「ちょっと歩き四国遍路・開創1200年満喫編」先達メモ(2)

  

              梶川伸・毎日新聞旅行「ちょっと歩き四国遍路・開創120年満喫編」先達(「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会副会長)

              

   ◆◇ちょっと歩き四国遍路・開創1200年満喫編(2)◇◆
(毎日新聞旅行「ちょっと歩き四国遍路・開創1200年満喫編」の先達メモ)


 毎日新聞旅行の遍路旅「ちょっと歩き四国遍路・開創1200年満喫編」の先達を務めている。毎日新聞旅行の遍路旅の案内人としては7シリーズ目となる。
 2014年は空海が四国八十八カ所を開いて1200年とされる。今回のシリーズは、そのことを意識して行程を組んだ。計16回の予定で、2014年は特別開帳の仏像の拝観もできるだけ組み込んだ。遍路道を少し歩くのは、過去の「ちょっと歩き」シリーズと同様。また、1200年の機会に、「お四国さん」という優しい言葉を使う四国という土地、その空気を感じてもらうことを願って、参拝以外のことも加えた。
 遍路旅は毎回1泊2日。午前8時に毎日新聞大阪本社をバスで出発する。霊場を参拝し、歩き、地元の食べ物を味わい、遍路道周辺の四国らしい場所にも寄ってみる。大阪・梅田への帰着は2日目の午後7時前後となる。
 なお、先達メモの原稿は、梶川伸「ちょっと歩き四国遍路・開創1200年満喫編」(1)として、遍路旅の第1回から第5回までをまとめて収録しています。そのため、この原稿は第6回からの遍路旅を納めています。


   ◆第6回(31番・竹林寺〜36番・青龍寺、71番・弥谷寺)
    =2014年9月12日〜13日


 8月は暑いので、遍路旅は1回休んだ。また、毎月第1金曜、土曜日に行くのだが、9月の最初は暑いだろうと予想し、第2金土に繰り下げた。このため、参加者にとっては久しぶりの再会になった。
 前回は30番・善楽寺まで参拝をすませたので、本来なら今回は31番竹林寺からで、お参りは高知市周辺となる。しかし、香川県の71番・弥谷寺(いやだにじ)を1つ組み込んだ。四国霊場開創1200年を記念して、320年ぶりに大師像を開帳しているからだ。1カ月に1回のペースでは、弥谷寺へ行くのは来年になって、特別開帳の期間を過ぎてしまう。そこで、変則的に高知へ行く途中に寄ることにした。
 毎回雨が心配だったが、今回は好天に恵まれた2日間だった。宿泊した夜のうちに少し降ったのだが朝にはあがり、幸運だった。秋の気配の中での遍路で、咲き始めたヒガンバナを見ながら歩くのが心地良かった。


【竜野西サービスエリア】

 今回の参加者は18人。まず弥谷寺に向かうため、いつもの淡路島経由ではなく、瀬戸大橋経由で四国に入ることにした。最初の休憩は竜野西サービスエリア。
 花壇の花の入れ替えをしていて、作業員がマリーゴールドや日日草を引き抜いていた。よく見ると、マリーゴールドなどは満開に近く、つぼみもたくさん持っている。不思議に思って聞いてみると、「花の良い時期に抜く」のだという。「花が枯れていると、苦情がくるので」というのが理由。ちょっと複雑な感じを抱き、マリーゴールドの花をたくさんもらい、バスの中に飾った。
 ここはパンが人気らしく、よく売れている。「りんごパン」なるものを売っていたので、買ってみた。アップルパイのようなリンゴを、もちもちの皮が包み、表面は真っ赤な色がつけてあった。リンゴの形をしていて、色のインパクトは相当なものだ。


      ↑竜野西サービスエリアで売っていた「りんごパン」



【与島サービスエリア】

 天気が良いので、瀬戸大橋からの海と島々の眺めがいい。与島サービスエリアで一服。展望台に上ると、備讃瀬戸大橋が迫力のある目の前から四国へ向かって、くっきりと延びていた。


      ↑与島サービスエリアの展望台から見た備讃瀬戸大橋
  

【昼食】
 昼食は75番善通寺に近い「魚七」でとった。陸軍の連帯があったころ、乃木希典が訪れていたという。今は新しい建物になっている。遍路旅の昼食場所によく利用させてもらうが、いつも人が多い。ハマチ、タイ、イカの刺し身、エビと野菜の天ぷら、茶碗蒸し、おひたし、みそ汁、漬け物、ご飯、デザートという内容だった。


      ↑魚七のランチ
 
 

【71番・弥谷寺】
 今回、順番を変えて組み込んだ弥谷寺が、最初のお参りだった。「ふれあいパークみの」の駐車場にバスを止めて、そこから参道を15分ほど登っていく。この9月に、山上バスの運行が始まって、バス停を兼ねた休憩所が遍路道の横にできていた。これも、開創1200年がきっかけなのだろう。


      ↑新しくできた山上バスの停留所

 山道を行く。カゴノキ、バクチノキ、ヤマモモなどの木が道を覆っている。湿度は高く、蒸し暑いので汗が流れる。最後の108段の石段は途中で休むところがなく、一気に上るので、結構しんどい。


      ↑モミジの木に包まれた山門

 初参加のメンバーがいて、遍路用品を揃えるため、まず大師堂から参拝した。大師堂は洞窟と組み合したように造られている。幼いころに勉強をした場所だと伝えられる。そこに、320年ぶりの大師像が安置されていた。厨子の扉が開いていて、間近に見ることができる。顔は若々し表情をしているが、ほおや額など、盛り上がった部分はすすけたように黒ずんでいる。空海の像はどれもほとんど変わらないので、思ったほどの驚きはなかった。
 秘仏の裏側の洞窟の中には、本堂から移された空海像が座っていた。秘仏ではないのだが、本堂にある時は堂の外からは見えないのだという。五鈷杵、五鈷鈴も公開されていた。特に五鈷鈴は金銅製で、美しい白銀の輝きを持ち、表面に仏の細かいレリーフが施されていた。
 本堂へとさらに上がる。洞窟の中で汗がひいていたが、また顔や背中を流れ出す。ヤブランをながめ、磨崖仏を見ながら行く。汗は出るが、ツクツクボウシ、ミンミンゼミの声に秋の訪れを知る。
 帰りは参道の俳句茶屋でお茶のお接待をいただいた。茶屋の主人にヒマワリの種をもらい、それを手のひらに乗せると、ヤマガラが食べにくる。みんなが種の手に置いて、順番にヤマガラと遊んだ。よく慣れている。


