「ちょっと歩き四国遍路・のんびり逆打ち」の先達メモ(3)▽第7回

  

              梶川伸・毎日新聞旅行「ちょっと歩き四国遍路・のんびり逆打ち」先達(「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会副会長)

              

   ◆◇ちょっと歩き四国遍路・のんびり逆打ち編(3)◇◆
(毎日新聞旅行「ちょっと歩き四国遍路・のんびり逆打ち」の先達メモ)


 毎日新聞旅行の遍路旅「ちょっと歩き四国遍路・のんびり逆打ち」の先達を務めている。毎日新聞旅行の遍路旅の案内人としては8シリーズ目となる。
 2016年はうるう年にあたる。うるう年の遍路は逆打ちがいいとされる。このため、今回のシリーズは逆打ちとした。ただし、月に1回の1泊2日の遍路で、計16回だから、今年中には終わらないが。  遍路道を少し歩くのは、過去の「ちょっと歩き」シリーズと同様。また、四国という土地、その空気を感じてもらうことを願って、参拝以外のことも加えた。
 遍路旅は毎回、午前8時に毎日新聞大阪本社をバスで出発する。霊場を参拝し、歩き、地元の食べ物を味わい、遍路道周辺の四国らしい場所にも寄ってみる。大阪・梅田への帰着は2日目の午後7時から8時となる。


   ◆第7回(47番・八坂寺〜46番・浄瑠璃寺)
     =2016年7月1日〜2日


 毎日新旅行の「ちょっと歩き四国遍路・のんびり逆打ち」も7回目となった。前回に続いて、梅雨の最中の2日間だった。出発日前日まで、九州では豪雨に見舞われていた。今回の行き先は愛媛県の西部で、九州には近い。雨を心配したが、2日間は好天に恵まれた。運のいい遍路仲間である。


【昼食】

 今回の参加者は9人。こじんまりとした遍路旅だった。
 大阪・梅田の毎日新聞社前に集合した。天気はいいが、蒸し暑い。天気予報では、愛媛県は気温30度超える。実際もその通りになった。
 岡山から瀬戸大橋経由で香川県に入った。橋から瀬戸内海を眺めると、海面上がもやっている。海霧のようだった。あわてて大槌(島)に向けてカメラのシャッターを押したが、走行中のバスの窓からだったこともあり、あまりうまくは撮れなかった。
 今回も札所は遠いので、遍路旅はまた昼食から始まった。香川県丸亀市の日本料理店「魚よし」が昼食会場で、着いたのは午前11時すぎ。ちょっと早めだが、みんな朝食も早かったので、すぐにはしを取った。
 料理は鯛わっぱ飯ご膳。鯛の炊き込みご飯が、曲げわっぱに入っていて、メーン料理でもある。エビ、キス、野菜の天ぷら、鯛とハマチの刺し身、大きな器に入ったアサリ汁。鯛わっぱ飯とアサリ汁でお腹がいっぱいになった。そんな会話を仲間でしていると、女将が「こちらでは、お腹いっぱいになることを『お腹がおきる』と言うんですよ」と教えてくれた。私は四国に住んでいたことがあるので、この方言を知っていたが、参加メンバーの中には初耳の人が多く、昼食の場のいい話題になった。
 女将は客に対して心を配る。バスが店につくと、駐車場まで出迎えに出てくる。天ぷらは当然ではあるが、暖かいものが出てくる。店を出発する時も、駐車場まで見送りにくる。あまり大きくない店だからできることだろうが、好感が持てる店だ。


