「ちょっと歩き四国遍路・開創1200年満喫編」先達メモ

  

              梶川伸・毎日新聞旅行「ちょっと歩き四国遍路・開創120年満喫編」先達(「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会副会長)

              

   ◆◇ちょっと歩き四国遍路・開創1200年満喫編(1)◇◆
(毎日新聞旅行「ちょっと歩き四国遍路・開創1200年満喫編」の先達メモ)


 毎日新聞旅行の遍路旅「ちょっと歩き四国遍路・開創1200年満喫編」の先達を務めている。毎日新聞旅行の遍路旅の案内人としては7シリーズ目となる。
 2014年は空海が四国八十八カ所を開いて1200年とされる。今回のシリーズは、そのことを意識して行程を組んだ。計16回の予定で、2014年は特別開帳の仏像の拝観もできるだけ組み込んだ。遍路道を少し歩くのは、過去の「ちょっと歩き」シリーズと同様。また、1200年の機会に、「お四国さん」という優しい言葉を使う四国という土地、その空気を感じてもらうことを願って、参拝以外のことも加えた。
 遍路旅は毎回1泊2日。午前8時に毎日新聞大阪本社をバスで出発する。霊場を参拝し、歩き、地元の食べ物を味わい、遍路道周辺の四国らしい場所にも寄ってみる。大阪・梅田への帰着は2日目の午後7時前後となる。


   ◆第1回(1番・霊山寺〜9番・法輪寺)
    =2014年3月7日〜8日


 今回の参加者は16人だった。毎回同じ傾向だが女性が多く、男性のお遍路さんは4人だけ。天気には恵まれたが、とても寒い2日間で、2日目の最低気温は0度近くまで下がった。厚着しての参拝、歩きだったが、それでもそこここに春の訪れを感じる遍路だった。


 【淡路島ハイウェイオアシス】
 最初の休憩は毎回、淡路島ハイウェイオアシスと決まっている。物産館も兼ね備えていて、商品を見て回って楽しめるからだ。
 内部を改装中で、売り場は狭まっている。しかし、ガラス張りの休憩所スペースは相変わらず花で飾られていて、華やかな気分にさせてくれる。奥の庭「花の谷」に出ると、菜の花が植えられていたが、寒さのせいかあまり生気がない。トサミズキが少し花をつけ始めていた。そのほかは、見渡しても花は見えない。


      ↑ハイウェイオアシスの中は、花がたくさんあって華やかだ


      ↑花の谷には菜の花が植えてあって、春を招いているようだった


【1番・霊山寺】
 遍路が初めての参加者のため、まず遍路用品を揃えることからスタートした。境内に入ると、参拝客は少なく、開創1200年のにぎわいは感じられない。きっと寒いからだろう。境内には白いハト遊んでいて、遍路の幸先がいいように感じた。
 参拝の後、境内の十三仏を参拝した。「十二支と守り本尊」という信仰があり、自分の干支にあたる仏像の前で手を合わせる。〇辧覆諭法畧藜蟯儔鮫丑(うし)寅(とら)=虚空蔵菩薩1(う)=文殊菩薩っぁ覆燭帖北Α覆漾法疉畍菩薩ジ瓠覆Δ沺法畧至菩薩ヌぁ覆劼弔検某宗覆気襦法畭臚如来酉(とり)=不動明王戌(いぬ)亥(い)=阿弥陀如来という関係になる。仏像は塀際に並んでいる。参加者のお遍路さんの1人が「酉年生まれなのに、仏像がない」と言って探している。実は不動用王は別格で、堂の中に安置されていた。不動明王には紐がくくりつけられていて伸び、参拝者はこのひもの端を握って、縁を結ぶこの。方式は1200年を記念して、いくつもの霊場で見かけた。本尊からのひもが本堂前の回向柱に結ばれ、参拝者は柱に触れることによって、本尊に触れたのと同じご利益をもらおうことになる。


      ↑鐘をついて、遍路のスタート

      ↑境内で遊んでいたハト


【昼食】
 鳴門市の「びんび家」までバスを走らせた。「びんび」とは、この地方で魚のこと。店は海のすぐそばで、魚料理の大衆食堂の大型といったところ。ハマチの刺し身(厚い切り身7枚)と天ぷら(エビ、イカ、インゲン豆、ナス、サツマイモなど)と、みそ汁。鳴門ワカメで知られる地なので、みそ汁のワカメの量が多く、店の人気を支えている。店の前の海は、よく晴れた空の色を写し、青い色が春の明るさを伝えていた。


      ↑ワカメのみそ汁が人気
  

      ↑天気は良かったので、海の色もきれいだった
  

【大麻比古神社】
 2番極楽寺に行く前に、ちょっと寄ってみた。ドイツ館の前を通る。第1次世界大戦の後、中国・青島に住んでいたドイツ人を俘虜とし、この地に収容所を造った。ドイツ人は地元の人たちと親交を深め、パンの製法を教え、石積みの橋も造った。
 境内には巨大なクスノキがある。樹齢は800年と表示されている。参拝の後、本殿の裏に回り、小さな石積みのメガネ橋、ドイツ橋を見学した。
 神社の横に梅林が広がっている。5分咲き程度。木の下にはホトケノザが広がり、小さな赤紫の花が集まって、地面を早春色に染めていた。よく見ると、ハコベも微細で薄い白い花を開いている。


      ↑樹齢800年のクスノキ
 

      ↑小さな石積みのメガネ橋
 

      ↑ドイツ橋
 

      ↑大麻比古神社近くの梅林
 

【2番・極楽寺】
 本堂の中から、白い布が伸びてきている。布は本尊の阿弥陀如来につながっている。本堂をのぞくと、左手の壁に極楽と地獄の2幅の曼荼羅絵がかけてあった。これが、特別開扉のようである。極楽は阿弥陀如来が描かれ、青い空に飛天が舞っている。地獄は閻魔が窓枠のようなものから顔を見せ、下は地獄の炎が燃え盛っている。
 大師堂の手前には、お守りがたくさん吊るしてある。赤い小さなふくろが整列していて、それがデザインのようにも見える。樹齢1200年の長命杉にも紅白の紐が巻きつけてあり、これも先端を握って、木の生命力をいただく。


      ↑極楽寺も本堂から白い布が伸びている。本堂の中では、極楽と地獄の曼荼羅絵が公開されていた


【3番・金泉寺】
 極楽寺から2.6舛鯤發い討いと、3番・金泉寺へは裏の入り口から入っていく。正面に梅が集まっていた。その後が本堂の側面になっている。右手には朱塗りの塔。その梅を眺めてから、表の山門に回り、改めて境内に入り直した。
 風が強くて、ロウソクに火がつきにくい。何とか線香にも火を移して立て、本堂へ。本尊の釈迦如来をライトアップしているようで、光背は金色に光っているが、像そのものは黒っぽくて、ちょっと見えにくい。ここも本尊から白い布が結び付けてある。布は本堂の外へ出ると、風に揺れていた。
 大師堂は、建物の中で般若心経を唱えることができた。階段で縁まで上がり、左の横手から入っていく。大師像にも、結縁の紐がついている。赤、紫、白、黄、緑の本の紐が束ねてあった。
 境内の「黄金の井戸」をのぞく。井戸の底の水に顔が写って見えたら、健康で長生きするとの言い伝えがある。参加者の1人の女性が「見えすぎるほど見えた」と話しているのがおかしかった。
 参拝をすますと、境内で掃除をしている女性が「寒いなあ。気をつけてなあ」と声をかけてくれ、一行はまたバスに乗った。


      ↑境内の梅は満開に近かった


【4番・大日寺】
 歩き遍路の道を行くと、4番・大日寺の手前で梅林の横を通っていく。今回はバス移動なので、梅林のそばで止めてもらい、ほぼ満開になった梅をしばらくの間だけ楽しんだ。
 どこの札所もそうだが、四国八十八カ所開創1200年をPRする看板やのぼりが据えつけてある。大日寺もそうだった。本堂から大師堂に向かう回廊に、真鍋俊照さんの仏画が展示してあった。パラパラと雪が舞った。寒いはずである。


