【四季の里】
宿泊は徳島県神山町の四季の里にした。「のんびり湯ったり編」とうたっているように、ここも温泉の宿。
ここは4月の初めがいい。前シリーズの逆打ちでも、そうなるように計画を立てていた。ところが、シリーズの途中で中止となってしまい、新しく順打ちスタートさせたため、3月になってしまった。
神山町は町をあげて、枝垂れ桜を育てている。その見ごろが4月の初めにくる。しかも、四季の里は農業公園の一角にあり、公園にもたくさんの枝垂れ桜がある。かなり名所化してきたが、もう少し木が大きくなれば、神山町は西日本でも有数の桜の名所になるに違いない。
夕食は1人用のボタン鍋がメーンの料理だった。ほかにエビ、タイ、マグロの刺し身、地元の固い豆腐を使った揚げ豆腐、フキノトウ、ナノハナ、タケノコ、コゴミ、シイタケの天ぷらに先付けとサラダ。
この日は3月10日で、東日本大震災から6年目の前日に当たった。風呂のサウナの入ると、テレビで震災特集をしていて、そのことを夕食の席で話した。すると、同じ番組を見ていた人もいて、食卓での全体の話題となった。その番組は次のようなものだった。
主人公は震災発生当時17歳で、現在は23歳の女性だった。8人家族で、彼女以外は犠牲になり、震災孤児となってしまった。被災1月後の取材の際、彼女は2つの決意を語った。「決して泣かない」「管理栄養士になる」だった。2つ目の決意は、震災のしばらく前に母親に語った将来の夢だった。彼女は今、約束を守って、管理栄養士になっている。
「泣かない」という約束は守れたか、と改めて聞かれ、「それは自分に言い聞かせる言葉だった。実際には涙を流した」と答えた。「震災孤児として特別に見られていたが、悲しいのは私だけではないということを知った」とも語った。
人はそれぞれの歴史を持っている。ほかの人との違いであり、特色ではある。しかし一方で、それぞれに共通するものがある。彼女の場合は、被災の悲しみであろう。他人の悲しみを自分の悲しみに重ね合うことも多かっただろう。だから、涙を流すこともあったのではないか。そんな話を食卓でした。
夕食の後は、私の部屋に何人か集まることがある。今回も8人が夕食の時の話の延長戦をした。話題は少し変わったが、また興味深い展開があった。ある男性の昔話がきっかけだった。何度も見合いをした後に結婚したが、新婚当時に腹が立つことがあり、妻を突き飛ばした。それを反省して、今まで妻を大事にしてきたと明かしたのだ。
それを受けて、ある女性は「私なんか何度も血みどろのけんかをした」と言う。別の女性は「夫は自分勝手で、私は家を出たことはあったが、面と向かってけんかしたことはなかった」と語った。
3組の夫婦は、全く異なる歴史を刻んだ。しかし、よくけんかした女性は6年間、病気の夫の面倒をみて、送ったという。その間、3時間続けて夫のそばを離れることはなく、どうしても離れなければいけない時は、ヘルパーに頼んだそうだ。けんかをしなかった女性の場合は、夫の死が遍路に行くきっかけになっていた。そう考えると、個性は別々の夫婦ではあるが、伴侶を大事に思っている、あるいは思っていたことは共通しているような気がした。
翌日の朝食の前、宿の周りの公園を散策した。東屋で、カップラーメンを作って食べている年配の男性がいた。バイク遍路だと分かり、声をかけてみた。広島市の男性で、遍路は3回目だという。お金がないので野宿をしていると話した。
いつもはテントを張るが、東屋なので寝袋だけで寝た。温度計を持っていて、未明は2度まで下がったとか。テントを張れば、2度くらい暖かくなるが、そうしなかった。寝袋の中で足をこすり合わせていたが、寒くて眠れなかったとこぼしていた。
男性は「たくさんの仏を背負って回っている」と話した。身近な人が何人かなくなったのであろう。バイクに取り付けたケースの中を見せ、2枚の紙を指さした。1枚は「同行二人」のおなじみの言葉が書いてあった。もう1枚には「一切供養仏」の文字。それを見ると、詳しい事情は聞きづらかった。
