◆第13回(66番・雲辺寺〜70番・本山寺▽72番出釈迦寺〜73番・曼荼羅寺)
=2015年5月8日〜9日
この遍路旅のシリーズは、毎月第1金曜日、土曜日を基本にしている。5月は第1週にするとゴールデンウィークとぶつかる。混雑も車の渋滞も予想されたので、あえて第2週した。
今回は北海道から参加する女性が、久し振りに顔を見せた。2014年12月に参加して以来だという。旧交を暖める遍路旅でもあった。
季節や良し。天気も良し。バスは快適に梅田を出発した。期待に反して、天気の方は2日目が雨になったが、出発時点では思いもよらなかった。
【津田の松原サービスエリア】
いつも通りに、淡路島に渡って休憩。阪神高速の神戸線が渋滞が少なく、行程より早く淡路島に入った。ゴールデンウィーク明けだからだろう。淡路島ハイウェイオアシスで休憩するのが通常だが、オープン時刻の午前9時少し前に着いたので、サービスエリアにバスを止めた。
淡路島を抜け、四国に入って高松道を進む。道路の脇には黄花コスモスが咲き始めている。木はキリやフジなど紫色の花が目立つ。
津田の松原サービスエリアで休憩。建物の中をウロウロしていると、讃岐弁の一覧表が張ってあった。20年近く前に松に住んでいたので、「まんでがん」(全部)のように代表的な方言はわかるが、一覧表の言葉は知らないものがほとんどだった。
↑サービスエリアに張ってあった讃岐弁の一覧表
【昼食】
今回もお参りの前に昼食となった。選んだ場所は、香川県観音寺市の68番神恵院に近い「かなくま餅福田」。もともとは餅屋さんのようだが、今はうどん屋を営業している。
あらかじめ選んでいたメニューは、「あん餅うどん」。餅をうどんの上に乗せた力うどんの変形と思ってもらえばいいが、餅にあんこが入っているのが香川県らしいと言えば、そうとも言える。香川県の正月の雑煮は、白みそにあん餅という組み合わせ。知らない人はびっくりする。あん餅うどんは、それをヒントに考えたものだろう。
みそ仕立てではなくすまし。ただ、正月近くになると、白みそのとあん餅の用意されるが、この時期はすまししかない。
「昼食はなるべく地元のものを」が、この遍路旅のコンセプトになっている。だから、このメニューを選んだわけで、参加者の驚きぶりを見るのが楽しい。小ぶりだが、あん餅は2つ。そのほかに卵焼き、油揚げ、ワカメが少しずつ乗っている。
餅自身がおいしいし、あんも食べやすい甘さにおさえてある。それに、しょうゆと塩味が加味されて、案外おつな味になる。初めて食べて参加者の評判もまずますだった。
うどんに、おこわとおでん2つをセットにした。おこわは干しエビを使ったもので、これも珍しいし、人気がある。讃岐のうどん屋のおでんは、みそをつけて食べる。これも普通の人には珍しいかもしれない。
↑あん餅うどん、干しエビのおこわ、おでん
【68番・神恵院】
お参りの最初は68番神恵院。69番観音寺と同じ境内にある。
神恵院の本堂は新しい、エントランスがコンクリートの建物になっている。その中を通って段を上ると、本堂に前に出る。周りはコンクリートの壁で囲まれたような構造で、そこで般若心経を唱えると、エコーがきいて心地よい。
本堂の横から庭園に向かうツツジがたくさん剪定して配置されているが、まだ咲き始めだった。オオデマリが咲いていた。
大師堂に回る。ここには、御手綱が堂の中へと延びていた。堂の横の木に、セッコクが白い花を咲かせていた。
↑本堂へのエントランス
↑ツツジを配置した庭園
【69番・観音寺】
すぐ横の観音寺へ。境内の中央に大きなクスノキがある。根の周りがこぶのようになって地上に張り出している。観音寺にも、結縁の紐が取り付けてあった。境内の売店のそばに、オガタマの木があって、花をつけていた。香りが強い花だった。
↑大きなクスノキと本堂
↑回向柱が建てられ、御手綱がつけてある
【琴弾公園】
観音寺から山を少し登る。これも今回のちょっと歩きの一環。琴弾公園の巨大な寛永通宝の砂絵を上から見ることができる展望台に出る。天気が良く、海が青い。沖には、イリコの産地として知られる伊吹島が浮かんでいる。
↑海の青さと砂絵のコントラストが良い
【観音寺チャンスセンター】
寛永通宝の砂絵を見てバスに戻り、運転手さんに頼んでバスを街中へと走らせてもらった。目的地は観音寺チャンスセンター。宝くじ売り場である。
実は昨年、このチャンスセンターで、ロト7の8億円が1日に2本も出たそうだ。それ以来、砂絵にお願いをしてからこのセンターで宝くじを買うといい、というのがうわさになった。そこで遊び感覚で、参加者にたからくじを1枚ずつプレゼントするこにした。
参加者は女性外多く、年齢も高い。宝くじに縁のない人が多い。だから、1人たった1枚100円の宝くじでも、けっこう盛り上がった。1等は2000万円。
