ちょっと歩き 花へんろ

  

              梶川伸・毎日新聞旅行「ちょっと歩き花へんろ」先達(「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会副会長)

              

   ◆◇ちょっと歩き花へんろ◇◆
(毎日新聞旅行「ちょっと歩き花へんろ」の先達メモ)


 毎日新聞旅行の新しい遍路旅「ちょっと歩き花へんろ」が始まり、先達を務めている。おおむね1カ月に1回、1泊2日の日程で四国八十八カ所霊場を巡拝し、計17回で結願となる。
 今回のシリーズは、遍路としてのお参りを続けるとともに、季節ごとに咲く霊場の花や、遍路道に近い花の名所も訪ねるように、計画を練った。花の時期に合わせての遍路なので、参るのは順序通りではなく、あっちへ飛び、こっちへ飛び、となる。
 毎回、午前8時に大阪市北区梅田の毎日新聞大阪本社前をバスでスタートする。移動はバスが中心だが、一部良い遍路道を歩くことにした。また、地元の食べ物を味わい、年配の遍路が多いことを考慮して、宿は温泉を選んだ。ここでは、各回の模様を、花の写真とともに紹介する。


   ◆第1回(1番霊山寺〜8番熊谷寺、11番藤井寺)
    ◇テーマの花=藤(2012年4月27日〜28日)


【1番霊山寺】
 今回の遍路のメンバーは14人だった。初めての人のために、まず遍路用品を買う時間を設けた。待ち時間に売店をのぞくと、粟餅を売っていた。「阿波」の国にかけたネーミングが面白いと思い、買ってみた。粟の黄色い粒が餅の中に入っていた。
 山門の右手で、子どもたち10人ほどがお接待をしていた。板東みやま保育園の3歳児だった。その姿を見て、「お参りの後に寄る」と告げていた。
 私たちは本堂のお参りをすませ、大師堂の前に移動した。すると、保育士の女性が「子どもたちが引き揚げるので、先にお接待を受けてもらえないか」と言う。子どもたちは、わざわざ待ってくれていたのだ。大師堂で手を合わせる前に、可愛いお接待をいただきに行った。
 子どもたちは手に手に、小さな透明の袋を差し出す。袋の中には、あめが2つ、おかき、しおりが入っていて、しおりにはツクシなどの絵と、「気をつけてね」の文字。さらに、「ほのか」「しおり」といった名前が書いてあった。1つ受け取ると、違う子どもも袋を差し出す。結局、2つのお接待をいただいた。納め札に「感謝」と書いて渡すと、ほかの子どももほしいと手を出す。「感謝」の文字を書き入れる余裕はなかったが、納め札は10枚ほど手渡すことになった。
 その横で、板東東山田かがしクラブ(代表、居上和子さん)のグループもお接待をしていた。こちらの袋は手づくりのもので、中には、おかきの詰め合わせ、ポケットティッシュ、乳酸菌飲料。「お遍路様 ようこそ」と書かれた紙も入っていて、「阿波の鳴門の渦越えて 南国土佐や伊予、讃岐、四国88箇所の仏の心に日がともりゃ、ああ極楽の花開く」「私たちは当地の老人会の有志です。今日は心ばかりのお接待をさせていただきます。この巾着は私たちが縫ったものです。どうぞ、思い出にお受け取りください。道中お気をつけて。祈願成就をお祈りいたします」と書いてあった。
 話を聞くと、かがしクラブはカメラの愛好家のグループだという。メンバーはみんな、人生のベテランだった。遍路のスタート早々、地元の子どもとお年寄りのお接待を受け、お接待の文化が連綿と続いている光景を目の当たりにして、私たちの一行は改めて遍路文化の奥深さを知ることとなった。


      ↑板東みやま保育園の子どもたちのお接待


【昼食と寄り道】
 昼食は香川県に近い鳴門市北灘町のびんび家を選んだ。「びんび」は地元の言葉で、魚のこと。頼んであったのは、刺し身定食で、ハマチとカンパチが10切れほどと、ワカメたっぷりのみそ汁。香川県に入った引田地区が、ハマチの養殖の発祥地で、鳴門ワカメも名高いので、この組み合わせも良いのではなかろうか。
 行程に少し余裕があったので、霊山寺に近い大谷焼きの窯元、森陶器に寄った。食器のほか、大きな甕に定評がある。大きな登り釜を見学した。今は使われていないので、釜の中まで入って見ることができる。


      ↑大きな登り窯も見学できる


【2番極楽寺】
 バスで移動した。大師堂の前に小さな石仏が置いてあり、老夫婦が持ち上げている。「持ち上げて、思ったより軽かったら、願いがかなう。極楽寺じゃから」。脈絡のある話ではないのだが、極楽への思いが感じられた。大師堂の前には、安産のお守りをかける場所があり、たくさんぶら下がっていた。これも思いのほどが分かる。
 3番金泉寺まで歩く前に、みんなでストレッチ体操をしていると、女性2人がカセットデッキを持ってやってきて、「空海の道」という曲を聴いてほしいという。2人は徳島県の馬越トキさんと、愛媛県の石川朋美さんだった。2人は曲の説明をした。「空海の道」を歌っているのは、静岡県の観月小夜さん。作詞は徳島県の佐野晋さんで、この詩を書いて亡くなったそうだ。馬越さんは佐野さんの知り合いなので、遺作をみんなに知ってほしいのだそうだ。そこで、「空海の道」の曲を流しながら、ストレッチをし、曲に送られて道を歩き出した。
 30分ほど、歩き遍路のまねごとをした。快晴の青い空。暑が、風が吹くと、さわやか季節である。田には水が張ってあり、その間のあぜ道を歩いていった。


      ↑「空海の道」のPRにやってきた馬越さんと石川さん
 

【3番金泉寺】
寺へは裏から入ったが、山門まで行って入り直した。赤い山門を背景にした青モミジが、初夏のすがすがしさを演出している。その一方で、境内には唐子咲きの赤い椿が咲き残っていた。こちらは早春の続きを演出していた。不思議な季節だ。


      ↑赤い山門と青モミジの対比が美しい
 

【4番大日寺】
バスで移動した。ここにも冬の名残があった。本堂の横で、万両がまだ赤い実をたくさん下げている。
 スイスの男性が、日本人女性の通訳を伴い、遍路体験をしていた。5番まで歩き、6番へタクシーで行って泊まるのだという。通訳を通じて話していると、印を結んでおどけて見せた。


      ↑本堂の近くには、何本もの万両が赤い実をつけていた


【5番地蔵寺】
 距離は近いのだが、夕方が近づいてきていたので、バスで移動した。山門前の参道の松並木が、よく手入れされている。裏側の五百羅漢への参道は、ツツジの刈り込みが美しいのだが、残念ながら少し時期が早かった。五百羅漢を参拝すると、寺の女性からお接待であめをいただいた。境内の隅に、ボタンがきれいに花を開いていた。