      ↑瀬戸大橋から大槌を撮影


      ↑鯛わっぱ飯ご膳


【47番・八坂寺】

 今回の最初のお参りは、47番・八坂寺だった。高速松山道の松山インターで下り、砥部焼きの里を通っていく。中央分離帯に、砥部焼きの大きなかめが並んでいる。これまで気がつかなかったのが不思議だが、砥部焼をPRする面白いアイデアだと思う。
 八坂寺に着くと、手水がしゃれている。石造りの水受けに、アジサイの花とモミジの葉が浮かべてあった。涼しさの演出だった。徳島県の22番・平等寺も同じような演出している。  鐘楼の周りには「南無大師遍照金剛」と書かれた赤いのぼりが並んでいる。本堂の前の左右には、丸い石の水受けがあり、屋根からの水が落ちるようになっている。好天ではあっても、少しずつ水がしたたり落ちるように細工してあり、水滴が波紋を広げる。これも涼やか。
 大師堂には「御手綱」が張られ、綱の先は空海像につながっている。境内には、カンゾウ、ヒメヒオウギといった花がアクセントをつけていた。納経所の近くでは、猫が2匹、仲良く腹這いになっていて、参拝客を楽しませていた。


      ↑八坂寺の手水
 

      ↑本堂の横の水受け


      ↑納経所のそばの猫


【46番・浄瑠璃寺】

 八坂寺から45番・浄瑠璃寺までは、今回の「ちょっと歩き」のコースだった。距離は1キロほどで大したことはないのでだが、午後2時すぎの暑さがたまらなかった。汗が背中を流れ落ちる。涼しげな青のアジサイが道端に咲き残っていたが、暑さの中ではじっくりと目を向ける気にはならない。
 浄瑠璃寺ではお参りの後、裏のハス池をのぞいた。花はポツポツと開いていた。白い花に混じって、薄いピンクの花もあり、池の一角は涼しさが覆っていた。
 境内は狭く、たくさんの木が覆っている。その中には、樹齢1000年のイブキビャクシンもある。大師堂の前ではノウゼンカズラが堂に彩を添えている。仏手、仏足石も配置してあり、 参拝者が次々に触れていた。


      ↑浄瑠璃寺への遍路道


      ↑浄瑠璃寺のハス畑


      ↑イブキビャクシンの古木



【古岩屋】

 バスで久万高原へと登っていく。「天空のさとサンサン」という道の駅ができていて、寄ってみた。野菜が中心だが、レストラン、パン屋、ファストフードの店もある。「でんこ」と名づけられたソフトクリームの店で、トマトソフトを買った。380円と高めだが、トマトの爽やか酸味がよかった。久万高原町はトマトの産地で、宿の古岩屋荘では「さくっと!!とまと」なるトマト味のクッキーのような焼き菓子も買ってみた。
 古岩屋荘までは道路に沿って、アジサイが並び、アジサイ・ロードの様相を見せていた。宿に着いたのは午後4時。夕方まで周辺を散策した。これも「ちょっと歩き」に組み込んでいた。宿のすぐ前に礫岩の切り立った峰が連なっている。その下の川に沿って歩く。狭い川を石伝いに渡る。水は冷たく、流れは速い。
 いったん宿の前に戻り、今度は甌穴の中の不動明王を拝みに行く。垂直に近い礫岩峰の中腹の穴に、高さ4.9メートルのカヤの木の仏像が安置されている。川の反対側の、それも下からの遠望しかできないので、大きさは実感できないが、「よくもまあ、こんな所に」といった感想を、みんなが持った。
 古岩屋荘は古い国民宿舎で、部屋にはトイレもないが、温泉なのがありがたい。夕食はアマゴの甘露煮とイノシシの陶板焼きがメーン料理で、ほかに刺し身、天ぷら、煮物などがついていて、ここでもお腹がいっぱいになった。