      ↑四国八十八カ所霊場開創1200年の看板


      ↑真鍋俊照さんの仏画


【6番・安楽寺】
 唐門をくぐって境内に入る。本堂の前には回向柱が立っていて、何人かが柱に抱きついていた。なるほど、本尊のご利益を体全体で受けるということなのだろう。それを見て、私たちの仲間も抱きついた。大師堂の中で読経をし終わると、ポツポツと雨が降ってきた。夜はここの宿坊なので、運がいい。
 安楽寺の宿坊の風呂は、温泉なのがありがたい。寒い日だったので十分に体を暖め、そして夕食。館内放送で、食事の用意ができたことを流してくれる。その際に、「参籠のみなさん」という言葉が使われ、少し照れくさい気がする
 夕食は天ぷらやサラダ、煮物のほか、そば米雑炊がついていた。安楽寺の定番である。そばの実を米に見立てて、雑炊仕立てにしてある。徳島の郷土料理であり、安楽寺の名物でもある。
 夜は「クス供養」と、畠田秀峰住職の勤行に参加した。まず、納め札に住所と名前、クスノキの枝に取り付ける紙に心願、護摩木に願いを書いて準備する。続いて本堂に入る。入った直後は寒いが、ストーブがたいてあるので、じわじわと暖かくなる。天井からは灯篭が下がり、その明かりの下でのお勤めになる。現代の大仏師、松本妙慶さん作の薬師如来が正面から見ている。薄暗いので、夕方本堂の外で見た、薬師如来からの白い布だけが、灯篭の明かりでやけに目立つ。
 般若心経を一緒に唱え、薬師の真言も唱和する。真言は何度も繰り返すが、やがて声は少しずつ小さくなって、消え入るように終わる。法句第一から第五まで、大師宝号、南無阿弥陀仏へと続いた。
 畠田住職の法話を聞いた。「空海の『空』は、仏教の悟りを1文字で表している。『海』は苦しい人生を表す。『空の海』は、苦しみの海を越えて充実した楽しい人生に変える、仏教の修行の意味で、『空の海』は悟りの海となる」といったような内容だった。
 クス供養の説明もあった。「この地方では、お盆になると、ヒノキの枝を持って帰り、迎え火をたく。そうすると、亡くなった人の霊が乗り移る、とされる」。ヒノキを同じ常緑樹ノクスノキに変えたのがクス供養だという。
 勤行をすませて、全員が奥殿に移動する。奥殿には水の流れが作ってあり、淡い照明で照らされている。そこに、各自がロウソクに火をつけた器を浮かべて流す。精霊流しのイメージに重なる。流れの向こう側には十三仏が並んでいる。それぞれの像の前の流れの中に小さな中洲が設けてあり、自分の干支の仏の前の中洲に、心願をとりつけたクスの枝を刺す。
 さらに護摩木をたいてもらい、東日本大震災の募金箱の前を通り、最後に大仏の周りを「南無阿弥陀仏」と唱えながら3回歩き、クス供養は終了する。遍路旅の参加者の2人が、この精霊流しの儀式に涙を流したと話した。そのうちの1人は、母と妻を相次いで亡くした男性だった。
 前、島田住職と話した際に、「東日本大震災から1年間のつもりだった」と聞いた。震災から3年になるが、まだクス供養が続いているのは、参籠者にとって印象深いからに違いない。
 この寺にも、梅が咲いていた。特に、宿坊の中庭の梅は、花芯のしべが目立つ白い可愛い花だった。満開ではあるが、華やかさよりも清楚さが目立つ梅だった。
 出発間際、開創1200年の今年の状況を聞いた。1月は日帰りのツアー客が多かったという。2月は目立ったことがなく、3月に入ってまた参拝客が増えてきたそうだ。この日(3月8日・土曜日)も昼ご飯に100人、宿泊にも100人ほどの予約がると明かした。団体客も多いが、個人での参拝も多いようで、開創1200年をきっかけに回るお遍路さんが多い実態を、数字で示してくれた。


      ↑回向柱には、抱きつく人も多かった


      ↑食堂の夕食には、そば米雑炊もついていた(右下)


      ↑宿坊の中庭に梅が満開だった


【5番・地蔵寺】
 2日目の朝1番は、前日打ち残していた5番・地蔵寺だった。ここも、開創1200年記念ののぼりが立っていた。境内には剪定されて背の低い梅が、五百羅漢への方向に並木のように植えてある。日当たりの良い所は、7〜8分咲きといったところだった。


      ↑開創1200年ののぼりと本堂


      ↑五百羅漢に向かう道には、背の低い梅の木が続く


【五百羅漢】
 回廊のようになった建物の中に、五百羅漢の像が並んでいる。今年は参拝客に、交通安全のお札(金色の紙)を渡してくれる。私たちが団体だったせいか、かごに盛ったミカンをお接待してくれた。それぞれ2個ずついただいて食べた。


      ↑ミカンのお接待があった



      ↑開創1200年記念で交通安全のお札をもらった


【8番・熊谷寺】
 8番・熊谷寺の本尊は千手観音で、金色の像を遠目に見ることができる。ただ、胸から上が隠れていて、顔が見られないのが残念だ。本堂の前には回向柱があり、本尊との間を白い布が結んでいた。大師堂は石段を登る。登り切ったところに、寒咲きアヤメが薄い青紫の花を開いていた。

      ↑熊谷寺の回向柱


      ↑大師堂のそばに寒咲きアヤメが咲いていた


【9番・法輪寺】
 熊谷寺から9番・法輪寺まで2.4舛鬚里鵑咾蠅畔發い拭H十八カ所の中では最大級の山門を通っていく。そばのモクレンの大きな木が、つぼみを膨らませていた。
 法輪寺は、本尊の釈迦涅槃像を開帳していた。右腕を下にして、横向きに寝ている。右手に白い布が巻きつけてあって、もう一方は本堂の外の回向に。天気が良いので、白い布がまぶしい。


      ↑本堂へ参るお遍路さん


【7番・十楽寺】
 7番・十楽寺は今年、本堂の参拝(有料)をしている。般若心経を唱えた後、阿弥陀三尊を参拝し、寺の女性の説明を受けた。鎌倉時代の作で、体はすすけた黒い色をしている。光背と蓮台は金色なので、後世のものなのだろう。拝観記念に、「幸せ叶う御守」をもらった。境内にはピンクの桜が咲いていた。


      ↑境内の桜がチラホラ咲きだった


      ↑内陣拝観記念でもらったお守り


【昼食】
 昼食は、たらいうどんを選んだ。店は、かねぎん坂野。コバルトブルーの水をたたえる川のたもとにある。大きなたらいに入っていて、みんなで食べるのが普通だが、店が気をつかって、1人用の小さなたらいで出てきた。つけ麺形式で、だしは川の魚、ジンソク(ゴリ)でとっているのが特徴だ。この店は焼き鳥も評判なので、3本ずつつけた。


      ↑美しい色の川


      ↑たらいうどんと焼き鳥の、ちょっと変わった昼食


【阿波踊り会館】
 1回目の「満喫編」の最後は、四国の代表的な踊り、阿波踊りにした。徳島市の阿波踊り会館へ。会館の前に、四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクトで建設したヘンロ小屋12号・眉山があるので、参加者にそこで少し休んでもらった。会館に入ると、徳島県勝浦町のビッグ雛まつりのPRをしていて、雛飾りがしつらえてあった。また、静岡県・伊豆、稲取地方の習慣という「つるし雛」の作品(原田成代と門下生作)が展示してあった。
 阿波踊りの実演を見て、最後に入場者が指導を受けて踊った。何と、私たちのグループの女性が最優秀賞となり、フラッグと賞状をもらうハプニングがこのシリーズ最初の遍路旅の締めくくりになった。


      ↑ヘンロ小屋12号・眉山で休憩する参加者


      ↑参加者の1人が、観客の阿波踊りで最優秀に


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 ◆第2回(10番・切幡寺〜15番・国分寺)
    =2014年4月4日〜5日

今回も参加者は16人だった。前日は雨、この2日間も、直前の天気予報では雨が心配された。雨は何とかもったが、2月並みの寒さになった。それでも、桜は満開で、春の楽しさに満ちた遍路になった。


【淡路南サービスエリア】
 早朝から曇り空だったが、バスが大阪・梅田を出発すると、太陽が時折顔を出すくらいまでに天気は回復した。淡路島に入ると、高速道路の両側の山は、ソメイヨシノが良い時期だった。ヤマザクラの中には葉桜になっているものもあったが、バスの窓から見ていても飽きることはなかった。ただし風が強い。バスの運転手さんは、しばしばハンドルを取られそうになった。花は散り始めで、道路の花びらが風で流れて、花の川となった。
 いつもは最初の休憩は、淡路島ハイウェイオアシスだが、今回は行程の関係で、淡路南サービスエリアまで進んだ。駐車場には桜と椿の木があった。風が吹くたびに、ハラハラと桜の花びらが散った。