朝食には大きなみそ汁がついていた。名物だという。具だくさんで、それだけでお腹いっぱいになるほどだった。朝食をすませ、全員で公園を歩いてから出発した。
↑朝食は大きなみそ汁が特徴
【12番・焼山寺】
12番・焼山寺へは、途中からマイクロバスに乗り換え、S字カーブの多い道を登る。標高900メートルに近く、まだ午前中だということもあって、気温が低い。
寺の駐車場の端に、積み上げられた雪が残っていた。参道を歩いていくと、谷を渡ってくる風が冷たい。本堂と大師堂の横にも、雪が少し残っている。今回の1泊2日の遍路で雪を見たのはここだけで、寺が高い場所にあるのが分かる。
本堂には、本尊と結ぶ白い布が設置してあった。鐘楼の前にはブランコがある。山深い寺には不釣り合いな感じもするが、寺の特徴だと思って写真を撮った。
↑本堂の横に雪が残っていた
↑鐘楼の前にあるブランコ
【阿川梅の里】
焼山寺の後は、同じ神山町の大きな梅林を訪ねた。「阿川梅の里」という。
山間の梅林。1万6000本もの梅の木があり、徳島県内では最大らしい。梅まつりののぼりがたくさん立っているが、交通の便が悪いためか、客は少ない。
添乗員が事前に連絡していたため、地元の男性が梅林の案内をしてくれた。梅まつりの法被を着た親切な人だった。それも地元の梅・梅干を知ってほしいという思いが現われている。
満開だった。しかし、よく実がなるようにするには、手入れが大変なのだと、苦労を説明してくれた。緑の葉が散った冬場に、伸びた枝を切る。肥料も一苦労。受粉はミツバチを借りて行う。参加者の1人が、南高梅の粒の大きさを口にした。すると、案内の男性が「その品種自体が大きいのではなく、手入れの仕方、肥料のやり方で大きくなる」と説明した。
民家が点々としている。男性によると、半数近くが空き家になっている。その家の住人はもっと都会に住み、梅を作るために通ってくる。それが山の中の梅農家の現実なのだろう。
梅林の見学が終わると、そばの農家の女性が梅干を売っていて、ショウガ湯をお接待してくれた。少し寒かったので、体が温まった。女性は去年のもの、3年、5年、10年ものの梅干を売っていた。迷ったが無難な3年ものを買った。親切にしてもらったお礼のつもりだった。
↑地元の男性に梅林を案内してもらった
↑ショウガ湯をお接待してもらった
【昼食】
2日目の昼食は、神山町の「粟カフェ」の玄米キーマカレーとデザートのアイスクリームにした。山の町でカフェは違和感があるかもしれないが、選んだには理由がある。
神山町は地方の活性化で、全国から注目されている。Iターンで移り住む人が続き、すでに100人を超える。徳島市から案外近いこと、町が積極的に受け入れているなどが理由として挙げられる。「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会が休憩所の建設場所を探すために、神山町へ調査に行ったことがある。事前に町長に協力をお願いしていたら、調査当日は町長自らも場所探しに同行してくれた。そんな親切さが、町全体にあるのではないか。
栗カフェのオーナーも、6年前に移ってきたという。出身は兵庫県西宮市で、転勤族だったそうだが、そば屋だった店が閉じ、そこでカフェを営むためにIターンで入ってきた。神山町の魅力を聞くと、「ずべてです」という答えが返ってきた。
アイスクリームは専門家が、神山町産の原料を使うなどして作っている。神山町はスダチの産地で、1番人気はスダチアイス。ポポーという変わったものもある。バナナとマンゴーの中間のような味がする果物で、神山町では昔から栽培していると教えられた。
小さな店だった。このため、玄関には「本日貸切です」の表示がしてあった。