      ↑古岩屋荘の前の渓流


      ↑礫岩峰の洞窟に安置された不動明王


      ↑古岩屋荘の夕食



【45番・岩屋寺】

 2日目のお参りは、45番・岩屋寺から始まった。午前8時に古岩屋荘をバスで出た。寺の駐車場までは5分ほど。暑い日が予想されるが、この時間帯ならましだと、みんなで話していた。ところが何の何の、朝から暑い。
 参道を15分ほど登っていく。汗が流れる。アジサイがまだ咲いている。本堂の直前になると、参道に石仏が並んでいる。山肌に段が作られ、そこに石仏が置かれている。まだ空いている台もあり、新しい石仏が順番に安置されていくのだろう。
 そそり立った岩の下にある本堂にお参りをする。続いて大師堂へ。時折、山から風が下りてきたように、涼しい風に癒される。以前、奈良・明日香の橘寺で取材したことがあった。暑い日だったが、吹いて来た柔らかな風が心地よかった。住職は「極楽の余り風」と呼んだ。その感覚は、岩屋寺の風にも通じる。
 岩屋寺には、メンバーの1人が50号の水彩画を奉納していた。岩屋寺の山門を題材にしている。寺に話して、その絵との対面となった。絵は2年前に完成した遍照閣という建物の中にあった。住職が案内してくれた。建物は木造で、山ではない方の一面がガラス張りになっていて、光がふんだんに入って明るい。絵は梱包を解いた状態で、2階の廊下にあった。描いた本人も再会を喜んだが、他のメンバーも作品を入れて住職と記念撮影をし、良い思い出になった。


      ↑そそり立つ岩の下にある本堂


      ↑住職の案内で奉納作品を見る参加者


【44番・大宝寺】

 44番・大宝寺はうっそうと茂る森の中にある。バスの駐車場から少し歩く。前回の四国遍路シリーズでは、大宝寺は雪に包まれていた。大きな山門をくぐり、最後の本堂に向かう石段が雪に覆われていて、滑らないようにソロソロ上った。今回は汗を流しながらの参拝。
 本堂、大師堂での読経は、直射日光を避けて、建物のひさしの下で行った。お参りの後、宿坊へ行った。ここも岩屋寺同様、50号の水彩画が奉納してあり、それが宿坊にあったからだ。作品は寺の人が宿坊の入り口まで運んでくれていた。メンバーが見やすいようにとの心遣いだった。ここの作品も、山門とそこにある大きなぞうりが題材だった。参加者はこの日、2回目の記念撮影した。


      ↑本堂への石段


      ↑作品と記念撮影


【内子】

 今回の遍路は、大阪から遠い札所なので、この日のお参りは2カ寺で打ち止めとした。この遍路は四国の良い場所も体験してもらうのも目的なので、帰りにちょっと遠回りをして、内子町の街を散策した。
 のあたりは木蝋(もくろう)や生糸で栄えた地で、古い町並みが残る。まずは内子座へ。大正5(1916)年に造られた劇場。ちょうど100年目に訪れたことになる。歌舞伎にも使われ小屋。客席は升席で始まったが、復興の際には、いす席も入れた。その際に奈落も80センチの深さから2メートルにしたという。
 街を歩く。スタジオ・ジブリのスタッフが修行のために内子で描いた絵の展示を見た。昼食場所は、蕎麦つみ草料理・下芳我邸の「野遊び弁当」。建物は古く、風情がある。その風情を生かした食事の演出を心がけている店だ。「野遊び弁当」というネーミングもいい。ソバ、梅干しとたいたご飯のおにぎりと、それを包む竹の皮、エビ、ナス、サツマイモの天ぷら、手羽先やカボチャなどの煮物、酢の物、デザートのセット。それが1つのお盆に入れて運ばれてくる。お盆には、小さな花瓶に花が活けてあった。
 食後も街の散策を続け、最後は道の駅「フレッシュパークからり」で買い物をして、大阪に向かった。


      ↑内子座


      ↑野遊び弁当


      ↑内子の町並み


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   ◆第10回(36番・青龍寺〜30番・善楽寺)
     =2016年11月5日〜6日


 毎日新旅行の「ちょっと歩き四国遍路・のんびり逆打ち」の10回目だった。しかし、8回目、9回目は参加人数の関係で、中止となってしまった。前回は7月。1月に1回のペースだが8月は暑いのでスケジュールから外していた。このため、4カ月ぶりの遍路旅となった。

 旅は成り立ったものの参加者は11人と少人数だった。天気には恵まれた。両日とも好天。気温は下がることが予想されていたが、好天のもとで上がっていき、歩けば少し汗をかくほどだった。

 いつも通り、大阪市・西梅田の毎日新聞社前を午前8時に出発した。毎日新聞ビルの2階に広場があり、ツワブキが群生している。満開に近い状態で、参加者と見てから出発した。



