【宿】
宿は今治市の奥座敷と呼ばれる鈍川温泉郷の鈍川温泉ホテルだった。毎日新聞旅行の遍路旅でこのあたり行くと、宿はここに決めている。
初めて泊まった時のことだった。参加していた夫婦に大阪から電話があった。母親の容体が悪くなったという。夫婦は宿の女将に大阪に帰る方法を聞いたが、夜になっているので、列車ではその日のうちには間に合わない。そこで女将が言った。松山市・道後温泉から夜行バスで出ているので、バス亭まで自分が車を運転して送る、と。
女将の気遣いが心に残り、感謝の意味も込めて、以後はこの宿に泊まる。車で送ってもらった夫婦は結局、その時は止まることはなかった。しかし次のシリーズでこの宿が組み込まれている回だけ夫婦で参加し、女将をお礼を言ったのを覚えている。
宿に着くと、女将の第一声は「お元気でしたか」だった。コーヒーを1杯お接待してくれ、小さなお盆に乗せて運ばれて来たが、ミニの花瓶に生花が活けてあった。いつもの心遣いでもある。
私が参加している「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会は、2018年3月3日に松山市で、第12回総会兼記念講演会を開く。その案内チラシを10部あまりコピーして持参していたので、女将に「フロントのカウンターの上に置かせてもらえないか」と頼んだ。
女将はしばらくチラシをながめてから、口を開いた。「行ってみたいのですが、用事がありまして」
私としては参加をお願いしたわけではない。チラシを置いてもれえればありがたいと考えていただけだ。それなのに、自分が行けないかどうかも考えてくれ、私に謝りながらチラシをカウンターにセットしてくれた。
夕食の席にも、女将が現れてあいさつをした。ひざが悪く、正座ができないことをわびた。なかなかできる人だと思う。
メニューはイノブタの紙鍋、タイのカルパッチョ、イカ・シイタケ・ナスの串揚げ、刺し身、タイのかぶと煮。イノブタは雄のイノシシと雌の豚を掛け合わせたもの。今治市の名物でもあるが、最近は養殖業者が減ってきたと、若女将が話していた。
翌朝目が覚めたのは5時半すぎだった。6時から朝風呂に入るので、その前にテレビをつけた。「あの人に会いたい」という番組が始まった。亡くなった人を取り上げるもので、何と早坂暁さんが主人公だった。
不思議な縁だと思い、番組に見入った。原爆をテーマにした「夢千代日記」「夏少女」と、遍路をテーマにした「花へんろ」の3作品が中心だった。番組の中で早坂さんが語っていたことが心にしみる。
早坂さんは海軍兵学校に入った。広島に新型爆弾(原爆)が投下されたことを知り、松山の実家に帰る。その途中、広島を通り、「何百、何千ものリンが燃えていた」と思い出す。リンは遺体から出たもので、その光景が忘れられず、体内被曝の問題を扱った夢千代日記へと結実していく。
早坂さんの実家は商家で、小さいころから親に命じられ、米をお遍路さんに渡すなどのお接待をしていた。そのことが花へんろの下敷きなった。記憶に残っているのは、膝にタイヤのゴムを巻いたお遍路さんで、這うようにして回っていたという。早坂さんは「人はだれでも悲しみを持って生きている」と語り、その意味で「人生は遍路」とも言った。
「夏少女」は早坂さんに会いに行こうとした妹が原爆に遭い、12歳で命を失った。妹は実の妹ではなく、捨てられていた女の子を、早坂家で育てたと明かしていた。早坂さんは妹が原爆に遭遇したことを、「運が悪かった、ですませてはいけない」と訴えていた。
