ヘンロ小屋ノートに見るお遍路さんの心

  

                梶川伸・「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会副会長=2016年8月29日

              
              

1.はじめに


 四国八十八カ所の遍路道に、お遍路さんのための休憩所「ヘンロ小屋」が建っている。徳島県海陽町出身の建築家、歌一洋さん(大阪府吹田市在住)が主宰するヘンロ小屋プロジェクトになるものだ。歌さんを支えるグループ、「四国88ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会(事務局・大阪市)とともに建設を進め、2016年8月現在で55棟を数える。

 小屋には、お遍路さんや地元の方々が自由に書き込めるノートが置いてある。内容の抜粋は、支援する会が会のホームページ(http://www.geocities.jp/henrogoya/)に掲載している。トップページ左端の項目の中の「ヘンロ小屋ノートから」をクリックすると、見ることができる。ただし、筆者の名前は基本的に削除した。

 ヘンロ小屋ノートは2016年8月現在で、21カ所の小屋のものを収録している。内容のうち、お遍路さんが書いたものは正直な内容が多く、大変興味深い。そこで、21カ所のノートの抜粋について、分析を試みた。

 内容を外観すると、自己紹介、決意、その小屋につくまでのノートの行程、感想、感謝、遍路の成果(自分の中の変化)などに分類できる。自己紹介には自分史や遍路の動機が含まれる。決意は遍路を完遂するための意思表明で、いたる所の小屋のノートに書かれている。行程にはほとんど、苦労話がついている。感想の多くは、遍路の良さやお接待や出会った人々に対する感謝が目立つ。遍路の成果は感想にも似るが。自分が感得したものや悟ったことが書いてある。

 ート全体として見ると、ある種の成長小説のような感がある。それは小屋を利用する人の多くが、歩き遍路だからだろう。歩き遍路の道は約1200キロある。足の強い人・速い人でも30日はかかる。60日もかけて歩く人もいる。苦労の中で、お遍路さんは変化していくに違いなく、その一端がノートに文字として記され、成長小説のように読むことができると思われる。

 お遍路さんの言葉を私なりに分類し、それに分析を加えたのが、この原稿である。私自身の意見も反映した主観的なものになった可能性がある。それは私自身、歩き遍路や自転車遍路を経験し、「四国88ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会のメンバーとして、小屋づくりにかかわらせてもらっているため、どうしてもその体験や思いが入り込む。

 なお、原稿を進めるにあたって、ヘンロ小屋はできた順番ではなく、遍路の順打ち(1番から88番にかけて時計回りに巡拝する普通の遍路の方法)に沿った順番を中心にした。ノートには外国人遍路の書き込みも多いが、判読が難しかったり解読に時間がかかったりするので、ほとんどを省くことにした。

 小屋を管理する地元の人がノートに名前をつけているケースがいくつもあるが、名前がないものは「ヘンロ小屋ノート」とした。また、論を進めるうえで、ノート全体を指す時にも、「ヘンロ小屋ノート」の言葉を使っている。

 「遍路」という言葉は、遍路をすること、遍路をする人、遍路文化など、さまざま意味に使われる。ここでは原則として、遍路をすることを「遍路」、遍路をする人を「お遍路さん」、遍路を取り巻く文化を「遍路文化」と表記することにする。

 

↓ヘンロ小屋44号・神宅の「ふれあい日誌」



2.ヘンロ小屋


 ヘンロ小屋プロジェクトは、歌一洋さんが2000年に提唱して始まった。お遍路さんの足休めのための簡単な東屋が基本になっている。2001年に徳島県海陽町に第1号ができた。2006年に歌さんの活動のサポート組織として、「四国88ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会ができ、以降は歌さんと支援する会が共同で小屋づくりを進めている。

 小屋づくりはすべてボランティアで行っている。土地の提供、資金集めは主に地元に人たちや地域に根差した組織、会社などが担っている。また支援する会の会費や会への寄付金も建設費に充てている。歌さんがその場所にちなんだ小屋の設計をし、建設は工務店に頼むことが多いが、時には歌さんと支援する会の会員が手づくりすることもある。小屋は原則として木材で造り、その活動がウッドデザイン賞、高知県木の文化賞を受賞している。

 完成したヘンロ小屋は次の通りとなっている(開設順、2016年8月現在)。

 第1号・香峰=こうほう    徳島県海部郡海陽町四方原64−1
 第2号・弘見(廃小屋)    高知県幡多郡大月町弘見1379−1
 第3号・阿瀬比=あせび    徳島県阿南市阿瀬比西内
 第4号・鉦打=かねうち    徳島県阿南市福井町鉦打
 第5号・蒲原=かもはら    高知県南国市岡豊町蒲原587−261
 第6号・宍喰=ししくい    徳島県海部郡海陽町宍喰
 第7号・芳井         高知県幡多郡三原村芳井69−1
 第8号・香我美=かがみ    高知県香南市香我美岸本
 第9号・大月         高知県幡多郡大月町2610、ふれあいパーク大月
 第10号・宿毛        高知県宿毛市坂ノ下1023−44、すくもサニーサイドパーク
 第11号・勝浦        徳島県勝浦郡勝浦町生名
 第12号・眉山=びざん    徳島県徳島市新町橋3−1
 第13号・佐賀        高知県幡多郡佐賀町挙ノ川2161
 第14号・大浦        高知県幡多郡大月町大浦1128
 第15号・清水川       高知県幡多郡三原村大字宮ノ川1562
 第16号・宇和        愛媛県西予市宇和町上松葉金藪、東洋軒駐車場内
 第17号・須崎        高知県須崎市押岡1228−2
 第18号・丸亀城乾      香川県丸亀市南条町17−16、南条町ポケットパーク
 第19号・津島・かも田    愛媛県宇和島市津島町下畑地
 第20号・足摺=あしずり   高知県土佐清水市大字足摺岬字堂ヶ森山1497−16
 第21号・宇和島光満     愛媛県宇和島市光満新屋敷
第22号・大方=おおがた   高知県幡多郡黒潮町浮鞭3731−2
第23号・仙遊寺接待所    愛媛県今治市玉川町別所甲4893、作礼山・仙遊寺
第24号・高松・一宮     香川県高松市一宮町657−9
第25号・石手寺前(廃小屋) 愛媛県松山市石手3−7−30
第26号・わん屋       愛媛県宇和島市津島町松尾峠頂上
第27号・鎌大師       愛媛県松山市下難波甲1063
第28号・松本大師堂     高知県香美市土佐山田町松本
第29号・多度津・おかのやま 香川県仲多度郡多度津町大字山階1476−1
第30号・銭形        香川県観音寺市植田346−1
第31号・そえみみず・酔芙蓉 高知県高岡郡中土佐町久礼長沢
第32号・天神(廃小屋)   高香川県仲多度郡多度津町大字山階1476−1
第33号・宿毛=すくも    高知県宿毛市中央8−3−20
第34号・久万高原=くまこうげん 愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生三番耕地801−1
第35号・土佐清水      高知県土佐清水市三崎601−1、道の駅めじかの里
第36号・神山        徳島県名西郡神山町阿野字宮分
第37号・しんきん庵・法皇  愛媛県四国中央市川滝町下山葱尾
第38号・内子        愛媛県喜多郡内子町吉野川106
第39号・NASA=なさ   徳島県海部郡海陽町奥浦字鹿ヶ谷
第40号・日和佐       徳島県海部郡美波町河内字横川32
第41号・今治・日高     愛媛県今治市小泉5−6−38
第42号・宇多津・蛭田池=うたづ・ひるたいけ 香川県綾歌郡宇多津町茶臼山2915−3
第43号・しんきん庵・秋桜  愛媛県四国中央市中之庄町宮之西589−1
第44号・神宅=かんやけ   徳島県板野郡上板町神宅字喜来90
第45号・空海庵・切幡    徳島県阿波市市場町大野島
第46号・坂出江尻      香川県坂出市江尻町
第47号・大根=おおね    徳島県阿南市新野町西光寺
第48号・京塚庵       徳島県小松島市立江字中山1
第49号・ひじ川源流の里   愛媛県西予市宇和町信里1039
第50号・牟岐        徳島県海部郡牟岐町中村
第51号・五色台子どもおもてなし処 香川県高松市中山町1474
第52号・日和佐海賊舟    香川県高松市中山町1474
第53号・日韓友情のヘンロ小屋(茶処みとよ高瀬) 香川県三豊市高瀬町上高瀬1360−1
第54号・四万十       香川県三豊市高瀬町上高瀬1360−1
第55号・横屋        愛媛県新居浜市北内町1−2−121



↑ヘンロ小屋55号・横屋の竣工式で記念撮影(2016年3月18日)



3.ヘンロ小屋ノート


 ヘンロ小屋の管理は、おおむね地元の人たちによって行われている。清掃や簡単な補修が中心だが、小屋によっては日を決めるなどして、お遍路さんにお接待をしているところもある。

 お接待とは、お遍路さんをもてなすことを言う。お接待の方法はさまざまで、飲み物や食べ物を小屋に置いているケースが多いが、実際に小屋に出向いて手作りの食べ物などを提供する人たちもいる。お遍路さんとの間で会話をし、一期一会の交流が生まれることから、ヘンロ小屋ノートには感謝の言葉が多く記されている。

 ヘンロ小屋ノートは、小屋を管理する地元の人が置いている。ノートには名前をつけているケースもある。それ以外については、支援する会が「ヘンロ小屋ノート」と呼んでいる。書き込むのはほとんどがお遍路さん。それも歩きのお遍路さんが大半を占める。ほかには地元の人、遍路以外の旅行者も書き込んでいる。

 支援する会のホームページには、21カ所のノートの抜粋を掲載している。記述を読むことで、お遍路さんがどんなことを考えているか、ヘンロ小屋がどのように使われているかが読み取れるからだ。

 支援する会のホームページに掲載している小屋と、ノートの名前は次の通り。ノートの名前の無いものは、「ヘンロ小屋ノート」と表記する。また論を進めていくうえで、順打ち(時計回り)でお遍路さんが出会う順番に並べた。なお、小屋の前の数字は、ノートが置いてある小屋を順打ちの順番に示している。

【徳島県】
 01神宅(44号)「ふれあい日誌」=板野郡上板町神宅
 02空海庵・切幡(46号)「へんろ日記」=阿波市市場町大野島
 03京塚庵(48号)「ヘンロ小屋ノート」=小松島市中山
 04阿瀬比(3号)「ヘンロ小屋ノート」=阿南市阿瀬比西内
 05大根(47号)「ヘンロ小屋ノート」=阿南市新野町西光寺
 06鉦打(4号)「ヘンロ小屋ノート」=阿南市福井町鉦打
 07日和佐海賊舟(52号)「ヘンロ小屋ノート」=海部郡美波町北河内
 08牟岐(50号)「お遍路さんの落書帳」=海部郡牟岐町中村
 09香峰(1号)「一言お願いします」=海部郡海陽町四方原
【高知県】
 10香我美(8号)「記入帳」=香南市香我美町岸本
 11松本大師堂(28号)「自由ノート」=香美市土佐山田町松本
 12蒲原(5号)「雑記帳」=南国市岡豊町蒲原
 13須崎(17号)「ヘンロ小屋ノート」=須崎市押岡
 14佐賀(13号)「お遍路日記」=幡多郡黒潮町挙ノ川
 15四万十(54号)「ヘンロ小屋ノート」=四万十市間崎
【愛媛県】
 16津島かも田(19号)「お遍路さんひとこと集」=宇和島市津島町下畑地
 17宇和(16号)「お遍路さんひとこと集」=西予市宇和町上松葉金藪
 18ひじ川源流の里(49番)「おへんろさんノート」=西予市宇和町信里
 19今治・日高(41号)「ヘンロ小屋ノート」=今治市小泉
 20しんきん庵・法皇(37号)「遍路の思い出」=四国中央市川滝町下山葱尾
【香川県】
 21日韓友情のヘンロ小屋(53号)「ヘンロ小屋ノート」=三豊市高瀬町上高瀬
 

 

↑ヘンロ小屋3号・阿瀬比のヘンロ小屋ノート



4.自己紹介と動機・個人史


a.自己紹介

 支援する会のホームページは、21カ所のヘンロ小屋に置かれたノートの抜粋を掲載している。記述の選択は私の担当で、アットランダムではあるが、内容に特徴のあるもの、印象に残るものをなるべく選ぶようにしている。

 項目について正確には数えてはいないが、2000近い。今回、原稿を書くににあたっては、その中からお遍路さんが書いたものに限り、さらに内容の濃い文章や、気持ちがよく現れているものをピックアップし、自分なりに分類してから検討を加えた。

 記述内容は多岐にわたるが、おおまかにー己紹介決意9堋記録ご響朖ゴ脅姚κ從の成果(自分の中の変化)分類できる。そのうえで、項目ごとに考察してみることにした、ここからのヘンロ小屋名の前につけた数字は、順打ちの遍路道に出てくる順番の数字とする(「3.ヘンロ小屋ノート」の章参照)。

 最初にー己紹介を取り上げる。誰が読むかもわからないノートに書くため、かなりの人が文章の初めや締めくくりに、自己紹介のような記載をしている。また、それは遍路を何らかの形で記録し、他人にも知ってもらいたいという意思が働いているように思う。非日常の特別のことでもあるので、なおさらだろう。

