ちょっと歩き 花へんろ

  

              梶川伸・毎日新聞旅行「ちょっと歩き花へんろ」先達(「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会副会長)

              

   ◆◇ちょっと歩き花へんろ(2)◇◆
(毎日新聞旅行「ちょっと歩き花へんろ」の先達メモ)


 毎日新聞旅行の遍路旅「ちょっと歩き花へんろ」の先達を務めている。おおむね1カ月に1回、1泊2日の日程で四国八十八カ所霊場を巡拝し、計17回で結願となる。
 今回のシリーズは、遍路としてのお参りを続けるとともに、季節ごとに咲く霊場の花や、遍路道に近い花の名所も訪ねるように、計画を練った。花の時期に合わせての遍路なので、参るのは順序通りではなく、あっちへ飛び、こっちへ飛び、となる。
 毎回、午前8時に大阪市北区梅田の毎日新聞大阪本社前をバスでスタートする。移動はバスが中心だが、一部良い遍路道を歩くことにした。また、地元の食べ物を味わい、年配の遍路が多いことを考慮して、宿は温泉を選んだ。ここでは、各回の模様を、花の写真とともに紹介する。


   ◆第7回(44番大宝寺〜47番八坂寺)
    ◇テーマの花=紅葉(2012年11月16日〜17日)


【淡路島ハイウェイオアシス】
 初日は好天、2日目は雨という対照的な2日間だった。
 最初の休憩は、淡路島ハイウェイオアシスだった。物産館の裏の花の谷は、秋の装いになっていた。ヤマハゼがまだ、真っ赤に燃えていた。スギ科のラクウショウは明るい茶色に変わっていた。モミジの木は数は少ないが、紅葉の盛りで、ラベンダーセージとの組み合わせで写真を撮ると、紫と赤とのコントラストが面白かった。


      ↑ラクウショウの紅葉


【脇町・うだつの町並み】
 淡路島を抜け、高速道路の高松道から徳島道へ乗り換え、美馬市の脇町インターで下りて、うだつの町並みへ。吉野川への藍の積み出し港で栄えた地で、立派なうだつを上げている江戸時代などの家並みが続く。うだつは、しっくいで固めた防火壁で、町並みの一角に実物大の模型が展示してあり、作り方が説明してある。古い家々の玄関には、3本立ての菊が飾ってあった。地元の人に聞くと、菊友会のメンバーが育てているもので、数日前までは菊花展が開かれていたそうだ。


      ↑うだつの家並みに大きな菊が並んでいた

 昼食はうだつの町並みのそばの道の駅「藍蔵」で、阿波尾鶏のせいろご飯。阿波尾鶏は徳島のブランドのトリで、最近は大阪でも売られているほど人気を集めている。しょうゆご飯の家にトリ、ゼンマイ、ワラビ、シイタケ、ウズラの卵などが乗っていた。阿波尾鶏スープが付いていた。


      ↑阿波尾鶏のせいろご飯


【45番・岩屋寺】
 徳島道から松山道に進む。高速道路の両側に植えてある木々も紅葉の真っ盛りで、桜もみじも次々を現われて車の後へと飛んでいく。長い道のりも飽きることはない。
 松山市インターで下りて、久万高原町へ。町の中心街はモミジの並木が続き、紅葉の1番良い時期に車を走らせていた。予想より色づきが早いと思ったが、遠くに見える山は少し雪を被っていて、標高500〜700メートルの久万高原町の秋の深まりを知り、紅葉の最盛期にも納得がいった。
 名物の「おくま饅頭」を食べ、午後3時過ぎに45番・岩屋寺の駐車場に到着した。そこから寺まで15分ほど参道を上る。両側は針葉樹だが、本堂近くの境内にはモミジの木が結構多い。緑のままの木もあるが、半分ほどは見ごろを迎えていて、黄色から赤までのグラデーションが美しく堂塔を飾っていた。


      ↑本堂の周辺は紅葉の良い時期だった
 

【古岩屋】
 宿は国民宿舎「古岩屋荘」にした。そこが、紅葉の名所の中にあるからだ。宿に着いたのは午後4時半を過ぎていたが、翌日は雨が予想されたので、宿に入る前に少し散策をしておくことにした。
 宿の前は西之川。その対岸に、軽石のような肌合いの高く黒い岩壁がそそり立っている。川原に降り、狭い流れを越えて対岸の小道を行くと、モミジの木の数は多かった。紅葉の度合いは7割程度で、ちょうど良い時期だった。夕方で光は少なかったが、紅葉と黒い岩との対比が印象に残る。
 夜半から雨になり、翌朝も冷たく降っていた。強い降りではなかったので、前日とは別の場所で紅葉を楽しんだ。まず、宿の前の国道を歩く。傘をさしての散策だが、紅葉の色はよく、生垣にように植えてあるドウダンツツジも、オレンジと赤の混じった塀となっていた。西之川とは反対のモミジ谷と呼ばれる場所に入っていった。事前に聞いた宿の人の話では、例年はモミジ谷から紅葉が始まり、西之川の方に移るのだそうだ。ただし、数日前その風雨でモミジ谷の葉はほとんどが落ちてしまったとか。


