「ちょっと歩き四国遍路・のんびり逆打ち」の先達メモ(2)▽第4回

  

              梶川伸・毎日新聞旅行「ちょっと歩き四国遍路・のんびり逆打ち」先達(「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会副会長)

              

   ◆◇ちょっと歩き四国遍路・のんびり逆打ち編(2)◇◆
(毎日新聞旅行「ちょっと歩き四国遍路・のんびり逆打ち」の先達メモ)


 毎日新聞旅行の遍路旅「ちょっと歩き四国遍路・のんびり逆打ち」の先達を務めている。毎日新聞旅行の遍路旅の案内人としては8シリーズ目となる。
 2016年はうるう年にあたる。うるう年の遍路は逆打ちがいいとされる。このため、今回のシリーズは逆打ちとした。ただし、月に1回の1泊2日の遍路で、計16回だから、今年中には終わらないが。  遍路道を少し歩くのは、過去の「ちょっと歩き」シリーズと同様。また、四国という土地、その空気を感じてもらうことを願って、参拝以外のことも加えた。
 遍路旅は毎回、午前8時に毎日新聞大阪本社をバスで出発する。霊場を参拝し、歩き、地元の食べ物を味わい、遍路道周辺の四国らしい場所にも寄ってみる。大阪・梅田への帰着は2日目の午後7時から8時となる。


   ◆第4回(65番・三角寺〜60番・横峰寺)
     =2016年4月1日〜2日


 毎日新旅行の遍路旅シリーズ「ちょっと歩き四国遍路・のんびり逆打ち」の第4回。参加者は9人の少数で、家族旅行のような雰囲気だった。今年は桜が少し早く、寺々の桜見物を兼ねたお参りには、大変良い時期にあたった。


【昼食】

 天気予報で、出発日は雨。予報は数日前から変わらないので、雨は覚悟のうえだった。ただし、振らない方がうれしいから、少しは期待する。すると、家を出た時には降っていたのに、毎日新聞社前を出発するはやんでいた。ありがたいことだが、こうなると欲が出て、お参り中も雨が降らないことを期待してしまう。
 バスの中で、参加者がお接待の品を回す。どこかに遊びに行った際の土産のお菓子が多いが、今回はイカノゴのくぎ煮、ブンタンの皮の甘煮もあった。
 淡路島を走る。両側の山を、桜が彩っている。桜以外にも、レンギョウの黄色、シデコブシの淡い紫、ハナズオウの紫、ベニカナメモチの赤い葉など、春の色がふんだんにある。四国に入って、徳島道を通る。雨がまた降ってくる。かと思ったら、今度はやむ。そんな繰り返しの不安定な天気だった。
 昼食は徳島県三好市池田のレストラン・ウエノ。前のシリーズの際、雪のため高速道路が通行止めになり、行けなかった店だ。その際はわざわざ店の方から電話が入り、「来られるのか」と質問があり、事態を知った。急拠キャンセルし、急に人数を受け入れてくれそう香川県丸亀市の骨付き鳥の店に変更した。ウエノの親切さに感謝したが、その時のお礼の意味もこめていた。
 肉屋さんが経営するドライブインのようなレストラン。遍路と似合わないが、焼き肉定食だった。池田湖のほとりにある。池田といえば、甲子園で活躍した池田高校がある場所だ。店の中には、池田高校の深部音記事が張ってある。関係が深いのかもしれない。私たちが食事をした部屋の名前は「つた」だった。池田高校の名物監督だった蔦文也関東にちなんでいるのだろうか。家地元の野菜などを売っている。参加者の中には、重いのにブンタンを袋で買う人もいた。


      ↑焼き肉定食


【65番・三角寺】

 池田から愛媛県川之江市に向けて、バスで一般道を走る。川之江に出てから、三角寺に登る。標高は450メートル。雨はやんでいた。
 駐車場から石段を上る。雨はやんでいたが、石段の上の方は霧がかかって見える。境内にはヒマラヤユキノシタがピンクの花をたくさんつけていた。桜の木も数本。5分から7分程度の咲き具合。本堂の前に一茶の句碑「是でこそ登りがひあり山桜」があった。大きなヤマザクラの横に立っていたが、ヤマザクラはまだ花を開いていなかった。
 堂の供花はシキミ。白い花をつけている。シャガも咲き始めていた。



      ↑ヒマラヤユキノシタがたくさん咲いていた
 

      ↑一茶の句碑



【三角寺からの下りの遍路道】

 今回のちっと歩きの1つは、三角寺からの下りの遍路道。霧の中へと入っている。歩き始めると、犬と一緒の車遍路の女性に、三角寺への道を聞かれた。どうも道を間違えて、細い道を来たようだ。すぐそこだと伝えると、女性は話を続けてきた。66番雲辺寺から来たという。「大変の霧で、ライトをつけて運転しても怖いくらい」と話した。この女性とは、64番・前神寺、宿の四国屋も一緒になった。
 山の中の逆打ちは、道に迷いやすい。この道も、仲間と話しながら歩いていて、細い山道に入っていく道しるべを見落としたことがある。今回は注意していたので大丈夫だったが、しばらくして上りが続いているのに気づいた。下りばかりのはずだったので、おかしい。実は順打ちの遍路の道しるべが少しずれていて、それにつられて三角寺へ向かう別の登り道を進んでいたのだ。
 私たちのグループは、1時間20分ほど歩いて、山のふもとの戸川公園でバスと合流し、一休み。広い公園ではないが、桜の木は多く、密集した感がある。店も1軒出ていた。ただ、花見客は私たちのグループだけだった。北九州市の男性とは、ここで別れた。


