坂田洋子「スペイン巡礼の道と四国遍路 あれこれ」=坂田洋子さんは「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会会員



 2024年5月下旬〜7月中旬、世界遺産でもあるスペイン巡礼の道(巡礼のことをスペイン語で『カミーノ』といいます)を歩いてきました。四国のお遍路とスペインの巡礼の道をくらべながらお話したいと思います。


◆自己紹介◆

 私は、長い道を歩くのが大好きです。これまで、四国お遍路、全熊野古道、大峯奥駈道、小豆島88箇所巡りなどの古道や巡礼の道を歩いたり、信越トレイルなどのロングトレイルを歩いてきました。四国のお遍路に行く前に30年勤めた大学職員の仕事をやめて、兵庫県三田市に30年ほど住んでいましたが自宅も売り、車も処分し身軽になりました。

 今は、滋賀県高島市という琵琶湖がすぐ近くてなめこや琵琶湖のお魚を釣ったり自給自足にぴったいなところでキャンプ場をつくったり、川端(かばた)のあるコミュニティスペースをつくろうという夢をふくらませながら暮らしています。


◆きっかけ◆

 四国のお遍路は、2021年3月〜4月の42日で順打ち、周回通し打ちの歩き野宿遍路をしましたが、距離は1300キロだったので、それに比べればスペイン巡礼の道は短いですね。

 熊野古道も区切り打ちで、全熊野古道と川の参詣道の熊野本宮〜速玉神社間と城南宮〜八軒家はカヌーで下り全部歩いたので次は、どこを歩こうかなと考えていた時に、スペイン巡礼の道はどうかなと思ったのです。

 娘が大学生の時に同じフランス人の道を100キロ歩いていたので、その影響もあります。

 また、ふとテレビをつけたときにNHKで、大学から毎年このフランス人の道を歩くプログラムがあり、毎年引率している大学の先生が出ていて、それも心に残っています。知り合いもこの道を歩いたりして、なんだかスペイン巡礼の道に導かれているような気がしていたのです。


◆スペイン巡礼の道ってどんな道?◆

 キリスト教三大聖地であるここサンティヤゴ・デ・コンポステーラは、キリストの十二使徒のひとり聖ヤコブ(スペイン語でサンチャゴ)が眠るとされる場所で、1000年以上前から歩かれている巡礼の道なのです。熊野古道と同じ世界遺産に登録されていて、今も年間40万人の巡礼者がこの道を歩いているそうです。

 巡礼の道は、熊野古道のようにいくつものルートがありますが、今回私が歩いたのは『フランス人の道』と呼ばれる最もポピュラーなルートで、起点のフランスから約800キロの道のりです。サンティアゴ・デ・コンポステーラからさらに地の果てと言われるフィステーラの海までマリア様が石船で現れたというムシアまでも歩いたので、プラス100キロを歩きました。合計900キロを歩きました。フランス人の道は、35日間、それからフィステーラまでが4日間、1日休憩して、ムシアまで1日、合計41日間の巡礼旅でした。


◆スペイン到着翌日大事件発生◆

 巡礼の道を歩く前に、スペインに行くならずっと憬れていたガウディの未完成作品サグラダファミリア(来年完成予定)などを見たいということでまずは、バルセロナに行きました。

 実際に見たガウディは、ものすごい存在感でかっこよくてシビレました。シビレすぎて有頂天になっていて、なんと建物が見える公園で大事なスマホを盗まれたのです。

 一緒に旅をするパートナー青さんも「もう無理や帰ろう」と言い出すし、どうなることがか思いましたが、警察に届け出を出したり、スマホにロックをかけたり、現地で新たにスマホを購入し、なんとか旅が続けられるようになりました。しょっぱなから大事件発生。みなさんも人ごみや観光地では注意してくださいね。


