【宿】
このあたりでの宿は、今治市の奥座敷的存在、鈍川温泉の鈍川温泉ホテルをいつも選ぶ。以前の遍路旅の際、このホテルに入った夜、参加者夫婦のお母さんが急に容態が悪くなり、大阪に帰らなければいけなくなった。ところが、夜なので交通手段がない。翌朝になって帰ろうとした。ところが、女将が松山市の道後温泉から夜行バスが出ていることを思い出し、自分の車を運転して夫婦を道後温泉まで送ってくれた。その恩があるので毎シリーズ、お世話になることにしている。
従業員教育をしっかりしている女将で、客に対する心遣いもきめ細かい。私は先達なので、宿に着くとコーヒーのお接待を受けた。アイスコーヒーをお願いすると、小さなお盆に乗せて運んできてくれた。お盆にはごく小さな陶器の花瓶がついていて、ナデシコの花が差してあった。コーヒーには氷が浮かべてあり、それもコーヒーでできていた。私のためだけかと思ったが、注文があれば同じようにして出すようで、その準備の花瓶を乗せたお盆が用意してあった。
部屋に入ると、女将手書きの絵のついたウエルカムカードが置いてある。ロビーで渡された館内案内の紙には、「先達様」と書いてあり、参加者の部屋の紙にはツアーの名前が書いてあったという。夕食の時には。必ず女将が会場にあいさつに来る。こんなささいことがうれしくなる。
温泉は玉川に沿って造ってある。露天風呂は湯船がヒノキで、温泉成分で滑りやすい。館内説明の際に若女将が注意していた通りだった。玉川はホテルの場所でカーブしてその先は木々の中に消えるが、露天風呂のあかりが木々の中で垣間見える川に写ってチラチラと光っていた。
夕食のメーンは紙なべ。地元のイノブタと野菜を使っていた。もう1つは鯛のカルパッチョ。ほかに刺し身、イカ・エビ・シイタケ・ナスのオイル揚げ、鯛のアラだき、茶碗蒸しなど。
実はこの日は、私の69歳の誕生日だった。それを知っている人がいて、添乗員さんが愛媛県の酒「梅錦」を、常連の参加者がケーキをわざわざ買ってきてくれた。ほかに、夕食の席で参加者から生ビールも回ってきた。ケーキにロウソクが3本。「ろうそくが少ない」と言う人がいたが、「お参りの時のろうそくはある」と茶々を入れる人がいて、笑いが渦巻いた。
四国で仕事をしたことが2回あり、梅錦は人気の酒でよく飲んだ。懐かしがっていると、女将が「後継者がいなくて、白鶴に買収してもらったそうですよ」と言う。ちょっと驚いた。
朝は早めに起きて、朝風呂と朝食の前に、1人で玉川沿いを歩いてみた。大きな川ではないから、水量もさほどない。それなのに夜は、布団の中で水の音がとても大きく聞こえた。水はきれいで、渕になっている所はエメラルド色をしていた。遊歩道もあり、河原に下りる道もあり、心地よい散策だった。
ホテルの前の広場でバスに乗り、2日目の遍路へ出る。広場へ出入りする道は2本ある。バスはホテルの左手の道から出て、右手の出入り口の前を通って今治の市街地に向かう、若女将もむ1人の若い従業員の女性が、ホテル左手の出入りで手を振ってくれる。バス広い道に出ると、2人は右手の出入り口へと走る。バスがその前を通ると、もう1度手を振って送ってくれる。これも毎回の心遣いの光景だ。
↑夕食の席に女将があいさつに来る
↑誕生祝いのケーキや日本酒
↑玉川に沿って朝の散歩
【58番・仙遊寺】
バスで仙遊寺の山門まで行き、そこから境内の山道を歩いて登った。深い林の中の参道。途中で、湧き水があり、備え付けのひしゃくで飲んで、また登る。勾配はけっこうあるが、距離は短く、10分足らずで本堂に着いた。