      ↑五百羅漢の境内のボタン


【6番安楽寺】
 ピンクのハナミズキが満開だった。寺には松本明慶さんの仏像が35体ある。以前取材させてもらったことのある仏師の作なので、内陣に入れてもらい、近くから拝ましてもらった。
 団体が歩いてきたので、「どちらからですか」と聞くと通じなかった。東洋系の顔なので、中国か韓国のグループを思い、「Where do you kome from?」と聞いてみた。返ってきたのは「South Krea」。韓国の人だった。  寺を出ようすると、手水にハングルが書いてある傘が置いてある。韓国グループの忘れ物に違いないと思い、本堂の前にいた一行のところに持っていった。しこには、日本語を話せる女性がいた。はっきりしたことは分からないが、一行は韓国の大きな企業の社員のようで、15人ずつでチームを組み、計15チームが歩き遍路をリレー式につないでいるらしい。目的を聞くと「商売繁盛」との答が返ってきて、思わず笑ってしまった。


      ↑安楽寺では赤いハナミズキが満開に近かった。
 


【宿】
 宿泊は御所温泉観光ホテルにした。ホテルの前には、灌漑用に造られた宮川内ダムの人工池が広がっている。対岸までワイヤロープが張られ、コイのぼりが泳いでいる。全部で100匹ほどだが、半分以上が吹き飛んでいてあわれな姿をさらしていた。
 2日目の朝に散歩すると、人工池の周りをボランティアの人たちが草抜きや清掃奉仕をしていた。話を聞くと、22日の春の嵐で、コイが切れて飛んで行ったそうだ。コイのぼりも、このグループが子どもの日を前に設置したもので、大変残念がっていた。


      ↑あわれな姿をさらしていたコイのぼり
 


【おやすみなし亭】
 今回のテーマの花は藤。私のお勧めの場所が神山町鬼籠野字喜来の神光寺。そこへ行く途中、遍路の休憩所として造られた徳島市入田笠木の「おやすみなし亭」の前を通った。バスから見ると、休憩所の主、森千津子さんの姿が見えたので、少し休憩させてもらうことにした。
 森さんと出会うのは2度目。甘夏、小夏などのミカン類のお接待を受け、しばらくみんなで歓談した。母親が95歳になるまでの10年間、森さんは介護を続けた。「その間、どこへもいけない。でも、家にあるミカン類を、近くを通るお遍路さんに食べてもらくくらいはできる」。そう考えて、休憩所を造ったという。「どこも行けない私のために、お大師さんと母がくださった空間で、そこでいろいろなご縁ができた。パンフラワーを作ってくださる人、季節の花の絵を描いてくれる人。そして、たくさんのお遍路さん」。森さんのお接待は、5月から8年目に入るそうだ。


      ↑森さんと遍路のメンバーの歓談
 


【神光寺】
 この寺は、上り藤で知られている。事前に連絡を入れていたら、わざわざ横山隆弘住職が説明してくださった。
 藤は先代の隆賢住職が75年以上前に植えた。ブドウの房のような濃い目の紫の花をつける。杉の木に巻きついて、上へ伸びた。しかし、第二室戸台風で杉が折れた。このため、杉を取り除き、代わりに支柱を立てた。高さは15メートル。下の方は横に広がっている。
 天気の良い満開の日だった。それでも奥さんは花が少ないという。田には黄色い菜の花は、大根の白い花が咲き、近くには川が流れる。のどかな山里は春から初夏の色を競い合っていた。


      高さ15メートルまでのぼる神光寺の藤↑
 


【地福寺】
 石井町石井の小さな寺だが、石井町の藤まつりのメーンの会場になっていた。200年の紫の藤の棚は5〜5分咲き。第8世隆淳和尚によって植えられたという。背は低く、1.5メートルほど。最盛期には地ずりの藤となるだろう。白い藤の棚は3分咲き。盆栽のフジがたくさん展示され、こちらは満開だった。


      盆栽の藤は、ふんだんに花を咲かせていた↑
 


【7番十楽寺】
 山門に近いツツジのせん栽が花をつけ始めていた。


      十楽寺のツツジの生垣↑
 


【昼食】
 <昼食は阿波市土成町宮川内にある、たらいうどんの店「かねぎん坂野」にした。たらいうどんは桶に入れたうどんを、だしにつけて食べる。だしは、川魚のジンゾク(ゴリ)が基本だという。トリの串焼き3本のセットにした。おかしな組み合わせだが、私はここの串焼きが気に入っている。


【8番熊谷寺】
阿波市土成町吉田の温泉施設「御所の郷」から熊谷寺まで、約30分歩いた。寺の境内では、紫のモクレンが咲き残り、ツツジが咲き始めていた。今年はどこも、季節が入り混じっている。


      本堂の近くにツツジが咲いていた↑
 


【11番藤井寺】
 今回は藤がテーマなので、9番法輪寺と10番切幡寺を飛ばし、11番の藤井寺をコースに組み入れた。名の通り、藤の名所で、「五色の藤」と称する藤棚があるからだ。ことろが、ほんの一部が咲き始めたばかりだった。季節の移ろいは気ままなものだ。  藤見物はあきらめて、12番焼山寺への登り口にあるミニ八十八カ所を回った。花の時期を見定めるのは難しいものだ、と考え込みながら。


      藤の名所だが、花はまだまだ先のことだった↑
 

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   ◆第2回(9番法輪寺〜10番切幡寺、13番大日寺〜16番観音寺)
    ◇テーマの花=バラ、シャクナゲ(2012年5月25日〜26日)


【淡路島ハイウェイオサシス】
 今回のメンバーは10人で、家族旅行を少し広げたような小さな規模だった。いつもの通り中型バスに乗り、明石海峡大橋を渡ってすぐの淡路島ハイウェイオアシスで最初の休憩をとった。この建物は内部に、広い休憩スペースを設けている。丸いテーブルを置き、花で飾っている。見ると、各テーブルの上には、速くもアジサイの鉢が乗っていた。この時点で、シャクナゲの時期は終わっていると気づくべきだったが、実際には12番焼山寺や四国山岳植物園「岳人の森」(いずれも徳島県神山町)の現地を見てから、それと知った。


      ↑淡路ハイウェイオアシスのテーブルの花はアジサイに変わっていた


【阿波十郎兵衛屋敷】
 余裕があれば、ちょっとした遍路道周辺のちょっとした観光も楽しむことになっているので、徳島市の阿波十郎兵屋敷を訪ねた。観光客向けの人形浄瑠璃の上演館で、25日は平日(金曜日)なので、公演は2度しかなく、午前11時からのものを見ることにしていたからだ。
 上演館は、江戸時代の庄屋、板東十郎兵衛の屋敷跡建っている。長屋門は300年前のもので、鶴と亀をモチーフにした庭も江戸時代のものだ。庭にはアヤメ(もしくはハナショウブ)があしらってあった。
 人形浄瑠璃の演目は「傾城阿波の鳴門」巡礼歌の段。巡礼となって親を探すお鶴と、母親のお弓の再会の場面である。演じたのは平成座。ここは11の座が交代で演じているが、プロではなく、人形浄瑠璃を残そうという団体だという。公演が終わると、黒子の人形使いが顔を見せてあいさつし、「80(歳)が来るほど、年寄りばかり」と冗談交えながら、「人形に心をはめる(入れる)が難しい」と話していた。


      ↑傾城阿波の鳴門・巡礼歌の場


【昼食】
 昼食は、徳島市住吉の徳島ラーメンの店「巽屋」。肉と卵入りのラーメンと、ご飯を食べた。遍路の旅で、ラーメン・ライスを組み込んでいるのは、ほかにはないであろう。店の主人は「本当は卵なしで、スープの味を楽しんでほしい」と言うほど、スープに自信を持っているようだ。


