒れて8年後だった。「何くそ」の気持ちだったらしい。
 以後、車での巡拝を繰り返す。助手席を取り除いて、毛布などを積み込み、車の中で寝る。当初は夫婦での参拝だったが、そのうち1人で参るようになった。最初の車は17万キロを走った。出会った時は、すでに6代目の車に乗っていた。
 奥さんは「ともかく行くのが楽しいようだ」と話す。たくさんの人に出会い、たくさんのことを知ったに違いない。


      ↑四十二番仏木寺


   ◇若き尼僧


 冬のお参りで、タイヤにチェーンをはめていると手伝ってくれる人がいる。山の寺へ、車を置いて登ると、帰りは寺の車で送ってもらったこともある。100回記念で、ある寺から修行大師の仏像をもらった。そんな話を聞かしてもらった。回ること、出会うことが、修行そのもの、人生そのものなのだろう。
 私も四十四番大宝寺への道で、いい出会いをした。白装束の若い尼僧だった。満開のツツジと白い色のコントラストが目に焼き付いた。
 「短大を卒業して社会に出たけれど、仏縁があって高野山で修行をした」。2年間のお礼奉公をすませ、務めることになった福岡県の寺に行く途中、四国霊場を歩いて回っていた。
 私はと言えば、納経帳を忘れ、宅配便でその夜の宿に送ってもらうよう手配をしたところだった。その失敗談を打ち明けると、「信仰は別にしても、八十八カ所を回ると、自然から教えられるものは多いでしょう」と慰められた。優しい言葉だった。こちらは自転車なので、先に行った。
 翌日、四十五番岩屋寺に参った。ここも初夏はツツジが美しい。寺は切り立った岩場にへばりついていて、石段を登っていく。本堂のお参りをすませ、さらに白山権現の修行場まで登り、鳥の声を聞きながら、しばらく自然の静かさの中に身を置い。


      ↑四十三番明石寺
   
 
   ◇孔雀飛ぶ


  本堂に下りて驚いた。前日の尼僧が、顔の汗をふいて登ってきた。第一声が「私、孔雀(く・じゃく)明王ですよ」。自転車と徒歩の差があるので、再会など考えられないことへの答だった。親切な運転手がトラックに乗せてくれたので、孔雀が飛んでくるように速かったという意味だった。岩屋寺にまつってある仏像の一つ、孔雀明王にも引っかけたユーモアだった。
 尼僧は白山権現に参るのを楽しみにしていた。赴任する寺にも、白山権現があるからだ。もし、私が本堂と大師堂だけのお参りだけで山を下りていたら、再会はなかった。弘法大師はいきな計らいをしてくれる。
 四十六番浄瑠璃寺は、標高720辰糧坂峠から一気に下ったところにある。自転車なら30分あまり。快適な下り坂に自転車を任せていたら、寺への分かれ道を見逃していた。
結局、ふもとから今度は緩い上り坂を約10キロほど逆戻りした。しかも、自転車にくくりつけていた予備のタイヤがなくなっている。何かの拍子にひもがはずれ、タイやは谷に落ちたに違いない。楽しい思い出の後に、つまらない失敗の思い出。お大師さんは、修行の場だということを忘れるな、と諭したのだろう。
 境内では、オオデマリの花が満開だった。寺の人は「最初は緑色が残り、咲き切ると真っ白になるので、アジサイのような花と言われる」と話した。遍路の旅も七変化するのだと、花を見ながら一人うなずいた。


      ↑四十四番大宝寺
   
 
             (2002年11月25日、毎日新聞夕刊・企画特集)
                     =写真は新聞記事のものとは別です
 
 


      ↑四十五番岩屋寺




      ↑四十六番浄瑠璃寺




      ↑四十七番八坂寺
 




      ↑四十八番西林寺
 




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   第7回◆湯船に浸り、ひと時の会話に心通わせて…… ◆
                      (2002年12月26日、毎日新聞大阪本社版夕刊)