      ↑黒い岩肌と赤いモミジの対比が面白い
 

【44番・大宝寺】
 44番・大宝寺は樹齢400〜600年のヒノキ、樹齢800〜1000年のスギの森に抱かれている。本堂の前には大きなイチョウの木があり、黄色くなった葉を雨で大量に落とし、境内を埋めていた。苔むした石垣にへばりついているもののある。
 モミジも数本あり、赤に染まっていた。雨ではなく光がほしいとこだが、天気のことはいたしかたない。大師堂の横にブロンズの十一面観音が立っている、ちょうどそのバックがモミジで、この木は黄色に染まり、光背の役割を果たしているようだった。十一面観音の体は濡れていて、ここでは雨もしっとり感を出していて良かった。


      ↑紅葉を光背にしたような十一面観音


【46番・浄瑠璃寺】
 雨が激しくなってきた。山門の横、鐘楼のそばにミミジの木があって、緑から赤への模様を描いていた。今回の「ちょっと歩き」は、浄瑠璃寺から次の47番・八坂寺までを予定していた。短い距離だが、雨足が強く、残念ながら歩くのはあきらめた。


      ↑浄瑠璃寺の境内もモミジに彩られていた


【昼食】
 この遍路旅は、昼食はなるべく地元もものを食べるようにしている。2日目は松山市砥部の「ゆうゆう亭」の「さつま汁定食」を選んだ。みそに魚の焼いたものをすりつぶし加えて汁状にのばし、キュウリ、コンニャク、ネギを入れてご飯にかけて食べる。魚のみそに癖があるので、メンバーの半分はあまり好みではなさそうだった。天ぷらと揚げだし豆腐などがセットになっていたので、さつま汁が苦手な人も、何とかご飯を食べることができたようだった。


      ↑昼食は地元の「さつま汁」


【昼食】
 この遍路旅は、別格の寺を組み込んではいない。しかし、別格10番・興隆寺が紅葉の名所なので、わざわざコースに入れた。寺へは駐車場から、ゆっくり歩いて15分ほど登る。本堂まではモミジの参道になっている。ところが、参道は全くといって良いほど、色づいていなかった。標高700メートルの岩屋寺とは、条件が違うのだろうか。雨で山道を登るので、ポンチョを着て、その中でカメラを握っていたが、使う機会がない。岩屋寺、古岩屋、興隆寺の3カ所の紅葉を目指してきたのに、参加者に申し訳ない気がした。
 本堂に周辺は数本のモミジが色をつけていて、ほっとした。納経所の女性が寺の説明をしてくれた。「紅葉はまだですね」と話しかけると、メーンの参道とは違う道で下るように教えられた。その道のモミジは赤や黄色に染まっていて、参加者に対して何とか面目を保てた。


      ↑本堂のそばは色づいていてホッとした



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   ◆第8回(38番金剛福寺〜40番観自在寺)
    ◇テーマの花=ツバキ(2013年1月18日〜19日)


【淡路島ハイウェイオアシス】
 今回は15人の参加だった。足摺岬が組み込まれ、この遍路のシリーズでは最も遠いまで行く。寒い日に当たってしまい、思いがけないことが起き、ひやひやの遍路だった。
 バスで淡路島に渡る。海の視界が良い。いつものように、淡路島に入ってすぐのハイウェイオアシスで休憩した。バスから降りると、震えるほど寒い。ただ、この時点ではブルッとするくらいで、少々我慢すればすむことだった。
 オアシスの建物の中は、季節の花で飾られている。今回は黄色の小さなスイセンが目についた。裏庭にあたる花の谷に出ると、花が少ない中で、わずかにサザンカが赤い花をたくさんつけていた。


      ↑花の谷のサザンカ


【あんみつ館】
 淡路島の高速道路を走り始めると、四国自動車道の通行止めの情報が表示された。雪のためだという。高知道の川之江ジャンクションと大豊インターの間も含まれていた。今回のコースだ。四国の中央部で、これまでにも2度、通行止めに出くわしたことがある。やむをえず、その間は一般道を走ることに決め、運がよければその部分に到着する前に解除されていることを期待した。もう1カ所、松山道も川之江から西条インターまでが通行止めで、ここは帰りのルート。不安の中で走った。
 徳島道に入ると、路肩に雪があり、山にもうっすら雪が積っていた。それを見て、通行止めの解除はあきらめた。
 寒い時期なので花は少なく、そのために寄ったのが、徳島県脇町の「あんみつ館」だった。ここは河野メルクリンが開いているランの展示・販売場。この会社はシンピジウムの新品種開発などで定評がある。温室に近い展示場には、豪華なシンピジウムが咲き乱れていた。オバマ大統領の就任を記念して作った「オバマ」は、初の黒人大統領をイメージしたこげ茶色の花だった。黄色が鮮明は「黄鶴の舞い」という品種も珍しくながめた。ランのお茶、ラン麺、ランのエキスを入れたワインと、ランづくしの試飲、試食も楽しんだ。


      ↑咲き誇るシンピジウム


【昼食】
 昼食は吉野川ハイウェイオアシスのレストラン「エトランジェ」を選んでいた。足摺までの距離が長く、昼食で時間をとるのを抑えたかったからだ。雪での通行止めは想定していなかったので、結果的には正解だった。食べたのは「おぼろ豆腐御膳」。1人鍋で豆腐を作りながら食べるのが良い。豆腐のほかのおかずは、酢の物、ヒジキの煮物、ワラの焼き物、そえに田楽(ナス、豆腐、コンニャク)が、少量ずつ並んでいた。ご飯はてまりずしで、ネタはマグロにエビの定番に、キュウリ、ナス、ニンジンと、田舎料理のようなセットになっていた。