◆巡礼1日目にして最難関な遍路転がし◆

 フランス人の道のスタート地点、サンジャンピエドポーは、フランスなので、ここでの挨拶は、「ボンジュール!」です。ここから標高1200mのピレネーを越えていくのです。

 5月29日、1日目にして、最難関と呼ばれる道があるなんて不安しかないです。

 事前に観た巡礼に関する映画『星の巡礼者たち』では、主人公の息子さんがこのピレネー越えでいきなり死んでしまって息子の遺灰とともに、父親が巡礼をするのです。

 あまりに死人や事故が多いので冬季閉鎖しているようなところです。

 確かにコースは、大変ですが天気も気候もよくて、四国の遍路転がしの道のほうがよっぽどきつくて大変でした。

 ピレネーを越え、スペインに入りました。ヨーロッパは、地続きなのでパスポートとかここが国境とかあまりわからないまま、1日でフランスとはさようならです


      ↑1日目の遍路転がしピレネー越え


◆英語もスペイン語もわからない◆

 英語は、私も同行の青さんもあまりわからず、スペイン語については全くわかりません。スペイン語でまず覚えたのは「オラ」(こんにちは)、クレヨンしんちゃんみたいですぐ覚えられて、「オラオラ」言いまくってました。

 もうひとつは、「ブエン・カミーノ」という言葉です。日本語でいうと「よい巡礼を」「よいお参り」みたいな言葉で、お遍路でもこのような言葉をかけられたことがあります。スペインでは、毎日この言葉を使います。巡礼者どうしで声をかけ、町の人に声をかけられた時は、「グラシアス!」(ありがとう)と笑顔で手をふります。

 英語も中学英語ぐらいだし、会話にはついていけず食事の席などでは孤独感があったりもしました。しかし、今のスマホはとても便利で、ドラえもんの「翻訳こんにゃく」がなくったって無料の翻訳アプリがあります。オフラインでも使えるようにしておけばスマホがつながらないところだって、スペイン語オンリーなところでも平気です。便利な世の中になったものです。


<◆便利なアプリ様と絵地図◆BR>
 翻訳アプリもそうですが、スペイン巡礼の道を歩くのにアプリが大活躍。

 「ブエンカミーノ」「グロンゼ」「ニンジャ」というアプリを使いました。毎日活用したのでアプリと呼び捨てするより「アプリ様」とお呼びしたいです。

 どのアプリも一長一短があって、用途にあわせて使い分けしていましたが、アプリに次に行く町までの距離や標高、そこにある宿の情報や宿の評価、また予約サイトにもリンクがはってあるので使いやすかったです。

 紙の資料として日本から日本カミーノ・デ・サンディアゴ友の会発行の本と、植野めぐみさんという絵地図作家が描いている絵地図をコピーしてもっていきました。紙の資料も重いので本も地図も歩き終わったところは捨てながら歩きました。

 特に絵地図は、町のおいしいものや名所、こんなところがあるよと絵で教えてくれて、絵にあるところを探すのも楽しいし、地名の読み方もカタカナで書いてあるので重宝しました。

 四国のお遍路も、外国の人が宿の予約にとても苦労されていると聞いたことがあります。このようなアプリがあればいいのになあと思います。実際、四国遍路に行きたいと話していた外国人の方がたくさんいましたので。


◆私たちの巡礼の1日

 800キロの道のりを1日平均25キロぐらい毎日歩きます。

 夜明けは7時前後、日の入りは22時ぐらいです。

 私たちは、朝5時ぐらいに起きて朝食に野菜、生ハム、チーズの入ったサンドイッチを作ってヨーグルト、ジュースを飲んでヘッドランプをしてスタートです。だいたい1番で出発していました。それでも外国人はとにかく歩くのが早く、10時ぐらいには抜かされていきます。しかし、彼らと対抗してはいけません。あくまでも自分のペースで歩きます。

 道順は、モホンと呼ばれる石の標識や黄色の矢印があるのでとてもわかりやすいです。お遍路では、矢印のシールはありますが不変のものではないので、四国にもモホンみたいなものがあればいいなあと思いました。