 一期一会という。お遍路で出会った人の多くは、一生に1度の縁だ。しかし、目的が共通なので、互いに話かけやすいし、どこかで心が通い合う。1度きりの出会いを大切にするが、中には交流が続く人もいる。それが遍路の魅力でもある。


↑四十九番浄土寺


   ◇坊ちゃん湯


  四十九番浄土寺は、石段の上に山門がある。バスツアーで行った時、添乗員が面白いことを言った。「山門の仁王とにらめっこをしてみなさい」
 のぞき込むと、目がうつろだ。盗まれたのだという。何とふらちな。
 自転車遍路の際の思い出は、群馬県の夫婦との会話だった。前々年に親を亡くしたという。「それまでは、長い旅ができなかった」。きっと、看病や介助に明け暮れたのだろう。こちらは1カ月に3日ずつ回っていることを告げると、「休みのたびに回れるのはいいねえ」とうらやんだ。それを聞き、「半分は仕事」とは言い出せなかった。
 遍路の出会いは、たいていの場合、すれ違いに近いような、ほんの短い時間だ。そんな触れ合いでも、どこか心地よく、話がはずむ。
 五十一番石手寺は、道後温泉の近くにある。ペダルを踏んで疲れた体には、温泉はうれしい。有名な「坊ちゃん湯」で一ふろ浴びた。木造2階建てのレトロな建物は、落ち着きがある。


      ↑五十番繁多寺


   ◇夫婦湯治旅


 遍路ルート沿いには、気軽に入れる温泉がいくつかある。高知県の三十七番岩本寺から三十八番金剛福寺の間にある温泉でも、湯船に身を沈めた。「歩き遍路も入りますか」と聞いて、「先を急いでいるから、入る人はほとんどおらん」と一蹴されたのを覚えている。歩き遍路は覚悟が違うのだ。ちょっと後ろめたい気がした。
 六十四番前髪寺と六十五番三角寺の間の温泉では、雨に打たれた体を温めた。ところが再度走り出すと、一時やんでいた雨がまた降り出し、意味のない入浴になってしまった。
バスツアーで松山市周辺の札所を回ると、必ずといっていいほど、道後温泉に泊まる。ツアー客には年配者が多い。それを見込んで、温泉を組み込んでいるようだ。
  同室の人と一緒に温泉に入ると、不思議と口が軽くなる。がんの妻と暮らす男性は、2人での闘病生活を語った。
 「秋田県の玉川温泉にも行った」。本紙朝刊で連載している佐藤健記者の「生きる者の記録」にも登場した温泉だ。「酸性の強い温泉で、10円玉をつけておくと、一晩でとけてしまう。入ると、体中に湿疹ができる。2、3日でひくが、あまり動かない方がいいので、食事を私が作った。それ以来、食事づくりは私の役割になった。妻が味に文句を言うと、『食べるな』って怒鳴るんですよ」。屈託がない。


      ↑五十一番石手寺
   
 
   ◇遍路の友


 長い道中では時々、自転車遍路を見る。こちらもそうだから、声をかけ合う。五十四番延命寺で会った人は、当時66歳の東京の男性だった。友人の子どもが若くして亡くなったので、戒名を書いてもらい、供養を兼ねて回っていた。「人力に近いので自転車を選んだが、天候と健康に左右されるのが自転車」と語っていた。
 私のその回の自転車遍路は、延命寺で打ち止めだった。男性は八十八番まで一気に走るという。当時、私は高松市で勤務していた。遍路コースに当たるので、「ぜひ会社に寄るように」と告げて、男性と別れた。5分ほどの時間だっただろうか。
 何日かして突然、その男性が会社に立ち寄った。そのあたりが、遍路同士の気安さだろうか。たまたま私は遠出をしていたが、会社からの連絡で、1時間かけて舞い戻った。
その晩は高松泊まりだという。これ幸いと酒に誘い、名物のさぬきうどんも接待した。親しみは一度に増した。
  男性は東京なので、その後、会うことはない。しかし、時に便りが届く。「がんになったが、ハワイの自転車レースにも参加した」と、したためられていたこともある。そんな時、遍路の友を得たと感じる。