      ↑ニンジン、ナス、キュウリも使った手まりずし
 

【大歩危】
 池田・井川インターで高速道路を下りて、一般道を走る。そのため、30分以上の時間のロス。しかし、よくしたもので、雪の山の景色を楽しむことができ、観光地の大歩危・小歩危も楽しめることになった。
 大歩危ではバスを停め、しばらくの時間ではあったが、吉野川の渓谷の観光もできた。川の水は緑に近い色をしていて、見ているだけでも冷たい感じが伝わってきた。


      ↑大歩危の景観。山には雪が見える
 

【39番・延光寺】
 大豊インターで高速に乗り、高知インターを過ぎると、ひたすら西へと急ぐ。ちょっと幸いなことがあった。以前走った時は、中土佐町が終点だった。ところが、1カ月前に四万十町まで延びていた。これで少しは遅れを取り戻せた。
 一般道を走り出すと、さすが南国高知なのか、太陽が明るい。10度を示す表示板も見た。ナノハナも見かけ、驚いたのはブーゲンビリアまで咲いていた。四国の山中で見た雪がうそのようだ。道の駅「ビオス大方」で休憩した。幡多農業高校畜産部が開発したという豚包(トンパオ)を売っていてので、生徒の応援のつもりで食べた。
 延光寺にも目立つ花はなかった。ナンテンが五重の石塔の前で赤い実をつけ、境内に隅をスイセンが彩っていたくらい。白いツバキは2、3輪開きかけていてが、モクレンは葉のない枝をつぼみが肩代わりしていたが、まだまだ固く身を閉ざしたままだった。


      ↑境内の五重塔前のナンテン


【宿】
 宿は足摺国際ホテル。到着したのは午後6時を過ぎていた。ひと風呂浴びた後、夕食をとった。刺し身はブリとハガツオ。ハガツオは聞かない名前だった。アカウオのあんかけ、カツオのたたき、レンコン、ゴボウ、コンニャクの煮物、陶板焼き、アサリご飯とあって、それに皿鉢(さわち)料理がついていた。ワカサギのような魚のフライ、エビ、サトイモ、カニ、サザエ、枝豆、それに地元でチャンバラ貝と呼ぶ巻き貝と盛りだくさん。チャンバラ貝には小さな刀の形をしたものがついていて、それが名前の由来だった。このほかに、小さな陶板焼きがあり、イカ、エビにヒオウギ貝が乗っていた。朝はキビナゴの一夜干しを焼いて食べるようになっていた。地元ならではのものがあり、旅の楽しみの1つを満足させてくれた。


      ↑皿鉢もついた夕食

朝焼けがきれだった。海の上は雲が張っていたが、空自体は晴れていて、オレンジ色から青へのグラデーションにしばし見とれた。


      ↑足摺岬の朝焼け


【38番・金剛福寺】
 宿から金剛福寺までは、バスですぐ。2日目の朝1番にお参りをした。ツバキの木が多いのだが、咲いているのはわずかだった。どうも、今年は咲くのが遅いようだ。参拝をすませて、山門を出ると、年配の女性が掃除をしていた。そばにジョウビタキが飛んできている。その女性は「ピーピー」と名づけていた。毎日のようにそばに来るそうで、亡くなった「お父ちゃん」だと思って声をかけているのだと話していた。


      ↑境内のツバキはチラホラ咲きだった


【足摺岬】
 今回の花のテーマの目的地が足摺岬だった。ツバキのトンネルを通るのが狙いだった。まず、展望台へ。天気が良いので、海の青さが際立つ。天狗の鼻、灯台へとツバキのトンネルが続いていて、その中を歩く。しかし、残念ながらツバキはチラホラ咲きだった。ただ、風がほとんどなく、太陽を浴びているので、朝ではあるのに、寒さはきつくなく、逆にほんわかとした暖かさを背中に感じた。


      ↑ツバキのトンネルもまだ花は少なかった


【観音岩】
 通常の遍路ツアーでは行かないルート、大月町回りで観自在寺へ向かった。途中で国道56号からさらに柏島の方へそれ、島の手前の観音岩を見るためだった。当初の予定に入れていなかったが、天気が良いのでつい行ってきることにした。ただし、通常より1時間以上、余分に時間がかかった。観音岩は海上から突き出した高さ30メートルの細長い岩。その姿が台座の上に立つ仏像見える。その観音岩を少し上から見る。ここは風が強く、10数分見て、バスに戻った。


      ↑観音岩


【40番・観自在寺】
 道の駅「大月」で休憩時間をとったが、ここは珍しいものがいくつかあった。1つは、へらずし。ブリの厚い切り身に切れ目を入れ、そこにす飯をはさんだシンプルなすし。もう1つ面白かったのは、パックに「干菓子山(ひがしやま)」とかいてあった食べ物。どんな食べ物かを教えてもらおうと、「こえは何ですか」と訪ねると、「ひがしやま」と商品名が返ってきた。大月町では、ごく当たり前の食べ物なのだろう。干しイモをベースにした菓子だが柔らかく、表面は何かでコーティングしてあった。