      ↑霧に包まれた遍路道



      ↑遍路道沿いにチューリップ畑があった


      ↑戸川公園の桜



【63番・前神寺】

 前神寺は小雨の中の参拝だった。駐車場からの参道は、桜が満開。境内はシャガ、スイセン、ツバキといった花が少しずつ咲いていた。本堂は権現づくり。両側に回廊を持ち、左右対称の美しいスタイルをしている。
 バスに帰る際、三角寺のそばで会った女性に再会した。車を下り、犬を連れて参拝に向かう途中だった。「雨が降っているので、今日はここで打ち止めにしようかと思っている」と話していた。それなら、宿でまた一緒になるかもしれない。そう思ったが案の定、参加者が宿の風呂で一緒になったと話してくれ、その後は夕食も朝食も、そばのテーブルで食べているのを見た。


      ↑前神寺の参道の桜


      ↑前神寺の本堂



【62番・吉祥寺】

 吉祥寺のお参りも、小雨の中だった。山門から入ると、チューリップを植えたプランターが並んでいた。境内には成就石がある。丸い穴の開いた石が境内に置かれ、金剛杖を前に突き出し、目をつぶって石に向かって歩いていき、杖が穴に入れば願いが叶うという。ただ、雨が降っているので、誰も試そうとする人はいなかった。


      ↑山門のそばにチューリップ


【宿】

 宿は遍路客専門のようなホテル「四国屋」。風呂は温泉で、露天風呂に入る。狭いスペースで、下の方は竹のような形をしたプラスチックで覆ってあるが、頭の上は開いていて、すぐそばの桜が見える。この時期の楽しさ、風呂まで桜。
 ここの夕食は、サザエの刺し身が売りものようで、以前も食べたことがある。刺し身はほかに、カンパチとサーモン。小さなカニの爪の鍋、大根の煮物、メジロの煮つけ、カキフライ、メジロの煮つけ、茶碗蒸し。朝はこれも名物の鯛茶漬けだった。


      ↑四国屋の夕ご飯


【60番・横峰寺】

 基本は逆打ちなのだが、2日目は時間配分の関係上。宿からまず60番・横峰寺を目指した。黒瀬ダムを車窓から見て、遍路宿「京屋」の前で、専用バスに乗り代えて行く。雨は大丈夫だが、700メートルの山を登ると、また霧の中へと入っていく。駐車場まで着くと、今度は霧が晴れて、青天が広がる。
 本堂へは駐車場から7~8分下りていく。すると、また霧に包まれる。目まぐるしい。ちょうど霧との境目を歩いているのだ。本堂でも大師堂でも、霧の中で般若心経を唱えた。  参拝の後、奥之院の星ヶ森へ。これも今回のちょっと歩き。ここからは状況が良いと、石鎚山の頂が見える。ただ、この霧では期待薄だった。四国屋の主人も「今日はむりだろう」と話していた。ところが星ヶ森に着く直前、霧が晴れた。つまり霧の上に出た。では、石鎚山は見えたか。ほぼ見えた。雲海の上に石鎚がそびえ、頂上部はほんの一部だけ雲が隠してはいたが、9割までは見ることができた。雲海があるのがかえって良い雰囲気を作り出していた。
 駐車場まで戻る。朝の光が背の高い木々の間から差してくる。写真に撮ると、モノクロの光の帯のように広がっていた。


      ↑大師堂も霧の中


      ↑星ヶ森から石鎚山が見えた


      ↑星ヶ森の朝の光


【加茂川】

 専用バスで下りてきて、京屋で一休み。店の人がタルトと坊ちゃん団子のお接待をしてくれた。私たちのバスに乗り換え、さらに下りていく。
 桜の時期なので、花見も組み込んでいた。西条市の加茂川。堤防に桜並木が続いている。河川敷の駐車場のバスを止める。たくさんの市民が訪れていた。このあたりの桜の名所になっているようだ。


      ↑加茂川の桜


【昼食】

 昼食はJR小松駅前のレストラン「マルブン」。事前に昼食場所を探していて、地元の人たちが好きな店だと知った。外見は地味だが、こんな店なら大抵は間違いない。「伊予西条ナポリタン」と名づけられたスパゲッティーが人気だといい、それを注文した。ネーミングもいい。バゲッドもつけた。
 ナポリタンは単純な作り方だった。スパゲッティーは固めにゆでてある。具は小さな角切りのソーセージと少量のピーマンの千切り。味付けはトマトとトマトケチャップの両方を使っているかもしれない。1番上に大きなソーセージが乗っていた。量の多いのに驚いた。
 ちょっと歩いて、壇ノ浦の古戦場を見下ろす場所まで行った。天気が良いので、小豆島もはっきり見える。途中にも、サザンカの生垣があり、またそれを見ながら駐車場に戻った。


      ↑伊予西条ナポリタン


【62番・宝寿寺】

 昼食の間に、すっかり良い天気になっていた。暑いくらいに、気温も上がってきた。マルブンから宝寿寺まではすぐそば。狭い境内で、金堂の建て替えが長い事続いている。納経所の前に桜の木があり、それとの組み合わせで写真を撮った。塀の外側、内側と、両方から。桜の木はここだけだが、時期には恵まれて。満開だった。