      ↑五十二番太山寺
   
 
             (2002年12月26日、毎日新聞夕刊・企画特集)
                     =写真は新聞記事のものとは別です
 
 


      ↑五十三番円明寺




      ↑五十四番延命寺




      ↑五十五番南光坊
 




      ↑五十六番泰山寺
 




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   第8回◆貝の飾りがもたらした奇縁にしばし顔を見合わせ ◆
                      (2003年1月27日、毎日新聞大阪本社版夕刊)

 四国遍路には日数がかかり、その間には悪い天候に出会うこともある。今回取り上げたあたりを自転車で走った時は、ズブ濡れも経験した。おおげさに言えば、それが試練なのだろう。同時に、そんな状況で受けたお接待の味は、忘れることはない。


↑五十七番栄福寺


   ◇再会導く宝


 人との出会いは楽しく、不思議なえにしで結ばれることもある。
 五十七番栄福寺で、徳島市の夫婦に出会った。この当たりはすでに回っていたが、この寺だけは朱印をもらう納経を忘れていた。心残りなので、この寺だけの参拝に、やってきたのだという。
 納経を忘れていなければ、会うことはなかった。そんな偶然を記念して、手作りの貝の飾りを手渡した。以前に知り合った女性の歩き遍路から、「お世話になった人たちにプレゼントしてください」と言われ、預かった20個ほどのうちの一つだった。
 それから2カ月ほどたった。当時、私は高松市での勤務だった。その女性遍路が巡拝の途中、訪ねてきた。暑い盛りだったので、冷たいトコロテンを出す店に案内して、お接待をした。
 店のそばの七十九番天皇寺に寄った。すると、境内で夫婦が声をかけてきた。「その節はありがとうございました」と言って、リュックにつけた貝の飾りを指差す。何と、栄福寺で会った徳島市の二人だった。
 私は「作ったのは、この人ですよ」と、大声をあげてしまった。こんな奇縁もあるものかと、4人はしばし顔を見合わせた。


      ↑五十八番仙遊寺


   ◇心情の吐露


 自転車の場合、六十番横峰寺より先に、六十一番香園寺から六十三番吉祥寺までを参った方が都合がいい。
 香園寺で話をしたのは、沖縄県の歩き遍路の男性だった。歩き始めて30日目。「何で歩いているのでしょうかねえ。それが知りたくて、歩いているのかも」。哲学的な言葉に感じ入り、貝の飾りをあげた。飾りはリュックのアクセサリーになった。
 バスツアーで五十九番国分寺に参拝した時、目に止まった言葉は胸に突き刺さった。歩き遍路のために、通夜堂と名づけられた小さな建物が設けられていた。中に、宿泊者が書き込むノートがあった。21歳の男性の文章である。
 「両親が離婚。自分が知らないうちに、母が妊娠して再婚した。憎しみの歯止めがきかず、気がついてみると、大学を中退して遍路になっていた。所持金は1000円。食欲に負けて窃盗を働き、警察に連れていかれたこともある。今は心も強くなった。今考えているのは、将来何になるかということと、親を許せるかどうか」
 率直な心情の吐露に感銘を覚え、失礼とは思ったが要約して書かせてもらった。八十八カ所を回り続けているらしい。はたして、どんな気持ちで……。


      ↑五十九番国分寺
   
 
   ◇雨のち“晴れ”


 横峰寺への参拝は、土砂降りの雨の中だった。自転車用のシャツを着込んだ。五十四番延命寺で知り合った自転車遍路の男性から贈られたものだ。雨を通さないから、遍路の友の好意には感謝した。
 寺は標高700辰△泙蝓G澑の時期だったが、濡れた体が冷えてくる。あわててウインドブレーカーを重ね着した。
 下りは風を切って走るので、さらに悲惨で、震えがきた。たまらず、バスの待合所に飛び込んだ。すると、男性から声がかかった。「雨が降っての自転車はつらかろう」
男性は、サツマイモと小麦粉で作った「カンコロもち」を焼いて差し出した。カップ酒の瓶に入れたお茶と一緒に。
 もちのおいしかったこと。体の中に、じんわりと暖かさがしみ込んでくる感じがした。ここでもお礼は、貝の飾りだった。
 ある時、高知市の日曜市を訪ねと、カンコロもちを見つけた。うれしくなって買って食べると、特別な味ではない。その時に思った。横峰寺のそばでは、お接待の心がおいしく、温かかったのだと。