 自己紹介は、どちらかというと、遍路ルートの初めの方のノートに多く見られる。お遍路さんが最初に出会う01神宅のノートから探してみると、次のような表現で書かれている。記述内容については、固有名詞や漢字の統一、数字表記は原則として、書いてあるままにした。明らかな間違いついては、最低限の手直しをした。

 
 ▽東京から来た大学生です。初めての歩き遍路で、四国の自然の素晴らしさと人々のあたたかさに触れて感動しています。
 ▽初めての歩き遍路です。草むらの中に入っていくのにはビックリしました。お遍路なめていました。いろんな所に貼られている遍路シールと、この可愛い小屋に助けられました。
 ▽佐賀からきた自転車遍路です。学生最後に四国に挑戦です。
 ▽初めての一人遍路。今、突然の雨で、雷もゴロゴロ鳴り、雨も激しく降ってきました。雨具なしの私には、ここは天国のようです。
 ▽名古屋から徳島に昨日着き、本日1番札所からテクテクと4h。良い場所で休ませて頂き、ホッ……。7番まで歩くぞ。
 

 自己紹介の記述は、どこから来たのか(居住地)を書いているのが目立つ。支援する会のホームページでは、筆者の名前を掲載していないが、実際には実名で姓名、もしくは姓を署名いる人がほとんどだ。このため、本文の方で出身地を書いて、できるだけ自分というものを明らかにしようとする意思が感じられる。とかく個人情報の流出の危険性が言われる時代だが、個人名や住居地を明らかにするのは、ノートを読むほとんどがお遍路さんという共通性による安心感があるかだろう。

 自己紹介のもう1つの特徴は、遍路初体験の文字が多いことだ。初体験の喜びとともに、長い遍路に向かう気持ちを表現することで、自分を激励しているように思う。
 ヘンロ小屋01神宅は、一番・霊山寺から13キロの場所にある。このため、歩きのお遍路さんにとっても足慣らしの段階といえ、記述にはまだ新鮮な喜び、驚きなどが見られ、心はずむ思いも感じ取れるものが目立つ。その一方で、早くも弱音をはく人もいる。
 

 ▽山形より。今日スタートしました。すでに足が動かなくなっています。安楽寺まであと一息。
 

 お遍路さんの中には、八十八番・大窪寺に参って結願したあと、一番・霊山寺まで戻って「お礼参り」をする人もいる。その場合、ヘンロ小屋01神宅は、最終のヘンロ小屋となる。長い遍路の終わりに気分が高まり、長い文章をしたためるケースもある。ここではそのうちの1つだけを取り上げ、あとは別の章で触れることにする。
 

 ▽昨日結願しました。さまざまな縁に助けられなければ無理でした。ありがとうございました。わけても横須賀の方との出会いは四国を彩ってくれるものでした。又、会えるような気がしています。
 

 自己紹介文は、01神宅だけはなく、すべての小屋のヘンロ小屋ノートで見ることができる。そのうちのいくつかを紹介する。

 
 ▽父は45歳、娘29歳の二人三脚で遍路中です。昨夜は太龍寺のPでテント。寒かったです。今日は絶好のお遍路日和。気分最高!素敵な休憩所をありがとうございました。(04阿瀬比)
 ▽62歳の私と31歳の娘の二人旅です。これで23ヶ寺の薬王寺で阿波一国を終えます。−昨日はさすがの父も、クタクタでした。(もちろん私も)でも、着いた時は感動です。これがやめられません。(04阿瀬比)
 ▽京都から来ました。男子大学生19歳です。半分気まぐれのようにやってきたおへんろですが、想像以上にキツい!! でも頑張ります。四国の景色は本当に美しい。(05大根)
 ▽自転車で来ました。65歳。(07日和佐海賊舟)
 ▽福岡から息子と二人野宿をしながら旅をしています。昨日は暗くなって到着しました。1夜をすごしました。湧き水がおいしかったです。(12蒲原)
 ▽月2回の歩き遍路旅を女性9人で行ってます。今朝も寒い中、窪川より片坂をぬけ、ここに来ました。(14佐賀)
 ▽韓国から自転車で来ました。四国の景色がとっても美しいです。人も親切です。(15四万十)
 ▽母娘の歩きへんろです。ちょうど疲れたところに、この小屋があり、と〜っても助かりました。心機一転またがんばれます。今日はあと15劼らいいく予定です。おへんろのみなさま、いっしょにがんばりましょー!(15四万十)
 ▽9度目で、2回目の歩きをやっています。皆様頑張ってお参りしましょう。合掌。(18ひじ川源流の里)
 ▽晴天 遍路旅をしております。今回で53回目となります。毎日祈りながらまわらしていただいています。(19今治・日高)
 ▽66才の老人ですが頑張ります。日本人の魂四国にあり。”とりもどそう日本人の心と魂を”。(19今治・日高)
 ▽ニコニコ生放送をしながら、歩き遍路をさせて頂いております。○○(実際には実名)と申します。本名で活動しておりますので、「○○」で検索していただければヒットします。香川県に入ってから、お接待の嵐で、嬉しいとともに、感謝の気持ちでいっぱいです。(20日韓友情のヘンロ小屋)

 
 各小屋の自己紹介文を読むと、1人も含めどのようなメンバーで回っているか、年齢・年代、自転車や歩きなど遍路の方法を示している文章が目立つ。ノートに書く以上、ほかのお遍路さんと区別化を試みているように感じる。

 自己紹介文はそれだけで終わらず、その後に感想や意見をつづっているのが普通だ。まず自分がどういう人間・立場であるか示しておいてから書くという、文章作法の1つのパターンを踏襲しているともいえるかもしれない。お遍路さん特有の真面目さや真剣さがそうさせるのだろう。

↓ヘンロ小屋5号・蒲原



b.動機
 

 自己紹介文は、遍路をする動機に言及することがある。自己紹介の延長線上のものだからだ。

 動機の披瀝は、大変興味深い。個々のお遍路さんが結願後、体験を本にまとめて、その中で吐露することはある。しかし、たくさんの人数によるデータは、それほど多くはない。しばしば、アンケート調査もあるが、調査対象は限られた人数だ。その点、ヘンロ小屋ノートの記述は数が多く、大変貴重な資料となる。

 歩きのお遍路さんには、その動機を聞かないというのが暗黙をルールになっている。お遍路さんの中には、大変重いものを心の底に沈めて回っている人がいる。その重く、深いものを聞いたとしても、その思いを引き受けるわけにはいかないからだ。

 私が初めて遍路をしたのは1995年だった。ある札所の通夜堂で、休憩した時のことである。ノートが置いてあり、お遍路さんの書き込みがあった。休憩の間に読み進み、一晩の宿を借りた男子大学生の文章に、目が釘付けになった。「気がついてみたら、大学を中退して遍路になっていた」

 詳しく書くと、次のようになる。

 両親が離婚し、母親は知らないうちに妊娠して再婚していた。憎しみが芽生え、遍路に出たという。所持金は1000円。「食欲に負けて窃盗をはたらき、警察に連れていかれ、早々に不偸(ちゅう)盗を犯した」。不偸盗は、寺で唱える「十善戒」にある。盗みを戒め、十善戒の中では不殺生の次。苦しみと心の混乱が、どれほど大きかったかがわかる。

 歩き続けて「心も強くなり仲間もできた」。結びは「今考えているのは、将来何になるかと、親を許せるかということ」。21歳と記してあった。

 もし、このお遍路さんと出会い、書かれていたことを聞いたとしても、何ができるのだろう。歩いて回るお遍路さんは、抱えているテーマが深刻すぎることもある。自ら話し出し、書き出す以外に、その心を見ることはできない。

 ヘンロ小屋ノートの記述は、この大学生と同様、自ら筆をとっているわけで、心の動きを垣間見ることができる。自発的な思いの書きつけなので、真実性、正確性は高い

 自己紹介同様、動機についても遍路の初期に記してケースが多い。遍路を始めたことを、自らに言い聞かせ、再確認の意味があると推測する。まず、動機について触れた文章の多い01神宅、03京塚庵、04阿瀬比のノートからピックアップする。

 ―蕕瓩討里へんろ。5月9日に母をなくし、6年前に亡くなった父と合して供養するために歩いています。
 ∈Fで歩き2日目。こんなに大変か。でも、宿の女将さんに励まされ……。私が母の菩提を弔い、63年間の人生を振り返り、一歩一歩前へ進む遍路一人。まだ2日目ですが、野の仏さまにも自然に手を合わせられる。自分にして不思議を感じ、これからの長いへんろ道を思うと……ただ感謝の念が生じてきた。この世に生んでくれた母にただただ感謝のみ。
 J發と供養と、自省の旅になりそうです。
 げ饉劼鯆蠻退職し、念願のおへんろをしている最中です。
 ィ僑虻个離螢織ぅ△魑,頬菁春、何がいいのかわからず歩いています。でもやはり歩きたいのです。四国の自然の美しさと共に、そこに住む人その心のやさしさに感動しています。多くの方々のおかげで歩かせていただける幸せにまさる幸せはこの世にあるでしょうか。自然と対話し、地元の方々との交わりを楽しんで……。脱日常の世界なのですから……と一人勝手なことを考えています。
 Γ僑虻个隆堽颪竜念にと歩き遍路を発心し、一番から歩き始め5日目で、ここまでたどり着いた
 Ы蕕瓩討諒從旅です。63歳。体力的にも最後のチャンスかと、一念発起してやってきました。
 ┷寛譴らきた自転車遍路です。学生最後に四国に挑戦です。
 福井県若桜町から来ました。高校最後の夏休みに、大学入試の経験も兼ねて歩いています。
 ようやく数年ごしの念願がかなって、父と歩くことができました。
 祖母と祖父で歩いています。今日がさいごなので、がんばりたいと思います。夜はふれあいの里さかもとに泊まります。(小5)◆徳島駅から中田(ちゅうでん)まで朝列車で来ました。そこから恩山寺にお参りし、立江寺に向かう途中で寄りました。ヘンロ小屋京塚庵にていっぷくさせて頂きました。(小5の祖父)◆年末からのへんろ旅、最終日です。天気にも恵まれ、孫の成長を感じながらの旅となりました。今年一年無事に過ごせますように!!(小5の祖母)
 震災復興を祈願して歩いておりました。
 5年振りに主人と二人です。5年前、病気で体調を崩していた娘と3人で来ました。おかげで娘も健康になり、11月28日、結婚しました。感謝です。
 

 上に記載は、私なりに同系統の動機をまとめてみた結果である。このため、文章に丸囲みの数字をつけて、わかりやすいように工夫をしてみた。

 最初の 銑は、亡くなった家族の供養が動機となっている。これは遍路の根底にある心情のように思う。遍路が宗教なのか、信仰なのか、習俗なのか、文化なのか、なかなか難しいところだが、供養はかなりのお遍路さんに共通に見られる心だろう。

 私は2003年から先達として、遍路旅の案内人をしている。基本はバスツアーだが、昔ながらの遍路道はなるべく歩いている。オートメーション的に札所を回るツアーとは少し違う。このため、歩き遍路の感覚を少し求めて参加する人が中心を占めている。

 参加者の総計は、200人を超える。1シリーズで結願するまで、1泊2日の遍路旅を十数回続ける。巡拝するうちにみんなと打ち溶ける。そのシリーズを8回終えた。その経験から、遍路に出る動機を自分なりに、4つに分類している。_搬押先祖の供養観光・朱印収集I袖い覆票分の苦しみじつめ直しゥΕーキング・健康志向信仰――である。

 
 丸囲みの数字は、直観としての多い順である。案内人を務めた遍路旅は、一般募集なので、歩き遍路ほどしっかりした動機を持っての参加ではないかもしれないし、すべての要素が組み合わさっていると考えた方がいいかもしれない。しかし、名所、温泉、グルメ、買い物など、いくつもの旅のジャンルの中で、あえて遍路旅を選んだのは、根底に何かがあるからだ。その何かが、家族・先祖の供養である可能性が高い。

 私は毎日新聞の記者をしていたので、参加者の動機を取材したことがある。身近な人の死がきっかけになったケースを、何人もから聞いた。25歳の誕生日の5日前に交通事故で娘を亡くした女性がいた。失意の底で、瀬戸内寂聴さんを訪ね、寂聴さんの勧めで遍路を始めたのだった。

 妻の一周忌を機に、参加した男性がいた。がんで苦しむ夫の延命治療をやめる決断を自らがした女性は、夫の数珠を持って回った。20歳の息子を白血病で亡くした母もいた。息子が自死した遠因が自分にあるのではないかと、自分を責め続けている女性がいた。

 いずれも自分1人で背負い切れない悲しみが、語る言葉の中に満ちていた。供養の遍路の中には、このような深刻な動機もある。このうちの女性2人は、私が案内人を務めた遍路ツアーが結願した後、それぞれ1人で歩き遍路に出た。遍路ツアーは、足慣らしだった。

 ヘンロ小屋ノートの´△竜述は、母の死からそれほど年月がたっていないように読める。供養を表明しているが、その裏には身近な死の悲しみがある。動機に供養が書かれている文章を、05大根以降のノートからも取り出してみる。