↑観音寺チャンスセンター
【66番・雲辺寺】
雲辺寺は標高900メートルで、四国霊場の中では1番高い場所にある。徳島県と香川県にまたがって寺はあり、本堂の所在地は徳島県だが、札所の参拝順では、香川県の涅槃の道場に組み込まれる。
雲辺寺へはロープウェイで行った。下の駅でロープウェイの時間待ちをしている間、自転車遍路の男性としがらく話した。千葉からだという。野宿ばかりだというので、ヘンロ小屋のことを話題に出すと、宿毛の小屋で泊まったといって、小屋を撮った写真を見せてくれた。
山上の駅に着くと、気温が16度と表示されていた。ロープウェイのガイドの女性が「下より7度低い」と話していた。ちょっとひんやりする。
本堂に向かって歩き始めると、徳島と香川の県境が地面に書いてあった。さらに行くと、五百羅漢の石像が並んでいる。おもしろい表情、形のもが多く、傑作なのは孫の手で背中をかいているポーズだ。
本堂が新しくなっている。中をのぞくと、新しい石仏の千手観音が安置してあった。本堂の横に、おたのみなす。なすのベンチがあって、それに座って願ごとをするとかなうとか。「宝くじがあたりますように、当たってもみんなにバレませんように」と冗談を飛ばす人もいた。
少し時間に余裕があったので、毘沙門天の展望台にも登った。雲辺寺には10回行っているが、展望台に登ったのは3回目だった。周囲が一望できるが、海の方はかすんでいた。ロープウェイの駅にいくと、気温は17度と1度上がっていた。
↑雲辺寺境内の県境
↑ユーモラスな五百羅漢
↑毘沙門天の展望台
【豊稔ダム】
毎回、四国の良い場所を行程に組み込んでいるが、今回加えたものの1つは豊稔ダムだった。雲辺寺の下の方にあり、宿に入る前に寄ることができるからだ。
コンクリートブロックの「マルチプルアーチ式ダム。大正15年に着工して、昭和4年に完成しいたと説明板にあった。建設費は51万9000円で、みんなが冗談で「宝くじの1等があたれば創ろう」と言ってはしゃいだ。
まずダムの上から見た。たまった水が緑色で、周囲の山の溶け込んで美しい。次にアーチを見ながら下り、下から眺め上げる。古くなって黒みを帯び、それが産業遺産のような貫禄を見せる。
↑豊稔ダム
【宿】
宿は、かんぽの宿観音寺。到着するころから雲行きが怪しくなった。
夕食のメーンは、イカの陶板焼き。刺し身は、サワラ、タイ。サワラは香川県の人が珍重する春の魚で、たたきも出た。エビの酸味のある料理、タイの荒だき。変わったところで、からしレンコンんを餅で包み、あんをかけたもの、タマネギの漬け物もあった。
ふろは温泉。母柿(はがみ)温泉という名前がついている。夜遅くに入った時には気づかなかったが、朝ぶろの時点では、雨になっていた。そう強い雨ではないので、宿の傘を借りて朝の散歩した。麦畑があり、茎も穂も金色になっている。もしばらくすると、本当の麦秋となるが、そうなると茶色くなり、金色の時期の方が美しいと思う。
宿の向けて帰る際、運動公園の中を通った。野球場に観音寺中央高校の選手が3人。雨の中の練習に自転車できたようだ。3人はバラバラの場所にいて、その前を通るたびに次々と帽子を取り、「おはようございます」とあいさつをしてくれた。四国では、あいさつをする子どもたちが多い。今回も細い道をバスでゆっくり走っていると、自転車から降りて、あいさつをしてくれた少年の2人組がいた。こちらが遍路バスだと分かったからかもしれないが、バスに向かってあいさつをするとは。
↑夕食
↑金色の麦畑
【67番・大興寺】
2日目のお参りは、雨の中で始まった。しかし、パラパラ程度なので助かった。
山門をくぐると、樹齢1200年のカヤと、大きなクスノキが迎えてくれる。大木に触れて力をもらい、石段を登っていく。石段の上を覆う青もみじも清々しい。本堂と大師堂の間に、三鈷松があり、縁起物として持ち帰り用に葉が置いてある。四国出身の女性がいて、この松葉について「赤ちゃんが生まれた時には赤いだんごをつけ、不幸があった時には、白いだんごをつける」と、土地の風習を語った。
庫裏への門の横にククロウのおりがあった。フクロウを眺めていると、寺の女性が庫裏の庭に入って見てもいい、と誘ってくれた。参加者がぞろぞろを庫裏への門をくぐった。庭がきれいに整備されていたのが、印象に残った。
↑樹齢1200年のカヤ
【70番・本山寺】
本山寺は山門で、本堂は国宝に指定されている。本堂は背が低く、横への広がりがに伸びやかで良い。鎌倉時代の建造で、黒くすすけたしとみ戸が安定感を与える。
五重塔は解体修理をするらしい。いたるところに、協力金を呼びかける看板が立っていた。境内には石仏が多く、赤い毛糸の帽子を被ってものもある。
↑五重塔
【フラワーパーク浦島】
