「歩き遍路日記2014年」

  

              藤澤久弘・「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会役員

              

  

 「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会の藤澤久弘役員が、2014年3月28日から歩き遍路に出た。遍路中の心覚えを、なるべく日をおかず、このホームページで掲載する。藤澤役員がタブレットを持参し、フェイスブックによって発信したものを、順次取り込む方法で、ホームページの内容を更新(追加)する。


【2014年3月28日=1日目】

 お遍路第1日目終了。朝一番の高速バスで大阪から四国入りし、7番十楽寺に16時に到着して宿坊泊。今日は5月中旬の気温で暑かったです。20km程歩行。
 天気予報によると明後日は大雨らしい。12番焼山寺の山越えも大変だが、玉ヶ峠が雨だと、川のようになるので登りにくい。宿は植村旅館を予約。
 今日見たHeeさん(崔象喜=Choi Sang Heeさん、海外在住の外国人女性で初の公認先達、支援する会の第8回総会で講演)の遍路道案内ラベルで、まともなのは1枚だけでした。故意に剥がしかけたものも数枚有りましたが、退色して読めなくなってるものがあり、印刷インクの問題がありそうです。まともな1枚は日陰になる場所でした。福田さんのラベルはどこでも主張しており、退色などは見られません。
 ヘンロ小屋44号(神宅)で休憩していると、畳屋の植田さん(博之さん、ヘンロ小屋神宅のお世話をしてくださっている地元の方)が出てきて話し込みました。


【3月29日=2日目】

 「代書屋の 儲かった日の 同じ顔」
 7番・十楽寺宿坊から11番・藤井寺を打ち、鴨島駅前のさくら旅館へ。天気は曇りで、順調に歩き15:30に到着しました。
 山登りは朝一番でないと力が出ません。遍路転がしの12番・焼山寺は藤井寺本堂脇から登るので、近い宿が必須ですが、民宿吉野が満員で鴨島まで戻りました。ネットの使えるBHでも良かったのですが、以前2順目の方と吉野に同宿したとき、1順目にお世話になった、さくら旅館にお礼に行ったことから、さくら旅館を予約しました。
 この日に立ち寄った10番・切幡寺下のヘンロ小屋45号・空海庵(切幡)はきれいで、記念植樹のキンカンが実を付けていました。ヘンロ小屋ノートが無かったので、お世話頂いているO行政書士さんのお宅を訪ねました。縁側で新聞を読んでいる先生に、小屋会事務所移転の挨拶と新名刺を渡して話し込みました。先生は多才な文化人で、善入寺島(吉野川の川中島)の郷土史を執筆中だそうです。小屋の利用状況等の話を伺い、長居してしまいました。
 冒頭の川柳は、代書屋(行政書士)を兼業していた、3代目・桂米団次の作で落語代書屋の演者が必ず読む句です。詳しくは以前の投稿または「落語 代書屋」で検索してください。


【3月30日=3日目】

 「巡るたび 齢(よわい)感じる 遍路道」
 鴨島駅前のさくら旅館から、遍路転がしの焼山寺を越え、更に玉ヶ峠から先の阿野の植村旅館まで、雨の中を歩き、18:00前迄掛かって、角川さん(遍路仲間)の忠告通りヘトヘトで到着。この行程は3度目ですが雨は初めてで、遍路道の最近の補修に大きな面積の阿波青石が多用されており、雨の下りに滑らないよう筋力を要し、かなり疲れました。
 鍋岩から玉ヶ峠の登り口を見落とし、行き過ぎて戻る等のロスも有り、玉ヶ峠の登りは時間を要し、宿の女将さんに迷惑を掛けてしまいました。
 冒頭の句は以前の拙作ですが、心境は句の通りです。
 腰に着けていたデジカメが焼山寺手前で故障しました。東京の遍路仲間の遍路札を撮影した直後、フリーズしてレンズが出たままになり、以後撮影できません。湿気の影響で、宿で乾燥し充電後回復しましたが、徳島へ出た後に購入することを考えました。ヘンロ小屋36号・神山に置いてあるノート(お遍路さんが書き込む)を撮影できなかったのが残念です。


【3月31日=4日目】

 徳島の桜は満開になりました。
 徳島市内のBHまで辿り着き、ネットが使えるようになりました。
 植村旅館を6:30出発し、13番・大日寺から17番・井戸寺まで打ち、徳島駅そばのBHに15:40チェックイン。隣の東横インはお遍路割引が有り、以前泊まったことが有るが、遍路地図に記載が無かったので500円損した。
 1日遅れで車で四国入りした柴谷師(柴谷宗叔・「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会役員)と連絡し、09:45に13番・大日寺でお会いできました。最近FB友達になった金昴先住職にお会いできるかと楽しみにしていましたが、お忙しく外出とのことで、名刺を納経所に託けました。
 金曜日と本日も5月並みの高温で、桜が一気に開花し、神山名物のしだれ桜が満開になっていました。
 今後の宿泊地予定は、ふれあいの里さかもと、山茶花、鯖大師本坊、徳増、です。