 途中、ベンチやあずまやで休憩をするのですが、お遍路より圧倒的に休憩所が少ない。

 ヘンロ小屋プロジェクトや地元の方々のおかげでお遍路は、快適な休憩や雨宿り場所があって、ヘンロ小屋巡りをするのがとても楽しかったのを思い出します。

 お遍路では、ヘンロ小屋をほぼ巡り、設置されている全ノートに目を通し、自分自身も感想と感謝の気持ちを書きながら歩いたのでした。

 スペインでは、バルと呼ばれるカフェで休んだり、バルのトイレに行ったりもします。

 スペインのオレンジジュースは、生絞りのところも多くとてもおいしいです。食事は、ジャガイモの入ったトルティージャと呼ばれるオムレツやハムやチーズを挟んだパンなどがあります。

 ちなみにトイレは、公衆トイレがほぼなくて、みんなバルでするか野にはなちます。山でいうキジ打ちとか呼ばれるその辺の道畑トイレです。先に紹介した映画では、見渡す限りの平原で男性陣が後ろを向いて壁になって女性が用を足しているシーンもありました。

 ピレネー越えの山道、果てしなく続く麦畑と白い道と赤いポピー、一面のブドウ畑のなかを歩く道、雲海の広がる山岳コース、中世の城跡や橋や荘厳な大聖堂、石畳の家々、歴史ある教会や高い煙突の上を陣取るコウノトリ。どれもはじめて見る景色で写真をたくさん撮りました。ずっと続く景色に飽きてきたことも正直ありました。

 13時頃までにはアルベルゲと呼ばれる宿に着き、シャワーと石の洗濯板でその日の服を手洗いし干す。スペインは、22時までお日様がでているし、乾燥して風も吹いているのですぐ乾きます。干場だったり普通に人が歩く通りにブラもパンツも気にせず干します。早くアルベルゲに着くと干場も洗濯ばさみもありますがあとに到着するほどどちらも無いてことになることもあります。(洗濯機や乾燥機もありますが高いので手洗いしていました。)

 スーパーのあるところでは買い出しをして翌日の朝、昼食を購入。その日の晩御飯を自炊する時はその日の食材も買います。アルベルゲや近くのバルやレストランで食べることもあります。巡礼食と呼ばれるメニューがあり、ワインは飲み放題、他2品、デザート付きで10〜15ユーロ(円安で1ユーロ178円ぐらい)

 スペインのお店は、たいていシエスタと呼ばれるお昼休みがあり、スーパーで14時頃から17時まで、レストランは、15時から19時半ごろまでお休みです。あと、日曜日はほぼ休みでレストラン難民となり町中さまよったこともあるので要注意です。

 それから、翌日どこまで行くか、どこの宿に泊まるかを相談します。人気があったり、残り100キロ地点ぐらいからは宿がとりにくいので事前に宿を予約しますが、たいていアプリで日本語をみながら予約できるので楽です。

 メールを送るところは、グーグル翻訳で一度翻訳したものを何回も日にちだけ変えて宿に送りました。(笑)

 そして、足や肩が疲れた時は、マッサージなどをして明日に備え9時ぐらいには寝ます。

 そんな毎日でした。大部屋が多いためイビキで眠れない人もいるようですので、気になる人は耳栓持参しているようでした。

 毎日、毎日歩く生活で35日、距離を短くした日はありましたが一度も休みませんでした。(お遍路も休まず毎日歩きとおしました。)

 私たちは、幸いなんのトラブルもありませんでしたが、他の方は、足にマメができてずるむけになったり、膝のサポーターをしたり、おなかを壊して入院したり、転んでケガしたり、そんな苦労をしながらもそれでもみな自分ペースで歩いていました。