本山寺に続いて71番・弥谷寺へと続く続くkはずだが、開創1200年の特別公開の大師像を見るため、先に訪れている。そのため、参拝の時間分だけ時間に余裕ができた。そこで、荘内半島に海のそばにあるフラワーパーク浦島を訪ねた。「ちょっと歩き」と「四国の良い所」を組み合わせた企画だった。
海に面した斜面のマーガレットが売り物となっている。現地に着くと、思ったほどの規模ではなかったが、一面の花畑の雰囲気はある。花はキンセンカと、白と淡いピンクの2種類のマーガレット。
小さなテントが設けられ、そこにいた女性に話をしてみた。そもそも、3つの小学校の体験学習で花を植えているのだという。だから、観光用ではない。花が咲いたあとは、和紙にすき込んだ「花和紙」を小学生に作らせる残りの花は日を決めて、有料で訪れた人に摘んだでもらう。それが翌日で、すでに駐車場が設けられていた。
↑薄いピンクのマーガレット畑
【昼食】
昼食は三豊市仁尾町の「海鮮夢太郎」。親が海産物の販売をし、息子が隣で食べ物屋をやっている。料理は和定食。ここでも、サワラが中心だった。サワラ、タイ、イカの刺し身、サワラのたたき、ゆでたエビ、クルミの佃煮、タコワサビが少しずつ乗った皿、エビ、サワラ、カボチャなどの天ぷらなど。
隣の海産物の店で土産を買う人がいた。私はワタリガニを2匹買って、持って帰った。
↑魚中心の昼ご飯
【73番・出釈迦寺】
出釈迦寺では、ほとんど雨は止んでいた。きれいに剪定された背の低い松林が参道に並んでいる。「七ヶ所まいり」の青いのぼりが立っている。雨の後なので、山がけぶっていて、幼い空海が飛び降りたと伝えれれる捨身ヶ嶽の堂がよく見えない。
↑参道の松の並木
【73番・曼荼羅寺】
出釈迦寺から歩いて下りてくる。寺の横にあった遍路宿が壊され、駐車場に変わっていた。
境内に入ると、ソラマメを1袋200円で売っていた。無人の販売所だが、ソラマメは珍しい気がする。大師堂には、御手綱がむすんであった。
↑境内にあったソラマメの無人販売所
【三谷製糖】
大阪への帰路、香川県・引田の三谷製糖を訪ねた。和三盆の製造・販売所になっている。このあたりから徳島県にかけて、サトウキビを栽培している。それを絞ってrつくるのが和三盆。大変上品な味がする。和三盆を固めただけにお菓子もある。時期に応じた形にし、この時期はあやめだった。試食用も用意してある、これおもアヤメに見立てていて、見た目も上品だった。
↑試食用も、アヤメを表現した上品はあしらいだった
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◆第14回(74番・甲山寺〜79番番・天皇寺)
=2015年6月5日〜6日
梅雨に入って早々の遍路で、雨は覚悟していた。その通り、1日目はお参りを始めてからずっと雨。そのお返しか、2日目は好天で、雨が空気中の汚れを流したのだろう、視界の良い遍路旅となった。今回の参加は14人だった
【昼食】
淡路島をバスで走る。まだ天気はもっている。しかし、東の空が不気味に見える。海に近い雲の間から薄日が漏れているが、朝日のような色合いに見える。中央分離帯にキョウチクトウが植えてある。赤と白だが、赤も濃い赤とやや柔らかい赤の2種類あり、結局は3種類の色のキョウチクトウが延々と続く。
四国に入って高松道を走る。途中の津田の松原サービスエリアで休憩をした。その際、参加メンバーの1人がバッグをトイレに忘れてしまった。再びバスが走り出して間もなく。それに気づいた。添乗員がサービスエリアに電話をかけると、落し物として届いていた。中には現金やカード類が入っていたそうで、いい人に拾われたものだ。忘れたのはトイレという密室。現金やカードだけ抜きとっても、気がつかれる可能性は少ないかもしれないのに。バッグは自宅に送ってもらうことになった。ちょっといい話だった。
昼食は香川県丸亀市の「茶芸館夢回廊」。住宅街にある民家を使った飲茶の店だ。とはいっても、住宅をあまり改造せずに使っているので、住宅そのものと言ってもいいくらいだ。おかゆと6種類のシュウマイが中心で、そのほかに小鉢がついていた。店内では、中国のシルク製品などを販売している。
店の主人に聞くと、もともと中国との貿易をしていたので、飲茶の店を開いたそうだ。遍路旅の参加者は商品を見ていたが、1人の女性が「安い」と言って、黒いシルクの服を買っていた。
↑夢回廊の昼食
【78番郷照寺】
今回の最初の参拝は、宇多津町の郷照寺だった。駐車場は寺から少し離れている。雨はついに降ってきた。強い降りではないので、簡単なカッパを着た。本格的なポンチョも持ってはいるが、暑い時期なので、それは家に置いてきた。それがやがて裏目に出る。