      ↑ツワブキを見てから出発



【昼食】

 阪神高速道路神戸線が1部、工事のために通行止めになっていて、バスは湾岸線を走った。淡路島ハイウェイオアシスで休憩。庭に出ると、アメジストセージが満開だった。


      ↑ハイウェイオアシスのアメジストセージ

 
 四国に渡り、徳島道を走って美馬インターでいったん高速道路を下りた。今回も遠い行程なので、まず道の駅「貞光ゆうゆう館」で腹ごしらえをした。メニューは阿波尾鶏(あわおどり)の鉄板焼き。いま売り出し中のブランド鶏で、最近は大阪のスーパーでも見かけるようになった。

 1人用の鉄板に乗って出てきた。表面だけ焼いてある。燃料に火をつけて、焼きながら食べる。味がしっかりしていて、皮の脂がおいしいと感じる。フライドポテトやキノコ、野菜も乗っていて、鉄板にしみ出してきた脂をつけながら食べた。
 
 売店で、はったい粉アイスなるものを売っていたので、買ってみた。はったい粉はこの地区の名産品の1つだそうだ。クリームに練り込んであり、少しざらついた食感があり、わずかに香ばしさも感じる。


      ↑阿波尾鶏の鉄板焼き

 建物の外では、地域の福祉バザーが開かれていた。店をのぞいていると、「美馬から」をアイスにつけてくれた。これもこの地区の名産で、辛いトウガラシ味噌。徳島道の吉野川ハイウェイオアシスで買ったことがある。甘いアイスとの組み合わせは悪くない。
 



【36番・青龍寺】

 高知道に入って、南国サービスエリアで一服。クジラを使ったモニュメントやベンチが設置してあり、それが高知らしい。


      ↑クジラの尾のベンチ
 土佐インターで下りて南下し、橋を渡って今度は海岸沿いを走る。お遍路さんがよく利用する「三陽荘」にバスを止めた。ここからはバスが入れない。当初は36番・青龍寺まで歩く予定だったが、時間との関係で、三陽荘にお願いして、マイクロバスで送ってもらうことにした。
 
 土曜日のせいか、参拝者は多い。石段を登ると本堂、大師堂がある。ここでもツワブキが咲いていた。今回の寺はどこでも、ツワブキの黄色い花を見ることになった。
 
 次から次に参拝者が訪れる中で、きちんと座って般若心経を唱えているグループがあった。よく通る声が境内に響いた。暖かく、読経をしていると背中がポカポカしてきた。
 
 三陽荘までの帰りは、湿地帯を歩いた。道筋にはミニ八十八カ所の石仏が並んでいて、やはりツワブキが彩りを添えていた。池にはカモが遊んでいる。まとまった数なので、もう渡ってきたのかもしれない。


      ↑青龍寺の石段を登る
 


【35番・清瀧寺】

 逆打ちなので、35番・清瀧寺へ向かう。寺は200メートルほどの高さにある。バスはそこまで行けない。そこで「ちょっと歩き」の本領を発揮して、行きはマイクロバスとタクシーに分乗して登った。
 
 本堂は滝のそばにある。滝のそばにはツワブキ。流れ落ちる水の音を聞きながら般若心経をあげた。心地良いお参り。境内には大きな仏像がある。地域の人が部材を運び上げて造ったと聞いたことがある。その下が小さな戒壇になっていて、左手で壁をさわりながら、真っ暗な中を1周した。

 下りは「ちょっと歩き」。石段を下り、山道をノンビリ進む。ブンタンと思われる大きなものなど、何種類かのミカンの畑の中を歩いていく。


      ↑清瀧寺からの下り

 山道を下り切ったところにある民家のガレージをのぞかしてもらった。天井にツバメの巣の跡がいくつもある。巣ごとに、何年にやってきたのかが書いてある。以前、この家の前を歩いた時に、家の人に教えてもらった。それを参加者に紹介したわけだが、今回はだれもいなかったので、入り口からそっとのぞいただけだった。


      ↑ツバメの巣がいっぱいの天井


【34番・種間寺】

 バスはショウガ畑を見ながら走る。高知はショウガの産地で、翌日の日曜市ではたくさんのショウガを見ることになる。菊のイベントをしている場所もあった。鉢植えのほか、地植えで形を作ってもいた。テント張りの店も出ていたが、時間がなかったのでのぞくことができなかった。
 