バスの中で早坂さんの話をして翌朝、この番組を見るとは。毎日新聞旅行の3回前のシリーズは「ちょっと歩き・花へんろ」で、早坂さんの作品の題名を勝手に拝借して名づけたものだった。その遍路旅の参加者の中には、ご主人を亡くした女性がいた。妻と母親を相次いで亡くし、「死んでしまおうか」と何度も考えたという男性もいた。早坂さんが言うように、悲しみ抱えて遍路をしている人は多い。そんなことを考えながら、番組を見終わった。
2日目は予報の通り、朝から雨だった。朝風呂に入り、朝食をとった。湯豆腐や焼き魚、サラダ、煮物など、たくさんのものが少しずつセットになっていて、ついつい全部食べてしまった。
↑朝ご飯
【54番・延命寺】
宿を出る時は、雨はパラパラと行った程度だった。2日目の最初のお参りの54番・延命寺に着くと、傘がほしい降りになった。バスを降りて池のそばを歩く、山門を2つくぐる。鐘楼も2つある。
参加者の1人の女性は1つの鐘をつき、丁寧に鐘向かって手を合わせていた。お参りの後、私は小高い所にあるもう1つの鐘楼にも行った。先の女性がついてきて、手を合わせている。
鐘楼への登り口のあたりには、アシビの木が何本も植えてあり、小さな赤いつぼみをたくさんつけていた。その女性と「いつごろ咲くのだろう」といった会話をしながら、バスに戻った。
↑少し登った場所にある鐘
↑境内のアシビ
【糸山公園】
しまなみ海道から四国に入ったが、橋の上を走っているだけで、橋をじっくりと見ていない。そこで、四国側の高台にある糸山公園に行き、目の前で来島海峡大橋をながめた。
橋は小雨にけぶっていた。自転車に乗ったグループが、橋を渡っているのが見える。雨の中で長い間見てはいられないので、公園に設けられた展望館に入って、架橋に関する資料を見た。
↑糸山公園からの眺望
【55番・南光坊】
55番・南光坊の山門は鐘楼も兼ねている。2階に鐘があり、撞木のロープが2階からぶら下がっている。そのロープを下向きに引っ張って、鐘を鳴らす。
境内には句碑がいくつもある。「ものいへば唇寒し秋の風」の芭蕉の句碑もあった。私が好きなのは「花尊し」。自宅では庭や小さな花壇で、少し花を育てている。時々考えることがある。「花はなぜ美しいのか」。勝手に考えた結論がある。
花が美しいと感じるのは、自分の中の遺伝子の一部と花の中の遺伝子の一部で、共鳴するもの、あるいは同じようなものがあるからではないか。共通するものは、命というものに対する捉え方ではないか。「命や生きていくことは美しい。それを人間n知らせるために、花は美しくある」。好き勝手な解釈だが、遍路をしていて、ますますそう感じるようになった。
本尊は大通智勝仏。「勝」の文字にちなんでか、本堂の前の「勝守(かつまも)り」を新たに作ったことを知らせる看板が立ててあった。
↑「花尊し」の碑
↑「花尊し」の碑
【さいさいきて屋】
遍路旅とは言いながら。女性メンバーのお楽しみの1つは買い物だ。今治市のJAの産直施設「さいさいきて屋」が今回の買い物場所だった。ここは大変人気がある。農産物中心だが、カフェもある。
建物の外で天ぷらを揚げながら売っていた。参加者の1人がエビ天を買って食べていたので、つられて食べてみた。大岡蒲鉾店のもので120円。揚げたてだからか柔らかく、エビの味が強い。エビせんべいを食べているような印象を受ける。
建物に入る。私は特に買う物もないので、農産物の売り場や海産物の売り場をウロウロする。赤ナマコのパックを、のぞき込むように見ている遍路のメンバーがいた。延命寺で鐘にも手を合わせていた女性だった。「好きなんですか」と聞いてみる。
「夫が好きだったんです。去年亡くなりましたが。酒とたばこが命を縮めたのかもしれません」。これも早坂さんが言った「悲しみ」で、そのための遍路なのだろう。
↑エビ天
【59番・国分寺】
雨は少しずつだが、強さを増してきた。国分寺ではほとんどの参加者が傘をさした。境内に入ると、空海の石像が迎えてくれる。右手を差し出していて、握手を求めている。空海の握手会である。
