梶川伸「ちょっと歩き四国遍路・のんびり湯ったり編」(毎日新聞旅行「ちょっと歩き四国遍路・のんびり湯ったり編」の先達メモ)(3)

  

              梶川伸・毎日新聞旅行「ちょっと歩き四国遍路・のんびり湯ったり編」先達(「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会副会長)

              

   ◆◇ちょっと歩き四国遍路・のんびり湯ったり編(3)◇◆
(毎日新聞旅行「ちょっと歩き四国遍路・のんびり湯ったり編」の先達メモ)


 毎日新旅行の遍路旅シリーズ「ちょっと歩き四国遍路・のんびり湯ったり編」が続いている始。私が先達を務める第9シリーズとなった。とは言っても、前シリーズ「のんびり逆打ち」が途中で立ち消えになったので、今回はその穴埋めも兼ねている。
 
 行程は私が考えた。1泊2日ずつ16回に分けて、四国88カ所と高野山に参拝する。基本はバスを使った霊場の参拝だが、昔から続く良い遍路道の一部を歩くので、「ちょっと歩き」と銘打っている。以前はたくさん歩いたが、私が年齢を重ね、何かトラブルがあった時に、参加者を十分にサポートする力が衰えてきているという自覚があり、このところ「ちょっと歩き」に変更している。
 
 また、遍路は四国の風土を抜きには考えられないという私の考えから、霊場以外にも寄り道をする。四国の良いところを知ってもらいたいと思う。昼食はなるべく地元の料理、食べ物を選んだが、これも四国全体を体感してもらいたい、という思いからだ。
 しかもシリーズのタイトル通り、せかせか回らず、ノンビリと余裕を持って回る。宿もできるだけ温泉に泊まる。日本人は少し急ぎすぎているので、ゆっくりと四国を回って、人生や自分を見つめ直すきっかけになればいいと思っている。そんな遍路旅の、先達メモをお届けする。

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   ◆第7回(37番・岩本寺〜40番・観自在寺)
     =2017年9月8日〜9日


 このシリーズは毎月1回のペースで進んでいる。ただし8月は暑いので、1回休むことにした。このため、参加メンバーとは2カ月ぶりの再会となった。今回は高知県・足摺岬の38番・金剛福寺など4つの寺の参拝で、大阪からは最も遠いコースだった。

 私が遍路旅の案内を最初に引き受けたのは、2003年のことだった。今回はその時のメンバーが6人参加した。その6人はその後も、折を見て遍路をしている。しかし、足摺岬はさすがに遠く、この遍路旅に参加した人もいた。


【淡路島サービスエリア】

 参加者15人で、いつの通り毎日新聞社前を午前8時にバスで出発した。今回もまた天気には恵まれた。前日の昼は一時的だが、激しい雷雨に見舞われた。雨は夜も降ったらしく、朝家を出ると、道路が少し濡れていた。それなのに、好天の2日間だった。
 2カ月ぶりだったので、お接待のお菓子を持ってきている参加者が多く、バスの中で食べ物が行き交った。参加者同士のお接待は。この遍路旅の特徴でもある。

 淡路島ハイウェイオアシスでの休憩も、いつも通り。建物の裏の「花の谷」をのぞくとブルーサルビアが池のそばに咲いているだけだった。


      ↑花の谷のブルーサルビア


【昼食】

 淡路島の高速道路を走る。すでに刈り取った田と、黄色に実っている田が入り混じる。沿道の木々を見ると、ハゼが少し赤い葉をつけていた。秋の訪れを感じる。

 高松道を板野インターで下り、徳島道を走って、吉野川ハイウェイオアシスで2回目の休憩。高知道を南下し、新宮インターを出て、少し走ると、自然を生かした観光施設「霧の森」に着く。新宮は茶の産地で、昼食は冷たい茶ソバと自家製のおぼろ豆腐、それに小鉢とご飯のセットだった。茶ソバは茶の味がするが、その反面、あまりソバの感じがしない。豆腐はにがりがよくきいて固めだった。

 食事のあと、ここの名物の霧の森大福をみんなで食べた。餅に茶が練り込んであり、表面には抹茶がたくさんまぶしてあって、美しい緑の大福になっている。中はあんで、さらにその中には生クリームが入っている。抹茶の苦みとあん・生クリームの甘さがマッチしている。


      ↑茶ソバと豆腐の昼食


【37番・岩本寺】

 高知道を最後まで走ると、すぐに道の駅「あぐり窪川」があり、小休止の場所とした。このあたりの米は仁井田米といい、その米を食べさせて育てた米豚がブランド豚となっている。建物の外で、米豚の串焼きを売っていることがあり、何度か食べたが、この日は店開きしていなかった。実はここを休憩場所に選んだのは、串焼きを食べるためだったが、あてが外れた。この日は金曜日で、ひょっとすると店開きは土曜、日曜だけなのかもしれない。

 今回の最初の札所は37番・岩本寺だった。手水に行くと、そばでシュウカイドウがピンクの花をつけていた。淡路島では秋の訪れを感じただけだったが、ここでは秋を実感した。

 とは言え、好天ということもあって、まだ暑い。本堂での読経は、建物の中で行ったが、かえって暑く、汗がにじんだ。庫裏に上がらせてもらい、矢負地蔵に手を合わせた。

 大師堂では前に置かれた五鈷杵から、特別結願のひもが大師へと伸びている。そばに白いフヨウの花が咲いていて、これは涼しく感じた。夏と秋のはざまだからだろう、書くことも夏と秋とを行ったり来たりしてしまう。