 34番・種間寺は安産の寺として知られる。柄杓の底を抜いてもらい、それを奉納して安産を祈願する。観音像を安置した堂には、穴あき柄杓がたくさんかけてあった。
 

      ↑底抜け柄杓がズラリ


 
 夕方になり、バスの中から、太陽が山に沈むのを見た。大きな太陽だった。


      ↑バスの中から見た夕日


【宿】

 宿は、いの町のかんぽの宿伊野だった。この遍路はなるべく温泉に泊まることにしているからだ。仁淀川沿い小高い場所に建つ。仁淀川は「仁淀ブルー」の名前があるように、水が美しい川だ。残念ながら日が落ちるのが早く、川辺にまで下りていく時間はなかったが。それでも部屋の窓からの眺めは、のんびり、ゆったりの気持ちにさせてくれる。
 
 夕食は遍路用の「てくてくプラン」と名付けられていた。和え物、高知らしくカツオのたたき、鶏のすき焼き、茶碗蒸し、鯛のあらだき、魚の西京焼き、エビの天ぷらといったメニューだった。
 
 夕食の後に休憩所で、やはり夕食後の男性に「どこからですか」と、声をかけられた。それがきっかけでしばらくおしゃべりをした。男性は四万十市の行政書士で、社会福祉協議会の「困ったこと相談」を手伝っていると自己紹介した。「知らない人と話すのが好きなんです」と言い、最後は「遍路の際に寄ってください」と名刺を差し出した。私はは名刺入れを持参していなかったが、小銭入れの中に汚れた名刺が1枚入っていたので、それを渡した。思わぬ名刺交換となったが、高知の人は、人なつっこいのだろうか。
 旅のメンバーとは久し振りの出会いだったので、夕食の後は私の部屋に集まって、旧交を温めた。翌日も天気に恵まれ、部屋の窓から朝日をしばらくながめていた。


      ↑部屋の窓から見た朝日


【日曜市】

 この遍路旅は毎回、金曜日から土曜日にかけての1泊2日だった。それは仕事を持っている人のことを考えて土曜日・日曜日にすると、帰りは日曜日の夕方から夜にかけての時間帯に、阪神高速神戸線の大渋滞に巻き込まれる恐れがある。しかし、平日にすると、仕事を持っている人が参加しにくい。そこで中を取って、働いている人も月に1回だけ金曜日を休むことを考えてもらい、金曜日・土曜日にしていた。
 
 今回だけ土曜日・日曜日に変えた。それはせっかく高知市を通るので、日曜市に行くためだった。基本的には朝市なので、宿を出ると日曜市に直行した。着いたのは8時半すぎ。バスを高知城の駐車場に停め、約1時間の自由時間を設定した。
 
 市は500メートル近い長さがあり、食品を中心にたくさんのテント張りの店が並んでいる。ちょうど客でにぎやかになるころから、個々別々に端から端までをブラブラと往復した。私は名物のサツマイモの天ぷら「イモ天」を食べながら店をのぞき、酒のあての酒盗、ナスの葉と一緒に漬け込んだたくわん、摘果した小さなメロンの漬け物、赤ショウガを買った。「こじゃんと、うまい」「何とか、生きちゅうきに」「〇〇売りよるきに、食べてみん?」。そんな高知弁を聞きながらの1時間だった。


      ↑日曜市


【33番・雪蹊寺】

 買い物をすませ、2日目の最初の寺、33番・雪蹊寺へ。境内に入ると、小さな露店が店開きをしていた。「ここも朝市」と冗談を言いながら、お参りの後で、店をのぞいた。参加者の中には、ここでもまた買う人がいた。
 
 境内では白いサザンカが咲き始めていた。すみの方でツワブキも咲いている。そのそばには石仏群。秋が深まっていく札所の風情だった。


      ↑境内の露店


【32番・禅師峯寺】

 バスで霊場を回ると、運転手さんが苦労する道がある。32番・禅師峯寺への道は、その中でも最も厳しい場所の1つだと思う。寺への登り口まで、小さな集落の中を通っていく。道が狭く、バスは民家に触れそうになる。前から車が来ると、少し道幅の広い所を探してすれ違わなければいけない。この時も2回のすれ違いを経験した。