      ↑淡路南サーヒ゛スエリアの椿と桜


【11番・藤井寺】
 徳島に入ると、高速道路脇にアカメカシワが多くなり、その名の通り、赤い新しい葉を見せていた。この赤も春の若葉の色である。
 山門の前で、レンギョウ、ユキヤナギ、ハナモモがにぎやかに迎えてくれた。山門を入ったところにある藤棚は、葉も花のかけらも見えない。ただし、つぼみはイチゴほどに大きさになり、少し紫の色も見えた。本堂へと歩いて行くと、参道に桜の花びらが散り、石段に花びらがたまっていた。
 小さな子ども2人が、両親と一緒にお参りをしていた。子どもが般若心経を覚えているので、遍路旅のメンバーが拍手を送った。大師堂では、大師像が厨子の戸を開けて公開されていた。
 12番・焼山寺への遍路道は、本堂の横から始まり、遍路ころがしが言われるほど、途中はきつい坂道が続く。この遍路のシリーズは「ちょっと歩き」なので、遍路ころがしは歩かないのだが、そのさわりを経験してもらうことにした。本堂の横から遍路道に入ると、ミニ八十八カ所がつくられている。小さなほこらで、38番・金剛福寺まで行って、引き返してきた。


      ↑境内の参道には桜の花びらが散っていた


      ↑ミニ88カ所を混合福寺まで行って、引き返した


【昼食】
 昼食はバスで徳島市方面に走り、石井町のそば屋「直心庵」にした。そばの製造所が、作業所の横に店を開いている。以前、仲間うちの遍路で昼食場所を決める時に、大阪からこの店に電話を入れた。旅行のガイドブックを見ての電話で、全く知らない店だった。その際、電話に出た店の人が、女将が留守だということ告げた。しばらくして、女将から電話が入り、「さきほどは留守をしていて申し訳ありませんでした」と言う。この対応の良さで、この店に決め、今回もそうした。
  バスが店に着くと、女将が駐車場所へと案内してくれた。メニューはざるそばと、天ぷら、いなりのセットだった。しっかりした細いそばで、天ぷらは温かく、いなりずしはスダチがきいていた。デザートに、パンナコッタがついていた。バスで出発する時には、女将が見送りに出た。やはり、応対のしっかりした店だった。店の前には菜の花畑が広がっていた。


      ↑直心庵で食べた昼食のセット


【10番・切幡寺】
 今回の「ちょっと歩き」の1つは、切幡寺だった。歩いて20分弱の坂道を登っていく。最後に333段の石段が待っている。石段には、スミレが咲いていて、春らしい。境内はさらに春に包まれていた。大塔は下から見ると、桜に飾られていた。塔まで石段を登っていくと、今度は桜の下に伽藍の瓦屋根が見え、遠くには吉野川とその流域の平野が広がっていた。
 年配のメンバーが登ってきたことを踏まえ、「ご褒美を出してもらって」と口にし、桜に包まれたのどかな春を喜んだ。ただ、風だけは強かったが。境内には、イチハツ、シャガも咲いていた。


      ↑本堂のそばから見上げた大塔


      ↑桜の下に広がる眺め



【14番・常楽寺】
 14番・常楽寺から15番・国分寺までは500辰曚匹痢屬舛腓辰畔發」の場所。まず、バスを降りて、常楽寺へ。阿波の青石の上に建つ寺で、石の境内と本堂の組み合わせは、どこか野趣に富んでいる。境内には、修行大師の像が桜をバックにして立っている。
 本堂の本尊、弥勒菩薩は厨子の扉が開けてあり、遠目ではあるが、それとわかる。黒くすすけた小さな像だが、あまり鮮明ではなく、金色の光背だけがよく見えた。大師堂の前に回向柱が設けてあった。


      ↑桜をバックに立つ修行大師像



      ↑大師堂の前には、回向柱が設けてあった


【15番・国分寺】
 国分寺まで歩く。開創1200年記念の特別イベントにからみ、今回の遍路の目玉はここだった。庭園が公開されていたからだった。本堂の右側にあるのだが、普段は見ることができない。中に入ると、大きな石を大量に使った枯山水の庭で、荒々しい中にも計算された繊細さがある。本堂の右側面を背景にしていて、庭の石と建物の黒い板壁が統一されているように同色で、これまで見たことのない光景だった。築山や橋、トンネルのようなものも石で作られていた。石で徹底されている。
 本堂の前にロウソクを立てるが、風が強く、火がなかなかつかない。寒かったが、運よくお参りの間は日が差して背中が温かく、ホッとした。本堂の薬師如来は内陣の奥で、ほんのりと黒い姿が見える程度。大師堂は新しくなっていた。大師像は御簾の中で、見ることはできなかった。


      ↑公開された庭園


【宿】
 今回の遍路の楽しみは、神山町のしだれ桜だった。宿は神山町の四季の里。ここを選んだのは、温泉であることと、宿の裏が農村公園になっていて、すぐそばでもしだれ桜が楽しめる場所だからだった。ただし、宿に着いたのは午後5時半近くだったので、桜を見るのは翌日にした。
 夕食は刺し身、石鍋、天ぷらが中心だが、桜餅がつき、タケノコの梅マヨネーズ和えもあって、春を添えていた。温泉に入ると、シャンプーやボディーソープに桜葉エッセンスが入っていると書いてあり、ここでも桜が演出されていた。
 翌日、朝食のあと、公園を散策した。今年ば桜の開花が早かったので、心配していたが、絶好に日にあたった。テレビのニュースを見ると、徳島は開花が遅かったそうだ。何と運のいいことか。
 「神山をしだれ桜の町に」と考えた植物の先生が「神山しだれ」を育て、たくさん植えてある。白が勝った上品なしだれで、この桜は町内全域に広がっている。まだ、若い木も多いが、先生の考えた「しだれ桜の町」は、その姿を見せてきている。公園には、柔らかいピンクの仙台しだれもあり、そのコントラストも良い。水車や木の皮でふいた建物も配され、なかなか風情がいい。これに、菜の花の黄色が加わって、桜の春は真っ盛り。
 遠く目を山の方に向けると、山肌に民家がへばりつき、周りを桜が囲っている。のどかなお光景の裏側にある日々の営みはをかり知ることはできないが、表に見えているのは豊な山里の光景である。


      ↑農業公園は、神山しだれ、仙台しだれが満開だった。」


      ↑桜に菜の花が加わると、さらに春の色合いが強まる


【12番・焼山寺】
 12番・焼山寺には、途中で専用のマイクロバスに乗り換えていく。寺の駐車場に着くと、除雪した雪を集めた場所はまだ雪の山が残っていた。


      ↑除雪された雪が残っていた

 参道を歩く。歩き遍路でへんろ道を登ってくると、いつも湧き水でのどをうるおす。今回は、歩かなかったが、水だけは飲んでみた。
 古い杉林の参道をゆく。樹齢は何百年も数えるが、幹は真っ直ぐに空へ向かう。「この杉のように、真っ直ぐな人間になりたいねえ」。これも参加メンバーのつぶやきである。
 本堂の虚空蔵菩薩は、ガラスケースのようなものの中に安置されていた。手を合わせると、風は止んでいたが、標高800辰覆里如気温は低い。
 開創1200年で参拝客が増えているのかどうか、 下りのマイクロバスの中で運路の話である。
 マイクロバスからバスへの乗り換えは場所は、「へんろの駅」という広場になっていて、露店も出ている。そこでは、お茶やコーヒー、お菓子のお接待をしている。そこの女性が「谷の水をろ過した水を使ってるので、おいいしいよ。何のお接待もできないけれど」と、お茶を勧める。
 福井県から自転車で来ている男性も一服していた。福井から走り、神戸まで行って、そこからフェリーに乗ったそうだ。「荷物が重い。山道は自転車が下がろうとするので、時速1舛らいしか進めない」。実感のこもった言葉を口にした。