【4月1日=5日目】

 腰据えて 花見る余裕 無き遍路
 そこらじゅう満開の桜を横目に、徳島駅前から、冒頭句の心境で急いだら、勝浦町に13時頃に着いてしまった。早すぎるので、ビッグひな祭り(4/6まで)や、さくら祭りを見て時間を潰し、15時前に宿の「ふれあいの里さかもと」に到着。
 加々美支配人は休日であったが、夜に顔を出されたので、FB友達にプロポーズ。今秋予定の歌さんと歩く会(ヘンロ小屋プロジェクトの主宰者、歌一洋さんと遍路道を歩く会をこれまで3回開いた)の素案を話したら、是非泊まって欲しいとのこと。


【4月2日=6日目】

 竹藪を 過ぎてそびえる 大根小屋
 浦から、20番・鶴林寺、21番・大龍寺と500m級の山を2つ越え、更に大根(おおね)峠を越えた竹藪を通り越した所に、2013年6月に竣工したヘンロ小屋47号・ 大根(阿南市新野町西光寺)が聳えています。
 通り合わせたハンガリーの女性遍路にも好評で、英文のコメントと漢字で感謝と書いてくれた。竣工以来のノートを撮影したので、後日、「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会のHPに掲載する予定。


【4月3日=7日目】

 発つ前に 指呼(ゆびさし)確認 忘れずに  やってしまいました。同宿の遍路と鉦打ヘンロ小屋(ヘンロ小屋4号・鉦打=徳島県阿南市福井町)で休憩し、発つときに頭陀袋を忘れた。後から来た別の同宿者が見つけて、携帯に電話をくれた。前日名刺を渡しておいて良かった。その方は海岸回り、私は先が長いので国道経由なので、分岐点まで引き返すことになった。
 23番・薬王寺の桜は満開を過ぎ、花吹雪がきれいだった。
 薬王寺 海亀 瑜祇塔(ゆぎとう) 花吹雪
 暖かいので不要な衣類を送り返し、身軽になった。地図上の距離は40Km程だが、朝の引き返しで3Km3余計に歩き、17:00直前に宿に到着。
 鉦打、40号・日和佐のヘンロ小屋には、ノートが無かった。
 鯖大師(別格4番・鯖大師=徳島県海部郡海陽町)の護摩法要のとき、椅子の無いところに座ろうとして、壁にゴッチン。お不動さまから不注意を叱られた。


【4月4日=8日目】

 室戸路 行けども続く 山と海
 前日の鯖大師宿坊から、尾崎集落の民宿徳増まで、地図上の距離は前日より長く40Km強だが、天気も良く快適に歩けた。かなり激しい通り雨が有ったらしいが、阿波、土佐県境の水床トンネルでやり過ごしたらしい。
 鯖大師の柳本(明善)住職に会いたかったが、北海道に行かれてて残念。
 辰濃(和夫=「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会会長、元朝日新聞論説委員)さんの話しに出てくる仏海庵(室戸市佐喜浜町)は、10年前にはいたん でいたが、建て直されてきれいになっていた。
 ヘンロ小屋(1号)香峰(徳島県海部郡海陽町)は施錠されていた。トイレに行きたかったので先の海南駅前の休憩所を利用。NASA(ヘンロ小屋38号、徳島県海部郡海陽町)、宍喰(ヘンロ小屋6号、徳島県海部郡海陽町)の小屋にノートは無かった。


【4月5日=9日目】

   室戸岬(むろとざき) 見渡す限り 空と海
 民宿徳増から24番・最御崎寺、25番・津照寺を打って26番・金剛頂寺宿坊へ25Km程。焼山寺から下った植村旅館で同宿した同年代のY氏と同行。彼は2順目で脚力が有り、見物などせずにひたすら歩いたら、15:00前に宿坊に着いた。
 空海が修行した御蔵洞(室戸市)は平日なので人が少なく、中から空と海の写真が撮れた。もう1枚と思った途端、正面に車が来て2枚目は駄目だった。
 津照寺は本堂の屋根工事中で、石段が通行止め。大師堂の仮本堂で纏めてお参り。


【4月6日=10日目】

 真縦(まったて)の 疲れを癒す 山躑躅
 27番・神峰寺の麓には3軒の宿が有るが、1軒(民宿きんしょう)が休業中で宿が取りにくい状態。
 宿に荷物を預けて、真縦と呼ばれる430mの山を一直線に登るので、かなり疲れる。昼過ぎに宿に到着し休憩後、登り1時間、お参りして下り1時間、16:00ごろ宿に戻った。
 晴れてはいたが、真冬並みの寒気と強風で寒かった。そんな中で、咲き残った桜と山つつじが印象的だった。


【4月7日=11日目】

 安芸の町 酒屋の看板 飽きるほど
 今日の行程は、神峰寺下から香南市の黒潮ホテルまでの30Km程。いつもは、28番・大日寺下まで行って翌日33番・雪蹊寺まで行くのだが、ネットの使える温泉ホテルにした。
 同行のY氏は、安芸市を抜けた野球場前駅から帰阪したため、以降1人旅。それにしても、安芸の町に酒屋(飲み屋ではない)の多いこと。造り酒屋や販売店の看板がやけに目に付く。
 1人で歩くとヘボ川柳くらいしか考えないよ。
 安芸の海 見渡す限り 大平洋
 琴ヶ浜 浜風に耐えし 松並木 (琴ヶ浜は西芸の名所の浜)
 安芸の海(琴ヶ浜) こんな関取 居ましたね
 神峯寺ふもとの唐の浜駅のキャラクター(やなせたかし作)「唐の浜へんろ君」のピンバッチは、くろしお鉄道の駅には無く、神峯寺麓の宿付近の土産物屋に在庫があります。
 今夜の宿、高知黒潮ホテルは温泉が有り、気の効いたお料理が付いたお遍路パックが好きで、車遍路を含めて何度も利用している。
 香我美ヘンロ小屋(8号=高知県香南市)のノートを撮影し、お接待の文旦を頂いてきた。
 貯まっていた記事を書き込みました。次回は何時になるかな?