      ↑道の駅「大月」で食べた干菓子山

 観自在寺も花は少なかった。白いツバキが2、3輪。赤い実をつけた木が1本。山門お外にサザンカが咲いているくらいだった。


      ↑境内で見つけた赤い実


【昼食】
 昼食は愛媛県宇和島市の「かど屋」のタイ飯を用意した。ソウメンつゆのようなものに生卵を落としてかき混ぜる。それにタイの刺し身、海草を入れて、ご飯の上につゆと一緒に乗せて食べる。タイ飯というと、炊き込みご飯のようなものを想像しそうだが、宇和島のタイ飯はこのスタイル。それに、宇和島名物のジャコ天、味をつけたコンニャクに白とピンクのでんぶを乗せた「福麺」、おからに酢を混ぜて酢飯に見立ててつくる手まりずし、豆アジといった組み合わせで、ここも地元のものをたくさん食べた。
 帰りの松山道は通行止めが解除されていて助かった。それでも、徳島道に入ると、道ばたに雪が残っていた。


      ↑宇和島のタイ飯のセット


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   ◆第9回(21番金太龍寺〜25番津照寺)
    ◇テーマの花=梅(2013年2月15日〜16日)


【淡路島ハイウェイオアシス】
 冷たい雨の中で、大阪・梅田をバスで出発した。天気予報では午後には雨があがるというので、それを期待した。
 いつものように、淡路島ハイウェイオアシスで、第1回目の休憩をとった。前回に続いて、寒さも厳しい。建物の裏の花の谷をのぞいてみたが、ほんのわずかにサザンカが咲いているだけで、ほかに花の色はない。何か花の写真を撮りたいと思い、建物の花いっぱいのスペースで、ゴクラクチョウを撮影した。


      ↑建物お窓際で咲いていたゴクラクチョウ


【昼食】
 徳島市を通りすぎ、阿南市に入る、旧羽ノ浦町の那賀之坊という店で昼食にした。今回は「地元の味」を探し切らず、一般的な和食の店になった。料理は松花堂弁当で、刺し身、出し巻き、サーモンのたたき、ビフカツ、煮物などがそろえてあった。煮物の中に菜の花が入っていたのが、この時期らしかった。このあたりで、雨は上がった。


      ↑1日家の昼食は松花堂弁当


【明谷梅林】

 今回の花のテーマが梅だったので、阿南市の明谷梅林をコースに組み込んだ。梅を採るための梅林で、徳島県内では有数の規模を誇り、時期になると観梅客がやってくる。
 ところが、ほとんどの木がまだ「つぼみ固し」。「つぼみ膨らむ」の木も1割程度で、花をつけているのは、ピンクの花の木2本が7分咲き、「白八重」と名札のついた白梅2本が3部咲きといったところで、残念至極。
 駐車場と小さな売店をしている女性が「これでは駐車料、取れんわ」と言って、無料にしてくれた。それだけではなく、事前に連絡を入れていたこともあり、気をつかってくれていたようだ。花をつけた梅の枝を切って束ね、バケツに入れて用意してあり、「いくつでも持っていいて」。


      ↑梅の花が咲いた枝を用意してくれていた

 その女性としばらく雑談をした。今年は開花が遅いのだが、昨年の方がさらに遅く、3月7日を過ぎてから見ごろになったのだという。「梅ゆうたら2月なのに」。そこから昔話となり、修験の修行場が少し奥にあり、滝行や岩での行をしていたそうだ。
 梅の枝をもらうことにした。女性はわざわざ切り口に水を含ませ、ビニールを巻きつけて長持ちするようにしてくれた。梅の花が残念だった分を、梅林の人が補ってくれたような気がした。枝はバスに持ち込み、梅の香りの中でのバス遍路になった。


      ↑わずかに咲いている木を見つけて撮影
 

【22番平等寺】
 平等寺は境内がよく整備されていて、枝垂れ梅を期待していた。しかし、ここも今年は遅いようだ。本堂へ登る石段の周辺は枝垂れ梅が散在していて、黄色いスイセンとの組み合わせ、柔らかい色合いで、春を待つ気持ちを演出する。
 参拝すると、スイセンば咲いていたが、そばの枝垂れ梅はこれからの状態だった。ただ、石段の下のピンクの枝垂れ梅は7分咲きといったところ。六地蔵を上から覆うように垂れ下がり、その風情が良く、名人もがカメラと携帯電話を向けた。明谷梅林が失敗した分を、取り戻したようで、少しホッとした。


      ↑六地蔵にかぶさる枝垂れ梅


      ↑スイセンはつつましく咲いていた
 

【21番太龍寺】
 札所は1つ引き返して、21番太龍寺へ。太陽が時折、顔をのぞかせ始める。太陽のめぐみを感じる。道筋に、スイセンや菜の花が見えた。
 往復ともロープウェイにした。2775メートルの長さを誇る。標高差は508メートル上がり、川と尾根を越えていく。風が強く、運行しているかどうか心配だったので、先に電話を入れて、動いていることを確かめてからの乗車だった。ゴンドラの中で、案内の女性に聞くと、風速20メートル以上の風が5秒以上続くと、運休になると説明してくれた。また、計2トンもの重りを調整しながら積み込み、風などに対応することも教えてもらった。


      ↑那賀川を越えていくロープウェイ

 太龍寺には、参拝客はほとんどいなかった。花は梅の木の数本が花を少しつけていて、赤い実のマンリョウとともに、寂しい境内に、ほんの少しの彩りを添えていた。樹氷が解けて、小さな水滴が木の枝に留まり、光を浴びるとキラキラと小さく光っているのが印象的だった。