      ↑お茶のお接待


【神山さくら祭り】
 13番・大日寺までの途中、神山さくら祭りの会場に寄った。神山しだれが、道の両側を埋めている。神山桜街道計画の発祥地という碑が立っている。レンギョウとのコントラストが目をひく。
 狭い広場がメーン会場だが、その近くにバスは止められない。そこで会場を通り過ぎ、500辰曚氷圓辰疹貊蠅妊丱垢鮖澆瓠∧發い凸瓩辰拭9場では、桜茶のお接待を受けた。餅つきをしていて、つきたてで、まだ温かいヨモギ餅をみんなで食べた。


      ↑神山しだれとレンギョウの並木


      ↑さくら祭りの会場で、ヨモギ餅をついていた


【13番・大日寺】
 大日寺では狭い境内で、寺の人が開創1200年の看板の取り付け作業をしていた。その横に、しあわあせ観音。合掌した手の中に、観音を納めている。段ボール箱に、お接待のハッサクが入れてあり、みんなで1つずついただいた。寺の前は、一宮神社で、その別当時でもある。神社にも寄り、手を合わせた。今回の霊場参拝はここまで。


      ↑合掌した手の中に収められた観音像


【昼食】
 徳島の食べ物では、徳島ラーメンも人気である。そこで人気店の1つ、巽屋で肉・卵入りのラーメンとご飯のセット、いわゆる「ラーメン・ライス」を昼食として食べた。予約ができないので、客が少なくなる午後1時を目指して店に行った。バス旅行で、ラーメン・ライスを昼食にするのは少ないだろう。しかし、B級グルメも含め、なるべく地元のものを食べるのがこの遍路旅の狙いである。スープの色の濃いラーメンだが、案外あっさりしている。


      ↑昼食はラーメン・ライス


【ひょうたん島クルーズ】
 午後の最初は、徳島市内の川を小舟で巡る「ひょうたん島クルーズ」。町おこしで運行している船で、200円の保険料は必要だが、乗船が無料というのがうれしい。私たちは2隻の船に分乗した。両国橋のたもとを出港し、徳島城跡の周りをゆく。城は川を天然の濠として活用していると、船長が説明していた。


      ↑徳島城の周囲の川を一周するクルーズ


【北島町チューリップ祭り】
 最後に少し時間があったので、北島町の中央公園で開かれていた北島町チューリップ祭りをのぞいた。それほど広い会場ではないが、色のはっきりとしたチューリップが整然と植えてあり、心が浮き立つ。赤のパラーダ、黄のサニープリンス、白のペイズバス、赤に白の縁取りのメリーウイドウ、赤紫のコンプリメイトなど、いくつかの名前をノートに書き留めた。


      ↑北島町のチューリップ祭り。ハートも


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 ◆第3回(16番・観音寺〜20番・鶴林寺)
    =2014年5月9日〜10日

 1週間ほど前の天気予報では、2日目が雨の予報だったが、実際には両日とも快晴だった。参加は16人。前回と顔ぶれは少し入れ替わったが、人数は同じだった。今回のハイライトは、別格3番慈眼寺の穴禅定で、苦労しながら狭い鍾乳洞の道を往復した。


【淡路サービスエリア】

 通常は最初の休憩を、淡路サービスエリアの中のハイウェイオアシスでとるのだが、バスが順調に走り、午前9時のオアシスの開店前に着いてしまった。そこでサービスエリアの方にした。久し振りで建物の中に入ると、すっかり模様替えをしていた。明石海峡大橋を見ることのできる場所には、スターバックスもできていた。


      ↑スターバックスと明石海峡大橋


【渦の道】

 今回の「四国満喫」の1つの場所は、明石海峡大橋の渦の道だった。鳴門側から設けられた観光用の通路を行く。道路面の下で、長さは300メートルほど。通路の両側からと、床に設けられたガラス越しに、潮の流れを見る。計画を立てたのは1年も前だから、潮の流れが心配だったが、中潮の干潮の時間帯の終わりごろで、何とか潮は流れていて、時に小さいながら渦を巻いていた。子どもたちの遠足と出会った。香川県三木町の大きな学校のようで、人数が多い。口々に「こんにちは」とあいさつする。これが四国の子どもたちの特徴だ。
 バスに乗る前に、参加メンバーの1人が、「金時イモ棒」というソフトクリームを買った。カップの底に鳴門金時を電子レンジにかけたものが入れてあり、その上にソフトクリームが乗り、芋の皮を乾燥させたものがスプーン代わりに刺してあった。一口食べさせてもらったが、温かい芋とソフトクリームの組み合わせが面白い。


      ↑渦の道から見た潮の流れ


【昼食】

 昼食はなるべく、地元の食材を使ったものを食べるようにプランを立てる。今回は鳴門金時御膳。鳴門といえば、鳴門ワカメ、レンコン、ナシなどがあるが、代表格は鳴門金時とワカメだろう。昼食場所は阿波之里。以前ば松茂町にあったが、今は徳島市に入ったところに場所を移している。鳴門金時は天ぷら、イモご飯、デザートに使われていた。


      ↑鳴門金時を使った昼ご飯


【16番・観音寺】

 どっしりとした山門を入る。狭い境内の奥に本堂があり、わに口からひもが伸び、本堂に中へと続いている。本堂の壁に、絵馬が掲示されていた。図柄は炎に包まれた女性というおどろおどろしいもの。明治時代の逸話に基づく。参拝した女性の着物が燃え始め、寺の人が消した。女性は「昔、姑を柱に縛り、薪の燃え残りでたたいていじめた」と告白し、懺悔したという。
 大きな荷物の若い男性に「どこからですか」と声をかけた。こちらは出身地を聞いたつもりだったが、男性は「今日はどこから歩いたか」と解釈したようで、「早朝、(12番)焼山寺を出ました」と答えた。まだ午後1時。結構足の速い人だ。


      ↑小さい7ながらどっしりした山門


【17番・井戸寺】


 観音寺からの道に、ツツジの植栽が続く。道の横では田植え。この時期ならではの光景。本堂で7体の薬師如来に参拝する。天気は良いのだが、風が強く、なかなかロウソクと線香に火がつかない。大師堂の前には回向柱が立ててあり、白い布が大師につながっている。境内にもツツジがあり、その上を鯉のぼりが泳いでいた。


      ↑大師堂の前の回向柱から白い布が堂の中に伸びている



      ↑井戸寺の境内の空を泳ぐ鯉のぼり


【18番・恩山寺】

 駐車場にバスを止め、寺への坂を登る。途中で、大きな修行大師が迎えてくれる。クスノキが繁り、大師を包んでいる。本堂をのぞき込むと、前仏の厨子の扉が開いていて、小さな薬師如来が金色の背景の前に立っていた。


      ↑クスノキの下の修行大師


【19番・立江寺】

 今回のちょっと歩きは、恩山寺から立江寺までで約4キロ。まず、弦巻坂を登る。その間は竹林。遍路道には竹の葉が落ちて積もっていて、歩くと足の感触が心地良い。下りはミカン畑で、花が咲き始めている。葉の濃い緑の中の小さな白が可愛い。母子草、タツナミソウ、ムラサキカタバミ、ハコベといった野の花が咲いている。
 ヘンロ小屋48号・京塚庵(小松島市立江字中山)に寄る。不義をした女性「お京」が立江寺で懺悔をすると、髪の毛が逆立ち、鐘の緒に巻き上げられてしまったという逸話が、立江寺に残っている。小屋が立っているのは、立江寺の土地で「京塚」と呼ばれている。小屋の中の壁面には小さな箱が取り付けられ、扉を開けると、お京の位牌のようなものが安置されている。
 立江寺ハボタンの花が見ごろだった。山門の外にも、本堂の前にも咲いていた。参拝のあと、お京さんの髪とされるものを納めた黒髪堂も見学をした。

      ↑竹林の中の遍路道「弦巻坂」


      ↑ヘンロ小屋48号・京塚庵に寄った


      ↑立江寺はボタンが見ごろだった


【月の宿】

 宿は上勝町の月ヶ谷温泉にある町営の施設「月の宿」。上勝町は、食事の添えものの葉などを扱う「葉っぱビジネス」をお年寄りのグループで行っていることで有名になり、その株式会社「いろどり」もこのホテルの中に事務所がある。
 山深い場所で、夕食は地元のもの中心なのがうれしい。ワラビ豆腐、アメゴ(アマゴ)の塩焼き、アメゴずし、ソバ米の吸い物などが出てきた。宿の横は清流で、水辺に下りて行く道はシャガたくさん花をつけていた。