 
 ▽山口県から来ました。3年前に女房をなくしました。昨年からおへんろをしています。なにかを求めて旅をしている人が多いことを知りました。四国はそんな人々をあたたかくしてくれる。ありがたいなと思いながら、ずーっと続けていこうと思います。(05大根)
 ▽アー今日はとても熱い。あともう少しで終わり。これで桂子も天国に行ってみんなにかわいがられているかなあ。でももう一回でもいいから会いたいなあー。あともう少し。桂子、守ってネ!(06鉦打)
 ▽亡妻の七回忌供養、初孫の生誕祈願で回っています。歩くこともありがたいのですが、1寺1寺お参り出来ることは本当にありがたいことと思います。“ありがとう、全てはそこから始まります。(06鉦打)
 ▽朝からはげしい雨! なかなか気持ちの余裕がない。75才の私には疲れがひどい。でも、主人の供養。薬王寺まで頑張ります。(06鉦打)
 ▽両親の供養に歩き出しました。一度にはできませんが、何回かに分けて……。何年かかるやら。でも、その間、両親や先祖に感謝する気持ちは持ち続けられそう。今まで気づかなかった家族や先祖への思いが沸いてきそうで、何かが変わりそうな気がします。(08牟岐)
 ▽今日は亡き母の80才の誕生日です。せみしぐれの中で、休憩させていただきました。(11松本大師堂)
 ▽ようやく回ることができました。長い間の念願でした。亡くなった息子のたましいと一緒です。(11松本大師堂)
 ▽初めて歩いています。道端の草、花、トンボ……。生きとし生けるものが愛しいです。大切なひとを亡くしました。供養の2巡目です。何とか前を向きたい!そのために自分自身を強くもって前身したいです。(11松本大師堂)
 ▽亡き妻と 同行二人の 杖の音(11松本大師堂)
 ▽早いもので、妻(秀子)が旅立って、もう2年と2カ月が経ちました。51歳で、旅立っていきました。1人ですごすクリスマス。すぐ裏に息子夫婦が家を建てて、夕飯も誘ってくれるのだけど、やはり、さみしい。こうして1人で妻と話をしながら、冬の小道を歩くのもまた風流かも! やはり、おまえがいちばん好きだよ! 生きている時、どんなに支えてもらっていたか、今ごろワカルバカな亭主、いや下宿人でした。(12蒲原)
 ▽彼岸。妻の事を思い、妻にわびながら歩いています。3回忌も終わり、帰ったら一番先に、報告に墓前に参ります。(12蒲原)
 ▽亡き妻の冥福を祈っての遍路旅。(13須崎)
 ▽背中のリュックが重く、両手を後に組んで支えながら歩いたとき、昔、母が接骨院に僕をおぶって通院してもらったことを思い出しました。母を背負った遍路であることに気づきました。(16津島かも田)
 ▽7年目の歩き遍路をたのしんでいます。今年は2012年に旅立った子供の供養が中心です。草の花、桜、そして海を子どもに見せてやります。写真を(子供の)身につけて歩きます。(18ひじ川源流の里)


 この書き込みを見ると、妻を亡くした人は7人(推定も含む)。これに対して、夫を亡くした人は1人(文面から推定)。数としては少ないが、この比率は興味深い。歩きの場合は男性の方が女性よりも多いので、その比率も反映するだろうが、それだけではないような気がする。死に対する悲しみは、男性の方が大きのではないか。それとともに、亡くなって初めて、妻のありがたみを感じたという記述もある。「生きている時、どんなに支えてもらっていたか、今ごろワカルバカな亭主、いや下宿人でした」が典型的だ。

 
 01神宅、03京塚庵、04阿瀬比のノート書かれていた動機のうち、いらは人生の節目と分類した。それ人生を転機としてとらえ、生き方を見つめ直してみようというものだはないだろうか。

 この4人のうち2人の節目は定年退職、似たようだが還暦が1人、63歳が1人。高校卒業と大学卒業が各1人となっている。以前、四国八十八ヶ所霊場会の会長や一番・霊山寺の住職に話を聞いたことがあるが、2人とも人生の見つめ直しが、遍路の大きな理由だと説明していた。

 私が出会った歩きのお遍路さんにも、その傾向がある。特に定年をきっかけした人に何人も出会った。それを、他のヘンロ小屋ノートで見てみる

 
 ▽今年の6月に退任し、自由の身になって最初にやるのがお遍路さんと決めてました。今日で実質7日目ですが、苦しい道も乗り越えることができました。一応、明日で区切り打ちのつもりです。(05大根)
 ▽夫といっしょに、38年間の教師生活を卒業し、そのお礼に回っています。(06鉦打)
 ▽今年、定年をむかえ、40年間の整理のため第二の人生を見つめなおすのでやってきました。(09香峰)
 ▽4月末で12年勤めた会社を辞め、無職です。この先何があるかわかりません。遍路道のように、地図も標もありません。真っ白か、真っ黒か。どちらにしろ、1歩1歩行くだけです。それからまた新しい道を作ります。(14佐賀)
 

 一度にすべての札所にお参りするのは通し打ちといい、歩き遍路では大変な日数がかかる。区間を決めて巡拝する区切り打ちでも、結構日数をかける。退職後が自由な時価が増えるので、定年をきっかけに遍路に出る人が多くなる。高校生、大学生の場合は、卒業や夏休みが良い機会となる。

 
 ▽高校卒業しました。お兄ちゃんたちに続き、歩き遍路をしてみようと思い、歩きはじめました。「キツイ!」。とにかう大変な遍路旅。しかし、得るものはすごく多くてきてよかった。(06鉦打)

 
 調に進学した若者ばかりではない。人生のつまずきが、遍路に向かわせたとみられる書き込みもある。その内容は深刻なものだが、遍路の中で見つめ直し、ノートに書くことでそれを再確認しているようにも思える。それは、立ち直りを期待してのことだろう。順調な学生生活と未来が、やむをえない理由で方向転換させられた場合はなおさらだ。

 
 ▽歩き続け、登り続けると、しんどくて、つらくて、なん何でこんな事してるんやろ?と思います。思うのは一つだけ。「一歩、一歩」。ここに空来る道中で1つ考えたことがあります。人生も又「一歩、一歩」だと。昨年に続いて、今年も留年してしまいました。あと2%点が足りていれば…。じっとしていられなくて、少しでも自分を見つめ直したくて、旅に出ました。おへんろと人生はつながっているのですね。「一歩一歩」未来の自分、未来の歯科医師に近づいていきます。(05大根)
 ▽高校に合格したものの、父が体調を崩してしまい、働きに出るため退学してしましました。この大きな悲しみを乗り越えるために、このお遍路を始めたわけですが、一人旅というか、一人修行というのはいいものです。心を零にしてガンバリたいと思います。この休憩所は大変スバラシイ。みなさんにもいろいろ理由があって廻られていると思いますが、くじけずがんばりましょう!!(11松本大師堂)
 

 先の2つは、個人史でもある。人生と遍路を重ね合わしてもいる。ただ、書いた時点でやや、落ち着きを取り戻し、生き直しが始まっているようにも感じる。

 歩きのお遍路さんは、他人にはどうにもならない重いものを抱えている人もいると書いた。次の取り上げる文章からも、その一端がうかがえる。これも個人史と密接に関係している。
 

 ▽リストラに合い歩いています。今日で7日目です。小屋の接待ありがとうございます。リュックを肩からおりし背中がよろこんでいます。(06鉦打)
 ▽まあ、荷物の重さが私の業の重さってことなのでしょうな。はたして大師さまはこの業と共に歩めとおっしゃっておるのか。もっと身軽になれとおっしゃっておるのか。ともかく捨てきれぬ業を背負って行ってみます。(06鉦打)
 ▽夢も希望も、全て失いました。何かを見つけたい。(06鉦打)
 ▽生まれてから旅に出るまで人生を、家庭かんきょうのせいにしてなめていた……。中学校中退??不良!ヤクザ!右翼!ヤクザ!会社とうさん……。このたび人生をあらためて、あたらしいたびに出発します。いままでめいわくをかけてきたみなさん、ごめんなさい!(06鉦打)
 ▽26年前、徒歩巡礼を致しました。43日くらいかけて。今回は特別な思いをもって、命ある限り歩きます。死を覚悟しております。ガンを憎みます。今日迄生かされた命に感謝。(01神宅)

 
 私が先達をした遍路旅のメンバーの参加動機について、「病気など自分の苦しみ」を3番目に挙げた。四苦八苦の四苦は「生老病死」で、その中に病気も含まれているのだから、当然といえば当然だが。

 前段で示した文章のうち、最後のものは明白な動機として書いてはいないが、自らのがんが遍路に向かわせたと読める。しかも、「死を覚悟しております」とまで書いているので、相当深刻な状態だと推測できる。最後の手段として、望みを遍路につないだのかもしれない。

 遍路旅メンバーでは、札所にお参りするたびに、1番長く手を合わせている女性がいた。彼女はがんが再発していた。ワラをもつかむ思いでの遍路だったに違いない。彼女はある回の遍路が終わり、バスから自宅に帰る際、50メートルほど歩いてから、またバスに戻ってきた。バスには遍路の仲間が残っていた。彼女は「もう1度、手術を受けてみます」と仲間に告げて、もう1度きびすを返した。その後、彼女が参加することはなかった。

 別の女性は結願するまでに、峠越えで4回ダウンをした。そのたびに、仲間が肩を貸すなどして助けた。結願してしばらくして、彼女はがんの再発で亡なくなった。ダウンしたのは、実は病気が影響していたのだった。この2人にとって、遍路の持つ意味は大きかったはずだ。

 ヘンロ小屋ノートに書く人はほとんどが歩きのお遍路さんなので、病気をおしての人は少ない。先に紹介したガンをおしてのお遍路さんは、特別な例のように思う。ノートには病気のことも書かれてはいるが、すでに快方に向かっていたり、お礼参り、身近な人の病気平癒の祈願が主流だから、次のような表現になる。

 
 ▽5年前、病気で体調を崩していた娘と3人で来ました。おかげで娘も健康になり、11月28日、結婚しました。感謝です。(04阿瀬比)
 ▽じつは10年間ねたきりでしたが、サイクリングのおかげで、2度目の人生を楽しくむかえることができました。それは家族をはじめ、友人や出会った方々にささえられて今日という日をむかえています。前月は三浦半島を一周してきました。(中略)大阪から京都・山科まで60年ぶりの大雪を完走することができました。それから自信が持てました。人間は健康であれば、お金はあとからついてきます。食事をしても、美しいけしきを見ても、健康でなければ、その味も、感動することがないと思います。僕の病気は、医療ミスでせきずいに検査で注射をうって、ずいえきがもれたためにおこりました。今は自分では89%なおったと思います。2度目の7人生を独身ですが、エンジョイしています。(14佐賀)
 

 ここまで、動機にかかわる記述を見てきた。自己紹介から動機への過程で、個人史が色濃く出ているのが、ノートの書き込みの特徴として現れている。書き手と読み手がお遍路さんという同じ立場なので、心のひだにふれるような個人の情報をつづったとしても、わかってもらえるのではないかという意識が働いていると考えられる。

 読み手には小屋の管理や世話をしたり、お接待をしたりする人も含まれるかもしれない。これらの人も、遍路文化という共通土壌の上に立っている。四国の人たちは「お四国さん」という言葉を使う。遍路、札所、遍路をすること、遍路をする人を包括的に指す。その鷹揚なくくりの中に包まれた安心感の中で、お遍路さんは歩いていう。そこでは、自分をさらけ出すことにためらいがなくなるのかもしれない。

 私の6つ分類(_搬押先祖の供養観光・朱印収集I袖い覆票分の苦しみじつめ直しゥΕーキング・健康志向信仰)の´い砲弔い討録┐譴拭残りの3つの↓キΔ蓮¬棲里文斥佞任良集修聾当たらない。朱印収集やウォーキング(歩き遍路)は前提なっているからだろう。信仰については、判断が難しい。言葉の端々に隠れているのかもしれないが、はっきりしないうえ、札所や住職らの僧侶について触れているものが少ないからだ。

 動機に関する記述を調べていて、気がついたことがある。それは、家族と一緒に回っていることを表明している人が多いことだ。自己紹介ではあるのだが、家族と回ること自体が目的で、それが動機になっているともいえるのではないか。そのような例を、次に示す。

 
 ▽祖母と祖父で歩いています。(中略)孫の成長を感じながらの旅となりました。(03京塚庵)
 ▽父は45歳、娘29歳の二人三脚で遍路中です。(04阿瀬比)
 ▽62歳の私と31歳の娘の二人旅です。(04阿瀬比)
 ▽お大師と倅に引かれて秋遍路。(04阿瀬比)  ▽夫婦2人で88ヶ寺+番外霊場+番外の番外まで色々とゆっくり歩いてまいりました。(04阿瀬比)
 ▽5年振りに主人と二人です。(04阿瀬比)
 ▽小学4年の息子と一緒に区切りで回っています。(12蒲原)
 ▽三兄妹で無事、山越えが出来、へんろ小屋で休憩させていただき、お茶、みかん、おまんじゅうまでいただきありがとうございました。(13須崎)
 ▽堺から車で5時間かけて来ています。主人が車で並走して、私は歩かせて頂いています。本当に幸せです。ゆっくりと楽しみながらの旅です。風に祈り、ただ歩くだけです。辰野和男さんの本で書いておらる気持ちがよく分かります。本当に!本当に!四国の人のあたたかい気持を心の支えです。後24ヶ寺がんばります。69才、67才の老夫婦です。(20しんきん庵法皇)