      ↑宝寿寺の桜


【61番・香園寺】

 香園寺の境内の桜も満開だった。本堂は大きなコンクリートの建物。外側は黒い色なので、白い桜の花がいっそう映える。
 本堂の中で般若心経を唱える。中はひんやりしている本尊は大日如来で、金色に光っている。一方大師像は小さくて目立たない。その対比がおもしろい。ここで今回の遍路の打ち止めとした。


      ↑本堂を背景にした桜


【周ちゃん広場と帰途】

 お参りの後は、お買い物。立ち寄ったのは周ちゃん広場。JAがやっている大きな施設で、地元の農産物がたくさん並んでいる。2017年に賞をもらっているので、評判がいいのだと思う。
 帰りは吉野川ハイウェイオアシスで休憩。ここは小さな公園があって、やはり桜が満開だった。最後は淡路島ハイウェイオアシスで休憩した。建物の裏の「花の谷」で、トキワマンサクをカメラに収めて、大阪に向かった。


      ↑吉野ハイウェイオアシスの桜


      ↑淡路島ハイウェイオアシスのトキワマンサク


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   ◆第5回(59番・国分寺〜54番・延命寺)
     =2016年5月13日〜14日


 毎日新旅行の遍路旅シリーズ「ちょっと歩き四国遍路・のんびり逆打ち」の第5回目は、好天の2日間だった。気温も高く、女性は日焼け止めのクリームを持っての参加だった。参加者は14人。随分昔の遍路旅に来ていて、会うのは8年ぶりと4年ぶりの女性がいた。


【福山サービスエリア】

 今回は中国自動車道、山陽自動車道を通って、しまなみ海道を通って四国へ入った。広島県尾道市から橋を渡るのだが、その前に竜野西サービスエリアと福山サービスエリアで休憩をとった。高速道路の中央分離帯に黄花コスモスが黄色の帯を見せていた。この花は強い。
 竜野西サービスエリアは、「たつのベーカリー」というパン屋がおもしろい。変わったパンを置いていて、つい手が出てしまう。そこで買ったのは、しほみあんパンと、抹茶を練り込んだ生地であんを包んだパンだった。しほみあんパンは、赤穂名物のしほみまんじゅうからの発想だろう。
 福山市はバラの街として知られる。サービスエリアにもバラ園が造ってあった。50株以上あったかもしれない。ちょうどいい時期で、どれも見ごろだった。それよりも印象に残ったのは、トイレの洗面台に置いてあった花瓶に生のバラが飾ってあったことだった。


      ↑トイレもバラで飾ってあった


      ↑福山サービスエリアのバラ園


【よしうみバラ園と昼食】

 しまなみ海道の大島で高速から下り、昼食はよしうみバラ園のレストランにした。メニューはヒジキ丼のセット。大島はヒジキの産地で、これまでに2度食べたことがある。煮たヒジキをご飯の上に乗せただけのものだが、やや細目のヒジキで柔らかく、上品な味わいがある。セットはほかに、海藻のイギスと大豆の粉を使ったイギス豆腐。千切り大根とタケノコの煮物、豆の煮ものといった小鉢がついていた。
 昼食の後、土産にヒジキを買おうと思って売店に行った。すると参加者のうちの2人が先に店の女性と話していて、私も加わった。店の人によると、11月ごろから予約が入り、2月の予約分で完売してしまったという。大変な人気だと知った。
バラ園を見て回る。ほとんどの木が満開で、1番良い時期だった。よく手入れが行き届いていて、枯れた花はほとんどない。400種3500株を誇る。噴水も配してあって、公園自体の整備度もいい。イングリッシュローズのオールドローズ、モダンローズがそろっている。しまなみ海道が開通した記念に、フランスのバラの庭園「ライ・レ・ローズ」からナポレオン皇妃ジョセフィーヌが周垣生したオールドローズ「ジョセフィーヌ・コレクション」など100種が移植され、充実したバラ園になったという。
 日差しは強い。コンパクトカメラでも写真を撮ったが、スマートホンで撮った。太陽にあたりすぎたせいか、スマホの機能が低下し、写真が撮れなくなってしまった。しばらくスマホをポケットに収めて、冷却せざるを得なかった。


      ↑ヒジキ丼のセット


      ↑よしうみバラ園



【59番・国分寺】

 今回のお参りの最初は、59番・国分寺でスタートした。暑さがますます増してくる。線香・ろうそくを立て、納め札を入れると、参加者はみんな太陽を避けて、線香立ての屋根の下に避難し、そこで般若心経を唱えることになった。幸い線香立ては2つあり、本堂から遠い方だったうえ、お参りの間に参拝に訪れる人はおらず、ちょっとずるい方式も許容範囲だった。
 境内には空海の像があり、右手を差し出している。タレントの握手会のような雰囲気で、参拝者は空海の手を握り、願い事を唱えていた。その横に大きな薬壺があり、体の各所の文字が記してある。参加メンバーはそこでも、腰や頭や目など、直してほしかったり、大事にしたかったりする場所の文字に触れ、健康を願った。
 境内で休んでいる歩き遍路の男性に声をかけた。1番からの通しの順打ちで、この日が19日目と聞いて驚いた。男性は「25日目くらいに88番・大窪寺に着いて結願すると思う」と話した。私が初めて遍路に出て自転車で回った1996年、大窪寺の前の民宿で、女将がその年の徒歩早回りの記録を話してくれた。それは22日間だったが、それに匹敵する速さ。何とまあ、である。