【4月8日=12日目】

 甚兵衛の 植えし桜と 大師堂
 高知黒潮ホテルから31番・竹林寺下のホテルたかす土佐路迄の短い行程で、角川さんから叱られそうだ。
 黒潮ホテルの食事はプロの料理人で好きです。昨日もウツボの唐揚げが美味しかった。 朝一番に28番・大日寺に行ったとき、川崎住職をお見かけし「お早ようございます。」と挨拶し、お話したかったが、すぐ居なくなり、納経所にも居なかった。3年前歌さんと歩く会でご挨拶して以来だった。  松本大師堂(ヘンロ小屋28号・松本大師堂=香美市)は建設以前からの経緯を承知しており、かけ連れ(出会って一緒に遍路をすること)の遍路に説明したら「良い話を聞かせて頂きました。」との、反応。
 松本大師堂は1150年前、龍馬の時代に西目甚兵衛さん達が建てたそうで、堂の傍の甚兵衛桜は春彼岸頃に満開だ。
 29番・国分寺から30番・善楽寺へ向かう途中に蒲原ヘンロ小屋(ヘンロ小屋5号・蒲原=南国市)がある。金属加工業ヒダカ技研の石川社長が、歌さんの意思に共鳴し従業員と共に作って下さった小屋だ。工場内にも善根宿やトイレ、水道のお接待をして頂いている。小屋は工場昇り口だが、暖かい気持ちが籠ってる。桜は散りかけていたが、その下のヘンロ小屋が印象的だった。
 散り残る 桜の下の ヘンロ小屋
 30番・善楽寺への路は、途中で墓地の中を通る。
 墓の中 ボチボチ行けば 善楽寺
 善楽寺は花祭り(お釈迦様の誕生日)の縁日で、副住職の島田さん(下の名前忘れた)も、老人参拝客の応対で大忙しだった。
今日は新年度なので、登校の子供達が元気に挨拶してくれた。
 ホテルたかす(高知市高須)はスーパーも近く、五台山竹林寺への登りも便利で、何度も利用している。


【4月9日=13日目】

 咲き初めし ツツジの香る 禅師峯寺
 31番・竹林寺下のホテル土佐路たかすから出発、土佐市(高岡)のホテルに荷物を預け35番・清滝寺まで。
  このコースは昨春のお遍路ガールズ(先達として、女性遍路グループと歩いたこと)との行程2日分だ。
 禅師峯寺から種崎の渡し(県営フェリー)に急いでいるとき、町のおじさんから「急がなくても良いよ、船は40分だから」と言われ、スピードを落としたが、町の掲示も10分と書いてあり、再度スピードアップで間に合った。船の中は10人ほどのお遍路さん。
 昨年のお遍路ガールズの時は、種間寺から清瀧寺までRKBの密着取材を受けたが(福岡・RKB毎日のテレビ番組取材)、今回は1人で寂しい。
 種間寺の しだれの松に 芝桜
 34番・種間寺の入り口に、盆栽の様なしだれの赤松が有るが、その周りの芝桜が見事に色づいていた。
 15時前に高岡の宿に到着し、荷物を預けて35番・清瀧寺に参拝。
 荷を預け それでもキツイ 清瀧寺
 清瀧寺 サンズイ取ったら 青龍寺 (清瀧寺は35番、青龍寺は36番)
   ヘンロ小屋天神(32号=土佐市)には、ノートは無かった。


【4月10日=14日目】

 この暑さ 鍋焼きラーメン 欲しくない
 高岡のホテルから、36番・青龍寺を打ち、須崎市街のホテルまで。
 須崎のご当地B級グルメは、鍋焼きラーメンです。土鍋に薄味の鶏ガラスープに中華麺と、鶏肉、竹輪、青ネギを入れて煮立て、最後に卵を割り入れたものですが、歩いて暑いと食べられません。
 高岡から同行した宮城のS氏が「船に乗っても良いんです。」と言うので、浦ノ内の巡航船に乗ろうかと思ったが、時間の余裕が有りすぎて、歩くことにした。
 途中、宗教勧誘の人に出会ってウンザリした。
 浦ノ内中学近くのコンビニYショップは、何度も休憩させて頂いているが、S氏がラーメンの看板を見つけ、同店の奥で食べた。
 だから、須崎で鍋焼きラーメンの看板見ても、暑さだけでなく食べたく無かった。
 須崎ヘンロ小屋(17号=須崎市)のノートは撮影した。