      ↑1日目の昼食は徳島ラーメン


【藍住バラ園】
藍住町のバラ園。横に「藍粋園」という町の「老人憩いの家」があり、ここの持ち物のだと聞いた。それほど広い敷地ではないが、300種1300本のバラが植えてある。バラを見にきた地元の男性が「最初はボランティアでバラ園をつくっていった」という話をしていた。この日、藍粋園でカラオケ大会があって、バラ園も結構人出があった。公衆トイレの案内板が建っていたので、バラを見に来ていた人にトイレの場所を訪ねると、「憩いの家のトイレを使いなさい」と、何ともおおらかだった。バラは散り始めていた・ドイチェ・ベル、マチルダ、アメジスト、ホワイト・アローなど、いうつかの品種を控えた。


      ↑バラ園はやや花のピークを過ぎていた


【9番法輪寺】
 法輪寺では、さかんにカエルが鳴いていた。本堂の裏が田で、水をたたえているからだろう。徳島の田は、だいぶ緑が濃くなってきている。境内の石仏と青モミジの組み合わせが魅力的だ。
 境内で、鹿児島から来た歩き遍路と少し話した。昨年、6番安楽寺まで歩き、「今回は発心の道場(徳島県の23番薬王寺まで)だけは歩き終えたい」と話していた。今後の歩き遍路の役に立ててもらおうと、ヘンロ小屋プロジェクトを説明した。花へんろの仲間には、霊場巡拝112回目の79歳の男性(木下さん)がいて、錦の納め札を手渡して、これからの道中の無事を祈念した。木下さんは父が先達を務めていたので、小さいころから、お四国を回っているという。体力には下を巻き、60代で「1日100キロウォーク」を2回やり遂げたという。


      ↑青モミジの向こうの仏像


【10番切幡寺】
 寺の下から歩いて15分ほど。最後は333段の石段を上る。境内には、クラサキツユクサ、スイセンノウ、ドクダミが少しずつ咲いていた。スイセンノウのことを、私の母親は「一人娘」と呼んでいた。本堂の横から、重文の大塔のある場所まで登る。眼下に吉野川が見えるはずだが、あいにく視界が悪く、ぼんやりとしか確認できなかった。塔の横に、蜂須賀桜の苗があり、昨年12月に植えたと書いてあった。


      ↑スイセンノウの鮮やかな色と背景の本堂


【四季の里】
 宿は神山町の公営ホテル「四季の里」。神山町はいま、町をあげて枝垂れ桜を植えて育てている。ホテルがあるのも、農村ふれあい公園の一角で、ここでも枝垂れ桜を育てている。ホテルの和田隆支配人によると、ほとんどがベニシダレで、川津桜も育てているとか。以前、ホテルで出会った人は「センダイベニシダレ」と呼んでいた。町民の桜への思いの強さが感じられるので、きっと10年後は、四国での有数の桜の名所になることだろう。
  このホテルで気に入ったことがある。温泉のシャンプーには大きな字で「あたま用」と書いてあり、ボディーシャンプーには「からだ用」と書いてあったのだ。温泉に入るのは卸よりが多い。目の悪い人もいるはずで、大きな字の表示はありがたいことだろう。


      ↑四季の里に植えられた花と、川の向こうは農村ふれあい公園


【12番焼山寺】
 専用のマイクロバスに乗り換えて行った。駐車場からの道はサツキが満開で、青モミジも美しい。ところが、シャクナゲの花は全く見えない。もともと木の数は多いわけではないが、標高800メートルなので、まだ咲いていると思っていたのだが、予想外だった。
 横浜の遍路の男性に出会った。130周目ぐらいだというが、もうはっきりした数はわからないようだ。「ここ10年ほどは、歩きばかり」と聞いて、驚いた。年齢は70歳で、歩き遍路が50回にもなるという。この話を聞いて、花へんろのメンバーは入れ替わり握手をしてもらっていた。


      ↑焼山寺は樹齢数百年の杉に包まれている


【岳人の森】
 焼山寺からいったん町まで下り、再び違う道で山奥を目指した。目的地は標高1000メートル近い四国山岳植物園「岳人の森」。森の主人、山田勲さんが1972年からコツコツとつくりあげた高山植物園だ。今回の花へんろのメーンはここのシャクナゲだった。ところが、シャクナゲの時期は終わっていた。山田さんによると、今年は冬が寒かったので桜は遅かったが、3月から暖かい日が続き、シャクナゲは10日ほど開花が早かったのだという。
 残念がっていると、山田さんが「シャクナゲはどこでも見られるが、ここでしか見られないものがちょうど見ごろ」と喜ばしてくれた。その花は、ヒメシャガ。「トロ箱1杯分を植えることから始めた」と言い、今は自生して大群落になっている。絶滅危惧種だが、これらを後の世代に残すことが使命だと、山田さんは考える。ヒメシャガは普通のシャガより小ぶりで、紫色がもう少し濃い。ヒメシャガのほか、ピンク、白、黄色のクリンソウや一部のシャクナゲなどの花を案内してもらった。


      ↑山田さんが育てたヒメシャガの群落

 山田さんの話は深みがあった。岳人の森づくりを始めた23歳の時。高度経済成長の絶頂期だったが、その裏側で山林の人口は減っていった。山林で生まれた山田さんは危機感を持ち、人がやってくるようなものが必要と考えた。本来の仕事で得た収入を、すべて森づくりにつぎ込んだそうだ。その時に拠り所となったのが、甲子園で大活躍した地元、徳島県・池田高校(徳島県)の蔦監督の言葉「一筋の道を目指す人間は、すべてを捨ててもいい」だったそうだ。
 「初めは5メートル先が見えないほどのジャングルだった」。そんな山を切り開き、2キロ先から水を引き、池を造り、各地の貴重は高山植物を植えていき、40年かけて3ヘクタールの植物園を完成させた。いまは「地域つくりは芸術」と話す。そうでないと、人は来てくれないという。
 昼食は森の入り口にある観月茶屋でいただいた。トリと薄アゲとカマボコの入った和ソバ、ショウガご飯、ウスイエンドウを混ぜたゴマ豆腐、ナス、カボチャ、ゴボウ、ウスイエンドウ、サワラの煮物だった。デザートのワラビ餅を食べると、黒蜜にきな粉がかけてあり、皿には水を霧吹きでかけ、アカバナエゴノキの花が添えてあった。


      ↑シャクナゲは少しだけ咲いていた


【13番大日寺】
 狭い境内にサツキが少し植えてある。合掌した手を堂に見立て、中に仏像を安置してあるそばに、咲いていた。


      ↑この時期、サツキの花は多い


【14番常楽寺】
 大日寺から歩く。2キロあまりで、たいした距離ではない、常楽寺は阿波の青石の岩盤の上に建っている。それでもサツキは咲いている。本堂の前の大きなアララギの枝の分かれ目に空海の小さな石仏が乗り、アララギ大師と呼ばれている。


      ↑アララギの木に空海の像が


【15番国分寺】
 境内の端、塀のそばに大きなタイサンボクの木が1本そびえている、白い大きな花をいくつかつけていた。


      ↑塀のそばにタイサンボク


【16番観音寺】
 狭い境内に、空海の像が立っている。その像の下をサツキが飾っている。そばに、上の方の枝を刈り込んだ木がアクセントを与えていた。


      ↑刈り込まれている観音寺の境内の木


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   ◆第3回(29番善楽寺〜34番種間寺)
    ◇テーマの花=アジサイ(2012年6月15日〜16日)