般若心経を唱える際は、本堂でも大師堂でも、屋根のひさしの下を利用した。大師堂では他のグループともかち合ったので、縁側のひさしの下で、しかも正面ではなく、右の側面に回り込んだ場所で唱えた。
↑右手を差し出した空海の石像
国分寺は奈良時代に、聖武天皇の命で全国に造られて。当時の礎石が、寺から300メートルほどの場所にある。小降りながら雨の中なので、見たい人だけを案内することにした。
礎石見物をパスし、バスに向かっていた女性があわてて寺の方に引き返してきた。線香入れを忘れたという。礎石の案内をいったんストップし、女性と一緒に探しに行った。ちょうどかち合ったグループも境内から出る所だった。私たちが急いで寺に戻っているのを見て、忘れ物と悟ったらしい。
「数珠ですか」と1人が聞く。数珠の忘れ物もあったようだが、こちらは「線香入れ」と答えた。すると別の人が「大師堂の縁の横に回り込んだ所にあった」と教えてくれた。私たちが般若心経を唱えた場所だった。そこに行くと、確かにあった。遍路同士の助け合いのおかげだった。
それから礎石の場所に行った。丸い大きな石がいくつも集めてあった。しかし、雨がさらに強くなってきたので、早々にバスに向かった。参拝はここまで。2日目は雨になったが、小降りの状態だったので、実に運がいい。
↑奈良時代の礎石
【昼食】
昼食は今治タオル美術館ICHIHIROにある中華レストラン「王府井(ワンフーチン)。国分寺からバスで10分ほどだが、着いた時には雨は本降りになっていた。
レストランの前は庭園になっている。ムーミンの物語の登場者の像が、いくつも配置されている。天気が良ければ、食事の後の散策にはいいが、雨が本格的になったので、建物内のタオルの販売場や四国の土産物売り場をのぞいて、バスに戻った。
ここは変わった施設だと思う。大きな4階建てのビルで、自社のタオルをうるのが主目的だろうが、有料の美術館を持ち、レストラン、カフェもあり、四国土産のコーナーもある。
レストランの前は庭園になっている。ムーミンの物語の登場者の像が、いくつも配置されている。天気が良ければ、食事の後の散策にはいいが、雨が本格的になったので、屋根の下でながめるだけにした。建物内のタオルの販売場は見るだけ。実は私が住んでいる京都府木津川市のイオンモール中に、ICHIHIROの店が入っていて、そこでタオルは時々買っているからだ。
↑王府井のランチ
↑庭園にはムーミンのオブジェが置いてある
【あんみつ館】
大阪への帰り、徳島県美馬市の「あんみつ館」に寄った。シンピジウムの品種改良では、世界的に知られる河野メリクロンの展示場だ。
初めて作ったシンピジウムが漫画の「あんみつ姫」に似ていると社長が感じ、品種名を「あんみつ姫」とした。展示場を設ける際も、記念すべき第1号の名前をかぶせた。見学者の中には、あんみつを食べられると思ってくる人もいる。このため、軽食コーナーであんみつも出すようになった。これらは、説明役から聞いた話だ。
施設は3つの建物に分かれている。その中にランの鉢が並ぶ。艶やかで美しく、見応えがある。バレンタインデーが近いので、私たちのメンバーの1人ずつに、シンピジウムを1房ずつプレゼントしてくれた。思いがけず、遍路旅の華やかな締めくくりとなった。
↑あんみつ館のラン
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◆第12回(60番・横峰寺〜64番・前神寺)
=2018年3月9日〜10日
「ちょっと歩き四国遍路 のんびり、湯ったり編」のシリーズは、毎回のように天候に翻弄される。今回もそうで、それどころかいつもに輪をかけた状態だった。