本堂でお参りをすませ、大師堂に行くと、すぐそばに石仏が置かれ、その上を淡いピンクのシャクナゲが覆っていた。ほかにもシャクナゲの木があったが、花を開くのはこの木が早かったようだ。
↑仙遊寺への参道
↑石仏とシャクナゲ
【57番・栄福寺】
前日、毎日新聞の後輩で、今治地区を担当している記者から連絡があり、栄福寺で待ち合わせた。境内に入ると、後輩は待っていた。参拝をすませて彼と話す。寺の白川密成住職は映画「僕は坊さん」の原作者で、後輩は何度も取材したことがあり、白川住職を紹介してくれた。
みんなで白川住職から話を聞いた。映画化されてから、仏教をあまり縁のない若い人もお参りに来てくれるようになったという。講演も頼まれ、大阪・堺市でも話したそうだ。一緒に記念写真を撮った。シャッターを押してくれたのは白川住職の奥さんだったが、奥さんによると、お遍路さんが集まる兵庫県西宮市の店で会ったことがあるという。私が「2回しか行ったことがないのに」と言うと、奥さんは「私は1回だけ」とか。大変な偶然があるものだ。
後輩の記者は瀬戸内海の岩城島のレモンを、みんなに1つずつお接待してくれた。地元産品を売る大型施設「さいさいきて屋」で買ったという。しかも生産者の名前を見て、取材したことのある人だと話した。この「さいさいきて屋」は、この日のコースに組み込んでいた。
↑白川住職と記念撮影
【56番・泰山寺】
駐車場から道路を横断して泰山寺へ歩く。石垣と白壁の上から本堂の上部がのぞいている。暑さが増してきて、時折吹く風が気持ちが良い。大師堂のそばに小さな池があり、カキツバタが咲いていた。花を眺めて納経所に行くと、人気者の犬が愛想をふりまいていた。納経所には「マルチーズ ナナ 9歳」と紹介する紙が張ってあった。
↑人気者のナナ
【55番・南光坊】
境内の駐車場のバスを止めたので、1度境内の外に出て、改めて山門から入った。山門の2階部分に鐘があり、そこからロープが下に伸びていて、参拝者は山門をくぐりながら引っ張り、鐘を鳴らす。
本堂、大師堂には、小さな千羽鶴が奉納されていた。普通の織り紙の鶴よりは折り方が簡単で、お腹の部分がふくらんでいる。このタイプの鶴には遠い昔の思い出がある。
毎日新聞の記者になって、初任地は和歌山だった。新人はまず、警察署の担当になる。ある日、売春容疑で逮捕された女性の取り調べの場面に遭遇した。今とは比べものにならないノンビリした時代で、取り調べは開けっ広げだった。その女性容疑者が折っていたのが、このタイプの鶴で、わざわざ折り方を教えてくれた。「これはね、妊娠している鶴なのよ」と言いながら。印象に残るひと時だった。
休憩所の長椅子に座り目を閉じている外国人男性がいた。目を閉じていることを知らず、「こんいちは」と声をかけた。「こんにちは」と返ってきて、初めてそれとわかった。瞑想中だったのかどうかはわからないが、邪魔をしたのかもしれない。
↑奉納されていた千羽鶴
【大山祇神社】
南光坊はもともと、しまなみ海道にある大山祇神社(おおやまずみじんじゃ)の別当寺だった。それを島から四国に移した。そのため、寺の横には大山祇神社の末社がある。そこにも参拝した。境内には樹齢300年の大きなクスノキがあった。戦争の時に上の方が燃えたが、まだ力強く生きている。ヤドリギをたくさんつけていた。
↑大山祇神社
【54番・延命寺】
今回の打ち止めは54番・延命寺だった。池のそばの参道を通り、松山城から移築した山門をくぐって境内に入る。本堂に幕が張ってあり、境内には臨時と思われるプレハブの小屋が設けてある。本堂での人の動きがあわただしい。本堂から出てきた人に聞くと、屋根の葺き替え工事などが終わり、翌日が落慶法要だと教えてくれた。本堂の中には、熊本地震の被災者にエールを送る子どもたちの絵が刑事してあった。