      ↑背の高いマンリョウが赤い実をつけていた


【大浜海岸】
 少し時間の余裕が出たので、徳島県美波町の大浜海岸に寄った。ウミガメの産卵場所で知られた砂浜だ。数年前、NHKが朝の連続ドラマとして、遍路とウミガメをモチーフにした「うえるカメ」が放映された。その番組のタイトルバックに、大浜海岸が使われていた。
 海岸のそばにウミガメの博物館があり、一部の屋外プールが施設の外からでも見ることができる。そのうちの1匹、浜太郎と名づけられカメが、国内で飼育されているウミガメでは最長老だと説明にあった。


      ↑大浜海岸


【宿】
 宿は徳島県海陽町の「遊遊NASA」。町が建設し、民間に運営を委託している温泉つきの宿泊施設だ。海のそばだけに、夕食は海産物がふんだんに使ってあった。カンパチ、アオリイカ、メジロの刺し身、1人用のタイ鍋、スズキのソテイ、ブリの南蛮焼き、ナマコ酢、イカの塩からなど。明谷梅林の梅の枝は、夕食会場でも出番があった。花瓶に生け、テーブルの上に飾り、ささやかな観梅の宴となった。


      ↑魚がたくさん使われた夕食

 翌朝は良い天気になった。朝焼けが濃いオレンジ色で明けゆく空を染めていた、海の上には雲が垂れ込めていたのだが、太陽の手前の雲は薄いようで、水平線からに近い状態で上るのを見ることができた。雲のために完全な丸にはなっていなかったが、海面にもほんの一部太陽が写り、だるま朝日の片鱗が見えた。



      ↑朝焼けは美しかった


 やがて太陽は雲の陰に隠れた。しばらくすると、太陽がやがて顔を出すであろう雲のすぐ上の部分に、光の円が現われた。輪郭ははっきりしないのだが、かなり明るいオレンジ色で、何らかの太陽の反射現象のように思えた。


      ↑雲の後に太陽が隠れているのに、雲の上に丸い光の形が現れた



【夫婦岩】
 バスは海を見ながら、高知県に入る。海面から白いもやが立ち上っていた。よく似た現象は、北海道鶴居村のタンチョウのねぐらの川で見た。そこでは「毛あらし」と呼ばれていた。


      ↑落石のため、夫婦岩の周りは立ち入り禁止だった

 夫婦岩は海から突き上げている大きな2つの岩で、名所の1つである。ところが、落石の恐れのため、周りは進入禁止になっていた。仕方なく、遠くから眺めるだけに留めた。アロエの赤い花が咲いていて、真っ青な海と白い波の組み合わせが絵になる。


      ↑赤いアロエの花と真っ青な海


【御蔵洞】
 室戸岬の御蔵洞(みくろど)に入った。空海が虚空蔵求聞持法を修得した場所との言い伝えがある。洞窟に入り、大師宝号を唱えたあと、中から入り口の方向に目を向け、海と空を見て、空海の気分にひたった。御蔵洞の横にもう1つ洞窟があり、そこの立ち入り禁止となっていた。


      ↑御蔵洞の中から外を見る


【室戸岬】
 御蔵洞から中岡慎太郎の像の前まで、室戸岬の岩場を歩いた。ジオパークそのもので、マグマによる溶岩のやけど「ホルフェルス」、蜂の巣状のタフォニス、石が岩を削ったポールホールなどの説明を見ながら歩く。エボシ岩のような奇岩も眺める。


      ↑エボシ岩

 植生も興味深い。3つの岩に気根をからませたアコウという植物は生命力の強さを示し、サボテン類も南の国の景観を作り出していた。


      ↑オブジェのようなサボテン


【24番最御崎寺】
 ツバキの並木が参道を作っている。ヤブツバキで、赤い花をポツポツとつけている。黄色い花も塀のそばを飾っていた。
 参拝に前に、室戸岬の灯台を見物した。天気が良いので、青い海を背景にした白い灯台がまぶしい。灯台への道も、ツバキのトンネルだった。花が散っている。木の中では、濃い緑の葉の塊にまぎれて目立たず、それが魅力でもあるが、地上に落ちると赤は目立ち、結構自己主張をする。


      ↑灯台への道にはツバキがたくさん散っていた

 境内に入る。山門の右手に、11月に咲くヤッコソウの自生地がある。白い花はすでにないが、花の後が焦げ茶色のドングリのような形をして残っていて、それが集団になっているので、面白い図となっていた。

      ↑焦げ茶色のドングリのようになったヤッコウソウ

 参道で見た黄色い花がいたる所に咲いている。納経所で聞くと、黄花亜麻だそうだ。インドが原産だという。地蔵や堂とのコントラストがいい。そのほかには、紅梅やスイセンが少し花を見せているくらいだった。


      ↑インド原産の黄花亜麻


【25番津照寺】
 最御崎寺から歩いて降りた。好天に恵まれ、目に前に紺色の海がきれいに広がっていたからだ。太陽のおかげで寒くもなく、歩いていると背中がポカポカとしてきた。
 津照寺は本堂まで、長い石段を登る。狭い場所に石段と本堂が造られているので、花を植える余地があまりない。石段のそばに斑入りのピンクのツバキと、白いサザンカが1本ずつあるだけ。ただ、本堂の前の海岸側にはツバキの木が風よけのように立っていた。花はここも、数少なかった。


