小豆島遍路と洞窟霊場の魅力



              梶川伸・大阪経済法科大学客員教授

              洞窟環境NET学会紀要・第1巻第1号

                      (2010年3月31日発行)

                  

1.はじめに
 
 小豆島八十八カ所霊場(香川県)は、本場の四国八十八カ所(以下、本四国と呼ぶ)を模したものだ。ミニ八十八カ所とも言える。しかし、ミニとはいっても、約150キロの距離がある。毎年2月や3月になると、白装束姿のお遍路さんが訪れ、小豆島に春を告げる。小豆島霊場会(以下、霊場会と表す)によると、年間の参拝客は3万人前後という。
 遍路とは、空海(弘法大師、774〜835)にゆかりがあるとされる四国の八十八カ寺を巡拝するものだ。本四国はいま、歴史上最大のブームの中にある。旅行会社のツアーバスが大勢の客を運び込んでいる。歩き遍路も大幅に増えた。 小豆島八十八カ所はどうか。本四国と同じ傾向になく、むしろ漸減傾向にあるようだ。小豆島遍路は魅力を失ったのだろうか。
 本四国を模したものは、一般的には「新四国」と呼ばれる。小豆島八十八カ所もその一つだ。本四国のミニ版である以上、道のり約1400キロの本四国よりも吸引力が低いのは当然だろう。一方で、本四国にはない特徴もある。小豆島の霊場は、山岳宗教の色彩が濃く、洞窟の中の札所もある。それが魅力でもある。この稿では、小豆島八十八カ所の現状をとらえながら、洞窟がお遍路さんを呼び込む力にならないかどうかを考えてみる。
 「遍路」という言葉は、「巡拝すること」と「巡拝する人」の両方に使われる。混乱を避けるため、ここでは巡拝することを「遍路」、巡拝する人を「お遍路さん」と表記することにする。なお、「遍路」は四国八十八カ所の文化をさすこともある。
 
2.小豆島八十八カ所の成り立ち

 本四国が定着したのは、16世紀とみるのが一般的だ。修行僧だけでなく、一般の人々が回るようになっていく時期だ。
 江戸時代になると、本四国はルートも確定する。信仰や習俗としての四国遍路が、民衆の間に定着したといえる。また、江戸時代は一種の旅行ブームの時期で、四国遍路も金比羅参りとともに、庶民の楽しみになっていったと推定できる。
 しかし、遠方から四国へ行くには、費用と時間がかかる。そこで、身近な所に本四国のミニチュア版ができ、信仰を集めるようになる。それが新四国である。本場に近い瀬戸内海の島では、連鎖反応的に誕生していく。このような新四国を「島四国」と呼ぶ。 島四国の代表が小豆島八十八カ所である。霊場会によると、小豆島八十八カ所が整備され、開かれたのは1686年(貞享3年)とされる。本四国の定着から1世紀ほどの時期にあたる。
 島四国の例をいくつか挙げてみる。岡山県笠岡市の神島八十八カ所は、29キロの道程である。当初は島四国だったが、現在は干拓によって地続きになっている。神島の住人が四国にわたり、各札所の土を持ち帰り、1740年(元文5年)から1744年(延享元年)にかけて整備した。
 愛媛県今治市の大島准四国霊場は1807年(文化4年)に開創された。道程は約60キロある。神島、大島ともにいまでも参拝客は多い。しかし、小豆島八十八は歴史も参拝者数も、島四国の中では群を抜いている。
 島四国以外の新四国とも比較するため、近畿の古い八十八カ所も挙げてみる。京都府福知山市の夜久野八十八カ所の開創は1816年(文化13年)とされる。京都市の仁和寺の裏山をめぐる御室八十八カ所は1827年(文政10年)。和歌山県紀の川市の百合山新四国八十八カ所は1857年(安政4年)。奈良県宇陀市の平井八十八ヶ所は嘉永・安政のころ(1848〜1860年)とされる。これらの成立年代を見ても、小豆島八十八カ所の歴史の古さがわかる。
 