【4月11日=15日目】

 遍路路道 歩いたきずな 永遠に
 冒頭の句は、2009/1/22毎日新聞高知版のタイトルだ。
 そえみみず遍路道(中土佐町)の入り口に建てられた、ヘンロ小屋酔芙蓉(ヘンロ興亜31号そえみみず・酔芙蓉)の記事に付けられたもの。
 須崎から土佐久礼の、そえみみず遍路道を歩き窪川の37番・岩本寺までの行程。
 登り口に、東京の田辺(めぐめぐ)さんが、草刈り鋏を4丁もぶら下げ、余裕のある遍路に草刈り奉仕を呼び掛けた札が有った。
 協力したくても、体力的余裕がなかった。峠を越えて、そろそろ出口と思っても、中々先に抜けられない。
 峠越し どこまで続く そえみみず


【4月12日=16日目】

 大方で 潮吹く鯨 岩だった
 岩本寺で、朝の勤行の後、森春美さんに依頼された、Ohenro in carのステッカーを購入した。
 天候が下り模様で、大方まで約30Kmを歩いたが、途中で左ふくらはぎに激痛が走り、歩行に支障が出た。宿には何とか到着できたが、明朝の様子を見て以降の予定を考える。
 快調に 歩いて急に 肉離れ
 お遍路もスポーツと考えて、準備運動、ストレッチは必要だ。


【4月13日=17日目】

 一条家 みやこ忘れず 大文字
 昨日の左ふくらはぎの激痛は、肉離れでなく疲労だった様で、マッサージして1晩で治った。本日は雨だった。
 冒頭の句は幡多の領主で赴任した貴族の一条家が、中村を小京都にし、大文字送り火を模した大文字山を作ったことに因む。
 この話には前段があり、前泊の民宿みやこの部屋の鍵を持ったまま出た同行者を「みやこわすれ」と優雅に揶揄した。
 四万十大橋の手前で、NPOいきいき三原会の増井三郎さんが軽四で、清水川荘の案内ビラを配布しているのに遭遇。ヘンロ小屋の会で数年前に、ヘンロ小屋 清水川(ヘンロ小屋15号=高知県幡多郡三原村)の修復に行ってお世話になった。
 なつかしや いきいき三原の 増井さん
 昼食は四万十を渡った、うどん田吾作で、四万十あおさを乗せた、あおさうどんがお奨めだった。
 四万十の あおさを乗せた 太うどん
   伊豆田トンネルの1620mは、同行者もウンザリだった。
 伊豆田抜け 市野瀬、水車 真念庵
 トンネルの先の市野瀬には、ドライブイン水車が有り、その裏に真念庵がある。下ノ加江を抜けて久百々まで歩いた。


【4月14日=18日目】

 往還の 名残を留む 石畳
 民宿久百々に荷物を置き、お参りセットのみで足摺の38番・金剛福寺往復。帰路はジョン万次郎の生家等を見て土佐清水の遍路道を歩いた。この道は往還道(昔の県道)で、道の崩壊を防ぐ石畳が残った良い道だ。足摺手前の以布利には、大阪海遊館のジンベイザメの保育場がある。
 ジンベイの 楽屋は 足摺以布利です
 宿に帰ったら、65歳のベジタリアンのイタリア人遍路が居て、女将が料理に困っていた。
 2日前まで同行したS氏は大岐マリン泊で、3年前同宿した広島から車で来たY氏と再開、Y氏からHeeさん(崔象喜さん。「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会の第8回総会=3月1日=で講演した。海外在住の外国人女性で初めて、先達となった。崔さんのことを中傷していると思われるビラが遍路道に張られ、新聞も取り上げた))の件の中国新聞記事3日分を頂いた。


【4月15日=19日目】

 荷負わず 煩悩残れど 身は軽し
 快晴で、下ノ加江から県道21号ルートで39番・延光寺を目指すが、広島のY氏が荷物を車で宿まで搬送接待してくれたので、歩くのは楽だった。芳井ヘンロ小屋(7号=高知県幡多郡三原村)でご主人からコーヒーの接待を頂いた。ご主人は数年前から接待を続けて居られるそうで、遍路経験もあり知識も豊富だったが、名前もお賽銭も拒否された。
 延光寺門前にはかつて、健康ランド、ひょうたん、へんくつや等の宿が有ったが、嶋屋しか残っていない。夜、外に出たら満月で、その上に金星が輝いていたが、月の下の街路灯が邪魔であった。
 名月と 明星に無粋な 街路灯


【4月16日=20日目】

 藩境の 頂上目指し 樹の根道
 延光寺から土佐、伊予の県境の松尾峠を越えて40番・観自在寺を経て、愛媛県愛南町の内海まで。翌日の柏坂を考慮しての予定である。松尾峠には、2本の石碑が有り「従是東土佐ノ国」「従是西伊予国宇和島藩支配地」と書かれている。山道は人工の階段より、樹の根が作った自然の階段が足に優しい。
 山ツツジが満開で、ウグイスの声も快かった。
 山ツツジ あちらもこちらも 満開だ
 嶋屋を出るとき急いで支払いを忘れ、ご主人に車で取りに来て頂くミスを犯した。今夜の宿は10年前に泊まったんだ柏坂下のかめやで、付近の旭屋も廃業している。