      ↑ヤマガラが手に乗って喜ぶ参加者

 遍路の楽しみの1つは、地元の名物を食べること。弥谷寺のそばには、鳥坂(とっさか)まんじゅうがある。蒸しまんじゅうで、あんがさっぱりしている。小さ目のまんじゅうで、30個買うと1000円。バスを停めて買いに走り、みんなで食べた。


      ↑鳥坂まんじゅう


【33番・種間寺】
 高速の松道、高知道を通り、種間寺へ。大師堂の前には、「四国開創1200年 特別結縁」と書いたボードが取り付けられていて、大師と参拝者とを結ぶひもが伸びていた。唐門をくぐって境内に入る。本堂の前には回向柱が立っていて、何人かが柱に抱きついていた。なるほど、本尊のご利益を体全体で受けるということなのだろう。それを見て、私たちの仲間も抱きついた。大師堂の中で読経をし終わると、ポツポツと雨が降ってきた。夜はここの宿坊なので、運がいい。


      ↑特別結願のボード

この寺は、安産祈願の寺として知られる。妊婦がひしゃくを持って行き、底を抜いてもらう。生まれやすいという願いだ。赤ちゃんが生まれると、底抜けひしゃくを奉納する。そのひしゃくが並んでいると、ちょっと面白いオブジェのように見える。開創1200年ののぼりも立っていたが、色があせ、下の方がほつれていた。


      ↑奉納された底抜けひしゃく



【宿】
 宿は36番青龍寺に近い三陽荘。お遍路さんがよく利用する。宿側もお遍路さんに対する扱いはうまく、従業員も礼儀正しい。夕食は品数が多かった。刺し身はカツオとカンパチ。天ぷらはイワシと野菜。そのほか、アサリ鍋、焼きブリの南蛮漬け、玉子豆腐、ナスの煮びたし、和え物、ナスの煮びたし、おつゆ、ご飯、漬け物、フルーツ。


      ↑三陽荘の夕食

メンバーの1人が、サツマイモのつるでつくだ煮を作ってきてくれ、みんなに回した。この女性は前回、大葉を使った「ご飯の友」を作ってきていた。どうも恒例になってきたようで、「次回も何か作ってくる」と早くも約束していた。


      ↑サツマイモのつるの手作りつくだ煮

 ここは温泉で、黄土色のような湯が、たくまずして温泉らしさを演出している。男女の風呂が日ごとに変わるり、夜に女性風呂だったのが朝には男性の風呂になっていた。こちらには露店風呂もあった。庭園の中に造られていて、サルスベリの花も咲き残り、雰囲気が良い。
 夜のうちに雨が降ったようで、朝も時折、雨のしずくが落ちてきた。宿のすぐ前には、竜の浜という砂浜が広がっている。朝風呂の後、海岸を散策した。南国の木が植えられ、夏の間は海水浴客でにぎわうという。
 宿の人に、1200年の影響を聞いてみた。「今年は息が長い」そうで、「もう来年の予約が入っている」とか。普段は来ない旅行社のツアーもあるという。1200年は一定、宿には恩恵を与えている。


      ↑竜の浜の朝



【36番・青龍寺】
 宿から青龍寺までは近いが、バスは入れないので、行きは宿の車で青龍寺まで送ってもらった。山門を通ると、石段が続く。石段の幅は細く、木に囲まれている緑の空間がいい。途中に滝や朱塗りの三重塔がある。手水も石段の途中に設けてあり、よい演出となっている。白いヒガンバナもアクセントになっている。


      ↑石段の途中の白いヒガンバナ

 この寺も、大師堂には結縁のひもが用意してあり、線香立てから伸びて堂の中の大師像と結ばれていた。
 参拝をすませて石段を下り、帰りは宿まで歩いた。15分ほどの「ちょっと歩き」。道沿いにミニ四国八十八カ所が設けてある。札所にあたるのは石仏で、該当の寺の本尊と空海の石仏が並んでいる。反対側には湿原が広がっている。ハギ、キンミズヒキ、ママコノシリヌグイ、ツユクサといった野の花が咲いている。参加者の1人から、キツネノササゲという花を教えてもらった。



【35番・清滝寺】
バスで清滝寺に近いスーパーまで行き、そこでマイクロバスに乗り換えた。寺は標高400メートルの場所にある、山道は細くてバスは上がれない。ここも「特別結縁」の張り紙があり、五色の布が用意してあった。


      ↑特別結願の張り紙

 境内には小規模は戒壇が設けてある。中は真っ暗で、左手で壁をさわりながら1周する。私が先頭で回り、次々に戒壇から出てくるのだが、しばらくすると出てこなくなった。心配して添乗員が逆行して様子をうかがいに行くと、中で道を間違えたのだという。「なぜ、間違えることができるか」と、みんなで大笑いした。
境内からの眺めはいい。遠くに海も見える。帰りくらいはと、「ちょっと歩き」で下った。最初は長い石段。続いて車の通らない遍路道。最後は車も通る道を歩く。ヒガンバナが咲き、ミカンの種類は分からないが、緑色の大きな実をつけ、黄色になるのを待っているミカン畑も続いた。


      ↑ヒガンバナとお遍路さん

ふもとまで下りてくると、すれ違った男性の声をかけられた。「日本1のツバメのマンションがあるから、見ていきなさい」と、自宅を教えられた。言葉に甘えて土間に入ると、天井にツバメの巣がたくさんあり、それぞれに巣を作った年と月が書いてあった。その男性によると、70近い巣があるのだという。


      ↑日本1のツバメのマンション



【昼食】
 昼食は高知市の中心部、高知城に近い観光スポット「ひろめ市場」のそばにある「うなぎ屋せいろ」。その名の通りのウナギ屋で、せいろ蒸しのウナギご飯が人気なのだ。しかし人数が多いので時間がかかりすぎると聞き、ひつまぶし風の丼にした。ウナギのかば焼きがやや細く切ってご飯に乗せてあり、上にはノリがたくさんかけてある。ワサビで食べるのが、名古屋のひつまぶしに似ている。かば焼きの味つけは甘ったるくなく、すっきりした辛さがあり、焼き具合は皮がカリカリしているのだが、実がふんわりしていて、テクニックを感じる。
 