 3.小豆島遍路の概要

 本四国の一番札所は、徳島県鳴門市の霊山寺に設定されている(札所の数字として洋数字はなじまないので、漢数字表記とする)。四国全体の中では東からやや北の地点がスタートとなる。そこから四国を時計回りに進む。徳島県、高知県、愛媛県と札所の番数が上がり、香川県さぬき市の八十八大窪寺でしめくくる。
 小豆島八十八カ所は島全体の中では南東部に一番札所が設けられている。そこから時計回りに島を一周する。本四国の二十三番最御崎寺にあたる位置が、小豆島の一番札所にあたると考えると、全体像が想像しやすい。
 小豆島の遍路道は海岸沿いを行きながら、島中央部の山間地域へも入っていく。距離が約150キロなので、歩いた場合は7泊8日が普通だ。バスやマイクロバスを使う団体遍路の場合は3泊4日か、4泊5日となる。大幅に所要時間が減らないのは、各札所で般若心経を唱えるなどの作法をするとそれなりの時間がかかり、バスで入ることができない札所もあるためだ。
 私は過去2回、小豆島遍路を体験した。1度目は1997年。高松市に住んでいて、船で1時間ほどかけて小豆島へ渡り、日帰りを重ねて、徒歩で巡拝した。往復の時間がかかるうえ、寄り道もしたので計8日を要した。
 2度目は2004年だった。毎日新聞旅行の小豆島遍路ツアーの案内人として回った。大阪市を出発点としたバスツアーで、フェリーを使って小豆島へ行く。島内では徒歩を基本としたが、札所と札所の間が遠い場合はバス移動も交えた。1回の遍路は1泊2日で、計5回(10日間)で1周した。
 このように何回かに分けて参ることを、「区切り打ち」という。これに対して、1度に回りきる参拝方法を「通し打ち」という。私の2度の巡拝は、いずれも区切り打ちで、通し打ちよりは日数がかかっている。
 霊場会によると、小豆島遍路は春が中心だ。1月21日に島開きの行事があり、それ以降、4月までに回る人が多いという。特に講などの団体は、マイクロバスを仕立てて、この時期に訪れるという。

 4.札所の特徴

 本四国の場合、札所はすべて寺である。小豆島では、すべての札所が寺ではない。地域の人たちが世話をしている建物、石仏だけを納めた小さな堂、洞窟を活用した札所などがある。参拝者は札所で、納経帳などに朱印を押してもらう人が多い。無人の札所については、寺がまとめて朱印を押すことになっている。
 霊場会は、札所を寺院、庵、山岳霊場に分類している。山岳霊場は、文字通り山岳地帯にある札所や、洞窟の中にある札所、洞窟と建物をセットにしたような札所である。霊場会の山岳霊場の分類は独特である。六十番江洞窟は山岳霊場と分類されているが、実際には海辺にある。洞窟という共通性で、山岳霊場に組み込まれているのだろう。霊場会の分類によると、寺院26カ所、庵50カ所、山岳霊場12カ所となる。
 本四国では、山間部の札所はいくつもある。最も高い場所にあるのは六十六番雲辺寺で、標高は約900メートルである。小豆島の場合、最も高いのは約500メートルの十四番清瀧山なので、山岳のスケールは本四国に劣る。それでも小豆島八十八カ所は、山岳宗教の色彩を漂わせる。それは、洞窟を活用した札所、霊場が多いからだろう
 本四国の場合、洞窟を活用した札所は、七十一番弥谷寺一つである。本堂が岩山に取り囲まれたように建っている。参拝者のほとんどは、本堂で般若心経を唱えたあと、岩壁に密着したような奥之院に参るので、洞窟の霊場と言ってさしつかえないだろう。別格二十カ所の札所に広げても、別格三番慈眼寺の本堂のわきに、修行の場としての洞窟「穴禅定(あなぜんじょう)」があるくらいだ。また、先に挙げた大島、神島の島四国と比べても、小豆島の洞窟の存在感が際立つ。

 5.山岳霊場の概要

 ここでは、私の体験も含めながら、小豆島の山岳霊場を洞窟に視点を当てながら見てみる。(情景描写は、私が参拝した時のものである)
 【一番洞雲山】けわしい崖の下のインパクトの強い霊場。大師堂は崖にへばり付いて建っている。石段を登ると、ちょっとした建物があり、そこから洞窟に入っていく。石段を上り、奥深くはないのだが、それでも太陽が届かなくなりそうな場所に、六角形の堂があり、中に毘沙門天が安置されている。ロウソクの明かりが怪しい雰囲気を醸し出し、岩壁がごつごつして不気味だ。その中で僧が護摩修法をし、密教の持つ神秘性を強く漂わせている。
 【二番碁石山】本堂を入ると、広い洞窟になる。洞窟の中で世話をしている人は、「手を入れていないのは、ここだけ」と話した。洞窟をそのまま活用しているという意味だ。本尊は浪切不動明王。僧が護摩をたき、護摩木に書かれた人の名前を読み上げると、洞窟の中に響く。洞窟の中には石仏がいくつも安置されている。役の行者の像もある。役の行者は、役小角(えんのおずぬ)のことで、修験道の開祖と伝えられる。修験道は山岳修行に重きを置き、この札所もその雰囲気を伝える。