      ↑手水にはシュウカイドウの花が咲いていた


【39番・延光寺】

 行程の関係で、38番・金剛福寺を翌日に回して、先に39番・延光寺に参った。境内には、樹齢500年のイブキがある。根から少し上がった部位の幹は太く、ゴツゴツとしていて、上には伸びず、横にはってから上を目指す。樹高は10メートルほどで、それほど高くない。しかも幹は急に細くなっている。

 境内でベンチのよごれを寺の女性がふいていて、少し話をする。遍路旅のバスツアーであることを告げると、彼女は「こんな田舎までわざわざ」と切り出し、「女の人は元気でしょう」と続けた。この遍路旅のメンバーも、15人のうち11人が女性で、その分析は当たっている。さらに「女の人はにぎやかで、しゃべっているか食べているか。静かだと思ったら、眠っている」。これも半分当たっていると思った。


     樹齢500年のイブキ


【宿】

 宿は足摺岬にある足摺国際ホテルで、最近は定宿になっている。ホテルは標高40メートルほどの場所にあり、朝食前に海岸までの散策を企画してくれるからだ。

 宿に着いたのは、午後6時をすぎていた。さっと温泉に入り、午後7時から夕食という少しあわただしいスケジュールになった。これも大阪から遠いためだった。

 ここの料理には、地元のものが組み入れてある。カツオのたたきは当然のことで、チャンバラ貝も泊まるたびに出てくる。小さな巻き貝で、つまようじで身を出すと、先端に小さな三日月のようなものがある。それを刀に見立てて、チャンバラ貝という。大阪では食べられないもので楽しい。陶板焼きにはヒオウギ貝もあった。ほかに、食前酒は小夏、地元の豚の冷しゃぶ、アサリの炊き込みご飯など。


      ↑チャンバラ貝

 翌朝は午前6時から散策が始まった。目的地は白山洞門。波の浸食で巨大な岩に穴が開いている。ガイド役の男性についていく。クワズイモ、タイワンヤツデなどの説明を受ける。アコウは亜熱帯植物で、ここが北限だという。木に寄生して根をおろし、元の木に巻き付いて枯死させ、木を乗っ取るらしい。

 ガイドの男性は話し上手で、冗談を交えて笑わせる。「アコウは絞め殺しの木とも呼ばれます。わたしも家では妻にがんじがらめにされているんです。でも、ある酒の席でそのことを話すと、『いいですねえ』と言われました。そして『私なんて無視ですよ』と」。ここで笑いが起きる。

 ハマアザミは天ぷらにして食べる。ウバメガシは足摺ではウマメガシと呼ぶ。葉が馬の目に煮ているから。これらもガイドの男性に教えてもらった。

 白山洞門は迫力がある。波が貫通した場所を通って、波が寄せていた。夏の満月の夜に海に下りて産卵するアカテガニも期待したが、1匹だしか見ることができなかった。

 ホテルに帰って朝食。一夜干しのキビナゴを1人用の鉄板で焼いて食べた。これも地元の食べ方。1996年に初めて遍路に出た時(自転車遍路)、JR中村駅(現在・四万十市)のすぐぞばのビジネスホテルに泊まり、夕食を食べに入った店で、キビナゴの焼いたのを食べた。その時のことを思い出した。それから10年ほどたって、再びその店を訪ねたことがあったが、見つからなかった。閉店したのかもしれない。


      白山洞門


【38番・金剛福寺】

 2日目のお参りのスタートは、ホテルから近い38番・金剛福寺だった。山門の前に作られた小さな池に、白いスイセンが咲いていた。

 山門をくぐると、境内の掃除をしている年配の女性に、「おにいちゃん」と声をかけられた。70歳なのに、と思っていると、今度は参加の女性に「お嬢ちゃん、どこから?」と聞く。声をかけられたのは、メンバーの女性では最長老で80歳で、「お嬢ちゃん、なんて」と言いながらも、顔はニコニコしていた。

 境内には池があり、大きな石が回りを囲っている。ニシキゴイが泳いでいるのが見える。最初に訪れた時に比べると、境内は随分と整備されてきれいになった。


 ↑金剛福寺の境内


【足摺岬】

 今回は大阪から遠い札所を巡るので、遍路道を歩く時間的な余裕はない。このため、金剛福寺の海側にある足摺岬を少し散策して、「ちょっと歩き」に代えた。「四国のいい所」の観光も兼ねて。

 ジョン万次郎の銅像を見てから、展望台に上る。快晴で空には雲がない。空は青く、空の色を写して海も青い。白い灯台がアクセントになり、眼下には白い波が岩に当たっている。振り返れば、緑の山。木々の中に、金剛福寺の黒い屋根が少し見える。すべてが混じりっけのない色をしている。参加者の1人は、小さな岩を白い波が洗い、見えたり隠れたりするのを、おもしろそうに眺めていた。

 400メートルほど離れた天狗の鼻まで歩く。ここは展望台ほど高い場所ではないが、絶景ポイントの1つになっている。展望台の岬とその向こうの白い灯台が一緒に見える。展望台の人が手を振っているので、こちらも手を振って応えた。


      ↑天狗の鼻からの眺望


【40番・観自在寺】

 40番・観自在寺は、駐車場から少し歩く。途中で平城小学校のグラウンドの横を通る。観自在寺の由緒によると、平城天皇の勅命で空海が開創したとされ、小学校にも平城の名がついたのだろう。

 私は京都府の1番南にある木津川市に住んでいる。奈良との府県境に位置するニュータウンで、奈良側は平城ニュータウンと呼ばれている。また近鉄電車の最寄り駅の隣の奈良側の駅は平城駅で、何となくこの小学校に親しみを覚える。グラウンドのフェンスには、「ようこそ愛南町へ」書かれた平成27年度の卒業制作が設置してあった。