      ↑アメゴやワラビを使った月の宿の夕食


      ↑宿の横の清流


【別格3番・慈眼寺】

 今回の遍路の目玉は、慈眼寺の穴禅定。2億5000万年の鍾乳洞が修業場「穴禅定」となっている、奥行きは100メートルほどで、それを往復するだけだが、通路がとてつもなく狭く、難儀をする。
 寺は標高550メートルの場所にある。ボタン園があり、満開だった。藤棚もあり、それほど長くはないが、花の房を下げていた。まず大師堂へ。ここで穴禅定へ入る人は、汚れてもいいように白い衣を借りる。足の方は、100円ショップで買ってきた雨具のズボンをはく。それから本堂まで約10分のきつい山道を登る。息が切れる。山の斜面にツツジが咲いている。白、淡いピンク、それより少し濃いピンク、ピンクなど、淡い色が多いので、目に優しい。登りきると本堂。堂の前に、淡いピンクのシャクナゲが咲いていた。まず参拝し、先達の女性の案内で洞窟に入っていく。
 ともかく狭いので、先達の言う通りの体を入れていく。その指示を伝言ゲームで次の人に送る。たいていは横歩きで、通路の断面の広い部分に頭や腰などの大きな部分を持っていく。中は真っ暗で、ロウソクに火をともし、前方を照らしながら進む。僕は体が大きいので、白い衣についているひもを体の前で結んでいると、横で結ぶように言われた。それほど中は狭いということだ。小太りの男性と女性は、来ているものを1枚脱ぐように指導を受けた。 
 洞窟に入ったのは僕たちのグループの14人と、大阪から来ていた夫婦の計16人。僕は体が大きいので先達の次だった。体をひねり、腹の部分を壁に押し付けてへこまし、しゃがみ込み、斜めに立ち上がり、足から入り、お尻を地面につける、といったさまざまポーズを取りながら、少しずつ進む。それでも体がひっかかって抜くられなくなる。そうすると、先達の厳しい声が飛ぶ。難所は往復で6か所ほど。左右を間違って入ると、抜けられない。「左肩から入る」と大声で注意される。自分のことが精一杯で、つい伝言ゲームを忘れてしまう。入口で服を1枚脱がされた女性は何度かひっかかり、先達の指導しやすい僕の次に順番を変えられた。ひっかかって動けない人がいると、通り抜けた人は少し広くなった場所で待ち、先達が救出に行く。これを何度も繰り返し、1番奥までたどり着いた。そこには19歳の大師像が安置されている。ここで般若心経を唱えた。
 帰りも同じ道を通るのだが、1か所だけ違う。行きは短い鎖場を下りるのだが、帰りはその下の穴をくぐっていく。ここは母親の胎内をイメージさせ、そこを抜けて生まれ変わるという意味を持つ。結局、往復に1時間15分かかった。前回の「ちょっと歩き花へんろ」のシリーズの際は、3人がなかなか抜けられず、1時間40分かかった。それに比べれば順調だったといえる。


      ↑別格の慈眼寺にも「四国霊場開創1200年」ののぼりが立っていた


      ↑穴禅定から出てきた参加者


      ↑大師堂から本堂へ向かう坂道には、淡い色のツツジが咲き誇っていた



【灌頂の滝】

 慈眼寺から下りてくると、道路脇に高さ60メートルの灌頂の滝がある。バスを降りて見物した。水量は少なく、流れ落ちる途中で岩肌にあたり、霧散してします。道路から少し登ると、滝壺の近くまで行ける。ただ、滝壺とは言っても、霧散しているのでそこにまで届く水の流れはない。落ちる途中で飛び散った水が霧となり、カーテンを引くように広がっていく。


      ↑流れ落ちる水がしぶきとなって広がる灌頂の滝


【淵神の塔】

 上勝町は町おこしの一環で、町内に現代アートを配置している。慈眼寺から下りてきたところにあるのが。国安孝昌の作品「淵神の塔」。そばの川の瀬、雄淵、雌淵のイメージと龍神のイメージを重ね合わせたそうだ。竹と木で作ってあり、大変印象の強い作品になっている。


      ↑流れ落ちる水がしぶきとなって広がる灌頂の滝


【昼食】
 勝浦町まで戻り、廃校になった小学校を活用した宿泊施設「ふれあいの里・坂本」で昼食をとった。田舎料理で、近くの女性が地元のものを使って作る。雰囲気全体に、どこか温かみがある。この日はバラずしのセット。バラずしには金時豆が乗っている。吸い物にはミカンソーメンが入っていた。勝浦町はミカンの産地で、ミカンをそうめんに練り込んでいる。おかずはコンニャクの刺し身と天ぷら。天ぷらにはウドの葉やユズの皮が使われていた。
 ロビーのテーブルの上に、お接待のミカンが盛ってあった。この時期のミカンは、収納庫で保管しておいたものだそうだ、小屋の棚にきれいに並べられているという。
 参加者の1人は食後、バスに戻る際に、野生のミツバをたく摘んでいた。スーパーで買うミツバとは比べものにならない強い香りがした。食堂をしているので、おひたしにすると話していた。


      ↑ミカンそうめん、ウドの葉やユズの皮の天ぷらなどがセットになった昼食


【20番・鶴林寺】

 通常はミカン畑をバスで登るが、道路工事中なので、太龍寺側から登っていくことにした。その前に、勝浦側の登り道に近い道の駅「よってね市」に寄った。ここは柑橘類の種類が多いので、楽しくなる。
 鶴林寺は標高550メートル。三重塔がどっしりと立っている。境内には、赤とピンクのツツジが咲いている。天気が良く、暑くなったが、風が気持ちいい。


      ↑ツルの像と地蔵菩薩

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【弁天山】

 今回の遍路旅の最後は、徳島市方上町の弁天山の登山だった。山と書き、登山と書いたが、標高は6.1メートル。国土地理院が認定した日本で1番低い自然の山だそうだ。大阪市の天保山は高さ4.5メートルだが、江戸時代の天保年間に安治川をしゅんせつして、その土砂を積み上げた人工の山だという。弁天山は道路わきにあり、「国土地理院認定 日本1低い山 弁天山」の看板が立ててあった。
 山は弁天さんをまつってあり、山頂には登山者が記帳するノートまで備えてあった。歌手の福山雅治さんも訪れたようで、サインと写真は張ってあった。近くのラーメン屋で、弁天山保存会が発行した登山証明書をもらって、帰途についた。僕の証明書は6266号だった。


      ↑日本1低い自然の山



      ↑国土地理院認定をうたった看板


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 ◆第4回(21番・太龍寺〜25番・津照寺)
    =2014年6月6日〜7日


 今回も天気のことが重くのしかかった。梅雨入りし、前々日は九州や四国で大雨が降った。前日の天気予報では、遍路の2日間は何とか曇りの判断。胸をなでおろしていたら、当日の朝になって一時雨のマークが出た。実際の1週間ほど前の天気予報では、2日目が雨の予報だったが、実際には両日とも降ったりやんだり。簡易カッパを着たり脱いだりの遍路だった。参加者の15人も同様で、どこか落ち着かない2日間だった。


【淡路島ハイウェイオアシス】

 淡路島ハイウェイオアシスは、花がたくさんあって、楽しみな休憩スポットだ。建物の周りで、花の植え替え作業をしている人がいて、話を聞いた。名前が思い出せなかった木を見て「スモーク何とかでしたよね?」と聞くと、「スモークツリー」と教えてくれた。カシワバアジサイ、メキシカンセージ、ブラシの木など、色とりどりの花が開いているが、やがて暑い時期を迎えて、花の種類が減っていくのだろう。


      ↑淡路島ハイウェイオアシスえ咲いていたスモークツリー


【昼食】

 今回の遍路は徳島の南部から室戸岬へのコースだった。ほとんどはバスでゆくものの、大阪からの距離が遠いので、初日の最初の行動は、阿南市のロイヤルガーデンホテルのレストランでの昼食だった。できるだけ地元の食べ物を組み込むのが、この遍路のコンセプトにしている。徳島県はシイタケの出荷量が日本1だそうだ。このホテルでは、阿南市のブランドシイタケ「しいたけ侍」を使った「しいたけ侍丼ロイヤル風」を食べた。どんな丼か楽しみだったので、ホテルにあらかじめ尋ねないまま遍路に出た。丼というので当然和食だと思っていたが、それ大きな勘違いだった。
 分厚いシイタケの裏にミンチをつけ、ローストしたものが、ご飯に乗っていた。シイタケは3つで、それを半分に切ってあったので、計6つがご飯に乗っている。さらに、その上に目玉焼き。大変なボリューム。ドミグラスソースがかけてあるので完全に洋風で、さらにサラダとカボチャのポタージュスープがついていたので、まさに洋食だった。ドミグラスソースはホテルが自信を持っているようで、まろやかな味だった。みんな満腹で、半数以上は食べきれずに残していた。昼食の時点では、まだ雨は降っていなかった。