事前の天気予報では、遍路の2日間は雨だった。ところが低気圧の通過が早まったようで、前日になって予報が変わった。出発の日は午前中こそ雨が残るものの、午後にはあがると。
出発当日の朝に家を出ると、雨は降っていない。これはラッキーで、今回も幸運だと喜んだ。
【昼食】
今回の参加メンバーは9人。瀬戸大橋経由で四国に入ることになった。時々パラパラと雨粒がバスのガラス窓にあたる。しかし、傘がほしいほどではない。
昼食は香川県善通寺市の和食の店「魚七」。大きなざるの中に小皿が並び、少しずつだがたくさんの料理が載っている。
ランチのメニューを紹介する。刺し身(マグロ、ハマチ)、天ぷら(レンコンのはさみ揚げ、シシトウ、ナス、ニンジン、サツマイモ)、煮物(エビ、サトイモ、ゆば、ウスイエンドウ)、トリのみそ焼き、サケの切り身の南蛮漬け、豆腐のゴマだれ、干しダイコン、ご飯、みそ汁、デザート。よくこんなにも食べさせてくれるものだと、驚いてしまう。
↑魚七のランチ
【60番・横峰寺】
今回の遍路のお楽しみは、60番・横峰寺だった。四国霊場で3番目に高い場所にあり、標高は750メートル。バスをマイクロバスに乗り換えて登る。その連絡のため、添乗員さんがバス会社に電話をして、予想外の展開になった。横峰寺は雪が降っている。しかも、午後の方が強くなるというのだ。
横峰寺を翌日に回すかどうか相談したが、山の下の雰囲気ではよくわからないので、マイクロバスへの乗り継ぎ場所まで行って判断することにした。黒瀬湖を見ながら、乗り継ぎ場所まで行く。そこでも雪はない。山上も少し降りが収まったようにも思われ、予定通りこの日に参拝することにした。
バスが寺に近づくと、薄っすらだが雪景色に変わった。本堂は駐車上から10分ほど緩い坂道を下りていく。雪の降りはチラホラだが、道が滑りやすいので、注意しながら本堂へ向かった。
本堂の周辺は薄い雪化粧だった。シャクナゲが林立している山の斜面も軽く雪を乗せている。本堂の屋根は積雪と言えるほどの層になっている。般若心経を唱えていると、屋根から雪がドサッと落ちてきて驚く。お参りの時は雪がほとんどやみ、温度も上がってきらからだろう。しかし、数珠を持つ手は冷たくなっていく。
本来なら、奥の院の星ヶ森まで歩いていく行程になっていた。運が良ければ、そこから石鎚山が見られるからだ。しかし、道が滑りやすいことと、雪が再び強く降る恐れもあるので、安全策を取り、星ヶ森行きは断念した。行っても石鎚山が見えるはずがないことも、判断する1つの要素になった。
↑雪化粧の横峰寺
【光明寺】
山から下りてきたが、星ヶ森を省略したので時間が余っている。そこで、西条市の光明寺に参拝することにした。
安藤忠雄さん設計の寺。池に建てた浮御堂のような印象を受ける。西条市は水に恵まれ、「打ち抜き」という湧き水がいたるところにあり、寺の池はそれをイメージしたものかもしれない。本堂は木をたくさん使っている。外観は細めの角材を縦に並べたデザインになっている。このため、スッキリした印象を与える。
本堂は池の外にある建物にいったん入り、靴を脱いで廊下を少し歩き、短い屋根つきの橋を渡っていく。本堂に入れる時間は限られていて、午後2時から4時。運のいいことに、3時半すぎだったので、本堂に入れてもらえることになった。外観だけでなく、内部も細めの角材が縦にふんだんに使われていた。
↑光明寺
【宿】
この日の宿は、今治市のホテル・アジュール「汐の丸」だった。光明寺に寄ったものの、通常よりも早めの午後4時半すぎに宿に着いた。温泉でもあり、ノンビリすることに決めた。