      ↑ひつまぶし風ウナギ丼



【ひろめ市場】
 今回の「四国満喫」の1つは、ひろめ市場の自由時間だった。屋台村のような施設で、魚屋などの店がたくさん並んでいる。テーブルと椅子が何か所も用意してあり、店で買った刺し身などをテーブルに運び、飲んだり食べたりする方式だ。店自体にカンターももっているところもある。魚だけでなく、中華などの店や土産物屋もある。カツオのタタキが人気の店には長い列ができていた。
 自由時間といっても20分あまり。ほとんどの人は土産物などの買い物で過ごしていたが、私はウツボのタタキとイモ天(サルマイモの天ぷら)を食べてみた。


      ↑ウツボのたたき


【31番・竹林寺】
 バスで五台山に登り、竹林寺へ。ここも風情の良い寺だ。山門をくぐると、モミジの木などが光を遮り、その下にコケが広がって、しっとりとした境内を作り出している。石段を上るが、ここは青龍寺とは反対に幅が広く、ゆったりした気分にさせる。本堂の前には「結縁のお手綱」の説明とともに、五鈷杵が置かれ、そこが結縁のひもの起点になっていた。境内にはスイレンの鉢があり、赤と紫の花をつけていた。


      ↑五鈷杵と結縁のお手綱



【32番・禅師峰寺】
 禅師峰寺は小高い岩山の上に建つ。岩は灰色と黒が互い違いに層をなしていて、やや不気味な印象を与える。山門の横には岩山を背景にして不動明王が立っていて、岩の層が火炎の光背を連想させる。


      ↑五鈷杵と結縁のひも


      ↑禅師峰寺の境内からの眺め


【33番・雪蹊寺】
 今回の打ち止めの寺は雪蹊寺だった。大師堂の鰐(わに)口から五色の布が垂れ、それを持って鰐口をたたいて鳴らすのだが、結縁のひもの意味もあるのだろう。ムラサキシキブが紫色の実をたくさんつけて、枝を垂らしていた。


      ↑鰐口につけられた五色の布


      ↑境内のムラサキシキブ



――――――――――――――――――――――――――――――――――――


   ◆第7回(37番・岩本寺〜39番・延光寺)
     =2014年10月3日〜4日


【霧の森】

 いつも1回目の休憩は、淡路島に入ってすぐの淡路島ハイウェイオアシスで取る。今回は昼食場所が愛媛県四国中央市・新宮の「霧の森」で、高知道に入ってから遠くない。通常2度目の休憩は徳島道の吉野川ハイウェイオアシスだが、そこからだと霧の森まで30分あまりで、時間配分としてはちょっともったいない。結局、淡路島南サービスエリアまで足を伸ばして1回目の休憩とし、次は霧の森まで一気に走ることにした。
 霧の森は、新宮インターでいったん高速道路を下りる。インターからはすぐで、川を中心にした公園になっていて、温泉やレストランも備えている。
 昼食は霧の森レストラン。この辺りは茶の産地になっている。またレストランの名物の1つは、できたて豆腐。このため、茶そばと豆腐、ご飯、切り干し大根、漬け物のセットにした。茶そばは濃い緑色のしっかりした麺で、つゆをつけて食べる。豆腐はまだ温かく、「まず何もつけずに食べてほしい」という店の人の言葉に最初は従い、次にネギと大根おろしを薬味にし、しょうゆをかけて食べた。お茶のふりかけが用意してあり、ご飯と一緒に食べたが、あまりお目にかからない食べ物だった。
 霧の森の名物に「霧の森大福」がある。売店に買いに行くと、そこにはなく、おしゃれなお菓子工房ができていて、そこにあった。以前は生を買ったが、どうも今は冷凍だけで、「1人3箱(1箱は10個入り)まで」の張り紙があった。よく売れているのだろう。自然解凍を待ち、夕方になってみんなで食べた。中身はあんと生クリームで、表面には抹茶がまぶしてある。この渋さが人気の秘密なのだろう。


      ↑霧の森レストランの茶そばと豆腐のセット


      ↑霧の森大福



【37番・岩本寺】

 本堂は格子天井になっている。1978年に本堂を新築する際、天井絵を募集し、575枚が格子の中にはめ込んである。絵はさまざまで、仏像や花といった寺にとってはオーソドックスな作品に混じり、ロートレックの絵の模写など、寺らしくないもののある。その中で1番の人気は、マリリン・モンローを描いたものだ。初めて参拝する人は、みんな喜ぶから、寺の作品選択は、話題づくりの面で成功したといえる。
 大師堂の前には五鈷杵が置かれ、そこから大師に向かう結縁のひもが伸びていた。納経所のある建物の中に奥に院があり、四国八十八カ所開創1200年記念で、矢負い地蔵が公開されていた。比較的新しい仏像で、彩色してある。坐像で、右足を台の上に上げている。白い顔に首飾りをつけ、金色の錫杖を手にしている。境内には大きな赤い実を下げた植物がはえていて、「万両にしては実が大きいね」など仲間と話したが、寺に人に聞かないままで、本当の名前はわからない。


      ↑マリリン・モンローの絵もある天井画
  

      ↑大師堂の前の結縁のひも
  

【39番・延光寺】
 行程の関係で、先に39番に参ってから宿に入ることにした。本堂の鰐口から結縁の布「御手綱」が垂れていた。そのそばに、綱の説明と一緒に「引っ張ったり、ぶら下がったりしないでください」と注意書きしてあるのがおもしろい。日没が近づいて、本堂にランタンのような灯りがついた。暮れなずむ時の寺は、静かで心が落ち着く。
 境内には樹齢500年のイブキがあるそのそばで、大阪の男性に、40番・観自在寺までの距離を聞かれた。それをきっかけに、少し話をした。40歳で会社をやめ、転職までの間に歩いているという。「ただ歩いているだけ。一歩一歩。考えながら歩いていると、標識を見逃してしまうことがある。大阪なので、選ばなければ仕事はある」。穏やかな口調だった。スマートフォンのGPS機能で、あまり道に迷うことはないともないと聞いて、現代的な遍路の一面も教えてもらった。「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会がつくっている休憩所については、「足を休めることができるのでありがたい」と言ってもらい、小屋が役に立っていることがうれしくなる。