寺の下の店「地蔵餅」でだんごを買った。人気のある店で、午後になると売り切れていることもある。昼食のすぐあとなので、後でバスの中で食べることにした。
雨の中の参拝となった。本堂の軒下に身を寄せて、天井絵の下で般若心経を唱えた。本来なら、境内から下の眺めが良いのだが、少し煙っていて、見晴らしは悪い。大師堂に移動しても、雨脚は弱まらない。地下になっている観音堂に入って少し時間をつぶすが、効果はない。
境内には池を中心にした庭園があって、それを見に行くが、雨のため長居はできない。手前にサツキ、池の反対側にアヤメなのかハンショウブなのか、紫の花が咲いていて風情がいい。だが、じっくり楽しめなかったのが残念だった。
↑地蔵餅のだんご
↑本堂の天井絵
↑郷照寺の庭園
【西光寺】
1日目のちょっと歩きは、郷照寺からヘンロ小屋42号「宇多津・蛭田池」までの1.5キロだった。宇多津の街中は、結構古い建物があって、本来なら歩いていて楽しい。あいにくの雨だが、予定通り歩くことにした。明るいベージュ色の壁の品のいい料理屋がある。しばらく行くと、元酒蔵がある。今は別の場所に移ってしまったという。20年近く前、高松に住んでいたころ、何人かで訪ねたことがある。酒よりも、酒を使った化粧品の方が売れている、という社長の言葉が印象に残っている。
↑宇多津町の町並み
この道を歩く理由の1つは、元酒蔵の前にある西光寺に寄ることだった。境内に舟屋形茶室があるからだ、江戸時代の御座船の館部分をそのまま使っている。説明によると、分かっているのは、ほかに熊本と姫路にあるだけだという。写真を撮るが、雨がレンズにあたる。
↑西光寺の舟屋形茶室
【ヘンロ小屋42号宇多津・蛭田池】
西光寺を出ると、自転車に乗った中学生と次々と出会う。下校途中だが、それにしては早すぎるような気がする。試験期間中でもあるのだろうか。その中学生らが、あいさつをして走り過ぎていく。こちらも人数が多いので、「こんにちは」の声が続いた。それは気持ちのいい声だった。
雨はさらに強くなり、カッパを通して雨がしみてきて、着ていた作務衣が濡れる。実はこの夜、作務衣をハンガーに掛けておいたが、朝になってもまだ濡れていた。
ヘンロ小屋に着いて一休み。小屋は公園の一角にある。小屋から少し離れた場所には、ハナショウブが咲いていた。ここでバスと合流した。
↑ヘンロ小屋「宇多津・蛭田池」
【79番・天皇寺】
天皇寺も駐車場から5分ほど歩く。神社と合体した寺で、入り口は鳥居になっている。しかも、メーンの鳥居の横に子どもの鳥居がついている不思議な形をしている。納経所に行くのは、ちょっとした門をくぐっていく。この門の作りが洋風でおもしろい。
↑天皇寺
【八十場のトコトテン】
天皇寺と同じ境内にある白峯神社に参拝する。そばには大きなクスノキがある。それをみなが境内を裏側に出て、さらに進むと、名物のトコロテンの店がある。清水屋だが、ほとんどの人が地名をとって「八十場(やそば)のトコロテンと呼ぶ。
湧き水のそばに小屋をつくり、テーブルなどを並べている。ちょっとした木立に囲まれ、夏でも
↑八十場のトコロテン
【74番・甲山寺】
雨は降りやまない。甲山寺の手水のそばには、アジサイが咲いていて、雨には合う。しかし雨が降ると、傘をさしながらやカッパ姿でロウソクや線香に火をつけるのはやっかいで、早く止んでほしいと願う。境内の松の姿がいい。その前で手早くお参りをすませた。。
↑手水のそばのアジサイ
【75番・善通寺】
初日のお参りの最後は、75番善通寺だった。最後まで雨の中あるの遍路だった。
この日の宿は善通寺の宿坊で、まず荷物を置いた。寺は本堂の境内と、御影堂(大師堂)のある境内に分かれ、その間に道が通っている。その道に名物「かたぱん」を売っている熊岡商店がある。友人からかたぱん頼まれている人がいた。時刻が遅くなると売り切れるので、お参りの前に買い物をした。かたぱんとは、固いせんべいで、枚数で売ってくれる。ほかにも、えびせんが人気を集めているので、夜食用に買った。
本堂に入る。雨の夕方なので、参拝客はほとんどいない。そこで、般若心経は中で唱えさせてもらった。御影堂では、私たちの直前まで、寺のお勤めの声が聞こえていた。
宿坊は温泉。風呂に入ったあと、夕食をとった。サワラみそ焼き、ヒロウス、鶏なんばん、サトイモの煮物、豆腐、温泉卵。茶碗蒸し、そば、白あえのメニューだった。昼食場所で服を買ったメンバーが、さっそく着ていたのがおもしろかった。
朝は午前5時半から、お勤めに参加した。御影堂の中に入って座る。いすが用意してあり、みんなで並べて座った。「弘法」の額が頭の上にかかっている。樫原禅澄管長ら9人の僧が入ってきた。まず、館長の法話から始まった。「ジャータカ物語」の動物説話を引き合いにし、利他の心を説明した内容だった。障子ごしに鳥の鳴き声が聞こえ、朝の清々しさを実感する。