↓写真=洞窟には役行者もまつられている


 【十四番清滝山】自動車道から急坂の山道に入っていく。「遍路道」と書かれた小さな札が木にさげてある。遍路コースの中で、最も高い場所に登っていき、札所の標高は約500メートル。切り立った岩肌にくっついて建物がある。さらに石段があり、洞窟の中に参拝所が設けられている。その横に、さらに洞窟の中に向かう道がついている。じゅうたんが敷いてあり、靴を脱いで歩く。その先が本堂で、本尊は地蔵菩薩と不動明王。僧が不動の修法をしてくれる。天井一面にとうろうがつるしてある。灯明のせいで、洞窟の中は黒くすすけている。
 【十八番石門洞】奇岩を間近に見ながら、山道を登る。岩には幟岩、ほら貝岩、二見岩、大亀岩といった名前がついている。わらぶきの鐘楼があり、いかにも山の中の札所らしい。石段を登っていくと開き戸があり、洞窟の中へ入る。サルが入るので、扉を閉めるように注意書きがある。鉄のてすりのついた階段をさらに登る。2階が本堂になっていて、勝軍地蔵菩薩の石仏が安置されている。参拝者が1円玉を岩に張りつけている。洞窟を出て、裏側に回って初めて石門の意味を分かる。岩がアーチのようになっていて、その下を通れるようになっているのだ。

↓写真=岩山に組み込まれた石門洞の建物


 【二十番佛ヶ滝】半世紀近く小豆島を回っている人に出会い、話しを聞くと、この札所は、昔は別の場所にあり、建物の本堂があったそうだ。ところが本堂部分に道路を造ることになり、現在の洞窟霊場にしたという。まだ歴史が浅いためか、洞窟の中はそれほどすすけていない。真ん中に、石柱があり、小さな不動明王の像が取り付けてある。五鈷杵が置いてあり、山岳仏教を演出している。洞窟の壁は白と黒の岩肌で、荒く削ってある。薬師如来が本尊で、岩に立ち、天蓋の飾りをつけている。参拝者のために、木魚をたたいてくれる人がいる。
 【四十一番佛谷山】標高約400メートルの山にある。本堂は岩の洞窟の中。護摩をたくので、岩肌は煙のためにまっ黒に変色している。岩を削ってスペースをつくり、ロウソクが立ててある。本尊は薬師如来。私が1度目に訪れた時は、日曜日のせいか参拝客が多く、僧が護摩木に書かれた参拝客の名前を呼びながら、火にくべていた。
 【四十二番西の瀧】遍路道を行くと、黒いゴツゴツとした岩肌の道に出る。その延長上に札所があり、すすけたような黒い岩肌にへばりついている。本堂は石段の上にある建物で、本尊は十一面観音。洞窟霊場とまではいかないが、山岳霊場の趣きを十分に備えている。
 【四十四番湯舟山】千枚田を見下ろす場所にある。枯れた感じの本堂が、木々に被われているが、洞窟内ではない。本尊は千手千眼観音。日本の名水百選の湧き水が境内にある。
 【四十七番栂尾山】ウバメガシの山道の視界が開けると、右手に白っぽい岩壁。窪みがあって洞窟が続き、そこが霊場になっている。入り口にはちょっとした木の屋根がついていて、格子戸を開けて洞窟に入る。天井は2値召蠅旅發気如⊂し圧迫感がある。下には、小石が敷きつめてある。一番奥に、屋根のついた社のような厨子が安置されている。本尊は十一面観音。近くには秋葉大権現がまつられ、水行道場もあり、修験の道場としての雰囲気に包まれている。