【淡路島ハイウェイオサシス】
 今回の参加者は11人で、ますます家族旅行のような雰囲気が強まった。今回の花のテーマをアジサイ。花を求めてゆくので、順番通りの霊場参拝ではなく、今回は一気に高知に飛んだ。
いつも通りに淡路島ハイウェイオアシスで最初の休憩を取った。休憩スペースのテーブルの上の花が何なのか、毎回楽しみにしている。前回はアジサイで、時期を少し先取りをしているようだ。今回はクロサンドラ・スーパーキャンドルという花だった。建物の奥の庭にはアジサイが7〜8種類植えてある。「墨田の花火」という品種が、ちょうど見ごろだった。長めの軸の先に花がついて垂れ下がって小さな白い花をつけている風情が、花火が開いた後で光が垂れてくるように見える。


      ↑淡路ハイウェイオアシスのテーブルの花はアジサイが終わり、クロサンドラ・スーパーキャンドルに変わっていた


【吉野川ハイウェイオアシス】
 淡路島の高速道を走る。前回は黄花コスモスが中央分離帯を飾っていたが、今回はシャクナゲだった。白と赤の2種類があり、白の方が先行して咲いていて、早い木は7〜8分咲きになっていた。
 高速道路は高松道に入り、いったん一般道に出たあと徳島道に乗り換え、吉野川ハイウェイオアシスで再度、休憩した。ここは水の流れを作り、キショウブ、ハナショウブが花をつけていた。


      ↑ハナショウブがまだ咲いていた


【昼食】
 愛媛県の川之江東ジャンクションで高知道へのルートで進んだ。高知道に入って間もなく、新宮インターで高速道路を下り、すぐ近くの霧の森レストランで昼食にした。マイカーで行けば、あまり時間がかからない場所にアジサイの名所があり、そのせいかレストランは人が多かった。メニューは茶そば定食。茶の産地なので、このメニューがあるようだが、豆腐も売り物らしく、ざるに乗ったそばの横に、豆腐が2切ついていたのが新鮮に思えた。野菜のかき揚げが大量にあり、客に追われながらも熱々だったことに、心遣いを感じた。かき揚げはニンジン、サツマイモ、ミツバ、シメジ、タマネギ。小鉢にヒジキがついていた。
 ここは、霧の森大福が人気だという。8個入りの箱を2つ買ってメンバーで食べたが、1人3箱までの制限が設けてあった。大福は真ん中が生クリーム、その次がこしあん、外側は渋いお茶を錬りこんだ餅だった。


      ↑霧の森のアジサイ


【30番善楽寺】
 この寺の境内にもアジサイは咲いていたが、写真は撮りづらい場所だった。あその代わりに、赤い小さな花をカメラに収めた。


      ↑本堂の前の赤い花


【土佐神社】
 善楽寺の横の土佐一宮。本殿の裏に鎮守の森が広がっていて、その中の道はアジサイの道となっていた。境内の一角には小さな池があり、コウホネではないかと思われる水草や梅花藻のような小さな白い花が咲いていた。


      ↑本殿の裏の森は、アジサイの小道でもあった


【29番国分寺】
 雨がパラパラと来た。山門からの参道に、アジサイが植えてある。本堂の前の枝垂れ桜は緑の葉で覆われて夏の始まりを告げているが、一方ではキキョウが花をつけ始め、ハギもそう遠くない間に咲く始める風情だった。寺を出て、名物の「へんろいし饅頭」をみんなで食べた。


      ↑山門とアジサイ


      ↑田のあぜ道を通って国分寺に向かう歩き遍路


【野市のアジサイ街道】
 今回の花の名所のメーンは、香南市野市のアジサイ街道。散策が「ちょっと歩き」も兼ねた。用水路にもなっている上井川に沿って約1キロ、アジサイが植えてある。その植えた人に運よく出会った。高知名物のアイスクリンを奥さんと一緒に売りながら、見物に来た人たちにアジサイ街道にかけた思いを語っていた。


      ↑野市アジサイ街道
 
 その人は横田博さん、64歳。もともとは草ぼうぼうの場所だった。不法投棄も多かった。心を痛めた横田さんが考えたのは、アジサイを植えることだった。最初の年、雑草を引いて、アジサイ挿し木で約20株を植えた。それから次々と増やしていき、今年で19年。アジサイは1万9000本を数え、川のほとりをぎっしりと埋めている。  は横田さんより2年早く、別の方からアジサイを植えてきている人がいた。横田さんがそのことに気づいたのは植樹を始めて4年ほどたった時だった。2人のアジサイは間を縮めてゆい、やがてドッキングした。アジサイ街道として形を整えてきたのは、10年目くらいだったという。
  横田さんに言わせると、この日がピークの日に当たっていた。そう言われると、雨の風情を添えているように思えた。最近は手伝うボランティアもいるそうだが、ここまでの想像もつかない努力を続けてきたことに感銘を受ける。前回の「花へんろ」で出会った岳人の森の主人と似たような一途な思いが、行動を支えていたのだろう。「見に来てくれて、喜んでもらえれば、それがうれしい」とサラリと言う。アジサイの時期が過ぎれば、1株1株にはさみを入れて、来年にそなえる、という。何げなく言うのだが、途方もない労力が必要なことだろう。


      ↑19年かけてアジサイ街道をつくった横田さんと奥さん


【宿】
 宿は、かんぽの宿伊野(いの町)にした。料理が印象に残った。海鮮蒸しにウツボを使っていたが、ウツボは郷土料理で、ウツボのたたきも好まれるが、大阪ではほとんど食べる機会がない。また、自家製のカツオみそは、ご飯のお供にする前に、酒のさかなで食べ切ってしまった。朝食はバイキングで、朝からカツオのたたきがドーンと盛ってあった。


      ↑夕食に出たカツオみそ(右)


【31番竹林寺】
 2日目は1日中、雨に見舞われた。しかも、時に強く降った。竹林寺はアジサイ、クチナシが所々で花をつけていたが、美しいのは青モミジとその下のコケだった。雨も、緑の色を落ち着かせる役割を果たしているようだった。


      ↑雨に洗われた緑が美しい竹林寺


【牧野植物園】
 竹林寺の隣は牧野植物園。中にへんろ道も通っている。園内は広い。庭園を散策するつもりだったが、時間配分を間違え、ほとんどの参加者は牧野富太郎に関する展示館だけで時間が過ぎてしまった。悔やまれる。


      ↑牧野植物園の中を通る遍路道


【32番禅師峰寺】
 雨のために、海の眺めがよくなかったのは残念だった。この寺は黒と灰色の岩の層が露出していて、一種無気味な雰囲気を作り出している。境内に登る石段に、その岩を背景にしてアジサイが数株。岩の色が濃いので、花は引き立てられる。石段の下には池の中に不動明王が立っている。光背の役割を岩が果たし、黒と灰色の組み合わせが火炎のようにも見える。駐車場にはアジサイが多く、安置された石仏はアジサイの花で着飾っているようだった。