      ↑六十番横峰寺
   
 
             (2003年1月27日、毎日新聞夕刊・企画特集)
                     =写真は新聞記事のものとは別です
 
 


      ↑六十一番香園寺




      ↑六十二番宝寿寺




      ↑六十三番吉祥寺
 




      ↑六十四番前神寺
 




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   第9回◆自転車遍路 最大の難所で精根尽き果てて…… ◆
                      (2003年2月26日、毎日新聞大阪本社版夕刊)

 六十六番雲辺寺は、標高900辰旅發澆砲△襦コースの中で最も高い。自転車遍路の最大の難所だった。四国霊場は山岳仏教的な要素もあり、その一端を体験した。徳島と香川の県境にあり、ここから讃岐(さぬ・き)の国の「涅槃(ね・はん)の道場」に入る。


↑六十五番三角寺


   ◇荒れる大敵


 伊予の国「菩提(ぼ・だい)の道場」の最後は、六十五番三角寺だった。ここも430辰旅發気ある。
 寺の下までは、突風に見舞われながら国道を走った。自転車にとって、風は大敵だ。自転車が大きく揺れ、車にぶつかりそうになる。道路わきの田に落ちそうになる。仕方なく、坂道でもないのに、自転車を押して歩いた。
 実際の山道は約5キロ。今度は自分に力足らずで、自転車を押し上げた。バスツアーでは、タクシーに分乗して、ミカン畑の中を登っていく。
 石段の上に、色をなくした山門があった。山門に鐘が取り付けてある。その鐘をついて、境内に入った。そこには、色鮮やかなバーベナが咲き誇っていた。
  宿は海岸近くまで下りていく。翌日の雲辺寺の上りを考えると、「せっかく登ったのに」と、うらみ言を言いたくもなる。そんな心をとがめたのだろう。タイヤがパンクしてしまった。


      ↑六十六番雲辺寺


   ◇また一難


 四国を回っている間に、パンクは3回経験した。いつも、夕方近くだった。疲労で注意力が散漫になっているためだろうか。疲れている時のパンクは、気力をなえさせる。毎回、予備のタイヤに取り替えると、一目散に宿を目指した。
 雲辺寺へは32キロほどの上り。まず、国道を20キロ。ペダルを踏み始めたとたんに上りだから、気が滅入ってしまう。5キロは自転車を押した。
 次に、本格的な山道が11キロ。ここは全行程を押した。体は汗でグッショリ。人がいないのを確認して、シャツとパンツを着替えた。足の皮がむけ、傷テープを張った。
 「自転車の意味がない」とこぼしたくもなるが、クタクタで独り言も出ない。夏の装いに変わっていた木々の深い緑が慰めだった。最後の1キロは、坂がきつすぎて、自転車を道端に置き、身一つで歩いた。
 精根尽き果てて寺にたどり着くと、弘法大師ゆかりの井戸があった。ひしゃくにくんで、立て続けに5杯も飲んだ。そのおいしかったこと。「一滴の水に無量の功徳あり」。井戸の説明文にあった言葉も、胃に染み透った。