↑本堂の中の張られた子どもたちの絵
↑翌日に落慶法要を控えた本堂
【さいさいきて屋】
買い物もこの遍路旅の楽しみの1つになっている。今回は、地元の農産物や水産物を置いている大型の商業施設「さいさいきて屋」を選んtだ。ここは人気があって客も多く、大臣賞も受賞歴もある。後輩の記者によると、全国から視察に来ているそうだ。
食堂、ケーキ屋、パン屋もある。私は野菜コーナーでソラマメ、さいさいカフェで安売りで3つ300円のイチゴ大福を買った。
↑安売りのイチゴ大福を買った
【今治タオル美術館】
昼ご飯は少し遅くなったが、今治タオル美術館のレストランにした。ここは「イチヒロ」というタオルメーカーの大きな販売施設。タオルだけでなく、四国の名産品も数多く置き、さらに有料の美術館、レストランも2つ備えている。そのうちの1つ、中華料理「王府井」が昼食場所だった。広い庭園に面したきれいなレストランで、点心と炒め物、おかゆ、スープ、杏仁豆腐がセットになっていた。食べ終わり、美術館、買い物、庭園散策の3つのグループに分かれて行動し、バスに戻って大阪に向かった。
↑中華料理の昼食
↑よく整備された庭園
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◆第6回(53番・圓明寺〜48番・西林寺)
=2016年6月10日〜11日
毎日新旅行の遍路旅シリーズ「ちょっと歩き四国遍路・のんびり逆打ち」の第6回目は、梅雨の最中の日取りだった。しかし、ちょうどその2日間だけ雨が降ることはなく、傘もカッパも不要だった。
新聞記者時代の取材先で、梅雨の時期の軽いあいさつのつもりで、「雨が降らなくて良かったですね」と話しかけると、「雨を待っている農家の人もいるんですよ」とたしなめられたことがある。しかし天気が良いのは、遍路にはありがたかった。参加者は10人。少人数のうえ、シリーズも6回目となり、打ち溶けた仲間の遍路旅だった。
【昼食】
いつも通り、大阪・梅田の毎日新聞社前をバスで出発した。予定では明石海峡大橋経由のつもりだった。しかし、最初の昼食が香川県坂出市の瀬戸大橋近くで、運転手さんのサジェスチョンで今回は中国自動車道、山陽自動車道を通って、瀬戸大橋経由で四国へ入った。その方が早くつくという判断だった。
前回はしまなみ街道経由だった。今回も岡山までは同じルートで、山の緑の中を走っていく。前回同様、高速道路の中央分離帯に黄花コスモスが咲いていた。竜野西サービスエリアで休憩した後、そのまま昼ご飯の会場へ。出発時間は快晴だったが、薄い雲が広がり、もやもかかって、真っ青な瀬戸内海というわけにはいかなかった。
↑瀬戸大橋経由で四国へ
瀬戸大橋を眼下に見る山の結婚式場「サン・アンジェリーナ」が、昼食の場所だった。景色もさることながら、遍路と結婚式場のアンバランスを狙った遊び心である。レストランは「クローチェ」という名前で、私たちのグループが食べている間、ほかにはカップルが1組だけだった。
料理はイタリアン風だが、和食のテイストも取り込んだものだった。つぶしたカボチャやカニかまぼこ、野菜を使った料理が、まずオードブルとして出てきた。冷たいコーンスープの後、メーンの魚(スズキ?)を焼き物。パンかご飯がついている。最後はムースのデザートと、紅茶かコーヒー。後から聞いた話だが、デザートは店のお接待だった。
桂由美さんがかかわった「恋人の聖地」の1つに組み込まれ、戸外には海を背景にして青い十字架が設けてある。その横には金属の網の塀がめぐらされ、錠前がたくさん取り付けてある。永遠に結ばれている、ということだろう。