      ↑アジサイを身のまとったような石仏


【33番雪蹊寺】
 種崎渡船場から県営フェリーで長浜渡船場へ渡り、そこから雪蹊寺まで20分ほど歩いた。境内は花が少ない時期らしく、キョウチクトウがピンクの花をわずかにつけ出した程度だ。ただし、ツワブキは結構数があって、つやつやした緑の葉が雨に濡れて美しい。


      ↑雨に打たれてつややかさを増すツワブキ


【秦神社】
 雪蹊寺の隣で、長宗我部元親をまつっているのが秦神社。参道を本殿へと進むと、数本のアジサイが迎えてくれる。


      ↑秦神社


【昼食】
 昼食場所には、はるの町にあるカフェ「はるのテラス」を選んだ。メーンはパスタだが、パンの焼いていて自由に食べることができ、さらにサラダバーのトマトがお勧めだからだ。この日は赤いトマトと緑の完熟トマトの2種類だった。高知はトマトの産地で、店では斑入りの赤いトマトなど、数種類のトマトを売っている。


      ↑サラダバーのトマトがおいしい


【はるの町のアジサイ街道】 
 はるのテラスのあたりから、用水路沿いにアジサイの並木が続く。雨が強かったので、希望者だけで約30分、アジサイ街道歩きをした。入り口にあたる所に石仏が安置してあり、周りにはアジサイに混じって、ハンゲショウが白い葉の裏を見せていた。アジサイは終わりかけだった。同じ高知県で、しかも野市からそれ程離れていないのに、である。花を求めていく旅の難しさを、また実感した。


      ↑石仏の周りにはアジサイとハンゲショウ


【34番種間寺】  種間寺の前にも用水路があり、それに沿ってアジサイが植えてある。だが、ここも終わりかけだった。寺を出ようとすると、ランニングしながら遍路をしている男性とあいさつを交わした。


      ↑種間寺の前もアジサイの街道になっている


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   ◆第4回(26番金剛頂寺〜28番大日寺)
    ◇テーマの花=スイセン、ハス(2012年7月13日〜14日)


【本福寺】
豪雨の間の遍路だった。九州には大変な被害が出た。特に前日は死者、行方不明が20人を超えるような状態で、それは四国にも影響が及んでいた。ただ、この日に限って、遍路のルートは、大ごとにはならずにすんだ。
参加は10人で家族旅行のような雰囲気になった。中型バスでの遍路だが、社内もゆとりがあった。通常なら淡路ハイウェイオアシスで1回目の休憩を取るのだが、今回はオアシスの少し先の東浦インターで降り、5分ほどの場所にある本福寺(淡路市浦)をまず訪ねた。今回の花のテーマのスイレンとハスの寺である。
 本堂は建築家、安藤忠雄さんの独創的なアイデアで設計されている。円筒のコンクリートの建物で、屋根全体が池になっている。池はだ円形で、長径が40叩短径30叩⊃綽治牽0臓それをスイレンの池にし、本堂を水御堂と呼ぶ。スイレンは池の中に鉢植えで点々と配していて、ちょうど見ごろだった。花の色は赤、ピンク、白、黄色。ただし、前日の風雨で痛み、女性が池に入って手入れをしていた。池の中心には大賀ハスが植えてあるのだが、花はなかった。手入れの女性は「数日前には咲いていたんですが」と語り、大賀ハスも風雨の影響を受けているようだった。
 本堂は半地下になっていて、池の中央から下りていく。内部は朱に塗ってある。本尊の薬師如来は厨子に入っているが、厨子の後はガラス張り。さらいその後の壁もガラス張りで、光は本堂に入ってくるようになっている。薬師如来は後から光を浴びて浮かびあがり、堂内の朱は一層赤みを増すように工夫してある。
 駐車場の横にも小さい池がある。1つはスイレンの池。もう1つはハス池。ハスもいくつか花をつけていた。


      ↑本福寺の本堂の屋上はスイレンの池になっている


【昼食】
 四国に入って高速道路の徳島道を走る。鳴門市から板野郡にかけてはレンコンの産地で、ハスの花がバスから見えた。池田・井川インター下り、旧池田町の「うだつ」という店で昼食をとった。ここは、たばこ蔵を酒蔵に変え、さらに郷土料理の店に衣替えしていた。アメゴの塩焼き、ソバ米雑炊、豆腐の田楽、干しダイコンのゴマあえ、煮物(オクラ、ニンジン、タケノコ、ゼンマイ)、漬け物、ご飯。店のお紙が付きっ切りのような状態で、食べ物や池田の説明をしてくれた。


      ↑ソバ米雑炊(左下)などの郷土料理

 食事が終わって、店の周辺を少し散策した。たばこで栄えた街なので、うだつが上がっている家が目立つ。散策していると、女将がやってきた。池田のPRに熱心な人だった。


      ↑池田のうだつ。うだつは防火壁と装飾を兼ねた


【道の駅やす】
 高知道の南国インターで降り、道の駅やす(香南市夜須)で休憩。赤と黄色の小さく長細いトマト、手作りのココナツプリンなど、高知らしいものを安く売っている。建物の裏は砂浜で、ハマボウの黄色い花が満開だった。


      ↑夜須の浜辺に咲くハマボウ


【手結港】
 26番神峯寺へ向かう。寺は標高450辰砲△蝓⊂紊蠅魯織シーに乗り換えていくことにしていた。ところが大きな団体客があって、タクシーに乗るには少し待たなければならない状況になった。そこで、道の駅のそばの手結(てい)港へ寄った。江戸時代、土佐藩の家老、野中兼山が築造した日本初の掘り込み港で、1653年に完成した。石積みの堤防が美しい。


      ↑石積みが美しい港

 港は内港になっていて、入り口に跳ね上げ橋(可動橋)が設置してある。1日に6回、片側が80度くらいまで上がり、その間に内港の漁船が出入りする。港に着いて15分ほどすると、運よく跳ね上げの時刻になり、ゆっくり上がっている橋を眺めることができた。


      ↑タイミングよく跳ね橋が上がった


【26番神峯寺】
 神峯寺まではバスが入らない。そこで、マイクロバスとタクシーに乗り換えて、寺に上った。山門の近くにはアジサイがまだ残っていた。名水の湧き出している場所から本堂に上る石段の横には、ヒメヒオウギが群生していた。お参りが終わり、下りは歩く予定で、それが今回の「ちょっと歩き」のメーンの部分だった。ところが、歩き始める寸前、強烈な雨となった。鐘楼の横に小さな休憩所に逃げ込み、とりあえず雨宿り。しかし、あまりの雨の強さに歩く気力が失せ、結局は下りもタクシーを頼むことにした。タクシーの運転手も「寺に上ってくる時は、道が川のようだった」と驚いた様子だった。ただし、再度バスに乗り換える時には、すっかり雨はやんでいた。


      ↑本堂への石段の横に、ヒメヒオウギが群生していた


【宿】
 夕食は珍しいものが出た。刺し身(マグロ、タイなど)、タケノコとナスの煮物、コゴミの梅肉あえ、野菜の炊き合わせ(カボチャ、オクラなど)、アユの塩焼き。ここまではよくある食べ物だが、メーンはナガレコ(トコブシ)の酒蒸し。陶板を器にバターが塗ってあり、酒を入れてふたをし、蒸してあった。ナガレコは5個なので、堪能する。また、ウツボのから揚げ(エビのから揚げも)も珍しかった。デザートはユズプリン。