      ↑六十七番大興寺
   
 
   ◇追い打ち


 境内からは瀬戸内海が見えた。雄大な眺め。2500辰猟垢気鮓悗襯蹇璽廛ΕА次淵丱好張◆爾濃箸Α砲眈さく見える。遍路で知り合った女性からもらった貝の飾りを、松山市の2人連れに手渡した。最高峰に達したうれしさを、だれかと共有したかったからだ。
 本堂と大師堂の参拝をすませ、待ちに待っていた下り。気のゆるみは、思わぬ失敗を招く。道を間違えたのだ。坂道を3キロほど逆戻り。うんざりしながら、また自転車を押し、余分な労力を使ったことを悔やんだ。
 六十八番神恵院と六十九番観音寺は、同じ境内にある。そこへ向かったのは、8回目の遍路旅の初日だった。自転車を組み立てて、出発しようと思ったら、前輪のスポークが1本折れていた。前日、自転車を袋に詰める際、点検を怠っていたのが、こんな結果になる。
 自転車屋を探して修理してもらった。私の自転車はロードレース用。その自転車屋には、合うスポークがない。「応急修理をしとくから」と主人。さらに「実用車にしなさい。あんたの自転車は格好だけ。途中で故障しても、部品がないじゃろ」と説教された。
遍路道には、いたる所に教訓があり、教えを説き、知恵を授ける「町のお大師さん」がいる。
 バスツアーにとって七十一番弥谷寺は、四十五番岩屋寺と並ぶ難所だ。山門から参道の石段が続く。地蔵の赤い前だれが、木の枝やてすりなど、いたるところにぶら下げてあった。参拝者が、一休みのついでに掛けていったのだろう。磨崖仏があり、堂塔は山肌にへばりついている。ここも、山と仏教の関係を知る霊場だった。


      ↑六十八番神恵寺
   
 
             (2003年2月26日、毎日新聞夕刊・企画特集)
                     =写真は新聞記事のものとは別です
 
 


      ↑六十九番観音寺




      ↑七十番本山寺




      ↑七十一番弥谷寺
 




      ↑七十二番曼荼羅寺
 




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   第10回◆「安心立命」心を安らかにして……酒をチビリと◆
                      (2003年3月26日、毎日新聞大阪本社版夕刊)

 讃岐の国の「涅槃(ね・はん)の道場」まで走ってきたが、遊び好きの心や煩悩が振り払われたわけではない。七十五番善通寺の高吉清順管長に「安心立命(あん・じん・りゅう・めい)」という言葉で、「心を安らかにしてこそ」と諭されたものの、私の心は酒の誘惑につい負けてしまった。


↑七十三番出釈迦寺


   ◇365里


 「島を一つの境内と見る」。一番霊山寺の芳村超全住職が言った。遍路は大きな境内を右回りに行く。「その距離は365里」
 この数が、1年の日数と一致するのが面白い。365里が正確なのかどうかは知らないが、おおむね当たっている。しかも、「遍路の意味は、点じゃなくて道にある。日数をかけるので、雑念が消え、発想の転換になる」と言う。私の場合、自転車で随分と走ってきたのに、雑念がつきまとうのだが。
 七十三番出釈迦寺は、鐘楼と一緒になった山門を入っていく。お参りをしていた淡路島の女性と声を交わした。「交通事故で足が曲がらん」と言いながらも、何回も回っている。この女性はもう、雑念とは無縁なのだろう。
 寺の前の無人販売所で、ネオマスカット1房を200円で売っていた。迷っていると、この女性が言った。「安いよ」。その一言で、1パックを買って、リュックに詰めた。「安いよ」とスパッと言う潔さに、妙に感心しながら。


      ↑七十四番甲山寺


   ◇雑念


 三十六番青龍寺で出会った女性も、印象に残っている。目が不自由で、夫が付き添っていた。「以前はお四国を回っとったけど」。高齢になったので断念した。「今は嫁が代参してくれる。この寺だけは、時々お参りする」。こちらは穏やかな話し方だった。
 善通寺では、宿坊に泊まった。以前、取材したことのある高吉管長に、もう一度、話を聞いてみたかったからだ。
 管長は、祈りの気持ちの大事さを説いた。「テレビやラジオといった世の中の雑音をシャットアウトせんと、自分の気持ちがお大師さまに伝わらんわな」。そこで口にしたのが、「安心立命」だった。
 夕食の後、テレビもラジオもない部屋で、夜を過ごした。ネオマスカットを口に運びながら、文庫本を読んだ。
 しかし、どうも時間をもてあます。口寂しくなって、酒を買いに出た。運良くなのか悪くなのか、すぐ近くに酒屋があった。カップ酒を手に入れて、部屋でチビリチビリとやってしまった。
 翌朝は午前5時半からのお勤めに参加した。9月だったので、夜がはっきりと明けていく時間帯だった。
 読経の声が、かねの音とともに、御影堂の静けさの中に響く。最後は「南無大師遍照金剛」の繰り返し。不信心な私でも、身も心も洗われていく感じがする。弘法大師が使ったという錫杖を管長が披露し、「お大師さまとご縁を結ばれました」と言って、お勤めは終わった。前夜のことはすっかり忘れ、いい時間を過ごしたことに感謝した。