      ↑「引っ張ったり、ぶら下がったりしないでください」と書かれた張り紙があった
 
 

      ↑樹齢500年のイブキ
 
 

【宿】
 宿は足摺岬の上に建つ足摺国際ホテル。海を見下ろすので立地が良い。ホテルに入る直前に夕陽が沈んだが、残念ながら最後は海に落ちるのではなく、雲の中に姿を消した。
 夕食は、皿鉢料理のスタイルを取り入れたものだった。3〜4人ずつが1組になって食べる。真ん中に大きな皿が置かれ、その上に小皿が乗っている。小皿の中は1つごとに違う料理で、それぞれ人数分が入っている。手長エビのから揚げ、チャンバラ貝を殻ごと煮たもの、川魚のフライ、枝豆、エビの塩ゆで、サトイモの煮物、サザエのつぼ焼き、ようかん。チャンバラ貝は、殻の入り口側の身の先端が固くて小さな刀の形をしているので、この名前があるらしい。この貝や手長エビといった地元のものが出てくるのがうれしい。皿鉢風の盛り付け以外にも、各人の料理があった。ネイリ(カンパチの子ども)、マグロの刺し身、カツオのタタキ、茶碗蒸し、炊き込みご飯、デザート。満腹になった。
 翌朝は午前6時にロビー集合で、足摺岬の散策。ホテルの人が案内人だった。岬の台地から海岸まで、説明を聴きながら下りていく。亜熱帯の植物が多い。足摺岬の沖には、黒潮と親潮が流れていて、その海域が陸から近く、そのために漁業にとっては好都合の場所らしい。カツオ節の発祥の地だという。ここの人が出向いて製法を伝え、全国に広がったそうだ。
 海岸に下りると、白山洞門の正面。波打ち際に近い巨大な岩の島を波がうがち、トンネルを開けている。目の前で見ると、覆いかぶさってくるような威圧感がある。洞門の上に白山神社をまつっていると説明があった。岩肌にはオレンジの花がたくさん咲いている。カンゾウではないか、と想像した。


      ↑皿鉢を参考にしたような夕食の盛りつけ


      ↑海岸から見た白山洞門


【38番・金剛福寺】
 朝食をすませ、金剛福寺にお参りをした。実は今回はこの寺が打ち止め。朝のお勤めが、最後の読経になる変わった遍路だった。
 実は当初、日本最高気温を記録した四万十川に沿った江川崎を訪ね、川沿いを走る列車に乗る予定で、シリーズ全行程を組んでいた。ところが、江川崎までの道が狭く、バスでは時間がかかりすぎるということになり、急きょ変更をした。お参り以外に、四国の良いところを知ってもらうという企画なので、一般的な遍路ツアーよりは、各回にお参りをする札所の数は抑えてある。このため、江川崎の代替案を考え、参拝する寺の数は増やさなかったのだ。
 池の周りに大きな石を配した庭が、寺の特徴になっている。大きな亀を彫った石も置いてある。本堂でお参りをしていると、別の団体が来たが、こちらが般若心経などすべてをすませるまで、自分たちの読経を待ってくれた。ありがたいことだ。大師堂には回向柱が立っていた。回向柱があると、抱きついて弘法大師と縁を結ぼうとするメンバーがいる。その1人は母親を亡くした直後なので、なおさら力を込めるのだろう。


      ↑大師堂の回向柱


      ↑金剛福寺



【足摺岬】
 この遍路旅のテーマの1つである「ちょっと歩き」は今回、足摺岬の観光だった。朝食前の散策に続き、参拝の後に第2段のウォークを組んだ。まず展望台へ。先に来ていた女性が、しきりと両手を横に広げている。「海に向かっての視界が何度くらいか調べてるんです」と言いながら。言われてみて、改めて見回すと、240度程度は海になっていた。話の間、そばで年老いた女性が座っていた。どうも母親のようだ。
 晴天ではないが雲は薄く、海は青色を保っている。展望台から天狗の鼻へと移動した。すると、手を広げていた女性が座っていた女性の手を引いたまま、天狗の鼻への分かれ道で立ち止まっていた。行こうかどうしようか迷っているようだった。「歩いて10分ほどですよ」と告げると、「母親の足が遅いので」と答が返ってきた。やはり母親だった。私たちが通り過ぎた後も、女性はまだ思案を続けていた。
 天狗の鼻からは、先ほどの展望台のある岬の先端、足摺岬の象徴でもある白い灯台も見える。ここが絶好の撮影ポイントだと、早朝の散策の案内人が話していた。みんなが写真を撮り合っていると、先ほどの女性が母親の手を引いてやってきた。途中の一部は、崖っぷちの狭い道。足が十分ではない母親だが、絶景を見せたかったのだろう。良い母娘だと思った。


      ↑天狗の鼻からの眺望


【昼食】
 大阪に向けて、ほぼ来た道を帰る。時々海を見ながら、バスは走る。おもしろいことに、穏やかな海の場所もあれば、荒い波が海の中の岩に激しくぶつかり、白い波しぶきを高く上げている海岸もある。この違いは何だろう。青い海と白い波のコントラストは美しいが、台風の接近を告げているのはわかる。実際に台風が東海地方に上陸したのは、2日後だった。そうなると波のない海岸のことが理解できない。
 バスに長く乗っているのは大変なので、休憩を多めにした。まず、今年4月のオープンした黒潮町の道の駅「なぶら土佐佐賀」へ。「なぶら」とはどういう意味かを聞いてみた。「『カツオがなぶらして泳いできとる』と、使うとですよ」。「群れをなす」という意味だと教えられた。カツオのフライ・オーロラソースなるものを売っていて、心が動いた。パックにたくさん入っていて200円と安い。1パック買って、みんなで食べた。
 続いて四万十町の道の駅「あぐり窪川」。ここは好きな所で通るたびに寄り、買い食いするものがある。米を食べさせて育てた「米豚」のバーベキュー。ぶつ切りにしたものを4つ串に差し、たれをつけて焼いてある。1串300円と少し高いのだが、つい手が出てしまう。
 さらに須崎市の道の駅「かわうその里すさき」。昼食場所でもあった。ご当地グルメの鍋焼きラーメンとシラス丼のセット。鍋焼きラーメンは、ニワトリの肉でスープをとるのが特徴だ。「肉はスープを取るのが主目的で、食べられますが固いです」と注意があった。しかし、十分に食べることができ、全部食べた。シラスは別の器に乗っていて、ご飯の上に盛り、ネギ、ゴマ、紅ショウガを薬味にし、好みでしょうゆを垂らして食べる。ラーメンだけでもいいのだが、シラス丼をつけたので、女性の参加者の多くがラップをもらい、シラスご飯をおにぎりにして持って帰った。