      ↑山の宿だが、海の幸も多い夕食だった

 北川村はユズの産地。ユズは隣接する馬路村が知られている。しかし、支配人は「馬路村のユズは接ぎ木。北川村のユズは実生なので、おいしい」と胸を張った。土産物売り場には、塩を入れたユズ酢を売っていた。塩を入れていると、常温でも保存できるという。塩を入れてないものは、冷蔵庫に置いてあった。冷蔵庫で保存しないと、発酵が進んで破裂するのだとそうだ。土産には、塩なしを入手した。
 宿の前は奈半利川で、水量と速さを増して流れていた。川のそばには、オニユリがよく咲いている。川に赤い橋がかかっている。魚梁瀬森林鉄道が通っていた小島橋で、昭和7年に建設された。鋼アトラスと鋼ガーターの工法を組み合わせた143辰龍供E監三篁困忙慊蠅気譴討い襪叛睫世あった。


      ↑鉄道遺産になっている小島橋


【中岡慎太郎生家跡】
 坂本竜馬の盟友、中岡慎太郎は北川村の出身だ。生家跡は没後100年の昭和42年に復元された。2日目の最初の目的地が生家跡だった。しかし着いたのは午前8時15分で、まだ開いていないので、外観だけを眺めた。大庄屋の家で、ワラ葺きの大きな家だった。屋敷の周りには、ヒメヒオウギやムクゲが咲いていた。


      ↑中岡慎太郎の生家(復元)


【26番金剛頂寺】
 バスで26番金剛頂寺へ。花はほとんどないが、少しだけオニユリが彩りをそえていたので、それを本堂とともにカメラに収めた。お参りが終わり、駐車場に戻ると、高知名物のアイスクリンを売っていたので、みんなで買い食いをした。そこで、予定にはなかった重要伝統的建造物群保存地の吉良川(室戸市吉良川)に寄ってみることを、参加者告げると、アイスクリンの店の主人が口を挟んできた。「吉良川に行くなら、徳屋に寄るといい。これでパン屋というような構えの店だが、食パンはおいいしい」と。


      ↑金剛頂寺の本堂


【吉良川】
 15分ほど短い時間で、吉良川を散策した。建物の漆喰壁に水切り瓦を取り付けている。このあたりは雨の多い地区で、水切り瓦はひさしにように、雨が直接壁にかからないような役割を果たす。このあたりは備長炭の積み出し港として栄え、財力があるので、漆喰を塗り、水切り瓦を施すことができた。


      ↑水切り瓦をたくさんつけた建物

 アイスクリンの主人の教えに従って、徳屋へ。店に入り口近くでも、女性がパン作りの作業をしていた。食パンを買い、みんなで少しずつ食べてみた。生地はシットリ、モチモチ、フンワカしていて、遍路メンバーには好評だった。


      ↑徳屋の食パン


【モネの庭】
 北川村野友のモネの庭が、2日目の花のメーンだった。花は池に咲くスイレン。あいにく、雨が降っていた。ここは、フランスの画家、クロード・モネの自宅の池のある庭をそっくりの形で再現している。モネはこの庭で、スイレンの連作に取り組み、その作品は日本人に人気がある。係の男性の案内で、スイレンの池の周りを歩いた。
 その男性によると、そもそもここは、村がユズの加工品のための施設を誘致する予定だった。しかし、バブルの崩壊などもあり、誘致に失敗した。土地には多額の投資をしていたので、活用法を検討した結果、モネの庭を思いついたのだという。ただし、北川村とモネとは、ゆかりがあるわけではないので、いわば単なる思い付きだった。早速、村の職員をフランス・ジヴェルニーのモネの庭に派遣し、交渉の結果、許可が出た。実は、京都がすでに働きかけていたが、「京都はモネの庭がなくても、世界的に知られている」との理由で、北川村の方に許可が出たのだそうだ。池のスイレンは、すべてジヴェルニーのものを分けてもらった。
 池には赤や青の小さなスイレンが咲いていた。青は熱帯性のスイレンで、水面から茎を上に伸ばして花をつける。モネはこの青いスイレンを咲かせたかった。熱帯性なので、気温が低いジヴェルニーの池では難しかったらしい。このため、池の1部を仕切り、水を温めることまでしたと、係の男性は教えてくれた。私たちは運が良く、青いスイレンは今年、訪ねる4日前の10日に咲いたばかりだった。


      ↑モネの庭のスイレン。中央に青いスイレン


【廓中】
 2日目の昼食は、安芸市の廓中(かちゅう)ふるさと館にした。チリメン丼が安芸市の名物で、それに野菜のかき揚げを乗せた「かき揚げチリメン丼」にした。チリメンがたくさん乗っているのがいい。


      ↑かき揚げチリメン丼

 食事が終わって散策の時間になると、雨は完全に上がり、今度は猛烈な暑さに見舞われた。このあたりは安芸城(跡)を中心にした武家屋敷町の面影を残す。生垣がササでできているのが特徴の1つ。安芸城の堀には、ハスとスイレンが咲いていたが、ハス祭りはもう少し後で、花はまだ咲き始めだった。観光名所になっている野良時計は間もなくヒマワリ畑とセットになるのだが、こちらもまだ咲き始めだった。


      ↑安芸城跡の堀に咲くハス


      ↑廓中に特徴的なササの生垣


【28番大日寺】

 ここもこの時期、花とは縁がなかった。ナンテンの赤い実がまだ残っていたのには驚いたが。遍路の途中で何度か出会う夫婦に、境内で声をかけられた。こういう出合いも、遍路の楽しさである。

      ↑大日寺の山門
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   ◆第5回(35番清瀧寺〜37番岩本寺)
    ◇テーマの花=ススキ(2012年9月28日〜29日)


【吉野川ハイゥエイオアシス】
台風17号が近づいている中での遍路だった。参加は10人。大阪の出発時点では好天で、そのまま1日目は心地良い秋に日に恵まれた。
四国に入り、高知へ向かう時は、高速道路の徳島線を走る。吉野川沿いの平野では、黄金に染まった田や、刈り取ったあとの田、その後の稲のひこばえで緑に帰った田が、パッチワークのような模様を作っていた。その間に、ヒガンバナが赤く咲いている。今回の花のテーマはススキだったが、ヒガンバナをサブのテーマにしていた。サブとしたのは、ヒガンバナはいつも彼岸に咲くので、やや遅いのではないかと考えたこと、ヒガンバナは「○○ヒガンバナ」と固有名詞を出しにくいためだった。今回のテーマにしたススキの方は、「天狗高原・四国カルストのススキ」と特定して、参加者を募集することができた。
 休憩は吉野川ハイウェイオアシスが恒例になっている。ここは、建物の横がちょっとした庭になっていて、水が流れている。そのそばに季節の花が植えてあり、わずかな休憩中だが、客を楽しませてくれる。この時期はコスモス、ケイトウだった。そばに木のアーチ橋があって、花のバックに配して写真を撮ることができる。