【4月17日=21日目】

 歩く道 守るお方に 感謝の念
 愛南町から宇和島を結ぶ柏坂は、大森さん達が空海ウォークなどで盛り上げ、行政を動かして整備されている。大森さんは野井坂遍路道や中道の復旧に尽力されている。宇和島市津島の鴨田ヘンロ小屋(ヘンロ小屋19号・津島・かも田)で、小屋ノートを撮影した。守って頂いている三森さんには挨拶出来なかった。
 松尾トンネル手前の喫茶磯で昼食を取り、てんやわんや王国の小笠原大統領に挨拶した。お元気だった。小笠原さん達は1710mの松尾トンネルを迂回する旧遍路道を復旧し、頂上にわんやヘンロ小屋(26号=宇和島市)を造って下さった。
 今回は柏坂で疲れたので、松尾遍路道は歩かずトンネルを抜けて宇和島第一ホテルへ。同ホテルは何度も泊まっているが、2階別棟に浴場が出来ていた。ユニットバスよりはるかに快適。
 明日は雨の予想で、43番・明石寺を打ち卯之町泊の予定。
 藩境の 頂上目指し 樹の根道


【4月18日=22日目】

 午前中雨の中、宇和島から41番・ 龍光寺、42番・仏木寺、歯長峠を越えて43番・明石寺まで。ヘンロ小屋は光満と宇和を訪問。
 仏木寺では縁日の後片付け中の松本副住職に、FB友達リクエスト。昨日偶然見たTVで宇和島名物料理が出て、碧の原さんの記事にお互いにコメントしたご縁が有った。
 仏木寺の手前は、コスモス街道として有名だが、今の季節はチューリップの様だ。赤と黄は時期が違うようで、赤は落ちて黄が真っ盛りだった。
 秋桜道 今の盛りは チューリップ
 歯長峠は高速道路工事の影響で雰囲気は変わったが、厳しさは変わっていない。登りの鎖場を過ぎても、雨に濡れた下り坂は滑らぬよう、厳しい道だった。


【4月19日=23日目】

 お遍路に 差別や排他は似合わない
 本日の行程は、上宇和から大瀬の先までフルマラソン超の距離。以前、卯之町から突合まで、三戸森峠等を経由して50Km歩いたことが有るが、今回は時間と体力をセーブした。
 ヘンロ小屋49号・ひじ川源流の里のノートに、マスコミに取り上げられた外国人差別の書き込みを発見。鷲見君の「ありがとう」の書を見て、癒された後だけに余計に気分が悪かった。
 大洲市新谷の徳田さんの神南庵のノートには、前記の書き込みが有った日のページが切り取られていた。何方かが破棄した様だ。
 今夜の宿は、豆腐屋さんの民宿で、湯葉や田楽、蒟蒻等の料理で、親父さんは若干偏屈であったが、妙に話が会った。


【4月20日=24日目】

 空海も 空腹になる 鶸(ひわ)田越え
 本日の行程は大瀬の宿から44番・大宝寺を打ち、八丁坂付近に2年前にできた宿まで約25Km。雨の中を下坂場峠(570m)、鶸田峠(800m)を越える。最初は軽快に歩いた。
 うぐいすの 声に押されて 下坂場
 下坂場 やっと越えたら つぎ鶸田
 鶸田峠の直前にダンジリ岩が有る。空海が此所を通ったとき空腹を感じ、自身の未熟さを恥じて地団駄を踏んだとのこと。
 丁度お昼時、空海ならぬ私が空腹になるのは当然で、冒頭の句。
 初めての宿は、設備、応対、料理など全て満足だ。期待してなかったネットも使える。最高だ。


【4月21日=25日目】

 岩屋寺の 山門の額 逆ですか
 八丁坂の宿に荷物を預け(宿の利用者以外も無料ロッカー利用可能)、65番・岩屋寺を目指す。空腹で登った経験が多いが、今回はエネルギー充実。車遍路の方は駐車場からの登りが厳しい印象だが、歩きだと尾根道から下る。山門から入ると大師堂と岩に抱かれた本堂があ有る。何度も通って初めて気づいたのが、山側から山門に扁額が無かった。大師堂側から見ると××楼(学が無く読めない)の額が掛かっている。普通と逆ですね。
 岩屋寺のせり割禅定は、一遍上人の聖絵で有名だが、中国桂林に似た山の頂上の白山の祠に梯を掛け、貴人女性の代参する修行者が描かれている。五来重さんの本に修行者と遍路の移行段階との解説がある。
一遍も 菅生(すごう)の岩屋で 修行せり
本日の宿は三坂峠の手前の桃李庵で、ゆっくりし過ぎとの批判も有ろうが、翌日は道後なので短くきざんだ。
 桃李庵の主人は曼陀羅オフ会のOBで、歌さんのシンポジュームのスタッフも努めた、10年来の知人なので昔話に花が咲いた。私のタブレットに入ってた昨年7月の月岡さんの動画や、春美さんとお孫さんの写真には印象深かった様子。
 6/7の曼陀羅オフ会に参加する様お誘いした。


【4月22日=26日目】

花絨毯 踏み締め下る 三坂道
 いつ降りだすかの曇天を三坂峠を下り46番・浄瑠璃寺から51番・石手寺まで打って道後温泉のBHまでの行程。このルートは昨年11月に「歌さんと歩く会」で通った道。気温の低い土地で山桜の開花も遅く、人の往来も少ないので花絨毯状態。途中の坂本屋も平日なので閉店。勝手知ったる道を雨の心配だけでひたすら巡拝。浄瑠璃寺から石手寺まで打って道後のBHまで15時前にチェックイン。
 道後は本館か椿湯に入るので、安価なBHを常用していたが近接の24時間スーパーが倒産閉店していた。ホテルの方も不便になったと言っていた。
 温泉本館(ぼっちゃん温泉)が改装するとかで、いつもは椿湯なのだが今回は本館に入った。趣は有り泉質は?でも疲れは癒された。
 ¥4000以下でもWWiFiが使えるので、私としては大満足。明日は長距離歩くので、早めに寝ます。暫くFBにアクセスできないかも。