      ↑シイタケを使い、ドミグラスソースがかかった丼


【21番・太龍寺】

 太龍寺はロープウェイで往復した。駅に向かうと、雨が降り始めた。太龍寺は標高600メートル近くにある。山の天気は変わりやすいので、カッパとスパッツをつけてロープウェイに乗った。ロープウェイは2775メートルの長さを誇り、本来は社内からの景色がいい。しかし、この日は雨と霧で視界がきかず、霧の中に入っていくような場所もあった。


      ↑ロープウェイの床の一部は下が見えるようになっている

 ロープウェイの駅から本堂までの石段には、「四国八十八ヶ所霊場開創1200年」ののぼりが立っていた。雨はほとんどやんだが、本堂は軽い霧に包まれていた。軒先の灯篭には火が入っていた。昼間ではあるが、霧のせいで少し明度が落ちているため、灯りが良い雰囲気を醸し出していた。大師堂までの間に、スイレン、ユキノシタ、ウツギなどが花をつけている。20番鶴林寺の塔が見えるスポットの前を通るが、当然のことながら鶴林寺は全く見えない。大師堂では、裏側の空海廟の前でお参りした。


      ↑本堂への階段を上る「ちょと歩き」の一行

 再びロープウェイに乗り、今度は下りていく。 ガイドの女性が感じのいい人で、いろいろと教えてくれた。ロープウェイの速度は秒速5メートルであること、前日は寒くて、上の駅ではストーブをたいていたこと。眼下の那賀川が、U字型に蛇行している上を通る。下の駅に着くと、雨は本格的な降りになった。


【22番・平等寺】
 
バスで平等寺に着くと、雨はほとんどやんでいた。ただし、カッパを脱ぐまでにはならない。結局は雨の中での参拝ではあった。しかし、ありがたいことだ。今回の遍路では、お参りに時には、雨が気にならないほどに弱まったのだ。
 手水を使う。この寺は、水をためる石の鉢に、いつも花を浮かべている。今回は青と白のアジサイだった。本堂の前のさい銭箱の上に、本尊の薬師如来と結ぶ紐が伸びていて、先端はぐるぐる巻きにして、ふれやすい形にして、三宝の上に乗せてあった。本堂には千羽鶴がたくさん吊るしてあり、本尊と縁を結ぶ雰囲気づくりを演出しているようだった。残念ながら、堂の中は暗くて奥の方ほとんど見えない。


      ↑手水にはアジサイの花が


      ↑本堂の前の結縁の紐

大師堂では、結縁五鈷杵が堂の前に置いてあった。納経所では、1200年記念のピンバッジを売っていた。記念の年がよく反映した寺だった。


      ↑納経所には1200年記念のピンバッジ

 境内で、天光軒満月さんの「空海」という浪曲のCD配っている人がいた。それをいただいたが、まだ聞いてはいない。


      ↑いただいた空海の浪曲のCD


【23番・薬王寺】

 薬王寺では一時、日が差すまでに天気は回復した。もうカッパはいらない。本堂の中で参拝をした。本尊・薬師如来の前仏が見えるが、暗いうえに小さくて、はっきりした容姿がわからない。薬師堂には回向柱が立っていた。瑜祇塔まで登る。雨がやんだので、ウミガメの産卵地、大浜海岸が良く見える。


      ↑大師堂の前の回向柱


【大浜海岸】

 薬王寺から遠望したこともあって、大浜海岸へバスを回してもらった。穏やかな海に見えるのだが、波は砂浜で盛り上がり、白くなって砕け散り、その音が大きくて、びっくりする。ウミガメ博物館の水槽の一部は外からも見ることができる。水槽にはウミガメが数匹、悠然と泳いでいた。また、国内で飼育されて甲羅にウミガメでは最長寿の浜太郎が、別の水槽にいた。ここも数匹が飼育されているが、背中にフジツボのようなものをつけているのが浜太郎に違いない。


      ↑係員がいないので分からないが、後方が浜太郎ではないか


【別格4番・鯖大師】

 夜の護摩だきに参列しようと、宿は鯖大師の宿坊を選んだ。宿坊に入ったのが午後5時すぎ。ふろに入り、6時から夕食だった。カツオのたたき、天ぷら(カボチャ、ニンジン、タマネギ、ソラマメ、ナス)、ゴマ豆腐、煮物(カボチャ、高野豆腐、ニンジン、タケノコ、フキ)、酢の物、ソーメン、みそ汁、かんきつ類。


      ↑鯖大師には、四国別格二十霊場会の開創1200年ののぼりが立っていた


      ↑鯖大師の宿坊の夕食

 護摩堂での護摩は、印象的だった。白い煙が上って天井を覆うように広がっている。やがて赤い炎に変わり、護摩木が次々火にくべられる。そのたびに火が大きく燃え上がる。火の粉も散る。護摩木を投げいる若い僧が時折、法衣の袖で額をぬぐう。太鼓の音が早まり、気分が高揚する。大学時代からの友人が5月31日に亡くなり、その供養のために書いた護摩木を含まれていたはずだ。いげたに組んだ木が炎で崩れ落ち、そこから火は次第に弱まっていき、護摩だきは終わった。
 翌朝は午前5時50分から、本堂で朝のお勤めに参列した。般若心経を唱える。外で鳥が鳴き、ウグイスの声も混じっている。柳本明善住職の法話を聞く。「如実知自身」という言葉を覚えた。朝食をすませ、出発前に多宝塔の飛天の壁絵を見せてもらった。まだ、昨年完成したばかりで、黄色を基調にした明るいバックに飛天が舞っている。


【東洋大師】

 四国の東海岸をバスで室戸岬へと走る。高知県東洋町に入って、番外霊場の明徳寺・東洋大師に寄る。西村寶海住職が外に出ていたので、みんなで話を聞いた。
 今年は四国霊場開創1200年ということなので、参拝者は増えているという。ある日、1日に3台のバスがやってきて、計100人が訪れたそうだ。「そんなことは、もうない」と笑いながら話していた。
  境内には通夜堂があり、若い男性が泊まっていた。話を聞くと、埼玉県出身で、バイクでここまでやって来て、ここをスタートとして四国を回り、前日結願したそうだ。別格も交え、55日かかったという。東洋大師を起点と終点にしたのは、前回回った時に、住職と親しくなったからとか。バスに乗り込む際、寺の前にミニバイクが置いてあるのに気づいた。彼が話したバイクとは、ミニバイクのことだったのだ。


      ↑境内で西村住職の話を聞いた


【夫婦岩】

 朝は好天だったが、バスを走らせると、空模様がおかしくなった。室戸岬への道のりは長いので、途中で夫婦岩に寄った。大きな2つの岩が海から突き出している。前回通った時にも、ガードレールのようなものが設置され、周辺は立ち入り禁止状態になっていたが、今回も同様だった。そこで、遠目に夫婦岩を眺めるだけに留めた。


      ↑夫婦岩


【御厨洞(みくろど)】

 室戸岬に近づくと、雨が降り始めた思ったら、急に雨脚が強くなった。カッパを覚悟あいたが、御厨洞へ着く直前に雨はあがった。不思議なものである。以前の遍路の際も、室戸岬の手前で土砂降りになったが、24番・最御崎寺へ歩いて登る時にはすっかりあがっていたことがある。きっと、室戸岬の北側に、雨の通り道があるのだろう。
 空海が24歳の時に著した「三教指帰」に「土州室戸岬に勤念す」「明星来影す 心に感ずるときは明星口に入り 虚空蔵光明照らし来たりて」とある。御厨洞その修行場所とされている。2つの洞窟が並んでいて、以前は両方とも入ることができたが、いまは向かって左側の御厨洞だけに入ることができ、もう片方は縄張りがしてあった。