お勤めの後は、御影堂の下にある戒壇めぐり。真っ暗の中を、左手を壁に触れながら進んでいく。戒壇を抜けると、そのまま食堂に行き、朝食をすませて出発した。
↑かたぱんの店、熊岡商店BR>
↑宿坊の夕食で、昼に買った服を着た人もいたBR>
↑善通寺の五百羅漢とアジサイBR>
【金毘羅宮】
夜は雨が続いていたが、朝にはあがってよかった。2日目のちょっと歩きは、金毘羅さんの参拝だった。本殿まで785段の石段を登っていく。朝が早いので、やや肌寒い。しかし、石段のぼりは結構ハードで、歩いているうちに体が熱くなる。ただ、汗をダラダラとかくほどではなく、金毘羅参りには良い加減だった。
本殿に着く。曇り空だが、境内からの眺めはいい。この日はとりわけ良かった。讃岐冨士の飯野山をくっきり見える。写真に撮っても、きれいに映る。雨で空気中の汚れを落としたのだろうか。
↑金毘羅さんの石段
↑金毘羅さんからの眺め
【76番・金倉寺】
2日目の最初のお参りは、76番・金倉寺だった。曇り空から時々、晴れ間が見えるまでに天気は回復していた。バスを境内にある駐車場に停める。それでも、山門まで行き、山門をくぐってもう1度、境内に入ることにした。
鐘楼は小さいし簡素な造りである。しかも、柱は細めで、きゃしゃに見える。乃木将軍がここに住んでいたころ、東京から妻が訪ねてきたが、女人禁制だと言って会わなかったという話が残っている。それにちなんだ「妻返しの松」が境内にあり、この寺の見ものの1つになっている。
本堂には大きな数珠が吊り下げてある。それを引っ張ると、数珠玉がカラカラカラカラと落ちてくる。開創1200年の記念行事は5月いっぱいだったが、大師堂には回向柱が残っていた。境内にはランタナが花をつけていた。駐車場の横に、四国八十八カ所のお砂踏みが出来る建物があって、みんなでお砂踏みをしてからバスに乗った。
↑大師堂には回向柱が残っていた
【77番・道隆寺】
77番・道隆寺は、境内にブロンズの小さな観音像が並んでいる。暑くなってきた。この寺はプランターに花を植えて、たくさん並べている。ビオラ、パンジー、アジサイ、ペチュニアと、一般的な花ばかりだが、美しい。本堂の屋根のてっぺんにハトが数羽止まっていて、クククと鳴いていた。
↑境内には観音像が並んでいる
【昼食】
昼食は丸亀市の和食の店「魚よし」。メーンは蒸しご飯「鯛のわっぱ飯」。サワラのたたき、タイの湯びき、エビ、カボチャ、ナス、大葉の天ぷらにアサリの吸い物がついている。タイの湯びきに下に、黄色い細いものが敷いてあった。何か分からず、女将に聞くと、答が素晴らしかった。「今は大根がよくないので、カボチャにしました。細く切って、しばらく水につけました」。大根の悪い時期だから、別のものを考えたという心遣いにうれしくなった。
↑鯛のわっぱ飯御膳
【東山魁夷せとうち美術館】
今回の四国の良いとこ見学は、東山魁夷せとうち美術館にした。瀬戸大橋の下にある。県立だが、小さな美術館だ。東山魁夷の祖父が瀬戸大橋の櫃石島の人で、その縁でリトグラフを中心にした作品を香川県に寄贈したのだそうだ。青と緑の独特の色合い森の作品などがある。
品鑑賞も良いが、もう1つ良かったのは、美術館のカフェからの海と瀬戸大橋の眺めだった。太陽を浴びて、海が青い。前日は雨で大変だったが、それを帳消しにするような風景だっ
↑カフェからの眺めがよかった
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◆第15回(80番・国分寺〜85番・八栗寺)
=2015年7月3日〜4日
今回も雨が影響した。初日の未明は雨。ところが、朝早く家を出る時には雨は上がっていた。毎日新聞社前に集合した時も、雨は降っていない。ただ蒸し暑い。ムクゲやアガパンサスに送られて、雨の不安とともにバスは出発した。今回の参加者は16人。
【昼食】
川県といえばうどん。昼食は讃岐うどんブームの象徴の店の1つ「山越」(香川県綾川町)にした。セルフサービスの店。基本的には、かけうどん(すうどん)を大・中・小で選び、丼に入れてもらうとともに、自分でトッピングを選ぶ。それで会計をし、後からつゆを自分で注ぎ、空いている席を見つけて座り、薬味を選んで乗せ、食べる。
この店はもう1つ、「かまたま」発祥の店として知られる。うどんと生卵を混ぜたメニューで、卵かけご飯のうどん版と言っていい。こちらも大・中・小で頼むと、卵とうどんの入った丼をもらい、しょうゆをかけて食べる。
「かけ」か「かまたま」か、大か中か小か、トッピングは何が好みか、メンバーそれぞれによって違い、添乗員がまとめて支払う方式にした。料金がみんな違うという、ちょっと変わった昼食。これがこの遍路旅のおもしろいところだ。とはいっても、讃岐うどんは安い。1番たくさん食べた人でも、600円か700円だっただろう。