↑クローチェで瀬戸大橋を見ながら昼食
↑瀬戸大橋を背景に錠前が並ぶ
【53番・圓明寺】
最初のお参りは松山市の圓明寺。バスは高速道路松山道の松山インターを下りた。すると松山外環状道路が一部できていて、またその高架に乗った。坊ちゃん球場の横を通っていく。
寺に着く。八脚門の山門をくぐり、さらに中門を通っていく。ろうそくに火をつけ、その火を線香に移し、大きな丸い線香立てに立てる。再び天気がよくなり、入道雲が立っていた。般若心経を唱えていると、背中が暑い。
本堂の前には、堂内部の欄間に彫られた大きな竜の写真が掲示してある。遍路仲間が順番にのぞき込む。向かって右側の増長天の上に、その竜はあった。レリーフではなく、欄間から飛び出している彫刻で、左甚五郎作とも言われるらしい。甚五郎伝説はいたるところにあり、この竜が甚五郎の手になるものかどうかはわからないが、なかなか迫力がある。
トイレの壁がなまこ壁になっているのがおもしろい。大師堂の横には、隠れキリシタンが建てたマリア観音とみられる石仏があった。
↑山門から見た圓明寺の境内
【52番・太山寺】
太山寺に着くと、山門でバスを下りた。門のそばには、アジサイが咲き、風知草が弱い風に葉を揺らしている。今回はあまり歩く機会がないので、山門から本堂までの往復も、「ちょっと歩き」として組み込んだ。距離は片道570メートル。木立の参道を歩く。途中にある目の霊仏・一畑薬師に手を合わせていく。木が日を遮って心地よいが、急な傾斜もある。最後に石段を上って、本堂の前に出ると、背中を汗が流れていた。
本堂はどっしりとした大きな建物で、国宝に指定されている、前にマニ車があって、結縁の紐が堂まで伸びている。
さらに少し石段を上った大師堂の前から本堂を眺めると、屋根に近い高さから見るので、さらに大きさがわかる。屋根には茶色の素焼きのような丸瓦もあり、それが建物の古さを演出していた。
↑本堂の前のマニ車
【宿】
宿は道後温泉のホテル八千代で、毎日新聞旅行が常宿にしている。道後温泉本館(坊ちゃん湯)からも5分ほどだから便利なところにある。午後5時に宿に入り、ひと風呂浴びて午後6時から夕食にした。通常よりは少し早めだが、夕食後に温泉街を散策するためだった。
ホテルの夕食はどこも品数が多い。ここは▽食前酒の梅酒▽前菜▽刺し身▽ポークシチュー▽豚のしゃぶしゃぶ▽茶碗蒸し▽ブリのあぶり▽タイの釜めし▽赤だし▽ゼリー。ポークシチューが名物で、フランスパンが添えてあり、シチューをつけて食べる。ブリのあぶりも珍しい気がした。メニュー表が席に置いてあり、「本日のお料理には日本酒『道後蔵酒』がおすすめです」と書いてあった。その誘惑に負けて1本注文した。あっさりめの酒だった。
夕食のあと、温泉街をちょっと歩き。道後温泉本館の前から商店街に入り、目的地はからくり時計で、午後8時の動きを見に行った。動きが始まるまでは足湯につかって待った。3分ほどんのからくりをみてから、いくつかの店に寄りながら帰った。タルトの六時屋では、遍路メンバーの1人が土産として10箱ほど購入し、送ってもらっていた。みんなに配るらしい。その店では、ほとんどの人がアイス最中を食べた。
翌日は朝早く置き、1人で近くの松山市立鷺谷墓地を訪ねた。秋山良古の墓を訪ねるためだった。墓地に入ると、秋山と中村草田男の墓の案内表示があった。その表示を仕方がおもしろい。秋山は右方向の矢印と「70歩」、草田男は真っ直ぐの矢印と「15歩」、それに右の矢印と「15歩」。墓石の密集した場所なので、この表示が適切なのかもしれない。矢印に沿って2つの墓に参った。
↑道後温泉本館
