梶川伸・大阪刑務所篤志面接委員(「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会会長)
◆体験談に思いを託して◆(写真・中見出しを追加しました)
◇伝えることの難しさ
「もう刑務所には来ないでください」。これだけを伝えるのが、何と難しいことか。
迷いの中で受刑者のみなさんと接し、分かってきたことがあります。体験に基づく訴えは、心に入り込むことができるかもしれないということです。
私が大阪刑務所の篤志面接委員になったのは2007年です。主に1カ月に1度、釈放前指導の一コマを担当してきました。小一時間の話で、多い時は15人前後、少ない時は2人と向き合います。合計回数は140回に達しました。
私の話は2部構成です。メーンテーマは、「再び罪を犯して、刑務所の入ることがないように」ということ。サブテーマは社会で生活するうえでの、私なりのサジェスチョンです。
メーンテーマは、言うのは簡単ですが、再犯の多さを考えると、実は簡単なことではない気がします。では、どう訴えればいいのでしょうか。
◇「出る」ではなく「戻る」
私は「出所」という言葉を使わないようにしています。初めての篤面の機会に、ある刑務官に教えられました。「受刑者にとって『出る』ではなく、『戻る』と考えてほしい」。正にそうだと思いました。ですから、釈前指導では、「間もなく社会に戻りますが、その社会こそがみなさんが生きていく場所です」と強調します。
「犯罪を起こして入る場所だから、刑務所に入ってはいけない」のは当然ですが、その説明だけで納得してもらえるのかが問題です。私は若い友人への介助の体験を語ります。
友人は進行性筋ジストロフィーでした、幼い時には家で過ごし、やがて国立の専門病院に入りました。しかし、20歳を超えてから、障碍者用の公営住宅に1人で住みました。「人間は社会動物なので、社会の中で暮らしてこそ人間」との思いからでした。
◇社会の中で生きてこそ人間
公営住宅に転居したころ、友人の握力は100グラム単位まで落ちていました。日常生活のほとんどの面で、介助が必要でした。私も介助メンバーに加わり、月に2回程度、泊まり込みました。料理を作り、ふろに入れ、トイレの世話しを、寝返りを打たせるのです。
受刑者のみなさんには、このような体験を語り、友人の決意「社会の中で生きてこそ人間」に触れます。病院の方が治療、看護、介助の体制が整っていますが、それでも社会で暮らすことを選んだのです。友人は30歳で亡くなりましたが、最後の10年間こそが、人間として生きた時間だったのではないでしょうか。私は訴えます。「社会で生きるのが人間の本来の姿です。刑務所は生活する場所ではありません」
◇利己と利他
サブテーマは、利己と利他についてです。「人間は支え合って生きています。99%は自分のため(利己)でいいのですが、残り1%は他人や社会のため(利他)を考えて行動してください」と話します。そうすればトラブルは抑えられ、犯罪からも遠ざかると思うからです。
私は遍路体験を引き合いに出します。四国霊場を自分で回るととともに、先達(案内人)もし、お遍路さんのための休憩所を作る活動にも参加しているからです。
◇お接待の真髄
よく取り上げるのは、お遍路さんをもてなすお接待という文化です。高知県でお世話になった善根宿のことも例にあげます。善根宿とは、お遍路さんに提供する寝る場所のことです。私が泊めていただいたのは、農家の納屋を改造した部屋でした。
善根宿のご主人にとって、私はたまたま通りかかっただけの見ず知らずの遍路です。泊めてもらうだけでもありがたいのに、1番にお風呂に入れてもらい、家族と一緒に夕食をごちそうになりました。恐縮していると、ご主人は「農家なので、米や野菜はあります。家族4人の夕食を、5で割ればいいだけ」と、事も無げに言うのです。
朝ご飯もいただき、出発の際には、奥さんが昼ご飯のおにぎり2つを持たせてくれました。利他の最たるものでしょう。お接待という利他の心は四国では普通にあり、私は「遍路道には心の共同体がある」と感じています。
泊めてもらった部屋には、宿泊者が名前を残すノートが置いてありました。表紙に書いてあったのは、「本日家族 増員名簿」の文字。お接待の真髄です。
体験談は具体的なので、聞いてもらえるのではないでしょうか。ただ、一方的に話しているだけでは、なかなか話の中に入ってきてもらえません。そこで、「遍路を知っていますか」「四国生まれの人はいますか」といったやりとりも、織り交ぜていきます。