私自身はかまたまの中に、香川独特の細長い練り物「平天」の赤い色のもの「エビ天」と、イカの天ぷらを選んだ。薬味はショウガ。これで600円ほど。満腹になった。
↑かまたまと天ぷら
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↑山越うどんを食べるメンバー
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【80番・国分寺】
今回のお参りは、80番・国分寺から始まった。境内の大きな礎石が、奈良時代の創建当時をしのばせる。その横にミニ88カ所の石仏が並んでいる。石仏には、ヒメヒオウギの花などが供えてある。本堂のお参りをすませ、竜のように見える枯れた木の根を見て、大師堂に向かう。
大師堂は納経所と一緒になった建物の中にある。入ると、納経所にいた僧が、「お参りの後、2分ほど時間がいただけないか」と聞いてきた。オーケーを出すと、般若心経を唱えているうちに、僧が納経所から出てきた。「人間の血液は3升あると言われています。ところ弘法大師は3升5合あったそうです。だから、南無大師三升五合と唱えるのです」。「南無大師遍照金剛」に引っかけた、しょうもないダジャレから話は始まった。何を話すのかと思ったら、結局は空海ゆかりの大日如来を新たに造るので、寄付金のお願いだった。まあ、話を聞かしてもらったので、私が代表して、1000円のピンバッジを買った。
参拝の後は、寺の裏側の旧国分寺跡の公園へ。一部、塀と僧坊が復元されている。10分の1のスケールで作られた石の旧国分寺の復元模型も見学した。
↑参加者に話をする僧
↑ピンバッジ
【神谷神社】
この遍路のシリーズは「満喫編」と銘打ち、四国霊場に加えて四国の良い所を見てもらうことにしている。今回の「良い所」は、坂出市の国宝・神谷(かんだに)神社だった。
狭い道を行くので、バスを途中で停め、5分ほど歩いて行った。連絡をとっていたので、宮司が普段着姿で説明してくれた。小さな本殿だが、檜皮葺きの流れ造り屋根が美しい。
宮司によると、建物の軒下から「建保七年(1219年)」の年号を書いたものが見つかっていている。建造年がはっきりしている神社で現存のものでは最も古いそうだ。世界遺産になった京都府宇治市の宇治上神社は世界遺産だが、建物の形式から建造年代を推定し、神谷神社よりも古いかもしれない、となっているらしい。
宮司は「観光の神社ではないので、あまり参拝客は多くない」と話し、気さくに説明を続けた。「当時の建物としては、傑作ができたのだと思う。後の柱は荒削りに朱が塗ってあった。後側は屋根が伸びてないので、雨があたる。荒削りの方が痛まない。傑作を長持ちさせるための工夫だったのではないか。前の柱は細い。垂木は曲線のものを使っているが、これは珍しい」
「氏子は150人しかいない。屋根の葺き替えは平成12年にやっていて、次は32年の予定。うちのように何も事業をしていない神社の場合、国が8割を出し、残りを県、市、地元が出す」。そんな雑談も交えても説明だった。
↑宮司の説明を受ける
【81番・白峯寺】
五色台に登る遍路道は急で、ここも「遍路ころがし」の異名がある。私たちはバスで白峯寺に行った。寺までの参道は、アジサイの道で、ちょうど良い時期だった。
境内もアジサイが満開だった。手水の周り、本堂へ向かう石段、鐘楼のそばもそうだった。石段ではなく、本堂や大師堂に登る別の道が特にアジサイの道だったが、時間の関係でその道は通らず。上から眺めるだけにした。
その代わり、崇徳上皇の廟の遥拝所に寄った。「松山や浪に流れてこし船のやがて空しくなりにけるかも」の上皇の歌に、西行が「よしや君昔の玉の床とてもかからん後の何にかはせん」と贈ったことが説明してある。
↑アジサイと鐘楼
【82番・根香寺】
白峯寺からは根香寺までの途中の足尾大明神まで、遍路道を歩いた。今回のちょっと歩きのハイライトだった。瀬戸内海公園の一部なので、行政などによってよく維持・整備されている。遍路道では20番・鶴林寺と21番太龍寺の周辺とともに、史跡に指定されている。
山の中の良い道。雨がやんでよかった、と思った。歩くと心地良い。そう思ったのだが、坂道になると、夜のうちの雨のため、泥んこの道になっていた。これは歩きにくいし、滑って転びそうになる。歩く距離は3キロほどだったが、慎重に歩き、途中で休みをとり、おおむね3カ所の登りを行き、2時間近くかけて足尾大明神にたどり着いた。遍路道には、宝塚北高校の文字があるみちしるべが取り付けてあった。