↑玄関には貸切の表示が
【おやすみなし亭】
次は13番・大日寺だが、その手前に地元の人が作ったお遍路さんのための休憩所「おやすみなし亭」がある。私たちの「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」で建設している休憩所はほぼ吹き曝しだが、ここは小さな家になっている。
休憩所に入ると、外国から来た男性遍路2人がいすに座っていた。カタコトの英語で話すと、フランスからの遍路だった。ニコニコ笑って、やはりカタコトの英語で答えてくれた。大阪にも2泊し、オオサカ・キャッスルにも行ったらしい。
備え付けのケースの中から、お接待のミカンをいただこうとしていると、地元の人も入ってきた。手にしたミカンを見て、「いくらでも持っていきなさい」と言って、建物の外に連れて行ってくれた。そこには、ミカン、ハッサク、ポンカンの3種類が段ボール箱にたくさん入っていた。言葉に甘えて、メンバー分以上ものをもいただいた。
↑おやすみなし亭で小さな国際交流
【13番・大日寺】
大日寺はおやすみなし亭からバスで2分ほど。狭い境内だが、ほかの遍路グループも参拝していて、結構人が多く感じる。そのグループとは、お互いに邪魔にならないように配慮しながら、般若心経をあげた。
本堂は工事中だった。境内には子どもをたくさん連れた地蔵、両手を合わせた中に安置されているしあわせ観音などがある。シキビが花をつけていたのも印象に残った。
↑たくさんの子どもを見守る地蔵
【14番・常楽寺】
大日寺から15番・国分寺までは、今回の最後の「ちょっと歩き」。暖かくなってきて、歩きやすい。スミレ、ホトケノザ、ナズナ、ウスイエンドウ、カラスノエンドウと言った花を眺め、春本番が近いことを実感する。
↑常楽寺への遍路道
常楽寺が運営する養護施設の前を通る。毎日新聞旅行で私が初めて先達を務めた際のメンバーで、その後もよく出会う遍路仲間の男性がいる。その人は大先達の資格をもらうほど何度も遍路を重ね、常楽寺に参るたびにこの養護施設に寄り、寄付金を置いてくるそうだ。
常楽寺は阿波の青石の上に立つ寺で、参拝客であふれていた。遍路の春が始まっている。
ここでも外国人遍路に出会った。小さな子どものいる家族連れで、オランダ人だという。抱かれている子どもはハイタッチが好きなようで、私たちのメンバーと入れ替わり手を合わせた。
↑常楽寺は参拝客が多かった
【15番・国分寺】
常楽寺から国分寺までは10分足らず。寺が混雑しているためか、逆打ちで歩いている団体がいくつもあった。おもしろいことに、知り合いの先達2人に出会った。歩いていても、春の遍路シーズン到来をまた実感した。
国分寺に着くと、先ほどのオランダ人家族がいた。車で先に着いたのだろう。紙でヘリコプターを作って子どもに渡し、小さな国際交流をした。
国分寺もお遍路さんが多かった。本堂は修理中で、別の堂が借り本堂になっていた。そのせいか、普段は有料の本堂裏の庭園を無料で見せていた。石をたくさん使った枯山水の庭で、少し荒々しい水墨画のような風情がある。
今回の遍路はここで打ち止め。いくつもの出会いに感謝し、大阪に向かった。出発時は寒く、帰阪時は暖かい。1泊2日の間に春はさらに近づいた。
↑国分寺の庭園
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◆第3回(16番・観音寺〜20番・鶴林寺)
=2017年4月7日〜8日
【淡路島サービスエリア】
四国遍路「ちょっと歩きシリーズ」の「のんびり・湯ったり編」の第3回は、とても幸運な2日間だった。それは参加者11人全員の思いだったと思う。
まずは、ほとんどと言っていいほど、雨が降らなかったこと。事前の天気予報はころころ変わったが、おおむね5日〜9日は雨マークだった。予報がはずれたうえ、桜のとてもいい2日間だったのだ。
