【定福寺】
江川崎の代わりに組み込んだのは、高知県大豊町の定福寺だった。高知道の大豊インターで高速道路を下り、徳島県三好市の方に走る。15分ほど走って西に折れると、間もなく寺がある。すぐ前は広い道だが、場所は結構な山の中にある。バスを道路の広くなった場所に停め、参道の幅の狭い石段を上っていく。ケイトウが石段のすき間の土に根を張り、赤い花を咲かせていた。背が低いのでかわいい感じがする。石段にはコスモスも花をつけていた。この寺は万葉植物を中心とした花の寺でもある。
石段を登っていると、鐘の音が聞こえ、やがて釣井龍宏住職が石段の上の山門の前に姿を現わした。寺への上り道がわかりづらく、添乗員が電話をかけて聞いていたので、わざわざ入り鐘を打って迎えてくれたのだった。
釣井住職は親切で、30分あまり話を聞けることになった。境内にはシュウカイドウ、ホトトギス、シオンなどが花をつけていた。語り始めに、1984年に初めて四国八十八カ所を回り、その時は自転車だったと教えられた。私も最初は自転車で、住職の11年後に同じ道を走ったことになる。
堂で説明を受ける。本尊は阿弥陀如来。厨子は堂の形をしていて、屋根はひわだぶき。堂の中に堂がある変わった作りだった。「報恩謝徳」を今年の言葉にしているという。「おかげさまで、ありごとうございます」の気持ちを表している言葉だそうだ。「縁」も大事にしているようで、「みなさん方もご縁をいただいた」などと、「縁」という言葉を繰り返した。
寺には文化財の仏像がたくさんある。住職は主だったものの説明をしながら、「つなでいくことが大事」という言葉も何度か口にした。文化遺産を後世に残すことに力を注いでいる現れなのだろう。
宝物館も案内していただいた。ここには六地蔵が安置されていて、うち3体は笑っている。このため、「笑い地蔵」と呼ばれている。何とも愛らしく、優しい顔をしていて、おもわず見る者の顔もほころぶ。フラッシュをたかなければ写真を撮ってもいい、というのもうれしかった。
↑花の説明をする釣井住職
↑愛らしい顔の笑い地蔵
【大歩危】
定福寺を出ると、大豊インターには戻らず、北上して池田・井川インターから高速に乗った。このため、大歩危(おおぼけ)を通ることになった。バスをドライブインの駐車場に停め、短い時間ではあったが、景観を楽しむことができた。予定変更の余禄だった。
↑思いがけず大歩危を楽しむことができた
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
◆第8回(40番・観自在寺〜43番・明石寺)
=2014年11月7日〜8日
今回は18人が参加した。季節外れの台風が発生したが、出発前日に日本のはるか南方を通りすぎ、遍路には全く影響はなかった。初日は晴天、2日目はやや雲が多かったが、雨が降ることはなかった。
【淡路島ハイウェイオアシス】
最初の休憩は淡路島ハイウェイオアシス。建物の中に入ると、まだ11月なのにクリスマスの装いに変わっていた。クリスマスツリーが据えられ、その前にはサンタクロースの人形が立っていた。
裏の庭に出ると、まだ秋。モミジもほとんどの木がまだ緑のままで、一部が赤くなっているだけだった。メキシカンセージが紫の花をつけていて、クリスマスムードは全くない。
↑淡路島ハイウェイオアシスの庭はほんの一部ノモミジだけが赤くなっていた
【昼食】
四国に入り、高速高松道から徳島道に移る。ススキが日を浴びて銀色に輝き、風に揺れている。
昼食は美馬市の貞光ゆうゆう館。朝は寒かったが、バスから降りると、暖かくなっていた。吉野川のたもとにある道の駅だった。