ゆっくりと温泉に入って、夕食となった。刺し身や天ぷらなど定番料理と鯛の釜飯など豊富なメニューだが、印象に残ったのは、前菜の中にあったケンツボの煮付けで、佃煮風にしてあった。知らない名前だったので、インターネットで調べると、どうもニシ貝のこの土地の方言のようだ。もう1つ印象に残ったのは塩鍋。水炊きに塩を入れたような1人鍋で、あっさりしているのでたくさん食べられる。さらにもう1つ、魚のすり身を丸めてユズの香りもつけたユズ団子もよかった。
夕食の席で、参加者の男性が自分の家の「嫁と姑」の問題を語り始めた。昔からのテーマではあるが、年齢の高い参加者には少なからず似た体験があるようで、食卓の話題となった。そんな話が出るのも、普通のツアーとは違うところだろう。
ホテルは桜井総合公園の中にある。グラウンドやテニスコートといったスポーツ施設や、子どもの遊び場もある。ホテルから海も近い。朝は公園を散歩した。ちょうど朝日が昇る時間帯で。海を入れた写真を撮ることができた。早起きが得意な人間の特権である。
↑桜井総合公園から見た朝日
朝食はバイキングだった。気に入ったのは、さつま汁飯だった。さつま汁は愛媛県の郷土料理で、南予でよく食べる。焼いた鯛などの魚をほぐし、薄いみそ汁のようなものに混ぜてあって、それをご飯にかけて食べる。ひゅうが飯と言ったり、伊予さつまと言ったりする。対岸の九州の「冷や汁」とよく似ている。
ホテルのさつま汁はちょっと変わっていて、鯛など数種類の生の魚がさいの目に切って、薄いみその汁に入れてある。それをご飯にかける。ぶつ切り刺し身を乗せたちらしずしに、薄いみそ汁をかけたような料理だが、魚をたくさん食べることができて、朝から得をした気分になった。
↑さつま汁飯
バスでホテルを出発する。従業員の女性2人が、「またのお越しをまっとるけん」と書かれた大きな布を広げて送ってくれた。
↑ホテルの見送り
【61番・香園寺】
2日目の最初のお参りは、61番・香園寺から始まった。この寺は何度行っても驚く。本堂が大きな四角いコンクリートの建物だからだ。ろうそく立てと線香立てが一体になっているのも変わっている。
お参りは本堂の中で行う。そこは2階で、これまでは本堂に向かって左側の階段を登ったが、そこは通行止めになっていて、右側から中へ入っていった。そういえば、左側の階段の上り口のそばにあった納経所が、建て替え工事中で、このためかもしれない。
境内の仏像の前には、シキビが供えてあった。白い花がついていて、春の訪れを感じる。前日の横峰寺の雪はここでは無縁で、天気も良く、気温も高くなってきた。
↑お供えのシキビは白い花をつけていた
【62番】
通常なら次は62番・宝寿寺に向かう。ところが宝寿寺が四国88ヶ所霊場会と対立し、霊場会を脱退してしまった。このため霊場会は香園寺の第2駐車場に、仮りの札所を設置した。どちらにお参りしようかと迷ったが、結局は駐車場の方を選んだ。つまらない争いのために、お遍路さんは混乱している。
第2駐車場に向かって歩くと、古い道標がある。これは当然宝寿寺への道を示している。第2駐車場の入り口には、「四国88ヶ所霊場会62番礼拝所」の新しくて大きな看板が出ていた。どうもしっくりしない。
↑香園寺を出たところにある古い道標
礼拝所はプレハブで味気ない。しかも、「宝寿寺とは関係がありません」と無粋な表示がしてある。トラブルが根深いことはわかるが、遍路を身には何だか気分が良くない。
↑プレハブの62番礼拝所
【63番・吉祥寺】<
バスに乗り、元の62番・宝寿寺の前を通って、63番・吉祥寺に行く。5分もかからない。駐車場にバスを止め、寺まで2分ほど歩く。白い土塀に沿って山門へ。塀の上から白梅が見える。セキレイが1羽、道に下りては飛び、門まで案内をしてくれた。