 この寺は岩が特徴的だ。黒と灰色が筋になっている。無彩色同士だが、結構目立つデザインになっている、この岩が境内に広がっている。岩を見ながら石段を登るが、横にまたツワブキがある。


      ↑黒と灰色の縞模様の岩が境内を形づくっている

 鐘がよく響く。鐘の下に穴が掘ってあり、参拝者はよくここにさい銭を入れる。しかし鐘の音を共鳴させるものだろう。
 境内から海を臨む。少しもやがかかっているが、桂浜方面まで見える。そういえば、寺に登る道のそばに墓地が広がっていたが、墓はみんな海の方を向いていた。

      ↑鐘の余韻が素晴らしい


【31番・竹林寺】

 31番・竹林寺は風情のある寺だ。境内は広く、木々に覆われている。幅に広い石段があり、コケの緑も広がっている、山門を通した境内の景色もいい。朱の五重塔もある。写真の被写体にはもってこいの場所だ。

 それだからだろう、結婚するカップルが3組も、記念撮影をしていた。カメラマンが選んだ場所は、庫裏へ入り口、山門、石段、五重塔などだった。カップルに「おめでとうございます」と声をかえると、「ありがとうござます」と返ってきた。


      ↑結婚式カップルの記念撮影を3組も見た


【昼食】

昼食場所に選んだのは、高知市に中心部に近い鏡川に面した料理旅館「臨水」だった。メニューは土佐赤牛すき焼き膳。1人用の鍋に厚めの赤い肉を入れて食べる。肉の量が多く、食べごたえがあった。卵は高知のブランド鶏「土佐ジロー」のものだと、女将が教えてくれた。卵はまだしも、肉の方はなかなか手に入らないとも言った。ご飯は高知県西部の新井田米だという。


      ↑土佐赤牛すき焼き膳

 訪れたのは2回目で、女将の人なつっこさは覚えていた。そこで前回見せてもらった「しばてん踊り」を頼んだ。カッパが酔っ払って相撲をとるというユーモラスな踊り。布のかぶりものをして踊る。食事が終わったころ、女将が従業員を連れてきた。2人ともかぶりものをして目だけ出し、おもしろおかしく披露してくれた。


      ↑しばてん踊り

 建物は土佐藩主の屋敷の宝蔵のあった土地を譲り受けて、戦後に建てたものだという。室内のしつらえに力を入れている。床の間には大きな絵がかかっていて、裏から光を当てて、月が昇ったり、満ち欠けしたりする仕掛けになっていた。ほかにも凝った意匠があちこちに施されていて、それらを女将に案内してもらった。その日の泊まり客のために布団を敷いている部屋まで見せてもらった。高知の人は、やはり人なつっこいに違いない。


      ↑月が昇る床の間の絵


【30番・善楽寺】
 今回の打ち止めは30番・善楽寺だった。本堂、大師堂、梅見地蔵にお参りをし終えると、境内に腰を下ろし足をしきりともんでいる歩き遍路の男性に目が止まった。「足を痛めたのですか」と話しかけると、「軟弱なものですから」と笑っていた。少し話を聞くと、岡山県倉敷市から来ているという。春に徳島県・宍喰まで歩き、「くじけそうになったので、いったん帰った」そうだ。「熱中症になりかかった」「雨で腰をおろす場所もなく、電話ボックスに寄りかかって休んだこともある」と、苦労話をしばらく聞かしてもらった。
 大阪に帰る途中、ごく小さな雨粒がバスの窓に当たった。本格的な雨にはならなかったが。天候に恵まれた2日間だった。



      ↑ホトトギスと大師堂






◆梶川伸とゆく「ちょっと歩き四国遍路・のんびり逆打ち」はいったん終了しました。
 
 2017年2月から「ちょっと歩き四国遍路」の新しいシリーズが始まります。詳しくは 毎日新聞旅行06−6346−8800へ。