      ↑コスモスと木のアーチ橋


【昼食】
 高知道に入り、昼食のために南国インターでいったん高速道路から下りた。昼食場所は道の駅「南国風良里(ふらり)」だった。注文してあったのは、青ノリのソバと天ぷらのセット。青ノリはソバに錬り込んであって、それをざるソバにしているから、言ってみれば「天ザル」の変形だろう。そばの上に青ノリが乗せてあり、それが香ばしくて良い。
 食事の後、土産物や地元産品のコーナーをのぞいた。すると、店の若い女性が「あー」と声を上げ、「お久し振りです」と言う。多分、20代だろう。こちらは、キョトンとした。「お好きな飲み物をどうぞ」と彼女は言って、冷蔵ケースを指さした。その言葉で、彼女を思い出した。以前1度、同じように声をかけられたことがある。私は先達の時は作務衣を着ているので、印象に残ったのかもしれない。
 それにしても、記憶力の良い人だ。それに、話し方が明るい。そのことを彼女に告げて、お接待の礼を言うと、「元気だけがとりえですから」と、また明るく笑った。その笑いで、またうれしくなる。


      ↑青ノリのソバは香りが良く、天ぷらは温かくてボリュームがあった


【35番清瀧寺】
 今回の最初の参拝は清瀧寺だった。境内には花がほとんどない。しかし、寺に登る参道に、ヒガンバナが燃えている。参道はミカン山をゆく。ヒガンバナの背景は田ではなく、まだ青い実をつけたミカンの木となっている場所もあり、この組み合わせはあまり見ない。


      ↑ミカンの木の下に生えたヒガンバナ


【36番青龍寺】
 バスは海岸沿いの旅館の駐車場に置かしてもらい、一行は小規模の湿原に沿った道を、寺まで10分あまり歩いた。ここにもヒガンバナが群れて咲き、ほかにもミゾソバ、キンミズヒキ、数珠玉などが秋を感じさせる。


      ↑青龍寺へ通じる参道の横は湿原

 寺ではフヨウの花が盛りだった。寺の入り口の塔の近くには、酔芙蓉(スイフヨウ)の木もある。本堂への石段を登っていくと、白いヒガンバナが身を寄せ合い、花を開いていた。

      ↑青龍寺の境内には白いヒガンバナが咲いていた


      ↑境内にはフヨウの木が何本もあり、その中にはスイフヨウも

 天気が良かったのでルートを変更し、少し遠回りになるが、太平洋沿いの横浪スカイライン通ることにした。道路は海岸の高い所を通っていので、見晴らしが良い。帷子(かたびら)の崎でバスを降り、太平洋の眺望を楽しんだ。年配の女性2人が高知名物アイスクリンの露店を出していた。こちらが遍路のグループをわかると、先達役の私にはアイスクリンのお接待をしてくれた。この日は、2度目のお接待である。


      ↑青い海と白い波のコントラストが美しかった


【雲の上のホテル】
  須崎市から四国山地へと入って行った。津野町を通り、梼原(ゆすはら)町に入り、宿泊場所の雲の上のホテルへ。この道は「竜馬脱藩の道」でもある。回りは田畑で、ヒガンバナを見ながら進んでゆく。ヒガンバナは花のサブテーマだったが、主役の座を占めたといっても良いほどだった。奈良では、宇陀市の仏隆寺や明日香村の棚田の周辺がヒガンバナの鑑賞スポットになっている。ホテルへの30キロほどの道筋には、いたる所にヒガンバンが咲いているので、堪能するほどのぜいたくさだった


      ↑棚田にもヒガンバナは咲いていた

 ホテルは標高500メートルほどの場所にある。ガラスを多く使うなど、モダンでオシャレな外観を持っている。ホテルの横に日帰りの温泉棟があり、ホテルとの間は地元の木材をふんだんに使った廊下で結ばれている。そこはギャラリーになっていて、建物は林野庁長官賞を受けていた。


      ↑ギャラリー部分の木組みを下から見た

 夕食は品数が多かったが、その中で「雨子の田楽焼き」が変わっていた。高知や徳島では、アマゴをアメゴと呼び、「雨子」の漢字を当てている。田楽みそを塗って焼いてあるのが新鮮だった。


      ↑夕食に出たアメゴの田楽焼き


【天狗高原】
 2日目の朝、目覚めると、曇空だった。今回の花のテーマの目的地、天狗高原の四国カルストに向かう。行く道筋にも、ススキはたくさんあって、穂を伸ばしていた。高原に着くと、白い石灰岩がゴロゴロと顔を出している。標高は約1400メートル。ここまで登ると、ススキはまだ背があまり高くなかったが、石灰岩との組み合わせはあまりない光景で、一行はしきりにカメラを向けた。リンドウ、アキノキリンソウ、ウツボ草といいた花も見つけた。
 散策を始めて40分ほどたつと霧が出始め、間もなく一面の霧ですべてが乳白色の世界となった。高原への到着が40分遅れていれば、何も見られないところだった。その意味では、短い時間でもカルストを楽しめて、運が良かった。この後は、台風の影響で、大阪に帰るまでずっと雨だった。


      ↑わずか40分ほどだったが、カルストの風景の中を散策できた

 道の駅「布施ヶ坂」に寄る。ホテルの人が「地元の人がつくっているコンニャクのおでんがお薦め」と教えてくれたからだ。おでんコンニャク以外にも、卵や厚揚げなどもあったが、薦められたコンニャクにした。大きな三角形で、味がよくしみこんでいる。100円と安い。そう思いながら食べていると、豆腐とモヤシのみそ汁がサービスについていた。これにはビックリした。


      ↑地元の人が作るきなおでん。手前がコンニャク


【昼食】
 山から下りてきて、昼食は中土佐町の「鰹乃国のめし屋萬」でカツオのたたき定食。タタキとカボチャの煮物、ご飯にみそ汁、漬け物という単純な定食だったが、本場で食べているという満足感があった。


      ↑本場で食べたカツオのたたき定食


【37番岩本寺】
 雨の中での参拝となった。境内には、数は少ないがいくつかの花が咲いていた。本堂の横に、シュウカイドウ、ギボウシ、フヨウ。大師堂の前にはムラサキシキブが実をつけていた。


      ↑大師堂の前のムラサキシキブ


【大阪へ】
 岩本寺の山門のそばに、野菜や果物を売っている店がある。岩本寺にお参りすると、たいてはこの店に寄る。四万十川の青ノリ(アオサ)を買うためだ。今回も手に入れた。
 店の中を眺めていると、「カツオ飯コロッケ」が目についた。カツオのしょうゆご飯をコロッケにしたものだった。続いて、道の駅「あぐり窪川」で、高速道路に乗る前の休憩をとった。このあたりには「仁井田米」のブランド米がある。その米を食べさせた「米豚」なるものもある。これを串焼きにして売っている露店が道の駅の建物の前にあり、これも毎回、食欲をそそられる。つまみ食いの多い遍路だった。


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   ◆第6回(41番龍光寺〜43番明石寺)
    ◇テーマの花=バラ、コスモス(2012年10月26日〜27日)


【よしうみバラ公園】
出発日は好天に恵まれた。しかし、九州から次第に天気が悪くなるという。2日目は曇で夕方から雨の予想だったが、結局大阪に帰ってくるまで、雨は降らなかった。参加は10人。
今回はしまなみ街道を通るため、中国道を走った。三木サービスエリア、吉備サービスエリアで休憩し、正午すぎにしまなみ街道に入った。天気は良いのだが、少しもやがかかっていて、海がスカッとはみえない。それでも、生口島の瀬戸田パーキングでバスを降り、海の流れを楽しんだ。紅葉した木があり、紅葉と海とを組み合わせた写真を撮ろうとしたが、スッキリした写真にはならなかった。