      ↑七十五番善通寺
   
 
   ◇祈り


 七十六番金倉寺の本堂には、巨大な数珠が滑車にかけてある。引っ張ると、カタカタ、パチパチと数珠の玉が落ちてくる。
 バスツアーの一行の中で、目に止まった女性がいた。他のメンバーは立っているのだが、1人だけ地面にタオルを敷き、その上にひざをついて、一心にお経をあげている。一行が大師堂に移っても、やはり同じポーズを繰り返した。
 声をかけてみたかったが、気が引けた。二十八番大日寺の住職の言葉がよみがえったからだ。「そっとしておいてあげた方がいい人もいる」。歩き遍路についてだったが、バスツアーでも同じことはあるだろう。
 八十番国分寺も思い出深い。遍路とは別の機会ではあったが、寺のすぐ近くの友人の家で、愛媛県出身の作家、早坂暁さんを囲んで、ワイワイやったことがある。
早坂さんは子どものころの思い出も語った。家族がお遍路さんにお接待ををし、早坂さんはお遍路さんからよく話を聞いた。それが、「花へんろ」の作品に結びついていったという。ここでもまた、遍路を取り巻く四国の温かさを知った。


      ↑七十六番金倉寺
   
 
             (2003年3月26日、毎日新聞夕刊・企画特集)
                     =写真は新聞記事のものとは別です
 
 


      ↑七十七番道隆寺




      ↑七十八番郷照寺




      ↑七十九番天皇寺
 




      ↑八十番曼国分寺
 




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   第11回◆鐘の余韻に1400舛涼成感かみしめ◆
                      (2003年4月21日、毎日新聞大阪本社版夕刊)

 2泊3日ずつの自転車遍路は、9回目の旅の計27日目に八十八番大窪寺にたどり着いた。走行距離は約1400繊「四国霊場結願所」の石柱を見て、喜びよりも、ほっとした感じの方が強かった。鐘をついて境内へ。長い余韻に最後まで聞き入った。


↑八十一番白峯寺


   ◇共通の言葉


 八十一番白峰寺は、五色台という山にある。最後は自転車を押して登る。境内は山の斜面を活用して広がっている。鐘楼は、本堂への石段の途中にある。
 愛媛県新居浜市の夫婦が先に参拝していた。7回目の四国参りだという。「夏は暑い、冬は寒い、梅雨は雨が降る。季節のいい時期だけ出かけるが、早うまた行こう、とせかされる」と言って、微笑んだ。「また行こう」の気持ちは、何人もから聞く言葉だった。
 八十二番根香寺へは、峠を越えて行く。シメジを採っている女性と立ち話をした。「お接待であげるもんが何もない。悪いなあ」と言う。声をかけたのはこちらの方で、かえって恐縮してしまった。
 峠のうどん屋に入った。一緒になった東京の男性と話がはずんだ。「定年になって、会社に来なくていい、と言われて遍路に出た」。なるべく歩き、時に車に乗るという。
遍路で知り合った女性にもらった貝の飾りを、一つおすそわけした。お返しは、番外札所の名前の入った手ぬぐいだった。「歩いていると、よくお金をもらうんですよ。それも千円。いい加減な気持ちで歩けませんよ」。貝の女性も同じことを言っていた。手ぬぐいも貝も、お接待のお礼に持ち歩いているのだ。