◆アルベルゲってこんなとこ◆

 アルベルゲは、巡礼宿のことで、四国でいう遍路宿です。巡礼者は、最初にクレデンシャルと呼ばれる巡礼手帳を持っていてそれが巡礼者だということを示す身分証明書をかねています。それがあることで、アルベルゲに泊まれたり、大聖堂の入場が割引になったり、巡礼証明書を発行してもらえる大事なものです。

 アルベルゲには、公営と私営のものがあります。公営のアルベルゲは事前予約ができないところも多いです。また、寄附制のところもあります。

 5ユーロから14ユーロぐらいの値段です。安くてもいい宿もたくさんありました。

 たいていは、大部屋2段ベッドのドミトリー方式ですが、なかには平置きのベッドだったり、プールがあったりリゾート地みたいなところもあります。

 スマホの充電もたいていできますが、一人に一つなかったり、2段ベッドの上にはなかったりするので、寝ころがって充電しながらスマホをするのに長い充電コードが役立ちました。キッチンの有無、食事ができるところ、Wi-Fiの有無、洗濯機の有無など事前にアプリで確認して宿を予約します。

 何度もアルベルゲが一緒になって世界各地の人と話したり、仲良くなったりできる場所は、遍路宿もアルベルゲも同じだと思います。私のお遍路旅は、コロナ明けですべてほぼテント泊だったのでそんな出会いが少なかったのが唯一残念なところです。一緒にごはんを食べて寝泊りすることでコミュニケーションが生まれるのは世界共通です!


◆私たちの神アイテム◆

 スペインの強い日差しから守ってくれて、風が吹き抜けて涼しい、ちょっとくらいの雨ならカバーをつけて傘がわりになる日本の皆地笠。

 持っていくときにかさばるのでどうしようか少し迷いましたが、これが大正解!

 お遍路の時も毎日かぶっていた笠ですが、これが思わぬ効力を発揮しました。

 日本の伝統的なこの笠が外国人には、とても人気で1日1回以上は、必ず声をかけられます。外国人はとてもストレートで「あなたのその笠、とってもステキ!」「私は、その笠大好き!」「一緒に写真とらせて」と話しかけてくれます。私の笠には、熊野古道・世界遺産と書いてあったので、なんて書いてあるの?熊野古道歩きたいんですとか声をかけられます。日本の方ですか?マドリードとか美術館でも声をかけられました。これから巡礼の道を歩く日本人、歩き終わった日本人にもこの笠きっかけで会いました。

 あとからお会いした日本人にも、「日本人だ」と外国人にいうと、「笠をかぶった日本人を知っているか?私は一緒に写真撮ったんだよ。」って見せられたって言っていました。

 コミュニケーションのきっかけとして大活躍の皆地笠でした。

 もう1つは、熊野古道をすべて歩いた時に自分で作った熊野古道Tシャツです。笠ほど人気はないのですが、歩いたことある外国人の人には、ヤタガラスや熊野古道の漢字になじみがあり声をかけてくれます。Tシャツの後ろが地図になっているのでどこを歩いたと話をするのにとても役立ちました。勝手に熊野古道PR大使として一役かったのではと自負しています。


      ↑大人気の日本の笠(自転車巡礼のポルトガルに「写真を撮らせて」と頼まれて)


◆荷物配送という神サービス◆

 スペインでは、荷物の配送システムというとても便利なものがあります。場所や会社によって値段が違いますが4〜6ユーロで次に泊まるアルベルゲに荷物を届けてくれるサービスです。13〜16時ぐらいまでには荷物が着きます。

 知り合った中国人の女性は毎日このサービスを利用して小さなリュックサックでさっそうと歩いていました。長く歩く人にとって荷物のあるなしは体調に大きく関係します。

 私の荷物はけっこう重くて、10キロぐらいはあったので最初は、レシート一つでも持っておきたくないと思ったり、モバイルバッテリーとかもうこんなもん捨ててやる!と叫んだこともあります。(捨てなかったけど)それなのにこのサービスを利用したのは、フランス人の道最後の雨の日だったのです。なぜかというと、荷物の配送サービス会社に電話をして荷物があることを言わないといけないと書いてあったからです。電話なんてハードル高くてできないと思っていたので利用しませんでした。