足尾大明神は足の神様だから、ちゃんとお参りをしたかったのだが、時刻は午後4時40分になっている。納経は午後5時までなので、すぐにバスに乗って、根香寺に急いだ。
本堂の参拝は午後5時の寸前だった。ロウソク、線香はやめ、般若心経を唱えるだけにした。大師堂も同様。堂のそばには、キキョウとハギが咲いていた。
参拝をすませ、バスに戻る。駐車場との間には、ちょっとした谷がある。そこは緑に木に包まれている。納経所の人と一緒に、石段を下り、また登りながら話をする。「紅葉の時期は、写真を撮る人でいっぱいですよ」。秋の紅葉の時期に行ったこともあるが、この時期の青紅葉も十分に美しい。
↑根香寺への遍路道
↑宝塚北高校のみちしるべ
↑青紅葉の谷
【宿】
宿は高松市の「花樹海」にした。松ではいい旅館。この遍路旅では四国で泊まる最後の夜になるので、ちょっとランクアップした。小高い場所にあり、窓からの眺めがいい。あいにく、今にも降りそうな曇り空なので、海の色が鈍く、残念だった。
温泉に入って、夕食の広間へ。ガラス張りの部屋で、食べている最中に弱い赤紫の空の色になり、あわててカメラに収めた。
夕食は、鯛の塩釜焼きという余興を兼ねたメーン料理が用意されていた。すでに焼きあがっていて、仲間のうちの2人が、木づちでたたいて塩釜を割る。固くてなかなか割れないこともあって、みんなが入れ替わり木づちを振り下ろした。客を喜ばすテクニックを心得ている。鯛は切り分けて、みんなの席に配られた。
鯛のほか、豚の鍋、ゴマ豆腐、蒸し鶏のサラダ、鯛や甘エビ、イカの刺し身、ママカリの甘酢、エビと野菜の天ぷら、讃岐うどんなどだった。
宿には、日本むかし話の絵を描いた池原昭治さんの絵がたくさん飾ってあった。香川県の人で、私が松から大阪に異動になった際、知り合いの画廊の女性から餞別に小品を1つもらったことがある。「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会の総会を善通寺で開いた時には、池原さんの兄弟が作品を並べて販売した。何かと縁がある。
翌朝、付近を散歩した。西方寺という寺があり、参道に石仏が並んでいた。法然上人二十五霊場のミニ版で、安政六年の年号が彫られた石仏もあった。
↑塩釜を割る
↑みんなに配られた塩釜焼きの鯛
↑赤紫の空
↑西方寺参道の石仏
【83番・一宮寺】
2日目の最初の参拝は一宮寺だった。駐車場の前に剣道場があり、子どもたちの掛け声が聞こえる。境内に入ると、ついに雨がポツポツと落ちてきた。
狭い境内だが、よく手入れされている。石庭のような一角があり、ここもきれいにしてある。地獄の釜の音が聞こえるというほこらがあり、みんなが交代で頭を突っ込み、音を聞いた。「ウォーン」という音がしていた。
↑地獄の釜の音を聞く
【田村神社】
一宮寺は田村神社の隣にある。つまり、神社を守る神宮寺としての位置づけだった。田村神社は讃岐の一宮で、だから一宮寺なのである。
一宮寺のすぐ隣なので、田村神社にも参拝した。赤い鳥居の列がある。金色の布袋さんがある。神様のデパートのようなところで、それはそれで面白い。社務所の前ではヒョウタンを育てていた。茅の輪くぐりの大きな輪も設けてあった。
↑赤い鳥居の列
↑ひょうたんを栽培していた
【栗林公園】
2日目の観光は、高松市の栗林公園で、「ちょっと歩き」も兼ねた。松藩の別邸で、ぜいたくな造りになっている。盆栽仕立ての松が並んでいる。1300本もある。ガイドの説明では、14人の庭師が1本に3日かけて世話しているという。茶室、掬月亭のそばにあるソテツは、島津藩から送られたことも教えてもらった。
池ではハスが咲き始めていた。茎が長く伸び、下は大きな葉が水面を覆っている。花は大きく、緑の中に浮いているように見える。
↑ハスが咲き始めていた
【昼食】
栗林公園から歩いて昼食場所の店「活」へ。松のメーンの商店街を歩いていく。活は松で仕事をしている時、よく世話になった店だ。実は前日の昼食場所だった山越は、活の大将に初めて連れていってもらった因縁がある。ランチはハマチ、鯛、タコの刺し身、ハモの湯びき、エビ
↑活の昼食
【84番・屋島寺】
屋島寺にもアジサイが咲いていた。挿し木で増やしているようで、高さがわずか10センチほどなのに、赤い花をつけている株もあった。大師堂には、赤と白の紙を使った小さな千羽鶴が奉納されていた。病気平癒と書いてある。病気回復のお礼参りに違いない。
↑赤と白の千羽鶴
【85番・八栗寺】
八栗寺へはケーブルカーで登った。上の駅の周辺はアジサイの参道になっていた。とうとう雨が強くなってきた。傘が必要になる。
下りは歩きで、傘をさしながらの遍路となった。ここの楽しみは、途中で売っている草餅。よくしゃべる女将がいて、「今朝摘んできたヨモギで作った」と言いながら、あんを餅に包んでくれた。