      ↑きつい石段の途中に小さなツバキの木があった


【昼食】
 海の駅「とろむ」の中のレストラン「じばうま屋」で、海鮮丼を食べた。ご飯は酢飯である。気に入っているので、これで3度目。刺し身は丼を埋め尽くしているが、水揚げしたものの中から選ぶので、何が乗っているのか食べるまでわからず、それも楽しい。実は食べてもわからず。店の女性に聞いてみた。すると、板場を担当している男性がわざわざ説明に来た。マグロ3種類、カンパチ、カツオのたたき、アオリイカ、ブリに、サエズリ(クジラの舌)などが、その日のトッピングだった。
 魚の量が多い。ご飯は普通の盛り方だから、参加者の中には、刺し身を食べ切れずに残す人が何人もいた。食べ終わると、板場の男性が再びやって来て、話し始めた。
 刺し身類は少なくとも200グラムは使うことにしている。ブリは大敷網で獲るという。回遊のブリは紀州の方で上がったという情報があってから、室戸に来るまで1週間かかる。まだブリは出始めで、1キロ1200円から1500円する。日本海のブリの方が脂がある。回遊しない地物のブリはやせている。出世魚の名前の変わり方はチギリコ→ネイリ→カンパチ、ツバス→ハマチ→メジロ→ブリ。
 魚のことを話すのがうれしいようで、遍路のメンバーがバスに乗っても、話していた。室戸の魚に誇りを持っている口ぶりでもあった。


      ↑海鮮丼にはサエズリも乗っていた


【23番薬王寺】
 寺は男坂、女坂などと呼ばれる石段を登っていく。山門の外には堀のような水の流れがあり、流れに沿って梅の木が並んでいる。ここの梅は全体で2〜3分咲き。今回の「花へんろ」で、初めて少しまとまった梅の花を見た。境内の1番上の堂まで上がると、見晴らしは良いが、風が冷たく、春はまだ遠いと思い知らされた。
 

      ↑薬王寺の梅はまがりなりにも咲いていた
 


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   ◆第10回(17番井戸寺〜20番鶴林寺)第9回
    ◇テーマの花=菜の花、桜(2013年3月22日〜23日)


【淡路花さじき】
 今回は12人の参加で、いつもながらこじんまりとして、小回りのきく遍路だった。2日とも好天に恵まれた。都心部から山の上までの行程だったが、良い季節に包まれて、「山里の春のはなやぎ」が印象に残った遍路だった。
 常はまず、淡路島ハイウェイオアシスで休憩するのだが、今回は春を味わうため、高速道路をいったん下りて、淡路花さじきを休憩場所にした。海に向かう斜面に、菜の花が密集して植えてある。遍路は春、春は菜の花のイメージで、ここを選んだ。花さじきの菜の花は、畑で見かけるものと比べると背が低い。そんな園芸品種があるのだろうか、と思いながら、のんびりと散策した。空は真っ青で、花の黄色とのコントラストが素晴らしい。ただ、海はもやっていて、青がはっきりしていないのが残念だった。


      ↑黄色い菜の花を手前に、青い空を背景に話す参加者


【17番井戸寺】
 井戸寺では、ほかの団体と一緒になった。遍路の春がやってきたようだ。お互いに邪魔にならないように、まず本堂に参拝をし、次に交代で本堂に参った。本堂には7体の薬師如来が安置されている。般若心経は堂の中で唱えさせてもらった。
 寺の横の畑には菜の花が咲き、タンポポも寄り添っていた。寺の隣は八幡神社。こちらには、桜の木があったが、まだチラホラ咲きだった。


      ↑タンポポと井戸寺の山門


【昼食】
 昼食はJR徳島駅に近い阿波観光ホテルのバイキングにした。当初予定していた店がだめになったためだ。中心部はバスを停められる場所が少なく、このホテルにしたが、入り口に1台停めるのがギリギリだった。中華系の料理が多かった。飲み物の中に桑の実茶があるのが目をひいた。


      ↑昼食のバイキングの飲み物に桑の実茶があった


【原田家】
 徳島の中心部にある原田家を訪ねた。原田家は江戸時代に蜂須賀家に仕えた家老の家。徳島城から早咲きの蜂須賀桜を移植している。特別の日しか公開はしていなのだが、外からでも桜を見てみようと、考えたからだ。早咲きと言われる通り、残念ながら、ほとんど花を落としていて、葉桜になっていた。それでも、花の咲いている枝を狙い、古い建物を背景にしてカメラに収めた。


      ↑咲き残っていた蜂須賀桜はわずかだった
 

【18番恩山寺】
 境内には桜の木が多い。実は今回の「花へんろ」の桜は、恩山寺を期待していた。ところが、咲き始めたばかり。ほとんどの木はまだつぼみだった。
 今年の冬は寒くて、桜は遅いと思っていたら、3月に入ってからの暖かさもあって、例年よりも開花は随分早い。東京は花見の盛りを迎え、大阪でも前日に開花宣言が出された。そこで、恩山寺への期待が膨らんだのだ。蜂須賀桜は終わり、染井吉野には早いというはざかい期にあたってしまったのか、とこの時点ではあきらめていた。