      ↑線香立ての屋根の下で般若心経を


      ↑空海と握手


【マイントピア別子】

 別子銅山跡が「マイントピア別子」という施設になっている。それも今回のコースに組み込み、本来は2日目に大阪へ帰る途中に寄る予定だった。ところが事前に添乗員さんがマイントピアの電話を入れると、2日目にあたる14日と15日の土曜・日曜はシャクヤク祭りで、大変な人出だという。マイントピアへの道が狭く、離れた場所に駐車場を設け、シャトルバスを運行するが、それでも渋滞する可能性が強いらしい。そこで急遽、大幅に行程を変え、初日に行くことにした。
 この日は建物の前の駐車場までバスで行くことができた。まずトロッコ列車に乗って、昔の坑道へ。乗っている距離は300〜400メートルと短いが、操業時に使われていたトンネルや橋を渡っていく。
 坑道は江戸時代の採掘状況を見せるゾーンと、明治以降のゾーンに分かれていた。それぞれ、ジオラマなどを使い、当時の模様を示している。外は多分、30度近い暑さだが、坑道の中の気温は14.8度と電光表示されていた。
 坑道の出口近くは、子どものための遊びの要素が加わり、滑り台や小さなリフト、ロープを組んだはしごなどがあり、ちょっとした冒険をしながら外に出るコースも設けてあった。参加者はみんな高齢者だが、滑り台で滑ったり、リフトに乗ったりと、遊び心を起こしている人もいた。
 帰りは入り口の建物まで歩いた。別の坑道の出口があり、そこからは中の冷たい風が流れてくる。レンガ造りの建物が残り、木造の迎賓館もある。入り口の建物は道の駅にもなっている。その周辺がシャクナゲ園になっていて、赤や白、ピンク、それに加えて2色の花のシャクナゲが満開だった。1日早く訪れたために、ゆっくりと花を楽しむこともできた。
 建物の中は、土産物や地元の食べ物がたくさん並んでいた。その中で食べたのは、伊予かんを使ったシュークリームと、地元で人気の練り物「えび天」だった。


      ↑坑道の入り口


      ↑満開のシャクヤク



【宿】

 このあたりでの宿は、今治市の奥座敷的存在、鈍川温泉の鈍川温泉ホテルをいつも選ぶ。以前の遍路旅の際、このホテルに入った夜、参加者夫婦のお母さんが急に容態が悪くなり、大阪に帰らなければいけなくなった。ところが、夜なので交通手段がない。翌朝になって帰ろうとした。ところが、女将が松山市の道後温泉から夜行バスが出ていることを思い出し、自分の車を運転して夫婦を道後温泉まで送ってくれた。その恩があるので毎シリーズ、お世話になることにしている。
 従業員教育をしっかりしている女将で、客に対する心遣いもきめ細かい。私は先達なので、宿に着くとコーヒーのお接待を受けた。アイスコーヒーをお願いすると、小さなお盆に乗せて運んできてくれた。お盆にはごく小さな陶器の花瓶がついていて、ナデシコの花が差してあった。コーヒーには氷が浮かべてあり、それもコーヒーでできていた。私のためだけかと思ったが、注文があれば同じようにして出すようで、その準備の花瓶を乗せたお盆が用意してあった。
 部屋に入ると、女将手書きの絵のついたウエルカムカードが置いてある。ロビーで渡された館内案内の紙には、「先達様」と書いてあり、参加者の部屋の紙にはツアーの名前が書いてあったという。夕食の時には。必ず女将が会場にあいさつに来る。こんなささいことがうれしくなる。
 温泉は玉川に沿って造ってある。露天風呂は湯船がヒノキで、温泉成分で滑りやすい。館内説明の際に若女将が注意していた通りだった。玉川はホテルの場所でカーブしてその先は木々の中に消えるが、露天風呂のあかりが木々の中で垣間見える川に写ってチラチラと光っていた。
 夕食のメーンは紙なべ。地元のイノブタと野菜を使っていた。もう1つは鯛のカルパッチョ。ほかに刺し身、イカ・エビ・シイタケ・ナスのオイル揚げ、鯛のアラだき、茶碗蒸しなど。
 実はこの日は、私の69歳の誕生日だった。それを知っている人がいて、添乗員さんが愛媛県の酒「梅錦」を、常連の参加者がケーキをわざわざ買ってきてくれた。ほかに、夕食の席で参加者から生ビールも回ってきた。ケーキにロウソクが3本。「ろうそくが少ない」と言う人がいたが、「お参りの時のろうそくはある」と茶々を入れる人がいて、笑いが渦巻いた。
 四国で仕事をしたことが2回あり、梅錦は人気の酒でよく飲んだ。懐かしがっていると、女将が「後継者がいなくて、白鶴に買収してもらったそうですよ」と言う。ちょっと驚いた。
 朝は早めに起きて、朝風呂と朝食の前に、1人で玉川沿いを歩いてみた。大きな川ではないから、水量もさほどない。それなのに夜は、布団の中で水の音がとても大きく聞こえた。水はきれいで、渕になっている所はエメラルド色をしていた。遊歩道もあり、河原に下りる道もあり、心地よい散策だった。
 ホテルの前の広場でバスに乗り、2日目の遍路へ出る。広場へ出入りする道は2本ある。バスはホテルの左手の道から出て、右手の出入り口の前を通って今治の市街地に向かう、若女将もむ1人の若い従業員の女性が、ホテル左手の出入りで手を振ってくれる。バス広い道に出ると、2人は右手の出入り口へと走る。バスがその前を通ると、もう1度手を振って送ってくれる。これも毎回の心遣いの光景だ。