【4月23日=27日目】

 穏やかに 島影霞む 粟井坂
 道後のBHから43Kmの長丁場、晴天の朝6:006:に発って、大西の宿に16:00到着。今回は松山市内を最短ルートで巡り、瀬戸内の海岸線を気分良く歩いた。季節は異なるが子規の句に、
涼しさや 馬が海向く 粟井坂、がある。
 粟井坂とは、伊予北条の井戸で、粟粒の様な気泡が沸く井戸だ。
 今日の宿は、今治に入ったところの大西の民宿で、3度目の宿泊、設備は良いとは言えないが、女将さんのホスピタリティに満足して、定宿にしている。
 途中の菊間は瓦の産地で、ここを通るたびに思い出すのが以下の落語。
 大店(おおだな)のお嬢様が突然亡くなった。一人娘だったが面相が良くなかった。弔問客が帰った後、一人の男(腕の良い瓦職人)が涙を流していた。父親が「娘を真剣に悼んでくれるのは、お前さんだけだ、ありがとう。」と、言うと。瓦職人の男「いいえ、鬼瓦の手本が無くなって、明日からどうして良いか分からず、泣いています。」
 誰モデル 怖い菊間の 鬼瓦


【4月24日=28日目】

 悪人は 悪いことには努力する
 大西の民宿から今治6ヶ寺を打ち、伊予三芳の簡易民宿まで35Km強の行程。54番・泰山寺の奥の院 龍泉寺で観音経偈を唱えていたら、奥さまが生姜湯のお接待で嬉しかった。石段修復の寄進者名に知人の名を発見し、ご縁を感じた。
今治日高ヘンロ小屋(41号・今治・日高=愛媛県今治市)のノートの3/1付けの書き込みに、例の差別的な記事を発見。管理者が上から紙を貼っていた。
 58番・仙遊寺のヘンロ小屋に寄ったとき違和感を感じ、納経所で小山田憲弘副住職とお話しした
 私が感じた違和感とは、小屋の不動明王が厨子に比べ小さかったことと、小屋の前に有った手押しポンプが無かったことだ。
 副住職によると、仏像は2度盗まれた。ポンプも導水菅はノコで切られ、固定ボルトも抜き取られた、とのこと。
 檀家からは、盗まれ無いように固定しろ。と言われているそうだが、困ったものだ。


【4月25日=29日目】

 西山の 若葉の陰に Heeの札
 ちょっと寄り道をして、別格の西山興隆寺へ。この寺は春の桜、秋の紅葉の名所だが真夏に登ると死ぬ思い。このときカラーの御影を買い忘れ、昨年車で廻ったとき買ったが不動尊の御影だった。今回ご住職にその経緯をお話しし「観音様が、また来いと言われた。」と云ったら、笑っておられた。
 帰りの石段の手摺に、Heeさんのステッカーを発見し、喜んだ。
 別格の生木地蔵では、西山明応さんの奉納札を見つけた。
 60番・横峰寺は明日にして、61番 〜63番 を先に打った。
 62番・宝寿寺に「1200年記念の御影は、霊場会が勝手に決めた。」との張り紙があったが、記念スタンプはしっかり押してくれた。この事を63番・吉祥寺で話し「謎の赤い紙下さい。」と云ったら、笑ってくれた。ちなみに、この紙のボンジは、十一面観音の「カ」でなく、弘法大師の「ユ」だった。


【4月26日=30日目】

 残雪の 石峰望む 星が森
 小松の民宿から早朝発って近道で、60番・横峰寺を目指す。途中、東京の田辺さんが置いた草刈り鎌の表示が有ったが、鎌は無かった。田辺さんは、添蚯蚓(そえみみず)、伊豆田越え、仙龍寺などの道に道具を置き、草刈り奉仕を呼び掛けている。頭が下がる。
 小松の宿に荷物を置いての横峰寺ルートは快適で、登り2.5時間、下り2時間程度だった。でも、横峰寺は厳しい。
 近道を しても厳しき 横峰寺
 汗かいて 登りし甲斐の 星が森
 今日は快晴で石鎚山が良く見えたが、今年は残雪が多く遭難者が多発しているらしい。 宿から同行した和歌山のY氏は、過去に梶川さん(梶川伸・「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会副会長=毎日新聞旅行「梶川伸と行く四国遍路シリーズ先達)のバス遍路ツアーに参加したとのこと。ご縁を感じた。