      ↑恩山寺は桜の木が多いが、咲いているのは少しだった


【19番立江寺】
 恩山寺からは、弦巻峠(つるまきとうげ)の遍路道を歩くつもりだった。短い距離だが、竹林の中の道が美しい。今回の「ちょっと歩き」の目玉である。
 歩く前に、みんなでストレッチ体操をしようとすると、2人連れのお遍路さんが「崖が崩れて、通行止めらしいですよ」と教えてくれた。自分たちも遍路道を行く予定だったが、普通の道をゆくという。
 こちらは、とりあえず昔ながらの遍路道を少しでも歩こうと、通行止めの所までは行き、場合によっては引き返すことにした。源平・屋島の戦いの際に源義経が通ったと伝えられる道。竹林の中の道はフカフカした土で、歩きやすい。低い峠を越えたところで、遍路道は教えられたように通行止めになっていた。しかし、細い舗装された道と交差していて、その道を通れば、通行止め区間を過ぎて遍路道と合流することが分かり、さらに歩いた。


      ↑弦巻峠の遍路道は一部で通行止めだった

 釈迦庵に寄る。仏足石がある。ツバキの赤い花がたくさん散っていて、風情を演出していた。


      ↑釈迦庵にはツバキが散っていた

 自動車道に出たところで、バスに拾ってもらう予定だったが、歩き足りないので、結局は立江寺まで歩いた。途中の道は花さかり。シキミ、レンゲ、梅、ボケ、コブシ、シデコブシ、モクレン。途中の工事現場で、仮設の遍路休憩所を見つけた。現場作業員も使うプレハブの建物をお遍路さんに開放しているのだ。
 「ちょっと見せてもらおう」と、歩いている仲間に語りかけると、現場で交通整理をしているガードマンが「どうぞ」と大きな声を発した。建物の中にはテーブルといすがあり、そばに仮設のトイレもあった。休憩所の入り口には、休日診療所と夜間診療所の一覧表が張ってあった。お遍路さんへの心遣いだろう。


      ↑工事現場に休憩所が設けてあった

 立江寺に着く手前の和菓子屋、酒井軒本舗に寄って、たつえ餅を求め、みんなで食べた。黒米を使った餅で、中にあんが入っている。説明書きによると、ブルーベリーと同じ成分のアントシアニンが入っているという。そのためかどうか、やや酸味を感じる餅だった。


      ↑黒米をつかった餅と薄皮まんじゅうをみんなで食べた

 立江寺には利休梅が白いさわやかな花をつけていた。そのほかにモクレンは満開で、桜はポツポツと花を開いていた。山門で自転車遍路と出会い、少しだけおしゃべり。野宿を中心にして周っているというので、以前あしなが育英会の学生と世話になったことのある寿康寿康庵を教えた。自転車遍路はその庵のことは知っていて、「行ってみようか」と話し、そこで分かれた。その庵まではあと5キロほどの距離だ。さて、どこに泊まったのだろうか。


      ↑本堂の前の利休梅は白い花と薄緑葉の清楚な色の組み合わせだった


【月ヶ谷温泉・月の宿】 
 宿は上勝町の月ヶ谷温泉・月の宿。立江町からバスで目指すが、手前の勝浦町あたりから、桜の花の量が増えていった。ほとんどが5分咲き程度で、中には7分、8分の木もある。翌日、勝浦町の人に聞くと、徳島はまだ開花宣言をしていなかったのだが。咲き誇っているので、途中でバスを止め、カメラを向けた。


      ↑勝浦町で見かけた桜

 上勝町は、お年寄りの「葉っぱビジネス」で知られる。月の宿は町が建設した施設で、葉っぱビジネスの会社「いろどり」の事務所も、そこに置いている。数年前、上勝町長に葉っぱビジネスのことを尋ねると、お年寄りがいきがいを持ち、その結果として町が負担する医療費が少ないということを話した。
 夕食は、みそをつけて食べるアメゴ(アマゴ)の塩焼きと、ボタン鍋がメーンで、ほかには、天ぷら(フキノトウ、菜の花、シイタケ、カボチャ)、刺し身(タイ、甘エビ、マグロ)、酢の物、豆腐、アメゴの甘露煮、シイタケの煮物、タケノコのマヨネーズあえ、といったメニューだった。
 翌朝は早起きをして、宿の周りを歩いてみた。上勝町は現代造形の作品を町内にたくさん配置している。そのうちの1つ、インドネシアのエコ・プラウォトさんの「時の橋」があった。竹で君でトンネルのような作品だった。

 朝もやが山の斜面をの上っていく。朝の花はすがすがしい。ツバキ、ユキヤナギ、レンギョウ、スイセン、桜、シデコブシ、ツクシ。バスに乗り、別格3番慈眼寺へ行く山道は、特に桜が咲き誇っていて、海に近い徳島市や恩山寺の桜の状況がうそのようだった。