ヘンロ小屋8号・香我美↓

 

4.決意
 

 自己紹介を書き、動機を明らかにすると、歩き続ける決意に続く文章が多い。いわば三点セットである。

 遍路には結願という目的がある。しかし、遍路道は1200キロと長い。そこで決意が必要となる。特に初めての遍路の場合は不安もつきまとう。決意の表明は自分を鼓舞する目的もあるのではないか。

 決意表明は歩き始めだけではない。歩き遍路を進めていくと、疲れも出るし、体調を崩すこともある。最後まで行きつけるのだろうか、という不安にも襲われるだろう。そんな時に自分の決意を改めて書くことで、目的の再確認をし、次の一歩を踏み出すための力にしている気がする。

 ここでは、歩き始めて最初のヘンロ小屋・神宅のノート書かれた決意の例を、いくつか取り上げてみる。順打ちの場合、初日か2日目での決意となる。わかりやすいように、番号をつけた。

 
 “茲譴晋を一休みさせて頂き、おいしい夏みかんに息を吹き返しました。まだ、お遍路二回目です。結願目指して頑張ります。
 ■夏目。歩き通し打ち。まーだまだ先が長すぎる。すでに足の小指、まめができる。この場所は本当にありがたい。めっちゃ風が通る。木の香りが汗臭さをましにする。いくで〜、通すで〜。
 昨晩泊まらせていただきました。夜から雨だったので、大変助かりました。まさかのカゼ気味ですが、がんばります。
 ぬ掌轍阿ら徳島に昨日着き、本日1番札所からテクテクと4h。良い場所で休ませて頂き、ホッ……。7番まで歩くぞ。
 グ貲颪気擦討發蕕ぁ△△蠅たく感じました。今日もガンバって歩きます。
 Φ戮泙擦討發蕕い泙靴拭いろいろとお話させてもらい、ありがとうございます。40日間がんばります。
 Ы襪っ罎琶發ことも、また自分のためになるので……。そう思って歩きます。
 ┣燭量榲もなく歩いています。今回の歩き遍路、何かを悟って帰りたいと思います。
 東京から朝着きました。やっとここまで。60代の最後。70からの生き方を求めています。回答が得られるようなたびにしたいと思います。
 

 示した文章は、さらに2つに分類できる。,らΔ泙任蓮⊆,了ソ蝓△△襪い老覺蠅妨けての頑張りを書いている。

 Гらまでは、結願だけが目的ではないようで、歩き遍路をすることによって、何かを得ようとする意思を感じる。それは遍路を始める動機とも密接にかかわっている。特には、60代最後という節目に当たり、70歳からの生き方のヒントを探しているようで、自分の見つめ直しの遍路であろう。

 02空海庵・切幡でも決意の文章を探してみた。ここは01神宅から16キロほどさきにあり、2日目か3日目での記述となる。

 
 ▽6番から歩いてきました。昨日の雨でかなり疲れていますが休けい所がありホットします。埼玉県川口市在住 62才男。これから八十八番まで歩き続けます。

 ▽もうこれ以上は歩けないという所で見つかりました。助かります。次の次はいよいよ焼山寺、、、。
 ▽無事10番まで打つことができました。楽しい話とあの小屋での休憩のおかげです!!今日はこのあたりで宿泊します。明日もがんばるぞ!!
 

 十二番焼山寺は標高938メートルの焼山寺山の8合目近くにあり、四国霊場で2番目に高い札所である。十一番藤井寺からの遍路道はきつい登り下りを繰り返し、「遍路転がし」の異名がある。「いよいよ焼山寺」という表現は、その大変を考えてのことだろう。難所の前の決意表明はいくつもある。それも含めて、遍路が進んだ段階での強い意思の表明は、別の章に回すことにする。



5.行程記録と次への意思


a.歩き遍路の記録
 

 遍路道を初めて日数がたつにつれ、ノートに書く内容は変化が現れる。特に初めてのお遍路さんの文章に目が止まる。喜びや楽しみ、しんどさや苦労話、触れ合いや交流など、感謝や自分の中の変化など、書く題材が増え、バラエティーに富んでくるからだ。

 1番多いのは、ヘンロ小屋を使わしてもらった感謝の言葉だ。これはお遍路さん自体にかかわることではないので、この稿では基本的には省くことにする。ただ、歩くことで体が疲れていることが背景にある。それだからこそ、休憩できる感謝の言葉が出てくる。そのような文章は、「d.しんどさの吐露」の中で、少し取り上げることにする。

 
     
ヘンロ小屋28号・松本大師堂の自由ノート↓
     




b.歩いてきた道の記録

 
 行程の記述は、その小屋にいたるまでの過程やルートの記録と、それに伴う喜びと苦しみに分けられる。まず、歩いてきたルートを淡々と書いている文章を抜き出してみた。文字化することによって、たどってきた道を思い返す意味合いがあるではないか。

 
 ▽今日は雪が積もってて、あまり見られない徳島の景色を見ながら歩いています。とっても寒いですが、徳島のみなさんの温かいお接待で、心はぽかぽかです。(03京塚庵)
 ▽5/20に和歌山高野山に、行ってきますのあいさつをしてから早15日。夫婦2人で88ヶ寺+番外霊場+番外の番外まで色々とゆっくり歩いてまいりました。山道ではすごくつらいですが、1歩1歩お大師様の歩かれた道をたどっています。しっかりお勤めをし、ゆっくりと結願に向けて歩んでいきたいと思います。(04阿瀬比)
 ▽歩き始めて7日目。徐々にペースが落ちてきて、今日は何処まで行けるかと、只歩くことのみに気を取られている自分に少々呆れています。もう少し、景色を楽しみながら歩きたいですね。頭を垂れ始めた稲穂が綺麗です。(04阿瀬比)
 

 遍路の中盤から後半になると、書かれている内容が少し変わってくる。かかった日数の記述が増えるとともに、歩くことの対する自信たついてきとことが感じられる。また、歩くことや、遍路に対する考え方に触れるケースも増えていく。何日目かという表記が増えていくのも興味深い。

 
 ▽遍路17日目でやっとここまで来る事が出来ました。帰る場所があるから続けられる旅です。元気があれば何でもできる。(13須崎)
 ▽初めての遍路で、道を間違えたり迷ったりしながら、ここまできました。朝からの雨も小降りになり、須崎を目指す身には少しでも助かります。いろいろお接待を体験し、遍路のことが少しずつ実感できている気がします。(13須崎)
▽今日は23km程度。雨、雨、雨。これも修行だ。(14佐賀)
 ▽雨が降ったら休もうと思っているのですが、なかなか降ってくれません。大師が歩けということなのでしょうか。でも、まだまだ歩けそうです。歩けることに感謝。最後まで行けるような気がしてきました。(14佐賀)
 ▽初めて一日四十kmに挑戦。やっと半分です。今日はじっとしていると肌寒く、温かいお茶をおいしくいただきました。それでは風に舞う花びらに力を借りて、ぼちぼち出発します。(16津島かも田)
   ▽今日で二十八日目になり、疲れがたまってきたところです。お茶と梅干しのおもてなしで元気がでました。(16津島かも田)
 ▽今日で24日目です。朝から雨でほっと一息です。寒くなりセーターを着込みました。(16津島かも田)
 ▽峠越えで疲れたせいかここに来て急に眠気が…小一時間寝かせてもらったおかげで少し体が楽になりました。(16津島かも田)
 ▽柏坂を越えてきました。内海中学校の生徒さんが作った地図を見つつ楽しく歩けました。あちらこちらにイノシシが土を掘り返したあとがあり、出会わないかとヒヤヒヤ(笑)。(16津島かも田)
 ▽通しの歩きへんろの旅、43日目。一息つくことができました。(20しんきん庵法皇)
 ▽▽家を出て丁度1ヶ月。雲辺寺に行く途中、昼食のため立ち寄らせて頂きました。おいしく柿1ヶ、ミカン1ヶ頂戴し、大変おいしく、元気がでました。紅葉も美しく、こんな素晴らしい施設、うれしく思いました。12月10日頃、結願迎えられるようがんばります。(20しんきん庵法皇)


 書いた文章を、本人が再び読むケースはごくまれだ。次に回った時に読むくらいだろうが、ノートは次々新しいものみ変わっていくので、その可能性は少ない。その意味では、書きっ放しの記録である。しかも、遍路初心者の方がよく書いている。自分の軌跡は、どこかに残しておいたいのであろう。それは、遍路が特別な体験だからだと思う。
 

ヘンロ小屋47号・大根の向かう大根峠↓




c.歩き遍路の楽しみ
 

 遍路道を歩くことについての記述は行程の記録に留まらず、楽しさと苦しさ・しんどさに言及するケースが目立つ。苦しさ・しんどさの方が圧倒的に多いが、まず、楽しさの文章を見ていく。楽しさの中には、ヘンロ小屋で世話をする人や、歩いている時に出会った人との交流、さらにお接待を受けた喜びもあるが、ここでは主に歩くことこと自体や、遍路道の自然に絞ってみる。

 
 ▽あせびから来てここで、すばらしい遍路道でした。誰にもあわずひとりで歩いてさびしくなっていたら、うぐいすの声にはげまされ、桃の花や椿の花にいやされ、のんびりと草をたべている黒い牛になごみました。(05大根)
 ▽竹林がとてもよかった! リュックがおもかったけど、忘れるほどきれいだった。(05大根)
 ▽牛の鳴き声になつかしさを感じ、うぐいすの鳴き声にいやされる。心も体も落ち着きます。(05大根)
 ▽おへんろしていると、今日が何日だったのかわからなくなってしまう。日常から解き放たれて異次元へ。台風のせいで、木、竹が道を塞いでいる。山越えの後に休けい場があって助かりました。平等寺まであと少し。がんばります。(05大根)
 ▽美しい遍路道を楽しく歩かせていただきました。登りで青い爪、白い胴体の沢がに?に励まされ、下りでヘビとの出会い。思い出ができました。テント、野宿の老人(05大根)
 ▽10月16日に13番から歩き、今日ここまでたどり着きました。秋晴れの本当に良いお天気の中、気持ちよく歩くことができました。明日、横浜に帰ります。来月また来たいと思います。72歳、老女(05大根)
 

 05大根のノートには、遍路の楽しさの書き込みがたくさんある。歩き遍路に慣れてきて、不安な気持ちも薄れいできたことが影響しているのだろう。

 二十番鶴林寺、二十一番太龍寺といった難所を過ぎ、04阿瀬比で小休止をする。それから歩き出すのが、お遍路さんの普通の行動パターンだ。05大根までは峠越えだが、上りのきつい部分は距離が短く、竹林などの美しい遍路道が続く。気分よく歩くことができ、そのゆとりが文章に反映している。

 ▽夕刻、小雨。ごめんまで出ようと思ったが、こんなところに大師堂。一夜を借りる。水音とかえるの鳴き声を聞きながら、夜中! 表のイチョウにホタルの群れ!?まん天の星空。まるで星のなる木。もったいなくて、外の長いすに寝ころんで、星をあびる。目さえ眠れず。3時、4時……ほんとうに星は動いている。ほんとうは地球が回っているのだが。宇宙の中に小さな私。お〜い宇宙よ、ここにも一匹生命がおるぞ〜。森羅万象とのつながりに感謝。松本大師堂に感謝。夜明け、熱いお茶をいただいて出発。(11松本大師堂)
 ▽徳島で捨てることを憶えたと思ってたのが、ズルズル引っ張って高知の道を歩いている足かせのついた鈍足の巡礼者です。日常と非日常を体験し交錯させている毎日です。晴れの日も良し、雨の日も良し。(14佐賀)
 ▽雨。午後4時、一時的に雨やむ。水田の苗も美しい。山肌に雲が昇ってゆく。休憩所ありがとう。(15四万十)
 ▽午後から雨との予想。磯屋の女将さんのアドバイスに従い、山越えではなく、56号線沿いに歩いて来ました。金剛福寺から延光寺には月山神社経由、海沿いに北上してきましたが、海からあこや貝(真珠貝)養殖のためのブイが浮かぶ南予の海の変化を2日にわたり楽しむことができました。少々足を休めた後、又歩きます。(16津島かも田)
 ▽とても歩きやすい天気です。暑くもなく寒くもない快い遍路旅の最中で、一休みさせていただております。(16津島かも田)


 遍路の行程が進んでいくと、疲れも出てくるだろうが、一方で心に安定感が出てくる人もいる。そんな気持ちが、景色を美しく感じさせるようだ。イチョウ、ホタル、星空、水田、養殖のブイ。「森羅万象」という言葉にも、その思いが出ているようの思う。遍路の中で得た感覚は、は哲学的でもある。天気についても、「晴れの日も良し、雨の日も良い」となる。