境内にはいくつかの仕掛けがしてある。1つは中央に穴の開いた成就石。金剛杖を持って前に突き出し、願い事をしながら目をつぶって石の方に歩いて行く。杖が穴に入れば願いがかなうとか。参加者の2人が挑戦し、ほかのメンバーが声で方向を示し、2人とも成功して拍手がわき、にぎやかなお参りとなった。
その横には、吉祥天女の門。これも願い事してくぐる。これは全員でくぐった。山門を出ると、またセキレイがヒュンヒュンと飛びながら、見送ってくれた。
↑願い事を唱え成就石へ
【石鎚神社】
吉祥寺から64番・前神寺までは、今回の「ちょっと歩き」。街中の道ではあるが、国道から1本だけ入っているだけで、車はそう多くはない。大変暖かくなり、のどかな歩き遍路となった。
遍路道の横に、ハッサクやレモンが実っている。たくさん落ちていて「もったいないね」など、たわいないことを話しながら歩いた。火の見やぐらを見上げて、「珍しいねえ」とも。出会った人が時折、「どちらから?」「お気をつけて」と声をかけてくれる。遍路の季節がやってきているのだ。
↑ノンビリと遍路道歩き
↑遍路道には火の見やぐらも7あった
前神寺の手前に石鎚神社があり、時間に余裕があったので、ちょっとだけ寄ってみた。大きな門をくぐる。木に囲まれた参道、石段を登っていく。1番上の本殿まで行く時間はないので、途中でUターンした。
石鎚神社から前神寺まではすぐ。寺の直前に、菜の花満開の場所があり、遍路の春らしい景色で迎えてくれた。
↑石鎚神社
【64番・前神寺】
今回の遍路旅の打ち止めは、64番・前神寺だった。本堂に向かう途中に水に打たれている不動明王が立っている。不動に1円玉を投げ、その体にくっつけば良いことがあるという。みんな遊びで1円玉を投げた。くっついて歓声がわく。次の人は失敗して1円玉は滑り落ちるが、その際に前の人がくっつけた1円玉も道連れにし、また歓声がわいた。
お参りをしたあと、お札などを売っている場所の前を通ると、かかしが座っていた。見ると、「神山のかかし」と表示してある。この遍路旅シリーズの2回目で、徳島県神山町に行き、地元の人に梅林を案内してもらった。その際に地元の人が作ったかかしをたくさん見た。前神寺のかかしも、そこからやってきたという。1年ぶりの再会みたいで、懐かしい感じがした。
↑前神寺にあった神山のかかし
【昼食】
昼食はJR伊予西条駅前の「マルブン」。料理は西条ナポリタン。「できるだけ地元の食べ物を昼食に」が、この遍路旅の1つのコンセプトになっている。西条ナポリタンはパスタのナポリタンで、町おこしのようにいくつもの店で展開しているものだから、昔からあるものではない。だからコンセプトに当てはまるかどうかは微妙なところ。しかし、次第に知名度は上がってきている。
この店のナポリタンは、量が多いこと、上に乗っている大きなソーセージ、下に敷いてある薄焼き卵が特徴。フランスパンもつけたので、満腹になってしまった。
↑マルブンの西条ナポリタン
【マイントピア】
締めくくりは旧別子銅山の「マイントピア」だった。観光施設でもあり、道の駅にもなっている。坑道の一部が、銅山の紹介施設になっている。そこまでは、わずかな距離ではあるが、当時の鉱山鉄道をもじった小さな列車で行く。
坑道に入ると、ジオラマ風に江戸時代や明治以降の様子を示し、説明文を掲示している。坑道の出入り口、鉄道の鉄橋、レンガ造りの建物などが、往時の雰囲気をしのばせる。
↑旧別子銅山の坑道の入り口
【大阪へ】
吉野川ハイウェイオアシス、淡路島ハイウェイオアシスで休憩して、大阪へ向かった。吉野川は改装中で、土産物などの売り場が狭くなっていた。遍路道を歩いている時、ハッサクなどを見て食べたそうにしていたせいか、参加者の1人がブンタンを買ってみんなにお接待してくれた。この遍路グルーは、お接待が盛んだ。