↑からくり時計
↑秋山好古と中村草田男の墓の場所示す表示
【道後温泉公園】
2日目の公式の日程は、道後温泉内の散策からスタートした。最初に訪ねたのは、時宗を興した一遍の生誕地、宝厳寺。遊郭の名残なのか、居酒屋やスナックが並ぶ道が参道になっている。山門をくぐると、堂宇がまだ新しい。2013年に火災にあったそうで、それを再建していた。境内には正岡子規の句碑「色里や十歩はなれて秋の風」が立っていた。
↑宝厳寺境内の子規の句碑
続いて伊佐爾波(いさにわ)神社。正面から行くと、長い石段を登るが、宝厳寺側から裏道はゆるい登りで、ありがたい。大きな神社で、私が遍路メンバーに紹介したのは、江戸時代に奉納された算額だった。当時の和算は高い水準で、その問題を額にして10数枚納めている。実物を見ることはできないが、それを復元したものなどが展示してある。幾何の問題が多く、たくさんの円で区切られた図が描かれ、その中の一部の面積を求める問題など、私にはチンプンカンプンで、先人たちに脱帽した。
もう1つは赤穂義士の額。赤穂事件が起きたのは、「時は元禄15年」で、西暦に直すと1702年。四十七士を描いた額は、10年あまり後に奉納されている。当時の大事件のもたらした衝撃がわかる。
↑奉納された算額の復元模型
道後温泉公園も少し歩いた。池を巡ると、水面に白いスイレンが花をたくさんつけていた。一部は黄色のスイレンもあり、白い花と合わせて爽やかな初夏の朝を演出していた。実際には朝から暑かったのが。
↑道後温泉公園のスイレン
【坊ちゃん列車】
この遍路旅は、お参り以外にも四国の良いところを見てほしい、感じてほしいというものも取り入れている。今回のお楽しみの1つは、坊ちゃん列車だった。伊予鉄道が明治21年に導入した列車で、軽便鉄道としては日本最初のミニSLを復元したものだ。小さなSLの形をした気動車が1両の車両を引っ張る。
道後温泉から松山市駅までを、約20分で走る。ガタゴトと音をたて、汽笛も鳴らす。いたって乗り心地が悪いが、それがまた楽しい。小さな列車だが、運転士1人、車掌2人が乗り込んでいた。
松山市駅に着くと、ここからも見せ場が待っていた。列車はまた道後温泉に向かうため、運転方向を逆にしなければならない。それを3人が降りてきて、人力で行う。SL部分を押して回転台の上に移動させる。そこでまた3人が力を合わせ180度回す。さらに道後温泉行きのレールまで押していく。最後に客車をSLの後ろまで押していき、連結させる。これは重労働だろう。「お疲れさん」と声が出る。
↑坊ちゃん列車の車内
↑人力で方向転換
【51番・石手寺】
バスと合流し、2日目の最初の参拝の寺、石手寺に向かった。国宝の山門をくぐって境内に入る。この寺はいつも参拝客が多い。本堂にお参りした後、洞窟を通って奥の院にも行った。朝から暑いが、洞窟の中はひんやりとして気持ちがいい。奥の院は、金色の仏舎利塔があり、修行中のブッダの像や羅漢像が配置されている。
洞窟を引き返し、大師堂で般若心経をあげる。参拝が終わると、山門の前にある「五十一番食堂」へ行き、名物の焼き餅を買った。明治元年創業の文字が見える。白い餅と草餅がある。小さくて薄い餅で、あっさりして食べやすい。メンバーみんなで食べるために15個注文すると、手焼きの際に焦げた餅を1つ、おまけしてくれた。
↑奥の院の仏像
【50番・繁多寺】
繁多寺の山門の外側に、四国八十八カ所が日本遺産になったことを示すプレートが設置してあった。境内に入り、まず鐘を打つ。余韻が「ウォンウォン」と長く尾を引く。ますます暑さが増してくる。風を求めて場所を探しお唱えをした。本堂、大師堂でには、ここもたくさんの千羽鶴が取り付けてあった。