      ↑夕食の席に女将があいさつに来る


      ↑誕生祝いのケーキや日本酒


      ↑玉川に沿って朝の散歩


【58番・仙遊寺】

 バスで仙遊寺の山門まで行き、そこから境内の山道を歩いて登った。深い林の中の参道。途中で、湧き水があり、備え付けのひしゃくで飲んで、また登る。勾配はけっこうあるが、距離は短く、10分足らずで本堂に着いた。
 本堂でお参りをすませ、大師堂に行くと、すぐそばに石仏が置かれ、その上を淡いピンクのシャクナゲが覆っていた。ほかにもシャクナゲの木があったが、花を開くのはこの木が早かったようだ。


      ↑仙遊寺への参道


      ↑石仏とシャクナゲ


【57番・栄福寺】

 前日、毎日新聞の後輩で、今治地区を担当している記者から連絡があり、栄福寺で待ち合わせた。境内に入ると、後輩は待っていた。参拝をすませて彼と話す。寺の白川密成住職は映画「僕は坊さん」の原作者で、後輩は何度も取材したことがあり、白川住職を紹介してくれた。
 みんなで白川住職から話を聞いた。映画化されてから、仏教をあまり縁のない若い人もお参りに来てくれるようになったという。講演も頼まれ、大阪・堺市でも話したそうだ。一緒に記念写真を撮った。シャッターを押してくれたのは白川住職の奥さんだったが、奥さんによると、お遍路さんが集まる兵庫県西宮市の店で会ったことがあるという。私が「2回しか行ったことがないのに」と言うと、奥さんは「私は1回だけ」とか。大変な偶然があるものだ。
 後輩の記者は瀬戸内海の岩城島のレモンを、みんなに1つずつお接待してくれた。地元産品を売る大型施設「さいさいきて屋」で買ったという。しかも生産者の名前を見て、取材したことのある人だと話した。この「さいさいきて屋」は、この日のコースに組み込んでいた。


      ↑白川住職と記念撮影


【56番・泰山寺】

 駐車場から道路を横断して泰山寺へ歩く。石垣と白壁の上から本堂の上部がのぞいている。暑さが増してきて、時折吹く風が気持ちが良い。大師堂のそばに小さな池があり、カキツバタが咲いていた。花を眺めて納経所に行くと、人気者の犬が愛想をふりまいていた。納経所には「マルチーズ ナナ 9歳」と紹介する紙が張ってあった。


      ↑人気者のナナ


【55番・南光坊】

 境内の駐車場のバスを止めたので、1度境内の外に出て、改めて山門から入った。山門の2階部分に鐘があり、そこからロープが下に伸びていて、参拝者は山門をくぐりながら引っ張り、鐘を鳴らす。
 本堂、大師堂には、小さな千羽鶴が奉納されていた。普通の織り紙の鶴よりは折り方が簡単で、お腹の部分がふくらんでいる。このタイプの鶴には遠い昔の思い出がある。
 毎日新聞の記者になって、初任地は和歌山だった。新人はまず、警察署の担当になる。ある日、売春容疑で逮捕された女性の取り調べの場面に遭遇した。今とは比べものにならないノンビリした時代で、取り調べは開けっ広げだった。その女性容疑者が折っていたのが、このタイプの鶴で、わざわざ折り方を教えてくれた。「これはね、妊娠している鶴なのよ」と言いながら。印象に残るひと時だった。
  休憩所の長椅子に座り目を閉じている外国人男性がいた。目を閉じていることを知らず、「こんいちは」と声をかけた。「こんにちは」と返ってきて、初めてそれとわかった。瞑想中だったのかどうかはわからないが、邪魔をしたのかもしれない。


      ↑奉納されていた千羽鶴


【大山祇神社】

 南光坊はもともと、しまなみ海道にある大山祇神社(おおやまずみじんじゃ)の別当寺だった。それを島から四国に移した。そのため、寺の横には大山祇神社の末社がある。そこにも参拝した。境内には樹齢300年の大きなクスノキがあった。戦争の時に上の方が燃えたが、まだ力強く生きている。ヤドリギをたくさんつけていた。


      ↑大山祇神社


【54番・延命寺】

 今回の打ち止めは54番・延命寺だった。池のそばの参道を通り、松山城から移築した山門をくぐって境内に入る。本堂に幕が張ってあり、境内には臨時と思われるプレハブの小屋が設けてある。本堂での人の動きがあわただしい。本堂から出てきた人に聞くと、屋根の葺き替え工事などが終わり、翌日が落慶法要だと教えてくれた。本堂の中には、熊本地震の被災者にエールを送る子どもたちの絵が刑事してあった。