メニューは阿波尾鶏の陶板焼きと、温かい半田そうめんのセットを選んでいた。阿波尾鶏は固めで、味を感じる。半田そうめんは普通のそうめんより太い。太さだけで嫌う人もいるが、今回のメンバーは鶏もそうめんも嫌い人はいなかった。
↑阿波尾鶏と半田そうめんのセット
【石鎚山ハイウェイオアシス】
徳島道から松山道に入る。石鎚山ハイウェイオアシスで再度休憩をとった。ハイウェイオアシスは普通のサービスエリアに比べると、道の駅の要素が強い。だから、いつも珍しいものがないか探す。
ここで見つけたのは、まず「みかん天」。食べたことがないものだったので、どんなものかを店員に聞いた。すると、魚のすりみにミカンの果汁を練り込んで揚げているという。口に入れると、食べ始めは気づかないが、やがてミカンの味がして、やや苦みもある。
次は「夕しぼり牛乳」。参加者の1人が飲んでいたので、僕も買ってみた。東温市の四国乳業のもので、契約した3軒だけの牛乳を使っていると書いてあった。
もう1つ、「名水百選うちぬき水 豆乳入り 西条とうふ みかんの香り」という長い名前の菓子。西条市、大坂屋の製品で、ミカンのジャムあんのようなものを挟んでいて、なかなかいい味だった。
↑みかん天
【43番・明石寺】
愛媛県西予市の札所だが、大阪からは随分遠い。寺に着いたのは午後3時ごろになっていた。昼間は暖かかったが、夕方が近づき、少し涼しくなっている。境内はモミジの木の多いが、全くと言っていいほど、色づいていない。
参拝の後、空海ゆかりの湧き水を見る。ひしゃくでくんでみたが、飲む気にはならず、手を洗うだけにした。その場所に行く途中、4体の可愛い石仏がある。子どもの姿で、表情が実に愛くるしい。笑顔があり、ウインクしているのもある。どれも、毛糸の帽子をかぶせてもらっていた。
車遍路の男性と言葉を交わした。前夜は、高知県の道の駅「アグリ窪川」に車を停めて寝たそうだ。「車だから、行きるところまで行って寝る」と話していた。
↑石仏の1
↑石仏2
↑石仏3
↑石仏4
【卯之町】
寺からバスで5分ほどの場所にある卯之町に行った。今回の「ちょっと歩き」の場所である。古い建物が残り、伝統的建造物群保存地区に指定されている。その中でまず訪ねたのが、宇和米博物館だった。もとは宇和町小学校だった。昭和3年に建てられた木造の平屋建設で、109メートルなの長い廊下で知られる。
米作りに関する展示よりも、建物自体が興味深い。109メートル廊下は、雑巾がけレースでも知られる。その上位1000人ほどの記録と名前の札が並んでいる。男子の1位の記録は18秒17だった。何と速い。係の人に聞くと、記録保持者は消防士だという。
小さな机を並べた部屋があり、参加者は机に座って記念撮影をした。その隣の部屋に、活字印刷の展示があった。トムソン活字鋳造機、初期の東京日日新聞のコピーなどがあり、毎日新聞の提供だった。
学校を出て、卯之町を散策した。国の重要文化財になっている開明学校へ。中に入るのは有料なので、外から建物を眺めていると、筋向いの歴史民俗資料館の女性が出てきて、親切に説明してくれた。その女性が、すぐそばの光教寺の枯山水を見ることを勧めてくれた。本堂の裏に枯山水の庭があった。竹林を背景に、小石で水の流れを表現していて、小さな松などの木を配している。
黒塀の建物群の中を歩いていくと、高野長英の隠れ家があった。うだつの残る2階建て建物、木造3階建ての建物も。江戸時代からのしょうゆ屋は、考案したしょう油差しを盛んにPRしていた。
↑109メートルの廊下
↑ピカピカではない1年生
↑古い町並み
↑光教寺の枯山水
↑高野長英の隠れ家跡
【宿泊】
宿はJR宇和島駅のホテルクレメント宇和島。いつもは温泉宿を選ぶのだが、このあたりにはなく、このホテルにした。