      ↑八十二番根香寺


   ◇結願


 八十四番屋島寺の登山道は、21%の急勾配のところがある。これはしんどい。八十五番八栗寺の山道もきつい。道端の石仏が慰めてくれる。
  大窪寺へは、じわじわとした坂を登っていく。八十七番長尾寺からの距離が10キロあまりあり、疲れがたまっていく。途中に「大師の水」と名づけられたわき水があり、のどを潤すことにした。
  おばあさんが先に、ペットボトルに水を入れていた。私が遍路の途中だと分かったのか、順番を譲ってくれた。「生水はいかん、と保健所は言いよるが、飲んで死んだもんはおらん」というおばあさんの言葉を信頼して、コップに3杯飲み、息を吹き返した。
 最後のお参りは心を込めた。納め札には、かい書で住所と名前を書いた。残っていた線香に、まとめて火をつけた。般若心経は1枚の紙にコピーして持ち続け、折り目が破れている。広げてもパズルのような状態だったが、形を整えて、あたり構わぬ大きな声で心経を唱えた。最後に、貝の飾りを一つ、本堂の格子に結びつけた。
 達成感にひたっていると、自転車遍路の男性を見つけ、言葉を交わした。40歳の前厄(やく)。会社を辞めて回っていた。「何か得るものがありましたか」と尋ねると、「これからでしょうねえ」の答が帰ってきた。「確かに」とうなずき返した。
 
 


      ↑八十三番一宮寺
   
 
   ◇赤飯


 副住職に話を聞くと、同じような内容だった。「これから普通の生活に戻った時、巡拝を役立ててください。巡拝でないと経験できないことを経験したと思うでしょうが、普通の行動でも、しようと思ったらできる」
 手ぬぐいをもらった男性と再開した。話をしたかったのだが、副住職との会話中だったので、会釈だけだった。「四国は不思議なところですねえ」「偶然なんてない。引き合わすべくして引き合わす」。うどんを食べながら、そんなやりとりをしたのを思い出した。
 その晩は、寺の近くの民宿に泊まった。夕食に赤飯が出た。「何ちゃできんけんな」。女将の言葉で、ちょっと目頭が熱くなった。
 女将は終戦直後、徒歩で回ったそうだ。体が弱く、母親が願をかけて回復したことのお礼参りで、18歳だった。米がないと泊めてもらえない時代。托鉢で米をもらいながら回った。18歳の娘には恥ずかしかった。そんな思いが、赤飯には込められていた。
翌日、一番霊山寺にお礼参りをし、さらに高松市まで走った。雨に見舞われ、パンクも経験した。そうすると、遍路の旅をまだ続けている錯覚に陥る。それは、お四国をまた回りたいという思いの反映でもあった。


      ↑八十四番八栗寺
   
 
             (2003年4月21日、毎日新聞夕刊・企画特集)
                     =写真は新聞記事のものとは別です
 
 


      ↑八十五番屋島寺




      ↑八十六番志度寺




      ↑八十七番長尾寺
 




      ↑八十八番大窪寺
 




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   第12回◆お四国参りの仕上げは高野山奥の院◆
                      (2003年5月26日、毎日新聞大阪本社版夕刊)

 四国遍路色の仕上げは、弘法大師が開いた和歌山県・高野山へのお礼参りである。奥の院で最後の朱印をもらうと、何だか肩の荷がおりた気がする。同時に、なぜか別の八十八カ所も訪ねてみたくなった。そこにも、四国と同じ心地よさがあった。