↓ヘンロ小屋13号。佐賀のお遍路日記の表紙




d.しんどさの吐露

 
 楽しさを感じる文章をいくつか挙げたが、歩きのお遍路さんには、基本的に疲れや辛さがつきまとう。それが素直に文書化されるのも、ヘンロ小屋ならではであろう。

 しんどさは何らかの形で明らかにして、ほかの人にもわかってほしい。歩きのお遍路さんには、その思いが根本にあるはずだ。しかも、同じ思いをした人が読む可能性が高い。そこには辛さや苦労を共有する、あるいは共有してもらえるのではないかという期待感があるとみていい。だから記述は具体的な表現も多々見られる。

 文章を読んでいくと、辛さにはい、くつかのパターンがある。▽歩くこと自体▽体調▽天候▽恐怖心、などだ。まず、アップダウンの多い遍路道や長い遍路道など、歩くこと自体の辛さ書いたものを列挙する。


 ▽10番切幡寺の階段はかなり登りがいがありました。つらかったです。女やくよけ坂を無我夢中で登りました。歩きはつらいけど、本当に修業をしている様で色々な発見があります。(02空海庵・切幡)
 ▽だんだん歩くペースが遅くなってきた。太龍寺までのせてくよ、とおじ様に声をかけられたが、歩きますとことわった。悪いことしたなあ。2度とおへんろ声かけないぞと思われたらどうしよう。あーしんど。熱中症や脱水症になったり、死ぬくらいなら車にのせてもらった方がましだなあと思いつつ……。(04阿瀬比)
 ▽20、21番さんはつらかったです。なんとか今日で徳島おわりそうです。(05大根)
 ▽遍路9日目です。最初は全部歩き通すつもりだったのですが、あまりの辛さに、野根から室戸までバスに乗ってしまい、また親切な車遍路さんに神峯寺から大日寺まで送っていただきました。車中から追い越していく歩き遍路さんを見ると、申し訳ない気持ちと恥ずかしさで胸がいっぱいになりました。遍路をしていて毎日考えることは、自分はなぜ歩いてのだろうかということです。金にもならず、逆に少ない金を使いながら苦しんでいる。今日で野宿は3回目ですが、虫にはさされ、人目は気になり、なかなか寝ることができません。正直、早く終わらせて帰りたいです。ただ、辛いばかりではなく、当たり前だと思っていた日常生活というものが、どんなにかけがえのないものであったのか思い知ったことです。(12蒲原)
 ▽バスなし。駅なし。窪川から歩き続けて6時間。もう嫌だ。(13佐賀)
 ▽今日、二足目の靴を履いての初日でしっくり感がありません。何とか慣れてきましたが、完全ではないので、足の疲れが早いようです。丁度足の疲れがピークに来た頃に利用させて頂き感謝します。(16津島かも田)


 歩いて回るには、大変の労力を要する。その苦労の中でさまざまの体験をし、それが前へと進ませる力にもなっていることが、ここに取り上げた文章からわかる。

 歩いていると、「車に乗せてあげよう」というお接待を申し出られることがある。疲れている時には、私の経験からいっても、とても魅力的に聞こえる。その言葉を受け入れるのか断るのか。ここには両方のケースが出てきた。断った人も、受け入れた人も後悔の念を書いているのがおもしろい。

 また受け入れた人の文章には、歩いている人に対する申し訳なさが表現されている。歩いて回りきることの“ランク”が高いという意識が、お遍路さんの中に共通してあるのではないか。それが歩きを断念した時の負い目になる可能性がある。

 疲れの中で、日常生活(普通の生活)がかえがえのないものだと気づいた人も文章もあった。「ノートは成長小説」と書いたゆえんでもある。

 苦労の表現は、日数がたつにつれて少なくなっている。歩くことに次第に慣れていくらと推定できる。一方で、疲労は蓄積する。体調を崩したり、体を傷めたりするケースもあり、遍路道の中盤からは体調をからめた苦労話が増えていく。


 ▽お金を出して不自由を味わいたいと決心して5日目。体はガタガタだけど、動くのですね。(05大根)
 ▽ロープウェイ下“そわか”を出て来ました。はじめての遍路で、ゆるんでしまった身体にムチが入ります。が、足の痛みや楽観性が落ち込んだり、住民の人たちに元気をもらって持ち直したり、ゆっくり全体を楽しませてもらっています。これからは少し、自分のペースがわかってくるのかな?と思います。牛ののどかな鳴き声、人の声いいですね。日本1。(05大根)
 ▽暑さが続いて少しバテ気味です。7日目で睡眠不足がきいてきました。歩いててもねむってしまいそうです。あと室戸まで2,3日がんばって歩きます。お接待ありがとうございます。力が回復しそうです。(08牟岐)
 ▽小雨の中、靴ずれで痛む足を引きずりながら、こちらの休憩所に辿り着きました。雨の中、休むわけにもいかず、ただひたすら歩いてきました。すると、綺麗な建物が……!!本当に救われた気持ちになりました。このような大師堂を建ててくさった800名以上の方々にただ感謝です。(11松本大師堂)
 ▽両足のマメが巨大化し、くつ下脱いで水ぬきました。お大師様の前でごめんなさい。休憩できて、とてもあり難かったです。大日寺からの下り階段で、雨でしめったところでコケてしまいました。右ヒザ打ぼく、スリムケと散々でした。幸い骨には異常なく、何とか歩けています。(11松本大師堂)
 ▽ここ何日か、午後になると右腰痛となるのですが、今日は特にひどく、大日寺から3kmほどの道を1時間20分もかかってやっとたどりつきました。あす以降、行程を短めにして、何とか回復して欲しいものです(11松本大師堂)
 ▽足を痛めていたのに柏峠を越えたくて、やっとここまで来ました。この小屋を見つけた時は、本当にホッとしました。お弁当とお茶みかんをいただきゆっくりできました。少しずつでも歩いていれば少しずつ前進します。ゆっくりと八十八番まで回るつもりです。(16津島かも田)
 ▽昨年に続いて2回目の遍路です。一昨日の朝食により、腹具合悪くなり、昨夜は下痢に悩まされました。腹の中の悪い分は全部出してしまったかして、今日は大分元気になりました。残すところは20日程ですが、頑張って歩きます。(16津島かも田)
 ▽昨日より夏の様な暑さです。その前の松尾峠越え、そして今朝の柏坂を越えてたどり着きました。峠の木々の道と風は気持ちよかったですが、別の理由とは思いますが、特に左目が痛くなり、目まいを伴う様な応対が出て来て、やっとの思いで下ってきました。おむすびのお昼を取り、くつ下を脱ぎ、リラックスして元気を取り戻しました。まだ目が痛いので思案中ですが、自転車を利用させていただくかもしれません。(16津島かも田)
 ▽明石寺さんをPM3:00頃に出て、ここ敬徳庵までやっと来ました。歯長峠のヘンロ道で足首をやってしまったみたいです。早目に休み明日早めに出発します。一夜の宿ありがとうございました。敬徳庵の御主人のヘンロ日記に思わず涙が出てしましました。(17宇和)
 ▽左足先がとても痛いので、ちょっと休ませていただきました。へんろ小屋は本当に助かります。(21日韓友情のヘンロ小屋)
 ▽左ヒザをいためました。でも歩くしかありません。この休憩所はとてもありがたかった。今日は雨だったので、なおさら。(21日韓友情のヘンロ小屋)

 
 歩くことによる体の不調は、当然だろうが足に関するものが多い。ノートに書かれているのは足の疲労、靴擦れ、まめ、転んでの打撲などだった。足以外では、腰痛、腹具合の不調といったお腹に関するものが続き、睡眠不足や目まいもあった。

 そんな苦労をしながらも、遍路を続けている。結願というゴールがあることと、遍路に出た動機が支えているような気がする。そのことを象徴するような言葉として、「体はガタガタだけど、動くのですね」と記してある。体のダメージを、精神面が支えているともいえる。

 歩いていくお遍路さんにとって、天候は大いに気になる。疲れがたまってくれば、なおさらだ。だから、天候に関する苦労話の記述は大変多い。内容はおおまかに、「雨風」と「暑さ寒さ」に分かれる。まず雨や風に関するものを選んでみた。

 
 ▽神奈川 茅ヶ崎から来ました。二回目で、今回は歩きです。恩山寺から風雨が強くなり、傘が破れてしまいました。(04阿瀬比)
 ▽今日はあいにくの雨となりました。20、21とお四国あわの難所を越えました。やれやれという気持ちと、段々と体も慣れたこともあり、少し余裕が。幾度となくくじけそうな弱虫になったが、徳島のいろんな先輩、若者にアドバイスを頂き、少しは勇気がわいてきます。先のことはあまり気にせず、1日1日頑張ります。(04阿瀬比)
 ▽坂口屋さんを6:35に出発。峠を越えたところで雷がゴロゴロ鳴りだし、カッパは着たものの、大降りしないうちに下りたいと急ぎました。途中に「この先350m休憩所」の看板! 目指して来た休憩所にびっくり! 一度はそれと分からずに通り過ぎようとしてしまいました。一休みしている所に大粒の雨!! 飛ばした今、少し休んでから進みたいと思います。(05大根)
 ▽台風が近づいて来て、今日は一日中雨の予報。雨が降るとカッパを着るので、とても暑い。まるでサウナスーツみたいに、ダイエットのつもりで歩くしかないか。今日は23薬王寺まで行くつもり。明後日は暴風雨圏に入るので、歩けるかどうかわからない。でも、歩くってとてもいいですよね。まだ1番からここまででけど達成感があります。(05大根)
 ▽道の駅かつうらを朝7時に出て、夕方5時にここまでたどりつきました。朝から雨で太龍寺からは土砂降り。大根峠の道は川と化し、靴の中までびしょ濡れです。(05大根)
 ▽あらしにあい、牟岐まで電車はとまり、タクシーでここまで来ました。歩き始めて、こんなにやさしくしていただき、うれしゅうございました。おまけに治療薬ももらい、助かりました。(08牟岐)
 ▽どしゃ降りで体はズブ濡れです。その上さっき、車のはねた水を胸のあたりから脚部にかけ大量にあびました。言葉もありません。腹が減っていたこともあり、フラフラでした。(12蒲原)
 ▽とても歩きやすい天気です。暑くもなく寒くもない快い遍路旅の最中で、一休みさせていただております。8月は台風にゲリラ豪雨。その度に遍路道(山道)は荒れ放題。倒木に土砂の欠落……道は川の様になり、滝となっていました。9月になって落ち着きましたが、山道はどんな有様になっているか心配で、山道を歩くのを避けてきましたが……。先が心配です。それでも歩を進めるのみの遍路旅ですが、何とも言えぬ心境でもありあす。無事結願できたら良いと考えております。(16津島かも田)


 雨は数日に1回は降るが、お遍路さんにとっては歓迎したいものではない。特に夏場はやっかいだ。カッパを着て歩くからで、「まるでサウナスーツ」という表現が、それをよく表している。

 風雨が強くなると、なおさら大変だ。傘が破れたり、列車が止まるような嵐の中を歩いた人もいた。遍路道の台風のつめ跡を報告した人もいた。

 雷の怖さを書いた人もいた。私はツアーの案内人で、熊野古道・中辺路の一部を歩いたことがる。天気が急変して、雷が鳴り出した。やがて、あられが降ってきた。雷は稲光から雷鳴まで2〜3秒だったので、雷の近さに肝を冷やしたる。参加者が動揺してはいけないので、冷静を装いながら先を急いだ。お遍路さんにとっても、雷は不気味な存在だ。

 
 次に、暑さや寒さに関するものを取り出してみた。読む限りでは、他に比べると、苦労の度合いは少ないようだ。


 ▽午前11時40分、はれ、気温8度 風さむし。(03京塚庵)
 ▽台風一過、晴天、気温急上昇、高齢(81)のためもあって熱中症気味。(13須崎)  
 ▽今はまだ昼の1時スギです。居心地がいいのと、今回初めて体調がすぐれず、もうここでお世話になるのか、それとも前へ進むか悩んでおります。たぶんこの冬一番の寒さかもしれません。宿に泊まる事も考えております。でも残念です。でも宿には泊まりたくない。テントでここまで来たというのに。(14佐賀)
 ▽猛暑です。東京では昨日、雷、雨と大変だったようです。東日本大震災、福島第一原発事故、余震等々、御大師様はさまざまな試練を私達にお与え下さっています。頑張って歩き通し、無事結願したいと思っています。世界の為に!! 日本の為に!! 我が家族の為に!! 私の為に!!(14佐賀)
▽いやーッ、手の指が冷たくて、どうにもならんヨ!(16津島かも田)
 ▽一体何本の飲料水を求め販売機に小銭を投入したことやら。(20しんきん庵法皇)
 

 雷もそうだが、お遍路さんは恐怖や恐怖心を体験することもある。非日常の特異な事例は、ほかの人に知らせたくなるに違いない。それは話題提供という意味合いもあるのではないか。