夕食はホテルを出て、郷土料理の店「ほづみ亭」。フカ(サメ)の湯ざらしのカラシみそ、タチウオを竹に巻いて焼いたもの、コンニャクとでんぶの福麺、おからをご飯に見立てた手まりずし、タイとカンパチの刺し身、豚肉の陶板焼き、地鶏の天ぷらといったものだった。しめのご飯はいくつかの中から選ぶ方式。翌日の昼食とダブっているものを外し、タイと梅干のお茶漬けか、さつま汁のどちらかを参加者が選んだ。僕はさつま汁。焼いたタイをみそに混ぜたようなもので、ご飯にかけて食べる。
↑夕食は郷土料理だった
【41番・龍光寺】
神仏習合を色濃く残した寺で、「三間のお稲荷さん」と地元では呼ばれる。鳥居をくぐって参道を進む。寺の入り口には仁王の代わりに狛犬が配してある。本堂は左に進むが、まっすぐ行くと稲荷神社となる。
本堂には、新しい華麗な十一面観音が安置されていた。本堂や稲荷神社のそばにはサザンカが咲いていて、カメラを向ける人も多い。
次の42番・仏木寺までの間はコスモス街道で、車道と歩道を区切る花壇は地元の子どもたちがコスモスを植え、道沿いにはコスモス畑もたくさんある。2年前に歩いた時は、ちょうど良い記事にあたり、感激した。ところが今回は、バスで高速道路を走った際に見ても、全く咲いていない。このため、歩くことはあきらめて、バス移動することを参加者に告げていた。
龍光寺のお参りをすませ、バスに戻る途中、山門の菓子屋でお茶のお接待をしてもらった。店の女性に話しかけると、大阪の豊中に住んでいて、10年前に移ってきたのだという。「大阪はいいねえ」と、懐かしがっていた。
バスまでの間、女性のお遍路さんと話しながら歩いた。徳島に住んでいて、実家が宇和島で、帰ってくると、このあたりを歩くのだという。コスモスのことを聞くと、「今年は育ちが悪く、かなり移植もしたが、咲かずに枯れた」と教えられた。この言葉で、歩くあきらめがついた。
↑龍光寺の狛犬
【42番・仏木寺】
仏木寺へバスで向かう。道に沿った畑に、コスモスない。「やっぱり」と思っていたら、道路の花壇には咲いていた。2年前の半分ほどではあったが、とりあえず咲いている。バスを停め、寺への300〜400メートルを歩き、何とか今回の予定だった観光とちっと歩きの格好がついた。
仏木寺の境内では、地域の人がお接待をしていた。お茶をいただき、手作りの栗ようかんもいただいた。また、さい銭入れやコースターといった手作りの布製品も置いてあり、さい銭袋をもらうことにした。毎週のように、土曜、日曜にお接待をしているそうだ。メンバーの1人の男性は「12月に先達になる。先達になったら、まず歩いて回ってみたい」と楽しみにしていた。
↑コスモス街道
↑仏木寺の境内のお接待
【40番・観自在寺】
昼食場所との関係もあり、40番・観自在寺に戻った。境内には、「開創1200年」ののぼりや看板がまだきれいなまま残っている。大師堂は戸が少しだけ開いていて、そこに大師像が安置してある。サザンカも咲いていたが、ツワブキが黄色い花をたくさんつけて、寺を飾っていた。
↑細いすき間から弘法大師が迎えてくれる
【昼食】
もう1度、宇和島駅の近くまで戻り、「かどや」へ。お目当ては、タイ飯。これを食べるために参加している人もいる。宇和島のタイ飯は、タイの刺し身を使う。熱いしょうゆのだし汁が器に入って出てくる。だし汁に卵、海藻、刺し身を入れ、しばらく置いてなじませ、それをご飯の上に乗せ、だし汁もかけて食べる。タイ飯というと、タイの釜飯のようなものを想像する人が多いので、料理が出てくるまでは名前だけ知らせ、中身は明かさなかった。この作戦は当たり、予想外の食べ物を喜んでいた。
帰りは石鎚山ハイウェイオアシス、吉野川ハイウェイオアシス、淡路島ハイウェイオアシスと、3カ所のオアシスで休憩した。