 その日は、雨だし、距離も30キロ近くあったのでとうとう配送サービスを頼むことにしました。宿においてある配送サービスの封筒にアルベルゲの名前と自分の名前、連絡先を書いてお金を入れます。宿のスタッフに電話する必要があるかと聞いてみると、「電話しとくから大丈夫だよ。」とのこと。翌日は、羽が生えたように軽く歩けて、こんなことならもっと配送サービス利用しとくんだったと少し後悔。フィステーラ、ムシアの道は、ほぼ4毎日配送サービスを頼みました。このサービスがあるおかげで年をとった人も、体調がすぐれない人も、荷物をもってあまり歩いたことない人も安心して巡礼の道を歩けるのでとても便利。このサービスがあるので、スペイン巡礼の道はお遍路の道を歩くよりだいぶハードルが低くなります。


◆2週間目の奇跡◆

 巡礼2週間目に奇跡が起こったのです。奇跡は、2つ起こりました。

 奇跡の1つは、英語がなんとなく聞き取れるようになったことです。

 英語を話すほうは、出川イングリッシュみたいなもんで単語と日本語ミックスみたいなかんじなのですが、相手がだいたい何をいっているのかなんとなくわかるようになってきました。

 最初は、スーパーで「袋はありますか?」と聞かれても「フロムジャパン!」ユーロで払いますか日本円で払いますか?と聞かれても「フロムジャパン!」知り合った人に今日はどこに泊まってるの?と聞かれても「フロムジャパン!」と元気に答えていた青さんも聞き分けができるようになってきました。

   英語がずっと欠点で夏休みは、補修に通っていた英語嫌いの娘だって1年留学したら、それなりに話せるようになっていましたので、やっぱり、英語は慣れなのだなあと思います。

 奇跡の2つ目は、荷物があまり重く感じなくなってきたことでした。最初はとても重たく感じた荷物でした。2週間分のシャンプーが(シャンプーで体も頭も洗ってました。)減り、重かったヒアルロン酸がたくさん入った化粧落としシートも減り、日焼け止めも減りました。持って行った本や地図も終わったところは捨てて減りました。食料とか増えたものもありますが、2週間で英語と同じで体が慣れたのかもしれません。妙にリュックがフィットして荷物は重いけどけっこう歩けるようになってきたのです。

 お遍路も歩いたという方に出会いましたが、その方はお遍路で荷物をあれやこれや持って行っていたが自宅に送り返し、最終的には身軽になれたと話されていました。体が慣れるとはいえ、本当に必要なものってそう多くないのです。荷物の多さは不安の多さともいいますものね。次回行くことがあれば軽量化を目指します。

 もし、巡礼の道をせっかく歩かれるなら、2週間以上歩かれたほうがいろいろな変化も楽しめていいんじゃないかと思います。


◆世界中の人との出会い◆

 巡礼の旅の醍醐味ともいえる世界中の人に出会い、話せる機会はとても楽しいものでした。

 同じゴールを目指しているので、同じ人にバルやアルベルゲ、道で何回も会います。どこから来たの?名前はなんていうの?年齢はいくつ?足大丈夫?どうして巡礼の道に来たの?とか声をかけたり、かけられたり。私は、外国の人の名前をなかなか覚えられないので、ノートに出身地年齢名前などをメモしておいて、再会したときにメモをみて呼びかけたりしていました。食事を一緒にしたり、寝るとこが隣だったり。写真を一緒にとったり。ふつうの旅行とは、違って35日も同じ道を苦労して歩くので自然と連帯感が生まれてくるのです。