      ↑平城小学校の児童の創業制作

 広い校庭で、少人数の児童が吹奏楽の練習をしていた。近く運動会があるのかもしれない。寺で般若心経を唱えている時も、吹奏楽の音楽が聞こえていた。

 境内では紫の野ボタンが咲き、ピンクの夏水仙が彩りを添えていた。大師堂はわずかに開き戸が開けてあり、その間に大師像が据えられ、参拝者を見守っていた。参拝が終わったのは午前11時半だったが、これから延々と大阪まで帰らなければならず、今回の参拝の打ち止めとした。


      ↑観自在寺の大師堂


【昼食】

 愛媛県宇和島市の店「かどや」で昼食をとった。メニューは郷土料理の鯛めし。私の企画した遍路旅での昼食で中では特に人気があり、このところに毎シリーズでこの店を選ぶ。

 鯛めしというと、鯛の炊き込みご飯を思い浮かべる人が多いだろう。しかし、宇和島の鯛めしは全く違う。鯛は刺し身を使う。そばつゆのようなだしに生卵を割り入れてかき混ぜ、鯛の刺し身と海藻を入れて、だしと一緒にご飯にかけて食べる。

 初めての参加者の中には意表をつかれた人もいて、「帰ったら家族に話す」と喜んでいた。ジャコ天という、これまた郷土料理のさつま揚げもセットになっていて、地元の味を楽しむ趣向で、遍路旅をしめくくった。


      ↑宇和島の郷土料理鯛めし





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   ◆第8回(41番・龍光寺〜43番・明石寺)
     =2017年10月13日〜14日


 リーズ8回目の参加者はわずか9人だった。旅行会社としては採算の面で苦しいだろが、先達としての私や参加者にとっては、家族旅行のような雰囲気でありがたい。

 のシリーズになって、毎回毎回雨の不安がつきまとう。ところが本降りの雨には出会ってはいない。それも、四国にいる2日間だけで、その前後は雨といったケースが多く、際どく雨を免れている。

 今回はどうか。直前の天気予報では、出発日から5日間ほど雨が続くというものだった。だから今回はさすがに雨を覚悟した。ところが、パラパラと雨が落ちた瞬間もあるにはあったが、傘をさすほどではなかった。大阪に着いた翌日は雨だから、よっぽど恵まれている。

 しかも2日前までは、夏のような暑さだった。それが急に涼しくなって、遍路の2日間は10月本来の気温に落ち着いた。これもありがたかった。



【与島】


 今回も遠い行程なので、まずは昼ご飯。香川県三豊市の「海鮮太郎」という店を設定した。このため、通常の明石海峡大橋ルートではなく、瀬戸大橋を通って四国へ向かった。途中、与島で島に下り、サービスエリアで休憩した。

 瀬戸大橋開通直後、与島に設けられたレジャー・商業施設「フィッシャーマンズワーフ」は大変なにぎわいを見せたが、今は建物もなくなり、代わりに太陽光発電のパネルがズラリと並んでいる。

 サービスエリアには展望台がついていて、瀬戸内海と巨大な橋を眺めた。雨は降っていないが、雲が低く垂れ込めている。太陽が見えないので、色が弱く、橋を中心にして写真を撮ると、墨絵のようになった。

 展望台の下には、うどん屋がある。香川県に入ったのだと実感する。


      ↑与島から見た瀬戸大橋


【昼食】


 海鮮太郎は魚の専門店で、食堂の隣は魚介類の販売店になっている。昼食に選んだのは「まぜまぜ海鮮丼」。温かいご飯に刺し身が乗っていて、真ん中にウズラの卵が落としてある。

 その日の刺し身はタイ、イカ、ハナチ、甘エビ、イクラ、サーモン、マグロ。瀬戸内のものばかりではないが、ボリュームはある。ウズラの卵と一緒に混ぜて食べるように「まぜまぜ」と名づけたのだろう。魚のアラとワカメの大きなみそ汁がついていた。それに小鉢が1つ。

 食後に隣の魚介類の販売店ものぞいてみようと思った。しかし、まだ店開きはしていなかった。


      ↑まぜまぜ海鮮丼



【43番・明石寺】


 今回はシリーズで2番目に遠いコースなので、参拝は3カ寺しかない。行程の関係もあって、43番・明石寺からお参りした。

 本堂でろうそく、線香に火をつけていると、パラッと雨があたった。念のため、屋根の下で般若心経を唱えたが、唱え終えて大師堂へ移動する時にはもう雨は上がっていた。運がいい。
 この寺は境内が広くて、ゆとりがある。堂宇は木に囲まれている。大きな夫婦杉がそびえている。どこかゆったりとした感じがあって心が落ち着く。空海ゆかり井戸があり、霊水として持ち帰る人もいる。井戸には金属のふたがしてあり、ひしゃくが数本用意してある。しかし、飲んでみる気にはならなかった。

 井戸に行く途中の岩場に、お地蔵さんが配してある。赤い前垂れをつけてもらい、可愛く見える。その前にベンチがあり、女性2人が休んでいた。私たちが本堂と大師堂で心経を唱えている時、2人は声を出さずじっと手を合わせていた。その時間が長かったので、印象に残っていた。そこで、「熱心に手を合わせていましたね」と、声をかけてみた。2人は会釈するだけで、話には乗ってこなかった。

 お遍路さん、特に歩き遍路には、遍路に出た理由など、その人に内面には入り込まないといる暗黙のルールがある。それを知ったからといって、思いを共有したり、肩代わりしたりすることはできないからだ。軽い気持ちで声をかけたが、良くなかったかもしれないと反省した。