堂と堂の間にはナンテンが小さな白い花をつけ、そばには修行大師が立っている。大師堂の前には、梅の実がたくさん落ちていた。参拝をすませると、お参りの男性に声をかけられた。バスに張られた「ちょっと歩き四国遍路・のんびり逆打ち」が気になったらしい。5年前までは、いい遍路道は歩いていた。「ちょっと歩き」にしたのは、私の体力が落ちてきて、山登りの遍路道などでトラブルがあった場合、対応できないかもしれないためだ、説明した。男性はうなずきながら、「お気をつけて」と送ってくれた。
↑日本遺産のプレート
【49番・浄土寺】
バスの駐車場からな少し歩くことになる。途中で道路を渡るが、信号の待ち時間が2分ほどあるので、ちょっと驚く。
この寺には空也の像が安置されている。ただし見ることはできない。その代わり、説明板が設置してある。写真があり、見れば京都市・六波羅蜜の空也像と同じく、口から小さい仏像が出ている。山門の近くで正岡子規の句碑が、クチナシの花に囲まれていた。句は「霜月の空也は骨に生きにける」だった
↑子規の句碑
【昼食】
昼食は青空食堂樽見店で、青空ランチを食べた。3つほどの店を展開するチェーン店で、地元野菜を中心にしたメニューを置いている。青空ランチは鶏のから揚げや小さな切り身の焼き魚もあったが、メーンは野菜サラダで、大きな器に入っていた。小皿も野菜が多く、生のトウモロコシもあった。参加メンバーは女性が多く、ヘルシーメニューが気に入ったようだった。
↑青空ランチ
【48番・西林寺】
今回の打ち止めは西林寺だった。最後になって雲が広がり、暑さはましになった。大師堂には、結縁の紐があり、大師像につながっている。堂の横にハスが植えてあった。花はまだつけていないが、柔らかい緑の大きな葉を何枚も広げ、涼やかさを醸し出している。納経所の前には背の高いサボテンがあり、お参りの度に見てみるが、今回は黄色い花をふんだんにつけていた。
↑ハスの葉と大師堂
【杖が淵公園】
西林寺も、空海と水にまつわる話が伝わっている。干ばつで苦しんでいる村人を救うため、錫杖を突いて水脈を見つけたという。その後が、寺から400〜500メートルほど離れた場所にある杖が淵(じょうがふち)だと伝わっている。西林寺の奥の院と位置づけられ、今は杖が淵公園となっている。この公園が今回の遍路旅の最後のお楽しみだった。
公園の駐車場は一杯で、入るのを待っている車もあった。公園に入ると、湧き水からの水路が整備されていて、雰囲気がいい。池があり、中心部に向けて短い1本道がついている。道は空海像に行き着く。これが奥の院となる。池にはニシキゴイが何匹も泳いでいた。水底には藻が生えている。「秋風や高井のていれぎ三津の鯛」と呼んだが、その藻はテイレギかもしれないと思ったが、確かめる人がいなかったのが残念。水遊びの場も造ってあって、子どもたちがはしゃいでいた。この公園は家族連れが遊ぶ場所になっていて、駐車場が満杯だったのは、そのせいだと分かった。
↑湧き水の水路
↑公園の池
◆ちょっと歩き四国遍路・のんびり逆打ち第7回の案内◆
2016年7月1日(金)〜2日(土)=3万9800円
47番・八坂寺〜44番・岩屋寺
愛媛県久万高原町の山の寺2つ(岩屋地寺。大宝寺)に参ります。特に岩屋寺は駐車場からの参道は上りばかりで少し大変ですが、木々に包まれた心地よさもあります。参拝の後は、古い町並みが残る内子町を散策ます。古い歌舞伎・芝居小屋の内子座を見学し、昼食も古い商家を利用した店に「野遊び弁当」を用意しています。
問い合わせは毎日新聞旅行06−6346−8800