      ↑オープンして半年の「なぶら土佐佐賀」


      ↑あぐり窪川で食べた米豚のバーベキュー


      ↑かわうその里の鍋焼きラーメンとシラス丼


【定福寺】
 江川崎の代わりに組み込んだのは、高知県大豊町の定福寺だった。高知道の大豊インターで高速道路を下り、徳島県三好市の方に走る。15分ほど走って西に折れると、間もなく寺がある。すぐ前は広い道だが、場所は結構な山の中にある。バスを道路の広くなった場所に停め、参道の幅の狭い石段を上っていく。ケイトウが石段のすき間の土に根を張り、赤い花を咲かせていた。背が低いのでかわいい感じがする。石段にはコスモスも花をつけていた。この寺は万葉植物を中心とした花の寺でもある。
 石段を登っていると、鐘の音が聞こえ、やがて釣井龍宏住職が石段の上の山門の前に姿を現わした。寺への上り道がわかりづらく、添乗員が電話をかけて聞いていたので、わざわざ入り鐘を打って迎えてくれたのだった。
 釣井住職は親切で、30分あまり話を聞けることになった。境内にはシュウカイドウ、ホトトギス、シオンなどが花をつけていた。語り始めに、1984年に初めて四国八十八カ所を回り、その時は自転車だったと教えられた。私も最初は自転車で、住職の11年後に同じ道を走ったことになる。
 堂で説明を受ける。本尊は阿弥陀如来。厨子は堂の形をしていて、屋根はひわだぶき。堂の中に堂がある変わった作りだった。「報恩謝徳」を今年の言葉にしているという。「おかげさまで、ありごとうございます」の気持ちを表している言葉だそうだ。「縁」も大事にしているようで、「みなさん方もご縁をいただいた」などと、「縁」という言葉を繰り返した。
 寺には文化財の仏像がたくさんある。住職は主だったものの説明をしながら、「つなでいくことが大事」という言葉も何度か口にした。文化遺産を後世に残すことに力を注いでいる現れなのだろう。
 宝物館も案内していただいた。ここには六地蔵が安置されていて、うち3体は笑っている。このため、「笑い地蔵」と呼ばれている。何とも愛らしく、優しい顔をしていて、おもわず見る者の顔もほころぶ。フラッシュをたかなければ写真を撮ってもいい、というのもうれしかった。


      ↑花の説明をする釣井住職


      ↑愛らしい顔の笑い地蔵


【大歩危】
 定福寺を出ると、大豊インターには戻らず、北上して池田・井川インターから高速に乗った。このため、大歩危(おおぼけ)を通ることになった。バスをドライブインの駐車場に停め、短い時間ではあったが、景観を楽しむことができた。予定変更の余禄だった。
 

      ↑思いがけず大歩危を楽しむことができた


――――――――――――――――――――――――――――――――――――


   ◆第8回(40番・観自在寺〜43番・明石寺)
     =2014年11月7日〜8日


 今回は18人が参加した。季節外れの台風が発生したが、出発前日に日本のはるか南方を通りすぎ、遍路には全く影響はなかった。初日は晴天、2日目はやや雲が多かったが、雨が降ることはなかった。
【淡路島ハイウェイオアシス】
 最初の休憩は淡路島ハイウェイオアシス。建物の中に入ると、まだ11月なのにクリスマスの装いに変わっていた。クリスマスツリーが据えられ、その前にはサンタクロースの人形が立っていた。
 裏の庭に出ると、まだ秋。モミジもほとんどの木がまだ緑のままで、一部が赤くなっているだけだった。メキシカンセージが紫の花をつけていて、クリスマスムードは全くない。


      ↑淡路島ハイウェイオアシスの庭はほんの一部ノモミジだけが赤くなっていた


【昼食】
 四国に入り、高速高松道から徳島道に移る。ススキが日を浴びて銀色に輝き、風に揺れている。
 昼食は美馬市の貞光ゆうゆう館。朝は寒かったが、バスから降りると、暖かくなっていた。吉野川のたもとにある道の駅だった。
 メニューは阿波尾鶏の陶板焼きと、温かい半田そうめんのセットを選んでいた。阿波尾鶏は固めで、味を感じる。半田そうめんは普通のそうめんより太い。太さだけで嫌う人もいるが、今回のメンバーは鶏もそうめんも嫌い人はいなかった。


      ↑阿波尾鶏と半田そうめんのセット
  

【石鎚山ハイウェイオアシス】
 徳島道から松山道に入る。石鎚山ハイウェイオアシスで再度休憩をとった。ハイウェイオアシスは普通のサービスエリアに比べると、道の駅の要素が強い。だから、いつも珍しいものがないか探す。
 ここで見つけたのは、まず「みかん天」。食べたことがないものだったので、どんなものかを店員に聞いた。すると、魚のすりみにミカンの果汁を練り込んで揚げているという。口に入れると、食べ始めは気づかないが、やがてミカンの味がして、やや苦みもある。
 次は「夕しぼり牛乳」。参加者の1人が飲んでいたので、僕も買ってみた。東温市の四国乳業のもので、契約した3軒だけの牛乳を使っていると書いてあった。
 もう1つ、「名水百選うちぬき水 豆乳入り 西条とうふ みかんの香り」という長い名前の菓子。西条市、大坂屋の製品で、ミカンのジャムあんのようなものを挟んでいて、なかなかいい味だった。


      ↑みかん天
 
 