      ↑奉納された折り紙



      ↑木に包まれた境内




【内海清美展】


 明石寺の後、すぐそばの愛媛県立歴史文化博物館に寄った。「空と海―内海清美(うちうみきよはる)展」を鑑賞するためだった。

 以前から気になっていた展覧会だった。博物館の無料ゾーンの展示室で、空海の伝記を絵巻のように、和紙でジオラマ的に展開している。作品は定期的に変わるようで、今回は伝記の最後の方が10場面ほど展示してあった。いつか遍路旅のコースに組み込みたいと思っていたが、少し遅れれば、展示自体が終わっていたかもしれない。

 色をつけていない和紙を使っている。折り紙風にしたり、分厚くして固まりとして使ったりし、空海などの登場人物を形作っている。パンフレットには「和紙彫塑」と表現してあった。

 人形自体は主役の空海でも高さが20〜30センチで、それほど大きいものではない、しかし、各場面の登場人物が多い事に驚く。それぞれ姿、表情を念入りに作っているので、思わず博物館の人に「1人で作っているのですか」と聞いてしまった。制作は1人と聞き、その手間にまた驚き、執念をすら感じた。



      ↑「空と海ー内海清美展」




【宿・夕食】


 宿はJR宇和島駅にあるホテルクレメント宇和島だった。このシリーズは原則として温泉に泊まる。しかし宇和島には行程に合う温泉宿がなく、ホテルを活用した。

 夕食まで1時間の自由時間があったので、宇和島城に行ってみた。ホテルから商店街を10分あまり歩くと城の門に着く。天守閣は小高いところにあり、門から急な坂道を登っていく。蒸し暑く汗だくになる。天守閣は小さい。時間的に遅く、天守閣は閉まっていて、内部を見学することはできなかった。その高台から宇和島の街を見下ろすと、宇和島湾の眺めが良かった。



      ↑宇和島城


 食は近くの郷土料理の店「ほずみ亭」にした。宇和島は特徴的な料理の多い土地だ。店でまず運ばれてきたのは、おからを丸め、酢漬けのイワシを乗せた丸ずしだった。続いて、宇和島名物ジャコ天。野菜も練り込んであった。メーンの料理はタチウオだった。片身を細長い竹に巻き付け、照り焼きにしてある。以前、この店で食べたことがあり、素朴な料理が気に入って、今回もこれは料理に加えてもらった。

 その次はエビと野菜の天ぷらなので、特色のあるものではない。最後は鯛めし。これも宇和島名物で、前回の遍路旅の時にも、別の店で昼食として食べた。しょうゆだしに生卵を落とし、鯛の刺し身も加えて、それをご飯にかけて食べる。日本酒は地元のものを5種類ほど置いていて、地元の食べ物、飲み物を楽しめた晩ご飯となった。



      ↑おからとイワシのすし


      ↑タチウオの竹巻き焼き


 夕食の後、一行は午後8時40分にホテルのロビーに集合し、隣の宇和島駅に行った。44分に「新幹線」が駅に入ってくるので、みんなで入場券を買い、ホームの新幹線を見た。むろん、本物ではない。予土線を走る観光列車の1つで、外観を新幹線に似たデコレーションにしている。1両編成なので、おもちゃのようなおかしさがあった。その遊び心に賛同して、みんあで記念撮影をした。




      ↑宇和島駅の新幹線



【遊子水荷浦の段畑】


 2日目は遍路のコースを大幅に外れたに寄り道をした。宇和島湾をはさんで反対側に伸びる三浦半島の先端、遊子水荷浦(ゆすみずがうら)に足を伸ばしたのだ。ここの段々畑に、いつか参加者のみなさんを案内しようと思っていた。

 お遍路さんの休憩所、ヘンロ小屋19号津島・かも田が2006年に宇和島市にできた時、市長と話す機会があった。市長は遊子の段畑をしきりとPRしていた。「世界遺産にしたい」とまで言うほれ込みようで、その後ずっと気になっていた。

 2010年に宇和島市を訪ねる機会があった。「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会の愛媛支部長が宇和島に住み、モーターボートを持っていたので、ねだって遊子に連れていってもらった。湾を横切るので、所要時間は10分ほどだった。やっと願いがかない、壁のような段畑を見て、その高さに目を見張った。それ以来、いつか遍路旅の行程に組み込めないかと考えていた。

 ホテルからバスで、50分かかるとして行程を考える。その道をまたホテルのある市の中心部まで帰ってくることになる。現地での見学時間を考えると、遍路旅の中で、少なくとも2時間をつくり出す必要がある。今回の遍路は大阪から遠い場所なので、そう簡単に2時間は生み出せない。しかし、この遍路のコンセプトは「四国を知る」なので、今回は何とか他の行程の時間を切り詰め、組み込むことにした。

 三浦半島はリアス式海岸にできた細長い半島で、バスで曲がりくねった道を進んでいくと、海が車窓の右に見えたり左に見えたりする。ありがたかったのは、30分ほどで着き、思ったより時間がかからなかったことだった。

 狭い土地を有効活用するための段畑で、「耕して天に登る」と称される。もとは60度もある斜面なので、垂直に1.5メートルほど上げて、作れる畑地の幅はわずか50〜60センチしかない。そのために急峻な段畑となり、まれに見る光景を作り出した。 

 まず下から斜面一面の段畑を見上げ、次に斜めの通路を登っていく。1番高い所で、50〜60メートルはあるのではないか。

 上から見下ろすと、海から空へと階段が伸びているように見える。畑には一部、サツマイモが植えてあったが、ほかには何も植えてない。出会った人に聞くと、11月になると、ジャガイモを植えるという。そのために、畑はきれいに整地されていた。