↓写真=洞窟の中の霊場


 【四十八番毘沙門堂】木立に囲まれたさびれた堂。洞窟ではない。本尊は毘沙門天で、本四国の札所の本草にはない。
 【六十番江洞窟】この札所は山岳霊場に分類されてはいるが、海岸の絶壁につくられている。鳥居をくぐると、巨大な岩の壁に洞窟があり、入り口はコンクリートで造っている。中はまっ黒。入口のスイッチを押すと、蛍光灯がつく。本尊は弁才天で、これも本四国の札所の本尊にはない。隣に大師堂の小さな洞窟がある。
 【八十一番恵門の瀧】急な坂道を登っていく。次に長い石段を登る。山門や唐風の門などをくぐり、さらに登っていく。最後は鉄の鎖を持って、岩肌を登っていく。岩肌に、赤い建物がへばりついている。ガラス戸を開けて中に入ると、岩をくり抜いた霊場になっている。標高は300値召蝓F況△琉貳岷に、不動明王の仏像があり、その前が広場になっていて、護摩をたく場になっている。

↓写真=恵門の瀧は洞窟と建物がセット


 小豆島遍路の参拝ルートには、正式の札所以外に、奥之院といわれる霊場がある。小豆島霊場会は、4カ所を案内書に載せている。山岳霊場が2カ所、庵が2カ所だ。奥の院の山岳霊場の概要は、次の通りである。
 【三番観音寺の奥之院・隼山】崖の下の札所で、海との間の狭いスペースに山門や庫裏が配置してある。崖はほぼ垂直で、岩肌はザラザラしている。寺の人の話によると、1999年8月11日に大きな岩が3つ落ち、それ以降は行政からここでの参拝を禁じられ、すぐ下の建物でお参りするのだという。本尊は聖観音。岩壁にへばりついてはいるが、洞窟霊場ではない。
 【七十二番滝湖寺の奥之院・笠ケ滝】石段を登り、さらに2段になった鎖場をよじ登る。次に岩場に打ち込んだコの字型の鉄を、はしご代わりにして堂まで登る。洞窟の中が霊場になっていて、外側に建物がはりついている。標高は約350メートル。にじり口のような小さな入口から中に入る。岩に仏像がたくさんはめ込んである。冷たい水が自由に飲めるようになっている。本尊は不動明王。
 以上、見てきたように、小豆島霊場会が分類した山岳霊場14カ所のうち、洞窟霊場といえるのは10カ所である。札所全体の1割強で、小豆島遍路の大きな特徴であるといってよいだろう。

↓写真=洞窟への入り口



 6.小豆島遍路の現状

 霊場会によると、年間のお遍路さんは約3万人だが、30年ほど前は5〜6万人だったという。感覚でしかないが、それが正しいとすると半減に近い。しかも、漸減傾向は続いていると話す。
 その理由について、小豆島は参拝客の固定化と高齢化を挙げ、次のように分析する。 「小豆島遍路は、団体で回る人が多い。30年くらい前は、講のようなものが300団体くらいあった。霊場会公認の団体の中には800人や2000人というメンバーを抱えているところもあり、400人ずつ3陣に分かれて連続で来ることもあった。鳥取県米子市、兵庫県全域、岡山県津山市、福井県鯖江市、小浜市、敦賀市などに団体が多い。(1月21日の島開き以降)農作業のない冬の時期には日本海側から来る。暖かくなるに従って瀬戸内側へ移る。女の人が多かった。30代、40代、50代の人がいてバランスがとれていたが、高齢化、核家族化の影響で、それが崩れてきた。4泊5日の行程を短くして1泊2日、2泊3日にする団体も増えた。また講が崩れ、講の有志がマイカーやグループで来るようになった。日帰りも増えた。40軒あった遍路宿は12軒に減った」
 私が1997年に回った時、十一番観音堂で遍路用品などを販売している年配の女性の話を聞いた。その時点で、57年間この札所に通い、店を出して40年の経歴の持ち主だった。お遍路さんの移り変わりについて語った話を紹介する。霊場会の分析と似たところがある。
 「不景気になって、お遍路さんが通わなくなってきた。去年は4割、今年は3割ほどの人。65歳以上の人ばかり。その人たちが死んでいくので、ますます少なくなる。相撲が始まったら来んようになる。若い人は少ない。昔は鳥取では、小豆島遍路をしていないと、嫁のもらい手がない、と言われとった。2月は団体が多い。3月も多い。4月は3日まで。4日がきたら少なくなる。秋は名古屋からが多い。個人は少ない。歩く人は100人に1人」
 小豆島のお遍路さんの傾向が、本四国と連動しているかというと、そうではない。霊場会が示した30年の間に、本四国のお遍路さんの数は圧倒的に増えている。最大の理由は、本四架橋3ルートの完成だろう。車での参拝が容易になり、旅行会社はバス遍路ツアーを大幅に増やした。また、ここ10年で、歩き遍路の増加が顕著だ。一番霊山寺は、歩き遍路の心得を聞いて出発した人が名前や住所を書き込むノートを置いている。記帳した人が歩き終わったかどうかはわからないが、少なくとも歩き始めた人の数はかなり程度は把握できる。そのノートによると、▽1990年=240人▽95年=450人▽2000年=1700人▽05年=4516人。2000年ごろから爆発的なブームになっていることがわかる。
 小豆島は本四国と比べ、交通の不便さが一つのネックになっていることは間違いない。私がツアーの案内人で行った時は、兵庫県・姫路港から小豆島・福田港に渡るか、岡山県・日生港から小豆島・大部港へのルートを使った。いずれにしても、フェリーに乗っている時間が長いが、これは地勢上やむをえないことだろう。
 