午前6時すぎに自宅を出た。雨が降っていた。普通の長い傘にするか、折りたたみにするか、迷うところだった。リュックサックとずだ袋を下げ、金剛杖を手にしているので、できるなら持ち運びやすい折りたたみにしたい。ただし、雨が強かったり、風がきつかったりしたら、折りたたみでは役にたたない。結局、天気が快方に向かうことを期待して、折りたたみにした。
出発点の大阪市・西梅田の毎日新聞社前に着いた時には、雨がやんでいた。その代わり、桜の花びらが雨で散り、道路を埋めていた。メンバーの中に自称「晴れ女」がいて、みんなが「気象台長」とあだ名をつけていた。前回は不参加だったが、今回は参加し、「私が来たから、もう雨は大丈夫」とおどけて言い、何となく安心した気になった。
明石海峡大橋を渡り、淡路島に入ってすぐにサービスエリアで休憩した。その間に、土産物を見ていると、びっくりするようなレトルトカレーを見つけた。神戸牛ステーキカレーと名づけてあって、値段は何と5400円。ひとしきりバスの中での話題となった。淡路島の高速道路の横の山は桜が満開だった。車窓から桜を眺めるのも、良い時間の過ごし方となった。
↑毎日新聞の近くの桜は雨に打たれて花びらを散らしていた
【阿波十郎兵衛屋敷】
四国を知ってもらう今回の企画の1つは、人形浄瑠璃だった。徳島市の阿波十郎兵衛屋敷で毎日簡単な公演をしていて、行程の関係でまずそれを観覧に行った。1回目の公演は午前11時からだったが、10時40分ごろ到着した。そこで公演まで、人形の展示を見ることにした。案内役がいて、阿波では木偶(でく)を「でこ」と呼ぶこと、人形の目などを動かす装置のばねにはクジラのひげが使われていることなどを教えてもらった。
阿波の人形浄瑠璃は農村舞台で演じるため、大阪の文楽に比べると、人形が大きい。男の人形は両方の目とまゆと口の5か所が動く。女の人形のほとんどは、目と口の3カ所。なじみ深い演目の傾城阿波鳴門のお弓の人形は3キロ、お鶴は1.5キロ。徳島には農村舞台が90カ所も残っている。そんな知識も得てから、公演を見た。
演目は当然ながら傾城阿波鳴門で、巡礼お鶴が母親のお弓に出会う段。「ととさまの名は、阿波の十郎兵衛と申します」の台詞で知られる。物語の中では、十郎兵衛は盗賊というこになっていて、お鶴を祖母に預けて阿波から逃れてきていた。お鶴は母を探して西国巡礼をしている。お弓はお鶴に、自分が母親だと名乗りたいが、それでは娘に災いがふりかかると考え、名乗らずに別れるという筋書き。30分たらずの公演時間だが、ハンカチで目を抑える女性の後ろ姿が見え、この演目の人気の度合いを再確認した。
施設は板東十郎兵衛の屋敷跡を使っている。この十郎兵衛は、他藩からの輸入米のトラブルで責任を取らされ処刑された。阿波十郎兵衛のモデルになっている。公演の後、みんなで人形と一緒に記念撮影をした。
↑お弓とお鶴
↑人形と一緒に記念撮影
【昼食】
昼食も徳島ならではのものにした。徳島ラーメンの店「巽屋」で、肉玉ラーメンとライス。ラーメン・ライスを取り入れているツアーは、ほかにはないだろうという変な自信がある。しかし、徳島のソウルフードの1つだと思い、冒険だとは思いながらも選んだ。
徳島ラーメンの最大の特徴は、チャーシューの代わりに、甘辛く煮た薄切りの豚肉を使用していることだ。巽屋のものはスープの色が濃くて、焦げ茶色をしている。色の印象ほどの濃い味付けではなく、ついついたくさん飲みたくなる。参加者から「おいしい」とも「まずい」とも聞かなかったので、「まずまずだった」と勝手に都合のいい解釈にした。
↑巽屋のラーメン
【16番・観音寺】
最初のお参りは16番・観音寺だった。雲は厚いが、幸いなことに雨は降っていない。住宅地の狭い道に面して、寺はある。山門は2層の造りで、どっしりとしている。黒ずんできているので、なおさら重量感を見せる。
