◆荷物配送という神サービス◆
スペインでは、荷物の配送システムというとても便利なものがあります。場所や会社によって値段が違いますが4〜6ユーロで次に泊まるアルベルゲに荷物を届けてくれるサービスです。13〜16時ぐらいまでには荷物が着きます。
知り合った中国人の女性は毎日このサービスを利用して小さなリュックサックでさっそうと歩いていました。長く歩く人にとって荷物のあるなしは体調に大きく関係します。
私の荷物はけっこう重くて、10キロぐらいはあったので最初は、レシート一つでも持っておきたくないと思ったり、モバイルバッテリーとかもうこんなもん捨ててやる!と叫んだこともあります。(捨てなかったけど)それなのにこのサービスを利用したのは、フランス人の道最後の雨の日だったのです。なぜかというと、荷物の配送サービス会社に電話をして荷物があることを言わないといけないと書いてあったからです。電話なんてハードル高くてできないと思っていたので利用しませんでした。
その日は、雨だし、距離も30キロ近くあったのでとうとう配送サービスを頼むことにしました。宿においてある配送サービスの封筒にアルベルゲの名前と自分の名前、連絡先を書いてお金を入れます。宿のスタッフに電話する必要があるかと聞いてみると、「電話しとくから大丈夫だよ。」とのこと。翌日は、羽が生えたように軽く歩けて、こんなことならもっと配送サービス利用しとくんだったと少し後悔。フィステーラ、ムシアの道は、ほぼ4毎日配送サービスを頼みました。このサービスがあるおかげで年をとった人も、体調がすぐれない人も、荷物をもってあまり歩いたことない人も安心して巡礼の道を歩けるのでとても便利。このサービスがあるので、スペイン巡礼の道はお遍路の道を歩くよりだいぶハードルが低くなります。
◆2週間目の奇跡◆
巡礼2週間目に奇跡が起こったのです。奇跡は、2つ起こりました。
奇跡の1つは、英語がなんとなく聞き取れるようになったことです。
英語を話すほうは、出川イングリッシュみたいなもんで単語と日本語ミックスみたいなかんじなのですが、相手がだいたい何をいっているのかなんとなくわかるようになってきました。
最初は、スーパーで「袋はありますか?」と聞かれても「フロムジャパン!」ユーロで払いますか日本円で払いますか?と聞かれても「フロムジャパン!」知り合った人に今日はどこに泊まってるの?と聞かれても「フロムジャパン!」と元気に答えていた青さんも聞き分けができるようになってきました。
英語がずっと欠点で夏休みは、補修に通っていた英語嫌いの娘だって1年留学したら、それなりに話せるようになっていましたので、やっぱり、英語は慣れなのだなあと思います。
奇跡の2つ目は、荷物があまり重く感じなくなってきたことでした。最初はとても重たく感じた荷物でした。2週間分のシャンプーが(シャンプーで体も頭も洗ってました。)減り、重かったヒアルロン酸がたくさん入った化粧落としシートも減り、日焼け止めも減りました。持って行った本や地図も終わったところは捨てて減りました。食料とか増えたものもありますが、2週間で英語と同じで体が慣れたのかもしれません。妙にリュックがフィットして荷物は重いけどけっこう歩けるようになってきたのです。
お遍路も歩いたという方に出会いましたが、その方はお遍路で荷物をあれやこれや持って行っていたが自宅に送り返し、最終的には身軽になれたと話されていました。体が慣れるとはいえ、本当に必要なものってそう多くないのです。荷物の多さは不安の多さともいいますものね。次回行くことがあれば軽量化を目指します。
もし、巡礼の道をせっかく歩かれるなら、2週間以上歩かれたほうがいろいろな変化も楽しめていいんじゃないかと思います。
◆世界中の人との出会い◆
巡礼の旅の醍醐味ともいえる世界中の人に出会い、話せる機会はとても楽しいものでした。
同じゴールを目指しているので、同じ人にバルやアルベルゲ、道で何回も会います。どこから来たの?名前はなんていうの?年齢はいくつ?足大丈夫?どうして巡礼の道に来たの?とか声をかけたり、かけられたり。私は、外国の人の名前をなかなか覚えられないので、ノートに出身地年齢名前などをメモしておいて、再会したときにメモをみて呼びかけたりしていました。食事を一緒にしたり、寝るとこが隣だったり。写真を一緒にとったり。ふつうの旅行とは、違って35日も同じ道を苦労して歩くので自然と連帯感が生まれてくるのです。
スペイン、アメリカ、カナダ、イギリス、フランス、イタリア、タイ、韓国、台湾、中国、ドイツ、メキシコ、ハワイなどなどいろんな国の人と出会うことができます。