↑タイ飯にジャコ天、福麺がついていた
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
◆第9回(44番・大宝寺〜47番・八坂寺)
=2014年12月5日〜6日
寒波の襲来で雪に出会い、ブルブル震えながらの遍路となった。目的地は愛媛県なので、思いもしない事態だった。今回の参加は16人。いつもながら、家族旅行の延長のような旅だったが、ドタバタした2日間でもあった。
【淡路島ハイウェイオアシス】
午前8時に毎日新聞大阪本社を出発した。「寒いねえ」が、再会の最初の言葉だった。ダウンのジャンパーを着ている人が多い。寒さは覚悟しての参加だった。ただし、雪は想定外だった。
いつもの通り、淡路島ハイウェイオアシスで最初の休憩をとった。建物の裏の庭「花の谷」に出ると、植物の手入れをしている人がいた。ラベンダーセージを根本から切っている。すると、これまでは隠れていて見えなかったスイセンが姿を現した。中には花をつけているものもある。冬の訪れの1つの光景だと、感じる瞬間ではあったが、この時点でも雪の予感など、さらさらなかった。
花の手入れをしている人と、少し話をする。「冬は花がなくてねえ」と、申し訳なさそうに言う。「建物の表に、ユリオプスデイジーが咲いているから、それでも見て行って。この花は寒さに強いから」。その言葉に従って見に行くと、ユリオプスデイジーは列を作って植えてあり、黄色い花が咲き誇っていた。
↑ラベンダーセージからスイセンへ
【昼食】
バスは淡路島の高速道路を走る。天気がいいので、海の色は青い。周りの山のモミジの紅葉は終わっていて、ハゼの赤い葉が目につくくらい。すでに秋は終わっていた。ここまでは、晩秋から初冬の時期の、のんびりとした遍路の旅だった。
1本の電話から、遍路旅は一変した。電話は徳島県三好市池田町の昼食場所から、添乗員にかかった。「大丈夫ですか?」と聞く。
添乗員は何が大丈夫なのか、ピンとこなかった。店によると、雪が降っていて雷も鳴っている。高速道路は、徳島道の池田インターから川之江インターまで区間が、通行禁止になっている。高速に変わる一般道は、雪で渋滞している。そんな状況で店に来られるか、という確認電話だった。
これは大変なことになった。淡路島を渡ると、徳島道に入って、昼食場所を目指す予定だった。その店で予定通り昼食をとれば、渋滞の一般道を通る以外にない。さて、困った。
まず決めたのは、徳島道を避け、高松道を選ぶことだった。予定していた店に断りを入れた。次は松道を走りながら、昼食場所を探すことだった。運転手、添乗員、私を含めると19人の団体で、さらにバスが留められる店でなければならない。「地元のものを食べる」とうたった遍路なので、そのコンセプトも崩したくない。いくつかの店に電話を入れたが、急なことなので対応できないといって断られてしまった。結局、次回以降の行程に組み込んでいた香川県丸亀市の「一鶴」に決めた。
一鶴の名物は骨付鳥だ。骨付鳥は鶏の骨付きのもも肉を使い、スパイスをきかせてローストしてある。「親どり」と「ひなどり」があり、親どりを頼むと、肉がしっかりしていて、かぶりつかないと食べられない。昼食場所が決まれば、名物を口にし、前を流れる青空の下の土器川を見て、ノンビリしたものだった。雪のことなど、よそごとの感があった。
↑昼食は急きょ、骨付鳥に
↑一鶴の前の土器川
【砥部焼き陶芸館】