↑高野山奥の院


   ◇最後の朱印


 せっかく自転車でお四国参りをしたので、高野山奥の院へもペダルを踏んだ。玉川峡を見ながら行く。川沿いの道は、傾斜がゆるい。秋が深まる時期だった。山を包んだ紅葉のグラデーションを、印象派の絵でも見るように楽しみながら、のんびりと進んだ。
 山の中に一軒家の温泉があった。入ってみない手はない。入浴客はたった1人。白く濁った湯に体を沈めると、ますますのんびりしてしまった。
 その後が悪い。最後の5舛狼涕配で、懸命に自転車を押し上げた。遍路は最後まで、試練を与える。
 息がぜいぜいする。救いは、所々のわき水だった。どこもコップが用意してある。それども、やっとの思いでたどり着くと、声がおかしくなっていた。
 奥の院に参拝し、納め札を入れた。ロウソクと灯ろうの明かりがいい。裏の弘法大師の墓にも参り、最後に納経帳と白衣に朱印をもらった。
 四国八十八カ所が巡拝のコースとして整備されたのは、室町時代と言われる。江戸時代になると、四国を模した八十八カ所が各地につくられた。そのいくつかを回ってみた。


      ↑高野山壇上伽藍


   ◇小豆島遍路


 高松市に住んでいる時、小豆島八十八カ所を歩いた。船で渡っては帰る日帰り遍路だったので、8日間かかった。札所は、人のいない堂が大半でで、ところどころにある寺で、まとめて朱印をもらう。
 ここも、山岳宗教の色彩が強い。一番洞雲山からして、険しいけ崖下にへばりついていて、洞窟の中に入っていく。コースの中で1番高い十四番清滝山など、いくつも洞窟の中に参拝所がある。洞窟は神秘的な雰囲気を作り出す。
 お四国と同様、途中で出会う人との会話も楽しい。十一番観音堂で、土産物を売っている女性と立ち話をした。50年以上もそこにいるという。「全部を歩く人は、100人に1人くらい。鳥取では昔、小豆島遍路をしていないと嫁のもらい手がないと言われとったが。不景気のせいなのか、参拝者が減っている」と残念がっていた。
 十五番大師堂の道を尋ねると、おばあさんがわざわざ案内してくれた。「庵主の代わりに、堂をきれいにしとるんですよ」と話す。堂の奥からは、堂を守っているおばあさんたちの話し声が聞こえた。憩いの場にもなっているのだろう。
 お接待もある。五十五番観音堂への道にはミカンが用意してあり、ほうばりながら歩いた。八十番観音寺では、住職の言葉に甘えて、うどんをごちそうになった。




      ↑小豆島遍路は山の中や洞窟の札所があり、山岳宗教の色彩が濃いBR>
   
 
   ◇神島と夜久野


 岡山県笠岡市の神島八十八カ所は、四国遍路をよくなぞっている。いまは埋め立てで陸続きになっているが、昔は島の形が四国に似ていたことも理由の一つだろう。ほとんどがごく小さな堂が札所で、順番通り四国八十八カ所霊場の寺の名前をつけている。
 例えば六十六番は、コースの中で1番高い所にあり、雲辺寺となっている。四国でも、六十六番雲辺寺が最も標高が高い。
 登り口に、「おへんろ茶屋」という食堂があった。ソバを注文して、大阪から遍路に来たことを話すと、お接待にぜんざいをいただいた。
 神島に出かけたのは、友人が40年ほど前に地区内の神内小学校に通っていたことがあり、神内小の子どもたちが八十八カ所のホームページを作ったと聞いたからだ。そんな話をすると、その友人を覚えていないか、家族が集まってわいわいやり始めた。そんな人情もうれしい。
京都府・夜久野高原八十八カ所はバスツアーで行った。約10舛離魁璽垢棒佇が並び、それが札所になっている。札所には、四国の霊場の本尊と、弘法大師の石仏がセットになって並んでいる。ちょっとした山もあり、野の草花を見ながら、のんびり歩きのにいい。途中に温泉があるのも好都合だ。
各地の八十八カ所には、それぞれ特徴がある。地域に密着し、大事に守っている人がいる。神内小の子どもたちが「神島八十八カ所は私たちの宝物です」とホームページに書いているのが、そのことを象徴している。(おわり)


      ↑神島の札所を参る地元の人




      ↑夜久野の八十八カ所は1カ所を除いて石仏


 

             (2003年5月26日、毎日新聞夕刊・企画特集)
                     =写真は新聞記事のものとは別です