【43番・明石寺】
 愛媛県西予市の札所だが、大阪からは随分遠い。寺に着いたのは午後3時ごろになっていた。昼間は暖かかったが、夕方が近づき、少し涼しくなっている。境内はモミジの木の多いが、全くと言っていいほど、色づいていない。
 参拝の後、空海ゆかりの湧き水を見る。ひしゃくでくんでみたが、飲む気にはならず、手を洗うだけにした。その場所に行く途中、4体の可愛い石仏がある。子どもの姿で、表情が実に愛くるしい。笑顔があり、ウインクしているのもある。どれも、毛糸の帽子をかぶせてもらっていた。
 車遍路の男性と言葉を交わした。前夜は、高知県の道の駅「アグリ窪川」に車を停めて寝たそうだ。「車だから、行きるところまで行って寝る」と話していた。


      ↑石仏の1


      ↑石仏2


      ↑石仏3


      ↑石仏4


【卯之町】
 寺からバスで5分ほどの場所にある卯之町に行った。今回の「ちょっと歩き」の場所である。古い建物が残り、伝統的建造物群保存地区に指定されている。その中でまず訪ねたのが、宇和米博物館だった。もとは宇和町小学校だった。昭和3年に建てられた木造の平屋建設で、109メートルなの長い廊下で知られる。
 米作りに関する展示よりも、建物自体が興味深い。109メートル廊下は、雑巾がけレースでも知られる。その上位1000人ほどの記録と名前の札が並んでいる。男子の1位の記録は18秒17だった。何と速い。係の人に聞くと、記録保持者は消防士だという。
 小さな机を並べた部屋があり、参加者は机に座って記念撮影をした。その隣の部屋に、活字印刷の展示があった。トムソン活字鋳造機、初期の東京日日新聞のコピーなどがあり、毎日新聞の提供だった。
 学校を出て、卯之町を散策した。国の重要文化財になっている開明学校へ。中に入るのは有料なので、外から建物を眺めていると、筋向いの歴史民俗資料館の女性が出てきて、親切に説明してくれた。その女性が、すぐそばの光教寺の枯山水を見ることを勧めてくれた。本堂の裏に枯山水の庭があった。竹林を背景に、小石で水の流れを表現していて、小さな松などの木を配している。
 黒塀の建物群の中を歩いていくと、高野長英の隠れ家があった。うだつの残る2階建て建物、木造3階建ての建物も。江戸時代からのしょうゆ屋は、考案したしょう油差しを盛んにPRしていた。


      ↑109メートルの廊下


      ↑ピカピカではない1年生



      ↑古い町並み



      ↑光教寺の枯山水



      ↑高野長英の隠れ家跡



【宿泊】
  宿はJR宇和島駅のホテルクレメント宇和島。いつもは温泉宿を選ぶのだが、このあたりにはなく、このホテルにした。
  夕食はホテルを出て、郷土料理の店「ほづみ亭」。フカ(サメ)の湯ざらしのカラシみそ、タチウオを竹に巻いて焼いたもの、コンニャクとでんぶの福麺、おからをご飯に見立てた手まりずし、タイとカンパチの刺し身、豚肉の陶板焼き、地鶏の天ぷらといったものだった。しめのご飯はいくつかの中から選ぶ方式。翌日の昼食とダブっているものを外し、タイと梅干のお茶漬けか、さつま汁のどちらかを参加者が選んだ。僕はさつま汁。焼いたタイをみそに混ぜたようなもので、ご飯にかけて食べる。


      ↑夕食は郷土料理だった


【41番・龍光寺】
 神仏習合を色濃く残した寺で、「三間のお稲荷さん」と地元では呼ばれる。鳥居をくぐって参道を進む。寺の入り口には仁王の代わりに狛犬が配してある。本堂は左に進むが、まっすぐ行くと稲荷神社となる。
 本堂には、新しい華麗な十一面観音が安置されていた。本堂や稲荷神社のそばにはサザンカが咲いていて、カメラを向ける人も多い。
 次の42番・仏木寺までの間はコスモス街道で、車道と歩道を区切る花壇は地元の子どもたちがコスモスを植え、道沿いにはコスモス畑もたくさんある。2年前に歩いた時は、ちょうど良い記事にあたり、感激した。ところが今回は、バスで高速道路を走った際に見ても、全く咲いていない。このため、歩くことはあきらめて、バス移動することを参加者に告げていた。
 龍光寺のお参りをすませ、バスに戻る途中、山門の菓子屋でお茶のお接待をしてもらった。店の女性に話しかけると、大阪の豊中に住んでいて、10年前に移ってきたのだという。「大阪はいいねえ」と、懐かしがっていた。
 バスまでの間、女性のお遍路さんと話しながら歩いた。徳島に住んでいて、実家が宇和島で、帰ってくると、このあたりを歩くのだという。コスモスのことを聞くと、「今年は育ちが悪く、かなり移植もしたが、咲かずに枯れた」と教えられた。この言葉で、歩くあきらめがついた。


      ↑龍光寺の狛犬


【42番・仏木寺】
 仏木寺へバスで向かう。道に沿った畑に、コスモスない。「やっぱり」と思っていたら、道路の花壇には咲いていた。2年前の半分ほどではあったが、とりあえず咲いている。バスを停め、寺への300〜400メートルを歩き、何とか今回の予定だった観光とちっと歩きの格好がついた。
 仏木寺の境内では、地域の人がお接待をしていた。お茶をいただき、手作りの栗ようかんもいただいた。また、さい銭入れやコースターといった手作りの布製品も置いてあり、さい銭袋をもらうことにした。毎週のように、土曜、日曜にお接待をしているそうだ。メンバーの1人の男性は「12月に先達になる。先達になったら、まず歩いて回ってみたい」と楽しみにしていた。


      ↑コスモス街道


      ↑仏木寺の境内のお接待


【40番・観自在寺】
 昼食場所との関係もあり、40番・観自在寺に戻った。境内には、「開創1200年」ののぼりや看板がまだきれいなまま残っている。大師堂は戸が少しだけ開いていて、そこに大師像が安置してある。サザンカも咲いていたが、ツワブキが黄色い花をたくさんつけて、寺を飾っていた。
 