松山インターで高速道路を下り、久万高原町を目指す。途中で砥部焼きの里を通るので、展示販売の陶芸館に寄った。さすが砥部焼きの施設。別棟になっているトイレの外壁も、中の手洗いの器も砥部焼きだった。また、そこへ向かう道筋にも砥部焼きの大きなタイルが配してあった。店内では、四国霊場開創1200年記念の砥部焼きグッズも売っていた。こんなところまで開創の記念の年は影響を与えていた。
↑砥部焼きの開創1200年記念グッズも置いてあった
【44番・大宝寺】
久万高原町は標高が700メートルと高い。数年前から新しい道路ができ、随分と楽になった。バスは坂をゆっくり登って行き、トンネルに入った、トンネルを出たとたん、山は雪景色に変わった。運転手の大変さをよそに、右の窓、左の窓へと移りながら、カメラのシャッターを押す。ただし、この時点では山はまだ薄化粧だった。
最初の参拝は大宝寺だった。実は、2日目の行程に組み込んでいた。しかし、雪景色を見て、1日目に繰り上げた。1日目の夜のうちに、雪がさらに降って、動きづらくなるかもしれないからだった。
寺に着く前に、名物の「おくま饅頭」を買った。餡だけを固めたまんじゅうだが、上品な甘みで人気がある。みんなで食べたのは大宝寺のお参りをすませてからだった。
大宝寺は雪の中にあった。山門まで少し歩く。土産物屋の女性が「寒いですねえ」と声をかけてくれる。山門の前の石段には雪が積もり、参加者の1人が滑って尻餅をついた。大事にならなくて、ホッとした。
本堂の前の広場には、雪はなかった。イチョウの葉が散っていて、雪と雨で地面にへばりついていた。そこから石段で本堂に向かう。石段も本堂もその周りも薄い雪の層ができていて、イチョウの黄色と雪の白の対比がいい。本堂の周りの石仏や、ブロンズの観音像も雪を身にまとっていた。トンネルを抜けた直後の雪はまだ序の口で、ここまで来ると、厳冬の景色に変わっていた。
バスに帰るために寺から下りて行くと、さきほどの土産物屋の女性が待っていて、お茶のお接待をしてくれた。今度はこちらから「雪だね」と声をかけると、「山だから毎年ね」と、言葉が帰ってきた。
↑イチョウの葉と雪のコントラストを見せる大宝寺
↑雪を被った石仏
【44番岩屋寺】
この日に参拝する寺を増やしたので、行程に余裕がなくなり、岩屋寺へ急ぐ。寺へは駐車場から15分ほど歩いて登っていく。雪は積もっているだけではなく、降ってもきた。このため、参加者の2人は、バスで待つことになった。
本堂まで上がると、大宝寺よりも雪は多かった。特に大師堂の周りの木の枝は雪でたわみ、それを手前にして大師堂の写真を撮れば、どう見ても雪に覆われた山の寺ということになる。日没が近づき、大師堂のとうろうに火が入り、雪のライトアップとなった。お参りをすませると、暗くなった参道を下りていった。ますます寒くなる。
↑雪に『包まれたような大師堂
↑夕方で暗くなり、あかりがつき始めた境内
【古岩屋荘】
宿の国民宿舎、古岩屋荘は、バスで10分弱の場所にある。ここを選んだのは、周りがモミジの名所で、12月に入ってはいるが、あわよくば紅葉が残っているのではないか、と考えたからだった。紅葉は全くなく、その代わりに雪が木を染めていた。
宿に入り、テレビを見て驚いた。雪のため、愛媛県四国中央市で何十台もの車が立ち往生したニュースを流していたのだ。予定していた昼食場所に行っていれば、これに巻き込まれていた可能性が高い。わざわざ電話連絡してくれ、キャンセルも受けてくれた店に感謝した。
楽しみの夕食は、イノシシ肉の陶板焼きがメーン料理だった。山魚の甘露煮がサブでついて、山の宿らしさを出していた。あとは、ブリ、サーモン、イカの刺し身、野菜の天ぷら、魚の南蛮漬け、玉子豆腐、煮物、酢の物などと、量は多かった。
夕食の後、6人か1つの部屋に集まり、話しながら少し酒を飲んだ。人数がいて、暖房の温度を高めたが、あまり部屋が暖かくならない。それほど冷え込んだということだった。寒くて寝られなかったと話す人もいたほどだ。