      ↑宿のそばで見つけたスイセンとツクシ



      ↑早朝、もやが山を上っていった


【別格3番慈眼寺】
 今回の遍路の中心は、慈眼寺の修行場「穴禅定」に入ることだった。寺に着くと、まず大師堂にお参り。そこから急な坂を10分近く上ると、小さな本堂がある。そこから少し上ったところに鍾乳洞があり、そこが穴禅定を呼ばれる。
 入っていく長さは100メートルだが、道幅が極端の狭い。しかも鍾乳石の岩壁は垂直ではなく、でこぼこがある。このため、狭いところは幅が15センチほどしかない。顔などを幅広いところに合わせうるため、しゃがんだり、寝転んだり、万歳をしたりと、苦労をしながら抜けてゆく。先達の女性がいて、「右肩から入って」などと指示をし、それを伝号ゲームで後から来る人に伝えていく。右肩から入らなければいけない部分を、左肩から入ると、抜けられない。体の前側の壁に突起があって、腹ならへこませることができるのだが、突起が背中に当たれば背骨が邪魔をして、にっちもさっちもいかなくなるからだ。
 十分な柔軟体操をし、柔道着のような修行着を身につけ、レインコートのズボンをはき、軍手をはめるなど、添乗員や私も含めて計14人が汚れてもよい万全のスタイルで、ロウソクを片手に洞に入って行った。ところが男性2人と女性1人が、難所を呼ばれている個所すべてで引っかかってしまった。そうすると、先達の女性が救援にやってきて、厳しい声で抜けられるように指導する。狭いので、手取り足取りができず、声だけなのだ。その間、後続のメンバーはずっと待っている。時には万歳をした格好や、腰を下げたような形など、不自然な体制で耐えて待つ。
 スムーズにいけば、先達の堂内の説明を含めて所用時間は40分ほど。ところが私たちのグループは、1時間半以上かかってしまった。先達の閉口したような口ぶりで、「30人のグループを案内するより時間がかかった」と嘆いた。30人の場合は、15人ずつ2回に分けて案内するのだという。つまり、半数の人数でも30人以上の時間がかかったと言いたかったのだ。
 引っかかった3人は、もがいてもがいて、やっと穴禅定から出ることができた時には、精魂尽き果てたように、座り込んで、なかなか起き上がることができなかった。1人の男性は「もう、出ることができないと思った」と、パニック状態の心情を語っていた。
 大師堂の近くには、スイセン、ツバキが咲いていたが、私を含め、1時間半あまりの洞窟での時間に疲れてしまい、花どころではなかった。


      ↑ツバキと十三重塔。後は穴禅定がある岩山


【灌頂の滝】
 
 慈眼寺から下りる途中の灌頂の滝に寄った。落差70メートル。水量が少なく、水は途中で霧散し、風向きによって霧となって落ちてくる。滝の左手の中腹に桜の木があり、満開に近かった。桜と滝のコンビにカメラを向けると、風に滝に水が舞い、レースを広げたような優美な形を見せた。

      ↑流れ落ちる水が風に舞い、レースのカーテンが翻ったような造形を見せた

【淵神の塔】
 さらに下りると、現代造形の1つがある。国安高昌さんの「淵神の塔」。すぐ横の川は雄淵、雌淵と呼ばれるところで、それにちなんだ作品だろう。木を組み合わせて塔を造り、そこから水が流れているような曲線を木で造っている。ここもそばに桜がある。寒緋桜のような濃い花の色で、それが良いアクセントになっていた。


      ↑淵神の塔のそばの桜は満開に近かった



【昼食】
 昼食は勝浦町の「ふれあいの里さかもと」。廃校になった小学校を活用した宿泊施設で、昼食も出している。地域おこしの事業で、地元の女性が田舎料理を作る。この日は、ばらずし、刺し身コンニャク、煮物(ワラビ、ダイコン、コンニャク、レンコン、ブロッコリー)、酢の物、みそ汁、ミカンゼリー。肉と魚のない料理だった。


      ↑地元の女性が作った料理



【森本家】
 この時期、勝浦町は1カ月あまりにわたり、ひな祭りを繰り広げている。中心はビッグひな祭りを名づけた大型ひな壇。坂本地区では、各家庭が軒先に雛人形を飾っている。昼食のあと、雛人形を見るために散策した。目的地は旧家の森本家。ここには江戸末期や明治時代の雛人形が飾ってあるほか、雛人形や各種の人形を使い、源氏物語の1場面、偏庵時代の宮中の遊び、昭和時代の子どもの遊びなどの場面を、部屋やや庭を使って作りだしている。それを無料で公開している。この人家の人たちの熱意と手間に、感心することしきり。。


      ↑平安時代の宮中を遊びを雛人形で再現

【ビッグひな祭り】
 広い倉庫を会場にしてある。27段8面のミラミッドのようなひな壇を作り、そこに雛人形を並べている会場に展示されている人形の数は約3万体だという。全国から今年も1万体が集まり、その中から展示するものを選んでいるという。圧倒されるスケールで、森本家のしっとりしたひな祭りと好対照だ。


      ↑3万体もの人形が展示されたビッグひな祭り


【20番鶴林寺】
 鶴林寺は標高550メートルで、ミカン畑の中をバスで登っていった。境内には1000年を超す杉が存在感を示しているが、この時期に花は少なく、ジンチョウゲ、ボケ、ツバキが少々、花をつけていた。


      ↑ジンチョウゲと地蔵


【前松堂】
 鶴林寺から勝浦町の中心部に下りてから徳島市に向かって帰る途中、和菓子屋「前松堂」に寄った。ひな祭りの時期、店の名物の豆ういろうと煎茶のサービスをしているからだ。ありがたくいただいた後、筋向かいの小さな公園へ。ここには河津桜が10数本植えてある。実は、参加者には内緒にしておいて、寄ってみようと思っていた公園だった。残念ながら河津桜は早咲きのため、ほとんどは葉桜になっていた。花が残っている枝を見つけてはカメラを向けたが、せいぜい10〜20の枝だった。


      ↑河津桜の公園はほとんど花が終わっていて、咲いている枝を捜してsh撮影



●●「ちょっと歩き花へんろ」の11回目は、2013年4月26日(金)〜27日(土)。花のテーマはバタンとフジ。札所は48番西林〜53円明寺。問い合わせ、申し込みは毎日新聞旅行へ(06−6346−8800)。