 ▽男、89歳。途中の野犬には困りました。命をなくさぬようにと思うほど、こわさを体験しました。(03京塚庵)
 ▽道中ヘビを2匹目撃しました。私は巳年生まれですが、やはりびびりました。(05大根)
 ▽午前のトンネルで車にぶつけられ、ミラーが胸にぶつかり、少し息がしづらい。気がついた時には、車が私の横すれすれと思ったとたんぶつかり、倒れた。車は多少よけて通るのに驚きです。(13須崎)
 ▽横浪スカイライン経由で到着。鳥坂トンネルの通過、怖かった。途中の無人スタンドで買ったトマトを水道水で洗い、食べました。トイレ、水、有難う。(13須崎)
 ▽雨の予報でしたが、晴れ間も出るくもり空です。国道を歩くのは気持ち良くないので、柏坂越えをしてきました。途中、虫にしつこく追いかけれたり、木が倒れて通るのが難しい場所があたっりで、なかなかの難所でした。(16津島かも田)
 

 ここに出てくる体験の中のは、非常に危ないものがある。ミラーが当たったケースは、一つ間違えば大けがになったのではないか。トンネルの怖さを書いている人もいた。私が自転車遍路をした時、1番恐怖を覚えたのはトンネルの中だった。暗いうえ、自動車の走行音と排気口のプロペラの音が体を包み、身が震えてしまった。

 苦労の代表格として、歩くこと自体、体調、天候、恐怖心に分けて、お遍路さんの言葉を見てきた。4パターン以外にもある。

 
 ▽宿に電話をしたもうやってませんと言われ、足のマメも痛く困っていたころ、この遍路小屋にたどり着きました。本当に助かりました。今日はここで一泊させて頂きます。(13須崎)

 この文章の書き出し部分、宿に電話をしたのに営業をしていなかった、というのは、疲れているお遍路さんにとって、精神的なダメージを大きかったことだろう。

 お遍路さんは辛さの連続だが、それにもかかわらず歩いていく。その点では、体を休めることのできるヘンロ小屋の役割は大きいと思われる。また、出会う人に励まされて元気をもらい、お接待で披露を回復する表現があちこちに見られる。遍路道の人との交流が、前に進ませる原動力になっていることが、記述からわかる。


↓ヘンロ小屋17号・洲崎







6.感想と感謝


a.感想


 ノートには、お遍路さんの感想が、行動記録とともに書き連ねてある。その中で目立つのは、感謝の心である。これまでの章でも、そのことに触れてきた。

 ここではさらに感謝の表明に焦点を絞ってみる。感謝の前提には、その気持ちを表してみたくなる体験がある。お遍路さんの文章を読むと、お接待、出会った人との交流、遍路すること自体に分かれるよう思える。まず、お接待の具体例と、それに対する感謝の気持ちをまとめてみる。

 ヘンロ小屋は体を休めるための施設で、その本質はお接待である。つまり小屋自体がお接待の具現化だ。それに限らず、近所の人たちが小屋に飲み物や食べ物を置くほか、実際に小屋で出向いてお接待をすることもある。このため、小屋や小屋でのお接待に感謝する文章は非常に多いが、それは一部だけ取り上げることにする。

 
b.お接待に感謝>  
 お遍路さんは道中で、出会った人たちからお接待を受けることがある。日ごろの生活では、ありえない出来事だ。驚きとともに、感謝の念は強い。その気持ちが文章に現れる。まず、ヘンロ小屋での接待に触れたものを、少しだけ紹介する。

 
 ▽「おへんろさん休憩所」を初めて利用させていただきました。1番札所から歩いて、疲れた体を休めるのに、ちょうどよい所にあり、助かりました。「きんかん」をいただきました。甘くておいしかったです。お接待ありがとうございました。四国の方のやさしさを体で感じることができました。(01神宅)
 ▽思いがけず、たくさんの方に温かいおもてなしをいただき、ありがとうございました。情報を受けて到着を待っていてくださったとのこと。感激いたしました。おいしいお茶と大福を頂戴し、疲れがとれなました。(08牟岐)
 ▽あったかいお茶で、心の中がぽっと温かくなりました。どうして歩いているのか、なぜ歩くのか、どこへ行こうとしているのか、くりかえしの道でした。でも、ここに来て、皆様の温かさをいただいて前にすすんでいくうちに、言葉にできない思いが次ぎから次へでてきました。歩きはじめてよかった!今から自分の目的にむかって歩きはじめます。(08香峰)
 ▽一泊させていただきました。朝食、お風呂清掃の方にお接待いただきました。サンドイッチ、卵スープありがとうございました。卵スープ暖まりました。感謝いたします。金剛福寺までがんばります。(14佐賀)
 ▽通し打ちにて休憩させていただきました。夜、○○というスナックをされていて、朝土佐佐賀温泉で働いているおねえさんにコーンポタージュのお接待を受けました。おいしかったです。ありがとうございました。(14佐賀)
 

 14佐賀の小屋は、温泉施設の敷地内にある。お遍路さんは疲れた体を癒すため、この温泉によく入る。温泉の従業員の方が親切で、積極的にお接待をするようで、それに対する感謝の記述はいくつもある。
 
 お接待の形はさまざまだ。初めて遍路をする人の驚きと感動は大きい。見ず知らずの人をもてなすことは、通常では考えられないからだ。

 私も歩いて回っている途中、何度もお接待を受けた。驚いたのは、お金のお接待である。初めて千円札を差し出された時のことは、鮮明に覚えている。十一番藤井寺の手前だった。藤井寺のお参りの後は、十二番焼山寺への「遍路ころがし」の難所になる。お接待をしてくれたおばあちゃんは、それが分かっていて、頼りなく歩いている姿に、お接待の気持ちがわいたのではないか。

 お金のお接待は1度だけではない。それはお遍路さんの後ろにいる弘法大師へのお接待の気持ちや、自分の代わりに回ってもらうための線香代といった思いだが、遍路道を歩いているうちに理解できるようになる。

 何度も回っている人も、お接待への感謝を書いている。お接待が四国の人たちの心や生活の中に根差したものだと認識し、そのことへの感謝や畏敬の念も含まれているように思う。
 
 ▽歩き遍路2日目です。このような休憩所をはじめ、電信柱やガードレールに貼ったシール、地元の方々のお接待には感謝です。本当に温かい方々に囲まれた四国は素敵です。人は一人では決して生きることはできないと改めて感じました。お接待には感動、男泣きをしてしまいました。絶対88カ所を巡ってみたいと思います。何年かかってもやりとげます。(01神宅)

 ▽平等寺まで一気に行きたかったのですが、途中で日が暮れるのが心配になり、道の駅にて一泊。食べるものを持っておらず、店もない。所持金3千程。すると車が一台止まり、相手の顔を見ると、先ほど道を尋ねたおじさんがお弁当をくれた。「はい、今日の晩ごはん」。涙しかでず、お礼も言えなかった。この旅を通して、本当に人に人の気もちや自然、もののありがたみが分かる。実感する。88番まで、もっと心を磨いて、みんながhappyになれるように心がけます。お遍路の皆さん、山の中では、くれぐれも急がない、あせらない。(04大根)
 ▽歩き遍路をはじめて、今日で9日目です。両ひざが痛くてたまらないのでボチボチ歩いています。今日はお店で会ったオチャンにコーヒーをいただき、道の途中で会った軽トラに乗ったオバチャンにはちくわとはんぺんをもらいました。こんなにお接待をしていただいて涙が出そうです。ほんとうにありがとうございます。この旅で素直に感謝することが出来るようになりそうです。(04大根)

 
 初めてのお遍路さんは、歩いていると感受性が強くなり、お接待にも敏感に反応する。涙も流れるが、そのありがたさが歩く力になり、自分もお接待の心を持つような人になりたいと思う。先に挙げた3つの文章は、その典型を示している。
 

 ▽へんろには 命の泉 おせったい(08牟岐)
 ▽道で休憩していたら、具合が悪いんじゃないかと心配してくださり、ここまで送ってくださった○○さん。ありがとうございました。(11松本大師堂)
 ▽一度歩いてみたいと前々から思っていた。現に歩いてこそその良さ、すばらしさを感じた。最初に受けた老女よりの100円の接待。涙が出そうになった。その感激は終生忘れる事がないだろう。(12蒲原)
 ▽昨夜は、高知のとさ別館という宿に泊まりました。素泊まり4000円でした。感謝したいことは、宿のおばさんが、朝食及びお弁当までお接待してくれました。僕はうれしさでびっくりでした。(12蒲原)
 ▽さきほど、赤い車の方に豆乳とヤクルトを1本ずつ2人分いただきました。主人は平気ですが、私はヘロヘロだったので、うれしい!(12蒲原 )
 ▽さっきボクを追い越した車から男の子が走って降りてきて、ボクにお茶をくれました。気持ちが折れそうだったので、とても嬉しかった。まだ飲めないので、ここでいただきます。ありがたい、ありがたい。(12蒲原)
 ▽今日は安芸のドーム球場駅のまちあい場より歩いて参りました。今日ほど色々な接待を受けた日はありませんでした。‘暫羲屬諒にとつぜん声をかけられ、高知まで乗せてやると言われましたが、車の接待は自分の意に反しているのでとおことわり致しましたが、足がいたかったので、心の中では「ありがたい!のりたい!らくしたい!」と思った事は本当で、少し心苦しい思いをしました。香美駅より、赤岡の道中とつぜん後から声がかかり、「お接待です」と弁当(手づくり)をいただきました。28番大日寺さんで声をかけられ「こまった時につかいなさい」とふうとうを渡され、中身を見たら10000円入っており、おもわず途中(29番国分寺に向かう途中)で引き返し、その人を探したのですが、もう影すらなく、「これも御大師様のかご」と思い、受け取る事としました。ぃ横紅屬茲蠅海竜抃峠蠅妨かう途中、だんちのスーパーで買い出しをと思い、団地の中を通っていたら、以前(1年前)出会った小学生に声をかけられ、偶然の出会いにびっくりしました。このような事がおきるのが少し不思議ですが、とにかく四国、御大師様のおかげはすばらしいの一言です。(12蒲原)
 ▽昨日、うなきちで上うな丼を接待していただいた○○さんありがとう。うなぎパワーでどしゃ降りの中頑張れました。今日、大阪へと戻ります。(14佐賀)
 ▽みかん畑を歩いていたら、はっさくを7個ほどくれた女性、歳は私の母と同じくらいとのこと。足を悪くされているとのことなので、難渋しながらとってくれたので、とてもありがたかった。お遍路旅をやっていると、いろいろな人から声援を受けながら歩かしていただいているという気持ちになる。はっさく数個おいてゆきます。(16津島かも田)
 ▽今日は弱くですが雨がずっと降っています。無理をせずに今夜はここに休ませて頂きます。近所の方にパンのお接待までしてもらって、私はカホウ者です。(20しんきん庵・法皇)
 ▽一泊させて頂きます。近所のおばあちゃん、あたたかいご飯、とれたてのトマト、お料理ありがとうございます。心にしみました。あたたかいご飯のありがたみ実感できました。(20しんきん庵・法皇)

 
 結願したお遍路さんに感想を聞くと、1番の思い出にお接待をあげる人が多い。ヘンロ小屋ノートは遍路の途中で書いているのだが、同じ傾向が見える。自分のことを思ってくれる人が四国にいることに、感動するのだろう。しかも、相手はたまたま出会っただけの人だから、感激の度合いが増す。

 支援する会の会長で、「四国遍路」などの著書もある辰濃和男・元朝日新聞論説委員は「お四国病院」という言葉を使う。日々の生活に疲れると、四国にでも行ってみようかと思う人がいる。そんな人のことを言っているわけで、遍路に行くことを、病気を治してくれる病院に見立てている。

 <結願すると、また四国に行きたくなり、遍路を何度も繰り返す人がいる。ノートの文章を書いた人も、同じような思いの兆候が見える。

 
↓ヘンロ小屋16号・宇和「お遍路さん ひとこと集」








c.交流に感謝

 
 お接待も触れ合いだが、もう少し打ち解けて語り合うこともある。歩いているお遍路さんは分や秒を争ってはいないので、歩みを止め、腰を落ち着けて話すこともある。旅先の気楽さ、1人遍路の寂しさがそうさせるのかもしれない。ちょっとした交流である。

 話が弾めば、遍路のしんどさや、抱えている思いを口にすることもある。そんな会話から、お遍路さんは何かをつかんで、また歩き始めるようだ。そこに感謝の気持ちが出てきて、ノートに書きつける。

 
 ▽地元の子どもたちのあいさつが気持ちいいですね。励まされました。(01神宅 )
 ▽お茶、お菓子、おいもと沢山頂き有難うございます。私の地元の話も出て、とても嬉しかったです。四国の人々のあたたかさは、とても心に残ります。何度でもまた来たいと思います。(08牟岐)
 ▽うわさに聞いた○○さんお接待を受けられて大変うれしいです。宿に早くつきすぎる感でしたので、なおさら好都合でした。温かいボランティアの人情に接することがこの旅の価値を高めてくれる。大変たのしい会話をありがとうございました。(09香峰)
 ▽昨日とは違って今朝は晴天です。少し寒い朝となりました。こちらでは何度か休憩させてもらいましたが、今回は初めて管理人の○○さんとお会いすることができました。あと数分違っていたら、すれ違いになっていたと思いますが、ご縁とは不思議です。岸本はたち会というボランティア活動、無縁仏の供養などお話を聞かせていただき、感動しました。神仏に好かれている方だと思いました。「困った時はお大師さんが助けて下さる。この小屋を建てる時にスムーズに事が運んだ」とのこと。○○さんの人徳によるものが大きいと思います。だからお大師さんが力を貸してくれたのだと。今日で区切り打ちを終えます。(10香我美)
 ▽12月28日の朝ノートを見て、○○さんが年のいったわたしの事をこんなに思って下さっているとは思わなかったので、大変うれしくて、どうもありがとうございました。5月28日にケイタイで宿をさがす姿が昨日のように思いだされます。骨折で2カ月半もかかったとの事でびっくりしました。良くなって安心しました。これから寒くなりますので、体に気をつけてください。(11松本大師堂)