      ↑段畑


 下りてくる途中、年配の男性と一緒になった。正確な段数を聞くと、「さあ」と言う。ほかに人にも尋ねたが、やはり知らなかったのが面白い。

 80歳すぎの女性と少し話し込んだ。宇和島は江戸時代、伊達藩だった。この地区は農地がとれず、農産物とは縁がなかった。ところがサツマイモを作るよう命じられ、畑地を作ようになった。しかし、今のような景観になったのは、その女性が子どものころだったと言い、「小学生のころ石積みを手伝った」と語った。「サツマイモは、米と同じくらいの値がついた」、それが段畑が上へ上へと伸びて行った理由だったという。

 やがて、サツマイモ栽培をしていた人が海の仕事へと変わっていった。そのため、段畑を維持・管理するのは大変で、NPO法人を作って守っている。今はジャガイモを作って売ってもいる。

 PO法人が営んでいる小さな土産物屋に入った。ジャガイモのアイスクリームを売っていたので、食べてみた。ジャガイモをすって裏ごしし、それをアイスに混ぜてあった、少しザラサザした食感がある。これがジャガイモだろう。ほんのりとジャガイモの味を感じるように思うが、ジャガイモアイスという先入観念のせいだろうか。

 ジャガイモ焼酎の試飲もあった。ボトルと小さな紙コップが置いてあり、勝手に注いで試飲する方式だった。ここの景観に感動したので、ジャガイモの申し込み用紙をもらった。収穫のころ、注文してみよう。

 安倍晋三首相の臨時国会冒頭解散に伴う衆議院選挙の運動期間中だった。「こんな所まで」と言っては失礼だが、それほど多くない票を求めて、選挙カーが入り、候補者が地元の数人と話をしていた。段畑を登る私たちに、「結構きついでしょう」とマイクで話しかけてきた。この一瞬だけを切り取れば、ノンビリした選挙風景だった。



      ↑段畑


      ↑小さな売店でジャガイモ焼酎の試飲があった



【41番・龍光寺】


 2日目の参拝は2カ寺だけだった。まずは41番・龍光寺へ。バスを道に止め、狭い参道を歩いていく。両側の店がいくつかあり、お接待のお茶やミカンが置いてあった。

 神仏習合の色彩の強い寺だ。山門の代わりに鳥居があり、仁王の代わりに狛犬(こまいぬ)が入り口を守っている。お稲荷さんもまつってあり、地元の人はこの寺を、地名をとって「三間(みま)のお稲荷さん」と呼んでいるらしい。

 石段を上るので、少し高い場所に寺があり、境内からのどかな里が見下ろせる。手水はセンサーがついていて、手をかざすと、竜の口から水が出た。

 雨は何とかもっているし、気温もいい。しばらくボケッと里の景色を見下ろしていたいような気になる。



      ↑センサーついた手水



      ↑狛犬



【42番・仏木寺】


 42番・仏木寺までは近い。残り1キロほどは今回の「ちょっと歩き」の遍路道とした。ここを歩くことにしたのは、田にコスモスが咲き、道の長い花壇は、小学生らが植えたコスモスの帯が続いている、と思っていたからだ。以前にそれを体験していたので、ちょうど良い時期に行き合わせたと思っていた。ところが1カ月早かった。バスで走っていて、コスモスが咲いているのを、何カ所でも見ていたのに。

 歩いていると、ほうきを持って歩道を掃除している母子3人がいた。子どもは小学生の女の子と、学齢期前の男の子だった。すぐ近くに家は見えないので、わざわざ掃除にやってきていたのだろう。あいさつをして、「ありがとう」と声をかけると、男の子はお母さんにくっついて背中を見せ、目だけでチラチラとこちらを見ていた、その仕草が可愛かった。

 仏木寺に着くと、成妙(なるたえ)小学校の子どもたちがお接待をしていた。終わる寸前で、親らがテントを片付けていたが、まだ折りたたみ机は残っていて、私たち一行に座るよう勧めた。子どもたちのお接待を受けることにし、お参りの前に一休みした。ナシが置いてあって、それをいただいていると、子どもが紙コップにお茶を入れ、クッキーを2つ入れた袋をみんなに手渡した。

 子ども親に、コスモスのことを聞いてみる。この辺りは休耕田に植えるのではなく、稲を刈り取った後に植えるそうだ。そのために、普通の所よりは1カ月ほど遅いらしい。この説明で、咲いていないことに納得した。

 子どもたちは地元・三間町についてまとめた手づくりの冊子を持ってきて、説明を始めた。その中に井関邦三郎を紹介したページがあり、「農機具の会社をつくった人です」を語る。「井関」の名前で井関農機の創業者だとピンときた。別のページは版画家、畦地梅太郎を紹介していた。

 寺を去る時にも、子ども数人残っていて、「気をつけて」と声をかけてくれた。参加者の女性は、「子どもの声をけられると、元気になるのよねえ」と話し、他のメンバーが相づちを打った。

 子どもにもらったクッキーの袋には「気をつけてまわってください。けがをしないでください。おみちように 成妙小学校」と鉛筆で書いてあった。「おみちように」は知らない言葉で、インターネットで調べると、「お道良う」という言葉が出てきた。「道中気をつけて」の意味で、きっとこの言葉のことだろうと推測できた。この地域で使うのかどうかははっきりしないが。



      ↑成妙小学校の子どもたちのお接待を受けた



【昼食】


 昼食は道の駅「みま」のレストラン「畔みちの花」のバイキングだった。地元の野菜を中心にした田舎料理が中心で、動物性のものは、鶏くらいのものだった。シンプルな味つけのものが多い。道の駅自体が人気なこともあって、バイキングも客が多い。私たちは少ないながらも団体なので、食べるのは別の静かな部屋を用意してくれていたが、にぎやかな一般席か、戸外のテーブルの方が、食べた気になったかもしれない。