↑古岩屋荘の夕食
【46番・浄瑠璃寺】
翌朝、道路の雪はアイスバーン状態になっていた。古岩屋荘の周りの散策も組み込んでいたが、雪で滑るので中止し、早めに久万高原から松山市方面に下りて行った。天気は良いので、雪の山は美しい。
↑朝の古岩屋荘の周辺の雪景色
↑松山に下る道から見た雪景色
バスはスタッドレスタイヤを装着していたが、そうではない車も多いようで、事故を起こしたり、田に落ちている車があったりして、パトカーや救急車が何台も出動していた。片側通行などの規制もあり、前日に大宝寺の参拝をすませておいて良かったっと胸をなで下ろした。
↑雪による事故現場を3カ所も見た
高原から下りてくると、雪は全くなかった。浄瑠璃寺は大師堂に結縁のひもがあって、大師像と結ばれている。大師像もよく見えるように安置してあった。
境内には樹齢1000年のイブキがあって、お参りするたびに触れて、その力をもらう。ハス畑は冬枯れの姿に変わっていたが、その風情がまたいい。
↑大師堂の結縁のひも
↑ハス池の冬景色
【47番・八坂寺】
浄瑠璃寺から八坂寺までは、今回の「ちょっと歩き遍路」。わずか15分ほどだが、手袋をはめて歩いた。柿の収穫をしている。天気が良いので、柿色、山の緑、空の青がパステル画のように感じる。
↑遍路道の近くに柿の木が
八坂寺の本堂に入ると、開創200年を記念して行われた「お大師様と歩む四国遍路 練行衆」で使われた大師像と、それを背中に背負うための背負子が置いてあった。一緒に、その時の写真も展示してあった。また、八坂寺独自の1200年グッズも販売していて、開創記念の年を意識した寺だった。
↑大師堂の御手綱
【内子】
今回のお参りは47番まで。四国の良さを「満喫」してもらう寄り道に今回選んだのは、江戸時代に蝋の産業で反映した内子の古い町並みだった。まず訪れたのは、道の駅「フレッシュパークからり」。地元の野菜や果物を売っていて、地元の客も多い。柿をたくさん売っていたので驚いた。安いので、参加した女性メンバーが物色しては買っていた。
↑内子座
買い物はバスに置き、内子の街並みを散策。大正時代にできた内子座を見て、古い建物を見ながら歩いていく。スタジオジブリのメンバーが、研修で内子を描いた作品を展示している施設もあった。
昼食は明治時代の建物、下芳賀邸(しもはがてい)で食べた。「野遊び弁当」と名づけられた料理で、ダイコン、サトイモ、ニンジン、コンニャク、ブロッコリーの煮物、サケの切り身の焼きもの、エビ、サツマイモ、シシトウなどの天ぷら、酢の物、おにぎりに、そばがついていた。古い建物に合う落ち着いた料理だった。BR>
↑野遊び弁当はこれにそばがついた
食後、さらに歩く。本芳賀邸の華麗なしっくい装飾を見て、上芳賀邸へ。ここは建物に入ると有料だが、庭を見せてもらうことができた。そのうえ、施設の女性がハゼから蝋を作る工程などを説明してくれた。和ろうそくを作るのが主目的ではなく、さらに精製をして白い蝋にし、それが化粧品などさまざまに使われたのだと教えられた。
↑上芳賀邸では説明もしてもらった
内子から高速道路に乗って、帰路についた。前日通行止めになっていた徳島道は開通していたが、50キロ規制がかかっている。安全のため、時間は余分にかかるが、香川道を選んだ。最後まで雪がつきまとった遍路だった。
●●「ちょっと歩き四国遍路・開創1200年満喫編」の第9回は、2015年2月6日(金)〜7日(土)です。参拝は48番西林寺から53番円明寺まで。松山市の道後温泉で宿泊し、周辺の散策も組み込んでいます。問い合わせは毎日新聞旅行(06−6346−8800)。