      ↑細いすき間から弘法大師が迎えてくれる


【昼食】
 もう1度、宇和島駅の近くまで戻り、「かどや」へ。お目当ては、タイ飯。これを食べるために参加している人もいる。宇和島のタイ飯は、タイの刺し身を使う。熱いしょうゆのだし汁が器に入って出てくる。だし汁に卵、海藻、刺し身を入れ、しばらく置いてなじませ、それをご飯の上に乗せ、だし汁もかけて食べる。タイ飯というと、タイの釜飯のようなものを想像する人が多いので、料理が出てくるまでは名前だけ知らせ、中身は明かさなかった。この作戦は当たり、予想外の食べ物を喜んでいた。
 帰りは石鎚山ハイウェイオアシス、吉野川ハイウェイオアシス、淡路島ハイウェイオアシスと、3カ所のオアシスで休憩した。



      ↑タイ飯にジャコ天、福麺がついていた


――――――――――――――――――――――――――――――――――――


   ◆第9回(44番・大宝寺〜47番・八坂寺)
     =2014年12月5日〜6日


 寒波の襲来で雪に出会い、ブルブル震えながらの遍路となった。目的地は愛媛県なので、思いもしない事態だった。今回の参加は16人。いつもながら、家族旅行の延長のような旅だったが、ドタバタした2日間でもあった。
【淡路島ハイウェイオアシス】
 午前8時に毎日新聞大阪本社を出発した。「寒いねえ」が、再会の最初の言葉だった。ダウンのジャンパーを着ている人が多い。寒さは覚悟しての参加だった。ただし、雪は想定外だった。
 いつもの通り、淡路島ハイウェイオアシスで最初の休憩をとった。建物の裏の庭「花の谷」に出ると、植物の手入れをしている人がいた。ラベンダーセージを根本から切っている。すると、これまでは隠れていて見えなかったスイセンが姿を現した。中には花をつけているものもある。冬の訪れの1つの光景だと、感じる瞬間ではあったが、この時点でも雪の予感など、さらさらなかった。 
 花の手入れをしている人と、少し話をする。「冬は花がなくてねえ」と、申し訳なさそうに言う。「建物の表に、ユリオプスデイジーが咲いているから、それでも見て行って。この花は寒さに強いから」。その言葉に従って見に行くと、ユリオプスデイジーは列を作って植えてあり、黄色い花が咲き誇っていた。


      ↑ラベンダーセージからスイセンへ


【昼食】
 バスは淡路島の高速道路を走る。天気がいいので、海の色は青い。周りの山のモミジの紅葉は終わっていて、ハゼの赤い葉が目につくくらい。すでに秋は終わっていた。ここまでは、晩秋から初冬の時期の、のんびりとした遍路の旅だった。
 1本の電話から、遍路旅は一変した。電話は徳島県三好市池田町の昼食場所から、添乗員にかかった。「大丈夫ですか?」と聞く。
 添乗員は何が大丈夫なのか、ピンとこなかった。店によると、雪が降っていて雷も鳴っている。高速道路は、徳島道の池田インターから川之江インターまで区間が、通行禁止になっている。高速に変わる一般道は、雪で渋滞している。そんな状況で店に来られるか、という確認電話だった。
 これは大変なことになった。淡路島を渡ると、徳島道に入って、昼食場所を目指す予定だった。その店で予定通り昼食をとれば、渋滞の一般道を通る以外にない。さて、困った。
 まず決めたのは、徳島道を避け、高松道を選ぶことだった。予定していた店に断りを入れた。次は松道を走りながら、昼食場所を探すことだった。運転手、添乗員、私を含めると19人の団体で、さらにバスが留められる店でなければならない。「地元のものを食べる」とうたった遍路なので、そのコンセプトも崩したくない。いくつかの店に電話を入れたが、急なことなので対応できないといって断られてしまった。結局、次回以降の行程に組み込んでいた香川県丸亀市の「一鶴」に決めた。
  一鶴の名物は骨付鳥だ。骨付鳥は鶏の骨付きのもも肉を使い、スパイスをきかせてローストしてある。「親どり」と「ひなどり」があり、親どりを頼むと、肉がしっかりしていて、かぶりつかないと食べられない。昼食場所が決まれば、名物を口にし、前を流れる青空の下の土器川を見て、ノンビリしたものだった。雪のことなど、よそごとの感があった。


      ↑昼食は急きょ、骨付鳥に


      ↑一鶴の前の土器川
  
  

【砥部焼き陶芸館】
松山インターで高速道路を下り、久万高原町を目指す。途中で砥部焼きの里を通るので、展示販売の陶芸館に寄った。さすが砥部焼きの施設。別棟になっているトイレの外壁も、中の手洗いの器も砥部焼きだった。また、そこへ向かう道筋にも砥部焼きの大きなタイルが配してあった。店内では、四国霊場開創1200年記念の砥部焼きグッズも売っていた。こんなところまで開創の記念の年は影響を与えていた。


      ↑砥部焼きの開創1200年記念グッズも置いてあった
 
 

【44番・大宝寺】
 久万高原町は標高が700メートルと高い。数年前から新しい道路ができ、随分と楽になった。バスは坂をゆっくり登って行き、トンネルに入った、トンネルを出たとたん、山は雪景色に変わった。運転手の大変さをよそに、右の窓、左の窓へと移りながら、カメラのシャッターを押す。ただし、この時点では山はまだ薄化粧だった。
 最初の参拝は大宝寺だった。実は、2日目の行程に組み込んでいた。しかし、雪景色を見て、1日目に繰り上げた。1日目の夜のうちに、雪がさらに降って、動きづらくなるかもしれないからだった。
 寺に着く前に、名物の「おくま饅頭」を買った。餡だけを固めたまんじゅうだが、上品な甘みで人気がある。みんなで食べたのは大宝寺のお参りをすませてからだった。  大宝寺は雪の中にあった。山門まで少し歩く。土産物屋の女性が「寒いですねえ」と声をかけてくれる。山門の前の石段には雪が積もり、参加者の1人が滑って尻餅をついた。大事にならなくて、ホッとした。  本堂の前の広場には、雪はなかった。イチョウの葉が散っていて、雪と雨で地面にへばりついていた。そこから石段で本堂に向かう。石段も本堂もその周りも薄い雪の層ができていて、イチョウの黄色と雪の白の対比がいい。本堂の周りの石仏や、ブロンズの観音像も雪を身にまとっていた。トンネルを抜けた直後の雪はまだ序の口で、ここまで来ると、厳冬の景色に変わっていた。
 バスに帰るために寺から下りて行くと、さきほどの土産物屋の女性が待っていて、お茶のお接待をしてくれた。今度はこちらから「雪だね」と声をかけると、「山だから毎年ね」と、言葉が帰ってきた。