      ↑瀬戸田サービスエリアから見た瀬戸内海

 大島に降り、よしうみバラ園へ。道筋にセイタカアワダチソウが勢力を伸ばしている。最近は目立たなくなったと感じていたが、高速道路の周りでもたくさん咲いていた。まずは園内の土産物屋の2階にあるレストラン「ローズ館」で昼食。大島はヒジキの産地なので、ヒジキ丼セットを頼んでおいた。以前、大島の島四国を歩いた時、このレストランでヒジキ丼を食べておいしいと思ったので、今回もそれを選んだ。ご飯に煮たヒジキを乗せ、金糸卵と刻みノリをその上に散らしているだけだが、生のヒジキを使っているので、磯の香りが何ともおいしい印象を与える。イギスという海草を使ったイギス豆腐、タコのから揚げ、うどん、ダイコンの煮物、煮豆、漬け物が付いていた。


      ↑ヒジキ丼(左下)とイギス豆腐(左上)

 食後は30分ほど、バラ園を散策した。「秋は花が小さい」と係員が話しかけてきたが、時期はちょうど良く。色とりどりの花が咲き誇っていた。淡いピンクのマチルダ、白いペーパードール、少し茶色が入ったようなキャラメルアンティーク、赤いノックアウトに紅、うすい青味を帯びたブルーバユー、花芯の近くが淡いピンクのヨハン・シュトラウスといいった名前をノートに書いた。


      ↑よしうみバラ園


【43番・明石寺】
 寺に着いたのは午後4時前。参拝客も少なくなっていた。モミジの木がたくさんあるが、まだ紅葉は始まっていない。花はサザンカが少し咲いているくらいだった。しかし、鐘楼の周辺を落ち葉が飾り、黄土色の瓦の堂は緑の色を弱めた葉に囲まれていた。


      ↑モミジが赤くなるまでにはもう少し日数がかかりそうだった

 山肌に小さな石の地蔵が3体置かれ、その上にモミジの枝が垂れていた。その奥はコケが広がり、中に小さな石仏が配してあって、それも風情がある。突き当たりには、空海ゆかりの湧き水の井戸があり、ひしゃくですくって飲んだ。
 


      ↑岩の壁に可愛い地蔵が張りついていた


【宿】
 今回の宿は大洲市から山に向かって入っていた場所にある鹿野川荘。この遍路旅は温泉に泊まることになっている。しかし、このあたりは温泉宿が少ない。このため、少しバスを走らせて、鹿野川荘に泊まった。ダムのそばの宿で、温泉は露天ぶろはなし。10月の末なのに、地元の人たちが3階屋上のビアガーデンで飲んでいたのには驚いた。夕食は牛肉の陶板焼き、マスのホイル蒸し、天ぷら、カワハギの刺し身、マツタケの炊き込みご飯など、バラエティーに富んでいた。
 翌朝、少し早く起きて、宿の周辺を散策した。八大竜王神社の大きな鳥居があった。神社が近いのかどうかを歩いていた人に聞いてみると、結構離れていて、「社は小さいですよ」と言うので、鳥居から宿に引き返すことにした。朝食も量が多かった。


      ↑鹿野川荘の前のダム湖


【42番・仏木寺】
 宿から近い仏木寺を先に打つ。高速道路の上かも、コスモス畑が見えた。一般道に下りて、寺に行く間もコスモスが続く。花のテーマをコスモスにし、足摺岬の周辺の寺を後回しにする作戦は成功したようだ。境内には花は少ない。ツワブキと赤い秋明菊がわずかに彩りを添えていた。秋明菊は花びらが細長くて多い菊のような形で、貴船菊の系統だった。わらぶきの鐘楼の近くのモミジの1部が、少しだけ赤みをつけていた。


      ↑仏木時の境内にはツワブキと秋明菊が咲いていた


【41番・龍光寺】
 今回の「ちょっと歩き」のメーンは、仏木寺から龍光寺までのコスモス街道で、約5キロ。コスモスは満開だった。1番良い日に来たのではないか、と思うほどだった。雨を心配したが、大丈夫だった。歩道と車道の間にコスモスの帯が続いていた。ここは種類が多い。赤、ピンク、白のオーソドックスの花のほかに、白に赤い縁取り、薄い黄色、八重、花びらが筒状になったものなどが混じっている。風に吹かれて揺れているのも、雰囲気があった。


      ↑コスモスの街道を歩く花へんろのメンバー

 道路沿いの田も、何十枚もがコスモス畑に変わっていた。本来なら、その道をそれて、コスモス祭りが開かれる公園経由のコースを歩くはずだった。しかし、コスモス畑が満開で、公園よりきれいだろうと判断して、遍路道ではない車が走る道をそのまま進んだ。


      ↑コスモス街道の周りはコスモス畑

 龍光寺も境内にあったのは、ツワブキとサザンカ。ここは境神仏習合が色濃く残っていて、鳥居があり、仁王の代わりをこま犬が務め、境内に稲荷神社が同居している。神社に行く短い階段の横にツワブキが咲いていて、その写真を撮っていると、寺の人が「うまいこと隠して捨てている」と語った。ごみのことである。ツワブキが咲いている草むらの奥の方に、缶やごみを捨てる遍路がいるのだそうだ。


      ↑稲荷神社への石段の横にツワブキとサザンカが花をつけていた


【昼食】
 昼食は龍光から近い道駅「みま」の中にあるレストラン「畦みちの花」でとった。近くの農家の女性らが、バイキング方式で運営している。わざわざ私たちのために別の部屋を用意してくれていて、料理も運んであって、わずか十数人のためのバイキング会場がしつらえてあった。ご飯は菜飯。ジャコ天を切ったものが混ぜてあるのが、宇和島らしかった。


      ↑菜飯には、ジャコ天を切ったものが入っていた


【内子】
 今回の「ちょっと観光」は、内子の町並みの見学にした。大正時代にできた芝居小屋「内子座」に入るつもりだったが、あいにくこの日は狂言の公演があって、入館ができなかった。すると、内子座の女性が写真を持ってきて、一行に内部の説明をしてくれた。


      ↑残念ながら狂言公演のため、内子座の内部は見ることはできなかった

 内子はその昔、和ロウソクの原料となる木ロウの産地として繁栄した。その名残が町並みにある。特に、本芳我邸の豪華な建物には驚く。漆喰で動植物のデザインの飾りをふんだんにつけている。庭には巨大な木が植えてある。これらの豪商、金持ちがいて、内子座を株式会社としてつくったのだそうだ。


      ↑堂々とした本芳我邸

 内子五十崎インターから高速に乗り、大阪へ向かった。吉野川ハイウェイオアシスで休憩し、建物の横にある庭を歩くと、紅葉したドウダンツツジと池の組み合わせが絵になった。

      ↑吉野川ハイウェイオアシスのヂウダンツツジ



●●「ちょっと歩き花へんろ」の7回目は、11月16日(金)〜17日(土)。花のテーマは紅葉。札所は44番大宝寺〜47番八坂寺。詳しくは、毎日新聞旅行のウェブで。http://www.mainichinbun-ryokou.com/hobby/reojyo/