境内は狭い。本堂のすぐ前の左側に、仏足石が設置してある。こんなに堂に近い場所に設置しているのは、珍しいような気がする。右側には子どもを4人を従えた地蔵の石像。さらに大師堂の横には、夜泣きを治す地蔵がある。その横には石板、百度石、石仏と、石の造作が目立つ寺だ。
↑本堂のすぐそばに仏足石
【17番・井戸寺】
バスで移動したので、17番・井戸寺まではすぐ。ここの山門も大きい。柱は朱で塗られ、仁王像を囲む柵は緑色。観音寺の門とは随分と違う。
本尊は7体の薬師如来。中央の1体が金色の体で、両側の6体は体の一部が黒く塗られている。本堂でお守りなどを売っている女性が、話をしてくれた。1968年に寺は火災に遭い、中央に据えられた薬師如来は運び出したのだという。その際、胸の部分にほのかに影のような灰色がついてしまった。じっと目を向けていると、その影は菅笠をかぶって歩いている空海に見えてくる、という。そう言われれば、そう見えなくもないので不思議だ。
その女性は、本堂の中で般若心経を唱えるように勧めてくれた。そういえば、毎回のようにそんな言葉をかけてくれたような気がする。
寺の名前からも分かるように、空海が掘ったとされる井戸がある。上からのぞいて、自分の姿が水に写って見えれば、部病息災だと伝えられている。しかし、井戸の中は暗く、そして深いので、よく見えない。「見えない」「見えた」と、参加者が順番にのぞき込んでは、ワイワイと話していた。
境内の刈り込まれた木がオブジェのようで面白い。寺のそばには菜の花の畑があって、山門と組み合わせると、春の札所の写真が撮れる。寺の隣の神社は桜に包まれていて、春の明るさを演出していた。
↑オブジェのような刈り込み
↑菜の花と山門
【18番・恩山寺】
18番・恩山寺の参道は、桜の道だった。しかも、満開。曇ってはいるが、気温も上がってきた。春の浮き浮きした気持ちで、本堂への坂を登る。境内に入る手前に、大きな空海の像が立っている。その周りも満開の桜だった。
境内に入ると、今度は小さな子どもが足にあしにじゃれついているような地蔵菩薩のブロンズ像があった。子ども1人は左手で抱いている。観音寺の石像とよく似た形だった。
↑桜に包まれた空海像
【19番・立江寺】
恩山寺から弦巻峠を越えていくのが、初日の「ちょっと歩き」だった。屋島の戦いに向かう源義経の軍勢が通ったと伝えられる道。低い峠なのだが、竹林の道の雰囲気が良く、心地良い遍路道だ。レンゲ、黄ケマンといった花が春らしい色を見せている。「義経ドリームロード」と名づけれられているのだが、この名前はどうもピンと来ない。
パラパラと雨が降ってきた。そこで峠から下りて、しばらく歩いてから、バスを呼んだ。ただ、雨といっても、傘をさす必要のないくらいのもので、天気はよく持ちこたえてくれる。
19番・立江寺に着く。山門のそばに枝垂れ桜。これも満開。しかし、ここの花の主役は、本堂の前のリキュウバイだった。白い可憐な花を木一杯につけていた。
本堂にお参りをして、天井絵ものぞき込んで見る。大師堂に参った後は、お京さんの髪の毛なるものを見た。お京さんは不義を働いていたため、立江寺に参ると、髪の毛が鐘の緒に巻きついた。そこで立江寺で剃髪したという、ちょっと怖いような話が伝わっている。怖いもの見たさで、不気味な髪の毛を順番にのぞき込む。
再び雨がパラついた。しかし、バスに乗り込む寸前のこと。後は宿に向かうだけ。運がいい。
↑弦巻坂の遍路道
↑満開のリキュウバイ
【月ヶ谷温泉・月の宿】
宿泊は徳島県上勝町の月ヶ谷温泉・月の宿。この遍路の特徴の1つは、疲れを癒すため、できる限り温泉に泊まることにしている。今回も温泉だった。このシリーズで温泉でないのは、愛媛県宇和島市と高野山の宿だけなので、「のんびり・湯ったり編」と名づけている。