 大阪に向かうバスに乗ろうとした途端、雨がパラついてきた。何と恵まれた遍路だったことか。この回で結願し、お別れとなる参加者が、メンバーに宇和島の紅白のかまぼこを、お接待で配っていた。



      ↑畔みちの花でバイキングの昼食




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   ◆第9回(44番・大宝寺〜47番・八坂寺)
     =2017年11月10日〜11日


 「ちょっと歩き四国遍路 のんびり湯ったり編」の9回目は、秋のとても良い時期で、紅葉も十分に楽しめた。年末の雰囲気も少し交えた遍路だったが、運の良い好天のため、のんびり、ゆったりとした2日間だった。

 大阪市・西梅田の毎日新聞大阪本社前に集合してバスに乗る。私にとっては古巣の建物だから、よく知っている。2階にテラスのような広場があり、この時期はツワブキが咲いている。強い花だから、どんどん広がっていき、今では広場の植え込みの土の部分全体に黄色い花をつけている。この光景を、参加者に見てもらってから出発した。




【淡路島ハイウェイオアシス】


 明石海峡大橋を渡るルートの場合は、橋を渡ってすぐの淡路島ハイウェイオアシスが、最初の休憩ポイントになる。建物に入ると、大きなクリスマスツリーが飾られていた。クリスマスには1カ月以上もあるのに、早くも年末を演出していて、ちょっと違和感も覚えた。

 ここでの楽しみは、建物の裏の広い「花の谷」。残念ながら、あまり花はない。ブルーサルビアが目立つくらいだった。花の世話をしている女性がいて、話しかけてみた。ブルーサルビアは正式には、サルビアインディコスパイアと教えられた。挿し木で増やすという。その方法を聞くと、元の茎は切る場所があり、さらに光合成のために一定の葉をつけていなければいけないらしい。難しそうだったので、詳しく教えてもらうのは諦めた。


      ↑花の谷のサルビアインディコスパイア


【吉野川ハイウェイオアシス】


 淡路島ハイウエイオアシスからバスで走って1時間45分ほどで、徳島県西部の吉野川ハイウェイオアシスに着く。ここも休憩場所にしている。土産物などの商品が多いからだ。建物の入り口に、菊の鉢がいくつも並べてあった。大きな花の3本立てのものや、色が華やかな小菊もあった。ちょうど菊の時期、秋の盛りに遍路に出ていることを実感する。

      ↑吉野川ハイウェイオアシスの菊



【昼食】


 今回も目的地が遠いので、1日目の遍路のスタートは昼食だった。店は愛媛県四国中央市の「山口里の店」。平屋の建物で、座卓で食べる。大きな店ではない。定員は30〜40人程度だろうか。

 選んだメニューは麦飯とだんご汁で、きわめてシンプルなセット。みそ味のだんご汁が、丼に入っている。具は小麦粉をこねたと思われる円盤型のだんごがメーン。小さなエビと、小さく切った鶏が少し入っているが、あとは野菜ものばかり。コンニャク、シメジ、ニンジン、ダイコン、ネギ。みそは麦みそらしく、味が柔らかい。健康的な昼食で、田舎の雰囲気の、のどかな食事だった。


      ↑麦飯とだんご汁




【砥部焼陶芸館】


 四国高速松山道を走ると、海は青く、山には赤く色づいた木々がある。その色模様を見て、好天に感謝する。

 松山インターで下り、休憩のために砥部焼き陶芸館に寄った。砥部焼きの商品、作品をたくさん置いている。ショーケースの中の作品には、100円を超えるものもある。

 建物には砥部焼きがふんだんに使ってある。トイレの外壁にもはめ込んであり、手を洗う場所の水受けも砥部焼きの大きな器だった。砥部焼きの里を回ってスタンプを押すようになっていて、スタンプ台も砥部焼きでできていた。スタンプラリーのようなものだろうが、その名前が「陶街道五十三次」となっているのが面白い。




      ↑「陶街道五十三次」と書かれたスタンプ台




【45番・岩屋寺】


 砥部から標高700メートルの久万高原に登っていく。高原は紅葉の状況が下とは全く違った。道筋にはモミジの木も多く、色づいている。太陽の光を浴びると、黄色から赤へのグラデーションが燃えるような輝きを見せ、思わずバスの中で「オー」と声が出る。

 今回のお参りは44番・大宝寺からだが、行程の関係で45番・岩屋寺を先にした。駐車場でバスをとめて歩く。参道は山道で、約15分ずっと登り続ける。

 登り始めてすぐ、スピーカーから大きな音で音楽が流れた。午後3時を知らせるものだろう。音楽を耳にしながら、ゆっくりと登っていく。土産物店の壁に、「まだこれからじゃ 岩屋の道と 人生は」と書いてある。

 息が上がり始めるころに登り着くと、高い岩壁にへばりついて本堂がある。本堂の下にモミジの木が数本あり、紅葉の盛りを迎えていた。岩、堂、紅葉の組み合わせが、秋を強く印象づける。



      ↑岩屋寺の紅葉


 本堂の横の岩壁に、はしごがかけてある。高さ6メートルほどの所に、大きなくぼみがあって、そこに登るためのものだ。参加者の中に登ってみたいという女性がいた。私は高い所は苦手だが、案内人という手前、続いて登ることにした。くぼみから見ると、モミジの木の塊が下に見え、赤い川のようにうねっていた。




      ↑上から見た紅葉


 普通の人にとって下りは楽だが、足を痛めている女性にとっては、かえって歩きにくい。最後からゆっくりと下りてきた。行きに通った土産物屋で、ショウガ湯のお接待を受けた。登る際に聞いた音楽のことを、店の女性に聞いてみた。「久万高原町の歌で、正午、午後3時と5時に、町内中に流れる」。そう女性は言って、「私のふるさと 久万高原は〜♪」と出だしを歌ってくれた。