      ↑御厨洞


【室戸岬】

 御厨洞の前から中岡慎太郎の像の所まで、海岸の岩場を散策した。これが今回の遍路の「ちょっと歩き」だった。ゆっくりと40分ほどをかけて歩いた。白、黒、灰色の層になった岩が、ジオパークの様々な風景を形づくっている。花も咲いていて、特に黄色いサボテンが目をひいた。


      ↑室戸岬の岩場を散策


【24番・最御崎寺】

 最御崎寺も、雨具は不要だった。行程が遅れ気味だったので、大急ぎでお参りをすませた。大師堂の前には結縁の紐が伸びていた。その紐は堂の中に大師につながっている。堂の中をのぞくと、恰幅のいい大師像が安置されていた。


      ↑最御崎寺の本堂


【室戸ドルフィンセンター】

  この遍路は、四国の良いものを見たり体験したり、遍路以外の要素も含めている。最御崎寺からバスで5分ほど西に走ったところに、海の駅「とろむ」がある。そこの室戸ドルフィンセンターを訪ね、イルカと触れ合う時間を作った。
 ここにはプールに2匹のイルカがいて、ジャンプなどのいくつかの芸を見せてくれる。また、有料(325円)ではあるが、イルカに触れることもできる。私が触れたイルカの名前は「ハナちゃん」。飼育係が指示をすると、ハナちゃんは体を動かして、背中、お腹、ヒレの3カ所をなでてもらう体勢を取る。ゴムのような肌触りで、お腹は弾力があり、ヒレは固い。よく言われるように、イルカは賢いということが直感できる時間だった。


      ↑ハナちゃんとボディータッチ


【昼食】

 昼食は「とろむ」の中のレストラン「じばうま八」。メニューは海鮮丼で、この日の魚はカツオのたたき、ビンチョウカグロ、メジロ、イサキとトコブシだった。すし飯の上に乗せてある。トコブシは小さかったが、そのほかは大きな切り身で、魚好きには良い昼食になったようだ。


      ↑じばうま八の海鮮丼


【25番・津照寺】

 ますます天気は良くなった。今回の遍路の打ち止めとなっ津照寺の参拝は暑くて、長い石段を上って本堂にたどり着くと、額に汗が出た。石段を下りたところにある大師堂へ。回向柱が設けてあり、結縁の紐が大師像と結んであった。堂の壁には、子どもたちが描いた津照寺の絵が張ってあった。


      ↑津照大師堂の外壁に、子どもたちが描いた寺の絵が張ってあった

 お参りをすませ、バスで大阪へと向かう。帰りのバスも、何度か雨に遭遇し、時にはが強い雨になることもあった。しかし、それはバスの中。お参りの時のことを思い出し、一同「運がよかった」「恵まれていた」と喜びながらの帰路だった。


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 ◆第5回(26番・金剛頂寺〜30番・善楽寺)
    =2014年7月4日〜5日


 毎回のことだが、天気のことが心配だ。特に今回は、出発前々日に九州では50年ぶりの大雨が降ったので、不安になるのは当たり前だろう。しかし、運がいい。出発日には雨が上がり、2日目は太陽も出るほど。おまけに、帰りのバスの中で、雨がパラパラ来た。つまり、遍路の間だけ、雨が降らなかったのだ。傘もポンチョもスパッツも、持っては行ったが、使うことはなかった。


【吉野川ハイウェイオアシス】

 今回の参加者は18人。いつも通り淡路島を通る。稲は成長して、棚田を緑に染めていた。中央分離帯の白と赤の強いピンクの2色のキョウチクトウは、やや盛りを過ぎている感じがした。四国に入り、高松道から徳島道に乗り換えて、バスは走る。ハス畑はほんのりとピンクも加えた花がポツポツと咲き始めている。
 吉野川ハイウェイオアシスで、この日2度目の休憩。淡路島の北で休みを取り、それから1時間50分ほどバスで走っているので、休憩は体も求めていた。建物の裏側はすぐ吉野川で、遊覧船があるような景色の良い場所。ほんの少しの休み時間を利用して、白い岩が川の中に立っている風景をしばし眺めた。


      ↑ハイウェイオアシスから見た吉野川


【昼食】

 高知道に入ると、トンネルが続く。トンネルには番号がつけてあって、19/19から始まり、1/19で終わる。四国山地を抜けていくためで、途中には標高の表示があり、430メートルまで上る。
 南国インターを降りて、すぐに道の駅「南国風良里(なんこくふらり)」があり、そこを昼食場所に選んだ。青ノリそばの定食。青ノリを練り込んだザルそばがメーン料理で、そばの上にも乾燥させた青ノリが乗っていた。ほかに、天ぷら(エビ2匹、シイタケ、シシトウ、トウモロコシ)、ウリと鶏の酢の物、ご飯、漬け物だった。ご飯はいらないくらいだが、参加者の1人が青ジソの「ご飯のお供」を持ってきていたので、それをみんなでいただき、ご飯も全部食べてしまった。作り方を聞く。青ジソの葉を塩もみし、水につけてあく出し、細く切って塩昆布と混ぜるだけ。熱や油を使っていないのに、みんなの関心が集まった。


      ↑青ノリそばの定食


      ↑参加者の手作りの青ジソをご飯に乗せて食べた


【30番・善楽寺】

 雨の心配がなくなると、今度は暑さが気になる。善楽寺の本堂で般若心経を唱えていると、額から汗が出てきた。本尊の阿弥陀如来は、黒に金の彩りの厨子に入っていた。大師堂には、大師とを結ぶ5色(紫、緑、赤、黄、白)の紐が、堂の中の空海の像から堂の外に伸びていて、「善の綱」と説明してあった。紐は扇形を作って広がり、その中心に花が生けてあった。白い花のカラーも混じっていて、涼やか印象をつくり出していた。それだけで、汗が収まるわけではなかったが。


      ↑大師堂の善の綱


【土佐神社】
 
 ちょっと寄り道をして、善楽寺の隣の土佐神社へ。土佐の一宮で、堂々とした本殿は重文に指定されている。地元では「しなね様」と呼ばれて親しまれている。「しなね」の語源にはいくつかの説があるそうで、「新稲」のその1つだという。本殿の裏は「しなねの森」と名づけられている。樹齢数百年の杉が繁り、森の中を歩くと少しひんやりとして気持ちがいい。アジサイが残り、ヒメヒオウギも咲いていた。中が空洞の枯れた神木を輪切りにし、それを立て、空洞部分をくぐる「輪抜払式」を体験する。式と言うと大げさだが、茅の輪くぐりと同じで、左右左と木をくぐって回る。
 。


      ↑しなねの森

【29番・国分寺】

 室戸岬の方向へ、逆打ちで回る。国分寺の境内はいつもきれいに手入れされている。手水の水が冷たい。本堂はこけら葺きの屋根で、堂々としているのだが、落ち着きがある。境内にはキキョウが数輪咲いていた。花の下には、スギゴケが広がっている。春は枝垂れ桜が趣を添えるが、今は葉の緑の色も深まり、それもこの時期を特徴づけている。
 大師堂には回向柱が立っている。堂の正面はしとみ戸になっていて、上の方だけが開いている。ただし、縁に上がることはできないので、中は見えず、大師像も隠れている。大師堂の横に酒断地蔵があり、みんなが面白がってお参りをした。
 寺の周辺は田が人がっている。稲は背が高くなり、まだ緑ながら穂をつけていた。境内から山門を見ると、門の間から田の緑が見えて、門のくすんだ色と明るい緑の対比がいい。


      ↑境内から国分寺の山門に目をやると、門の間から緑の田が見える


【28番・大日寺】

 大日寺に着くころには、太陽が姿を見せ始めた。日陰を選んでお参りをするのだが、汗がしたたり落ちる。時折吹く風は、まさに天国からの余り風。暑いからこそ感じる心地良さだろう。
 本堂の前には「御開帳」の木札が立ててあるが、残念ながら春と秋の期間限定で、この時期は期間外だった。境内には紫と白のキキョウが植えてある。国分寺よりは数が多い。鐘楼とキキョウの組み合わせで写真を撮ったが、同じ構図の写真を撮っている参加者がいた。「考えることは同じ」と言い合って、写真を見せ合った。