 
 直前の文章は、小屋でお接待をしている人との交流である。ノートは交換日記のような役割もはたしている。

 
 ▽昨晩、道の駅かわうその里で野宿しようとしたところ、四万十市在住の方と出会い、お接待を受けました。たくさんの食べ物とお菓子、ビールまでごちそうして下さいました。私は今回初めてのお遍路で、とても驚き、嬉しかった。共に飲みながら、たくさんのお話をしました。今日、ここで温泉に入り、従業員の方々の親切な対応に、心も温まりました。こういう場所や人が、これからも居てくださることを祈ってやみません。(14佐賀)

 
 ノートに書かれている中には、お遍路さん同士の交流もある。一緒に歩いたり泊まったりした記述も多い。遍路という共通体験が、距離を縮め、共感し合うことになる。

 
 ▽東京から1人できましたが、偶然同年代の連れと出会い、一緒に歩きました。来る前はどうしても悲しかったけれど、歩いているとそんな気持ちがどこかに行ってしましました。(01神宅)

 ▽4人で初めて来ました。ステキなへんろ小屋でおしゃべりしていると、川越の方、浜松の方、三重の方、お元気な男性3人が休みに入ってこられて、お話を伺うことができました。(04大根)

 ▽歩きへんろをしています。岩本寺の宿坊に泊まったみなさんと、抜きつ抜かれつしながら、先を目指します。今回は本当にたくさんのおへんろさんと知り合いになり、3日間同宿の人がいて、楽しませてもらっています。(14佐賀)

 ▽一息つかせていただきました。数人のお遍路さんと一緒になり、楽しく談笑しました。このような場所があるとそういうことができるのでありがたいです。(16津島かも田)
  

↓ヘンロ小屋37号・しんきん庵・法皇

 





d.四国と遍路への感謝

 
 お接待や交流への感謝は、つまるところ四国への感謝であり、遍路をしている(させてもらっている)ことへの感謝ではないだろうか。お接待や交流は、「お四国さん」が持つ温かさの本質部分だと思えるからだ。その温かさと包容力は、回り終わったお遍路さんをまた、四国に呼ぶ。ここでは、その思いが強く出た文章を引き出してみた

 
 ▽グレー色のワンボックスの車に乗ったおじさんにここを教えていただい、休ませていただきました。ヘトヘトだったので、本当に助かりました。どうもありがとうございました。四国歩いてみて、地元の方のあたたかさをしみじみと感じております。一生みなさんのあたたかいお気持ち忘れることがないと思います。私は逆にきたので後もうすこしです。四国の方々の事を祈り南無大師遍照金剛。ありがとうございました。(03阿瀬比)
 ▽初めての遍路旅です。63歳。体力的にも最後のチャンスかと、一念発起してやってきました。本日は7日目。疲れも出てきていますが、みなさんがお声をかけてくださり、元気が出ます。なんとか通し打ちできればと願っています。徳島のみなさまの暖かい心遣いに感謝!(04大根)
 ▽73才、4回目ですが、もうこれが最後のチャンスかと思っています。お四国の皆さん、次世代へも、その次へも、みなさんの心意気をずっと引き継いでください。お四国ばんざい、へんろばんざい。(04大根)
 ▽草木の新芽がことさら応援しているようです。(04大根)
 ▽水がおいしい。お茶がうまい。空気が新鮮だ。いつも何でもなく味わっているものが、こんなにありがたいと感じるのは、歩きへんろだからこそ。ここでも温かい接待にあずかった。感謝!(08牟岐)
 ▽お遍路のすべてが楽しい! 険しい道も、人との出会いも、受ける優しさも、厳しい天候も、すべてが自分の糧になります!(08牟岐)
 ▽お遍路の旅とても辛いです。何故歩いているのか自分でも分かりません。今回で10回目です。今の時期になると歩きたくなり、我ながら困っています。本当にお四国が好きです。地元の皆様の温かい心に接し、自分の心の狭さを反省させられます。お四国は別世界です。これからも、この世界が続く事を祈っています。心が癒され疲れがなくなります。長いお遍路に元気を頂きありがとうございます。心を空に歩き続けます。(08牟岐)
 ▽明け方の大雨もやみ晴天でありがたい気持ちでいっぱいです!途中道を間違えてしまって、85才のおばあちゃんが助けてくれて感動にひたっていたら、こちらにたどりつきました。感謝、感動ありがとうございます。(11松本大師堂)
 ▽ここへ来る途中の家のおじさんより、「この先に遍路小屋があるよ」と教えていただきました。四国では、道ゆく人や、タクシーの運転手さんなども、わざわざ道を教えて下さるので本当に有り難いかぎりです。皆様の温かいお心に感謝しつつ、今回の区切り内最後の国分寺へ向かいます。(11松本大師堂)
 ▽夜、8時頃、暗いこの道を歩いておりますと、一台のオートバイが通りすぎると間もなく戻ってきて「もう100m程行くと“お遍路小屋”がありますよ」と親切に教えてくださいました。内心“助かった”と思い、お礼を言いました。その若い男性はそのままオートバイで」行ってしまいました。今夜はここで一晩過ごそうと思います。水洗トイレもあるし、感謝感謝。(13須崎)
 ▽雨の中辿りつきました。久礼から岩本寺を経て、ちょっと無理をして、一日でも早く家族の元へ帰りたいと思います。反対もせず(?)送り出してくれたに感謝して……共に修行です。(14佐賀)
 ▽雨。午後4時、一時的に雨やむ。水田の苗も美しい。山肌に雲が昇ってゆく。休憩所ありがとう。(15四万十)
 ▽今はただ、感謝の心で日を歩いております。21日目。(16津島かも田)
 ▽歩けることに感謝し、これから先も歩いて行きます。(16津島かも田)
 ▽転車へんろです(折りたたみミニチャリ)。登り坂で疲れたところにあり、たすかりました。今朝43番明石寺を打った直後に自転車がパンクしました。大みそかで自転車屋も閉店しているなか、商店街の金物屋のおじさんが、親切に1時間かけてパンク修理を手伝ってくれました。四国の温かさに支えられる遍路旅です。(18ひじ川源流の里)
 ▽長崎から来ました! 歩き遍路36日目です。何度かくじけそうになりましたが、なんとか香川県までやって来れました。ここまで休憩所、公衆トイレ、遍路シール、自販機、そして何より、地元の方々からのお声かけ、毎日が感謝、感謝の連続です。これからも感謝の気持ちを忘れず、決して無理をせず、歩き続けたいと思います。(21日韓友情のヘンロ小屋)
 

 取り上げ文章に中には、いくつかのキーワードが見つかる。それらが、四国や遍路の本質を突いている。

 よく出てくる言葉は「温かさ」で、似た言葉に「優しさ」があった。四国の人の温かさや優しさに触れて、「元気」になる。また「支えられている」ために歩けていることを知る。

 その結果、たくさんのお遍路さんが「感謝」と書いた。さらに「忘れない」という言葉につながっていく。

 「感謝」の中には、遍路に行かせてくれた家族への感謝もあった。感謝の気持ちは広がっていく。草木の新芽から、水、お茶、空気まで。さらに公衆トイレから自販機まで。そして、「お四国ばんざい、遍路ばんざい」という直接的な感謝の言葉も生まれた。

 
↓ヘンロ小屋49号・ひじ川源流の里





7.遍路がもたらす変化


a.歩いて感得したもの
 

 ヘンロ小屋ノートには、遍路の中で感じ取ったもの、分かったことの記述が多い。同時に、自分が変わってきたことを書いている。それは回り始めの徳島のノートからあり、中盤からは増えてゆく。

 このことは88カ所すべてにお参りするという目標の裏側に、自分の変化への期待があったことを裏づける。お遍路さんの動機の中で、「見つめ直し」を上位に置いたが、お遍路さんの文章の中に、そのことを感じさせる言葉が随所にみられる。

 「見つめ直し」は改めて冷静に自分を分析し、その分析と反省から自分を変えていくことになる。遍路がそのきっかけをつくっていることになる。


 ▽四国に来て6日目の朝です。お遍路には沢山のライバルが有ります。雨、風、台風、山道、大きな道路の車など。でも1番大きなライバルは自分の中の弱い心だと思います。これからも負けずに歩きます。(04阿瀬比)
 ▽四国の人は敬けんな方々が多いなあ、大自然の恵みに感謝して祈っているようにみえると思った時、ある日、私の方をみて拝んでみえることに気付きました。尋ねますと、貴方はお大師様と共に歩いてみえる、だからお大師様と共におがませていただいています、と。こんな私が拝まれてもったいない。残された人生、力一杯お大師様のみ心を奉じ、少しでも人のため、世いために、心を入れ替えて生きていきたと心に誓いました。(04阿瀬比)
 ▽1日1日を生きることが幸福。朝起きて、メシ食って、風呂入って……寝る。そしてまた朝を向かえる。そんなシンプルなことが1番幸せ。色んなことがありすぎる世の中で、遍路に来て1番気づかされた事だ。そして1日を生きるためには、たくさんの人々に助けられている。全てに感謝の気持ちを!(06鉦打)
 ▽四国に来て何度「ありがとうございます」という言葉を口にしたことか。(06鉦打)  
 ▽遍路は人生そのもの。出会って共に歩き、そして別れていく。そして道に迷い、路頭に迷ってオロオロ。(08牟岐)
 ▽お遍路の旅とても辛いです。何故歩いているのか自分でも分かりません。今回で10回目です。今の時期になると歩きたくなり、我ながら困っています。本当にお四国が好きです。地元の皆様の温かい心に接し、自分の心の狭さを反省させられます。お四国は別世界です。これからも、この世界が続く事を祈っています。心が癒され疲れがなくなります。長いお遍路に元気を頂きありがとうございます。心を空に歩き続けます。(08牟岐)
 ▽あったかいお茶で、心の中がぽっと温かくなりました。どうして歩いているのか、なぜ歩くのか、どこへ行こうとしているのか、くりかえしの道でした。でも、ここに来て、皆様の温かさをいただいて前にすすんでいくうちに、言葉にできない思いが次ぎから次へでてきました。歩きはじめてよかった!今から自分の目的にむかって歩きはじめます。(09香峰)
 ▽雨の中を歩いていると『おへんろさん休憩所』の案内を見つけ寄らせて頂きました。ほんとにホッと致しました。今の日本はお金・お金・損・得と大変な世の中ですが、このよう様な文化がずっと続けられており、まだまだ日本も捨てたものではないです。特に歩きのおへんろさんには若い人が増えている様で、これからが楽しみです。私も自宅に帰ったら、18歳の娘と16歳の息子にこの経験を話してやるつもりです。(09香峰)


 以上は徳島の小屋のノートに書いてあったものだ。四国は江戸時代、4つの国に分かれていた。それに合わせて、「発心の道場・阿波、修行の道場・土佐、菩提の道場・伊予、涅槃の道場・讃岐」という言葉がある。徳島(阿波)はまだ、遍路をすると決めて歩き始めたばかりの地である。

 このため、「なぜ歩いているのだろう」という自問自答の言葉も見られる。ただ、この疑問は、遍路の間ずっと付きまとう。見つめ直しや、自分探しが遍路の動機や目的で、目立つ存在だからに違いない。

 一方で、すでに感じ取ったものはある。回り始めの新鮮は感度が働いている。感じたのは▽心の弱さ・心の狭さといった自分の小ささ▽助けられている・支えられている――などだ。これらを手掛かりに、高知県以降の記述を見ていく


↓ヘンロ小屋44号・神宅は支援する会員が手作りした
 

 
b.弱さから強さへ


 苦しい歩きを体験して、自分の弱さやダメさを思い知るお遍路さんは多い。あるいは、お接待などを通じて四国の人たちの心を知り、その対比として自分の心の狭さや小ささに気づくお遍路さんもいる。>  気づいた時点で、お遍路さんは変わろうとする。そのエネルギーを、遍路が送り込んでいるようだ。歩くスピードは、ものを考えるのには打ってつけではないか。しかも時間はふんだんにある。

 他人との触れ合いの影響も大きいだろう。日常生活の中では、家族や仕事を軸にした人間関係が普通だ。以前から知った人ばかりで、改めて人生について話すことはほとんどない。それに対して遍路は非日常なので、初対面の人と人生を語りたくもなる。

 四国遍路の特徴の1つは、自然の中も歩き、人の海も歩くことだろう。里山のような、自然と人の絶妙なバランスの中に遍路がある。これも変化を助長する要素になっていると推測する。