【宿】


 宿は岩屋寺から車で5分ほどの場所にある岩屋荘だった。このあたりで、多人数が泊まれるのは限られていて、毎シリーズここを利用する。

 宿到着は午後4時半前。宿の前は古岩屋と呼ばれ場所で、川のほとりから、巨大な岩壁が垂直に近いような角度でそそり立つ。紅葉の名所でもある。このため、宿に落ち着く前に、30分ほど散策することにした。

 この遍路旅は、お参りとともに、四国の良いもの、良いところを味わってもらうことを基本的な考えにして、行程を組んでいる。古岩屋の紅葉は見てほしいものの1つで、よい時期に組み込むことができて安堵した。

 宿から道路を横切り、さらに細い川を渡る。流れの中の石を踏んで行く。対岸の木々の中の細い道を、400メートルほど歩く。モミジの葉が赤い。山の夕方なので、日の光が直接に葉を輝かせるわけではないが、それでも赤い。多分、今年の1番良い日の何日の間に入ったのであろう。

 帰りは再び川を渡り、宿の前を通る自動車道を歩いた。こちら側からは、岩壁を背景にして紅葉を見ることができる。道路沿いのドウダンツツジも真っ赤だった。


      ↑古岩屋の紅葉

 夕食は地のものが入ったメニューだった。小さいながらベニマスの甘露煮、それに地元の鶏の鍋がメーンだった。刺し身はカンパチとサーモンと味気なかったが、ふかしたサツマイモも出てきて、基本的には山の中の宿らしい食事だった。


      ↑古岩屋荘の夕食

 宿では三重県鈴鹿市の年配の夫妻と、話をする機会があった。車で遍路をしているという。この宿に泊まる人はほとんどがお遍路さんで、前提が一緒なのですぐに打ちとける。

 夫妻は遍路について語る。10年間で7周目。前回は体調を崩し、22番平等寺から引き返した。今回は11月5日から回っている。22日までの予定で、四国が終われば高野山にお礼参り。その前後に西国三十三観音霊場の1番〜4番を参る予定で、紀伊半島を回って帰宅する。遍路に来ると、なぜか落ち着く。ゆっくり、のんびりの遍路で、その土地のものを食べて楽しんでいる。香川に入ったら、讃岐うどんが楽しみ。

 良い話も聞いた。遍路は7回目ではあるが、四国の道に精通しているわけではない。そこで、地元の人によく道を聞く。ある時、タクシーの運転手に道を尋ねた。すると、客が乗っていなかったこともあって、しばらく先導してくれ、曲り角でウインカーを点滅させて合図し、自分はそのまま真っ直ぐ走っていったそうだ。

 「のんびり、ゆったり、地元のものを食べる」は、私たちの遍路旅と一緒。私は高松市に1年5カ月住んだことがあり、その間に409軒のうどん屋で食べたことがある。そこで、その中から、あん餅うどんの店「かなくま餅福田」、自分で大根をおろして食べる「小縣(おがた)家」をピックアップして、店の名前にほか、住所、電話番号をスマートフォンで調べてメモ書きにし、翌朝の食事の際に手渡した。

 宿泊客はほとんどがお遍路さんと書いたが、声をかけてくれた年配の男性は違った。松山市に住み、5年前までは毎年、車で紅葉見物に古岩屋を訪れた。車を手放したので今回はバスに乗り、1泊で紅葉狩りに来たという。古岩屋は愛媛の代表的な紅葉スポットということだろう。

 バスに乗る前に、前日とは反対側になる宿の裏手の方を散策した、目的は、岩壁の中ほどのくぼみに安置された不動明王に会いに行くことだった。歩き遍路の夫妻と宿の玄関で一緒になり、行くことを誘ってみると、少し遍路道から外れるだけなので、行こうと考えていたという。その夫妻も案内しながら、不動明王を目指した。

 夫妻は横浜から来ていた。この2人もそれなりの年齢と思われ、ゆっくりと歩いて回っているとか。歩きながら話す。1日に30キロ歩いた日に奥さんが足を痛め、それから20キロを上限と決めている。出会った日で、1カ月だというから、確かにゆっくり目だ。ここまでで印象に残ったことを聞くと、奥さんが「そりゃあ、12番の遍路転がし」と即座に答えた。「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会の名刺を渡してプロジェクトのPRをすると、「何度もお世話になった」と言い、休憩所の小屋が役に立っているのを喜んだ。

 不動明王を見上げる。大きいものだが、離れているので小さく見える。手前の黄色のモミジのきがうまい具合にあって、秋の明王を演出していた。


       ↑岩屋不動



【44番・大宝寺】


 2日目の最初のお参りは、44番・大宝寺だった。88カ所のちょうど半分だから、「裏関所」と呼ばれるらしい。ただ、この遍路旅のシリーズは全16回で、そのうち最後の1回は高野山へのお礼参りになっているので、四国では15回。ということは、すでに前回で半分を超えている。

 この日も次第に空は晴れていったが、実は夜のうちに雨が降っていた。宿を出て、道路が濡れていたので、それに気づいた。本当に運がいい。それから回復に向かうかどうか、少し心配だったが、大宝寺に着くころには、青空が見え始めていた。

 バスを降りて、ちょっと歩く。大きなわらじがかけてある山門を通り、杉とヒノキの間を少し登っていく。ヒノキは400年〜500年、杉は800年〜1000年のものがいくつもあると、説明板に書いてある。巨木の片側だけをコケが覆っている巨木もあった。そんな木を見ながら歩いていると、心が鎮まる。

