18番 恩山寺から約3km、19番 立江寺の約1km手前の県道136号沿い右側にあります。
この場所には江戸時代の遍路「お京」さんを祀った「お京塚」が有りましたが、老朽化の改装にヘンロ小屋として生まれ変わりました。
立江寺に提供頂いた土地に、支援する会徳島支部長の鍛谷さんを中心に建設委員会を組織し、県内外から寄付を集めました。支援する会の会費も充てられています。
歌さんの設計コンセプトは、「祈り」で、屋根は合掌のデザインです。。
※「お京塚」お京さんは石見国(島根県)の出身で、大阪で芸妓をしていたといいます。要助と結婚しますが、鍛冶屋長蔵と不倫の関係になり、要助を殺してしまいます。
お京と長蔵は罪滅ぼしのために四国遍路をします。19番立江寺まできたところ、お京の黒髪が逆立ち鉦の緒に巻き上げられたのです。
時の院主にことの次第を告白し、罪を懺悔したところ、お京の頭部の肉が剥がれ、黒髪もろとも鉦の緒に残り、命だけは助かりました。お京は出家得度して、この地に庵を結び、一生を終えたということです。享和3(1803)年のことです。
以来、立江寺は阿波の関所寺と言われ、罪深い人はここから進めなくなるといわれています。お京さんの髪は立江寺の大師堂右側にある黒髪堂に祀られています。
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