 7.小豆島遍路の今後と洞窟の吸引力

 お遍路さんの減少に、霊場会は手をこまねいているわけではない。参拝団体の多い地区を僧らが回り、団体長らに働きかけている。お遍路さんを増やそうとするならば、団体だけでなく、旅行会社、定年を迎えた団塊の世代、若者層などへのPR活動は必要だろう。
 その際、小豆島八十八カ所の特徴をアピールすることが重要なる。それは山岳宗教の雰囲気であり、洞窟霊場の特異さではないか。
 私は四国八十八カ所の先達として、ツアーの案内人を務めている。満願になった時、どこが印象に残ったかを聞くことがある。答にはよく二つの場所が出てくる。一つは別格三番慈眼寺の穴禅定だ。長さ100メートルほどの洞窟に入っていく。非常に狭く、案内をする先達の言う通りに体を動かさないと、通ることができない。洞窟の特異な雰囲気が印象に残るのだろ。
 もう一つは、十一番藤井寺から十二番焼山寺に登る山道だ。12.9キロの行程で、登って下りてを繰り返すので、登りばかりを合計すると、標高差は1000メートルを超える。厳しい道なので、「遍路ころがし(転がし)」の名前がある。ここは、苦しい山道が強い印象を植え付けると想像できる。
 小豆島八十八カ所の中には、10カ所の洞窟霊場がある。穴禅定ほどのスケールと狭さはないが、修験道や密教の神秘的なたたずまいを見せるところもあり、印象に残る札所になる可能性が高い。洞窟霊場は吸引力を持ちうる。
笠ケ滝は、洞窟の中に若者に人気のスポットがある。石に丸い穴が開いている場所だ。穴は自然にできたもので、体がやっと通るくらいの大きさである。この穴をくぐると、幸せになれるそうで、私が訪ねた時も、幸せ祈願の若い女性に出会った。この幸せ祈願は、若い人たちが勝手に広めたもののようだ。洞窟や狭さの体験を喜ぶのは、穴禅定に通じるものがある。
 山岳宗教の雰囲気も、人をひきつける要素ではないだろうか。それは本四国の遍路ころがしが人気を集めていることでも分かる。恵門の瀧と笠ケ滝は鎖場もある。距離は短いが、岩登りの擬似体験ができる。これらも遍路の魅力としてアピールできる。
 時代背景も悪くない。小豆島八十八カ所は、どうしても歩かなければ行きつかない札所がいくつもある。健康ブーム、ウオーキングブームに乗ることが可能である。奈良・興福寺の阿修羅の東京での展覧会に大勢の人が押しかけた。歴史好きの女性を示す「歴女」という言葉も生まれた。歴史や仏像もブームである。洞窟の神秘性や面白さを売り出し、これらのブームを取り込んでいけば、小豆島遍路の活性化も決して難しいことではないと考える。
 
参考文献
 小豆島霊場会「小豆島八十八ヶ所巡拝案内書 遍路」(1992年)
 笠岡市のパンフレット「神島八十八カ所めぐり」(2002年)
 吉海町観光協会のパンフレット「えひめおおしま島四国ガイド」(2007年)
 夜久野観光協会のパンフレット「夜久野八十八カ所石仏めぐり」(2002年)
 菟田野観光協会のパンフレット「平井八十八ヶ所霊場石佛」(2008年)


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