【4月27日=31日目】

 いざり松 差別語避ければ 何と云う
  64番・前神寺から65番・三角寺のルートは山沿いと、国道11号に近い北側ルートがあるが、今回は北側ルートを採った。北条駅前のBHから別格12番・延命寺を経由して伊予三島駅前のBHまで30Km強の行程。
 以前真夏に山沿いルートを歩いたとき、日差しを遮る物が無く、先に見える木立が神社だろうと近づくと、豪邸内の木立で休めなかった。この時詠んだ5・7・5
 電柱の 陰にも和む 夏遍路
 今日も晴天で夏のように暑かったが、延命寺でゆっくり休んだ。
 延命寺には昭和43年まで枝を低く広げた、いざり松が有ったそうだが、今は枯れた古木が保存されている。いざりは差別用語らしいが、この語を使わないと何と云うのだろう。
 ヘンロ小屋 秋桜(43号・しんきん庵・秋桜=愛媛県四国中央市)に寄ったがノートは無く、張り紙を剥がした痕跡は有ったが、何の紙だったかは不明


【4月28日=32日目】

 いにしえの 優しさ感じる へんろ道
 伊予三島のBHから古い遍路道を辿って65番・三角寺へ、この道は古い道標が残り辻の石仏も多様で、見るだけでも昔の人の優しさが伝わり楽しくなる。現代の道標やシールより多くの努力を要しただろう。
 66番・雲辺寺へも古い曼陀峠のルートを採った。雲辺寺に近づくと巨大な送電鉄塔と送電線が並行する。碍子が50万KV級で、4条組(クワッドスタック)2系統なので、原発2基分くらいの送電能力が有りそうだ。
 高松の 電力支える 雲辺寺
 山頂にはマイクロウェーブの中継所も有るので、情報通信も支えているようだ。
 雲辺寺から青空屋までの下りは、木の階段ばかりで膝に厳しい道だ。心配した天候も主行程の間は降らず、楽しく歩けた。
 ヘンロ小屋 法皇(37号・しんきん庵・法皇)のノートは、雨に打たれてカビや滲みが酷かったが、写真に残した。
 青空屋は何度も泊まり共通の知人も多いので、話しに花が咲いた。


【4月29日=33日目】

 迂回路を 歩き遍路は 好まない
 66番・雲辺寺下の青空屋から、67番・大興寺〜71番・ 弥谷寺を打ち、麓の「ふれあいパーク みの」迄の行程。もう少し歩けるのだが、72番・曼荼羅寺門前の宿が閉店したので適当な宿が無い。
 大興寺駐車場の前に、ヘンロ小屋 銭形(30番、観音寺市)の案内看板が有る。納経所に「休憩所の看板は大興寺と無関係、昔からの遍路道で無い」との貼紙が有る。
 銭形の小屋は世話人が、遍路道沿いの土地を探したが無く、一筋北の道に建設したが、歩き遍路が通らず看板で誘導を図った。歩き遍路初心者は地図から離れたく無いし、ベテランは昔の標石などの道を好むので、迂回したくないのだ。
 ヘンロ小屋 銭形に立ち寄ったが、ノートは置いて無かった。
 71番・弥谷寺の大師堂は内部レイアウトを変更し、寺宝や尊像の御開帳を行っていた。この寺は山の中腹まで登った所(車だとここまでは省略される。)から、階段の連続で疲れる。
 この寺は 階段ばかりで イヤダニャー
 温泉に入ってゆっくりしていると、柴谷(柴谷宗叔・「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会役員)さんから内線電話。食事を一緒にして語り合った。


【4月30日=34日目】

 うどん屋の 案内もする 納経所
 朝6:00からの温泉に入り、72番・曼荼羅寺〜#78番・郷照寺まで打ち、坂出駅近くのホテルまで。距離は30Km程しか無いが、7寺×20分のお参り時間が掛かるので、楽ではない。
 73番・出釈迦寺の納経所に居られた住職に、柴谷さん来ましたかと聞いたら、7:30頃まで居ましたとの回答。75番・善通寺の大師堂でお参りしてたら、柴谷さんがひょっこり出現。各寺院で上梓された書籍のお話をしていたのだが、車遍路に追い付いた。
 76番・金倉寺に着いたのは11:00過ぎで、付近の香の香でイリコ出汁の釜上うどんを楽しみにしていた。納経所に付近3店のうどん屋の情報が有り、トップの香の香は水曜日定休。2番目のはなやを聞くと「伝統的な、、。」との表現で、悪くは言わない。
 地元では受けているらしく、サイドメニューの寿司類は昼前に売り切れ。麺は悪くなかったが、香の香のイリコ出汁が食べたかった。
 今日のホテルは、数十年前は立派だった設備だが、客が呼べず設備更新が出来ない悪循環の様で、安いのが取りえ。WiFi使えるので私的には満足。


