梶川伸・元毎日新聞記者(「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会副会長)
=2005年の取材メモから
へんろみち保存協力会の宮崎建樹さんは2010年12月11日、亡くなっているのが確認されました。遍路の多くが、宮崎さんには世話になっています。歩き遍路は、宮崎さんが調べて特定した遍路道を歩いています。道しるべは、宮崎さんらが取り付けたものです。そして、歩き遍路は必ずと言っていいほど、へんろ道保存協力会編の「四国遍路ひとり歩き同行二人・地図編」を手にしているのです。
「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会は2011年3月20日、松山市で第5回総会を開くことが決まっていて、宮崎さんにシンポジウムなどへの出席をお願いしていました。まことに残念です。謹んで哀悼の意を表します。
以下は、支援する会副会長の梶川伸が毎日新聞記者だった2005年に、宮崎さんに取材した内容です。当時のメモから、脈絡をつけずに、箇条書きの形で記します。
(「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会副会長、梶川伸)
【宮崎建樹さんの言葉】
・私は元警察官。警備、公安の担当で、33歳で警部になった。38歳で警察をやめた。(愛媛県警で?)警部でやめたのは2人目。その後、布団屋を回る仕事などをした。
・胆嚢を患ったことがきっかけで、43歳から歩き始めた。自分が歩いてみると、遠い道を歩いているような気がした。(他の人に)余分な苦労はさせてあげたくない。そこで、道しるべをつけることになった。まず石手寺から泰山寺まで。車で野宿をしながら、8〜9年かかって。2000くらい(の道しるべをつけた)。当時はまだ昔の道を知っている人おった。草ぼうぼうで、通れるようにしてあげんといかん。そこで、遍路道の草刈りをした。
・標識は2000個。(遍路道を示す)シールは10000枚。ほとんど1人でやった。
・道しるべは便箋の裏の硬い紙を切り抜いて型を作り、カラースプレーを吹きかけて作った。いただいた寄付は遍路道に返す。
・遍路地図はおとどし(2003年)第6版を出した。自費出版で5万3000部売れている。それで道しるべ、標識を作る。
・私の地図は、机の前で座って見るものではない。持って歩くとわかりやすい。6版では右から左に(道が)流れている。北が上ではない。
・歩行旅行者と遍路とは違う。歩行旅行者は計画を立てていく。遍路は道中でいろんなことに遭遇する。忍耐、努力、感謝で、心を昇華していく。
・歩いたら癒せるというのは、趣味やないですか。そんなん四国に来んでもええ。なぜ四国かを考えていない。
・古い、非能率、不愉快、不安、欠乏、危険。時代の価値観と相反するものが四国遍路にはある。
・苦しみ、道に迷っても、1つ1つに意味がある。
・素晴らしいのは人との出会いでしょうか。
・不平、不満を言い、楽なことを考えていたら、遍路じゃない。
・しんどい目をして苦労して、頼みの旅館が満員で、休んどって「遍路さん、これ食べるで」と声をかけられた時の感動。人の情けに助けられるのが遍路。
・(さまざまなことを)克服しながら前に進み、やっと着いてホッとする。「ありがたい」と思う。自分の力で困難を乗り越えた満足感。バスだと、「よかった」となり、「ありがたい」とはならない。
・八十八(カ所)はゲートや、関所や。「第1章」と、歩いて文章を読むんや。
・手を合わせ、「ええ修行をさせていただいた。試練を与えてくれた」ことを感謝する。
・人間の理解力は歩く速度に合っている。
・道に迷えば、お大師さんはいきなことしなさる。過去を振り返って「苦しかった、だけどよかった」(と考えるようになる)。
・人々と対話をし、道中は生活空間を頼って歩く。それが庶民信仰や。
・こらえるごとに大きくなる。気持ちが変わる、感性が磨かれ、「おかげさま、ありがたい」となる。
・鏡の法則。自分がいややと思えば、相手もいややとなる。自分がよくなれば、相手もよくなる。
・(遍路は)今の価値観に飽き足らず、新しい価値観を求めとる。
・最近は歩く間もない。
・生まれあわせやなと思う。(遍路道を)歩いている。(遍路道に)文字がかける。(遍路道の)木を削ることができる。ほかの誰にもできん。
・順打ちは「大きな道から小さな道へ」。逆打ちは「小さな道から大きな道へ」だから分かりにくい。そういう遍路道になっとる。(逆打ちの遍路は)危険を顧みず、信念を持ってやる。1つ間違うととんでもない所に行く。思いつめても成し遂げたい。だから、逆打ちの道しるべはつけないならわしがある。(逆打ちの道しるべのために)1000万出すと言った人があったが、物笑いになるからせんかった。(逆打ち遍路は)迷って、危険を承知で結願する。