 大宝寺は黄色い秋だった。モミジも黄色に色づいているのが主流で、イチョウも葉を黄色く染めている。石段も黄色い落ち葉で飾られている。ただ、修行大師の像の上のモミジは赤かったが、染まり始めたところで、黄色の世界を乱すほどではない。

 まだ午前9時ごろなので、境内はひんやりしている。その雰囲気には、赤よりも黄色が似合う。誰かがついた鐘の音が聞こえるが、音はさえている。秋が深まって空気が澄んでいるからに違いない。

 本堂と大師堂の間には十一面観音がある。ロクショウが浮いていて、その緑が寺に溶け込んでいて、いつも写真を撮る。今回は黄色のモミジとのセットの写真になった。


      ↑修行大師



【46番・浄瑠璃寺】


 参加者は女性が多い。女性は買い物が好きだから、道の駅や産直の店には、休憩を兼ねてよく立ち寄る。大宝寺を出て少し走った所にある道の駅「天空の里さんさん」が、今回の1番の買い物所だった。私は地元のお茶と宇治茶を使った抹茶大福を買って、味見をしてみた。地元のものをつまみ食いするのは旅の楽しみだと思っているので、どんどん食べてみることにしている。

 高原を下り、46番・浄瑠璃寺へ。入り口の短い石段の上に1本モミジの木があり、少し赤くなっていた。しかし、境内の木全体が染まっているわけではない。


      ↑浄瑠璃寺の入り口


 境内の一角に、ハス池がある。初夏に来ると、ハスの白い花を眺めるのが楽しみだ。今は枯れて茶色になり、花の後の「ハチの巣」も種がすでに抜け落ちているように見える。わびしい冬の姿だが、それはそれでいいとも言える。

 境内の木のベンチがおもしろい。背もたれに四国の形がくり抜いてある。そばで、庭の手入れをしている女性がいた。「こんにいちは」と声をかけると、身の上話を始めた。15年前に脳出血になった。回復してから、浄瑠璃寺の庭の世話をするようになった。スムースな口調でないのは、後遺症のせいかもしれない。参加者は先に行き、私だけ取り残されたので、「もう行きます」と告げると、「お気をつけて」の言葉に送られた。


      ↑浄瑠璃寺の境内にあった木のベンチ



【47番・八坂寺】

 浄瑠璃寺から47番・八坂寺まで1キロ弱。今回の「ちょっと歩き」の場所の1つだった。穏やか日和で、歩いていると背中が太陽で温まってくる。野菊が残り、ススキの穂が輝いている。田は枯れた色だが、ひこばえがわずかに緑を見せる。「こんなのどかなの、いいね」と、参加者の声が聞こえた。


      ↑八坂寺へののどかな道

 八坂寺は短い石段を上る。途中に鐘楼があり、その周りに「南無大師遍照金剛」と書かれたのぼりが林立している。ますます天気はよくなり、読経をしていると、背中が日を浴びて、ポカポカするほどだった。大師堂には、結縁の紐がついていて、弘法大師の像と結ばれていた。それは浄瑠璃寺もそうだった。

 境内に「念ずれば花ひらく」の石碑があった。言葉は仏教詩人、坂村真民のものだ。真民は砥部町に住んでいたこともあり、愛媛県の札所ではよく石碑を見かける。

 別の人の「お遍路の誰もが持てる不仕合せ」の石碑もあった。確かにこの遍路旅の参加者もさまざま思いを、心の底に沈めているようだ。特に「愛別離苦」を感じている人が多い。夫を亡くした人、夫を亡くしたうえに遍路の宿で姉の病状の悪化の連絡が入り泣き出した人、妻と母を相次いて亡くし、「何度ビルから飛び降りようとしたか」と話した人もいた。それらのことが遍路に導いたのだろうが、遍路の仲間といることが大事な時間に変わってきたように見える。


      ↑真民の石碑


【昼食】


 2日目の昼食は、松山市の青空食堂だった。前回のシリーズで初めて食べ、気に入ったので今回もお世話になった。

 地元野菜を中心にたランチにした。大きなボール状の皿に入った野菜サラダがメーン料理で、お代わり自由だった。食べ終わってお代わりを頼むと、同じ量のものが運ばれてきた。ほかにも少しずつ6品セットになっていて、小さな鶏のから揚げ、小さなサバの煮つけ以外は野菜ばかり。カボチャのスープに、もち麦の粒が入っているのが珍しかった。ほかにご飯とみそ汁がついていた。



      ↑青空食堂のランチ



【淡路花さじき】

 淡路島から明石海峡大橋を渡り、高速道路で大阪に帰る。いつも土曜日の夕方から夜にかけての時間帯なので、阪神高速神戸線が必ずといってよいほど渋滞する。渋滞8〜12キロはざらで、ひどい時には20キロも車が連なる。このため、通常は淡路島ハイウェイオアシスでトイレ休憩を取る。今回は少し早めに四国を出て、淡路花さじきで花を見ることとトイレ休憩を兼ねた。

 花さじきは小高い場所にあり、海に下る斜面一面に花が植えてある。着いたのは午後4時半。少し寒くなる時間帯だったが、昼間が暖かかったので、別に気に留めていなかった。バスから降りて驚いた。風が強くて寒い。これは予想外だった。

 花のはざかい期だったが、遅咲きのコスモスが残り、2色のサルビアが斜面を覆っていた。1つはブルーサルビア。前日、淡路島ハイウェイオアシスで、正式名称はサルビアインディコスパイアと教えられた花だった。もう1つは、赤いサルビア。これは強烈な色のインパクトがあった。しかし、寒すぎて15分ほど見て、バスに戻った。


      ↑斜面を覆う赤いサルビア