目的も様々、誰かのためを祈って、亡くなった人を悼んで、チャレンジ、ダイエット、歩くのが好きだからなどいろいろです。キリスト教の方だけではなく、誰にでも門戸がひらかれている巡礼の道です。
年代も様々。20歳台の若い人から80歳台という方もいました。若い人は、一人で歩いている人が多いです。ご夫婦とか友だち、兄弟と歩いている方も。
仕事をリタイヤしてから念願だったこの道を歩いているという方もたくさんいます。若い人は、仕事をやめてどうしようかなと思ってた時に、この道のことを聞いて面白そうだなあと思ってきたという人もいました。
なかなか世界中の人に毎日出会う機会なんてないと思うので本当によい経験となりました。歩かれたらちょっと勇気を持って自己紹介、あなたの名前は?って聞くと世界が広がります!
もしかしたら、今は円安で海外の人がたくさん日本に来ています。四国のお遍路でも世界中の人が来ているかもしれませんのでそこでも同じような経験ができるかもしれませんね。
◆印象に残った人たち◆
いろんな人との出会いと別れがありましたが、特に印象に残った人や言葉をまとめてみました。
一人目は、サンティアゴから逆方向に歩いてくる70歳後半ぐらいのフランス人の方に声をかけられました。彼は、四国のお遍路を来年歩くつもりなのだという。私は、「ぜひ日本に来てくださいね。四国の人はみなさんとても親切ですばらしいですよ。フランス人の道は、800キロだけど、お遍路は1300キロぐらいでとても長くハードなコースですよ。」というお話をした。すると彼は「たった1300キロだね。私は、今5か月かけて旅しているのだから。」と言われびっくりしました。彼は北の道からサンチャゴ・デ・コンポステーラにいき、さらにフランス人の道を歩いていたのです。それは1600キロ以上ある道でした。
日本人にも20人ぐらい出会いました。若い人もいればお年寄りもいました。私がであって印象的だったのは、84歳の男性でした。彼は78才で仕事を辞めて四国のお遍路を6回歩き、今、カミーノのフランス人の道を歩いているという。今回家族全員に反対されたのですが、毎日日本に連絡するということでお許しがあって今歩いているそうです。
「毎日何食べたか、娘に写真を送らなくちゃいけないんだ。」と笑っていました。彼は、来年はサンチャゴを目指す別ルート北の道、再来年はポルトガルの道を歩きたいと語っていた。
「目標があると長生きできる」と楽しそうに語っていました。いくつになっても、生きる希望があるのはステキです。
カミーノを歩き、スペイン人とそこで恋に落ち、スペインに住んでいる女性にも出会いました。彼女は、自分の気持ちに素直に生きるタイプ。そんな彼女の初カミーノは、海外一人旅中、たまたま知り合った人に巡礼の道のことを聞き、日本に帰国するのをやめて、フランス人の道の途中からカミーノを歩き始めます。時期は、歩く人も少ない晩秋。閉鎖しているアルベルゲも多く宿の確保にもかなり苦労したようで、その時の苦労とかメンバーとの出会いが忘れがたく、またピレネーも越えていなかったのでもう一度、カミーノを歩くことに。そこでアルベルゲでボランティアをしたりしているうちにスペイン人の彼と出会い子どもができたそうです。
スペインの田舎は、とても住みやすく農業をしたり、アルベルゲのスタッフをしたり、日本食を教えたりカミーノを歩く日本人が病院に搬送されたりしたときに連絡がきて通訳をしたりもしているそうです。
最初に歩いた時のカミーノが苦労の連続だったぶん、仲間との団結とか印象がものすごく強かったと話していたけど、乗り越えた時の喜びは相当だったのだろうなあ。彼女が他の外国人に「カミーノ イズ マイライフ」と話していた言葉が印象に残りました。
◆ゴールのあとに◆
週天地世界の果てのフィステーラにゴールした私たちを、おめでとうと知らない人が声をかけてくれました。
自転車でイタリアからカミーノをまわっていた老夫婦と一緒になりお互いのゴールを喜びあいました。彼らには帰りの道でも会い「この道はあなたの新しい道よ!」と私たちに言って颯爽と自転車で坂を通りすぎていきました。
熊野古道も蘇りの道とされているけど、このカミーノの道も同じ。
旅は終えても人生の旅は続く。自分の人生をただ歩く。
新しい自分にはなっていない気するし、人生なにが正解なんてわからないけど、私はこの旅のようにいろんな人と出会い、新たな景色をみて、風や光を感じる心をもって、歩き続けたい。人生も旅も!