上勝町は山間地の町だ。宿に向かう途中、ほのかなピンクに染まる桜や紅枝垂れ、赤やピンク、白の花モモなどが、のどかな山里を彩っていた。宿は勝浦川に面している。建物の周りにも、対岸にも桜があふれていた。
夕食は地のものがたくさん使ってあった。食前酒はヤマモモのワイン。前菜にはカブラや菜の花、つくりにはアメゴ(徳島ではアマゴをアメゴと言う)やマスにコンニャク。アメゴの塩焼き、ボタン鍋、ニジマスのカルパッチョ、ソバ米汁、番茶ゼリー。徹底している。地元のものを食べてもらうという遍路旅の狙いにピッタリだった。
日本酒を注文すると、薦めてくれたのが、「上勝の棚田米と湧き水と負けん気でこっしゃえた純米吟醸原酒」だった。ラベルを見て、名前の長さに驚いた。また、販売元が高鉾建設酒販事業部となっていて、さらに驚いた。
上勝町は山の中の町だが、注目を集めている。料理に添えるモミジの葉や花などの「葉っぱビジネス」で有名になった。担い手はおじいちゃん、おばあちゃんで、そんな年配者がパソコンを使いながら事業を展開し、元気な姿がテレビで紹介されたり、映画になったりもした。株式会社組織にしていて、その事務所が宿の一角にある。そんな元気さの延長線上に、この酒もあるのかもしれない。
夜の間に少し雨が降ったらしい。朝起きると、宿の前の地面が濡れていた。しかし、すでに上がっている。そのまま1日持ったのだから、うれしい限り。
↑月の宿の夕食
↑宿の周辺の桜も満開
【別格3番・慈眼寺】
2日目はまず、別格3番・慈眼寺へ。ここが今回のハイライトといいってもいい。別格はこのシリーズからは外れているが、ここだけは組み込むことにした。穴禅定(あなぜんじょう)という、ほかにはない修行の場があり、過去のシリーズの参加者が1番印象に残る場所として挙げるからだ。
月の宿からさらに山を登っていく。桜、レンギョウ、ユキヤナギ、菜の花、花モモといった花が咲き乱れ、春は満開。やがて本格的に山道に登り、空気感が変わっていき、山の寺の大師堂に着く。
ここで、穴禅定に入るための準備をする。穴禅定は鍾乳洞で、修行の場とされている。中が極端に狭いからだ。長さ150メートルほどの通路を進み、突き当りの少し開けた場所に安置されている大師像に般若心経を唱えて、また同じ道を引き返してくる。
大したことはないと思う人がいるかもしれないが。しかし問題は、通路があまりにも狭いことだ。このため、先達の女性の指示通りにしないと、体のいろいろな部分が引っかかって前に進めない。中は真っ暗で、それぞれろうそくを手にして進む。
修行のための白衣を寺から借りる。岩壁ですれて汚れてもいいようにするためでもある。白衣は上着なので、100ショップで買ってきた雨具のズボンを、普通のズボンの上に重ねてはく。これも汚れ防止策。
続いて2枚平行して立ててある石板の間を通る。その間隔は25センチほど。通り抜けることができないと、穴禅定には入れてもらえない。それほど中は狭い。しかも石板のように平板ではなく、凸凹している。幅の広い部分を探しながら、体をねじり、しゃがみ、寝そべり、体を岩にすりながら少しずつ進んでいく。先達の指示で左から入らなければいけない個所を、間違って右から入ると、その部分を抜けられない。進行方向に向かって右側の岩壁が突起にように張り出していて、そこに腹を当てれば腹はへこむが、反対に入って背中を当ててもへこまないことがある。そんな難所がいくつもあるからだ。
私はこれまで5回穴禅定に入っているが、今回は取り止めた。腰の具合が悪かったためだ。もし痛みが出れば、難所を通り抜けられないし、自分だけでなくほかの人も洞窟に閉じ込めてしまう恐れがあり、安全策を取った。
大師堂から急な坂の山道を登っていく。これが2日目の「ちょっと歩き」だが、結構しんどい。道の端に石仏が並んでいて、手を合わせながら歩く。幸い雨は免れたが、気温が上がっていき、汗をかいた。10分あまりで本堂に着くが、ぜいぜいする。全員で本堂にお参りした後、穴禅定に入るグループと残るグループに分かれた。