      ↑イチョウの葉と雪のコントラストを見せる大宝寺


      ↑雪を被った石仏


【44番岩屋寺】
 この日に参拝する寺を増やしたので、行程に余裕がなくなり、岩屋寺へ急ぐ。寺へは駐車場から15分ほど歩いて登っていく。雪は積もっているだけではなく、降ってもきた。このため、参加者の2人は、バスで待つことになった。
 本堂まで上がると、大宝寺よりも雪は多かった。特に大師堂の周りの木の枝は雪でたわみ、それを手前にして大師堂の写真を撮れば、どう見ても雪に覆われた山の寺ということになる。日没が近づき、大師堂のとうろうに火が入り、雪のライトアップとなった。お参りをすませると、暗くなった参道を下りていった。ますます寒くなる。


      ↑雪に『包まれたような大師堂


      ↑夕方で暗くなり、あかりがつき始めた境内


【古岩屋荘】
 宿の国民宿舎、古岩屋荘は、バスで10分弱の場所にある。ここを選んだのは、周りがモミジの名所で、12月に入ってはいるが、あわよくば紅葉が残っているのではないか、と考えたからだった。紅葉は全くなく、その代わりに雪が木を染めていた。
 宿に入り、テレビを見て驚いた。雪のため、愛媛県四国中央市で何十台もの車が立ち往生したニュースを流していたのだ。予定していた昼食場所に行っていれば、これに巻き込まれていた可能性が高い。わざわざ電話連絡してくれ、キャンセルも受けてくれた店に感謝した。
 楽しみの夕食は、イノシシ肉の陶板焼きがメーン料理だった。山魚の甘露煮がサブでついて、山の宿らしさを出していた。あとは、ブリ、サーモン、イカの刺し身、野菜の天ぷら、魚の南蛮漬け、玉子豆腐、煮物、酢の物などと、量は多かった。
 夕食の後、6人か1つの部屋に集まり、話しながら少し酒を飲んだ。人数がいて、暖房の温度を高めたが、あまり部屋が暖かくならない。それほど冷え込んだということだった。寒くて寝られなかったと話す人もいたほどだ。


      ↑古岩屋荘の夕食


【46番・浄瑠璃寺】
 翌朝、道路の雪はアイスバーン状態になっていた。古岩屋荘の周りの散策も組み込んでいたが、雪で滑るので中止し、早めに久万高原から松山市方面に下りて行った。天気は良いので、雪の山は美しい。


      ↑朝の古岩屋荘の周辺の雪景色


      ↑松山に下る道から見た雪景色

 バスはスタッドレスタイヤを装着していたが、そうではない車も多いようで、事故を起こしたり、田に落ちている車があったりして、パトカーや救急車が何台も出動していた。片側通行などの規制もあり、前日に大宝寺の参拝をすませておいて良かったっと胸をなで下ろした。


      ↑雪による事故現場を3カ所も見た

 高原から下りてくると、雪は全くなかった。浄瑠璃寺は大師堂に結縁のひもがあって、大師像と結ばれている。大師像もよく見えるように安置してあった。
 境内には樹齢1000年のイブキがあって、お参りするたびに触れて、その力をもらう。ハス畑は冬枯れの姿に変わっていたが、その風情がまたいい。


      ↑大師堂の結縁のひも


      ↑ハス池の冬景色


【47番・八坂寺】
 浄瑠璃寺から八坂寺までは、今回の「ちょっと歩き遍路」。わずか15分ほどだが、手袋をはめて歩いた。柿の収穫をしている。天気が良いので、柿色、山の緑、空の青がパステル画のように感じる。


      ↑遍路道の近くに柿の木が
 八坂寺の本堂に入ると、開創200年を記念して行われた「お大師様と歩む四国遍路 練行衆」で使われた大師像と、それを背中に背負うための背負子が置いてあった。一緒に、その時の写真も展示してあった。また、八坂寺独自の1200年グッズも販売していて、開創記念の年を意識した寺だった。


      ↑大師堂の御手綱


【内子】
 今回のお参りは47番まで。四国の良さを「満喫」してもらう寄り道に今回選んだのは、江戸時代に蝋の産業で反映した内子の古い町並みだった。まず訪れたのは、道の駅「フレッシュパークからり」。地元の野菜や果物を売っていて、地元の客も多い。柿をたくさん売っていたので驚いた。安いので、参加した女性メンバーが物色しては買っていた。



      ↑内子座
 買い物はバスに置き、内子の街並みを散策。大正時代にできた内子座を見て、古い建物を見ながら歩いていく。スタジオジブリのメンバーが、研修で内子を描いた作品を展示している施設もあった。
 昼食は明治時代の建物、下芳賀邸(しもはがてい)で食べた。「野遊び弁当」と名づけられた料理で、ダイコン、サトイモ、ニンジン、コンニャク、ブロッコリーの煮物、サケの切り身の焼きもの、エビ、サツマイモ、シシトウなどの天ぷら、酢の物、おにぎりに、そばがついていた。古い建物に合う落ち着いた料理だった。BR>

      ↑野遊び弁当はこれにそばがついた

 食後、さらに歩く。本芳賀邸の華麗なしっくい装飾を見て、上芳賀邸へ。ここは建物に入ると有料だが、庭を見せてもらうことができた。そのうえ、施設の女性がハゼから蝋を作る工程などを説明してくれた。和ろうそくを作るのが主目的ではなく、さらに精製をして白い蝋にし、それが化粧品などさまざまに使われたのだと教えられた。


      ↑上芳賀邸では説明もしてもらった

 内子から高速道路に乗って、帰路についた。前日通行止めになっていた徳島道は開通していたが、50キロ規制がかかっている。安全のため、時間は余分にかかるが、香川道を選んだ。最後まで雪がつきまとった遍路だった。



●●「ちょっと歩き四国遍路・開創1200年満喫編」の第9回は、2015年2月6日(金)〜7日(土)です。参拝は48番西林寺から53番円明寺まで。松山市の道後温泉で宿泊し、周辺の散策も組み込んでいます。問い合わせは毎日新聞旅行(06−6346−8800)。


>