↑八栗寺は雨の中の参拝だった
↑草餅は寅さんも食べたという
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◆第16回(86番・志度寺〜88番・大窪寺、高野山)
=2015年9月11日〜12日
今回は「ちょっと歩き四国遍路―開創1200年満喫編」の最終回だった。8月は暑いので休み、参加メンバーとは2カ月ぶりの再会となった。
ゆったりと四国を回り、参拝だけではなく、四国の良いところにも立ち寄るのが、今回の「満喫編」シリーズの特徴だ。だから結願までには、月に1回の1泊2日の行程で16回も要した。そのうち、暑い夏と冬は休んだので、1年6カ月かかってしまった。
最終回の参加者は13人とこじんまりしたグループになった。年齢の高い人が多いせいか、この夏の暑さが影響したのか、出発を控えた時期に3人がキャンセルしてしたので、さらに人数は減った。
【吉野川ハイウェイオアシス】
暑い夏が終わり、心地良い秋晴れの下の遍路だった。しかし、2日前に台風18号が愛知県に上陸して日本海に抜けていた。予想はもう少し遅いはずだったが、スピードをあげたために、私たちの遍路には影響はなかった。しかし、台風が熱帯性低気圧に変わったあとで、降水帯が関東地方にかかり、鬼怒川がはんらんして大変な被害が出ていた。
淡路ハイウェイオアシスで休憩をとった。いつものように、建物の裏の「花の谷」に出てみる。メキシカンセージが花盛りで、バックに噴水が見えて、すがすがしい庭になっていた。
↑花の谷のメキシカンセージ
【昼食】
淡路島から四国に渡り、高松道を走る。自動車道の上から見下ろすと、稲が大分黄色に変わっている。ポツポツとヒガンバナの赤が見える。
昼食は三木インターのすぐ近くにある和楽。友人に教えてもらってから行程に組み込むようになり、今回で4回目か5回目になる。
メーンは黒米で作った麵。冷たいのと暖かいのと、どちらかが選べる。秋とはいっても、夏の暑さの名残があるので、私は冷たい方を食べた。ほかに、ミョウガの田舎ずしがついている。おかずは色々なものが少しずつ出る。天ぷらはエビ、ピーマン、ミョウガ、ナス、エリンギ。もう2皿あって、1つはサワラをあぶった刺し身。もう1つは煮ものなどで、おからの卵巻き、ナスの田楽、ニンジン、高野豆腐、コンニャク、空芯菜の和えもの、ワカメの酢の物。それに茶碗蒸しもついていた。満腹になった。
↑輪楽の料理。このほかに黒米の麺
【86番・志度寺】
天気が良いので、気温が上がってきた。志度寺の駐車場のバスを止める。山門に回り、その途中にある平賀源内の墓に参った。墓の横に簡単な木の案内板が立っていて、「源内さんお墓」と書いてあった。
↑平賀源内の墓
志度寺の境内に入る。五重塔を見上げると、その前にイチョウの木があって、葉が黄色を帯びてきている。黄色、塔の朱色、青空。秋の良い日の寺だ。本堂、大師堂にお参りをする。蚊がたくさん寄ってきて、私も参加者もかまれ、般若心経に集中できなかったのが残念だった。
↑志度寺の五重塔
境内にある「海女の墓」を見に行った。藤原不比等にまつわる逸話に基づく。おばあちゃんが手を合わせていた。私たちが行くと、参拝することを喜んでくれ、「弘法大師より200年も古い」「お墓が文化財になるのは珍しい」など、本人なりの説明をしてくれた。別れ際に88歳だと教えてくれ、88カ所にちなむので、みんなで「お元気で」と声をかけて、バスに向かった。
↑海女の墓の前で出会った88歳の女性
【87番・長尾寺】
長尾寺の参拝の時も、青空が広がっていた。お参りの後、境内の静御前の剃髪塚を見学する。静はこの地区の出身で、義経が亡くなった後、ふるさとに戻り、長尾寺で髪を落としたのだという。塚のそばに、静御前の絵のボードがあり、顔がくり抜いてある。メンバーの女性が静御前になり、記念写真を撮っていた。
↑晴天の長尾寺
↑静御前の剃髪塚
【おへんろ交流サロン】
最後の大窪寺に参る前に、女体山越えの遍路道の手前、前山ダムのそばにあるあるおへんろ交流サロンに寄った。ここは歩いて回ったと申請した人に、遍路大使の“任命書”を渡している。昨年の人数を聞くと、3000人を超えていた。昨年は四国八十八ヶ所開創1200年の年だったので、多かったのだという。一昨年は2000人台だった。一時期4000人という時期があったが、歩き遍路は減っているのだろうか。
メンバーの1人が、ここに古い四国霊場の地図を寄贈したという。祖父が持っていたものが見つかり、資料として贈ったそうだ。展示品の中にそれを見つけ、喜んでいた。地図には「昭和17年3月」の文字があった。この年号を見て、「同じ地図のように思うが、送った時には年月の記憶がない」と語り、少し疑問が出てきたが、地図と一緒に写真に収まった。