【5月1日=35日目】

 木漏れ日に そよ風ウグイス 遍路道
 坂出のホテルから79番・天皇寺〜83番・一宮寺を打って、高松市内のBH迄の行程。81番・白峰寺から82番・根香寺迄の遍路道は、歩き易い良い道で、一昨年の「歌さんと歩く会」でも通った。木漏れ日の中、涼しい風とウグイスの声で、そのまま記したのが冒頭の5.7.5。
  今回の試みとして、80番・国分寺を後回しにして、79番から81番、82番と打ってから80番を打った。理由は移動距離を短くし、アップダウンの負担を軽減するためだ。結果的に距離は短くなり、80番からの階段登りを回避できた。但し松浦寺から81番への階段登りは予想以上だったが、規則的な石段だったので楽だった。
 このルートは遍路地図にも記載されているが、80番近くの番外 鷲峰寺などを打つ場合のルートとして使われていた様で、道標や石仏等も残っている。真っ直ぐ進むと83番・一宮寺に至る。
 それにつけても、一宮寺から屋島に向かうルートは、何で変更されたのだろう。一宮寺を出てから暫くは良いが、国道193の西の県道には墓地は有るが、遍路道らしき物が何も残っていない。高速道を過ぎた川沿いの道など、個人の家の前を通そうとしている様だ。ゆめタウンで通り難くなったのの回避と、国道地下道のアクセスのみで、遍路道ではあり得ない。但し、このルートを通ったお陰で、Heeさんの剥がし残されたシールに沢山出会った。シール剥離の呼び掛け人は、古いタイプ(古い地図を持った)の歩き遍路なのかも知れない。
   一宮寺近くのヘンロ小屋(ヘンロ小屋24号・眈勝Π豕棔畊眈昌圈砲卜ち寄ったら、施主さんのメッセージが掲示されていた。設立以来7年間で無許可な貼り紙がされたのは初めてで、必要なら申し出たら許可します、とのこと。
 今回のHeeさん関連の事件に関し、無許可シール貼付との議論のすり替え論が有るようだが、呼び掛け人は無許可貼付を行っており、差別と悪意としか取れない主張をしているので、議論の飛躍や拡大解釈は止めて頂きたい。


【5月2日=36日目】

 キツイ坂 進まなければ 終らない
   高松のBHから84番・屋島寺、85番・八栗寺とアップダウンを繰り返し、87番・長尾寺までの行程。屋島寺、八栗寺は高い山ではないが、登りも下りも急坂だ。
 八栗寺手前の須崎寺(真念の墓がある)の傍で、老人会が接待所を開いており、茶菓の接待を頂いた。メンバーに90歳の大工さんが居られ、80歳を過ぎて建設した八栗寺参道の接待所「仁庵(じんあん)」の説明を受けた。ケーブル山麓駅の横の参道を100mほど登った所にあり、榊原佳代子さんが個人で運営されている(木曜日定休)。手作りのお菓子や果物を頂き、遍路の話をした。
 接待の 茶菓の力で 足軽く
 晴天の山道は、初夏の暑さだったが、水分補給が十分できた。
   桜(はな)終わり 毛虫の垂れる 遍路道
 先日結願した遍路仲間が、長尾寺の御影を貰い忘れたのを買ってくるよう頼まれていたので、納経所で話したら無料で頂けた。同寺は参拝者が取る方式なのに、納経所の方(ご住職?)が恐縮された。
 明日は結願後、大阪に帰る予定。


【5月3日=37日目】

 通し打ち 終わった感想 「肉食いたい。」
 87番・長尾寺傍の宿から、お遍路交流サロン、女体山越えルートで結願寺の88番・大窪寺へ。コミュニティーバスで志度バスストップから、高速バスで大阪の自宅まで。
 長尾の宿は10年前に泊まった宿だ。私は旧遍路道経由を予定してたが、同宿の遍路全員が、女体山越えを希望するので案内した。
 お遍路交流サロン(間山ダムそば)には開館の8:00に到着したが、担当の女性が入口を開いていた。茶菓の接待を受けている間に大山館長が来られ、お遍路大使認定書とバッチを交付頂いた。
 大窪寺には11:00頃到着し、打ち込みウドンの昼食後、満開のシャクナゲ(八十場庵で無料入場券を頂ける。)を観賞しバスを待った。高速道路は連休初日で下りは渋滞してたが上りは順調で、ほぼ予定時刻に到着し、18:00前に自宅に帰れた。
 妻は今日から旅行なので、スーパーで肉を買って一人酒。37日間の通し遍路を終了した。
 ヘンロ小屋プロジェクトを支援する会のHPに転載されている日記には、後日写真を添付する予定。
 今回の遍路の所感についても、後日記載する。
 今夜はゆっくり寝たい。


【5月17日=最終日】<

 高野山 お参りしなくちゃ 終らない
 歩き遍路の最後として高野山へお礼参りした。往路は大阪なんばから南海特急、ケーブル、バスで奥之院の一の橋まで直行し、お礼参りと納経ご朱印を頂く。
 山内は徒歩で新築中の壇上伽藍の中門を見物。思ったより大規模で感動。
 伽藍の各お堂を見物の後、石楠花が満開の金剛峯寺を参拝し納経ご朱印を頂く。
 帰路は女人堂から極楽橋駅まで不動坂を歩いた。一般に不動坂と呼ばれている道は、古来の京大坂道に沿って大正4年に作られた新道を云うが、今回は旧道の京大坂道を歩いた。不動坂の入口付近は昨年の台風での陥没対策で、通行止めになっているが徒歩はOKだ。それより、熊出没注意の看板に驚いた。旧道は内不動堂のところで新道と交差し、極楽橋駅の近くで再度新道に合流する。
 今回の歩き遍路の通し打ちは全て完了した。当初の目標は、
ヽ創1200年記念の納経帳を完成させる。(余計なところに足を延ばさない)
知合いになった宿等は外さず、ゆっくり無理せずに楽しむ。
だったが、FaceBookで日記を書いたら、会の編集長から「毎日書け」との指令。
 モバイル機能の無いタブレット端末だったので、LANかWi−Fiの使える宿や、面白そうな話題を求めたりで少し負担が増えたが、楽しい旅だった。





※近く、写真も掲載する予定


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