そう、カミーノの旅は、人生のよう。
山あり谷あり。暑くて大変な道。美しい景色。どこまでも同じような景色が続く道。動物たちの糞だらけの道。
世界各国の人との出会いと別れ。一度きりしかあわなかった人も、何度も会う人も。いろんな国籍の人と異国の地で笑顔で挨拶や名前をかわす状況ってなかなかない。
足が水ぶくれになったり、怪我をしたり、病院に入院したり、サポーターをしながら、杖を付きながら、時には休み、それでも巡礼者は前に進んでいきます。
幸い我々は、まめや水ぶくれもできず、怪我もなくここまでこれました。
英語も喋れない異国の地で不安もいっぱいだったけど、重い荷物を背負い、長いこの道のりを歩いてきた目的地への過程こそが大切な経験となりました。
話をきいただけでは、得られない体験、歩いたものにしかわからない体験をたくさんすることができました。
これからも面白そうだ、やってみたい、行ってみたいということが、私にはたくさんあります。大きいことも小さいこともあるけど、そんな気持ちを持ち続けていきたい。
↑ゴールのサンチャゴ・デ・コンボステーラの大聖堂前で
◆学んだこと◆
『言葉がわからなくてもなんとかなる』ってことを身をもって体験。
カミーノのブログや本を読んだりしても、それって英語やスペイン語話せるから世界の人とも話できてるんやろなって思ってました。
娘がはじめて一人で飛行機の予約から、ホテルの予約などを自分でやって、スペイン巡礼の道へ行ったのは4年前。行く直前は、「途中で殺されたらどうしよう。」と不安からネガティブ発言をしていけど、「なんとかなるんやな。」と自信をつけて帰ってきた。その2年後アイルランドに留学するきっかけとなったのじゃないかなと思っている。そんな娘の体験を自分でも体験することができたと思います。
そして、『コミュ二ケーションのきっかけは笑顔と挨拶と名前をきくこと!とありがとうという言葉』
それは日本でもやけど世界共通なことです。
特に苦楽をともにし長い距離歩いてきたからこそ生まれる連帯感、仲間意識が自然に発生して話しやすい状況になりました。
『やっぱり日本はいい!』
日本から来たというと、みなさん異口同音「日本は美しい」と言われます。かぶっていた笠もステキだと多くの方に言われました。
日本のことをもっと知りたい勉強したい、ほとんど外国人の知らない私のすきな滋賀県のことを世界の人に知ってもらいたいという思いを強くしました。
◆スペイン巡礼の旅に行ってみたいと思われたみなさんへ◆
お遍路よりも距離が短くお遍路転がし的な道も少ないです。
標識、宿、配送サービスなどしっかりしているのでお遍路よりもハードルが低いです。
私もそうでしたが、語学の心配が大きかったですが、なんとかなります!
ぜひ、思い切ってでかけてみてください。そしてあなただけのオリジナルな巡礼の旅の物語をつくってください。
「ブエン・カミーノ!」(よい巡礼を1)