      ↑本堂の中の張られた子どもたちの絵


      ↑翌日に落慶法要を控えた本堂


【さいさいきて屋】

 買い物もこの遍路旅の楽しみの1つになっている。今回は、地元の農産物や水産物を置いている大型の商業施設「さいさいきて屋」を選んtだ。ここは人気があって客も多く、大臣賞も受賞歴もある。後輩の記者によると、全国から視察に来ているそうだ。 
 食堂、ケーキ屋、パン屋もある。私は野菜コーナーでソラマメ、さいさいカフェで安売りで3つ300円のイチゴ大福を買った。


      ↑安売りのイチゴ大福を買った


【今治タオル美術館】
 昼ご飯は少し遅くなったが、今治タオル美術館のレストランにした。ここは「イチヒロ」というタオルメーカーの大きな販売施設。タオルだけでなく、四国の名産品も数多く置き、さらに有料の美術館、レストランも2つ備えている。そのうちの1つ、中華料理「王府井」が昼食場所だった。広い庭園に面したきれいなレストランで、点心と炒め物、おかゆ、スープ、杏仁豆腐がセットになっていた。食べ終わり、美術館、買い物、庭園散策の3つのグループに分かれて行動し、バスに戻って大阪に向かった。


      ↑中華料理の昼食


      ↑よく整備された庭園


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   ◆第6回(53番・圓明寺〜48番・西林寺)
     =2016年6月10日〜11日


 毎日新旅行の遍路旅シリーズ「ちょっと歩き四国遍路・のんびり逆打ち」の第6回目は、梅雨の最中の日取りだった。しかし、ちょうどその2日間だけ雨が降ることはなく、傘もカッパも不要だった。
 新聞記者時代の取材先で、梅雨の時期の軽いあいさつのつもりで、「雨が降らなくて良かったですね」と話しかけると、「雨を待っている農家の人もいるんですよ」とたしなめられたことがある。しかし天気が良いのは、遍路にはありがたかった。参加者は10人。少人数のうえ、シリーズも6回目となり、打ち溶けた仲間の遍路旅だった。


【昼食】

 いつも通り、大阪・梅田の毎日新聞社前をバスで出発した。予定では明石海峡大橋経由のつもりだった。しかし、最初の昼食が香川県坂出市の瀬戸大橋近くで、運転手さんのサジェスチョンで今回は中国自動車道、山陽自動車道を通って、瀬戸大橋経由で四国へ入った。その方が早くつくという判断だった。
 前回はしまなみ街道経由だった。今回も岡山までは同じルートで、山の緑の中を走っていく。前回同様、高速道路の中央分離帯に黄花コスモスが咲いていた。竜野西サービスエリアで休憩した後、そのまま昼ご飯の会場へ。出発時間は快晴だったが、薄い雲が広がり、もやもかかって、真っ青な瀬戸内海というわけにはいかなかった。


      ↑瀬戸大橋経由で四国へ

 瀬戸大橋を眼下に見る山の結婚式場「サン・アンジェリーナ」が、昼食の場所だった。景色もさることながら、遍路と結婚式場のアンバランスを狙った遊び心である。レストランは「クローチェ」という名前で、私たちのグループが食べている間、ほかにはカップルが1組だけだった。
 料理はイタリアン風だが、和食のテイストも取り込んだものだった。つぶしたカボチャやカニかまぼこ、野菜を使った料理が、まずオードブルとして出てきた。冷たいコーンスープの後、メーンの魚(スズキ?)を焼き物。パンかご飯がついている。最後はムースのデザートと、紅茶かコーヒー。後から聞いた話だが、デザートは店のお接待だった。
 桂由美さんがかかわった「恋人の聖地」の1つに組み込まれ、戸外には海を背景にして青い十字架が設けてある。その横には金属の網の塀がめぐらされ、錠前がたくさん取り付けてある。永遠に結ばれている、ということだろう。


      ↑クローチェで瀬戸大橋を見ながら昼食


      ↑瀬戸大橋を背景に錠前が並ぶ


【53番・圓明寺】

 最初のお参りは松山市の圓明寺。バスは高速道路松山道の松山インターを下りた。すると松山外環状道路が一部できていて、またその高架に乗った。坊ちゃん球場の横を通っていく。
 寺に着く。八脚門の山門をくぐり、さらに中門を通っていく。ろうそくに火をつけ、その火を線香に移し、大きな丸い線香立てに立てる。再び天気がよくなり、入道雲が立っていた。般若心経を唱えていると、背中が暑い。
 本堂の前には、堂内部の欄間に彫られた大きな竜の写真が掲示してある。遍路仲間が順番にのぞき込む。向かって右側の増長天の上に、その竜はあった。レリーフではなく、欄間から飛び出している彫刻で、左甚五郎作とも言われるらしい。甚五郎伝説はいたるところにあり、この竜が甚五郎の手になるものかどうかはわからないが、なかなか迫力がある。
 トイレの壁がなまこ壁になっているのがおもしろい。大師堂の横には、隠れキリシタンが建てたマリア観音とみられる石仏があった。