 スペイン、アメリカ、カナダ、イギリス、フランス、イタリア、タイ、韓国、台湾、中国、ドイツ、メキシコ、ハワイなどなどいろんな国の人と出会うことができます。

 目的も様々、誰かのためを祈って、亡くなった人を悼んで、チャレンジ、ダイエット、歩くのが好きだからなどいろいろです。キリスト教の方だけではなく、誰にでも門戸がひらかれている巡礼の道です。

 年代も様々。20歳台の若い人から80歳台という方もいました。若い人は、一人で歩いている人が多いです。ご夫婦とか友だち、兄弟と歩いている方も。

 仕事をリタイヤしてから念願だったこの道を歩いているという方もたくさんいます。若い人は、仕事をやめてどうしようかなと思ってた時に、この道のことを聞いて面白そうだなあと思ってきたという人もいました。

 なかなか世界中の人に毎日出会う機会なんてないと思うので本当によい経験となりました。歩かれたらちょっと勇気を持って自己紹介、あなたの名前は?って聞くと世界が広がります!

 もしかしたら、今は円安で海外の人がたくさん日本に来ています。四国のお遍路でも世界中の人が来ているかもしれませんのでそこでも同じような経験ができるかもしれませんね。


◆印象に残った人たち◆

 いろんな人との出会いと別れがありましたが、特に印象に残った人や言葉をまとめてみました。

 一人目は、サンティアゴから逆方向に歩いてくる70歳後半ぐらいのフランス人の方に声をかけられました。彼は、四国のお遍路を来年歩くつもりなのだという。私は、「ぜひ日本に来てくださいね。四国の人はみなさんとても親切ですばらしいですよ。フランス人の道は、800キロだけど、お遍路は1300キロぐらいでとても長くハードなコースですよ。」というお話をした。すると彼は「たった1300キロだね。私は、今5か月かけて旅しているのだから。」と言われびっくりしました。彼は北の道からサンチャゴ・デ・コンポステーラにいき、さらにフランス人の道を歩いていたのです。それは1600キロ以上ある道でした。

   日本人にも20人ぐらい出会いました。若い人もいればお年寄りもいました。私がであって印象的だったのは、84歳の男性でした。彼は78才で仕事を辞めて四国のお遍路を6回歩き、今、カミーノのフランス人の道を歩いているという。今回家族全員に反対されたのですが、毎日日本に連絡するということでお許しがあって今歩いているそうです。

「毎日何食べたか、娘に写真を送らなくちゃいけないんだ。」と笑っていました。彼は、来年はサンチャゴを目指す別ルート北の道、再来年はポルトガルの道を歩きたいと語っていた。

「目標があると長生きできる」と楽しそうに語っていました。いくつになっても、生きる希望があるのはステキです。

 カミーノを歩き、スペイン人とそこで恋に落ち、スペインに住んでいる女性にも出会いました。彼女は、自分の気持ちに素直に生きるタイプ。そんな彼女の初カミーノは、海外一人旅中、たまたま知り合った人に巡礼の道のことを聞き、日本に帰国するのをやめて、フランス人の道の途中からカミーノを歩き始めます。時期は、歩く人も少ない晩秋。閉鎖しているアルベルゲも多く宿の確保にもかなり苦労したようで、その時の苦労とかメンバーとの出会いが忘れがたく、またピレネーも越えていなかったのでもう一度、カミーノを歩くことに。そこでアルベルゲでボランティアをしたりしているうちにスペイン人の彼と出会い子どもができたそうです。

 スペインの田舎は、とても住みやすく農業をしたり、アルベルゲのスタッフをしたり、日本食を教えたりカミーノを歩く日本人が病院に搬送されたりしたときに連絡がきて通訳をしたりもしているそうです。

 最初に歩いた時のカミーノが苦労の連続だったぶん、仲間との団結とか印象がものすごく強かったと話していたけど、乗り越えた時の喜びは相当だったのだろうなあ。彼女が他の外国人に「カミーノ イズ マイライフ」と話していた言葉が印象に残りました。