穴禅定組は岩場を登っていく。夜の雨で濡れていて、滑って危ない。先頭の先達が「左の手すりを持って」「両側の手すりを持って」「石の上には登らない」などと次々と後の人に指示を与え、それを伝言ゲーム方式で伝えていく。それは穴な中でも同様で、そうしないと後に続く人が動けない。残留組の中で私だけが岩場を登り、穴禅定の入り口で送った。
それから1時間10分。入洞組が下りてきた。普通よりも少し時間がかかった。中で苦労した人がいるのだろう。男性の1人の顔を見ると、ほおにすり傷があり、白衣にも血がついている。声をかけると、「生きた心地がしなかった」の一言。落ち着いてから、ひざやひじがあざだらけになっていると明かしてくれた。
もう1人の男性は100円ショップのズボンがビリビリ。「引き返したかったが、それもできないし」が第一声。きっと穴禅定は忘れられない場所になることだろう。
↑慈眼寺の本堂
↑穴禅定まで登っていく入洞組
↑先達の説明を聞く
【灌頂ヶ滝】
山を下りる途中、灌頂ヶ滝(かんじょうがたき)に少しだけ寄った。高さ80メートルもある。しかし、水量が少なく、流れ落ちる途中で霧散し、その風情が良い。途中まで石段で登っていくと、上がるほどに水がはっきり見えてくる。
ただし今回は極端に水量が少ない。目を凝らしても、1番上の流れ落ちる部分にかすかに水が見える程度。これでは石段を登っても、あまり変わらないので、早々に滝を後にした。
焼山寺の後は、同じ神山町の大きな梅林を訪ねた。「阿川梅の里」という。
山間の梅林。1万6000本もの梅の木があり、徳島県内では最大らしい。梅まつりののぼりがたくさん立っているが、交通の便が悪いためか、客は少ない。
↑水が極端に少なかった灌頂ヶ滝
【淵神の塔】
上勝町は現代アートによる町おこしをしている。「里山の彩生」と名づけ、作家と地域住民の共同作業で、野外アートを作り、それをずっと展示している。灌頂ヶ滝を下りて山里に入る直前に、國安孝昌氏の作品「淵神の塔」があり、バスを止めた。
すぐ近くに、「おん淵」「めん淵」という川の流れがある。作品は水の神、竜神を造形化している。作品は木材を組み合わせ、竜神が家のようなものに巻き付いているように見える。スケールも大きく。訴える力がある。作品は風雨にさらされ色を失っている。しかし、すぐそばに緋寒桜のような赤い桜の木が花をつけていて、春の明るさを添えていた。
↑淵神の塔
【昼食】
勝浦町まで下りて、昼食は「ふれあいの里さかもと」でとった。穴禅定をコースに組み込んだ場合のお決まりの場所だ。「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会とも縁が深い。
到着すると、ふれあいの里のメンバーが2人、入り口で出迎えてくれた。人懐っこい笑顔で、気取らないもてなしが、ここの特徴でもある。遍路道からかなり離れているが、送り迎えをしてくれる親切さもあって、お遍路さんの宿泊も増えている。
廃校になった小学校を活用した山あいの宿泊施設で、地域の人たちが町おこしで運営している。その日のメニューはばらずしのセットだった。
勝浦町は規模の大きなひな祭りで知られる。ばらずしはひな祭りにちなんだものであろう。シイタケ、タケノコ、レンコン、ニンジン、キヌサヤのほか、サトイモと金時豆が使ってあり、金糸玉子と紅ショウガで飾ってあった。ほかに、コンニャクの刺し身、山菜などの天ぷら、酢の物、特産のミカンを練り込んだそうめんのおつゆ、デザート。天ぷらには、タラノメではなく、タラの葉を使っているのが新鮮だった。山里の春の喜びが詰まった昼ご飯に思えた。
↑ばらずしのランチセット
【20番・鶴林寺】