      ↑鐘楼の下にキキョウが咲いていた


【馬路温泉】

 宿は馬路村の馬路温泉。ユズを使った村おこしで有名な村で、安田川をさかのぼっていう。道は狭い。長さ9メートルの中型バスで、対向車とすれ違えない区間もあり、運転手にとっては気を遣うルートだ。
 宿は川のそばに建てられていた。小さいながら新館(別館)もできている。環境はいい。建物も木を多く使い、温かみもあるし、小ざっぱりしている。部屋にはロフトがあり、川に面してテラスも設けてある。
 温泉は泉質に特徴があり、少しヌルヌルする。温泉らしい温泉といえる。露天風呂のような風呂もあるが、ガラス戸と網戸がはめられていた。山のそばなので、虫がたくさん寄ってくるためだろう。部屋のテラスに出るガラス戸も、外側にしっかりした網戸が取り付けてあった。
 建物の外には、温泉水を「つるもち様の水」として売っていた。箱の中に水を入れる小さな容器が置いてあり、200円を料金箱に入れて購入する。その容器に温泉水を入れる。箱には「男子禁制」の文字があった。温泉水は飲用ではなく、肌に良く、「ツルツルのもち肌(つるもち)」になるのだという。また、ヌルヌルのため「縁がくっつく」、というのもうたい文句にしていた。
 夕食はアマゴが主役だった。アマゴをここでは「アメゴ」と言う。アメゴとコンニャクの刺し身、アメゴの塩焼き、の2皿がメーン。揚げものはトリのから揚げ、むきエビの天ぷらにトマト。煮物はイタドリ、フキ、タケノコ、ゼンマイ、ニンジン。それに酢のものがついていた。次の日の朝食には、アユの干したものが出てきた。
 今回の遍路の「ちょっと歩き」の1つは、宿の周りの朝の散策。宿のすぐ前にはインクラインという木材運搬用のケーブルカーが観光用に姿を変えて設置してあった。急斜面を上り下りする。車両はU字状になったワイヤ―ロープと結ばれ、ワイヤーの一方は車両につながれ、もう一方にはおもりがついている。木材運搬のころ、おもりば木材だった。車両は上る時には空で軽いので、もう一方のおもりによって上に動く。上に着いて車両に木材を乗せると重くなり、下っていく。そんな仕組みだったと説明にあった。現在使われているものは、おもりを水にしている。日曜日にしか運転しないので、乗ることはできなかった。
 観光用の森林鉄道も設けてある。これも日曜専用だが。森林鉄道は短いループを回る。そのルートに沿って歩く。アジサイがたくさん咲き残っていた。パイプを安田川の支流の小さな川の上まで伸ばし、山の水を細い滝のように落としている場所もあった。
 村役場など、村の中心部も歩いてみた。道路の手すりや橋の欄干に、村の木材がたくさん使われていた。
 馬路温泉で1番印象に残ったのは、朝の食事の際、世話をしてくれた21歳の女性だった。ご飯のお替りなど、親切に声をかけてくれ、その気遣いに感じ入って、話かけてみた。馬路村の人気商品のユズ飲料「ごっくん馬路村」のことを「桜ハチミツを使っちゅうきに」など、高知弁で明るく説明してくれる。馬路温泉で働くことになったいきさつも聞いてみた。「ここで働きたかった。馬路村が好きじゃきに」
 中学1年生の時に5日間、馬路温泉で職場体験をした。その時から、この施設で働きたかった。しかし、思いはかなわず、室戸岬で住むことになった。ある時、転職をするために、試験を受けに行くことにした。家を出る5分前に父親から電話が入った。温泉の支配人が「うちの試験を受けてほしい」と言ってきたと。そこで、「絶対に雇ってほしい」と支配人に連絡し、試験を受けて合格した。中学生は夢をあきらめず、支配人は中学生の夢を忘れていなかった。2人の思いが、奇跡的な流れを作り出したのだろう。


      ↑部屋にはロフトがついていた


      ↑夕食はアメゴがメーンだった


      ↑観光用のインクライン


      ↑観光用の森林鉄道


      ↑馬路村はユズの産地


【27番・神峯寺】

 神峯寺は標高450メートルの場所にある。今回は時間の関係もあり、上り下りはともに車にした。海岸から近い所に、津波に避難施設があった。「津波避難タワー」の表示があり、2階建てになっていて、2階部分は13.8メートルだった。しかし、海岸に近すぎて、いざの時に役に立つのだろうか、という疑問がわく。ハウス栽培の施設が続き、中はマンゴーだった。道路沿いの店でマンゴーを売っていたが、それは少し離れた南国市から仕入れていると話していた。キーウィフルーツをもう少し小さくしたような小ぶりのもので、5個で900円だった。
 寺に着くと、みんなで境内の名水を飲んだ。ペットボトルを空にして、さらに詰めた。本尊は十一面観音。本堂の小さな厨子の中に安置されている。天気が良くなったので、奥の方にある像も金色の姿が何とか見える。海からの風が吹き上がってくると、しばらくの間、暑さを忘れる。
 大師堂は、わに口から結縁の紐が堂の中へと伸びていた。ウグイスが鳴く。これも暑さを忘れさる。境内では、ヒメヒオウギがオレンジの花をたくさんつけていた。


      ↑大師堂のわに口につけられた結縁の紐



      ↑津波避難タワー


【夫モネの庭】

 今回の満喫編で、遍路以外に組み込んだ「四国の良さ」は、北川村の「モネの庭」だ。園内の散策は、ちょと歩きも兼ねた。
 小さな北川村が、クロード・モネが作ったフランスの本物のモネの庭にかけあって、本物にそっくりな庭をつくる許可を得て設置したものだ。1番最初の接触は、アポイントメントもとらずに訪ね、断られたという。何度も足を運び、その熱意が通じて許可が出たらしい。きっと村の職員の「北川村を何とかしたい」という思いが通じたのだ。馬路温泉の21歳の職員の思いに、どこか共通するものを感じる。
 モネの庭の中心は、モネが一連のスイレンの作品を描くために作った池のコピーだ。訪ねたのはちょうど良い時期で、ピンクや白、青と、色々な色の花が数株のグループつくりながら、池一面に広がっていた。過去にも何回が行ったことがあるが、これまでで1番良い時期に訪ねたようだ。案内してくれた係の男性によると、スイレンには温帯性と熱帯性のものがあり、温帯性のスイレンは今年、6月20日に最初の花が開いたそうだ。
 青いスイレンは、それほど数が多いわけではない。これは熱帯性で、モネが栽培しようとしたが、フランスは緯度が高くて気温が低いため、育てることができなかったという。高知は日本の中でも温かいのであろう、モネが夢見た青いスイレンが毎年咲く。池以外の場所にも、たくさんの花が植えてあり、遍路の途中の1時間の中休みを楽しんだ。


      ↑モネの庭のスイレンはちょうど良い時期だった


      ↑熱帯性の青いスイレン


【昼食】

 「ホテルなはり」が昼食場所だった。ホテルは水産会社が経営している。ホテルの人によると、高知県の室戸から奈半利のあたりにかけては、マグロなどを獲る遠洋漁業の基地で、100数隻が南氷洋や北の海で操業していた。ホテルの経営会社も2隻の船を持ち、南氷洋でマグロを追っていたそうだ。そこで獲れるのはミナミマグロだ。
 昼食はマグロづくし。ミナミマグロとビン長マグロの刺し身、マグロのカマ肉のから揚げ、マグロの皮の酢の物、それに煮物で、煮物の皿にはマグロの卵と、マグロのコンブ巻きも入っていた。


      ↑マグロを使った定食


【26番・金剛頂寺】

 室戸岬の先端の山にある24番最御崎寺を東寺と言うのに対し、やはり岬の先端の山にある金剛頂寺は西寺と言われる。ここもバスで登った。本尊は薬師如来。像は大きく、天気も良くなり、その姿はよく見えた。
 大師堂には、「開創壱阡弐百年記念」と書かれた紫色の幕が奉納されていた。1200年を機に、いろいろなことが行われているのだ。
 大阪への帰りは、四国の東海岸を北上した。今回は四国の東南部を一周したことになる。


      ↑大師堂には開創1200年を記念して奉納された幕が張ってあった


      ↑天気が良くなり、室戸岬がよく見えた


●●「ちょっと歩き四国遍路・開創1200年満喫編」の第6回は、9月12日(金)〜13日(土)です。参拝は31番竹林寺から36番青龍寺までと、71番弥谷寺。まで。弥谷寺では320年ぶりに開帳されている大師像を拝観します。問い合わせは毎日新聞旅行(06−6346−8800)。