◆ゴールのあとに◆

 週天地世界の果てのフィステーラにゴールした私たちを、おめでとうと知らない人が声をかけてくれました。

 自転車でイタリアからカミーノをまわっていた老夫婦と一緒になりお互いのゴールを喜びあいました。彼らには帰りの道でも会い「この道はあなたの新しい道よ!」と私たちに言って颯爽と自転車で坂を通りすぎていきました。

 熊野古道も蘇りの道とされているけど、このカミーノの道も同じ。

 旅は終えても人生の旅は続く。自分の人生をただ歩く。

 新しい自分にはなっていない気するし、人生なにが正解なんてわからないけど、私はこの旅のようにいろんな人と出会い、新たな景色をみて、風や光を感じる心をもって、歩き続けたい。人生も旅も!

 そう、カミーノの旅は、人生のよう。

 山あり谷あり。暑くて大変な道。美しい景色。どこまでも同じような景色が続く道。動物たちの糞だらけの道。

 世界各国の人との出会いと別れ。一度きりしかあわなかった人も、何度も会う人も。いろんな国籍の人と異国の地で笑顔で挨拶や名前をかわす状況ってなかなかない。

 足が水ぶくれになったり、怪我をしたり、病院に入院したり、サポーターをしながら、杖を付きながら、時には休み、それでも巡礼者は前に進んでいきます。

 幸い我々は、まめや水ぶくれもできず、怪我もなくここまでこれました。

 英語も喋れない異国の地で不安もいっぱいだったけど、重い荷物を背負い、長いこの道のりを歩いてきた目的地への過程こそが大切な経験となりました。

 話をきいただけでは、得られない体験、歩いたものにしかわからない体験をたくさんすることができました。

 これからも面白そうだ、やってみたい、行ってみたいということが、私にはたくさんあります。大きいことも小さいこともあるけど、そんな気持ちを持ち続けていきたい。


      ↑ゴールのサンチャゴ・デ・コンボステーラの大聖堂前で


◆学んだこと◆

 『言葉がわからなくてもなんとかなる』ってことを身をもって体験。

 カミーノのブログや本を読んだりしても、それって英語やスペイン語話せるから世界の人とも話できてるんやろなって思ってました。

 娘がはじめて一人で飛行機の予約から、ホテルの予約などを自分でやって、スペイン巡礼の道へ行ったのは4年前。行く直前は、「途中で殺されたらどうしよう。」と不安からネガティブ発言をしていけど、「なんとかなるんやな。」と自信をつけて帰ってきた。その2年後アイルランドに留学するきっかけとなったのじゃないかなと思っている。そんな娘の体験を自分でも体験することができたと思います。

 そして、『コミュ二ケーションのきっかけは笑顔と挨拶と名前をきくこと!とありがとうという言葉』

 それは日本でもやけど世界共通なことです。

 特に苦楽をともにし長い距離歩いてきたからこそ生まれる連帯感、仲間意識が自然に発生して話しやすい状況になりました。

 『やっぱり日本はいい!』

 日本から来たというと、みなさん異口同音「日本は美しい」と言われます。かぶっていた笠もステキだと多くの方に言われました。

 日本のことをもっと知りたい勉強したい、ほとんど外国人の知らない私のすきな滋賀県のことを世界の人に知ってもらいたいという思いを強くしました。


◆スペイン巡礼の旅に行ってみたいと思われたみなさんへ◆

 お遍路よりも距離が短くお遍路転がし的な道も少ないです。

 標識、宿、配送サービスなどしっかりしているのでお遍路よりもハードルが低いです。

 私もそうでしたが、語学の心配が大きかったですが、なんとかなります!

 ぜひ、思い切ってでかけてみてください。そしてあなただけのオリジナルな巡礼の旅の物語をつくってください。

 「ブエン・カミーノ!」(よい巡礼を1)