 弱い、狭い人間も変化を決心すると、見違えるような強い、広い人間になる。ノートのなかには、強い言葉も含まれている。心の変化を示す文章を列挙してみる。


 ▽このヘンロ小屋に座らせて頂いて、心が一回り大きくなった気がします。(04大根)
 ▽今日はここで泊まらせて貰います。お遍路は2度目。前回、打ち終わって帰ってからの自分は確かに、変化が見られ、心も幾分広く、おだやかになったとおもった。しかし、やっぱり人間というのは、時がたてば、だんだんとエゴが出はじめ、コゴーマンにもなって来ます。生活も……。もう一度行こう!!仕事も大事、家庭も家族も大事。でも自分はまず自分の人生。どう生きるのか。その為にもう1度、お遍路をすることが必要だと思った。でも俗世界からは逃げない!!自分はこれが終わったらまた、あの社会の中で、自分を失わず生きていく。(05大根)
 ▽一度死のうと思った人生。死ぬ気で回って見せる。足のいたみ何か逆に気持ち良くしてやる。死にたいきもちをころしてやる。死ぬ気で残りの人生楽しんでやる。何でもできる。みんながいるから。(12蒲原)
 ▽まわりの心配顔をヨソに、台風の中ここまで来ました。灼熱の太陽でへばるより、雨でビショぬれの方がまだ良いと、雷様と戦いながら2回目の足止めをここでくらいました。山あり谷あり、ここは私の人生でどの部分なのか。ここをのりこえたら又、晴れ間が待っている、そう思いながら、前へ進む。遍路は心の扉をノックしてくれる有り難い旅です。皆に勧めたい。(12蒲原)
 ▽先刻から雨になりました。雨具を着て歩くのは滅入りますが、まあこれも人生。好きで始めたことなので、どこまでも前進のみです。はってやると決めて掛かれば何とかなるものですよね。(18ひじ川源流の里)



      ↑子どもが真ん中のテープカット




c.支えられる側から支える側へ

 
 お遍路さんが最も感激し、記憶に残るお接待などの四国の優しさは、お遍路さんにどのような変化をもたらしたのだろうか。これを示す文例は多い。


 ▽四国の自然の美しさと共に、そこに住む人その心のやさしさに感動しています。多くの方々のおかげで歩かせていただける幸せにまさる幸せはこの世にあるでしょうか。自然と対話し、地元の方々との交わりを楽しんで……。脱日常の世界なのですから……と一人勝手なことを考えています。(03阿瀬比)
 ▽宮城へボランティアの帰り、一泊させていただきました。高知へは震災以来(3月に来てから)です。いつか遍路をしたいと思っていた矢先、3.11があり、四国を回ることよりも、ボランティアに行くことに。今しなければならない何かがあると。おそらくは四国88ヶ所にも通ずるものがある。ありがとうございました。(10香我美)
 ▽私はヘンロ小屋1〜4号すべてに寄らせて頂き休けい、元気をいただきました。昨年も歩きましたが、このようなヘンロ小屋が次々と完成していくようで、お四国の人たちの「心のあたたかさ、豊かさ、思いやり」をしみじみ感じています。何かと生きていくことが大変な時代にあって、さまざまな、生きていく上での「基本」となるものを教えて頂いた思いのする「おへんろ」です。来春、5回目の挑戦で、また参ります。生命ある限りつづけていきたい「おへんろ」です。(12蒲原)
 ▽小屋周辺の枯れ葉、特に小屋上にたまっていた枯れ葉を除去いたしました。まだ不十分だと思いますが、私の残りのあまっていた体力ではこの程度です。前回もこの小屋でお世話になっているので、そのお礼を兼ねて作業させていただきました。水路の枯れ葉もできる限り除きました。(12蒲原)
 ▽一晩お世話になりました。昨日の夕方、ココに着いて休んでいると、車で2人のお兄さんが来て、ペットボトルとおかしとビーチサンダルをくれました。2人のお兄さんも遍路経験有りだそうです。優しくしていただきました。私も「人にやさしく」この先もがんばります!(14佐賀)
 ▽岩本寺に朝1番に着くように、ライトを照らしながら、てくてく夜道を歩いていたんですが、12時頃に中土佐町でひとりのおばあちゃんとすれ違いました。あいさつを交わして通り過ぎようとしたら、そのおばあちゃんが話しかけてきました。しばらく話をしていると、夜道は危ないから泊まってき、と言ってきます。最初は丁重におことわりしたんですが、泊まってき!泊まってき!と連発します。泊まりましたよ。朝一、岩本寺に着く予定だったのに。ま、これも遍路旅の醍醐味ですかね。翌朝、亡くなったご主人の仏前に般若心経を唱え、納め札を残し、岩本寺に向かいました。約1カ月半の遍路の道中、いろんな出会いがあると思います。人生一期一会。ひとつひとつの出会いを心にとどめ、そして大事にしていきたいものです。(2009年8月20日)
 ▽歩く事よりも、人々との出会いに多くを教わっている気がします。30代半ばにして、他人を想う心に気付かされました。この感情は言葉にもなりません。(14佐賀)
 ▽6巡目ですが、まだまだ予定通りには行かないので、修行が足りないのでしょうね。それでもガムシャラに頑張っていたころに比べると、ゆとりが出来て、歩きを楽しめています。そして地元の方々にどれ程支えて頂いているのかも、回数が増すごとに理解も増していって、感謝の心が大きくなっています。不平不満が多かった初めての時、そして感謝が心から身体を通して満ちてくる今、へんろをしてつくづくよかったと思います。(14佐賀)
 ▽Merry Xmas!! お遍路中の身にはあまり関係ありませんが(笑)。本日もたくさんの御親切を頂き、ここにたどり着くことができました。本当に日々、感謝・感激です。ホテルの方にもホッカイロやお茶やみかんなどのお接待プレゼントをしていただき、気持ちが良い温泉でたっぷりあったまって幸せなクリスマスを過ごさせて頂きました。雪も降り始め、本格的に寒くなってきましたが、心はポカポカです。恩返しできる人間で在るよう、精進しながら一歩一歩お四国を歩かせて頂きます。(14佐賀)
 ▽とつぜんの雨、へんろ小屋を見つけた時の安心感、一生忘れません。私は僧侶になる身の22歳です。このあたたかい心を自分の人生にいかしていきたいと思います。(16津島かも田)
 ▽歩く道すがら、車の内より暖かい言葉をかけて頂き、お接待を受けてありがとうございました。四国を歩き人々の優しさを体感しております。この貴重な体験をこれからの人生に生かしていいたいと感じております。(16津島かも田) 
 ▽私達、75歳を頭に4人、ぼつぼつ歩いています。今日は観音寺駅までJRで来て弥谷寺まで歩いて行く予定です。こんなお接待をしていただき、感謝、感謝でいっぱいです。私たちも家の近所で、みなさんに親切にしようと思いました。(21日韓友情のヘンロ小屋)
 ▽親切なご接待で感動しました。いつか私自身も何かの形で還元できるよう頑張りたいと思います。(21日韓友情のヘンロ小屋)
 ▽四国の方々のお接待、ありがとうございます。名古屋に帰りましたら、この気持ちを皆にお返ししたいと思っております。(21日韓友情のヘンロ小屋)

 これらの思いの前提に、「人間は1人では生きていけない」がある。当然のことだ。動物の本能には、食欲、性欲、群れをつくる、という3つの本能があると、よく言われる。本能とは、生きていき、種を残すためのものだ。「群れをつくる」とは、1個体では生きていけないことの裏返しでもある。ところが人間は日常生活の中で、「1人では生きていけない」ことを、往々にして忘れてしまう。

 歩き遍路は便利な日常を離れ、歩くという動物的な行動をとる。しんどさの中で声をかけられ、親切にされるとこで力を得て、再び前に進むということを体験する。「1人では生きていけない」ことの再認識でもあるだろう。

 お接待で親切にされることを体験して、今度は自分が他人のためになろうと思う意思が生まれる。ある意味では恩返しといえる。取り上げた文例にも、「支えられた側」から「支える側」への意思表明を見ることができる。それは「利他の心」への目覚めではないか。群れをつくるためには、他を思う気持ちがなければうまくいかないので、利他の心の取り戻しと言った方が良いかもしれないが。


↓日韓友情のヘンロ小屋





d.再出発の宣言

 
 お遍路さんは歩くことと人の優しさに触れることで、自分を見つめ直し変身していく。その変化を感じた時、新しい人生を始めることを誓う。その宣言をノートに書くことで、確実なものにしようとする。それは遍路を通して、その人にとって大事なものを見つけからだ。以下の文章は、そう読める。


 ▽私は四万十市に住む者です。車で高知に行く際、いつも通り過ぎていました。今回、へんろをすることにし、やっとここまでたどり着け、休ませていただいています。4月末で12年勤めた会社を辞め、無職です。この先何があるかわかりません。遍路道のように、地図も標識もありません。真っ白か、真っ黒か。どちらにしろ、1歩1歩行くだけです。それからまた新しい道を作ります。(14佐賀)
 ▽朝から雨。ただひたすら柏坂を越えて当休憩所まで来ました。ホッとしました。いい修行をさせてもらっています。感謝々々。「ふたたびの自分なほしの遍路かな」(16津島かも田) 
 ▽台風の影響で雨ばかり!!へこたれそう…でも、雨ばっかりの中で雨が少しでもやむと、ちょっとうれしい… 人生、そんなもんです。さらにもう一個台風、でもいつか晴れる!!(19今治・日高)
 ▽自信のないまま一番から歩き出し、何度もお大師様に助けられ、ここまで来ました。ようやく「道中修行」の意味がわかってきました。これからの人生に楽しみが見つかり、ありがとうございました。」(20しんきん庵・法皇)
 ▽自転車で自分さがしのようなことをしています。九州からかれこれ400勸幣總ったと思います。足の痛みと日焼けの痛みで、今まで悩んでいたことが馬鹿みたいに思えてきます。これから山を越える人、越えてきた人も、どんなことがあっても負けないで」ください。(20しんきん庵・法皇)

 
↓ヘンロ小屋54号・四万十に置かれたヘンロ小屋ノート





8.終わりに

 
 お遍路さんの心の内を、ヘンロ小屋ノートに記された数々の文章で見てきた。それは最初に書いたように、トータルとして見れば成長小説に違いない。お遍路さんには何らかの動機があり、そのために結願への意思は固く、決意を表明して歩いていく。

 長い距離を歩いて辛さを知り、お接待を受けて人の優しさを知る。心の中に変化が現れ、やがて新しい自分を見つけて、再スタートへの思いをつづる。それが成長のおおまかな流れだと分析できる。

 後に、結願した直後のお遍路さんの文章を取り上げる。八十八番大窪寺に参った後、一番霊山寺にお礼参りに行く人がいる。そうすると、四国遍路は輪になる。この循環の思想は、1日ごとの繰り返し、1年ごとの繰り返しや、蘇りの思想にも通じて興味深い。

 大窪寺から霊山寺にむかう道筋に、01神宅のヘンロ小屋がある。お遍路さんはこの小屋で最初のペンを取り、最後のペンも取る。その時にしたためた文章を取り上げてみる。それとは別に、結願した後で続いて逆打ちをしたお遍路さんの文章も加えた。これも結願後、それほど日数はたっていない。


 ▽昨年の6月25日、遍路初日にここで休ませて頂きました。管理人の方にジュースのお接待を頂き、「遍路さんは終わってしばらくしたら、また来たくなるんだよ〜」という話を伺いました。初日で既にヘロヘロだった私には信じがたい話でしたが、昨日88番大窪寺で結願した私には、ちょっとわかるような気がします。(夏、暑さで一度打ち切り、冬に途中から再開しました)この後、一番霊山寺まで戻って、終了となります。四国のみなさん、ありがとうございました。(01神宅)
 ▽2年前の6月上旬、歩き遍路2日目、ここでお接待を受けました。思い出深いこととして、今も記憶に残っています。弘法大師像の下に書かれている「皆さまが……合掌」の文字は、小学校の字の上手な先生に書いていただいたこと、この場所はもともと庵があったところだということ、その時お接待して下さった方(多分この裏の店の方だったと思うのですが)がいろいろ算段して建てたこと、甘夏をいろいろと手をつくして入手し、接待して下さっていることなど、いろいろお話を伺いました。今もお元気のことと思いますが、ご健康で長寿でありますように祈念しています。区切り遍路で4月5日結願し、切幡寺からさらに一番に戻る途中、4時半頃、立ち寄らせていただきました。(2015年4月7日)
 ▽1/18に大窪結願し、続いて逆打ち通し遍路(野宿付)です。ヘンロ小屋53号茶処みとよ高瀬さんは、3回目の施設利用となります。今日は朝から雨で、通りかかったのを幸いに、雨宿り休憩としました。雨足は強まる一方で、身動きできない。トホホホ。お遍路さんも通りません。トホホホ。「恥の多い生涯」(太宰治・人間失格)に自分の価値を見つける遍路も4周目です。しかし、なかなか見つけるに至りません。ただ道すがら出会った方々に、やさしくお声をかけていただいたり、お接待していただくたびに、人との触れ合いこそお遍路の功徳と思って、感謝の手を合わせるばかりです。(21日韓友情のヘンロ小屋)

 
 いずれも長い文章になっている。書く機会を得て、蓄積された思いが噴出したに違いない。書かれているのは初心と思い出、四国への感謝に満ちている。


↑ヘンロ小屋54号・四万十の建設作業