ふれあいの里さかもとの周辺も桜の木が何本もあり、いずれも満開だった。大きな枝垂れ桜の木の前では、わざわざバスを止めて写真を撮った。しかし、もう少し下った場所にある東とくしま農協よってネ市・道のえきひなの里かつうらの周辺で、「かつうら桜祭り」をしていたので、寄り道をすることにした。そこは20鶴林寺への登り口だが、お参りをすました後で桜を見ることにした。
鶴林寺は標高550メートルの場所にあり、ミカン畑をバスで登っていく。寺に近づくと、霧が出てきた。山門をくぐると、境内は霧の世界だった。コケが美しいが、もともと湿気の強い場所なのだろう。
霧に包まれて本堂にお参りした。三重塔が少しぼやけて見える。パラッと雨がきたが、瞬間的で助かった。
↑霧に包まれた鶴林寺
【勝浦さくら祭り】
バスで下りていき、大きな道に出る直前、勝浦川の支流、生名谷川にぶつかる。その堤防の道がさくら祭りの会場で、スタート地点だった。幅の狭い川で、そのために両岸の桜並木が枝を張って川の上にせり出し、桜の天井を持った川になっている。桜並木は700〜800メートルあるのではないか。
ここも満開だった。川をせき止めて、観桜船を出している。アメゴ釣りを子どもたちが楽しんでいる。人は出ているが、混雑しているわけではない。地域のさくら祭りののどかさがあった。最後までは歩かず、コースの3分の2地点にあるよってネ市まで歩き、買い物をしてバスに乗った。
↑勝浦さくら祭り
【弁天山】
大阪に帰る途中、道筋近くの2カ所に寄った。1つは徳島市の弁天山。日本1低い自然の山とされている。国土地理院の定めた山の三角点のうち、自然にできている山としては1番低い。標高は6.1メートル。大阪の天保山は4.52メートルでもっと低いが、これは安治川の浚渫(しゅんせつ)土を積み上げた人工の山。
赤い鳥居をくぐって登る。時間にして10秒あまり。頂上には小さなほこらがある。扉が開くようになっていて、中に記帳するノートが置いてあった。その壁には、ノートのあるページが掲示してある。福山雅治が参拝したらしく、掲示してあったページには福山の名前と写真が張ってあった。
一行が登山をしている間に、添乗員さんが登山証明書をもらってきてくれた。証明書はすぐ近くのラーメン屋でもらえる。証明書は弁天山保存会の発行で、名前と日付は本人が書くことになっていた。
↑日本1低い自然の山・弁天山
↑弁天山の登山証明書
【北島町チューリップ公園】
寄り道のもう1つは、北島町チューリップ公園だった。以前に1度、訪ねたことがある。春らしい場所なので、今回も遍路旅の最後に取り入れた。
到着すると、どうも様子が違う。規模が以前の3分の1程度に縮小されていた。公園の周囲の道から見ることはできるのだが、中には入れない。張り紙があって、園内がぬかるんでいるので、休園にしたと書いてあった。奇跡的に雨を免れた遍路旅だと喜んでいたのだが、事前の雨の影響がこんな風に現れるとは、何とも皮肉な締めくくりだった。
↑規模は縮小さてていたが、見ごろではあった
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◆梶川伸とゆく「ちょっと歩き四国遍路・のんびり湯たり編」第4回
●日時=2017年5月26日(金)〜27日(土)
●参拝札所=21番・太龍寺〜26番・金剛頂寺
●費用=37800円
●内容=21番・太龍寺へはロープウェイで上り、車内からの眺めは最高。空海が修行をしたと伝えられる岩も見ることができます。遍路の途中、猫をまつったお松大権現にも参拝します。宿は海を見下ろす小高い場所に立ち、朝日も見もの。2日目は高知県・室戸岬を歩き、岬の上に立つ標24番・最御崎寺にも参ります。天気が良ければ雄大な海を見下ろす道をゆっくりと下りていきます。昼食は人気の金目丼です。
●申し込み・問い合わせ=毎日新聞旅行06−6346−8800