      ↑山門から見た圓明寺の境内


【52番・太山寺】

 太山寺に着くと、山門でバスを下りた。門のそばには、アジサイが咲き、風知草が弱い風に葉を揺らしている。今回はあまり歩く機会がないので、山門から本堂までの往復も、「ちょっと歩き」として組み込んだ。距離は片道570メートル。木立の参道を歩く。途中にある目の霊仏・一畑薬師に手を合わせていく。木が日を遮って心地よいが、急な傾斜もある。最後に石段を上って、本堂の前に出ると、背中を汗が流れていた。
 本堂はどっしりとした大きな建物で、国宝に指定されている、前にマニ車があって、結縁の紐が堂まで伸びている。
 さらに少し石段を上った大師堂の前から本堂を眺めると、屋根に近い高さから見るので、さらに大きさがわかる。屋根には茶色の素焼きのような丸瓦もあり、それが建物の古さを演出していた。


      ↑本堂の前のマニ車


【宿】

 宿は道後温泉のホテル八千代で、毎日新聞旅行が常宿にしている。道後温泉本館(坊ちゃん湯)からも5分ほどだから便利なところにある。午後5時に宿に入り、ひと風呂浴びて午後6時から夕食にした。通常よりは少し早めだが、夕食後に温泉街を散策するためだった。
 ホテルの夕食はどこも品数が多い。ここは▽食前酒の梅酒▽前菜▽刺し身▽ポークシチュー▽豚のしゃぶしゃぶ▽茶碗蒸し▽ブリのあぶり▽タイの釜めし▽赤だし▽ゼリー。ポークシチューが名物で、フランスパンが添えてあり、シチューをつけて食べる。ブリのあぶりも珍しい気がした。メニュー表が席に置いてあり、「本日のお料理には日本酒『道後蔵酒』がおすすめです」と書いてあった。その誘惑に負けて1本注文した。あっさりめの酒だった。
 夕食のあと、温泉街をちょっと歩き。道後温泉本館の前から商店街に入り、目的地はからくり時計で、午後8時の動きを見に行った。動きが始まるまでは足湯につかって待った。3分ほどんのからくりをみてから、いくつかの店に寄りながら帰った。タルトの六時屋では、遍路メンバーの1人が土産として10箱ほど購入し、送ってもらっていた。みんなに配るらしい。その店では、ほとんどの人がアイス最中を食べた。
 翌日は朝早く置き、1人で近くの松山市立鷺谷墓地を訪ねた。秋山良古の墓を訪ねるためだった。墓地に入ると、秋山と中村草田男の墓の案内表示があった。その表示を仕方がおもしろい。秋山は右方向の矢印と「70歩」、草田男は真っ直ぐの矢印と「15歩」、それに右の矢印と「15歩」。墓石の密集した場所なので、この表示が適切なのかもしれない。矢印に沿って2つの墓に参った。


      ↑道後温泉本館


      ↑からくり時計


      ↑秋山好古と中村草田男の墓の場所示す表示


【道後温泉公園】

 2日目の公式の日程は、道後温泉内の散策からスタートした。最初に訪ねたのは、時宗を興した一遍の生誕地、宝厳寺。遊郭の名残なのか、居酒屋やスナックが並ぶ道が参道になっている。山門をくぐると、堂宇がまだ新しい。2013年に火災にあったそうで、それを再建していた。境内には正岡子規の句碑「色里や十歩はなれて秋の風」が立っていた。


      ↑宝厳寺境内の子規の句碑

 続いて伊佐爾波(いさにわ)神社。正面から行くと、長い石段を登るが、宝厳寺側から裏道はゆるい登りで、ありがたい。大きな神社で、私が遍路メンバーに紹介したのは、江戸時代に奉納された算額だった。当時の和算は高い水準で、その問題を額にして10数枚納めている。実物を見ることはできないが、それを復元したものなどが展示してある。幾何の問題が多く、たくさんの円で区切られた図が描かれ、その中の一部の面積を求める問題など、私にはチンプンカンプンで、先人たちに脱帽した。
 もう1つは赤穂義士の額。赤穂事件が起きたのは、「時は元禄15年」で、西暦に直すと1702年。四十七士を描いた額は、10年あまり後に奉納されている。当時の大事件のもたらした衝撃がわかる。


      ↑奉納された算額の復元模型

 道後温泉公園も少し歩いた。池を巡ると、水面に白いスイレンが花をたくさんつけていた。一部は黄色のスイレンもあり、白い花と合わせて爽やかな初夏の朝を演出していた。実際には朝から暑かったのが。


      ↑道後温泉公園のスイレン


【坊ちゃん列車】

 この遍路旅は、お参り以外にも四国の良いところを見てほしい、感じてほしいというものも取り入れている。今回のお楽しみの1つは、坊ちゃん列車だった。伊予鉄道が明治21年に導入した列車で、軽便鉄道としては日本最初のミニSLを復元したものだ。小さなSLの形をした気動車が1両の車両を引っ張る。
 道後温泉から松山市駅までを、約20分で走る。ガタゴトと音をたて、汽笛も鳴らす。いたって乗り心地が悪いが、それがまた楽しい。小さな列車だが、運転士1人、車掌2人が乗り込んでいた。
 松山市駅に着くと、ここからも見せ場が待っていた。列車はまた道後温泉に向かうため、運転方向を逆にしなければならない。それを3人が降りてきて、人力で行う。SL部分を押して回転台の上に移動させる。そこでまた3人が力を合わせ180度回す。さらに道後温泉行きのレールまで押していく。最後に客車をSLの後ろまで押していき、連結させる。これは重労働だろう。「お疲れさん」と声が出る。


      ↑坊ちゃん列車の車内


      ↑人力で方向転換


【51番・石手寺】

 バスと合流し、2日目の最初の参拝の寺、石手寺に向かった。国宝の山門をくぐって境内に入る。この寺はいつも参拝客が多い。本堂にお参りした後、洞窟を通って奥の院にも行った。朝から暑いが、洞窟の中はひんやりとして気持ちがいい。奥の院は、金色の仏舎利塔があり、修行中のブッダの像や羅漢像が配置されている。
 洞窟を引き返し、大師堂で般若心経をあげる。参拝が終わると、山門の前にある「五十一番食堂」へ行き、名物の焼き餅を買った。明治元年創業の文字が見える。白い餅と草餅がある。小さくて薄い餅で、あっさりして食べやすい。メンバーみんなで食べるために15個注文すると、手焼きの際に焦げた餅を1つ、おまけしてくれた。


      ↑奥の院の仏像


【50番・繁多寺】

 繁多寺の山門の外側に、四国八十八カ所が日本遺産になったことを示すプレートが設置してあった。境内に入り、まず鐘を打つ。余韻が「ウォンウォン」と長く尾を引く。ますます暑さが増してくる。風を求めて場所を探しお唱えをした。本堂、大師堂でには、ここもたくさんの千羽鶴が取り付けてあった。
 堂と堂の間にはナンテンが小さな白い花をつけ、そばには修行大師が立っている。大師堂の前には、梅の実がたくさん落ちていた。参拝をすませると、お参りの男性に声をかけられた。バスに張られた「ちょっと歩き四国遍路・のんびり逆打ち」が気になったらしい。5年前までは、いい遍路道は歩いていた。「ちょっと歩き」にしたのは、私の体力が落ちてきて、山登りの遍路道などでトラブルがあった場合、対応できないかもしれないためだ、説明した。男性はうなずきながら、「お気をつけて」と送ってくれた。


      ↑日本遺産のプレート


【49番・浄土寺】

 バスの駐車場からな少し歩くことになる。途中で道路を渡るが、信号の待ち時間が2分ほどあるので、ちょっと驚く。
 この寺には空也の像が安置されている。ただし見ることはできない。その代わり、説明板が設置してある。写真があり、見れば京都市・六波羅蜜の空也像と同じく、口から小さい仏像が出ている。山門の近くで正岡子規の句碑が、クチナシの花に囲まれていた。句は「霜月の空也は骨に生きにける」だった


      ↑子規の句碑


【昼食】

 昼食は青空食堂樽見店で、青空ランチを食べた。3つほどの店を展開するチェーン店で、地元野菜を中心にしたメニューを置いている。青空ランチは鶏のから揚げや小さな切り身の焼き魚もあったが、メーンは野菜サラダで、大きな器に入っていた。小皿も野菜が多く、生のトウモロコシもあった。参加メンバーは女性が多く、ヘルシーメニューが気に入ったようだった。


      ↑青空ランチ


【48番・西林寺】

 今回の打ち止めは西林寺だった。最後になって雲が広がり、暑さはましになった。大師堂には、結縁の紐があり、大師像につながっている。堂の横にハスが植えてあった。花はまだつけていないが、柔らかい緑の大きな葉を何枚も広げ、涼やかさを醸し出している。納経所の前には背の高いサボテンがあり、お参りの度に見てみるが、今回は黄色い花をふんだんにつけていた。


      ↑ハスの葉と大師堂


【杖が淵公園】

 西林寺も、空海と水にまつわる話が伝わっている。干ばつで苦しんでいる村人を救うため、錫杖を突いて水脈を見つけたという。その後が、寺から400〜500メートルほど離れた場所にある杖が淵(じょうがふち)だと伝わっている。西林寺の奥の院と位置づけられ、今は杖が淵公園となっている。この公園が今回の遍路旅の最後のお楽しみだった。
 公園の駐車場は一杯で、入るのを待っている車もあった。公園に入ると、湧き水からの水路が整備されていて、雰囲気がいい。池があり、中心部に向けて短い1本道がついている。道は空海像に行き着く。これが奥の院となる。池にはニシキゴイが何匹も泳いでいた。水底には藻が生えている。「秋風や高井のていれぎ三津の鯛」と呼んだが、その藻はテイレギかもしれないと思ったが、確かめる人がいなかったのが残念。水遊びの場も造ってあって、子どもたちがはしゃいでいた。この公園は家族連れが遊ぶ場所になっていて、駐車場が満杯だったのは、そのせいだと分かった。


      ↑湧き水の水路


      ↑公園の池






◆ちょっと歩き四国遍路・のんびり逆打ち第7回の案内◆
2016年7月1日(金)〜2日(土)=3万9800円
47番・八坂寺〜44番・岩屋寺
 愛媛県久万高原町の山の寺2つ(岩屋地寺。大宝寺)に参ります。特に岩屋寺は駐車場からの参道は上りばかりで少し大変ですが、木々に包まれた心地よさもあります。参拝の後は、古い町並みが残る内子町を散策ます。古い歌舞伎・芝居小屋の内子座を見学し、昼食も古い商家を利用した店に「野遊び弁当」を用意しています。   問い合わせは毎日新聞旅行06−6346−8800